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Posts Tagged ‘富岡町’

前回のブログでは、5月8日に私が常磐道を使って福島県浜通りを北上しようとしたが、常磐道が片道一車線、対面通行で、以前よりも交通量が増え、横風にもあったため、いわき市最北のいわき四倉インターチェンジで常磐道を下りたことを紹介した。この時点で、私は迷った。常磐道でも帰還困難区域を通過せざるをえないのだが、一般道国道6号線は福島第一原発の前を通過しており、より高線量の地点があると予想せざるをえない。

実際、後から調べたことだが、国道6号線は常磐道より多くの被曝を強いられることになっているようだ。「物流ニッポン」というサイトの2015年7月13日付の記事では、次のように説明されている。

内閣府の原子力災害対策本部原子力被災者支援チームが6月24日に公表した資料によると、避難指示区域通過による被ばく線量は、国道6号で放射線量が最も多い区間(42.5キロ)を時速40キロで通過した場合が「1.2マイクロシーベルト」。これは、胸部X線集団健診の被ばく線量60マイクロシーベルトの50分の1程度だ。また、常磐道・広野インターチェンジ(IC)―南相馬IC(49.1キロ)を時速70キロで通過した際の被ばく線量は0.37マイクロシーベルトで、X線健診の160分の1に当たる――としている。
http://logistics.jp/media/2015/07/13/251

今、考えてみると、常磐道でもそれなりの被曝を覚悟しなくてはならないが、その3倍以上の被曝になっていたようである。沿道のモニタリングでも、常磐道では最大毎時4μSv程度だが、国道6号線沿いには毎時12μSvの地点もあるようだ。福島第一原発により近い国道6号線では、より被曝を覚悟しなくてはならないのである。

とはいえ、多分、公開されている限り、一度は福島第一原発前を通りたいと考えてもいた。そこで、四倉から国道6号線を使って、浜通りを北上することにした。

とはいえ、四倉から楢葉町までの区間は避難指示が解除されている。事故後、行ったこともある。事故後に行かなかったところは、富岡町から浪江町の区間だ。大雑把に言えば、富岡町中心部は居住制限区域(年間20〜50mSv)、富岡町北部ー大熊町ー双葉町が帰還困難区域(年間50mSv以上)、浪江町(海岸部)以北が避難指示解除準備区域(年間20mSv以下)となっている。とにかく、行ってみることにした。

このあたりは、山地と海に挟まれ、山地からは小河川が流れ、小河川に沿って平坦地があって田畑や小さな街並みが所在し、それぞれの小河川流域を区切るように岡があって、そこに林地が広がっているという地形だ。その地形にはもちろん変化はない。国道6号線沿いに所在する林地は新緑となっており、そこここで、藤の花が満開となっていた。見た目だけでは、「美しい自然」なのである。

国道6号線における帰還困難区域の通行は、放射線を多少でも遮蔽できる自動車でしか許されない。自動二輪や徒歩は通行禁止となっていた。そこで、帰還困難区域の境界は、車道は開放されているが、警官もしくは警備員が警戒していた。たぶん、自動二輪や歩行者を追い返すことが任務なのだろう。

帰還困難区域に入ってみると、津波に遭わなかったところでは、意外と町並みはかたづいている感じがした。地震で壊れていたような家屋は撤去されたようであり、残っていた家も青いビニールシートなどで屋根が補修されていた。ただ、国道6号線の沿いにある全ての家の前にはバリケードが築かれていた。また、国道6号線と交差する道路の多くは封鎖され、そこも警官もしくは警備員で警備されていた。

当たり前だが、警官・警備員以外に人はいない。富岡町(北部)・大熊町・双葉町の街並みに住民はいない。新緑の林に囲まれた、それらの街には人は住んでいないのである。

もちろん、線量の高低などは体感できるわけはない。ただ、ところどころに線量を表示する電光掲示板があった。表示されている線量は、最高毎時3μSV台だったかと記憶している。ただ、「ここは帰還困難区域(高線量区域を含む)」や「この先帰還困難区域につき通行止」という立看がそこここにあった。

この帰還困難区域内には、福島第一原発入口もある。しかし、それも封鎖されている交差点の一つにすぎない。

この帰還困難区域の通行に大きな支障はなかった。しかし、車の外に出ることが許されない地域である。信号以外で車を一時停止する気にもならず、写真撮影もしなかった。とにかく、早く通過したいと願うばかりであった。

ようやく、双葉町をぬけ、浪江町に入った。浪江町の海岸部は比較的線量が低く、避難指示解除準備区域となっている。しかし、そこも、それなりに家屋は補修されているものの、住民はほとんどいなかった。

住民をみかけたのは、浪江町をぬけて南相馬市小高に入ってからであった。そして、北上し、南相馬市の中心部である原町に入ると、それなりの賑わいをみることができた。そこから、飯舘村をぬけて、福島市にむかい、帰京の途についた。

帰還困難区域の印象を一言でいうことは難しい。「高線量」の危険とは目に見えないものであり、直接的には常磐道の対面通行のほうが危険に感じてしまう。帰還困難区域の「自然」の美しさが目をひき、「危険」を感じさせなくしている面もある。

しかし、放射線量の高さは、この地に人が自由に出入りしたり、住むことを許さない。たぶん、除染家屋の補修、地震・津波被災の後片付け、避難住民の荷物の運び出し、福島第一原発の廃炉作業など、それぞれの用務で立ち入っている人々はいるだろう。でも、一般には、短時間であっても、車などの遮蔽物から外に出ることは許されていない。

結局、立ち入ること禁止する警官・警備員をのぞけば、街並みだけしか残っていない。そこにいたはずの人々は、立ち退いたままなのだ。帰還を強く望む国・県すら、この地への早期帰還は想定していない。帰還困難区域のありようは、東日本大震災と福島第一原発事故の一つの結果ともいえよう。

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福島第一原発の汚染水問題が議論されていた8月末、福島第一原発・第二原発が所在している立地自治体では、もう一つ大きな動きがあった。まずは、河北新報の次のネット配信記事(2013年8月30日付)をみてほしい。

福島第1・第2の立地4町 全基廃炉方針 東電に要求へ
 福島第1、第2の両原発が立地する福島県双葉、大熊、富岡、楢葉4町は29日、両原発の全10基の廃炉を国と東京電力に求める方針を確認した。全基廃炉は県と県議会が求めているが、立地町の要求は初めて。
 同県広野町であった4町の原発所在町協議会で各町長、町議会議長が確認した。各町議会に議論を促し、同意を取り付ける。
 東電の相沢善吾副社長は4町の意向を受け、「重く受け止める。原発の安定化を最優先に取り組み、エネルギー施策を見極めて国の判断に従う」と話した。
 廃炉が決まっているのは、事故を起こした第1原発の1~4号機。第1原発の5、6号機、第2原発の1~4号機の計6基は方針が定まっていない。
 協議会は第1原発の放射能汚染水漏れの再発防止を求める要望書を相沢副社長に渡した。

2013年08月30日金曜日
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/backnum/news/2013/08/20130830t61038.htm

この記事の中で述べているように、事故を起こした福島第一原発1〜4号機の廃炉はすでに決定されている。しかし、福島第一原発5〜6号機、福島第二原発1〜4号機は、事故が起きたわけではなく、再稼働可能である。この再稼働可能な原発も含めて、原発が所在している双葉、大熊、富岡、楢葉の4町の原発所在町協議会は、福島にあるすべての原発の廃炉を東電に求めることにしたのである。

なお、この記事にもあるように、すでに福島県知事と福島県議会は、県内すべての原発の廃炉を要求していた。本ブログの「福島県知事による県内全原発廃炉を求める方針の発表ー東日本大震災の歴史的位置」(2011年11月30日)によると、紆余曲折をへながら、福島第一原発・第二原発の廃炉を求める請願を採択する形で、2011年10月20日に福島県議会は県内すべての原発の廃炉要求に同意する旨の意志表示を行った。この廃炉請願採択を受けて、11月30日に県内すべての原発廃炉を求めていくことを正式に表明している。

その点からいえば、これらの原発所在地において県内原発すべての廃炉を求めるというのは、かなり遅かった印象がある。しかし、それも無理からぬところがあるといえる。福島県全体とは相違して、原発立地自治体においては、雇用、購買力、補助金、税収などさまざまな面で原発への依存度は大きい。それゆえ、福島第二原発など再稼働可能な原発を維持すべきという声は、福島県議会以上に大きかったといえる。例えば、楢葉町長であった草野孝は、『SAPIO』(2011年8月3日号)で次のように語っていた。

双葉郡には、もう第二しかないんだ……。
 正確に放射線量を測り、住民が帰れるところから復興しないと、双葉郡はつぶれてしまう。第二が動けば、5000人からの雇用が出てくる。そうすれば、大熊町(第一原発の1~4号機が立地)の支援だってできる。
(本ブログ「「遠くにいて”脱原発”なんて言っている人、おかしいと思う」と語った楢葉町長(当時)草野孝とその蹉跌ー東日本大震災の歴史的位置」、2012年5月22日より転載)

福島第二原発という再稼働可能な原発が所在し、また、比較的放射線量が低い楢葉町と他の三町とは温度差はあるだろう。しかし、いずれにせよ、福島第二原発などの再稼働によって地域経済を存立していこうという考えが、福島第一原発事故により広範囲に放射性物質に汚染され、ほぼ全域から避難することを余儀なくされていた原発立地自治体にあったことは確かである。

そのような声があった原発立地自治体においても、再稼働可能な原発も含めた全ての原発の廃炉を要求することになったということは画期的なことである。しかし、これは、他方で、福島第一原発事故で避難を余儀なくされ、復興もままならず、多くの避難者が帰郷することはできないと意識せざるを得なくなった苦い経験によるものでもあろう。そして、また、この当時さかんに議論されていた汚染水問題が県内全原発廃炉要求を後押しすることになったとも考えられる。

ただ、河北新報の記事にあるように、この要求はいまだ、町長・町議会議長たちだけのものであり、各町議会で同意をとるとされている。このことに関連しているとみられる富岡町議会の状況が9月21日の福島民報ネット配信記事にて報道されている。

第二原発廃炉議論本格化 富岡町議会 一部に慎重論、審議継続
 富岡町議会は20日、町内に立地する東京電力福島第二原発の廃炉に関する議論を本格化させた。一部町議から「廃炉の判断を現時点で行うのは時期尚早」という意見が出て、継続的に審議することを決めた。
 20日に郡山市で開かれた町議会の原発等に関する特別委員会で塚野芳美町議会議長が「廃炉に関し町議会の考え方をまとめたい」と提案した。
 町議からは「原発に代わる再生可能エネルギーの担保がない」「原発に代わる雇用の場を確保しなければならない」など現時点で廃炉の姿勢を示すことに慎重な意見が出た。
 一方で「県内原発全基廃炉は当然」「廃炉と雇用の問題は別に議論すべきだ」など立地町として廃炉の姿勢を明確にすべきという意見があった。
 特別委員会の渡辺英博委員長は「重要な問題。今後も議論を続けて方向性を定めたい」と述べた。
 富岡の他、楢葉、大熊、双葉の4町でつくる県原子力発電所所在町協議会は8月、国と東電に対し、県内原発の全基廃炉を求める認識で一致している。

( 2013/09/21 08:59 カテゴリー:主要 )
http://www.minpo.jp/news/detail/2013092111011

ここでは富岡町議会のことしか報道されていないが、やはり「全県内原発廃炉」という方針には抵抗のある議員がいることがわかる。つまり、町議会レベルでは、いまだ流動的なのである。

他方、福島原発立地自治体における県内原発全機廃炉の声はそれなりに政府においても考慮せざるを得ない課題となった。9月30日、茂木敏充経済産業相は、東京電力福島第1原発の汚染水問題を巡る衆院経済産業委員会の閉会中審査において、福島第二原発廃炉を考慮せざるをえないと述べた。そのことを伝えている毎日新聞のネット配信記事をあげておこう。

福島第2原発:廃炉検討の考え示す 茂木経産相
毎日新聞 2013年09月30日 20時10分(最終更新 09月30日 22時40分)

 茂木敏充経済産業相は30日、東京電力福島第1原発の汚染水問題を巡る衆院経済産業委員会の閉会中審査で、福島第2原発について「福島県の皆さんの心情を考えると、現状で他の原発と同列に扱うことはできない」と述べ、廃炉を検討すべきだとの考えを示した。福島県は県内全原発の廃炉を求めており、県民感情に配慮した形だ。

 茂木氏は同時に、廃炉にするかどうかの判断について「今後のエネルギー政策全体の検討、新規制基準への対応、地元のさまざまな意見も総合的に勘案して、事業者が判断すべきものだ」と述べ、最終的には東電が判断するとの立場を強調した。

 福島県内には、福島第1、第2で計10基の原発があり、福島第1原発1〜4号機は既に廃炉が決定。同原発5、6号機については、安倍晋三首相が東電に廃炉を要請しており、これを受けて東電が年内に判断する。

 閉会中審査は27日に続いて2日目の開催。茂木氏のほか、原子力規制委員会の田中俊一委員長らが参考人として出席した。

 福島第2原発1〜4号機を全て廃炉にした場合、東電の損失額は計約2700億円。会計制度の見直しで、一度に発生する損失は1000億円程度まで減る見込みだが、福島第1原発5、6号機の廃炉でも数百億円の損失が一度に出る見通し。同時に福島第2の廃炉も行うと決算に与える影響は大きい。

第2原発廃炉については東電内でも「再稼働に必要な地元同意が見込めない以上、いずれ判断をする時期が来る」との意見が多いが、第1原発5、6号機の廃炉は1〜4号機の廃炉作業や汚染水対策に集中する目的があるのに対し、第2の廃炉は「仕事が増えるだけ。将来はともかく、今やれる話ではない」(東電幹部)との声もある。【笈田直樹、浜中慎哉】
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20131001k0000m010035000c.html

安倍政権は、原子力規制委員会が安全と判断した原発は再稼働していくというものであった。しかし、茂木経産相としては、「福島県の皆さんの心情を考えると、現状で他の原発と同列に扱うことはできない」として、再稼働可能な福島第二原発も含めて福島県内の全原発の廃炉を考慮せざるをえないと言わざるを得なくなったのである。

もちろん、今後の推移については、まだまだ紆余曲折があるだろう。地元ではいまだに原発による雇用などに依存しようとする声は小さくないと思われる。また、安倍政権は全体として原発再稼働を求めており、福島第二原発も再稼働対象に含めようとすることも今後あるかもしれない。といいつつ、やはり、地元自治体すらもすべての原発の廃炉を求めるようになったということの意義は大きい。やはり「時計の針は元には戻せない」のである。

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  • なぜ、下北沢で福島県の高校演劇が上演されたのか
  • 2013年8月15日、東京・下北沢の小劇場・楽園で、原発・震災被災者と日常的な高校生活との葛藤を扱った高校生の演劇「シュレディンガーの猫」(福島県立大沼高校演劇部)と「彼女の旋律」(会津若松ザベリオ学園高等学校演劇部)の演劇公演が行われ、見に行った。

    まず、なぜ、下北沢で福島県の高校生たちの演劇が上演されたかを紹介しておかなくてはならない。この演劇公演をプロデュースしたNPO法人大震災義援ウシトラ旅団は、「大震災義援ウシトラ旅団は東日本大震災を機に結成されたボランティア団体です。ウシトラ旅団とは、本営のある東京から、東北(艮の方角)に向かって支援の旅に出るの意味を込めた団体名です。任意のボランティア団体として2011年4月に誕生し、地震・津波と福島第一原発事故による被災者、避難者を支援する活動を行って来ました」(ウシトラ旅団サイト)という避難者支援のボランティア団体である。そのボランティア事業の一環として、下北沢における高校演劇公演を行ったのである。

    ウシトラ旅団のサイトには、次のように、この演劇公演について語られている。

    福島県立大沼高等学校演劇部 東京公演を成功させよう

    ★福島の高校生たちの演劇成功に力をかしてください 
     あの忌まわしい地震、津波、原発事故とそれによって故郷を追われた人々。彼らにも私たちと何ひとつ違わない生活がある。食う寝る働く、学校へ通う。新しい命が生まれるし、永久の別れもやってくる。そうした当たり前の日常を彼らはどうやっておくっているのか。
     狭く不便な仮設住宅で、家族バラバラの借上げ住宅で、故郷から遠く離れた見知らぬ土地で……、 一方彼らの今の「日常」は避難先の人々の「日常」と重なりあって、ひと言では言い表せないマダラ模様になっている。
     ここに福島の高校生たちが感じたこと、言いたいこと、彼らのマダラな日常―「シュレーディンガーの猫」があります。その真直ぐな問いかけを大人たちは正面から受け止めなくてはいけない!そう思い東京公演を開催することになりました。
    8月15日~18日の公演期間の内、8月15・16日の二日間は、大沼高校のライバル校である会津若松市のザベリオ学園による松本有子作・演出『彼女の旋律』(福島県高校演劇コンクール第1席 東北地区高校演劇発表会優良賞)との二本立てで上演いたします。こちらも、高校生が被災者の避難所を訪れて起こる出来事を演劇にしたものです。
    高校生の芝居を通して、福島の想いを「演劇の聖地」下北沢で大きく叫んでもらいます。福島からの声をより多くの人々、とりわけ首都圏に住む人々に届けたいと思います。

    ★高校生の体験から誕生した『シュレーディンガーの猫』
     この作品は、震災・津波の被害、そしてそれに続いた福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染から逃れるために、会津美里町の県立大沼高校に転校してきた女生徒たちが演劇部に入部したことをきっかけにして生まれました。
     原発事故による避難者である彼女たちの気持ちと、受け入れた学校の生徒の気持ちは、すんなりと一致するようなものではありませんでした。体験をもとに演劇にすることの是非も含めて、多くの葛藤を抱え込みながら、被災者生徒と顧問の先生との共同作業で脚本が書き上げられました。

     二年間、自分の体験について口を閉ざしてきたというSさんは稽古に入って「そんなんじゃ、被災者の気持ちは伝わらない」と、ようやく自らの経験と心の傷を涙ながらに語ったといいます。それを聞いた部員の生徒たちもまた、涙を流しながら彼女(被災者)の心を受け止め、「そこから劇はガラリと変わった」(大沼高校演劇部顧問・佐藤雅通先生)という、本音のぶつかり合いによって成立した演劇です。
     これらの過程が作品の中では見事に表現されています。劇中の「私、生き残ったんじゃない。死ななかっただけ」、「悲しいんじゃない、悔しいんだ」、「箱の中で放射能物質に運命を握られている猫。私達(生きているのか死んでいるのか)どっちなんだろう・・」という独白は、被災者の心のうちの止むことのない動揺、答えの出ない問いかけです。

    ★共に生きていく勇気を呼び起こすために
     クライマックスで畳み掛けられていく、「同情はいらない」。「どんなことがあっても負けない」。「それでも、他人にはやさしくしたい」。「絶対に忘れない」といった台詞は、苦悩を乗り越えようとする被災者と、それに寄り添おうとする生徒たちが共に生きていこうとする勇気の表明です。自然な感情の高揚によって、被災者と本当に手を結んで生きていこうとすることを観客に訴える芝居なのです。
     地元の応急仮設住宅で行われた公演では、涙をにじませた避難者に「私たちの心の中をよく言ってくれた」「生徒たちが避難者の気持ちをここまで感じてくれていた。励まされる思いがした」と感想をもらい、生徒たちもまた「これまででいちばんの拍手をいただいた。(演技者の)みんなも泣いていた。(被災者のS)先輩の気持ちを伝えたかった。(東京公演でも)震災を忘れない、いつまでも心に残る劇にしたい」と語っています(朝日新聞福島版・5月9日付)

     福島のことが忘れ去られようとしている。そんな危惧の声を聞きます。
     私たちはそのような嘆きより、この高校生たちの演劇を通して、被災者とのしっかりとした関係を創っていこう、一緒に生きていくあり方を創っていこう、と呼びかけることを目指します。
     どうか意をお汲み取りのうえ、ご支援・ご協力をお願い申し上げます。
    http://www.ushitora-ryodan.org/311/modules/housing/

    この「シュレディンガーの猫」は、福島県の高校演劇コンクールでは最優秀賞をとった作品だった。しかし、東北大会での評価は低く、全国大会で上演される機会を逸した作品であった。それでも、いわき市で行われた演劇大会に地元枠として推薦され、上演された。それを見たウシトラ旅団のメンバーが感動して、下北沢公演をはかってくれたのであった。この経過を伝える、河北新報の記事を紹介しておこう。

    演じる/同情ではなく伝える「忘れない」/大沼高演劇部3年・増井結菜さん=福島県会津美里町

     「同情は、いらない」
     「どんなことがあっても、負けない」
     「それでも、他人には、優しくしたい」
     福島第1原発事故で避難区域から福島県会津地方に避難した高校生、絵里を演じる。
     劇「シュレーディンガーの猫」は絵里ら2人の転校生、2人を迎えた同級生6人の心の葛藤と友情を描く。15日から4日間、演劇の本場、東京の下北沢で公演する。
     「絵里は悲しみを胸に閉じ込め、努めて明るく生きようとする。言い回しの裏にある感情を表現しなければならない」
     これまでの役で最も難しいと思った。同県富岡町から避難した1年先輩の女子生徒から体験談を聞き、気持ちをつくった。
     同県会津美里町に生まれた。原発から西に約100キロ離れ、被災者ではない。地元の大沼高の演劇部に所属する。
     昨年11月、県高校演劇コンクールで最優秀賞を射止め、12月の東北大会に駒を進めた。上位に入ったら全国大会への道が開ける。
     「重すぎる」
     「見ていてつらい」
     東北大会での評価は厳しかった。入賞を逃し、全国行きの切符は手に入らなかった。
     ことし3月、全国規模の別の高校演劇大会がいわき市で開かれ、地元枠で出た。
     東北大会で受けた評価を教訓に脚本と演出を練り直した。転校生同士で言い争う場面など深刻なシーンを減らす。
     本番では好評を博した。公演を見た東京の被災者支援団体「ウシトラ旅団」のメンバーが気に入り、東京公演の道筋をつけてくれた。
     5月、会津美里町の仮設住宅で演じた。同県楢葉町の住民が暮らす。
     拍手が鳴りやまなかった。観客の一人が避難者の気持ちを代弁してくれたと握手を求めてきた。
     「役が自分のものになったと感じた」
     シュレーディンガーの猫は物理学の思考実験の呼称だ。箱に入れられた猫が放射性物質に生殺与奪権を握られ、外からは生きているのか死んでいるのか分からない状態を指す。
     劇では「生きている状態と死んでいる状態が50%ずつの確率で同時に存在している猫」と説明する。家を追われる実害を受けた避難者、風評被害の憂き目に遭う県民。原発事故が直接的、間接的に影を落とす福島県の現状を表す。
     裏方を含めて19人の部員で取り組む。稽古では劇中と同様に本音をぶつけ合い、駄目出しを繰り返した。
     「みんなで作り上げた舞台。避難者の思い、福島県の思いを伝えたい」
     絵里は同情から特別扱いされ、同級生の反発を買う。触れ合いを深めて次第に分かり合い、最後はお互いに力強く生きようと誓う。
     絵里が言う。
     「(原発事故を)絶対に忘れない」
     同級生が手を挙げて賛意を示し、幕は下りる。
    (阿部信男)

    2013年08月14日水曜日
    http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1109/20130814_01.htm

    ウシトラ旅団のサイトでは、より詳細に、背景事情を語っている。

    ★『フェスティバル2013 全国高校演劇研究大会』(いわき市)
    3月23日・24日に高校生たちの演劇を見に行って来ました。 いくつかの作品を見させてもらったのですが、お目当ては開催県の枠で、最後に上演された福島県立大沼高等学校の『シュレーディンガーの猫~Our Last Question~』でした。

    実はこのフェスティバルは地方ブロックの予選で最優秀を取れずに、夏の全国大会へ行けなかった作品の内から推薦されて、上演が行われるものなのだそうです。
    会津美里町の大沼高校演劇部がいわば全国大会への道を絶たれた時の「講評や批評」について、「東北でも震災被害が風化しつつある」と報じた新聞記事に、ウシトラ旅団の数人が怒りまくったのでした。 むろん、その怒りは、この作品が一等賞を取れなかったという結果についてではなく、生徒たちが福島の問題に正面から立ち向かった演劇に対して、評価する側が「正面から」向きあおうとしなかったらしいことについてでありました。

    事の結果を報じた福島民報はこう書いていました。 『震災と原発事故を題材にした大沼高(会津美里町)の演劇に対し、他校から「重いテーマを重くやられた感じ、疲れる」「(震災を)見せ物にしている」などの講評が寄せられた。審査員の一人も「疲れた」と感想を漏らしたという。結果は本紙既報の通り最優秀でも優秀でもなく、優良賞だった。  審査がある以上、優劣がつくのは当然で、結果についてとやかく言うつもりはない。残念なのは、被災地の視点で問題に真正面から取り組んだ姿勢に対し、冷ややかな見方があった点だ。講評者名は伏せられているが、関係者は「被災しなかった地域の生徒の意見ではないか」と推測している。思いを共有してくれていると信じていた東北での否定的な反応に、部員は落胆している。心を占めているのは悔しさより悲しみだろう』

    旅団長は、怒っておりませんでした。 嫉妬で目が濁る、んな連中はいるだろうし、風化なんていえば「絆」やらのごたくで塗りたくった支援や心持ちは、すぐに風化するに決まっている。
    そんなことより「共感の回路をどう作るか」を考えねばなりませぬ。 というわけで、例のごとく喚いてしまうもんね。 「この演劇、東京でやっちまおうぜ! 評価はそこで見てくれる人にやってもらえばいいじゃん」(後略)
    http://www.ushitora-ryodan.org/311/modules/housing/index.php?page=article&storyid=1

    なんというか、後述するように「シュレディンガーの猫」(『彼女の旋律』もだが)は、被災者と会津地方の一般高校生との「ディスコミュニケーション」を扱っている作品である。しかし、「シュレディンガーの猫」それ自体も、「重いテーマを重くやられた感じ、疲れる」「(震災を)見せ物にしている」「疲れた」などと言われ、「被災地を真っ正面に扱うこと」に対する「ディスコミュニケーション」のはざまで排除されたといえるだろう。

    それに対して、「共感の回路をどう作るか」ことを目的として、東京で(もちろん、東京は「全国」ではないが)上演させたのが、プロデュースした「ウシトラ」旅団だったといえよう。その意味で、今回の公演それ自体が、被災者との間に生じている「ディスコミュニケーション」をどのように対応するのかということに対する一つの取り組みであったのだ。今回の公演自体が、大きな「出来事」であったといえるだろう。
    (続く)

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    2013年3月25日、全域が立ち入りが制限される警戒区域のもとにあった富岡町は、避難指示区域を再編し、避難指示解除準備区域と居住制限区域には昼間の立ち入りが認められるようになった。

    しかしながら、この措置は問題がないとはいえない。そもそも、国が決めた基準では、被曝線量年間20mSv以下の地域を避難指示解除準備区域、20〜50mSvの地域を居住制限区域、50mSvを超える地域を帰還困難区域としている。国としては、将来的には被曝線量年間1mSvをめざして除染を進めるとはしているが、20mSv以下の地域では、水道などの生活上必要なインフラが整備されれば、避難指示を解除し、居住を認めるということになっている。そして、居住制限区域も除染などの進行によって放射線量が20mSv以下になれば避難指示解除準備区域に移すことにしている。

    つまりは、被曝線量年間20mSvを居住可能の線引きとしているのである。一般公衆の場合は被曝線量年1mSv(毎時0.23μSv)未満とされ、これが除染基準となっているが、その20倍の被曝線量が福島第一原発地域の基準となっているのである。

    そして、もう一つの問題がある。いろいろ検討してみると、被曝線量年間20〜50mSvになる居住制限区域も、避難指示解除区域と同様に、昼間の立ち入りが認められているということである。ある意味で、無用な被曝を惹起しかねないということである。

    それでは、現実に、富岡町の区域再編をみていこう。3月に富岡町が出した、「富岡町への立入りのしおり」によると、区域再編は次のようなものになっている。

    富岡町における避難指示区域の見直し地図

    富岡町における避難指示区域の見直し地図


    http://www.tomioka-town.jp/living/cat4/2013/03/000807.html

    富岡町では、ほとんど国の基準に忠実に区画の線引きをしたことがわかる。立ち入りが制限される帰還困難区域は、北東部の一部だけである。その他の50mSv未満の地域は、昼間は原則的に立ち入ることができる。国道6号線上における帰還困難区域との境界にある富岡消防署前においては検問所が設置され、国道6号線から帰還困難区域に通ずる道路は封鎖されているが、その他の検問所はないのである。

    そして、さらに問題なのは、富岡町の放射線量がかなり高いということである。上の図でもわかるが、避難指示解除準備区域においても、その多くが年間10〜20mSvという放射線量を示している。年間1mSv未満のところはどこにもなく、低線量地帯でも多くは5mSv以上なのである。

    それは、現在の放射線量モニタリング調査の結果からもわかる。

    町内空間線量(3月分)

    町内空間線量(3月分)


    http://www.tomioka-town.jp/living/cat25/2013/04/000852.html

    一番低いところが毛萱集会所の毎時0.63μSvであるが、それすら、一般公衆の基準の2倍以上である。1μSvを下回るところは少ない。高いところは14μSvをこえている。なお、この14μSvをこす線量を示した太平洋ブリーディングというところは、小良が浜という富岡町の北東部にあり、帰還困難区域に属しているようである。

    このように、富岡町も推奨しているように、防護装備がないと立ち入ることに懸念をおぼえる地域なのである。しかし、この地域への立ち入りは可能なのである。

    なお、4月1日に区画再編を実施した浪江町も基準自体は同じである。ただ、避難指示解除準備区域に指定された浪江町の海側は富岡町よりも概して低く、年間1〜5mSvの場所が多い。そして、浪江町では、町外の人が浪江町内に立ち入る場合には「臨時浪江町通行証」を発行し、ある程度制限している。また、町内の検問所も7ヵ所と多い。

    この区域再編について、富岡町では、本格的除染を進め、インフラなどの復旧をはかるためとしている。ある程度、自由に立ち入ることができないと、除染やインフラ復旧がすすまないというのである。

    富岡町の区域の見直しにあたって

    富岡町の区域の見直しにあたって


    (「富岡町への立入りのしおり」より)

    しかし、多くの富岡町民は、元の居住地に戻ることが難しいと感じている。昨年末に実施した、富岡町住民意向調査調査結果(速報版) では、多くの住民が富岡町に戻らないと答えている。

    富岡町住民意向調査調査結果(速報版)より

    富岡町住民意向調査調査結果(速報版)より


    http://www.tomioka-town.jp/living/cat16/2013/02/000731.html

    上記のように、現時点で、戻りたいと考えている人は約15%。判断がつかない人は約43%であるが、戻らないことに決めている人が約40%で、戻りたいと考えている人の2倍以上となる。若い人びとほど戻らないと決めている人たちが多い。特に30代が多いが、これは子育て世代のためなのだろう。世代が高くなるたびに戻りたい人たちが増えてくるが、それでも、戻りたいと考える比率が大きくなるのは70代以上のみ。この推移でいくと、富岡町は老人のみの町になってしまうだろう。

    そして、戻らない理由として、多くの人が放射線や福島第一原発事故への不安をあげている。

    富岡町住民意向調査調査結果(速報版) より

    富岡町住民意向調査調査結果(速報版) より


    http://www.tomioka-town.jp/living/cat16/2013/02/000731.html

    戻らない理由として80%の人が放射線量への不安をあげ、70%が福島第一原発への不安をあげている。その他、家荒廃や、商業施設や医療施設の不備を多くあげている。なお、戻るかいなかの判断基準については約82%がインフラ整備をあげているが、放射線への不安については約77%が判断基準としている。仕事がないから戻らないというのは、思ったよりも少なく、36%にすぎない。たぶんに、福島第一原発、福島第二原発、広野火発などの東電の施設における雇用を念頭に置いているといえる。確かに、富岡町に戻ることが出来たら、東電での雇用が期待できるだろう。このような形での雇用確保は、この地域における原発再稼働への期待の一因となっていると思われる。しかし、放射線や福島第一原発事故への不安は、多くの住民に富岡町に戻ること自体を断念させているのである。

    昨年9月に出された富岡町災害復興計画(第一次)でも、早くても町内への住民の帰還が開始されるのは、2017年度からとしている。しかも、その時点での生活拠点は比較的線量が低い富岡町の南東部に限定されている。そして、町内への帰還を望まない町民の生活拠点をいわき市と郡山市に設けるとしている。防護設備がないと立入り自体に懸念をおぼえるような、年間20mSvの被曝線量下の生活は、富岡町の多くの住民は望んでいないといえよう。

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    このブログで、以前、元社会党県議で原発反対運動に携わりながら、双葉町長に転身して原発誘致を強力に推進した岩本忠夫について何回か紹介した。この岩本が中心となり、社会党や労組、社青同などにより1972年に双葉地方原発反対同盟が結成された。この反対同盟は、岩本が運動から脱落した後も存続し、3.11を迎えた。

    この反対同盟の代表である石丸小四郎へのインタビューである「福島原発震災と反原発運動の46年ー石丸小四郎さん(双葉地方原発反対同盟代表)に聞く」(2011年7月18日記録)が、『労働法律旬報』1754号(2011年)に掲載されている。石丸は、福島第二原発が立地する富岡町在住の元郵政労働者であり、全逓信労働組合の活動家であるとともに、岩本に誘われて原発反対運動にも従事し、以来福島県浜通り地域で反原発の声をあげてきた。

    なお、このインタビューの全体については、次のところで読むことができる。

    http://www.fair-labor.soc.hit-u.ac.jp/rh-junpo/111025.pdf

    このインタビューは、原発震災による避難の状況を語ることがはじまり、さらに石丸が携わってきた反原発運動について詳細に語っている。それぞれ、別の機会で論じてみたいと思う。ここでは、原発が福島にきた時の状況と、彼のになってきた運動との関係を包括的に述べているところをみてみよう。

    まず、石丸は、福島に原発が来ることによってもたらされた状況について、次のように語っている。
     
     

    原発10基と火力5基、トータル3兆円ものプラント建設です。私の試算では、電源三法交付金が40年間で4000億円です。これらの原発マネーが7万6000人の地域に流れ込みます。街は急激に変貌を遂げる訳です。今まで貧しかった地域に飲み屋さんがばんばんできる。ガソリンスタンドの社長は原発長者のトップですね。旅館業、運送業、弁当屋さん。原発長者を輩出し、誰もが現金収入を得られるようになって、町全体が活況を呈します。飲み屋の旦那に一番景気が良かったのはいつ頃かと聞くと、富岡は80年頃だったと言っていました。こんなに儲けて良いのかと怖くなったと言います。後もどりはできない。麻薬で地域全体が気持ち良い状態でいました。

    つまり、原発・火発のプラント建設と電源交付金によって、多くの資金が流れ込み、誰もが現金収入を得られる状況になったとしているのである。そして、地域の雰囲気としては「後もどりはできない。麻薬で地域全体が気持ち良い状態でいました」となったとしている。

    その中での、反原発運動を行う苦労を、石丸は、このように表現している。

     

    それに対して、原発反対のデモをやっても、勉強会を開催してもなかなか人が集まらなくなる。原発反対運動は荷物を積んで、坂道をブレーキのきいた自転車で漕いで上がっていく感じでした。重かった。この40年間ずっとそうだった。

    それでも、原発が安全と地域の人びとも思っていたわけではない。しかし、危険な原発も「日常の風景」になってしまうのであった。

     

    原発集中地帯で原発が安全だと思っている人はきわめて少ないです。ほとんどの人は、原発は危険だと思っている。ただそれが日常だと、毎日排気塔を見ていると当たり前の風景になります。勉強していないと、原子炉の中に1年間で広島型原発1000発分の放射能を内包しているのだ、ということはわからない。原発の恩恵だけは前面に出てくる。

    この指摘は、極めて重要だと思う。「危険な原発」すら「日常の風景」になってしまうのだ。その一つの要因として、原発の危険性は勉強しないとわからないが、「原発の恩恵」だけは前面に出てくることをあげている。これは、たぶん、原発集中地帯だけの問題ではないだろう。

    3.11以後、原発の危険性について、多くの人びとはやっと自分の問題として理解できたといえる。しかし、それは、それぞれの人びとが、原発事故の不安の中で、政府発表や推進派学者の意見を疑い、その内実について、それぞれが「勉強」を重ねた結果、理解したといえるのだ。結局、この「勉強」がなければ、経済的な利益があると喧伝される「原発」は、また日常の風景になってしまうだろう。

    その上で、石丸は、反対運動と地域社会の微妙な関係について、次のように述べている。

     

    私は少人数でも運動ができるように街宣車を買って、「これ以上原発はいらない」と10年前から宣伝して回っていますが、石をぶつけられたとか、やめろこのバカとか言われたことは一度もないです。住民のなかに、石丸のような人間もいなければいけないという考え方や、俺にはできないけれどお前はがんばってくれという声もあります。
     他方、地域の推進派にとって、原発に反対する人たちもいないと困る、原発反対派がいないと東京電力や国は出すものも出さなくなるので、反対派が力をつければ、自分たちに良いところがあると分析する人もいる。だからしたたかですよ。

    石丸らの反対運動は、地域社会の隠れた声でもあったといえるのだ。そして、この地域の推進派にとって、原発反対派の存在は、国や東京電力から利益ーリターンを引き出す材料の一つにもなっていたといえるのである。

    そして、「地域の推進派」の一人が、石丸が反原発運動を行う際の指導者であった、元双葉町長岩本忠夫であったのである。

    このインタビューは、この後、岩本忠夫の評価について述べている。次回以降、紹介しておきたい。

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    さて、再度、高橋哲哉氏の『犠牲のシステム 福島・沖縄』(2012年)について考えてみよう。高橋氏が、立地地域住民や原発労働者の観点から、原発を「犠牲のシステム」と規定するのは、現時点からみて妥当といえる。

    問題は、高橋氏が「原発のリスクと等価交換できるリターンは存在しない」としていることである。高橋氏のいように、原発のリスクは、従事している労働者や、近隣に居住している生存・生活をまず脅かすものであり、さらには、地球規模での人類の生存を脅かすものである。そのことは、最初の原発である東海第一原発の立地が決定された1950年代後半より部分的には認識されており、原発立地はおおむね過疎地を対象としていくことになる。それは、事故の際の「公衆」に対する放射線被曝者を少なくするという観点からとられた措置であり、いうなれば「50人殺すより1人殺すほうがいい」という思想を前提にするものであった。

    原発のリスクが顕在化すれば、高橋氏の主張は全く正しい。しかしながら、原発のリスクは、おおむね顕在化していない。たぶん、原発の放射線リスクに最も日常的に接している原発労働者ですら、直接の知覚は、彼らが被曝した放射線量の測定結果であることが通例である。立地地域住民にとっては、大規模な事故に遭遇して、ようやく原発のリスクを認識できる。しかし、その時ですら、やはり、放射線や放射性物質の測定結果として直接には知覚されるであろう。原発のリスクを蒙った結果としての、がん、白血病の発症や、遺伝子異常などは、かなり後に出現し、その因果関係を実証することも難しい。さらに、より遠方で、原発の電力に依存している大都市圏の住民にとっては、そもそも原発の存在すら意識されないのである

    その意味で、原発のリスクとは、日常的には潜在化したものである。他方で、原発のリターンは、目前に存在している。原発労働者には「雇用」であり、立地地域住民にとっては、それに加えて、電源交付金や固定資産税などの財政収入、原発自体やその労働者による需要などがあげられよう。そして、国・電力会社・経済界にとっては、安定した電力供給というリターンがある。その意味で、原発のリターンは目に見えている。

    ある意味で、リスクを想定しなければ、リターンは大きい。そこで、次のようなことが行なわれるといえる。原発に対するリスクを前提にリターンが与えられるが、そのリスクは「安全神話」によって隠蔽される。国・電力会社側としては、リスクがあるので原発は過疎地に置かれ、そのために立地地域の開発を制限しようとするが、原発立地を推進していくために、そのことは隠蔽される。他方、原発立地を受けいれる地域においては、リスクがあるためにリターンを要求するが、しかし、そのリスクは隠蔽される。リスクを真正面からとらえたら、彼らの考える地域開発はおろか、既存の住民の離散すら考えなくてはならない。「安全神話」という「嘘」を前提として、リスクとリターンが「等価交換」されているのである。

    福島第一原発事故は、この「等価交換」の欺瞞を根底からあばき出したといえる。原発のリスクによって脅かされていたものは、原発立地住民や原発労働者たちの生存であり、生活そのものであった。そして、リターンとしての雇用・財政収入などは、原発のリスクによって脅かされることになった生存・生活があってはじめて意味をなすものであった。確かに、開沼博氏が『「フクシマ」論』(2011年)でいうように、原発からのリターンがなければ、原発立地地域の住民や原発労働者の生活は成り立たないかもしれない。しかし、それは、原発のリスクによって脅かされた生存・生活がなければ意味をなさないのである。

    いわば、原発というシステムにおいては、「安全神話」という「嘘」を前提として、地域住民・原発労働者の生存・生活自体と、より富んで生きることが「等価交換」されていたといえる。高橋氏のいうように、そもそも事故を想定して過疎地に原発を建設するということ自体、差別であり、「犠牲のシステム」にほかならないが、それを正当化するものとして、「安全神話」という「嘘」を前提とした二重三重の意味で欺瞞的な「等価交換」があったといえよう。

    もとより、「等価交換」は、近代社会にとって、支配ー従属関係を正当化するイデオロギーである。資本家と労働者との雇用契約という「等価交換」は、資本家による搾取の源泉である。また、いわゆる「先進国」と「後進国」の「等価交換」も、前者による後者の搾取にほかならない。まさに、「等価交換」は、近代社会の文法なのである。

    そして、結局、「等価交換」という名の「不等価交換」を強いられている側は、不利であっても、この関係を維持するしかない。いかに、劣悪な労働条件のもとに低賃金を強いられている労働者でも、何も収入がないよりはいいのである。このことは、結局のところ、原発立地地域住民にもあてはまっていったといえる。例えば、大飯原発などでも、未だにリスクとリターンの等価交換がなされようとしている。それは、等価交換によってはじめて生活が維持できるという、近代社会の文法があるからといえるのである。

    たぶん、問題なのは、福島第一原発事故は、このような、「嘘」を前提とした「等価交換」が、実は「不等価交換」であり、自らの生存・生活を危機にさらすリスクにあてはまるリターンなど存在しないことを白日のもとにさらしたことだと思う。そして、このことは、原発問題だけには限らないのである。まさに、等価交換という近代社会の文法自体を、私たちは疑っていかなくてはならない。

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    前回のブログでは、高橋哲哉氏の『犠牲のシステム 福島・沖縄』において、福島第一原発事故において第一義的に責任を負わねばならない人びとは、原発の災害リスクを想定しながらも、有効な対策をせず、さらには無責任に「安全神話」を宣伝して原発を推進していった「原子力ムラ」の人びとであると措定していることを紹介した。ある意味では、原発民衆法廷など原発災害の法的責任を追求するためには有効な論理といえるだろう。

    他面で、大都市や立地地域住民は、無関心であるがゆえに、原発の災害リスクを認識していなかったと述べている。高橋氏によれば、原発の災害リスクと補助金の等価交換は存在せず、立地地域住民は「安全」であるとされているがゆえに、原発建設を受け入れていったとしている。そして、大都市の住民も「安全」であるとされているがゆえに、原発から供給されている電力を良心の呵責なしに享受できたとされている。

    しかし、原発の災害リスクを大都市や原発立地地域の住民が認識していなかったといえるのだろうか。もちろん、十分に認識しているというわけでもなく、「安全神話」に惑わされているということも大きいとは思うのだが。

    まず、高橋氏と全く違う論理が展開されている開沼博氏の『「フクシマ」論』(2011年)において、原発災害のリスクがどのように扱われているのかをみておこう。本ブログで紹介したこともあるが、開沼氏は原発からのリターンがないと原発立地地域社会は存立できなかったし、これからもそのことは変わらないと本書で主張している。高橋氏とは対局の論理ということができる。

    それでは、開沼氏にとって、原発のリスクはどのようにとらえられているか。開沼氏は、原発労働者の問題を例にして、次のような問題を提起している。

     

    流動労働者の存在に話を戻せば、仮に作業の安全性が確保されたとしても、それが危ないか否かという判断を住民が積極的に行なおうという動きが起こりにくい状況がある。そこには、原子力ムラの住民が自らを原子力に関する情報から切り離さざるをえない、そうすることなしには、少なくとも認識の上で、自らの生活の基盤を守っていくことができない状況がある。それは、そのムラの個人にとっては些かの抑圧感は伴っていたとしても、全体としてみれば、もはや危険性に対する感覚が表面化しないほどにまでなってしまう現実があると言えるだろう。(本書p104)

    いうなれば、原発のリスクを「認識の上で」切り離し、表面化しないことによって、自らの生活の基盤を守るという論理があるというのである。

    では、原発のリスクを表面化しないことは、なぜ、自らの生活の基盤を守ることになるのか。開沼氏は、清水修二氏の『差別としての原子力』(1994年)で表現された言葉をかりて、「信じるしかない、潤っているから」(p109)と述べる。つまり、リターンがある以上、原発災害リスクはないものとする国や電力会社を「信じるしかない」というのである。

    そのことを卓抜に表現しているのが、開沼氏が引用している、地域住民の次のような発言である。

     

    そりゃ、ちょっとは水だか空気がもれているでしょう。事故も隠しているでしょう。でもだからなに、って。だから原発いるとかいんないとかになるかって。みんな感謝してますよ。飛行機落ちたらって? そんなの車乗ってて死ぬのとおなじ(ぐらいの確率)だっぺって。(富岡町、五〇代、女性)

     まあ、内心はないならないほうがいいっていうのはみんな思ってはいるんです。でも「言うのはやすし」で、だれも口にはださない。出稼ぎ行って、家族ともはなれて危ないとこ行かされるのなんかよりよっぽどいいんじゃないかっていうのが今の考えですよ。(大熊町、五〇代、女性)(pp111-112)

    いわば、原発が存立し、そこからのリターンがあるがゆえに、リスク認識は無効化されているということができる。開沼氏は、次のようにまとめている。

    全体に危機感が表面化しない一方で、個別的な危険の情報や、個人的な危機感には「仕方ない」という合理化をする。そして、それが彼らの生きることに安心しながら家族も仲間もいる好きな地元に生きるという安全欲求や所属欲求が満たされた生活を成り立たせる。
    そうである以上、もし仮に、「信じなくてもいい。本当は危ないんだ」と原子力ムラの外から言われたとしても、原子力ムラは自らそれを無害なものへと自発的に処理する力さえ持っていると言える。つまり、それは決して、強引な中央の官庁・企業による絶え間ない抑圧によって生まれているわけではなく、むしろ、原子力ムラの側が自らで自らの秩序を持続的に再生産していく作用としてある。(p112)

    繰り返しになるが、原発立地によるリターンが地域社会存立の基盤になっているがゆえに、原発のリスク認識は無効化されているというのである。国や電力会社側の「安全神話」は無条件に信じられているのではなく、原発からのリターンを継続するということを条件として「信心」されているといえよう。

    開沼氏の主張については、私としても、いくつかの異論がある。このような原発地域社会のあり方について、反対派や原発からの受益をあまり受けていない階層も含めて一般化できるのか、原発災害リスクによって生活の基盤が失われた3.11以後においても、このような論理が有効なのかということである。特に、福島第一原発事故の影響は、電源交付金や雇用などの直接的リターンを受けられる地域を大きく凌駕し、あるいみでは国民国家の境界すらこえている。その時、このような論理が有効なのかと思う。まさしく、3.11は、原発災害リスクに等価交換できるリターンが存在しないことを示したといえる。その意味で、高橋哲哉氏の認識は、3.11以後の論理として、より適切だといえる。

    しかし、まさに3.11以前の福島原発周辺の地域社会では、このような論理は通用していたし、他の立地地域においては、今でも往々みられる論理であるといえる。その意味で、歴史的には、原発のリスクを部分的に認識した上での「リスクとリターンの交換」は存在していたといえよう。そして、高橋氏のいうように、現実には破綻した論理なのだが、それが今でも影響力を有しているのが、2012年の日本社会の現実なのである。

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