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Posts Tagged ‘官邸前抗議行動’

東京都知事選と衆議院議員選挙の選挙期間中となった、2012年12月7日も、首相官邸前行動は続けられていた。

さすがに、脱原発派の候補が、都知事選においても衆院選でも立候補している状況であり、コールでも「国会変えよう」「官邸変えよう」という選挙関連のものが目立つようになった。都知事選候補者も、この抗議の場においてスピーチしていた。

その中で、ここで紹介したいのが、次のエピソードである。

12月7日の抗議行動の終りの方、私は、国会前交差点付近で行っているドラム隊のところにいた。ここでも、選挙関連のコールが目立っていたが、最後は、いつも通り、ドラムのリズムにあわせて「再稼働反対」と皆で声をあわせ、盛り上がっていた。

そして、20時になり、ドラム隊のパフォーマンスが終わった時、思いがけないことがおきた。ドラム隊でドラムを叩いていた女性が、「候補者」として紹介され、ドラムを置き、「候補者」のたすきをかけて、スピーチを始めたのである。そのスピーチを下記に掲載しておく。

みなさん、きょうもお疲れさまです。

こういうたすきをかけております。

いろいろな脱原発活動を通して、官邸前、何回も何回もきて、

署名では変わらない、デモじゃ変わらない、ずっといわれていました。

変わりました。

私の姿はデモから生まれた姿。

全国、世界で、本当に脱原発を望んでいるみなさんの熱い思い、ひとつひとつの行動が、

私を、今、ここに立たせています。

デモから変わる、デモから変わる。

デモから変える、デモから変える。

この、今、私たちの手で、社会は変わっている。

新しい 進化が生まれている。

デモって、ものすごい力なんだなって、

すごい思ってます。

ここまで続けてきてくれて、本当にありがとうございます。

たくさんの人たちが、この場に交流できる。

その場を作ってくれて、

本当にありがとうございます。

だから、もっともっと、みんなで、

新しい人たちを作っていく姿を送り出していく。

ここから、デモから、やっていきましょう。

ありがとうございます。どうもありがとうございます。

http://ameblo.jp/the-river/day-20121209.htmlより

*私もスピーチをその場で聞いていたのだが、その場で記憶できず、上記ブログにアップされた動画から聞き取った。本来はスピーチした人の名前を出すべきだが、公職選挙法のある解釈では「選挙行動」とみなされる可能性があるので、ここでは不本意ながら氏名掲載を差し控えさせてもらった。

「デモから変わる、デモから変える」…。この言葉は、このスピーチの核心であるとともに、この日の官邸前抗議行動に来ていた多くの人たちが共有していた思いだったといえる。立候補した彼女の、たすきをかけた姿。その姿は「デモから生まれた姿」なのである。デモに象徴される脱原発への熱い思い、そしてそれぞれの行動が、「選挙への主体的参加」ということを生み出していっている。これこそが、「この、今、私たちの手で、社会は変わっている」ということなのだ。

このような思いがあって、初めて「選挙」というものが意味をもつ。いわば、「選挙」も手段の一つなのだ。人びとが実現したい思いがあって、はじめて選挙は「民意」を「代表」することが可能になるといえる。

これは、今や「日本維新の会」を組織している橋下徹とは全く相反している考え方である。朝日新聞2012年2月12日付朝刊に掲載された「インタビュー・覚悟を求める政治」において、橋下は、「有権者が選んで人間に決定権を与える。それが選挙だと思います…選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」と語っている。それは、たぶん、自民党や民主党、そして朝日新聞のようなマスコミが暗黙のうちに共有している前提なのだと思う。彼らにとって、「選挙民」が「主権者」であるのは、投票箱に投票する、その一瞬でしかない。その他の時間は、「白紙委任」されたと称して、権力を私物化し、選挙民が全く望まない政策を進める。消費増税やオスプレイ配備など、その一例にすぎない。

人びとが主体的に思いを表明し、社会を変えていく決意を示すことーそれがデモなのである。それを実現していく一つの手段として、選挙に参加する。「デモ」がなければ、「選挙」に主体的に関わろうという意識は、私にだってもち得なかったであろう。「今、ここにある危機」としての原発への恐怖は、人びとの思いを揺り動かし、デモへと結集している。そして、それが、選挙というもの、政治というものを、真に人びとのものとしてとらえかえす営為へとつながっていこうとしているのである。

まさに「デモから変わる、デモから変える、今、私たちの手で、社会は変わっている。」なのである。これが、この選挙におけるテーマであり、その後もテーマであり続けるであろう。

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国会前スピーチエリアの演壇

国会前スピーチエリアの演壇

昨日(2012年11月30日)、恒例となっている金曜日の官邸前抗議行動にいってみた。官邸前といっているが、実際には官邸前だけでなく、国会前(スピーチエリアとファミリーエリア)でも行われており、後述するように、経産省前テントひろばの他、昨日は文部科学省前でも行っている。大体の地理関係を承知してもらうため、下記に地図を示しておく。

その日は、東京メトロ有楽町線桜田門駅から向かった。桜田門駅から国会前道路に出ることができる。地上に出たのは18時で、すでに、「原発いらない」などのコールが聞こえていた。国会に向かって左側の歩道を歩いてスピーチエリアについた。夏頃は万単位で人がいて、歩くこともままならなかったが、今はさすがにそれほど人がいない。スピーチエリアには演壇が設けられていて、千葉麗子だと思われる女性(名乗った時はいなかったが、たぶんそうだと思う)がコールをしていた。彼女は、コール後、司会もしていた。第一番目にあがったのが、ニューヨークで詩人をしている男性が演壇に上がり、「歌」を披露していた。

国会前で歌を披露する詩人

国会前で歌を披露する詩人

それから、私は官邸前に向かった。国会前庭の前を通る道である。途中で、欧米人と思われる男性がギターを弾いていて、その前に「 NO NUKES」などとプラカードやロウソクが置かれていた。なかなかファンタスティックであった。

国会前庭前にて

国会前庭前にて

官邸前道路と六本木通りの交差点に到達した。そこには何枚もの手描きのポスターがディスプレイされていた。今までみたことがなかった。

手描きポスター

手描きポスター

人があまり多くないので、官邸前にも進んで行けた。しばらくすると、ドラム隊が、官邸前を出発して、歩道を「行進」するのに遭遇した。じっと立ち止まって演説を聞いているのは寒いので、ついていくことにした。

ドラム隊の行進は、文部科学省近くを通った。文部科学省前でも抗議活動は行われていた。抗議活動を行っているグループは、「人形」を使った寸劇で訴えようとしていた。何か資料も使うようだった。今回は遠慮したが、次回も行うようだったら、いってみよう。

文部科学省前抗議活動における寸劇

文部科学省前抗議活動における寸劇

ドラム隊の行進はさらにすすみ、経産省前テント広場に到達した。そこでは、甘酒やホッカイロなどが配られていた。そういえば、デモなどでここを通ると、いつもなにがしかの物が配られていたと記憶している。優しい人たちである。

経産省前を行進するドラム隊

経産省前を行進するドラム隊

経産省前テントひろば

経産省前テントひろば

ドラム隊は、経産省前テントひろばから、外務省脇を通行して、六本木通りの国会前庭側歩道を通って、国会前に向かおうとした。しかし、国会前道路の入口付近で、警官隊に通行を差し止められた。緊張感が高まった。そこで「通せ」「通せ」とコールしようとした人がいたが、ドラム隊の一人からやめるように諭されていた。しばらく、首都圏反原発連合の担当者が交渉し、その結果、通行が許可された。これは、なんだったのだろう。

国会前道路の通行を一時阻止されるドラム隊

国会前道路の通行を一時阻止されるドラム隊

一時、行進を差し止められた結果、かえって、ドラム隊の意気はあがったようだ。ドラム隊はスピーチエリアに合流した。そこでは、ミサオ・レッドウルフ氏がコールを行っていた。「玄海廃炉!」など、各地原発名をあげてコールをしていたのだが、いつもは冷静な事務連絡している彼女のコールは迫力があった。それから、別の人が「選挙で変えよう!」「国会変えよう!」「官邸変えよう!」などとコールししていた。「選挙」関連のコールは、かなり多くのところで聞かれた。その後、日本共産党の前衆議院議員笠井亮氏がオレンジの服を着て演説していた。私は聞いていないが、宇都宮けんじ氏も演説を行ったらしい。

国会前における熱狂

国会前における熱狂

その後、ドラム隊は、国会に向かって右側の歩道を歩いてファミリーエリアに到達し、そこを盛り上げた後、さらに歩いて、彼らが定番としている国会前歩道のある地点で盛りあがり、時間がきて解散した。

ドラム隊

ドラム隊

首都圏反原発連合の知人に聞くと、参加人数は5000人くらいといっていた。最初はどうかなと思ったのだが、今、抗議活動の場はいろんなところに拡散しており、だんだん人数が増えてきたので、そんなものかもしれない。とにかく、「選挙で変えよう!」「国会変えよう!」というコールが目立つようになった金曜日の官邸前抗議行動であった。

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2012年7月29日、日比谷公園を中心にデモが行われ、その後、国会包囲の抗議行動が行われた。その時、「メルトダウンブルース」という曲が所々で演奏された。基本的には「ヘイー、野田! ヘイー、野田! メルトダウンだぜ!」というフレーズを、ブルースの調べにあわせてリフレインしながら、折々にアドリブで「再稼働反対」などのメッセージを付け加えていくというものだ。

この曲は、元々、高知県四万十市の「脱原発四万十行動」という運動のデモにおいて歌われていたものだ。7月29日、「脱原発四万十行動」のメンバーは上京し、日比谷公園からのデモや国会大包囲でも歌った。ここでは、デモの集合場所であった日比谷公園で歌った動画を紹介しておこう。

このメルトダウンブルースの源流は、昨年にさかのぼる。昨年、浜田裕介氏が作詞・作曲して、youtubeに投稿した。その経緯は、東京の脱原発デモで音楽を中心としたパーフォマンスを行っている「イルコモンズ」のサイト「イルコモンズのふた」に掲載された本人のコメントでわかる。

「僕は「メルトダウンブルース」の原作者で、動画内でギターを弾いている浜田裕介というものです。この曲は昨年、震災後すぐにできて、YouTubeにアップしたのですが、その後デモの中で少しずつ姿を変え、今の形になりました。僕は80年代にデビューしたのですが、原発反対を歌った瞬間から干されてしまい、今はインディーズで歌いながら、四万十市の市会議員をやってます。29日の国会包囲行動には、四万十選抜メンバーで参加します。」(コメントより抜粋)
http://illcomm.exblog.jp/16393894/

ただ、オリジナルは、今歌われているものとは違う。本人が歌っている動画と歌詞を紹介しておく。何よりも「ヘイ東電」であったことに注目されたい。

ヘイ東電!まだだますつもりかい? ヘイ東電!まだだますつもりかい? 俺たちを巻き込んで憂鬱なメルトダウンブルース
東海村!まだまだ大丈夫 柏崎!恐るるに足りない そして福島!!この世の地獄
浜岡!いますぐ止めやがれ! 伊方!四国に原発なんかいらねえ! 上関!!これ以上作るんじゃねえ!
ヘイ東電!腹は透けてるぜ ヘイ東電!腹は透けてるぜ 後ろ向いて舌を出してふざけたメルトダウンブルース
想定外?それで済ますつもりかい? ただちには影響ない?どのつら下げてほざいてんだい? 今更誰がお前たちの言葉を信じるんだい?
マイクロシーベルト?微々たるもんですよ ミリシーベルト? 敏感になりすぎですよ ん??すみません!緊急事態です!!!
ヘイ東電!まだ殺すつもりかい? ヘイ東電!まだ殺すつもりかい? 空へ海へ土の中へまき散らすメルトダウンブルース
ヘイ!ブラザー!まだ黙るつもりかい? ヘイ!ブラザー!まだ赦すつもりかい? 踊らされてコケにされた危険なメルトダウンブルース
ヘイ!ブラザー!過去は変えられない ヘイ!ブラザー!(だけど)未来は変えられる 顔上げて声上げて歌うのさ希望のブルース
ノーモア メルトダウンブルース

そして、この歌は、2011年5月7日に発足した「脱原発四万十行動」が企画した5月21日の四万十市で行われたデモ「脱原発四万十行動 in中村」で歌われた。このデモは50人集まったという。ただ、このメルトダウンブルースは全体で歌うようなものではなく、原作者がギターをもって歌っている。このデモでは「原発なくしても、ええじゃないか」というコールが耳に残る。

なお、デモが行われた地域をgoogleマップでみておこう。デモコースは、四万十市の中心部、旧中村市の中心部をめぐるもので、西側の四万十川の河川敷から出発し、四国電力中村支店などがある市街地を一周し、ふたたび四万十川に戻るというものである。

このグループは、全国各地で脱原発統一行動が企画された6月11日にもデモを行った。その際、ボーカルが女性(山本祐子氏)に代わり、「ヘイ東電! メルトダウンだぜ!」というバージョンも歌われた。なお、後半では、すでに「東電」という部分を「四電」(よんでん 四国電力)に言い換えたバージョンも登場している。これが、現在歌われているメルトダウンブルースの直接の源流となった。ただ、このバージョンは「脱原発四万十行動」のサイトでは、「メルトダウンパクリブルース」と称していることが多い。たぶん、原作者に敬意をはらってのことなのだと思う。

この動画の後半でも、毎月定例にデモを行うことになったと告知しており、定例的にデモが行われることになった。しかし、それは、楽なことではなかった。2012年3月11日に行われた高知集会で、山本祐子氏が「脱原発四万十行動」の活動経緯を述べている。デモの参加者が7名ということもあった。それでも、デモを継続したのである。また、この「脱原発四万十行動」は、デモだけではなく、映画上映会・講演会や談話会なども行っている。特に、四国電力伊方原発反対運動には、よく参加している。かなり、地道に活動を続けていることがわかる。

3.11の高知市での集会で祐子さんがおこなった、脱原発四万十行動を代表してのあいさつ全文をアップします。

四万十市ではじまった運動が、山あり谷ありを乗りこえて歩んできた歴史をコンパクトにまとめています。

——————

こんにちは。
私たちは高知の西の端、四万十川流域からやってきました。脱原発四万十行動です。

昨年3月11日、大震災、大津波、そしてそれにつづく原発の大災害を目の前にして、ことの重大さに立ちすくみ、身動きのとれない状態でした。
それでも何とかせなあかんと、いてもたってもいられない人たちが集まってできたのが、脱原発四万十行動です。

さっそく五月の第二土曜日、四万十市で初めての脱原発市民デモを行いました。なんと50人もの人が集まり、閉鎖的な四万十市始まって以来と言われ、つい調子に乗って、以後毎月、第二土曜日にはやることになりました。
6月、7月は雨に降られ半数になり、8月9月は猛暑のなか、そのまた半数、10月にはとうとう7人まで減り、孤独をかみしめるデモでした。がしかし、ここでへこまないのが高知の西の端に住む私たちのエエところ。落ち込んでも立ち直りが早い。
11月、12月にはどこからかまた人が集まり、乳母車や車イスも戻ってきてくれ、元気な子どものシュプレヒコールにも励まされました。

昨年5月から12月まで、いろんな人たちが入れ替わり、立ち替わり参加してくれましたが、そんなデモの中で、東北や関東からの避難母子を四万十市で支援している「なごみネットワーク」ともつながることができ、以後、協力し合っています。
今年になって1月には「映画チェルノブイリハートと講演の集い」を「脱原発四万十行動」と「なごみネット」の共催で実現させました。
当日は350人あまりの観客を集め、遠くは愛媛県やこの高知市からも来ていただきました。本当にたくさんの方々の協力、ありがとうございました。
おかげできょうのバスも四万十市から出すことができました。

そして2月、今年は大変寒く、しばしの冬眠を決め込みました。
しかし、1月の「集い」の成功で、またまた調子に乗って冬眠中にもかかわらず「サロン日曜日」を立ち上げました。「サロン金曜日」とは違います。
日曜日の午後、お茶とおしゃべりの会です。
原発、放射能にかぎらず、孤立しがちな人たちともつながれる地道な活動にしていきたいと考えています。
「サロン日曜日」は開かれた場所です。もし第4日曜日の午後、四万十市を訪れることがあれば、どなたでもいっぱいのお茶とおしゃべりを楽しみにお立ち寄りください。

いよいよ3月、きょう私たちは冬眠から目覚めました。
こうして高知市でみなさんとのつながりを実感でき、勇気百倍です。

先月、グリーンピースが伊方原発の近くから200個の風船を飛ばしました。なんと四万十市で3時間後にその1個が確認されています。
風向き次第では九州や本州も他人事ではありません。とにかく津波津波と宣伝されていますが、伊方原発は中央構造線上にあり、地面が動けば津波を待つまでもありません。
先日も新しい燃料棒が3号機に搬入されました。あくまでも再稼働ありきです。
しかし、私たちは再稼働を認めず廃炉を求めます。

25年前、チェルノブイリ原発事故のあと、この伊方原発で出力調整実験が行われました。その反対集会のときに甘藷(かんしょ)さんという人の書いた「まだ、まにあうのなら」という本がベストセラーとなりました。
それで言うと、いま現在「もう、間に合いませんでした」というほかありません。あのとき、私たちにとってもこの過酷な福島原発の事故は想定外だったのです。そんな自分たちの甘さを悔やんでもくやみきれません。
私たちお母ちゃん、おばあちゃんは、お父ちゃん、おじいちゃんはこの原発を子どもや孫に、次の世代に残してはいけません。

この国では黙っていれば、すべて賛成にポイントが入ります。
「イヤなものはイヤ」「いらないものはいらない」と言いましょう。わたしらメチャメチャ怒っていると言いましょう。どんな小さな場所からも、どんなに小さくても声を出しましょう。
「一寸の虫にも五分の魂」。あの人たちからみたら、虫けらのような私たちでしょうが、間違いなく五分の魂があり、集まればものすごく大きな魂になります。
お金や権力の圧倒的な力には私たちはつながることでしか対抗できません。
「一寸の虫はすごいで、五分の魂は恐いで」と市民の力を見せつけましょう。

さて、4月から四万十市ではまた第二土曜日恒例の脱原発デモを再開します。どうかみなさん五分の魂を持ち寄ってください。
それでは脱原発四万十デモ、メインテーマソングをワンフレーズ歌って結びとします。
ぜひみなさんも声をだしてご一緒に。
♪メルトダウンパクリブルース♪
どうもありがとう。
このつづきはデモのときにまたご一緒に。
http://blog.goo.ne.jp/ohma1234/m/201203

最後に山本祐子氏は「脱原発四万十デモ メインテーマソング」として「メルトダウンパクリブルース」を歌っている。たぶん、2011年6月11日のデモ以来、歌い続けられてきたのであろう。ただ、浜田裕介氏の「メルトダウンブルース」も、原作者本人が高知集会で歌っている。

2012年4月14日より「脱原発四万十行動」のデモは再開された。サイトでは、初参加者5名が加わったとある。記念撮影での参加者を数えてみると、12名程度である。そして、「もちろんメルトダウンパクリブルースつきのデモであったことは言うまでもありません。」とサイトにはある。ここでも歌い続けられたのだ。

5月12日のデモは、12名参加。しかし、6月9日のデモは、開始時間の勘違いなどもあって、5〜6名の参加であった。「脱原発四万十行動」のサイトには、次のように記載されている。

「あしたが松山だから、みんなエネルギーを貯めてるんだろう」

と勝手に解釈して出発。

祐子さん、裕介の呼びかけ人はいて、いきなり「メルトダウンブルース」

「ゴレンジャー」が歩く。

途中で一人が参加してくれて「6レンジャー」。

でもやっぱねギターはいいわ。

全行程を歌いきった。

それともう一つ。

パトカーとおまわりさんが出動していたこと。

野田総理の発言とは無関係ではないだろう。

もっとみんなが街頭にでてほしいと思った。
http://blog.goo.ne.jp/ohma1234/m/201206

このように、5〜6人のデモでも、メルトダウンブルースは歌われたのである。

そして、7月14日にデモが行われた。前回の5倍以上の26名が参加したという。そして、ここで、竹で地面を叩いてリズムをとることが行われた。さらに「ヘイ東電」が「ヘイ野田」に変わっている。ただ四電前では相変わらず「ヘイ四電」と歌われている。

きょうは恒例の脱原発四万十行動のデモ。

梅雨空の天気とともに、前回はゴレンジャーまで後退したデモが心配でしたが、それは杞憂でした。

なんと、前回の五倍以上の26人も参加してくれました。

しかもご褒美は、全国の脱原発デモを撮影している秋山真央さんが取材に訪れてくれたことです。

デモコースの天神橋が、土曜夜市の準備というアクシデントもありましたが、みんな頑張りました(もちろん、天神橋はノーマイクで歩くだけにしました)。

秋山さんによると、この模様はユーチューブで「脱原発四万十行動」として、来週の水曜日あたりからみられるそうです。

7.14脱原発デモ『脱原発四万十行動in中村 月例デモ』

そして、デモ終了後の話し合いで、29日の国会包囲行動には「脱原発四万十行動」として参加することになりました。

第一金曜日の官邸前抗議行動につづいて、いよいよ国会包囲へと向かいます。

カンパなどのご支援をよろしく。
http://blog.goo.ne.jp/ohma1234/m/201207

そして、先の文章中にあるように、このデモは、よく脱原発デモを撮影している秋山理央(真央は誤記)氏によって撮影され、7月15日、youtubeに投稿された。反響はものすごく、秋山氏のサイトによれば1日3000回閲覧されたこともあったようである。なお、この動画は、私の所にもフェイスブックを介して紹介された。

この「メルトダウンブルース」に着目したのが、前述のイルコモンズである。すでに7月17日、自身のサイト「イルコモンズのふた」で、イルコモンズは、次のように語っている。

▼四万十川の反原発デルタ・ブルース

 これをきいて、四万十川の「デルタ・ブルース」かと思った。これはすばらしい。やがて、ここを源流にして、メルトダウン・ジャズとか、メルトダウン・ソウルとか、ファンクとか、ラップとか、ダブとか、音頭とかが生まれそうな予感さえする。自分だったら、ダーティー・ダズン・ブラスバンドみたいなセカンドライン編成か、モータウン・ビートで、これをやってみたいと思い、さっそくピアニカで空耳コピー中。Cのキーだと、たぶん、こういう感じ(だと思ったけど、あとで訂正)。
http://illcomm.exblog.jp/16393894/

そして、2011年7月20日の官邸前抗議(官邸前というが、実際には国会前)では、メルトダウンブルースがとり入れられた。すでに、ドラムのリズムに合わせて「再稼働反対」などとコールすることが行われていたが、その中にメルトダウンブルースを取り込んだのである。官邸前の抗議行動では、野田首相に向かって語りかけるというスタイルで言葉でアピールすることがしばしば行われているが、この「メルトダウンブルース」は、このような抗議行動のスタイルによく適合していたといえる。

7月29日に、「脱原発四万十行動」のメンバーが上京し、「メルトダウンブルース」を歌ったことは前述した。それとは別に、イルコモンズらの手によって、日比谷公園からのデモの先頭で、「メルトダウンブルース」が歌われた。その録音が次のものである。

そして、イルコモンズらは、その後の国会大包囲でも「メルトダウンブルース」を演奏していた。これは、私自身が聞いた。

この「メルトダウンブルース」の経緯は、かなり困難のある中で、この歌が地域の脱原発運動のメインテーマソングとして歌い継がれてきたことを物語っている。数名もしくは十数名で毎月デモをするというのは、警官の隊列に突入することとは全く違った種類の勇気を必要とするであろう。その中で、この歌は育ってきたのだ。そして、10万名を超えた東京のデモや抗議行動の中で、全く違ったアレンジをされて、より多くの人びとの歌になっていったのだ。

今や、金曜日の官邸前抗議行動に同調して、抗議行動を行うことは、毎日新聞の調べでも、27都道府県に及ぶ。規模はそれほど大きくはなく、十数名から100名程度が多く、大阪の関電前の抗議行動でも2000名程度である(なお、2000名とは官邸前抗議行動よりは少ない数というだけで、官邸前抗議行動でも以前はそれほど多くなかった)。これは一過性のものではないといえる。数はそれほど大きくはないとしても、着実に東京以外の各地域でも脱原発運動は行われていたのである。そのことを、「脱原発四万十行動」の「メルトダウンブルース」の物語は示しているといえよう。

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最近、毎週金曜日には、大飯原発再稼働に反対する首相官邸前抗議行動が行われている。本ブログでも、12000人が参加した6月15日の抗議行動について紹介した。周知のように、6月16日には野田首相が大飯原発再稼働を決定した。その後に行われた6月22日の抗議行動には、約45000人が参加したといわれている。そして、さらに、6月29日に行われた抗議行動においては、主催者発表で15〜20万人が参加したと報じられている。

本ブログでは、6月15日の抗議行動について紹介している。6月22日の抗議行動について、ここで簡単に規模だけ紹介しておこう。首相官邸前正面には、国会議事堂の南側を通る六車線道路がある。抗議行動は、大体、国会記者会館側の歩道上で行われてきた。それは、6月15日の際も変わらない。一部車道にはみだした箇所もあったが、大体歩道上で行われていた。

しかし、すでに6月22日の抗議行動は、その規模ではすまなかった。開始時間の午後6時過ぎには、最後尾は、首相官邸前大通りに交差する六本木通りまで及んでいた。たぶん、その時点で、15日の抗議行動の際の参加人数12000人はこえていたと思われる。そして、最終的には、国会記者会館側の車道も、1車線を除いて片側2車線が解放された。もはや、あまりにも人が多く、車道に抗議行動が及ぶことを忌避した警察も、車道の過半を解放せざるをえなかったのである。

次の写真は、片側2車線を抗議行動で占拠した際の写真である。反対側に警察車両がとまっている。その車線は未解放である。これで45000人というのは妥当であろう。

首相官邸前抗議行動(2012年6月22日)

首相官邸前抗議行動(2012年6月22日)

6月29日は、さらに多くの人が参加した。私は最後尾がどこかなのかをみたかったので、後ろのほうに歩いた。すでに午後5時半過ぎには、抗議行動の隊列は、六本木通りにまで及んでいた。そこからじりじりと前進した。そして、22日と同様に、午後7時頃には、片側2車線の解放が行われたが、そこも抗議行動の隊列で埋め尽くされていた。

首相官邸前抗議行動・うずめつくされた車道(2012年6月29日)

首相官邸前抗議行動・うずめつくされた車道(2012年6月29日)

首相官邸前大通りには入れる状態ではなかった。警察などは、国会議事堂側に隊列を誘導した。結局、抗議行動の隊列は、結果的に国会議事堂をとりまく形になった。

国会議事堂前を移動する抗議行動の隊列(2012年6月29日)

国会議事堂前を移動する抗議行動の隊列(2012年6月29日)

そして、首相官邸前大通りは、すでに埋まっていた国会記者会館側だけでなく、その反対側の国会議事堂側からも人が車道にあふれるようになった。そして、しだいに、首相官邸前大通りの六車線すべてが、人で埋め尽くされ、解放された。その瞬間、拍手がわいた。

全面解放された道路(2012年6月29日)

全面解放された道路(2012年6月29日)

そこに入っていた車は、ほうほうの体で出て行き、警察は、車線確保をあきらめ、入線してきた車をUターンさせるしかなくなった。そして、たぶん警察官などを輸送するのだろう警察車両も、この道路から撤退した。

Uターンさせられるタクシー(2012年6月29日)

Uターンさせられるタクシー(2012年6月29日)

撤退する警察車両(2012年6月29日)

撤退する警察車両(2012年6月29日)

なお、私自身は、六本木通りに近い側にいたが、首相官邸前から同じ頃撮影したと思われる動画があるので、ここで紹介しておこう。

車道が全面解放されたので、私もどんどん国会議事堂側から首相官邸前にむかった。警官が、なにやら、反対方向の国会議事堂正門に向かうように指示していたようだが「再稼働反対」という声でほとんどきこえはしない。

私は、六本木通り、国会議事堂前と二つの最後尾にいたのだが、するすると、ほとんど最前列の首相官邸前に到着した。この最前列に前いた人びとは、後から聞くと自然発生的に首相官邸をめざすようになったらしい。主催者側で「警備」をしていた人が鎮静化に苦労したといっていた。

次に紹介する動画の後半のほうでみられるように、撤退していた警察車両は、首相官邸前に集結し、官邸を死守する構えを示した。そして、主催者側も、午後8時の終了時間前に抗議行動を打ち切ることにして、警察車両のマイクで、その旨をよびかけた。

私は、六本木通りから、国会議事堂正門にまわり、そこから首相官邸前に向かうルートをとった。後で聞くと、全く方向違いの衆議院第一議員会館や外務省前にもいた人もあったようである。6月22日は、首相官邸前大通りの片側2車線のみに人がいたが、6月29日には、首相官邸前大通り6車線すべてが解放され、それ以外にも人びとはいた。22日の参加者が45000人だとすると、その2〜3倍はいたと思われる。参加者数15万人程度は想定できる範囲かと思われる。

道路全面解放後は、まるで解放区のようだった。人びとは「再稼働反対」を口々に叫んでいた。

解放区となった首相官邸前(2012年6月29日)

解放区となった首相官邸前(2012年6月29日)

人だかりの多い箇所があった。よく脱原発デモで、路上にて演奏している、「イルコモンズ」の面々である。

たぶん、警察が車線規制した残骸であろうと思われる、三角コーンなどが残されていた。抗議行動の参加者がそれらを整理していた。警察権力が撤退し解放区となっても、無秩序にはなっていなかった。よく権力主義者たちのいう、権力が存在しないと無秩序になるという言説は、それこそ妄想なのだと実感した。

警察が置いていった三角コーン(2012年6月29日)

警察が置いていった三角コーン(2012年6月29日)

1960年の安保闘争では、主催者発表で33万人参加したといわれている。主催者発表で15〜20万人という規模は、それには及ばない。しかし、少なくとも10万人以上の参加者がいる抗議行動・デモを、実体的な暴力行使をしない限り、権力側は完全にコントロールすることはできない。そして、もし、実弾使用などの暴力行使を行うならば、形式的でも民主主義体制のもとでは、それこそが政権の命取りとなる。

そのような、あやうい均衡の上にたって、一時的にせよ、解放区が成立し、権力が撤退しても、自らで社会を運営していく経験をすることになる。この抗議行動は、「大飯原発再稼働反対」の一語によって成立しているのだが、今や「紫陽花革命」の名も冠しているのは、そういった意味合いなのだといえる。

このような見方は、政権や警察だけでなく、マスコミもまた、理解できず、忌避するものでしかない。人びとの自主性に基づいた抗議行動やデモをろくに報道せず、よくも悪くも野田佳彦や小沢一郎などの権力者の動向ばかりを注視しているのは、彼らが、権力者の営為でしか社会が運営できないと思い込んでいるといえる。そして、彼らもその一員なのだ。

そして、民衆の動向を無視すればするほど、政権やマスコミは無力になり、完全に権力が放棄されることはないにせよ、大幅な譲歩が迫られてくるであろう。しかし、それは、いまだ将来のことであることも忘れてはならない。

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