Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘安保闘争’

最近、毎週金曜日には、大飯原発再稼働に反対する首相官邸前抗議行動が行われている。本ブログでも、12000人が参加した6月15日の抗議行動について紹介した。周知のように、6月16日には野田首相が大飯原発再稼働を決定した。その後に行われた6月22日の抗議行動には、約45000人が参加したといわれている。そして、さらに、6月29日に行われた抗議行動においては、主催者発表で15〜20万人が参加したと報じられている。

本ブログでは、6月15日の抗議行動について紹介している。6月22日の抗議行動について、ここで簡単に規模だけ紹介しておこう。首相官邸前正面には、国会議事堂の南側を通る六車線道路がある。抗議行動は、大体、国会記者会館側の歩道上で行われてきた。それは、6月15日の際も変わらない。一部車道にはみだした箇所もあったが、大体歩道上で行われていた。

しかし、すでに6月22日の抗議行動は、その規模ではすまなかった。開始時間の午後6時過ぎには、最後尾は、首相官邸前大通りに交差する六本木通りまで及んでいた。たぶん、その時点で、15日の抗議行動の際の参加人数12000人はこえていたと思われる。そして、最終的には、国会記者会館側の車道も、1車線を除いて片側2車線が解放された。もはや、あまりにも人が多く、車道に抗議行動が及ぶことを忌避した警察も、車道の過半を解放せざるをえなかったのである。

次の写真は、片側2車線を抗議行動で占拠した際の写真である。反対側に警察車両がとまっている。その車線は未解放である。これで45000人というのは妥当であろう。

首相官邸前抗議行動(2012年6月22日)

首相官邸前抗議行動(2012年6月22日)

6月29日は、さらに多くの人が参加した。私は最後尾がどこかなのかをみたかったので、後ろのほうに歩いた。すでに午後5時半過ぎには、抗議行動の隊列は、六本木通りにまで及んでいた。そこからじりじりと前進した。そして、22日と同様に、午後7時頃には、片側2車線の解放が行われたが、そこも抗議行動の隊列で埋め尽くされていた。

首相官邸前抗議行動・うずめつくされた車道(2012年6月29日)

首相官邸前抗議行動・うずめつくされた車道(2012年6月29日)

首相官邸前大通りには入れる状態ではなかった。警察などは、国会議事堂側に隊列を誘導した。結局、抗議行動の隊列は、結果的に国会議事堂をとりまく形になった。

国会議事堂前を移動する抗議行動の隊列(2012年6月29日)

国会議事堂前を移動する抗議行動の隊列(2012年6月29日)

そして、首相官邸前大通りは、すでに埋まっていた国会記者会館側だけでなく、その反対側の国会議事堂側からも人が車道にあふれるようになった。そして、しだいに、首相官邸前大通りの六車線すべてが、人で埋め尽くされ、解放された。その瞬間、拍手がわいた。

全面解放された道路(2012年6月29日)

全面解放された道路(2012年6月29日)

そこに入っていた車は、ほうほうの体で出て行き、警察は、車線確保をあきらめ、入線してきた車をUターンさせるしかなくなった。そして、たぶん警察官などを輸送するのだろう警察車両も、この道路から撤退した。

Uターンさせられるタクシー(2012年6月29日)

Uターンさせられるタクシー(2012年6月29日)

撤退する警察車両(2012年6月29日)

撤退する警察車両(2012年6月29日)

なお、私自身は、六本木通りに近い側にいたが、首相官邸前から同じ頃撮影したと思われる動画があるので、ここで紹介しておこう。

車道が全面解放されたので、私もどんどん国会議事堂側から首相官邸前にむかった。警官が、なにやら、反対方向の国会議事堂正門に向かうように指示していたようだが「再稼働反対」という声でほとんどきこえはしない。

私は、六本木通り、国会議事堂前と二つの最後尾にいたのだが、するすると、ほとんど最前列の首相官邸前に到着した。この最前列に前いた人びとは、後から聞くと自然発生的に首相官邸をめざすようになったらしい。主催者側で「警備」をしていた人が鎮静化に苦労したといっていた。

次に紹介する動画の後半のほうでみられるように、撤退していた警察車両は、首相官邸前に集結し、官邸を死守する構えを示した。そして、主催者側も、午後8時の終了時間前に抗議行動を打ち切ることにして、警察車両のマイクで、その旨をよびかけた。

私は、六本木通りから、国会議事堂正門にまわり、そこから首相官邸前に向かうルートをとった。後で聞くと、全く方向違いの衆議院第一議員会館や外務省前にもいた人もあったようである。6月22日は、首相官邸前大通りの片側2車線のみに人がいたが、6月29日には、首相官邸前大通り6車線すべてが解放され、それ以外にも人びとはいた。22日の参加者が45000人だとすると、その2〜3倍はいたと思われる。参加者数15万人程度は想定できる範囲かと思われる。

道路全面解放後は、まるで解放区のようだった。人びとは「再稼働反対」を口々に叫んでいた。

解放区となった首相官邸前(2012年6月29日)

解放区となった首相官邸前(2012年6月29日)

人だかりの多い箇所があった。よく脱原発デモで、路上にて演奏している、「イルコモンズ」の面々である。

たぶん、警察が車線規制した残骸であろうと思われる、三角コーンなどが残されていた。抗議行動の参加者がそれらを整理していた。警察権力が撤退し解放区となっても、無秩序にはなっていなかった。よく権力主義者たちのいう、権力が存在しないと無秩序になるという言説は、それこそ妄想なのだと実感した。

警察が置いていった三角コーン(2012年6月29日)

警察が置いていった三角コーン(2012年6月29日)

1960年の安保闘争では、主催者発表で33万人参加したといわれている。主催者発表で15〜20万人という規模は、それには及ばない。しかし、少なくとも10万人以上の参加者がいる抗議行動・デモを、実体的な暴力行使をしない限り、権力側は完全にコントロールすることはできない。そして、もし、実弾使用などの暴力行使を行うならば、形式的でも民主主義体制のもとでは、それこそが政権の命取りとなる。

そのような、あやうい均衡の上にたって、一時的にせよ、解放区が成立し、権力が撤退しても、自らで社会を運営していく経験をすることになる。この抗議行動は、「大飯原発再稼働反対」の一語によって成立しているのだが、今や「紫陽花革命」の名も冠しているのは、そういった意味合いなのだといえる。

このような見方は、政権や警察だけでなく、マスコミもまた、理解できず、忌避するものでしかない。人びとの自主性に基づいた抗議行動やデモをろくに報道せず、よくも悪くも野田佳彦や小沢一郎などの権力者の動向ばかりを注視しているのは、彼らが、権力者の営為でしか社会が運営できないと思い込んでいるといえる。そして、彼らもその一員なのだ。

そして、民衆の動向を無視すればするほど、政権やマスコミは無力になり、完全に権力が放棄されることはないにせよ、大幅な譲歩が迫られてくるであろう。しかし、それは、いまだ将来のことであることも忘れてはならない。

Read Full Post »