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Posts Tagged ‘太平洋戦争’

さて、話を続けよう。長谷川三千子の『神やぶれたまはずー昭和20年8月15日正午』(中央公論新社、2013年)では、折口信夫・橋川文三・桶谷秀昭・伊東静雄・吉本隆明・三島由紀夫などの思想を読み解きながら、「家族や祖国のために死ぬという理由だけではどうしても不満がまといつくのですが、天ちゃん(天皇…引用者注)のためには死ねるというのが精一杯つめて考えた実感なんです」(吉本隆明、本書p134より引用)という精神が日本国民の間にあったとしている。他方で、昭和天皇には「爆撃にたふれゆく民の上をおもひ、いくさとめけり身はいかならむとも」(本書p272)という心情があったという。長谷川によれば「かくして、大東亜戦争の末期、わが国の天皇は国民を救ふために命を投げ出す覚悟をかため、国民は戦ひ抜く覚悟をかためてゐた。すなわち天皇は一刻も早い降伏を望まれ、国民の立場からは、降伏はありえない選択であつた。これは美しいジレンマである。と同時に、絶望的な怖ろしいジレンマでもある」(本書p247)であった。その解決のために「国体護持」を条件とする無条件降伏が決断されたと長谷川は述べている。しかし、あくまでも天皇のために戦おうという意識は国民にはあり、他方で「国体護持」といっても、天皇自身が連合国に処断されない保証はなかった(なお、ここまでの叙述は長谷川の主張を短くまとめただけで、私自身はそのように考えていない)。それらの可能性を前提として、8.15に次のような場面を長谷川は夢想するのである。

…ただ真夏の太陽が明るく照りつけるのみである。丘の上には、一億の国民と将兵が自らの命をたきぎの上に置いて、その時を待つてゐる。「日常世界は一変し、わたしたち日本人のいのちを、永遠に燃えあがらせる焦土と化すであろう」、その時を待つてゐる。
ところが、「その時」は訪れない。奇蹟はつひに起こるらなかつた。神風は吹かず、神は人々を見捨てたまふたーさう思はれたその瞬間、よく見ると、たきぎの上に、一億の国民、将兵の命のかたはらに、静かに神の命が置かれてゐた…ただ、蝉の音のふりしきる真夏の太陽のもとに、神と人とが、互ひに自らの死を差し出し合ふ、沈黙の瞬間が或るのみである(本書pp277-278) 。

これは、いわば、天皇と国民の「集団自決」とでもいえるであろう。もちろん、実際にはこんなことは起きなかった。ただ、もし、これに近いことが起きれば、それは「悲劇」として意識されるであろう。しかし、長谷川はそうではないのだ。続く文章を見てみよう。

しかし、このやうな稀有の「神人対晤」の瞬間を前にしては、すべての「奇蹟」がちやらなおとぎ話になつてしまふであらう。橋川氏がいみじくも語つてゐた「イエスの死の意味に当たるもの」を大東亜戦争とその敗北の事実に求められないか、といふ課題は、ここにはたされてゐると言ふべきであらう。
「イエスの死の意味」とは(単にイエスが起してみせた数々の「奇蹟」とは違つて)まさにキリストが自らの命を差し出すことによつて、神と人との直結する関係を作り出した、といふことであつた(後略)。(本書p278)

長谷川は、神である天皇と人である日本国民が互いに命を捧げあうことによって、両者が直結する関係を作り出すことになるのだと、キリストになぞらえて説明している。悲劇ではなく、いわば「至高」な場面であるのだ。そして、長谷川は、このように言っている。

折口信夫は、「神 やぶれたまふ」と言つた。しかし、イエスの死によつてキリスト教の神が敗れたわけではないとすれば、われわれの神も、決して敗れはしなかつた。大東亜戦争敗北の瞬間において、われわれは本当の意味で、われわれの神を得たのである(本書p282)。

このように考えると、野村秋介の拳銃自殺の意味について、長谷川三千子が考えていることもわかるであろう。野村は天皇のために自らの命を犠牲にすることで、天皇を再び「現御神」にしたと長谷川は夢想しているのである。

長谷川の言っていることは、もちろん「夢想」である。しかし、「夢想」にしても、国民の「死」(野村秋介を含めて)を代償に天皇を現御神にし、そして現御神である天皇も国民のために死ぬという集団自決ともいうべき情景自体が死の影が色濃い陰惨なものにしかみえないのだ。長谷川が「夢想」する「栄光ある死」しか与えられない「日本」…。そのような「日本像」は保守的な意味でも「称揚」されるべきものなのだろうかと思うのである。

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2013年9月19日、安倍首相は、自身が「状況はコントロールされている」と9月7日のIOC総会で述べていた福島第一原発の視察を行った。とりあえず、全体の商況については、フジテレビがネット配信した、次の記事でみておこう。

安倍首相、福島第1原発5・6号機の廃炉を決定するよう東電に要請

安倍首相は19日、福島第1原発を訪れ、自ら汚染水漏れの状況などを視察した。
今回の視察には、海外メディアも同行し、世界が注目している。
安倍首相は19日午後2時ごろ、「事後処理に集中するためにも、停止している5号機・6号機の廃炉を決定してもらいたい」と述べた。
安倍首相は19日午後、福島第1原発の5・6号機について、廃炉を決定するよう、東京電力に要請した。
19日、安倍首相は、汚染水漏れの現状と対応を確認するため、福島第1原発を視察した。
福島第1原発を訪れるのは、2012年12月以来、2回目となる。
7日のIOC(国際オリンピック委員会)総会で、安倍首相は自ら、「状況はコントロールされている」と明言していた。
19日は、海外メディアも同行し、世界から注目される中、視察が行われた。
安倍首相は「皆様ご苦労さまです。大変過酷な仕事ですが、まさに廃炉に向けての仕事。日本の未来は皆さんの双肩にかかっています。国としても前面に出て、しっかりと皆さんと使命を果たしていきたい」と述べた。
まず、免震重要棟で汚染水の貯蔵タンクを管理している作業員たちを激励した安倍首相。
バスに乗り、次に向かった先は、ALPSと呼ばれる汚染水から放射性物質を取り除くための装置。
そして、いよいよ汚染水が漏れた貯蔵タンクへ向かった。
福島第1原発では、8月にタンクから汚染水およそ300トンが漏れ、一部が海に流出したおそれもある。
タンクの底のつなぎ目から漏れたとみられているが、原因はわかっておらず、抜本的な対策が打てないのが現状。
そうした中、安倍首相は汚染水が漏れたタンクを視察し、東電の関係者から、汚染水対策の説明を受けた。
安倍首相は「これそのものに、(水が)1,000トン入っているんですよね」と述べた。
およそ2時間に及んだ視察を終え、19日午後、安倍首相は「国が前面に出て、われわれも責任を果たしていかなければいけない。この汚染水の影響は、湾内の0.3平方km以内の範囲内において、完全にブロックされているわけであります」と述べた。
(09/19 16:53)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00254206.html

この視察についての報道で、関心がひかれるのは福島第一原発5号機6号機の廃炉を安倍首相が東電に要請したということである。しかし、5号機6号機は確かにメルトダウンはまぬがれて原型を保っているとはいえ、現実には稼働困難であることはすでに多くの人により周知されていたことだ。これは、結局、現状を追認したものでしかない。そして、この視察の結論は、「国が前面に出て、われわれも責任を果たしていかなければいけない。この汚染水の影響は、湾内の0.3平方km以内の範囲内において、完全にブロックされているわけであります」という安倍首相の発言に集約されるであろう。

さて、このフジテレビの記事には言及されていないが、興味深い出来事があった。共同通信が9月20日に配信した次の記事をみてみよう。

汚染水の影響範囲知らず発言か 首相「0・3平方キロはどこ?」

 東京電力福島第1原発の汚染水問題をめぐり、安倍晋三首相が19日に現地を視察した際、放射性物質による海洋への影響が抑えられていると説明する東電幹部に、「0・3(平方キロ)は(どこか)」と尋ねていたことが20日、分かった。

 首相は東京五輪招致を決めた国際オリンピック委員会(IOC)総会で「汚染水の影響は港湾内0・3平方キロの範囲内で完全にブロックされている」と説明していたが、実際の範囲がどの程度か理解しないまま発言していた可能性がある。

 安倍首相は東電の小野明所長から放射性物質の海への流出や海中での拡散を防ぐ対策の説明を受けた際に「0・3は?」と質問した。

2013/09/20 19:50 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201309/CN2013092001002086.html

つまり、安倍首相は、実際視察するまで、汚染水の影響がその内部でブロックされているという0.3平方キロメートルの範囲を理解せず、IOC総会で「汚染水の影響は港湾内0・3平方キロの範囲内で完全にブロックされている」と述べていた可能性があるのである。

まずは、もう一度、福島第一原発の汚染水の海洋流出についてみておこう。9月20日付朝日新聞朝刊には、次のような図が描かれている。汚染水がブロックされているという「港湾」は、福島第一原発建設にともなって建設された港湾全体である。そのうち、汚染地下水が流出しているとみられる原子炉の排水口付近の入口についてはシルトフェンスをはって海水の行き来をおさえているが、何分フェンスであり、完全に抑えることはできない。特に、トリチウムは、基本的には水素のアイソトープであり、それをフェンスで抑えることはできない。シルトフェンス内側では放射性物質が多く検出されているが、外側でも検出されている。そして、この港湾内の海水は、封鎖されているわけではなく。外側の海水と出入りしている。港湾外の海水から放射性物質は検出されていないが、大量にある海水によって稀釈されているだけとみることができるのである。

福島第一原発港湾内の流出防止策と周辺の海水データ

福島第一原発港湾内の流出防止策と周辺の海水データ

「0.3平方キロはどこか」という首相の質問は、こうした細かな事情を十分認識していなかったことを意味するといえる。結局、IOC総会では「0.3平方キロ」という数字のみが強調されていた。もちろん、私のような理系の素養がない一般人でも把握できることが、IOC総会直前の首相に対するレクチャーで言及されていなかったとは思えない。しかし、安倍首相は、視察して始めて0.3平方キロの範囲を「理解」したともいえるのである。

「状況はコントロールされている」「汚染水の影響は港湾内の0.3平方キロで完全にブロックされている」という首相の発言は「虚偽」などと批判されていた。しかし、意図的に虚偽を述べていたよりもはるかに恐ろしい状況なのかもしれない。つまり、安倍は、具体的な状況を自分の頭で把握しようとせず、東電・経産省・原子力規制委員会などの当事者=原子力ムラの主張の楽観的側面のみしかみていないのかもしれないのである。その上で、IOC総会でのスピーチのレトリックとして、ああいうことをいったともいえるのである。

もちろん、これは、安倍首相の個人的資質によるところが大きいだろう。しかし、そればかりではない。彼のような人がトップにいれば、実質的な状況についてはまるで理解しないで、楽観論をたれながしてくれる。当事者たちがそのような楽観論を主張すれば、「隠蔽」「虚偽」という批判を免れない。しかし、安倍首相の場合は、そもそも事態を認識していないのであるから「隠蔽」「虚偽」と批判されても本人はこたえない。安倍首相は、原子力ムラを含めた現代日本の統治者たちにとって、「期待される人間像」なのである。

しかし、楽観論ですむのだろうか。事態に根本的な対策をたてようとせず、根拠の薄い楽観論に基づいて、その場しのぎの対策をしか出さない状況は、まるで、太平洋戦争中のようである。当時の陸海軍は、自分たちの立場に不利になる戦局の悪化については、国民はおろか自分たち以外の政府機関にも隠蔽しようとした。ゆえに、全体的な戦争指導としては、楽観論に終始し、より戦局の悪化を招いていった。同じような状況は、福島第一原発でもみられる。コントロールしていないのは「汚染水」だけではない。福島第一原発に関わる東電や政府の組織もコントロールできていないのである。

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