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さて、話を続けよう。長谷川三千子の『神やぶれたまはずー昭和20年8月15日正午』(中央公論新社、2013年)では、折口信夫・橋川文三・桶谷秀昭・伊東静雄・吉本隆明・三島由紀夫などの思想を読み解きながら、「家族や祖国のために死ぬという理由だけではどうしても不満がまといつくのですが、天ちゃん(天皇…引用者注)のためには死ねるというのが精一杯つめて考えた実感なんです」(吉本隆明、本書p134より引用)という精神が日本国民の間にあったとしている。他方で、昭和天皇には「爆撃にたふれゆく民の上をおもひ、いくさとめけり身はいかならむとも」(本書p272)という心情があったという。長谷川によれば「かくして、大東亜戦争の末期、わが国の天皇は国民を救ふために命を投げ出す覚悟をかため、国民は戦ひ抜く覚悟をかためてゐた。すなわち天皇は一刻も早い降伏を望まれ、国民の立場からは、降伏はありえない選択であつた。これは美しいジレンマである。と同時に、絶望的な怖ろしいジレンマでもある」(本書p247)であった。その解決のために「国体護持」を条件とする無条件降伏が決断されたと長谷川は述べている。しかし、あくまでも天皇のために戦おうという意識は国民にはあり、他方で「国体護持」といっても、天皇自身が連合国に処断されない保証はなかった(なお、ここまでの叙述は長谷川の主張を短くまとめただけで、私自身はそのように考えていない)。それらの可能性を前提として、8.15に次のような場面を長谷川は夢想するのである。

…ただ真夏の太陽が明るく照りつけるのみである。丘の上には、一億の国民と将兵が自らの命をたきぎの上に置いて、その時を待つてゐる。「日常世界は一変し、わたしたち日本人のいのちを、永遠に燃えあがらせる焦土と化すであろう」、その時を待つてゐる。
ところが、「その時」は訪れない。奇蹟はつひに起こるらなかつた。神風は吹かず、神は人々を見捨てたまふたーさう思はれたその瞬間、よく見ると、たきぎの上に、一億の国民、将兵の命のかたはらに、静かに神の命が置かれてゐた…ただ、蝉の音のふりしきる真夏の太陽のもとに、神と人とが、互ひに自らの死を差し出し合ふ、沈黙の瞬間が或るのみである(本書pp277-278) 。

これは、いわば、天皇と国民の「集団自決」とでもいえるであろう。もちろん、実際にはこんなことは起きなかった。ただ、もし、これに近いことが起きれば、それは「悲劇」として意識されるであろう。しかし、長谷川はそうではないのだ。続く文章を見てみよう。

しかし、このやうな稀有の「神人対晤」の瞬間を前にしては、すべての「奇蹟」がちやらなおとぎ話になつてしまふであらう。橋川氏がいみじくも語つてゐた「イエスの死の意味に当たるもの」を大東亜戦争とその敗北の事実に求められないか、といふ課題は、ここにはたされてゐると言ふべきであらう。
「イエスの死の意味」とは(単にイエスが起してみせた数々の「奇蹟」とは違つて)まさにキリストが自らの命を差し出すことによつて、神と人との直結する関係を作り出した、といふことであつた(後略)。(本書p278)

長谷川は、神である天皇と人である日本国民が互いに命を捧げあうことによって、両者が直結する関係を作り出すことになるのだと、キリストになぞらえて説明している。悲劇ではなく、いわば「至高」な場面であるのだ。そして、長谷川は、このように言っている。

折口信夫は、「神 やぶれたまふ」と言つた。しかし、イエスの死によつてキリスト教の神が敗れたわけではないとすれば、われわれの神も、決して敗れはしなかつた。大東亜戦争敗北の瞬間において、われわれは本当の意味で、われわれの神を得たのである(本書p282)。

このように考えると、野村秋介の拳銃自殺の意味について、長谷川三千子が考えていることもわかるであろう。野村は天皇のために自らの命を犠牲にすることで、天皇を再び「現御神」にしたと長谷川は夢想しているのである。

長谷川の言っていることは、もちろん「夢想」である。しかし、「夢想」にしても、国民の「死」(野村秋介を含めて)を代償に天皇を現御神にし、そして現御神である天皇も国民のために死ぬという集団自決ともいうべき情景自体が死の影が色濃い陰惨なものにしかみえないのだ。長谷川が「夢想」する「栄光ある死」しか与えられない「日本」…。そのような「日本像」は保守的な意味でも「称揚」されるべきものなのだろうかと思うのである。

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昨年、安倍政権は、「安倍晋三の応援団」を自認している哲学者の長谷川三千子埼玉大学名誉教授をNHK経営委員につけた。同時にNHK経営委員になった百田尚樹には及ばないが、彼女の言動もしばしば問題になっている。その一つに、1993年に朝日新聞が揶揄的な報道をしたと抗議している中で拳銃自殺をした右翼団体代表野村秋介を称賛した文章を、2013年10月に配布されたその追悼文集に寄稿していたということがある。このことは、テロ行為を正当化するのかなどと批判された。

その文章を、朝日新聞が2014年2月5日に配信した記事に依拠して、一部抜書してみよう。

(前略)
人間が自らの死をささげることができるのは、神に対してのみである。そして、もしもそれが本当に正しくささげられれば、それ以上の奉納はありえない。それは絶対の祭りとも言ふべきものである。

野村秋介氏が二十年前、朝日新聞東京本社で自裁をとげたとき、彼は決して朝日新聞のために死んだりしたのではなかつた。彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない。人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである。

「すめらみこと いやさか」と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた。そしてそのとき、たとへその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである。

野村秋介氏の死を追悼することの意味はそこにある。と私は思ふ。そして、それ以外のところにはない、と思つてゐる。
http://www.asahi.com/articles/ASG256WMVG25UCVL016.html

ある意味で言論機関への暴力をはらんでいる野村の行為を正当化しているという批判は当然だと思える。ただ、それよりも目立つことは、この文章の「異様さ」である。長谷川は、野村の行為を自身の死を「神に捧げる行為」であるとし、その死により、「天皇陛下」がふたたび現御神になったというのである。そこには、「死の影」が色濃く表明されている。なぜ、ここまで「死の影」を強調するのであろうか。そして、「死を捧げる」ことで出現するという「神」とは一体なんだろうか。

この論理は、何を意味しているのか。次回、長谷川三千子の近著『神やぶれたまはずー昭和20年8月15日正午』(中央公論新社、2013年)から「読み解いて」みることにしたい。

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2013年12月26日、安倍晋三首相が靖国神社を参拝した。中国・韓国が激しく反発しただけではなく、アメリカも「失望」を表明し、EU・ロシアや国連事務総長報道官も懸念を表明するように、日本の外交的孤立を招くことになった。

靖国神社参拝には、憲法の政教分離原則についての侵犯、さらに戦争で死んだ軍人・軍属を神として祀ることで、戦争によって死ぬということを美化しているのではないかなど、さまざまな問題がある。ただ、、現状において、中国・韓国などより批判にされていることは、日本をアジア太平洋戦争開戦に導き、戦後、「平和に対する罪」などで、極東国際軍事裁判で裁判され、死刑もしくは獄中死した東条英機などのA級戦犯が合祀され、彼らも神として参拝しているということである。

さて、どのような論理で批判しているのか。例えば、中国側の批判をみてみよう。2006年12月11日、王毅駐日中国大使(当時)は、新華社「環球」誌の年末インタビューにおいて、安倍晋三首相(第一次)が、靖国神社参拝をとりやめ、日中首脳会談を実現したことを評価しつつ、靖国神社参拝問題について、次のように述べている。

周知のように、戦後中日関係が再び発展できた政治的基礎は、日本政府が戦争の侵略的性格とその責任を認め、この歴史に正しく対処することである。だがA級戦犯はかつての日本軍国主義の責任者の象徴であり、A級戦犯を美化または肯定する言動にも、中国人民はどうしても同意できないし、アジア各国と国際社会としても受け入れ難い。
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zrgxs/t284043.htm

まず、みなくてはならないのは、とりあえず、靖国神社に首相が参拝することを問題にしているわけではないことである。中国側からいえば、A級戦犯は日本軍国主義の責任者の象徴であり、靖国神社への参拝は、彼らを美化することなのである。つまり、A級戦犯が靖国神社に合祀されていることが問題なのである。

実は、A級戦犯合祀は、戦後すぐからではない。1978年からである。それ以前は、あまり問題とされず、首相や昭和天皇も参拝していた。しかし、A級戦犯合祀は、昭和天皇に不快感を与えることとなり、以来、昭和天皇も現天皇も靖国神社参拝をとりやめた。元宮内庁長官である富田朝彦が、1988年4月28日にかきとめた昭和天皇の言葉が残っている。

私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E3%83%A1%E3%83%A2

文中であげられている「松岡」は松岡洋右元外相、「白取」は白鳥敏夫元駐イタリア大使、「筑波」は元靖国神社宮司筑波藤麿、「松平の子」は松平慶民(元宮内相)の子で靖国神社宮司であった松平永芳とみられる。つまり、筑波藤麿宮司はA級戦犯合祀をさしとめていたのに、松平永芳宮司は合祀を認めてしまったことに憤り、それ以来参拝していないことを「私の心」としているのである。

その上で、父親の松平慶民には「平和に強い考え」があったのに、その心を子どもは受け継がず、「親の心子知らず」と評しているのである。

この昭和天皇の発言は微妙である。結局、極東国際軍事裁判では裁かれることはなかったが、国内外に昭和天皇の戦争責任をとう声は、戦争直後もあったし、今でも存在している。それらに対して、昭和天皇は、自身の戦争責任を否定した。しかし、昭和天皇からみても、戦争を指導していたA級戦犯たちは、靖国神社でまつるべき存在ではなかったのである。そして、その判断の基軸になったのは、「平和」なのであった。昭和天皇なりの「戦後」への適応がここにはみられるといえよう。実は、このような姿勢は、中国などの批判とも相通じているだろう。

考えてみれば、当たり前のことだが、国家の命令により戦争にいって命を落とした人びとと、そのような命令を出した指導者たちがその罪をとわれて死ぬことは、同じではないのである。もちろん、戦死者の多くは軍人であって、その営為により犠牲者が出ており、さらには命令を出していた将校たちも含まれるので微妙であるのだが。それでも、権力をもっている統治者と、それに従うしかない被統治者は、同じ立場ではないのだ。

さて、それでは、安倍晋三自身は、どのように自身を弁明しているのか。12月26日に出した談話全文を、時事通信のネット記事からみておこう。

靖国神社参拝に関する安倍晋三首相の談話全文は次の通り。
 本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、哀悼の誠をささげるとともに、尊崇の念を表し、み霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。また、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀(ごうし)されない国内、および諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました。
 ご英霊に対して手を合わせながら、現在、日本が平和であることのありがたさをかみしめました。
 今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。
 きょうは、そのことに改めて思いを致し、心からの敬意と感謝の念を持って、参拝いたしました。
 日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。戦争犠牲者の方々のみ霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を、新たにしてまいりました。
 同時に、二度と戦争の惨禍に苦しむことが無い時代をつくらなければならない。アジアの友人、世界の友人と共に、世界全体の平和の実現を考える国でありたいと、誓ってまいりました。
 日本は、戦後68年間にわたり、自由で民主的な国をつくり、ひたすらに平和の道をまい進してきました。今後もこの姿勢を貫くことに一点の曇りもありません。世界の平和と安定、そして繁栄のために、国際協調の下、今後その責任を果たしてまいります。
 靖国神社への参拝については、残念ながら、政治問題、外交問題化している現実があります。
 靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足したきょうこの日に参拝したのは、ご英霊に、政権1年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。
 中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであったように、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。
 国民の皆さんのご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。(2013/12/26-13:41)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201312/2013122600349&g=pol

この談話にはいろいろあるが、「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。」という観点のもとに、靖国神社に合祀されている戦争犠牲者に「不戦の誓い」をするということが、全体の論理といえる。その上で、「靖国神社への参拝については、残念ながら、政治問題、外交問題化している現実があります。靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足したきょうこの日に参拝したのは、ご英霊に、政権1年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。」といっている。A級戦犯と軍人・軍属の戦死者をわけていないのである。確かに、戦争犠牲者ーといっても、彼らの多くは軍人であり、彼らの営為で当然ながら死傷した人たちが数多くいたことを忘れてはならないがーの前で「不戦の誓い」をすることは理解できなくはない。しかし、A級戦犯という戦争責任者の前で「不戦の誓い」をするというのは、理解に苦しむことになるだろう。昭和天皇は、A級戦犯合祀に「平和に強い考え」がないとしているのであり、昭和天皇からみても、理解に苦しむことになろう

といっても、安倍晋三はそうは考えないだろう。彼にとって、国民は統治者であろうが被統治者であろうが「一体」であり、それがすべてなのだろう。ゆえに、靖国神社に、「戦争犠牲者」というくくりで、一般の戦死した軍人・軍属と、彼らを死地に赴かせた「戦争指導者」たちがともに合祀されても問題とは思わないのであろう。むしろ、中国・韓国を刺激し憤激させることで、それに対抗して、安倍政権と一般国民を「一体」化するということが戦略的に目指されていると考えられるのである。このことは、他方で、自身の祖父岸信介も含めたA級戦犯総体の復権にもつながっていくのである。

*執筆するにあたってWikipediaの「靖国神社問題」を参考にした。昭和天皇発言などで疑問のある方は、そちらを参照され、それでも疑問が解けない場合は、それぞれの典拠をみてほしい。なお、昭和天皇の発言は、文中で述べたように、問題をはらんでいないというわけではない。ただ、戦争責任を問われかねない昭和天皇からみてA級戦犯はどういう人たちと認識しており、安倍晋三とかなり異なった認識をもっていたことを示すために引用した。

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現天皇が12月23日に80歳を迎えた。誕生日をひかえた12月28日に宮内庁で記者会見を行った。まず、冒頭の部分をみておこう。

問1 陛下は傘寿を迎えられ,平成の時代になってまもなく四半世紀が刻まれます。昭和の時代から平成のいままでを顧みると,戦争とその後の復興,多くの災害や厳しい経済情勢などがあり,陛下ご自身の2度の大きな手術もありました。80年の道のりを振り返って特に印象に残っている出来事や,傘寿を迎えられたご感想,そしてこれからの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせ下さい。

〈天皇陛下〉
80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。

戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆きずなを大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h25e.html

ここで、重要なことは、第二次世界大戦を「本当に痛ましい限り」と表現した上で、「戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。」と主張していることである。これは、天皇が日本国憲法の原理である「平和と民主主義」を擁護しているといえるであろう。

これは、改憲をかかげる安倍首相とは全く相反した意見といえるだろう。例えば、天皇誕生日の前日である12月22日に、安倍首相はNHKのテレビで次のような発言をしている。日本経済新聞が12月23日に配信した記事でみてみよう。

首相「落ち着いて仕事」 長期政権に意欲
2013/12/23 0:46

 安倍晋三首相は22日夜のNHK番組で「衆院(議員)もまだ3年任期がある。日本を正しい方向へ導いていくためにも、この期間に落ち着いて仕事をしていかなければいけない」と述べた。「そう簡単には辞めるわけにはいかない」とも語り、長期政権に意欲をにじませた。

 集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更や憲法改正などには腰を据えて取り組む考えを強調したものとみられる。集団的自衛権に関して日本維新の会やみんなの党と連携したい意向を示すとともに「憲法改正は私のライフワークだ。なんとしてもやり遂げたい」とも力説した。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2201Q_S3A221C1PE8000/

安倍晋三は「憲法改正は私のライフワークだ」とまでいっているのである。天皇の意向との違いはあきらかである。

さらに天皇の発言を紹介しておこう。次の部分を読んでほしい。

問3 今年は五輪招致活動をめぐる動きなど皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られましたが,陛下は皇室の立場と活動について,どのようにお考えかお聞かせ下さい。

〈天皇陛下〉
日本国憲法には「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有しない。」と規定されています。この条項を遵守することを念頭において,私は天皇としての活動を律しています。

しかし,質問にあった五輪招致活動のように,主旨がはっきりうたってあればともかく,問題によっては,国政に関与するのかどうか,判断の難しい場合もあります。そのような場合はできる限り客観的に,また法律的に,考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。今度の場合,参与も宮内庁長官始め関係者も,この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を遵守する立場に立って,事に当たっていくつもりです。

実は、この発言は、日本国憲法の規定に抵触する恐れがある。下記の条文にあるように、天皇は国政に関する権能はもたず、国事に関する行為のみが許されている。しかし、今まで触れてきた発言は、あきらかに「国政」への発言を含んでいるのであり、それ自体が問題をはらんでいる。そしてまた、憲法では、国事行為においては内閣の助言と承認が必要であるとしている。何が国事行為にあたるのかということも、本来、内閣の助言と承認が必要であるはずである。にもかかわらず、天皇は、何が国事行為で、何が国政に関与する行為であるということについて、宮内庁長官や参与の意見を参考にして「判断」しているのである。

第三条  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
○2  天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
(中略)
第六条  天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
○2  天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一  憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二  国会を召集すること。
三  衆議院を解散すること。
四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七  栄典を授与すること。
八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九  外国の大使及び公使を接受すること。
十  儀式を行ふこと。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

このことは、現天皇が、厳密にいえば憲法の規定通り行動していないこと示しているといえる。しかし、それでも、現天皇は「今後とも憲法を遵守する立場に立」つと宣言しているのである。そして、本意としては「内閣の助言と承認」つまり安倍政権の天皇の行為への関与を限定的なものにしたいという意向があるといえる。

日本国憲法では「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」(前文)とし、天皇の位置については、「第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と定めている。主権者は国民であり、その総意によって天皇は「日本国の象徴」となっているのである。それゆえ、「国政の権能」はもたず、「国事行為」には、国民の代表である内閣の助言と承認が必要となっている。言うなれば、独自の政治的主体として公的に行動することは憲法上は認めていないのである。

しかし、少なくとも、現天皇は、主体的に「憲法を遵守」すると宣言している。そして、これは、私的な意見の表明ではない。国事行為と国政との境界については、宮内庁長官や参与などと協議して判断しているとしており、公的な意見の表明である。そして、この記者会見での発言を見る限り、内閣とは独立した立場なのである。非常に微妙なのだが、ある種の憲法に拘束されない立場をもつ天皇が、平和と民主主義を原理とする日本国憲法を「遵守」しているということになろう。いわば、天皇制が民主主義を護持しているのであり、「天皇制民主主義」ともいえるだろう。その意味で、実は、天皇の発言は、微妙なものである。

たぶん、この問題は、もともと内包されていた日本国憲法と天皇制の微妙な関係が、改憲をライフワークとする安倍政権の登場によって露呈されたとみることができるだろう。天皇の個々の行動が内閣の助言と承認を得たものではなくても、それらがおおむね内閣の方針と食い違うものでなければ、このよう問題は表面化しない。しかし、安倍政権と現天皇の憲法に対する見解が食い違ってくると、この問題に矛盾が内包されているが露呈されてくることになるのである。

そして、より微妙なのは、安倍政権は自民党を中心とした政権であり、自民党は昨年4月に「日本国憲法改正草案」を発表していることである。この草案では、現在の憲法前文にはない、次のような表現がなされている。

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される(後略)
http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm#0

そして、草案第一条では「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とし、草案第六条第四項では「天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による」としている。天皇を元首化するとともに、内閣の関与を「助言と承認」から「進言」とトーンダウンさせている。天皇の立場をより権威化しようとしたものといえる。しかし、安倍政権自体は、現天皇の意向とは矛盾した方向性をとっている。より矛盾が深まっているといえよう。そして、このことは、安倍政権が意図しない形で、「戦後政治」の見直しにつながっていくのではないかと考えられるのである。

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山本太郎参院議員が園遊会において福島原発事故について訴えた手紙を天皇に手渡した「事件」の決着が11月8日についた。そのことを伝える毎日新聞のネット配信記事をみておこう。

山本太郎氏処分:天皇の「政治利用」議論深まらず 
毎日新聞 2013年11月08日 23時49分(最終更新 11月08日 23時56分)

 秋の園遊会で山本太郎参院議員(無所属)が天皇陛下に原発事故の現状を訴える手紙を手渡した問題は8日、山崎正昭参院議長が山本氏を厳重注意し、皇室行事の出席を禁止する処分を伝え、ひとまず決着した。与野党は前例のない山本氏の行動を「非常識な行為」と位置付けたものの、調整は「懲罰」に傾き、政治的に中立な天皇の「政治利用」に関する論議は深まらなかった。

 「参院議員として自覚を持ち、院の体面を汚すことがないよう肝に銘じて行動してほしい」

 山崎氏は8日昼、国会内に山本氏を呼び、こう諭した。山本氏は「猛省している」と陳謝した。これまでに山本氏は手紙を手渡した理由として、福島第1原発事故に関して「子供たちの健康被害、原発作業員の労働環境の実情を伝えたかった」と述べ、「政治利用ではない」と釈明していた。

 憲法は国民主権を原則としており、4条で「天皇は国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と定めている。しかし、山本氏の行動は原発事故対応という政治課題に天皇陛下を巻き込んだともいえ、「文書を手交すること自体が政治利用ではないか」(石破茂自民党幹事長)との批判が浮上。自民党からは自発的辞職を求める強硬論も出ていた。

 ただ、前例のない事態のため、政治利用に該当するかどうかまで踏み込んだ議論に至らないまま、結論までに1週間を要した。参院議院運営委員会の理事会では「憲法などに照らして懲罰には値しない」(共産党)として、厳罰処分には慎重な意見もあった。

 皇室の政治利用を巡っては、これまでも議論が続いてきた。高円宮妃久子さまの9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会への出席や、天皇陛下が出席する形で4月に安倍政権が開いた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」は、いずれも政権の意向や要望に沿ったもので、野党側は「政治利用に当たる」と批判している。

 昭和史や皇室の歴史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康さんは「山本氏の行動は国会議員の資質に欠けるが、政治利用というのは一定勢力による行為を言い、今回は違う」と指摘。その上で「一部で処分を議論するより、皇室と政治のあり方について山本氏に所信を述べさせるなど、国会全体で議論すべきだった」と話した。【影山哲也、飼手勇介】http://mainichi.jp/select/news/20131109k0000m010130000c.html

結局のところ、「皇室行事への参加禁止」ということになった。そもそも、国政の権能を有さない天皇に対して国政上のことを記した手紙を国会議員が手渡すこと自体が不適当であるが、「園遊会」自体が憲法上の公的儀式ではないともいえる。私自身は、山本太郎の行為は明白な違法性はなく、そのことについて特別のペナルティーを課すべきではなかったと思う。すでに、このブログで述べたように、2004年の園遊会において「政治利用」的発言をした東京都教育委員の米長邦雄は、与野党とも責任を問う声は全くなく、朝日新聞が「政治利用」にあたるのではないかと社説で批判したが、ペナルティーが必要とまでは論じていない。1901年の田中正造の「直訴」も、すでに議員は辞職しており、不敬罪にあたるのでないかという声もあったが、意志においても行為においても不敬にはあたらないとして、結局無罪であった。

結局、山本太郎の「皇室行事への参加禁止」ということになったが、そのことの「不当性」はともかくとして、自民党を中心とした山本太郎を批判した政治家たちの「気分」をうまく現したものだと考える。

彼らの主張である、憲法の規定にしたがって天皇の政治利用をすべきではないということは、元々は彼らが言ってきたことではない。たとえば、2004年の米長邦雄発言に対する朝日新聞の批判のような、彼らが「対峙」していると思っている側の論理をかりたものでしかないのである。主権回復の日式典への天皇出席やIOC総会における高円宮妃出席など、政権与党は合法的に「政治利用」してきた。そして、また、2004年の米長発言に対しては、内閣とは無関係であったにもかかわらず、与野党とも批判すらしていなかった。「天皇の政治利用」について、自分たちの側が行う限り、批判することはなかったのである。

結局のところ、山本太郎という、反原発派であり自分たちの対極にあると考えられる議員が、「天皇の政治利用」と目される行為をしたということに憤激したといえるのではなかろうか。そして、彼らとしては、山本の「自発的辞職」を期待したが、そうはならなかった。しかし、正式に懲罰動議にかけるとなると、「天皇の政治利用」自体が懲罰理由になりうるという先例を残してしまう。それゆえ、正式な懲罰ではなく、ほとんど法的根拠が希薄な「皇室行事への参加禁止」という措置になったのだと思う。

そして、また、山本太郎個人への「皇室行事への参加禁止」ということは、山本太郎に批判的な議員の本音をよく現しているといえる。つまり、天皇に近付いて、「政治利用」をするなと、山本太郎個人に命じたのであって、「政治利用」自体は禁止されてはいないのである。そういう意味をもった「皇室行事への参加禁止」なのである。

そして、「皇室行事への参加禁止」ということは、たぶん直接には山本太郎の参院議員としての職務遂行には影響しないことであるといえる。園遊会などは、もちろん国政ではないが、さりとて憲法上の国事行為でもない。そういうことは、本来の「政治」ではないのである。このことが、帝国憲法とは違った日本国憲法体制の特質を語っているといえる。

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山本太郎が園遊会にて天皇に手紙を渡した件については、参院が何らかの処分をするだろうということが伝えられている。例えば、日本経済新聞は、次の記事をネット配信している。

山本太郎氏「議員辞職しない」 参院が処分検討
2013/11/5 19:16

 参院議院運営委員会の岩城光英委員長は5日、天皇陛下に手紙を渡した山本太郎参院議員と会い、出処進退に関する意見を聞いた。山本氏は「自分自身で職を辞することはない」と述べた。議運委は6日の理事会で、山本氏の処分を検討する。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0502G_V01C13A1PP8000/

さて、今回の園遊会において山本太郎が天皇に原発関連の手紙を手渡したことが「天皇の政治利用」にあたるとされた件の前例の一つとして、このブログでは、2004年10月園遊会における東京都教育委員を勤めていた米長邦雄の発言をあげた。もう一度、朝日新聞の記事(2004年10月28日配信)をみておこう。

国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で

 天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。

 米長さんは「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えた。

 天皇が国旗・国歌問題に言及するのは異例だ。

 陛下の発言について、宮内庁の羽毛田信吾次長は園遊会後、発言の趣旨を確認したとしたうえで「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。さらに「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」と述べた。

 「日の丸・君が代」をめぐっては、長年教育現場で対立が続いてきた。東京都教委は昨秋、都立校の式典での「日の丸・君が代」の取り扱いを細かに規定し、職務命令に従わない教職員を大量に処分。99年に教育委員に就任した米長さんは、こうした方針を推進する発言を繰り返してきた。

(10/28)
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200410280332.html

この件につき「ネット記事などを参照できないので、もはや記憶でしかいえないのであるが、この米長について、教育委員などの公職を辞任せよという声はなかったように思う」と、前々回のブログでは述べた。その後、当時の三大紙(朝日新聞・毎日新聞・読売新聞)をあたってみた。この三大紙のうち、読売新聞は、10月29日付朝刊でほとんど論評ぬきに小さく園遊会でのやり取りを伝えている。

毎日新聞は10月29日付朝刊の1面でこのやり取りを伝えているとともに、同日夕刊において当時の閣僚の反応も報道しているが、朝日新聞ほどではない。

朝日新聞は、最も詳しくこの件を報道している。10月28日付で発信された前述の記事は10月29日付朝刊に掲載された。その後、閣僚などの反応も比較的詳しく伝えるとともに、この件を社説にとりあげて論評している。そこで、ここでは、朝日新聞を中心にみていくことにしたい。

前述のように、10月29日付朝刊で第一報を伝えた朝日新聞は、同日付夕刊で、当時の小泉自民党内閣の閣僚らの発言を伝えている。まず、それをみておこう。

憲法の趣旨「反しない」 陛下発言で閣僚ら

 天皇陛下が園遊会で、国旗・国歌について「強制になるということではないことが望ましい」と発言したことについて、29日午前の閣議後の記者会見で、閣僚の発言が相次いだ。細田官房長官は「宮内庁からは、これまでの政府見解とも一致しており、特定の施策について見解を述べたものではない、との報告を受けている。特に問題ないと考えている。天皇陛下は象徴としてのお立場を十分ご理解になったうえでご発言になっており、天皇は国政に関する権能を有しないという憲法の趣旨に反することはない」と述べた。
 細田長官は、教育現場で国旗・国歌が強制されている現状が発言につながったのではないかという見方について、「あまり憶測することは適当ではない気がする」と述べるにとどめた。
 中山文部科学相は「国旗・国歌については、喜んで自発的に掲揚したり斉唱したりすることが望ましいと言うことを述べられたのだと思う」と語った。東京都教委が「日の丸・君が代」の扱いに絡んで、昨秋、職務命令に従わない教職員を大量に処分したことについては「校長が学習指導要領に基づいて、法令の定めるところに従って、所属する教員に対して職務を命ずることは、当該教職員の思想信条の自由を侵すことにはならない」との見解を繰り返した。
 南野法相も「陛下は国旗・国歌(の掲揚・斉唱)は自ら進んで行うのが望ましい、という気持ちをおっしゃったのだと思う」と語った。東京都教委の処分については「おひとりおひとりの価値観。自主性にお任せしてもいいのではないか」と述べた。

この記事では、まず、基本的に、「国旗・国歌は強制でないのが望ましい」という天皇の発言が国政上の問題にふれたもので、憲法に抵触するかいなかということが問われていて、閣僚らは「憲法に抵触しない」と答えているといえよう。そして、米長の発言が「天皇の政治利用」にあたるのではないかとだれ一人指摘していないのである。そして、中山成彬文科相(当時)は、米長ら東京都教委が推進していた国旗・国歌政策を支持してもいるのである。

そして、10月30日付朝日新聞朝刊では、小泉純一郎首相(当時)と岡田克也民主党代表(当時)の対応が報道されている。

天皇の国旗・国歌発言 「ごく自然に受け止めを」 首相

 天皇陛下が秋の園遊会で学校での国旗・国歌について「強制になるということではないことが望ましい」と述べたことについて、小泉首相は29日、「ごく自然に受け止められたいいんじゃないですか。私もそう思いますね。あまり政治的に取り上げない方がいいんじゃないですか」と語った。首相官邸での記者団の質問に答えた。

「陛下のお考え伝わる方向に」 民主・岡田代表

 民主党の岡田代表は29日、天皇陛下が園遊会の席上、国旗・国歌問題で「やはり強制になるということが望ましい」と発言したことについて「陛下も人間ですし、当然いろんなお考えをお持ちですから、何も言えないということはおかしいと思う。一般論として申し上げるが、自由に自分の考えが伝えられるような方向に持っていくべきじゃないか」と語った。視察先の横浜市青葉区で記者団が「天皇の政治的発言という声もあるが、どう思うか」と質問したのに答えた。

このように、立場は違うが、両者とも天皇の発言を擁護するということでは一貫している。そして、両者とも、米長の園遊会での発言自体を問題にしたとは報道されていないのである。

閣僚も野党党首も、米長の発言を「天皇の政治利用」という意味で批判しない中、朝日新聞は社説「国旗・国歌 園遊会での発言に思う」(2004年10月30日付朝刊)で、米長の発言を批判した。この社説では、園遊会でのやりとりを伝え、天皇の発言は政府見解にそったもので憲法の趣旨に反しないと主張した後、次のように述べている。

 

今回の場合、波紋の原因はむしろ、米長さんが国旗・国歌のことを持ち出したところにあるのではないか。
 米長さんが委員を務める東京都教育委員会は、今春の都立校の卒業式で国旗を飾る場所や国歌の歌わせ方など、12項目にもわたって事細かく指示し、監視役まで派遣した。そして、起立しなかった250人の教職員を処分した。処分を振りかざして国旗の掲揚や国歌の斉唱を強制するやり方には、批判も多かった。
 国旗・国歌のように鋭い対立をはらんでいる問題は、天皇の主催行事である園遊会の場にふさわしくない。
 米長さんの発言に対して天皇陛下があいまいな応答をすれば、そのこと自体が政治的に利用されかねない。陛下が政府見解を述べたことは、結果としてそれを防いだとも言えよう。
 米長さんの発言は「教育委員のお仕事、ご苦労さまです」という陛下の言葉に答えて飛び出した。国旗・国歌問題を意図的に持ち出したどうかはわからない。もし意図的でなかったとしても、軽率だった言わざるを得ない。
 東京都の石原知事は「天皇陛下に靖国神社を参拝していただきたい」と述べている。靖国参拝は外交にも絡む大きな政治問題だ。とても賛成できない。宮内庁が慎重な姿勢を示したのは当然だ。
 天皇が政治に巻き込まれば象徴天皇制の根幹が揺らぐ。園遊会発言を機に、このことをあらためて確認したい。

このように、朝日新聞は、米長の発言を「政治利用」につながりかねないと批判したのである。

さて、ここでまとめてみよう。米長邦雄が園遊会で発言した際、そのこと自体が「天皇の政治利用」にあたるとは、小泉自民党内閣の首相、閣僚たちも、野党民主党の党首も、指摘していなかった。ゆえに、当時の与野党のだれからも、米長邦雄に東京都教育委員などの公職の辞任をせまる声は出ていないのである。

といっても、朝日新聞の社説にみるように、米長の発言が「天皇の政治利用」にあたるのではないかという意見は出ていた。しかし、それでも、その発言ゆえに公職を辞任せよとまではいっていないのである。

今回の山本太郎の場合、今度は与党の閣僚や議員を中心に「天皇の政治利用」を意図したと批判され、参議院議員の辞職要求まで出ている。その論理は、まるで2004年の米長発言を批判した朝日新聞の社説を読んでいるようだ。

結局、園遊会で天皇に伝えようとした内容にしたがって評価が違っているというしかないだろう。学校現場で国旗掲揚、国歌斉唱を進めるという米長の発言にはペナルティーが課せられることはなく、原発問題の深刻さを伝えようとして手紙を渡そうとした山本の行動については議員辞職も含めたペナルティーが要求されている。

内閣を通じて表明されていないことは同じだが、国旗・国歌ならば「政治利用」ではなく、原発問題ならば「政治利用」とされる。まさに、ここで、「天皇の政治利用」についてのダブルスタンダードが明白に現れているのである。

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さて、山本太郎の行動に対する閣僚や議員たちの反応は前回のブログでみてきた。しかし、いわゆる「識者」という人びとの対応では、二様の評価に分かれている。まずは、朝日新聞がネット配信した記事をみてみよう。

山本太郎議員の行動、識者の見方は 園遊会で陛下に手紙
2013年11月2日08時01分

 10月31日の園遊会で、天皇陛下に手紙を渡した山本太郎議員の行動について、明治時代に天皇に直訴した田中正造になぞらえる向きもある。元衆院議員の田中は1901年、足尾銅山(栃木県)の鉱毒に苦しむ農民を救おうと明治天皇の馬車に走り寄り、その場でとらえられた。

陛下に手紙「政治利用」か?
 「田中正造における憲法と天皇」の論文がある熊本大の小松裕教授(日本近代思想史)は、(1)田中は直前に辞職し個人で直訴したが、山本氏は議員の立場を利用した(2)明治天皇には政治権力があったが、今の天皇は象徴で何かできる立場ではない、という点で「同一視できない」とみる。

 山本氏には「公人の立場を考えるべきだった」と指摘しつつ、政府内の批判にも違和感があるという。天皇陛下が出席した4月の主権回復式典を踏まえ、「政府の方こそ利用しようとしており、あれこれ言う資格はない」。

 一方、栃木県の市民大学「田中正造大学」の坂原辰男代表(61)には、環境や住民を顧みず開発を続けた当時の政府と、福島で大きな被害を出しながら原発再稼働を進める現政権が重なる。「善悪の判断は難しいが、正造が生きていたら同じ行動をしたと思う」

     ◇

■批判、公平でない

 山口二郎・北海道大教授(政治学)の話 今の天皇、皇后のお二人は戦後民主主義、平和憲法の守り手と言っていい。しかし主張したいことは市民社会の中で言い合うべきで、天皇の権威に依拠して思いを託そうと政治的な場面に引っ張り出すのは大変危うく、山本議員の行動は軽率だ。一方で、主権回復式典の天皇出席や五輪招致への皇族派遣など、安倍政権自体が皇室を大規模に政治利用してきた中、山本氏だけをたたくのは公平ではない。山本氏も国民が選んだ国会議員であり、「不敬」だから辞めろと言うのは、民主主義の否定だ。

■政治利用と言うには違和感

 明治学院大の原武史教授(政治思想史)は、「今回の行為を政治利用と言ってしまうことには違和感がある。警備の見直しについても議論されるなど大げさになっており、戦前の感覚がまだ残っていると感じる。政治利用というならば、主権回復の日の式典に天皇陛下を出席させたり、IOC総会で皇族に話をさせたりした方がよほど大きな問題だと感じる」と話した。

 原教授は自身のツイッターで、「山本太郎議員の『直訴』に対する反発の大きさを見ていると、江戸時代以来一貫する、直訴という行為そのものを極端に忌避してきたこの国の政治風土について改めて考えさせられる」ともつぶやいた。
http://www.asahi.com/articles/TKY201311010580.html

この朝日新聞の記事は、①先行者とされる田中正造との関連における評価、②現代の社会状況における評価を二組の識者に聞いたものである。①については、小松裕が田中正造と同一視できないと答えているが、坂原辰男は現政権と足尾鉱毒事件時の明治政府の対応は重なっており、田中正造が生きていたら同じ行動しただろうとしている。

②については、どちらも現政権の政治利用のほうが問題は大きいとしながらも、山口二郎が天皇の権威を利用して主張すべきではなく山本の行動は軽率だと批判しているのに対し、原武史は政治利用というには違和感がある、前近代以来直訴というものを忌避してきた日本の政治風土の問題であるとした。

この朝日新聞の記事では、歴史的にも、現状との関連においても、山本の行動への評価は大きく二つに分かれている。これは、私が個人的に使っているフェイスブックを通じて表明される「友達」の反応もそうなのだ。ある人たちは反原発運動を進めるためや、政府による「天皇の政治利用」の問題性をあぶり出す効果があるなどとして山本の行動を評価する。しかし別の人たちは、現行憲法では天皇は国政に関与できないのであり、あえて反原発運動に同意を求めることは、戦前の体制への回帰につながるなどとして、山本の行動を批判的にみているのである。

実は、1901年12月10日の田中正造の直訴においても、このように二つに分かれた評価が同時代の社会主義者たちでみられた。現在、田中正造の直訴は、彼の単独行動ではなく、毎日新聞記者(現在の毎日新聞とは無関係)で同紙において鉱毒反対のキャンペーンをはっていた石川半山(安次郎)、社会主義者で万朝報(新聞)記者であった幸徳秋水(伝次郎)と、田中正造が共同で計画したことであったことが判明している。幸徳は、直訴状の原案を書くなど、この直訴に多大な協力をした。田中正造の直訴後の12月12日、幸徳秋水は田中正造に手紙を書き送っているが、その中で直訴について次のように述べている。

兎に角今回の事件は仮令天聴ニ達せずとも大ニ国民の志気を鼓舞致候て、将来鉱毒問題解決の為に十分の功力有之事と相信じ候。(『田中正造全集』別巻p42)

幸徳は、直訴が天皇に達しなくても、国民の世論を大いに刺激することで、鉱毒問題の解決に効果があるとここでは述べている。社会主義者の幸徳が「天聴」という言葉を使っていることは興味深い。とりあえず、幸徳は直訴を評価しているといえる。

一方、キリスト教系社会主義者で、毎日新聞記者でもあった木下尚江は、鉱毒反対運動にも関わっていたが、直訴には批判的であった。次の資料をみてほしい。

(田中正造の直訴は)立憲政治の為めに恐るべき一大非事なることを明書せざるべからず、何となれば帝王に向て直訴するは、是れ一面に於て帝王の直接干渉を誘導する所以にして、是れ立憲国共通の原則に違反し、又た最も危険の事態とする所なればなり(木下尚江「社会悔悟の色」、『六合雑誌』第253号、1902年1月15日)

木下尚江の直訴批判は、まるで山口二郎の山本批判のようである。明治期においても、天皇の政治への直接干渉をさけることを目的として天皇への直訴を批判するという論理が存在していたのである。

このように、天皇に対する「直訴」は、1901年の田中正造の場合でも評価がわかれていたのである。運動のために有利なことを評価するか、天皇の政治への直接介入をさけることを目的として批判するか。このような二分する評価は、100年以上たった山本太郎の行動をめぐっても現れているのである。

なお、田中正造と山本太郎の「直訴」行動自体の比較は、後に行いたいと考えている。

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