Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘大阪府知事’

2013年5月27日、次のような報道が各マスコミによって報道された。ここでは、毎日新聞のネット記事をあげておこう。

大阪母子死亡:「もっと食べさせたかった」母親のメモ発見
毎日新聞 2013年05月27日 13時04分(最終更新 05月27日 13時18分)

 母子とみられる2人の遺体が見つかった大阪市北区天満のマンションの部屋から「子どもに、もっと良い物を食べさせてあげたかった」という趣旨のメモが残されていたことが、捜査関係者への取材で分かった。室内には食べ物がほとんど残っていなかったことなどから、大阪府警は餓死した可能性が高いとみて詳しい経緯を調べている。

 府警は、2人は部屋の住人の井上充代さん(28)と息子の瑠海(るい)ちゃん(3)とみて、身元の確認を進めている。メモは請求書のような紙の裏に残っており、充代さんが書いたとみられる。2人の遺体は今月24日に見つかった。
http://mainichi.jp/select/news/20130527k0000e040168000c.html

これは、5月24日の、母子二人が腐乱遺体で発見された報道の後報である。この母子は、明らかに餓死したとみられる。死んだ母親は、「子どもに、もっと良い物を食べさせてあげてたかった」と遺言して死んだのだ。

この大阪市北区天満を管轄する大阪市長橋下徹は、13日に自身が行った「慰安婦」問題について弁明するために、27日、東京の外国特派員報道協会にいた。このことについては、広く知られている。彼がここで話す骨子をまとめた「私の認識と見解」には、次のように書かれている部分があった。

私は、21世紀の人類が到達した普遍的価値、すなわち、基本的人権、自由と平等、民主主義の理念を最も重視しています。また、憲法の本質は、恣意(しい)に流れがちな国家権力を拘束する法の支配によって、国民の自由と権利を保障することに眼目があると考えており、極めてオーソドックスな立憲主義の立場を採(と)る者です。

 大阪府知事及び大阪市長としての行政の実績は、こうした理念と価値観に支えられています。また、私の政治活動に伴って憲法をはじめとする様々(さまざま)なイシューについて公にしてきた私の見解を確認いただければ、今私の申し上げていることを裏付けるものであることをご理解いただけると信じております。今後も、政治家としての行動と発言を通じて、以上のような理念と価値観を体現し続けていくつもりです。

 こうした私の思想信条において、女性の尊厳は、基本的人権において欠くべからざる要素であり、これについて私の本意とは正反対の受け止め方、すなわち女性蔑視である等の報道が続いたことは、痛恨の極みであります。私は、疑問の余地なく、女性の尊厳を大切にしています。

(中略)

21世紀の今日、女性の尊厳と人権は、世界各国が共有する普遍的価値の一つとして、確固たる位置を得るに至っています。これは、人類が達成した大きな進歩であります。しかし、現実の世界において、兵士による女性の尊厳の蹂躙が根絶されたわけではありません。私は、未来に向けて、女性の人権を尊重する世界をめざしていきたい。しかし、未来を語るには、過去そして現在を直視しなければなりません。日本を含む世界各国は、過去の戦地において自国兵士が行った女性に対する人権蹂躙行為を直視し、世界の諸国と諸国民が共に手を携え、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう決意するとともに、今日の世界各地の紛争地域において危機に瀕(ひん)する女性の尊厳を守るために取り組み、未来に向けて女性の人権が尊重される世界を作っていくべきだと考えます。

日本は過去の過ちを直視し、徹底して反省しなければなりません。正当化は許されません。それを大前提とした上で、世界各国も、戦場の性の問題について、自らの問題として過去を直視してもらいたいのです。本年4月にはロンドンにおいてG8外相会合が「紛争下の性的暴力防止に関する閣僚宣言」に合意しました。この成果を基盤として、6月に英国北アイルランドのロック・アーンで開催予定のG8サミットが、旧日本兵を含む世界各国の兵士が性の対象として女性をどのように利用していたのかを検証し、過去の過ちを直視し反省するとともに、理想の未来をめざして、今日の問題解決に協働して取り組む場となることを期待します。(毎日新聞ネット記事より)http://mainichi.jp/select/news/20130526mog00m010012000c4.html

橋下は、「戦場の性の問題」を提起して、いわば世界に向けて「女性の人権と尊厳」を守るべきであると宣言したといえる。その時、前述のように、大阪では、生存権も守られず、子どもと餓死した女性がいたことが報じられていた。

翌28日、橋下大阪市長は大阪市役所にいて、退庁時の囲み取材を受けていた。ほとんどの応対が、慰安婦問題について、マスコミが意図的な誤報を流したかどうかということに対やされていた。この取材の最終場面で、やっと、大阪で母子が餓死したことにふれられ、次のような問答がなされた。

記者:別件ですが、北区の天満で母子が餓死したという事案がありまして、住民票の届け出がなかったようなので、行政的な措置は難しかったかもしれませんが、一応、大阪市内で餓死したようなので…。

橋下:これだけ地域コミュニティが希薄になった時代で、行政または地域的コミュニティが一人一人のご家庭の状況を全部把握するのは無理ですね。特にプライバシーの問題もあり、個人情報の問題もあって、行政が市民のみなさんの一人一人の生活状況を全て把握するというのは、これは無理だと思います。だからこそ、一言言ってくれれば、あの母子も一言北区役所に電話を入れてくれれば、なんとかなりましたよ。だから、一言電話を入れてくれなかったというところができるような体制、環境づくりは役所の仕事だと思っています。ですから、できる限り広報するとか、困った時は役所に電話してくれという話をくりかえし周知徹底していく、そこが役所のできる限界でもあり、役所がやらなくてはならないところですね。やはり、最低限、困った時に、ピンチの時に、電話一本かけてもらうという、そこまでは住民のみなさんにお願いしないと、今の個人情報の保護、プライバシーの保護という状況の中で、役所が転退出の際、大都市の中で、一人一人の住民の生活状況を把握するというのはなかなか難しいですね。本来であれば、地域コミュニティというものを再生して、地域コミュニティの中で、住民のみなさんのお互いの相互扶助というものをお願いしたいところなんですけれど。それもなかなか難しいんでね。役所に、区役所に、困った時は電話してくれればなんとかなるということを、みなさんに周知徹底していきたいですね。

読んでもらえばわかるが、この母子を悼む言葉は、形式的にもなかった。また、「女性の人権と尊厳」を守ると、前日、それこそ世界に向けて発信したのだが、そんなことは微塵も発言していなかった。

「あの母子も一言北区役所に電話を入れてくれれば」というが、電気がとめられていると報道されており、その状態では携帯電話は使えず、たぶん固定電話があったとしてもとめられていたであろう。

そして、「役所に、区役所に、困った時は電話してくれればなんとかなる」とは…。橋下は、大阪府知事時代、大阪府立男女共同参画・青少年センターの廃止を画策しており、大阪市長になっても大阪市立男女共同参画センター(クレオ大阪)の廃止を主張していたとされている。両者ともに女性相談が設置されており、今回のようなケースの窓口になりえたといえる。

例えば、昨年の5月1日に、クレオ大阪の廃止案に反対する声明が出されたが、この声明の中で、「PT試案ではまた、女性問題等に関する相談は、区役所や区民センターという身近な場所で行うことが効果的である、と述べていますが、これは認識不足といわざるを得ません。DV被害者にとって、身近な場所は、加害者とのつながりの可能性を秘めているとても危険な場所でもあるのです。そのような場所に被害者が相談に行くことはできません。また、性暴力被害者にとっても、身近であることは、個人が特定されやすくプライバシーが守られないという不安を抱えることにもなります。被害を受けた女性たちは、ただでさえ相談をためらいます。」とあり、今回の状況を予見したような記述がなされている。

橋下の推進した政策は、これだけでなく、生活保護も含めて、「役所に、区役所に、困った時は電話してくれればなんとかなる」という方向とは逆を向いているといえよう。現状の生活保護ーこれは、橋下らだけの責任ではないがーが「電話すればなんとかなる」というものではないことは明らかである。

そして、橋下は、結局、広報不足に責任を転嫁しているといえよう。これでは、単に、餓死した女性の「認識不足」に原因を求めることになる。あの発言の裏側にあるのは「自己責任」という言葉なのである。

他方で、最終的には、地域コミュニティ内部の相互扶助に求めることを主張している。結局、社会保障を解体した後には「相互扶助」に向かうべきという持論なのであろう。

まあ、橋下とは、こういう人である。しかし、「女性の人権と尊厳」を守ると世界に向けて発信しながら、自分の管轄下の「女性の人権と尊厳」を守ることに責任をもたないのである。市内の「女性の人権と尊厳」を守ることは、必要ではないのか。そのことが大阪市にとって問われているといえよう。

(参考)
【声明文】クレオ大阪5館廃止案について

 本年4月5日、大阪市改革プロジェクトチームより提示された「施策・事業見直し(試案)男女共同参画センター管理運営」(以下PT試案)に関する見直し内容について、男女共同参画社会基本法、第3次男女共同参画基本計画、大阪市男女共同参画推進条例および大阪市男女共同参画基本計画に反するものとして「見直しの考え方」と「見直し内容」に反対いたします。理由は以下の二点です。

(1)PT試案は「女性問題等に関する相談への対応や情報提供等は、地域により身近な場所で行うことが効果的である」とし、「館で実施している事業については、相談事業、情報提供事業及び啓発事業のみ継続することとし、区役所・区民センター等で実施する」としています。

 しかし「女性問題等に関する相談への対応や情報提供」は男女共同参画センターで行われていることにこそ意義があります。

 男女共同参画センターには、DV被害者や、性暴力被害者、母子家庭の母など、まさに男女共同参画問題にかかわる、さまざまな困難を抱えた女性たちが訪れます。

 このような人々にとって、男女共同参画の視点に立ったセンターは不可欠です。なぜなら、男女共同参画の視点がない相談窓口では、母子家庭という状況に対して心ない言葉を浴びせられたり、暴力被害に対して配慮のない聞き取りをされたりという二次被害を受けることが多いからです。また、女性たちの多くは、一つの困難というより、複合的な困難を抱えています。その相談や情報提供において、女性たちの問題に対してさまざまにアンテナを広げてきた男女共同参画センターにまさる場所はありません。さらに、困難を抱え、力を奪われてしまった女性たちにとって、同じ立場の女性たちと出会える場、女性たち自身が集まり活動している場に参加することによって、次第に力を取り戻していくことができます。そういっ�!
�ことができるのも、男女共同参画の視点に立ったスタッフにより運営される男女共同参画センターならでは、なのです。

 PT試案ではまた、女性問題等に関する相談は、区役所や区民センターという身近な場所で行うことが効果的である、と述べていますが、これは認識不足といわざるを得ません。DV被害者にとって、身近な場所は、加害者とのつながりの可能性を秘めているとても危険な場所でもあるのです。そのような場所に被害者が相談に行くことはできません。また、性暴力被害者にとっても、身近であることは、個人が特定されやすくプライバシーが守られないという不安を抱えることにもなります。被害を受けた女性たちは、ただでさえ相談をためらいます。少しでも不安があれば、相談に行くことはできません。男女共同参画センターが市内に5館あるということで、被害者は安心して相談できる場所を自ら選ぶことができるのです。

 男女共同参画センターの廃止は、このような困難を抱えた女性たちを、相談の場から排除し、孤立のうちにいっそうの困難の中に落とし込むことになります。

(2)PT試案は「男女共同参画に寄与する事業に重点化し、効率化を図る」として「相談事業、情報提供事業及び啓発事業のみ継続する」としていますが、これまでクレオ各館で行なってきた事業は、全て大阪市男女共同参画推進条例および大阪市男女共同参画基本計画に基づいて大阪市長の名の元に行なってきた事業です。

 大阪市男女共同参画基本計画は「クレオ大阪が今後も重点的な取組みを推進する拠点となり、その機能を今後もいっそう発揮し、本計画を推進する役割を果たしていく」、として、

※就業の場での男女共同参画を推進するために、企業における自主的な取組みを支援するとともに、女性のチャレンジを支援する。

※地域において男女がともに参画し、大阪市の魅力の創出や活性化にもつなげていくまちづくりの活動を支援する。

※女性への暴力の根絶をはじめ、男女の心と体の健康に向けた相談・支援の充実として、男女の心と体の健康のために、男女共同参画の視点を活かして相談と支援する。

などを主な取り組みとして定めています。

 PT試案にあるように、相談事業、情報提供事業及び啓発事業以外の事業が男女共同参画に「寄与しない」とすれば、どのような条例や基本計画のどの条項に反するのかの客観的な指摘が必要です。何も根拠を示さず、恣意的に「寄与しない」と決めつけることは、これまで条例および基本計画に基づいて行なってきた自治体の施策そのものの否定であり、その上位の法である男女共同参画社会基本法に反する違法な行政運営といえます。

 そもそも地方自治体は地方自治法、第一条の二で規定するように「住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担う」ものです。

 住民福祉の増進の基本を担う施設を廃止し、総合的な施策の実施を縮小することは、何よりも福祉の増進を担うべき本来の地方自治体の姿勢とはかけ離れたものになると言わざるをえません。

 クレオ大阪の事業はいずれも男女共同参画に寄与する事業に他ならず、今回の見直しは明らかに施策の後退です。国際的に見ても男女の格差が大きく、女性の貧困問題が深刻化している今、男女共同参画施策の後退はとうてい納得のできるものではありません。

 以上の理由により、大阪市改革プロジェクトチーム「施策・事業案見直し(試案)」「男女共同参画センター管理運営」に関する見直し案に反対します。 

2012年5月1日

大阪の男女共同参画施策をすすめる会
連絡先 556-0005 大阪市浪速区日本橋5-15-2-110
  女性のための街かど相談室 ここ・からサロン内
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/024ac96ea82fbdfeb3956e19ef44809f

広告

Read Full Post »

先週、官邸前抗議行動について、野田首相が抗議側の代表と会うと意志表明した(結局、2012年8月8日を予定していたが、政局によって延期された)。

このことは、いろんな意味で波紋をよんだ。その一つとして、ここでは橋下徹大阪市長が8月5日にツイッターで表明した脱原発デモについての意見を検討しておこう。

橋下徹については周知の人物といえる。彼の大阪府知事・大阪市長としての強引な政治は、確かに一部の熱狂的な支持を得つつも、他方で、強く反対する人びとをうんでいる(ここでは「強引な政治」と書いているが、それでは過小評価であろう。しかし、このことを中心に批判する文章ではないので、このような表現をとっていることをご承知されたい)。一方で、大飯原発再稼働については抵抗の意志を示しており、夏期の計画停電を根拠にして再稼働を認めたものの、長期的においては「脱原発」の旗を下ろしてはいないのである。

そのような橋下が、官邸前行動やデモなどをどのようにみているのか。8月5日のツイッターは、そのことをよく示している。

彼は、まず、被災地がれきの広域処理について、大阪市役所などで抗議デモがありながらも、世論調査では9割が賛成していると指摘し、このように問いかける。

しかし国民全体では9割が賛成。このギャップは何なのだろうか。政治家は目の前の一部の団体などの声に左右されやすい。数千人の声が集まるとそれが有権者全体の声と錯覚してしまう。官邸前・国会前の反原発デモは、本当に国民全体の声なのだろうか。デモだけで政治判断するのは危険である。
もちろん国民・有権者の声を限りなく聞く姿勢は重要である。しかし参考にする声を、目の前の大きな声を軸にするのは危険である。国民全体の声を見誤る。確かに議会が本当に有権者の声を反映しているのか疑念はある。しかしだからと言って議会を補完するためにデモがあるというのは短絡過ぎる。
http://twilog.org/t_ishin/asc

なかなか、微妙な言い回しである。橋下は、国民・有権者の声を限りなく聞く必要があることを認めている。別のところでは、自分自身をポピュリズムであるといっている。そして、議会が本当に有権者の声を代表しているのかということにも疑念を表明している。しかし、目の前のデモなどの大きな声によって政治判断することは危険であるとし、デモが議会を補完するという機能があるのではないかということすら短絡的と断じている。

そして、橋下は、やはり議会の声に有権者の声の反映を求めていく。

むしろ議会の声とデモ的な声、つまり一部の大きな声が重なることも多い。つまり議会の声もデモの声も、有権者の多数の声を反映していないことが多い。議会がダメだからデモだとはならない。結局、有権者の声は何なのか、誰も計りようがない。ゆえに議会の声が有権者の声と擬制せざるを得ない。
http://twilog.org/t_ishin/asc

これは、なかなか意味深長な発言だ。橋下は、有権者の声など誰も計りようがないとしつつ、「ゆえに議会の声が有権者の声と擬制せざるを得ない」と述べている。有権者ー議会の代表関係は「擬制」であるのである。

その上で、橋下は自身の行ってきた強引な政策運営を有権者の声に基づいたものとし、朝日新聞などの批判的論調は、有権者の声をつかみそこなっているものとしている。

朝日新聞や毎日新聞は、この点、多くの有権者の声を掴み損なうことが多い。ほかの新聞社もだけど。学力調査の市町村別結果公表、君が代起立条例、職員入れ墨調査などの公務員規律強化、教育委員会制度、それと文楽をはじめとする文化行政の在り方。枚挙にいとまがない。
結局新聞などに寄せられる自称インテリ層の意見は、国民総数からするとほんの少しの意見なのに、新聞紙面には多くを占める。いわゆるデモと似ている。新聞の自称インテリ層の意見が、国民大多数の意見だと見誤るとえらい目に遭う。もちろん、数だけが全てではないことは分かっている。
http://twilog.org/t_ishin/asc

つまり、彼が一般的に批判されている諸政策は、多くの有権者の声に基づいており、新聞などに出てくる意見は少数意見で、デモもそれと似ているというのである(なお、脱原発デモに参加している人びとは、新聞や放送局がいかにデモを報道しないかをよく知っている。)。その根拠は何か、有権者の声を擬制しているとされる「議会」に基づいているからである。

そして、橋下は、こう主張する。

しかし政治行政の本質は多数の意見で進めることだ。ポピュリズムと軽蔑されようがなんであろうが、民主制とはそういうものだ。それが嫌なら、民意を軽蔑する、賢人政治にするしかない。そんな政治はまっぴらごめんだ。賢人などいるわけがない。民主制は完ぺきではないがそれに替わる政体はない。
(中略)
有権者全体の民意を探りながら、民意の大きな方向で全体が良くなるように最善を尽くす。民意べた寄りでもない。ここが難しい。しかし目の前の大きな声新聞を占める自称インテリの声、これだけに左右されては見誤る。原発依存度を下げて行こうという国民全体の声は官邸前のデモの声を聞かなくても分かる。
http://twilog.org/t_ishin/asc

多数意見で政治を行おうとする点で、彼はポピュリズムを自認している。しかし、それは、新聞やデモではなく、「有権者」の民意などである。なぜ有権者を表に出してくるのか。それは、橋下は、自身が多くの有権者の支持を得て当選したという自負があるからである。そして、あのような強引な政策を、批判をかえりみず行う正当性もまた、この有権者の多数の支持を得ているという点に求めているといえよう。

デモについては、軽視することはさけながらも、デモの中でも意見がまとまっているわけではなく、国民の代表の声であるかどうかもわからないとして、議員が力を発揮すべきであると主張している。

デモを軽く扱えということではない。原発についての国民の声の動きとして、大変参考になる。大きな民意の動きとして大変参考になる。ただデモに参加している個々人の意見が皆まとまっているわけではない。デモの中の誰の意見を参考にするのかというのは大変難しい。だからこそ議会制民主主義がある。
国民全体の声、官邸前のデモの動きを汲みながら、政治は早急にその流れの中で最善の策を構築すべきだ。デモの代表者と協議をしてもそれが国民の代表の声かどうかはわからない。こういうときこそ議員が力を発揮すべだ。って言うのは理想かな。
http://twilog.org/t_ishin/asc

その上で、脱原発デモに対して、こう呼びかけた。

官邸前のデモの代表者が首相と会談するとのこと。デモ側は、最低限、代表者に権限を与えて、デモの代表者であることは確定すべきだ。この代表者が首相と会談した後、別の者が俺の考えは違うから首相に合わせろとなれば収拾がつかなくなる。
僕らは自分の思いを実現するために選挙を通じて多数議席を獲得してきた。想像を絶する労力が必要だ。メディアからも散々批判を受けた。朝日新聞、毎日新聞は選挙を通じての多数獲得には容易に独裁批判を展開するのに、デモで自分の考えを実現しようとすることは市民運動として拍手喝采となる。
おかしい。官邸前のデモの皆さん、皆さんの運動自体は否定しませんが、やっぱり最後は選挙で変えていくしかありません。次回の衆議員総選挙はエネルギー政策も最大の争点になるでしょう。デモのエネルギーを、選挙にぶつけて下さい。
http://twilog.org/t_ishin/asc

前段は、デモ側が首相と会う代表者に代表権委任せよという話だ。しかし、そもそも「脱原発」という主張をするために、官邸前・デモに寄り集まってきた人びとにどのように代表権委任ができるのだろうか。むしろ、弁護士出身の橋下が、「代表権委任」という概念に固執していることを意味しているのだろうと思う。

後段は、自分たちは努力してきて議会で多数を獲得してきた、デモ側も選挙で変えていくことが本道ではないかと主張しているのである。ここにおいて、橋下の論理がよくわかるといえる。彼は、選挙で勝って、公選首長や議会の多数派を獲得することにより、有権者の多数意見は判明すると考えているといえる。その意味で、マスコミもデモも、そのような有権者の多数意見とは無関係なものとして捉えているといえよう。

このように、橋下の意見は、自身もまた依拠している公選制に基づいた「議会制民主主義」の枠から一歩も離れていないことがわかる。橋下は、デモなどの直接民主主義的実践は、議会制の補完物ですらなりえないのだ。彼にとって、政治は公選された代表者たちの執り行うものであり、もし、それがいやならば、橋下自身と同様に自分たちのグループを選挙によって公選された代表者たちの中に送り込んむしかない。橋下にとっては、有権者の声とは、擬制であるとしつつも、議会の声でしかないという認識をもっている。そして、公選された代表者たちは、多数の有権者の支持を得ているのであって、それに基づかない新聞世論やデモは、「小さな声」でしかないのである。その意味で、脱原発を主張している橋下が、野田首相の政治姿勢を評価したと報道されていることが、よく理解できるといえよう。

Read Full Post »