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2013年5月27日、次のような報道が各マスコミによって報道された。ここでは、毎日新聞のネット記事をあげておこう。

大阪母子死亡:「もっと食べさせたかった」母親のメモ発見
毎日新聞 2013年05月27日 13時04分(最終更新 05月27日 13時18分)

 母子とみられる2人の遺体が見つかった大阪市北区天満のマンションの部屋から「子どもに、もっと良い物を食べさせてあげたかった」という趣旨のメモが残されていたことが、捜査関係者への取材で分かった。室内には食べ物がほとんど残っていなかったことなどから、大阪府警は餓死した可能性が高いとみて詳しい経緯を調べている。

 府警は、2人は部屋の住人の井上充代さん(28)と息子の瑠海(るい)ちゃん(3)とみて、身元の確認を進めている。メモは請求書のような紙の裏に残っており、充代さんが書いたとみられる。2人の遺体は今月24日に見つかった。
http://mainichi.jp/select/news/20130527k0000e040168000c.html

これは、5月24日の、母子二人が腐乱遺体で発見された報道の後報である。この母子は、明らかに餓死したとみられる。死んだ母親は、「子どもに、もっと良い物を食べさせてあげてたかった」と遺言して死んだのだ。

この大阪市北区天満を管轄する大阪市長橋下徹は、13日に自身が行った「慰安婦」問題について弁明するために、27日、東京の外国特派員報道協会にいた。このことについては、広く知られている。彼がここで話す骨子をまとめた「私の認識と見解」には、次のように書かれている部分があった。

私は、21世紀の人類が到達した普遍的価値、すなわち、基本的人権、自由と平等、民主主義の理念を最も重視しています。また、憲法の本質は、恣意(しい)に流れがちな国家権力を拘束する法の支配によって、国民の自由と権利を保障することに眼目があると考えており、極めてオーソドックスな立憲主義の立場を採(と)る者です。

 大阪府知事及び大阪市長としての行政の実績は、こうした理念と価値観に支えられています。また、私の政治活動に伴って憲法をはじめとする様々(さまざま)なイシューについて公にしてきた私の見解を確認いただければ、今私の申し上げていることを裏付けるものであることをご理解いただけると信じております。今後も、政治家としての行動と発言を通じて、以上のような理念と価値観を体現し続けていくつもりです。

 こうした私の思想信条において、女性の尊厳は、基本的人権において欠くべからざる要素であり、これについて私の本意とは正反対の受け止め方、すなわち女性蔑視である等の報道が続いたことは、痛恨の極みであります。私は、疑問の余地なく、女性の尊厳を大切にしています。

(中略)

21世紀の今日、女性の尊厳と人権は、世界各国が共有する普遍的価値の一つとして、確固たる位置を得るに至っています。これは、人類が達成した大きな進歩であります。しかし、現実の世界において、兵士による女性の尊厳の蹂躙が根絶されたわけではありません。私は、未来に向けて、女性の人権を尊重する世界をめざしていきたい。しかし、未来を語るには、過去そして現在を直視しなければなりません。日本を含む世界各国は、過去の戦地において自国兵士が行った女性に対する人権蹂躙行為を直視し、世界の諸国と諸国民が共に手を携え、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう決意するとともに、今日の世界各地の紛争地域において危機に瀕(ひん)する女性の尊厳を守るために取り組み、未来に向けて女性の人権が尊重される世界を作っていくべきだと考えます。

日本は過去の過ちを直視し、徹底して反省しなければなりません。正当化は許されません。それを大前提とした上で、世界各国も、戦場の性の問題について、自らの問題として過去を直視してもらいたいのです。本年4月にはロンドンにおいてG8外相会合が「紛争下の性的暴力防止に関する閣僚宣言」に合意しました。この成果を基盤として、6月に英国北アイルランドのロック・アーンで開催予定のG8サミットが、旧日本兵を含む世界各国の兵士が性の対象として女性をどのように利用していたのかを検証し、過去の過ちを直視し反省するとともに、理想の未来をめざして、今日の問題解決に協働して取り組む場となることを期待します。(毎日新聞ネット記事より)http://mainichi.jp/select/news/20130526mog00m010012000c4.html

橋下は、「戦場の性の問題」を提起して、いわば世界に向けて「女性の人権と尊厳」を守るべきであると宣言したといえる。その時、前述のように、大阪では、生存権も守られず、子どもと餓死した女性がいたことが報じられていた。

翌28日、橋下大阪市長は大阪市役所にいて、退庁時の囲み取材を受けていた。ほとんどの応対が、慰安婦問題について、マスコミが意図的な誤報を流したかどうかということに対やされていた。この取材の最終場面で、やっと、大阪で母子が餓死したことにふれられ、次のような問答がなされた。

記者:別件ですが、北区の天満で母子が餓死したという事案がありまして、住民票の届け出がなかったようなので、行政的な措置は難しかったかもしれませんが、一応、大阪市内で餓死したようなので…。

橋下:これだけ地域コミュニティが希薄になった時代で、行政または地域的コミュニティが一人一人のご家庭の状況を全部把握するのは無理ですね。特にプライバシーの問題もあり、個人情報の問題もあって、行政が市民のみなさんの一人一人の生活状況を全て把握するというのは、これは無理だと思います。だからこそ、一言言ってくれれば、あの母子も一言北区役所に電話を入れてくれれば、なんとかなりましたよ。だから、一言電話を入れてくれなかったというところができるような体制、環境づくりは役所の仕事だと思っています。ですから、できる限り広報するとか、困った時は役所に電話してくれという話をくりかえし周知徹底していく、そこが役所のできる限界でもあり、役所がやらなくてはならないところですね。やはり、最低限、困った時に、ピンチの時に、電話一本かけてもらうという、そこまでは住民のみなさんにお願いしないと、今の個人情報の保護、プライバシーの保護という状況の中で、役所が転退出の際、大都市の中で、一人一人の住民の生活状況を把握するというのはなかなか難しいですね。本来であれば、地域コミュニティというものを再生して、地域コミュニティの中で、住民のみなさんのお互いの相互扶助というものをお願いしたいところなんですけれど。それもなかなか難しいんでね。役所に、区役所に、困った時は電話してくれればなんとかなるということを、みなさんに周知徹底していきたいですね。

読んでもらえばわかるが、この母子を悼む言葉は、形式的にもなかった。また、「女性の人権と尊厳」を守ると、前日、それこそ世界に向けて発信したのだが、そんなことは微塵も発言していなかった。

「あの母子も一言北区役所に電話を入れてくれれば」というが、電気がとめられていると報道されており、その状態では携帯電話は使えず、たぶん固定電話があったとしてもとめられていたであろう。

そして、「役所に、区役所に、困った時は電話してくれればなんとかなる」とは…。橋下は、大阪府知事時代、大阪府立男女共同参画・青少年センターの廃止を画策しており、大阪市長になっても大阪市立男女共同参画センター(クレオ大阪)の廃止を主張していたとされている。両者ともに女性相談が設置されており、今回のようなケースの窓口になりえたといえる。

例えば、昨年の5月1日に、クレオ大阪の廃止案に反対する声明が出されたが、この声明の中で、「PT試案ではまた、女性問題等に関する相談は、区役所や区民センターという身近な場所で行うことが効果的である、と述べていますが、これは認識不足といわざるを得ません。DV被害者にとって、身近な場所は、加害者とのつながりの可能性を秘めているとても危険な場所でもあるのです。そのような場所に被害者が相談に行くことはできません。また、性暴力被害者にとっても、身近であることは、個人が特定されやすくプライバシーが守られないという不安を抱えることにもなります。被害を受けた女性たちは、ただでさえ相談をためらいます。」とあり、今回の状況を予見したような記述がなされている。

橋下の推進した政策は、これだけでなく、生活保護も含めて、「役所に、区役所に、困った時は電話してくれればなんとかなる」という方向とは逆を向いているといえよう。現状の生活保護ーこれは、橋下らだけの責任ではないがーが「電話すればなんとかなる」というものではないことは明らかである。

そして、橋下は、結局、広報不足に責任を転嫁しているといえよう。これでは、単に、餓死した女性の「認識不足」に原因を求めることになる。あの発言の裏側にあるのは「自己責任」という言葉なのである。

他方で、最終的には、地域コミュニティ内部の相互扶助に求めることを主張している。結局、社会保障を解体した後には「相互扶助」に向かうべきという持論なのであろう。

まあ、橋下とは、こういう人である。しかし、「女性の人権と尊厳」を守ると世界に向けて発信しながら、自分の管轄下の「女性の人権と尊厳」を守ることに責任をもたないのである。市内の「女性の人権と尊厳」を守ることは、必要ではないのか。そのことが大阪市にとって問われているといえよう。

(参考)
【声明文】クレオ大阪5館廃止案について

 本年4月5日、大阪市改革プロジェクトチームより提示された「施策・事業見直し(試案)男女共同参画センター管理運営」(以下PT試案)に関する見直し内容について、男女共同参画社会基本法、第3次男女共同参画基本計画、大阪市男女共同参画推進条例および大阪市男女共同参画基本計画に反するものとして「見直しの考え方」と「見直し内容」に反対いたします。理由は以下の二点です。

(1)PT試案は「女性問題等に関する相談への対応や情報提供等は、地域により身近な場所で行うことが効果的である」とし、「館で実施している事業については、相談事業、情報提供事業及び啓発事業のみ継続することとし、区役所・区民センター等で実施する」としています。

 しかし「女性問題等に関する相談への対応や情報提供」は男女共同参画センターで行われていることにこそ意義があります。

 男女共同参画センターには、DV被害者や、性暴力被害者、母子家庭の母など、まさに男女共同参画問題にかかわる、さまざまな困難を抱えた女性たちが訪れます。

 このような人々にとって、男女共同参画の視点に立ったセンターは不可欠です。なぜなら、男女共同参画の視点がない相談窓口では、母子家庭という状況に対して心ない言葉を浴びせられたり、暴力被害に対して配慮のない聞き取りをされたりという二次被害を受けることが多いからです。また、女性たちの多くは、一つの困難というより、複合的な困難を抱えています。その相談や情報提供において、女性たちの問題に対してさまざまにアンテナを広げてきた男女共同参画センターにまさる場所はありません。さらに、困難を抱え、力を奪われてしまった女性たちにとって、同じ立場の女性たちと出会える場、女性たち自身が集まり活動している場に参加することによって、次第に力を取り戻していくことができます。そういっ�!
�ことができるのも、男女共同参画の視点に立ったスタッフにより運営される男女共同参画センターならでは、なのです。

 PT試案ではまた、女性問題等に関する相談は、区役所や区民センターという身近な場所で行うことが効果的である、と述べていますが、これは認識不足といわざるを得ません。DV被害者にとって、身近な場所は、加害者とのつながりの可能性を秘めているとても危険な場所でもあるのです。そのような場所に被害者が相談に行くことはできません。また、性暴力被害者にとっても、身近であることは、個人が特定されやすくプライバシーが守られないという不安を抱えることにもなります。被害を受けた女性たちは、ただでさえ相談をためらいます。少しでも不安があれば、相談に行くことはできません。男女共同参画センターが市内に5館あるということで、被害者は安心して相談できる場所を自ら選ぶことができるのです。

 男女共同参画センターの廃止は、このような困難を抱えた女性たちを、相談の場から排除し、孤立のうちにいっそうの困難の中に落とし込むことになります。

(2)PT試案は「男女共同参画に寄与する事業に重点化し、効率化を図る」として「相談事業、情報提供事業及び啓発事業のみ継続する」としていますが、これまでクレオ各館で行なってきた事業は、全て大阪市男女共同参画推進条例および大阪市男女共同参画基本計画に基づいて大阪市長の名の元に行なってきた事業です。

 大阪市男女共同参画基本計画は「クレオ大阪が今後も重点的な取組みを推進する拠点となり、その機能を今後もいっそう発揮し、本計画を推進する役割を果たしていく」、として、

※就業の場での男女共同参画を推進するために、企業における自主的な取組みを支援するとともに、女性のチャレンジを支援する。

※地域において男女がともに参画し、大阪市の魅力の創出や活性化にもつなげていくまちづくりの活動を支援する。

※女性への暴力の根絶をはじめ、男女の心と体の健康に向けた相談・支援の充実として、男女の心と体の健康のために、男女共同参画の視点を活かして相談と支援する。

などを主な取り組みとして定めています。

 PT試案にあるように、相談事業、情報提供事業及び啓発事業以外の事業が男女共同参画に「寄与しない」とすれば、どのような条例や基本計画のどの条項に反するのかの客観的な指摘が必要です。何も根拠を示さず、恣意的に「寄与しない」と決めつけることは、これまで条例および基本計画に基づいて行なってきた自治体の施策そのものの否定であり、その上位の法である男女共同参画社会基本法に反する違法な行政運営といえます。

 そもそも地方自治体は地方自治法、第一条の二で規定するように「住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担う」ものです。

 住民福祉の増進の基本を担う施設を廃止し、総合的な施策の実施を縮小することは、何よりも福祉の増進を担うべき本来の地方自治体の姿勢とはかけ離れたものになると言わざるをえません。

 クレオ大阪の事業はいずれも男女共同参画に寄与する事業に他ならず、今回の見直しは明らかに施策の後退です。国際的に見ても男女の格差が大きく、女性の貧困問題が深刻化している今、男女共同参画施策の後退はとうてい納得のできるものではありません。

 以上の理由により、大阪市改革プロジェクトチーム「施策・事業案見直し(試案)」「男女共同参画センター管理運営」に関する見直し案に反対します。 

2012年5月1日

大阪の男女共同参画施策をすすめる会
連絡先 556-0005 大阪市浪速区日本橋5-15-2-110
  女性のための街かど相談室 ここ・からサロン内
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/024ac96ea82fbdfeb3956e19ef44809f

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さて、前回は、5月13日に行われた橋下徹大阪市長の「慰安婦」発言の読解の前提として、彼の「侵略」に対するダブルスタンダードがあることを指摘した。彼によれば、欧米諸国が日本を「侵略」国家というのは、本来は同じく植民地政策をともに行っているのであるから認めるべきではないことであるが、「敗戦国」であるから認めざるをえないとしているのである。それでも、事実と違うことで日本が非難されているならば、反論せざるをえないと主張している。他方、被害を与えたアジア諸国に対しては、お詫びと反省が必要なのだとしている。

橋下は、事実と違うことで非難されている事例として、「慰安婦」問題をあげている。橋下は13日午前の「囲み取材」において、「慰安婦問題」について、まず、このように述べている。

ただね、事実としては言うべき事はいっていかなくちゃいけないと思っていますから。僕は、従軍慰安婦問題だってね、慰安婦の方に対しては優しい言葉をしっかりかけなきゃいけないし、優しい気持ちで接しなければいけない。意に反してそういう職業に就いたということであれば、そのことについては配慮しなければいけませんが。

しかし、なぜ、日本の従軍慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるかというと、その当時、慰安婦制度っていうのは世界各国の軍は持っていたんですよ。これはね、いいこととは言いませんけど、当時はそういうもんだったんです。ところが、なぜ欧米の方で、日本のいわゆる慰安婦問題だけが取り上げられたかというと、日本はレイプ国家だと。無理矢理国を挙げてね、強制的に意に反して慰安婦を拉致してですね、そういう職に就職業に付かせたと。

レイプ国家だというところで世界は非難してるんだっていうところを、もっと日本人は世界にどういう風に見られているか認識しなければいけないんです。慰安婦制度が無かったとはいいませんし、軍が管理していたことも間違いないです。ただ、それは当時の世界の状況としては、軍がそういう制度を持っていたのも厳然たる事実です。だってそれはね、朝鮮戦争の時だって、ベトナム戦争だってそういう制度はあったんですから、第二次世界大戦後。

でもなぜ日本のいわゆる従軍慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるかというと、日本は軍を使ってね、国家としてレイプをやっていたんだというところがね、ものすごい批判をうけているわけです。

僕はね、その点については、違うところは違うと言っていかなければならないと思いますね。ただ意に反して慰安婦になってしまった方はね、それは戦争の悲劇の結果でもあるわけで、戦争についての責任はね、我が日本国にもあるわけですから。そのことに関しては、心情をしっかりと理解して、優しく配慮していくことが必要だと思いますけど。しかし、違うことは違うって言わなきゃいけませんね。
http://synodos.jp/politics/3894

ここでも、アジアと欧米とのダブルスタンダードは貫かれている。韓国などの慰安婦に対しては温かな言葉をかけなくてはならないとしている。しかし、日本の慰安婦制度は強制的なものではなく、その意味で同様な慰安婦制度をもっていたのであるから、日本だけが非難されるべきではないとしているのである。

そして、ここで、「日本の政治家」を次のように非難する。

日本の政治家のメッセージの出し方の悪いところは、歴史問題について、謝るとこは謝って、言うべきところは言う。こういうところができないところですね。一方のスタンスでは、言うべきとこも言わない。全部言われっぱなしで、すべて言われっぱなしっていうひとつの立場。もう一つは事実全部を認めないという立場。あまりにも両極端すぎますね。

認めるところは認めて、やっぱり違うところは違う。世界の当時の状況はどうだったのかという、近現代史をもうちょっと勉強して、慰安婦っていうことをバーンと聞くとね、とんでもない悪いことをやっていたとおもうかもしれないけど、当時の歴史をちょっと調べてみたらね、日本国軍だけじゃなくて、いろんな軍で慰安婦制度ってのを活用してたわけなんです。
http://synodos.jp/politics/3894

つまり、主張すべき点は主張せよというのである。

他方で、慰安婦については、謝罪すべきは謝罪せよと主張するのである。

ただ意に反して慰安婦になった方に対しては、配慮しなければいけないと思います。認めるところは認めて、謝るところは謝って、負けた以上は潔くしないと。自民党だって、すぐ武士精神とか武士道とかもちだすのに、負けたのにぐちゃぐちゃいったってしょうがないですよ。負けちゃったんですから。そこは潔く認めて。
http://synodos.jp/politics/3894

このように、橋下は、「慰安婦」問題でもダブルスタンダードを貫いているのである。韓国などの慰安婦には謝罪すべきは謝罪せよという。一方、欧米諸国を中心とする国際世論については、当時はどの国でも「慰安婦制度」があったのであるから、日本だけが悪いわけではないと主張すべきとしているのである。これは、侵略に対するダブルスタンダードを「慰安婦」問題に適用したものといってよい。そして、これは、極度に「普遍性」を排した相対主義的(機会主義といったほうがよいかもしれない)な主張であるといえよう。相手によって、主張が変わるのであるから。橋下自体はこのようなあり方を「プラグマティズム」と考えているかもしれない。

ただ、これは、橋下の頭の中でしか通用しないものともいえる。韓国の慰安婦については、「意に反してそういう職業に就いたということであれば、そのことについては配慮しなければいけません」といっている。いわば強制的に慰安婦にさせられた場合もあることを認めた上で、「配慮」せよと主張しているのである。他方で、2007年の閣議決定では、強制連行で慰安婦にされた証拠がないとして、次のように述べている。

証拠が出てきたらね、それは認めなきゃいけないけれども、今のところ2007年の閣議決定では、そういう証拠はないという状況になっています。先日、また安倍政権で新しい証拠が出てくる可能性があると閣議決定したから、もしかすると、強制的に暴行脅迫をして慰安婦を拉致したという証拠が出てくる可能性があると。もしかするといいきれない状況が出てきたのかもわかりませんが、ただ今のところ、日本政府自体が暴行脅迫をして女性を拉致したという事実は今のところ証拠に裏付けられていませんから、そこはしっかり言ってかなければいけないと思いますよ。
http://synodos.jp/politics/3894

慰安婦が強制連行された証拠がないという論理は、慰安婦は強制的なもの、いわば意に反して従事させられたものではなく(それ自身論理的飛躍があるが)、売春婦にすぎないのであって、謝罪も補償も必要ないという主張の根拠となっている。このような考えは、例えば自民党の稲田朋美なども主張しており、在日特権を許さない市民の会などのデモのヘイトスピーチにもよくみられる。慰安婦の強制性を認めないのであれば、なぜ橋下が慰安婦に温かい言葉をかけなくてはならないか、その理由がわからない。慰安婦の人びとも、橋下発言において慰安婦の強制性を認めないことを批判している。結局、「慰安婦」問題において、アジア向けと欧米向けで事実認定を変更して対応を変えるということは無理なのだ。

そして、慰安婦問題において強制性を認めないということは、次の難点を導き出すことになる。橋下は第二次世界大戦当時、世界各国において「慰安婦」制度が存在していたとしている。その根拠として、彼は、世界各国における「慰安婦」制度を例示することで根拠を示すのではなく、次のような形で正当化する。

そりゃそうですよ、あれだけ銃弾の雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときに、そりゃ精神的に高ぶっている集団、やっぱりどこかで休息じゃないけども、そういうことをさせてあげようと思ったら、慰安婦制度ってのは必要だということは誰だってわかるわけです。
http://synodos.jp/politics/3894

根拠というよりも、いわば「常識」(男性的偏見といったほうがよいかもしれない)によって「慰安婦」制度を「必要」なものとしているのである。ここで、「慰安婦」制度は「必要」という言説が出て来るのである。そして、この言い回しが、「常識」を根拠にしている限り、歴史的なものではなく、いわば超歴史的な「軍隊」において「必要」なものとして認識される可能性があることをここでは指摘しておこう。

これは、橋下が慰安婦を強制的なものではない「売春婦」として認識していることを示すものといえよう。しかし、これは、各国の軍隊における売春の実態について根拠を示すことがなく、それらを日本の慰安婦制度と同一視しているといえる。橋下は慰安婦を一般的な売春として認識しているから、そういう言い回しが成り立つ。世界亜各国の軍隊が買春をしていたのは事実であろう。しかし、それらを根拠も示さず、日本の「慰安婦」制度と同一視できるのか。軍隊が組織的に関与して多くの占領地で実施された日本の慰安婦制度と、例えば原則的には禁止され、建前では個人的な営為とされているアメリカ軍における売春と同様なものなのであろうか。さらに、それではなぜ慰安婦に「温かい配慮」をしなくてはならないのか。そういう問いが惹起されるのである。

そして、午後(退庁時)の囲み取材において、「慰安婦」問題に関連して、「米軍に風俗利用をすすめる」発言がとび出すことになった。これについては後述していこう。

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さて、2013年5月13日、橋下徹大阪市長が大阪市役所における「囲み取材」にて「慰安婦」発言を行い、それに対し、韓国・中国・アメリカを含めた内外から多くの批判を浴びるという事件が発生している。

このことについて、ずっと関心があった。しかし、どのような形で論じるべきかわからなかった。経過をおうことは新聞が行っているといえる。また、批判についても、それぞれの立場ですでに行われている。

しかし、橋下自身も主張しているように、そもそも、橋下の発言自体がどのようなものであったか、それを発言自体に忠実に「読解」しているものはあまり多くないようにみえる

幸い、SYNODSというサイトで、発端となった5月13日の囲み取材の応答を詳細におこしたものがある。私も、この囲み取材の動画をみたが、大体、このように述べているように思われる。これを参考に、5月13日の午前と午後の「囲み取材」で行われた橋下の「慰安婦」発言について「読解」してみよう。

まず、「慰安婦」についての発言は、5月13日午前(市長登庁時)の次の応答からはじまっている。

―― 村山談話ですが、自民党の高市さんが侵略という言葉はどうかと批判的なことをおっしゃっていましたが、安倍首相も侵略についてはっきりと???(聞き取れず)ですが、植民地支配と侵略をお詫びするという村山談話については。

侵略の定義については学術上きちんと定義がないことは安倍首相が言われている通りです。

第二次世界大戦後、事後的に、国連で安保理が、侵略かどうかを最後に判定するという枠組みが決まりましたけれども。侵略とはなにかという定義がないことは確かなのですが、日本は敗戦国ですから。戦争をやって負けたんですね。そのときに戦勝国サイド、連合国サイドからすればね、その事実というものは曲げることはできないでしょうね。その評価についてはね。ですから学術上さだまっていなくてもそれは敗戦の結果として侵略だということはしっかりと受け止めなくてはいけないと思いますね。

実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いないですからその事実はしっかりと受け止めなくてはならないと思います。その点についても反省とお詫びというものはしなくてはいけない。
http://synodos.jp/politics/3894

もはや、ほとんどの人が忘却しているが、橋下の「慰安婦」発言は、記者の侵略戦争についての「村山談話」についてどのように思うかという質問に答えたところからはじまっており、本来は、日本の過去の侵略戦争総体をどう考えるかということがテーマであった。

この質問に対する橋下の回答は、かなり不思議である。まず第一に安倍首相の発言を引き継ぎ「学術上侵略という定義はない」と答えている。この言い方からすれば、日本がアジアを侵略したということを認めない文脈になるだろう。

しかし、第二には、「敗戦国」であるから日本が侵略したということを認めなくてはならないとしている。

そして第三に、「実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いない」から反省とお詫びをしなくてならないとしているのである。

通常は、「実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いない」から、「侵略」に対するお詫びと反省をするということになるだろう。ここで、それとは逆に、橋下は、「侵略」という定義自体が明確ではないのだが、敗戦国である以上「侵略」ということを認めざるをえず、ゆえに「反省」と「お詫び」をするという論理構造になっているのである。橋下は「侵略」という事実から出発するのではなく、「敗戦」という事実から「侵略」という認識を認めざるをえないとしているのである。

なぜ、「敗戦」という事実を前提に日本が侵略したという事実を認めなくてはならないのだろうか。この応対のやや後の方で、橋下はこのように述べている。

それから戦争責任の問題だって敗戦国だから、やっぱり負けたということで受け止めなきゃいけないことはいっぱいありますけど、その当時ね、世界の状況を見てみれば、アメリカだって欧米各国だって、植民地政策をやっていたんです。

だからといって日本国の行為を正当化しませんけれども、世界もそういう状況だったと。そういう中で日本は戦争に踏み切って負けてしまった。そこは戦勝国としてはぜったい日本のね、負けの事実、悪の事実ということは、戦勝国としては絶対に譲れないところだろうし、負けた以上はそこは受け入れなきゃいけないところもあるでしょうけど。

ただ、違うところは違う。世界の状況は植民地政策をやっていて、日本の行動だけが原因ではないかもしれないけれど、第二次世界大戦がひとつの契機としてアジアのいろんな諸国が独立していったというのも事実なんです。そういうこともしっかり言うべきところは言わなきゃいけないけれども、ただ、負けたという事実だったり、世界全体で見て、侵略と植民政策というものが非難されて、アジアの諸国のみなさんに多大な苦痛と損害を与えて、お詫びと反省をしなければいけない。その事実はしっかりと受け止めなけれないけないと思いますね。
http://synodos.jp/politics/3894

橋下によれば、アメリカを含む欧米各国は植民地政策をとっており、日本だけの問題ではなかったが、敗戦することで「負けの事実、悪の事実」を認めさせられたということになるだろう。つまり、本来、アメリカなどからする「侵略」という規定は認める必要がないのだが、「敗戦」し、勝者の価値観を受け入れざるをえないから「侵略」という規定を認めざるをえなかったというのである。

では、他方、アジア諸国に対してはどうだろうか。ここでも「アジアの諸国のみなさんに多大な苦痛と損害を与えて、お詫びと反省をしなければいけない。」としている。

つまり、橋下は、「侵略」ということに対して、ダブルスタンダードでいるといえよう。アメリカを含む欧米諸国に対しては、同じく植民地政策をとっていたので、本来、日本だけが侵略したということを認める必要がないが、敗戦国だからしかたなく認めるとしている。他方で、実際に被害を与えたアジア諸国については、お詫びと反省をいうというのである。このようなダブルスタンダードは、後述するように「慰安婦」問題への言及に貫かれているのである。

では、「敗戦国」だから、アメリカなどからの批判をすべて受け入れるのか。橋下は、次のように言っている。

ただ事実と違うことでね、我が日本国が不当に侮辱を受けているようなことに関しては、しっかり主張はしなくては行けないと思っています。だから敗戦国として受け入れなければいけない、喧嘩っていうはそういうことですよ、負けたんですから。
http://synodos.jp/politics/3894

「事実と違うことでね、我が日本国が不当に侮辱を受けているようなことに関しては、しっかり主張はしなくては行けない」と橋下は主張しているのである。その事例として、「慰安婦」問題を橋下はとりあげたといえよう。「慰安婦」問題についての詳細は、後に詳述するつもりである。ただ、「慰安婦」発言は、日本の侵略総体をどうとらえるかということを前提にしており、それに対する橋下の回答は、アジア/欧米のダブルスタンダードを中心にしているといえよう。

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総選挙後、その動静が気になって、大阪市長橋下徹のツイッターを覗いてみた。

まず、目に飛び込んできたのが、2012年12月30日付のツイッターでのせていた、大阪市役所の昼休みに音楽放送を廃して「サービス向上」スローガンを放送するとした橋下市長の提言である。時系列的に整理して、ここでその内容を紹介しておこう。

ツイッターで色々な情報提供を頂きました。いやー、ツイッターの威力は凄い。天王寺動物園が年末年始休んでいる、大阪城天守閣も正月休み・・・・・年明けから、事業サービスの一斉チェックをやる旨を幹部に指示しました。まずは体制を組みます。
この辺は役所の意識改革ですね。サービス業であることの意識を来年から徹底してきます。今年は、大阪都構想、地下鉄の民営化、大学・病院統合をはじめ、制度改革・補助金改革にエネルギーを注いできました。しかし改革の本質はサービス向上。来年はサービス向上も徹底していきます。
そのためにも、役所の意識改革を迫らなければなりません。今、大阪市役所は、お昼になると変な音楽が庁舎内に流れます。それを止めて、来年から組織のスローガンを流していきます。候補を考えるように指示をしました。
来年から毎日お昼に庁内に流すスローガン候補は以下の通り。1、役所事業はサービス業であることを意識せよ、2、前例がないからできないは言わない。3、担当が違いますは言わない、4、朝礼はやっていますか? 民間だったら当たり前のこと。皆さんもからもご意見下さい!http://twilog.org/t_ishin/asc

つまり、橋下市長としては、「改革の本質はサービス向上」として、市役所職員の意識改革が必要であると述べ、そのために、昼休みの「変な音楽」放送を廃止して、「組織のスローガン」を放送で流すことを提案したのである。そして、現在のところ、そのスローガン候補として「1、役所事業はサービス業であることを意識せよ、2、前例がないからできないは言わない。3、担当が違いますは言わない、4、朝礼はやっていますか? 民間だったら当たり前のこと。」と四つをあげている。

この大阪市役所の昼休みに流れる「変な音楽」の内容については、今ひとつ明らかではない。ネットによれば、「大阪市歌」という説もあるし、島倉千代子の「小鳥がくる街」(大阪市の緑化を願った歌で、大阪市のごみ収集車がならしているそうである)という説もある。

橋下徹市長の提言は、真正面から考えてみると、かなりの問題をはらんでいる。そもそも、昼休みは勤務時間ではない。昼休みにしかこれない市民もいるので、順番で窓口当番の職員はいるが、勤務時間ではないのである。厚生労働省のサイトは明確に次のように指摘している。

Q 私の職場では、昼休みに電話や来客対応をする昼当番が月に2~3回ありますが、このような場合は勤務時間に含まれるのでしょうか?

A まず“休憩時間”について説明します。休憩時間は労働者が権利として労働から離れることが保障されていなければなりません。従って、待機時間等のいわゆる手待時間は休憩に含まれません。
 ご質問にある昼休み中の電話や来客対応は明らかに業務とみなされますので、勤務時間に含まれます。従って、昼当番で昼休みが費やされてしまった場合、会社は別途休憩を与えなければなりません。

Q 休憩時間は法律で決まっていますか?

A 労働基準法第34条で、労働時間が
 6時間を超え、8時間以下の場合は少なくとも45分
 8時間を超える場合は、少なくとも1時間
の休憩を与えなければならない、と定めています。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/roudoujouken02/jikan.html

つまり、昼休みは「休憩時間」なのであり、「労働者が権利として労働から離れることが保障されていなければ」ならないのである。いわゆる、このような「労働スローガン」を流すことは、「権利として労働から離れること」を甚だしく逸脱しているであろう。確かに、勤務時間においては上からの指示に服すことが必要とされるであろうが、勤務時間外まで拘束される必要はないのである。

もちろん、どのような放送を流そうと、職員は別に聞く根拠がない。窓口当番の職員以外は、別に庁舎内にいる必要はない。しかし、この手のことを導入すると、どんどん事態は悪化するだろう。スローガンを聞かないで外出する職員をチェックするなどして、このスローガンをてこに、休憩時間における職員の拘束が強まることになることが懸念される。結局は、「休憩時間」が「不払い労働」時間となってしまう恐れがあるのである。

もう一つ、問題なことは、この「スローガン」放送は、職員だけでなく、昼休みに来庁してきた市民も聞くことになるが、それ自体は、全く「サービス向上」に合致しないということである。この「スローガン」放送は「サービス向上」を目的としているそうだが、昼休みに市役所に行くだけで「役所事業はサービス業であることを意識せよ」というスローガンを聞かされる市民はたまったものではない。大体、職場に「組織のスローガン」を流すというのは、ヒットラー政権下のナチス・ドイツか、スターリン政権下のソビエト連邦か、いかにも「全体主義国家」としか思われないものであり、「悪趣味」としかいいようがない。大阪市民でなくても、かなり恥ずかしい。大阪市民は、そんなものを聞く必要はない。にもかわらず、昼休みに市庁舎に行けば、このような「スローガン」が流れ、聞かされるはめになるのだ。

「サービス業」で、こんなことをしている民間企業があるのか。「東京ディズニーランド」で「サービス業であることを意識せよ」というスローガンを流したら、それだけで集客が落ちるだろう。橋下徹市長の「民間だったら」というのは「民間のブラック企業だったら」の間違いだと思うのだが、例えば、「民間のブラック企業」として悪名高い外食・居酒屋チェーンの「ワタミ」でも、さすがにそのようなことはしていないだろう。別に、労働者のことを思ってではない。そのようなことは「サービス」業のあり方に反するからである。橋下市長は、とても「民間」ですらありえないことを強要しているのである。

さすがに、橋下市長の提案については、「それは全て朝礼でやればいいこと、休憩時間にスローガンを放送するのはいかがなものでしょうか?」という反応があった。それに対して、橋下市長は、

何と朝礼、公務員の世界では超過勤務手当が発生するからできないというバカな議論があるのです。来年からは大阪市は朝礼は問題なしと言う認識で行きます。
http://twilog.org/t_ishin/asc

と答えている。勤務時間前の「朝礼」もまた勤務時間外であり、朝礼に来ることを強制するならば、超過勤務手当が必要になることはいうまでもない。

日本維新の会の支持者であれば、こういう「スローガン」が流されることにそれなりの感慨をもつかもしれない。橋下市長としては、「改革に真剣に取り組んでいる」というポーズを支持者たちに示すことができると考えているかもしれない。しかし、「役所事業はサービス業であることを意識せよ」というお題目を流すことは、全く、市民へのサービスを拡充することではない。

橋下市長が就任する以前、大阪市役所では、昼休みにも「市民サービス」につとめていた。「大阪市政だより」2010年2月号では、このような催しが予告されていた。

■シティホールコンサート・音楽の通り道
お昼休みのひとときに大阪市音楽団がお贈りするコンサート。2月26日(金)木管三重奏、3月5日(金)サクソフォン・アンサンブル、3月12日(金)金管五重奏、3月26日(金)木管四重奏。いずれも12:20~12:50、市役所本庁舎正面玄関ホール(地下鉄淀屋橋1号出口)。(問)大阪市音楽団 電話:06-6947-1195 Fax:06-6947-5731
http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu010/shiseidayori/22.02/bbs/bbs_moyosi.htm

この大阪市音楽団は、大阪市営の吹奏楽団であったが、橋下市長から市営事業としては廃止する方向性が打ち出され、結局、市営事業としては廃止(2013年度末)が決まり、どのような形で存続するかについて現在模索中のものである。ある意味で、橋下市長が登場する前の大阪市役所は、昼休みであっても市民サービスにつとめていた。橋下市長は、市営事業としての大阪市音楽団を廃止することで、昼休みにおいて大阪市役所が実施していた「市民サービス」を実質的に削減したといえる。そして、「役所事業はサービス業であることを意識せよ」というスローガンを市民に聞かせることで、さらに「市民サービス」を低下させようとしているといえるのである。

橋下市長には、何も期待しない。しかし、大阪市民は、橋下市長によって「役所事業はサービス業であることを意識せよ」というスローガンを聞かされることは、全く「市民サービス」に逆行しているという現実を直視してほしいと思う。なお、このようなことは、同様の首長のもとにいる私も含めた東京都民にもいえるのであるが。

追記:なお、同じ頃、天王寺動物園を元旦に開くということを橋下市長は提言をしている。そのことについては、次のサイトを参照してほしい。ひと言いえば、1月1日より動物園を開けと主張していた橋下市長のツイッターは31日で終了、1・2日は休んで、3日に片山さつきの生活保護者への「苦情」を受けて再開している。橋下市長でも元旦は休みなのであるということをここで強調しておきたい。

http://hatarakikata.net/modules/morioka/details.php?bid=224

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先週、官邸前抗議行動について、野田首相が抗議側の代表と会うと意志表明した(結局、2012年8月8日を予定していたが、政局によって延期された)。

このことは、いろんな意味で波紋をよんだ。その一つとして、ここでは橋下徹大阪市長が8月5日にツイッターで表明した脱原発デモについての意見を検討しておこう。

橋下徹については周知の人物といえる。彼の大阪府知事・大阪市長としての強引な政治は、確かに一部の熱狂的な支持を得つつも、他方で、強く反対する人びとをうんでいる(ここでは「強引な政治」と書いているが、それでは過小評価であろう。しかし、このことを中心に批判する文章ではないので、このような表現をとっていることをご承知されたい)。一方で、大飯原発再稼働については抵抗の意志を示しており、夏期の計画停電を根拠にして再稼働を認めたものの、長期的においては「脱原発」の旗を下ろしてはいないのである。

そのような橋下が、官邸前行動やデモなどをどのようにみているのか。8月5日のツイッターは、そのことをよく示している。

彼は、まず、被災地がれきの広域処理について、大阪市役所などで抗議デモがありながらも、世論調査では9割が賛成していると指摘し、このように問いかける。

しかし国民全体では9割が賛成。このギャップは何なのだろうか。政治家は目の前の一部の団体などの声に左右されやすい。数千人の声が集まるとそれが有権者全体の声と錯覚してしまう。官邸前・国会前の反原発デモは、本当に国民全体の声なのだろうか。デモだけで政治判断するのは危険である。
もちろん国民・有権者の声を限りなく聞く姿勢は重要である。しかし参考にする声を、目の前の大きな声を軸にするのは危険である。国民全体の声を見誤る。確かに議会が本当に有権者の声を反映しているのか疑念はある。しかしだからと言って議会を補完するためにデモがあるというのは短絡過ぎる。
http://twilog.org/t_ishin/asc

なかなか、微妙な言い回しである。橋下は、国民・有権者の声を限りなく聞く必要があることを認めている。別のところでは、自分自身をポピュリズムであるといっている。そして、議会が本当に有権者の声を代表しているのかということにも疑念を表明している。しかし、目の前のデモなどの大きな声によって政治判断することは危険であるとし、デモが議会を補完するという機能があるのではないかということすら短絡的と断じている。

そして、橋下は、やはり議会の声に有権者の声の反映を求めていく。

むしろ議会の声とデモ的な声、つまり一部の大きな声が重なることも多い。つまり議会の声もデモの声も、有権者の多数の声を反映していないことが多い。議会がダメだからデモだとはならない。結局、有権者の声は何なのか、誰も計りようがない。ゆえに議会の声が有権者の声と擬制せざるを得ない。
http://twilog.org/t_ishin/asc

これは、なかなか意味深長な発言だ。橋下は、有権者の声など誰も計りようがないとしつつ、「ゆえに議会の声が有権者の声と擬制せざるを得ない」と述べている。有権者ー議会の代表関係は「擬制」であるのである。

その上で、橋下は自身の行ってきた強引な政策運営を有権者の声に基づいたものとし、朝日新聞などの批判的論調は、有権者の声をつかみそこなっているものとしている。

朝日新聞や毎日新聞は、この点、多くの有権者の声を掴み損なうことが多い。ほかの新聞社もだけど。学力調査の市町村別結果公表、君が代起立条例、職員入れ墨調査などの公務員規律強化、教育委員会制度、それと文楽をはじめとする文化行政の在り方。枚挙にいとまがない。
結局新聞などに寄せられる自称インテリ層の意見は、国民総数からするとほんの少しの意見なのに、新聞紙面には多くを占める。いわゆるデモと似ている。新聞の自称インテリ層の意見が、国民大多数の意見だと見誤るとえらい目に遭う。もちろん、数だけが全てではないことは分かっている。
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つまり、彼が一般的に批判されている諸政策は、多くの有権者の声に基づいており、新聞などに出てくる意見は少数意見で、デモもそれと似ているというのである(なお、脱原発デモに参加している人びとは、新聞や放送局がいかにデモを報道しないかをよく知っている。)。その根拠は何か、有権者の声を擬制しているとされる「議会」に基づいているからである。

そして、橋下は、こう主張する。

しかし政治行政の本質は多数の意見で進めることだ。ポピュリズムと軽蔑されようがなんであろうが、民主制とはそういうものだ。それが嫌なら、民意を軽蔑する、賢人政治にするしかない。そんな政治はまっぴらごめんだ。賢人などいるわけがない。民主制は完ぺきではないがそれに替わる政体はない。
(中略)
有権者全体の民意を探りながら、民意の大きな方向で全体が良くなるように最善を尽くす。民意べた寄りでもない。ここが難しい。しかし目の前の大きな声新聞を占める自称インテリの声、これだけに左右されては見誤る。原発依存度を下げて行こうという国民全体の声は官邸前のデモの声を聞かなくても分かる。
http://twilog.org/t_ishin/asc

多数意見で政治を行おうとする点で、彼はポピュリズムを自認している。しかし、それは、新聞やデモではなく、「有権者」の民意などである。なぜ有権者を表に出してくるのか。それは、橋下は、自身が多くの有権者の支持を得て当選したという自負があるからである。そして、あのような強引な政策を、批判をかえりみず行う正当性もまた、この有権者の多数の支持を得ているという点に求めているといえよう。

デモについては、軽視することはさけながらも、デモの中でも意見がまとまっているわけではなく、国民の代表の声であるかどうかもわからないとして、議員が力を発揮すべきであると主張している。

デモを軽く扱えということではない。原発についての国民の声の動きとして、大変参考になる。大きな民意の動きとして大変参考になる。ただデモに参加している個々人の意見が皆まとまっているわけではない。デモの中の誰の意見を参考にするのかというのは大変難しい。だからこそ議会制民主主義がある。
国民全体の声、官邸前のデモの動きを汲みながら、政治は早急にその流れの中で最善の策を構築すべきだ。デモの代表者と協議をしてもそれが国民の代表の声かどうかはわからない。こういうときこそ議員が力を発揮すべだ。って言うのは理想かな。
http://twilog.org/t_ishin/asc

その上で、脱原発デモに対して、こう呼びかけた。

官邸前のデモの代表者が首相と会談するとのこと。デモ側は、最低限、代表者に権限を与えて、デモの代表者であることは確定すべきだ。この代表者が首相と会談した後、別の者が俺の考えは違うから首相に合わせろとなれば収拾がつかなくなる。
僕らは自分の思いを実現するために選挙を通じて多数議席を獲得してきた。想像を絶する労力が必要だ。メディアからも散々批判を受けた。朝日新聞、毎日新聞は選挙を通じての多数獲得には容易に独裁批判を展開するのに、デモで自分の考えを実現しようとすることは市民運動として拍手喝采となる。
おかしい。官邸前のデモの皆さん、皆さんの運動自体は否定しませんが、やっぱり最後は選挙で変えていくしかありません。次回の衆議員総選挙はエネルギー政策も最大の争点になるでしょう。デモのエネルギーを、選挙にぶつけて下さい。
http://twilog.org/t_ishin/asc

前段は、デモ側が首相と会う代表者に代表権委任せよという話だ。しかし、そもそも「脱原発」という主張をするために、官邸前・デモに寄り集まってきた人びとにどのように代表権委任ができるのだろうか。むしろ、弁護士出身の橋下が、「代表権委任」という概念に固執していることを意味しているのだろうと思う。

後段は、自分たちは努力してきて議会で多数を獲得してきた、デモ側も選挙で変えていくことが本道ではないかと主張しているのである。ここにおいて、橋下の論理がよくわかるといえる。彼は、選挙で勝って、公選首長や議会の多数派を獲得することにより、有権者の多数意見は判明すると考えているといえる。その意味で、マスコミもデモも、そのような有権者の多数意見とは無関係なものとして捉えているといえよう。

このように、橋下の意見は、自身もまた依拠している公選制に基づいた「議会制民主主義」の枠から一歩も離れていないことがわかる。橋下は、デモなどの直接民主主義的実践は、議会制の補完物ですらなりえないのだ。彼にとって、政治は公選された代表者たちの執り行うものであり、もし、それがいやならば、橋下自身と同様に自分たちのグループを選挙によって公選された代表者たちの中に送り込んむしかない。橋下にとっては、有権者の声とは、擬制であるとしつつも、議会の声でしかないという認識をもっている。そして、公選された代表者たちは、多数の有権者の支持を得ているのであって、それに基づかない新聞世論やデモは、「小さな声」でしかないのである。その意味で、脱原発を主張している橋下が、野田首相の政治姿勢を評価したと報道されていることが、よく理解できるといえよう。

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