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東日本大震災で、津波被災の現状を撮影した写真・動画をたくさんみかける。でも、なんというか、自分が見た被災地とはどうもしっくりあわない。もちろん、報道においても、私においても、被害地の本当の悲しみ、苦しみなどはわかりようはない。しかし、それでも、なんだろうか……外部からみた場合でも、何か大事なものが落ちているような気がするのである。

例えば、4月9日、私自身が撮影しブログにのせた福島県相馬市松川浦の被災状況について撮影した写真を例にとって考えてみよう。その際、複数の写真を撮影したが、ブログには次の写真しか載せなかった。

相馬市松川浦①

相馬市松川浦①

この写真を載せるのには結構葛藤があったのだが…それにしても、この写真を選択したこと自体、鑑賞者の目を気にした私なりの美意識があっただろう。つまりは、「迫力ある写真」ということで、わざわざ望遠レンズで乗り上げたヨットという点景を撮影したものを被災状況全体を代表する写真としているのだ。

もちろん、一般的に報道の場で流通する写真は、私の写真などより百倍素晴らしい写真である。しかし、その多くは、点景を写した写真に過ぎない。乗り上げた舟、基礎以外流失した家屋は、どこにいっても、それこそ山と存在していた。それぞれが被写体になりうるのである。しかし、むしろ、そのような被写体になりうるものが、万として存在したということ、それが、外部者の視点でも理解できる、津波被災の大きさなのではないか。

そこで、今ならば、私は、相馬市松川浦の被災写真としては、次の写真を選ぶだろう。

相馬市松川浦の被災②

相馬市松川浦の被災②

この写真では、前の写真で中心であったヨットは、あまり目立たない。一方で、ヘドロにまみれた水田、そこに点在する木の根、そして、もはや水田と区別がつかなくなった松川浦が写っている。つまり、点や線ではなく、面なのだ。目路にみえる風景全体が、津波被災地なのだ。津波被害の深刻さとはそういうものだといえる。これをみて、復旧・復興のままならないことを肌で感じた。

少なくとも報道においては、写真で語るとはいかなくても文章において、津波被災の巨大さ、復旧・復興の困難さが語られなくてはならないと思う。しかし、現実には、津波の「点景」にこだわっているのではなかろうか。

むしろ、グーグルの航空写真のほうが、津波被災の巨大さがわかるといえる。

この航空写真でみても、松川浦と水田は区別がつかない。復興・復旧とは、海と陸を分けることから始まるだろう。まるで「天地創造」である。

さらに、被災を受けた地域だけではなく、それほど被災していない地域もあるのだということも理解されなくてはならない。今までの二枚の写真は、国道六号線の相馬バイパスから海側をとった写真であるが、その山側には、このような情景が展開されていた。

相馬市松川浦の景況③

相馬市松川浦の景況③

津波は、大体相馬バイパスでとまった。その山側には、緑の農耕地と津波に被災していない集落が存在していた。あまりのギャップに驚いたのである。

あまりにも容易に注目できることだけではなく、その背後にあるものを想像力でせまること、それが本来報道に求められていることではないかと思う。

次回以降、「その背後にあるものを想像力でせまること」の例として、実際にはほとんど見ていない宮城県とりわけ女川町の被災状況を、統計や被災地図などで考えてみたいと思っている。

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