Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘国民国家’

1月7日、フランスの週刊誌シャルリー・エブドがイスラム教の預言者ムハンマドを侮辱した漫画を掲載してきたとして、ムスリムのアルジェリア系フランス人の兄弟2人に銃撃され、12人が犠牲となり、逃亡した2人の容疑者も、逃亡してパリ近郊の工場にたてこもったあげく、射殺された。犠牲者の一人である漫画家のジョルジュ・ウォリンスキ氏はチュニジア生れのユダヤ人で1940年に移住してきたという。また、この事件では、アルジェリア系移民の家庭で生まれたイスラム教徒の警官も犠牲になった。関連して、ムスリムのマリ系移民によりフランスの警官が殺害され、ユダヤ人のスーパーに立てこもり、人質4人が犠牲となり、容疑者も射殺された。

この銃撃事件について、アルカイドもしくはイスラム国などのイスラム過激派の関与があったとされている。それは、たぶん、そうだろう。ただ、シャルリー・エブド銃撃事件については、単なるイスラム過激派が起したテロ事件というにとどまらず、前述したように、ムハンマドを侮辱した漫画を掲載したということへの報復という側面も見受けられる。銃撃したのは、アラブ人などではない。フランスの植民地であったアルジェリア系のフランス人なのである。そして、既述のように、被害者には、アルジェリア系や同じくフランスの植民地であったチュニジア系の人びとが含まれている。

では、どんな「漫画」を掲載していたのか。ハフィントンポストが一部紹介している。著作権で保護されていると思うので、下記のサイトで画像をみてほしい。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/07/4-cartoonists-killed-charlie-hebdo_n_6433584.html

このサイトでは、「シャルリー・エブド」の編集長に就任したとして「笑いすぎて死ななかったら、むち打ち100回の刑だ」とつぶやいている「ムハンマド」(掲載直後に事務所に火炎瓶が投げ込まれた)、同性愛者として描かれている「ムハンマド」(イスラム教では同性愛はタブーとされている)が紹介されている。また、ヌード姿の「ムハンマド」を掲載したこともあった。さらに、ハフィントンポストは次のように伝えている。

シャルリー・エブド紙は2006年、「原理主義者に悩まされて困り果てたムハンマド」という見出し付きで、すすり泣くムハンマドの漫画を掲載し、物議をかもした。同号にはさらに、預言者ムハンマドの風刺画が12枚掲載され、イスラム世界からかつてないほどの批判が寄せられた(これは、もともとはデンマークのユランズ・ポステン紙が2005年に発表して問題になった預言者ムハンマドの風刺漫画を掲載したものだった)。

最終的には、フランス国内に住む500万人のイスラム教徒を代表する組織「フランス・イスラム評議会」が、同週刊紙を訴える事態となった。この号がきっかけとなって、シャルリー・エブド紙はテロリストの攻撃対象としてみなされるようになったと考えられている。

さらに最近の号では、イスラム国が預言者ムハンマドの首を切るマンガを掲載していた。

まず、これは一般的な知識だが、イスラム教では、いかなる意味での偶像崇拝を禁止するという点から、宗教的な場では神やムハンマドだけでなくすべての具象表現が禁止されている。その意味で、単に「ムハンマド」を画像として表現すること自体が、「反イスラム」的とみなされるといえるだろう。

そして、そういうことを度外視してこれらの漫画をみても、なぜ、これほど、ムハンマドに侮蔑的なのかと思う。報道されているイスラム国やタリバーンなどの状況は、もちろん批判されねばならない。このシャルリー・エブド銃撃事件自体も含めて、テロや戦争などの暴力、排他主義は認めてはいけない。しかし、これらことへの責任をムハンマドに直接問うべきものなのだろうか。そして、これらの漫画は、イスラム国やタリバーンなどとは無関係であるイスラム教を信ずる多くの人びとを傷つけることになるだろう。ハフィトンポストでは、暴力的なものも含めて、シャルリー・エブドに対してさまざまな抗議がなされてきたことが報道されている。

そして、シャルリー・エブドの編集長ステファヌ・シャルボニエ(通称シャルブ。本事件で死亡)とジャーナリストのファブリス・ニコリーノ(本事件で負傷)は、フランスの新聞ルモンドに、彼らへの批判に対する反論を2013年11月20日に寄稿している。あるサイトで翻訳されていたので、一部紹介しておこう。

まず、この反論では、自分たちはレイシズムではないと強調している。彼らは反レイシズムと全人類の平等を信奉しているとし、1968年の五月革命の申し子であり、右派のドゴール主義者たちの権力と戦い、批判的な精神を育ててきたという。そして、今でも、右派やレイシズムへの闘士であると自己規定しているのである。

シャルリー・エブドはむかついている。信じがたい中傷がどんどん広まっているという話が毎日のように聞こえてくる。シャルリー・エブドはレイシストの雑誌になったというのだ。
(中略)
改めて云うのも恥ずかしいぐらいだが、反レイシズムと全人類の平等に対する情熱がシャルリー・エブドの土台の約束事であり、これからもそれが変わることはない。
(中略)
それ以外の、基本的な価値観をまだ尊重しているひとのために、シャルリー・エブドの歴史について少しお話しよう。1970年当時のけったいなドゴール主義の権力によって週刊ハラキリが発行禁止になった後に創刊されたシャルリー・エブドは、1968年5月革命の子供である。これは自由と不遜な精神の子供で、カヴァンナ[創設者のひとり、2014年没]、カビュ、ウォランスキー[ふたりともテロで殺害]、レゼール、ジェベ、デルフェイユ・ド・トンといった明確なポジションをもった人々の手によって生まれたものだ。
まさか今からさかのぼって彼らに対する裁判を行おうとするひとはいるまい。1970年代のシャルリー・エブドのおかげで批判的精神を育てることができた世代があった。それはたしかに権威と権力者を馬鹿にしていた。ときには大口を開けて世界の不幸を笑うこともあったが、そのようなときにもいつも必ず人類とその普遍的な価値を弁護していた。
(中略)
右派を擁護しようと考えるものはシャルリー・エブドのなかにはだれもいないし、右派とは徹底的に戦うつもりだ。いろいろな姿をもつが実はひとつでしかないファシズムについては、もちろんこの連中をいちばんの敵であると考えている。それにこういう手合こそシャルリー・エブドに対する裁判を起こしてばかりいるのだ。
(中略)
どこにそのレイシストやらが隠れていると云うのだ。何も恐れることなく、私たちは永遠に反レイシズムの闘士であると云うことができる。党員証をもっているわけではないが、私たちはこの領域を自らの陣営とし、当然決してこれを変えるつもりはない。もしひょっとして(そんなことは起きるはずがないが)シャルリー・エブドにレイシスト的なことばやイラストが掲載されることがあったら、私たちはすぐに大騒ぎをしてここから出て行ってやる。当たり前だよ。
http://fukuinei.tumblr.com/post/107688280067

そして、なぜ、「イスラム教」とターゲットにするのかということについては、このように説明している。

しかしここで、いったいなぜなのか、理由を知らなければならない。なぜこんな馬鹿げた考えが伝染病のように広がっているのか。シャルリー・エブドはイスラモフォビアだと中傷者は云う。彼らのニュースピークでレイシズムという意味だ。ここでいかに知性の退化が広がっているのかがわかる。

もちろんシャルリー・エブドは同じ路線をつづける

40年前には、宗教でさえ罵り、憎悪し、侮辱するのが避けては通れない道だった。世界の動きを批判しようとするものは、必ず主な聖職者の大きな権力を問題にしなければならなかった。しかしある種のひとの云うことを聞くならば(この種のひとがたしかにどんどん増えてきているのだが)、今日ではこの問題については沈黙するべきなのかもしれないという。
シャルリーがローマ教皇の信奉者のイラストをたくさん表紙に使うのはまだいい。でもインドネシアにまで広がる地球上の数えきれない国の旗印であるイスラム教は、使わない方がいいのだそうだ。いったいどうしてだろう。イデオロギーを別とした場合、本質的なものとして、たとえばアラブ人であるという事実とイスラム教に帰属するということにどのような関係があるのだろうか。
もちろんシャルリー・エブドは、見て見ぬふりをすることをせず、同じ路線をつづけていく。たとえ1970年当時よりも今のほうが困難だとしても、シャルリー・エブドは、気に入ろうと気に入るまいと、司祭、ラビ、イマームのことを笑いものにしつづける。今や私たちは少数派なのだろうか。そうかもしれないが、ともかく私たちはこの雑誌の伝統を誇りに思っている。シャルリー・エブドはレイシストだと云う人々は、少なくとも名前を明かして公然と発言する勇気をもってほしい。そうしたらお答えできるでしょう。
http://fukuinei.tumblr.com/post/107688280067

ここに、イスラム教とその象徴であるムハンマドを攻撃する理由が開示されている。彼らのドゴール主義者への戦いは、フランスのカトリック聖職者への戦いでもあった。これは、それこそ40年前どころではなく、フランス革命の時代にまでさかのぼるアンシャンレジームの一角をしめる教権主義への戦いであり、共和国フランスにおける「世俗派」の歴史的伝統である(このような問題については、ピエール・ノラ編、谷川稔監訳の『記憶の場 フランス国民意識の文化=社会史』を参照されたい)。そして、欧米の近代国民国家は、さまざまな違いはあれ、おおむね政教分離を達成してきている。その意味で、教権主義への戦いは「進歩」的なものととシャルリー・エブド関係者は認識している。この反論で「イデオロギーを別とした場合、本質的なものとして、たとえばアラブ人であるという事実とイスラム教に帰属するということにどのような関係があるのだろうか」といっているが、これは、アラブ人をフランス人、イスラム教をカトリックに置き換えれば、意味が理解できよう。現代のフランスにおいて、フランスという政治共同体を組織することは、カトリックを信奉することとは別である。そして、このような政教分離は、アラブ人も達成しなくてはならないということになる。さらに、イスラム教というイデオロギーを批判しているのであり、「アラブ人」という人種を問題にしていないということにもなろう。いわば、「宗教」という「蒙」を「啓発」する「啓蒙」の立場に立っているのであり、「レイシズム」ではないということでもある。彼らは、自身の行なってきたフランスのカトリック聖職者への戦いに重ねあわせながら、イスラム教とその象徴であるムハンマドを攻撃しているといえよう。フランス人のユーモアについてはわからないが、彼らがムハンマドへの攻撃に情熱をそそぐ理由は理解できなくはない。

そして、シャルリー・エブドは、このような攻撃が可能になる根拠として、次のように言っていたとハフィトンポストは伝えている。

シャルボニエ氏はAP通信に、預言者ムハンマドを風刺する漫画の掲載決定について次のように主張した。「ムハンマドは私にとって聖なる存在ではない。イスラム教徒がこの漫画を見て笑わないのは仕方がない。しかし、私はフランスの法の下に生活しているのであって、コーランに従って生きているわけではない」
http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/07/4-cartoonists-killed-charlie-hebdo_n_6433584.html

フランスの法の下にいるということが、シャルリー・エブドがムハンマドへの攻撃を可能にしているということになる。それは、究極的には「表現の自由」ということになろう。

さて、このように、「宗教」を攻撃する(イスラム教だけには限られないが)表現の自由は認められている一方、イスラム教を体現する表現の自由はフランスにおいて抑圧されている。フランス社会は旧植民地諸国とりわけ北アフリカや西アフリカから多くの移民を受け入れてきた。移民といってもフランスで生まれたその子どもたちはフランス国民である。しかし、彼ら移民たちは、フランス国籍を取得してもさまざまな差別を受けている。その一例が、学校におけるムスリム女子生徒の宗教的スカーフ(ヒジャブ)着用の禁止である。政治社会学者の鈴木規子は、「SYNODOS」に2014年1月27日付で「フランスの共和主義とイスラームの軋轢から「市民性教育」について考える」という文章を寄稿している。この自体を概括する部分をここで紹介しておこう。

このようにフランスでは、すでに長期間フランスに滞在し、子どもも生まれ、教育を受けて成人し、フランス国籍ももっているのに、「移民」と呼ばれ、外見、名前、住所によって就職差別や人種差別にあっている人々と、フランス社会との間で軋轢が生じている。

そうした中で、移民の社会統合の難しさを表したのが「スカーフ問題」である。1989年にパリ郊外の公立学校に通うムスリムの女子生徒がイスラームのスカーフ(ヒジャブ)を被って授業をうけることが、非宗教性に反するとして問題となった。以来、教育現場で10年以上くすぶり続けてきたのだが、ついに国会で学校における宗教的標章の着用を禁止する法律が2004年に可決され、学校からスカーフが排除されることになった。

これは、学校という公共の場に顕在化したイスラームを、非宗教的な共和国がその理念に反するということで強制的に排除した事件であった。この間いかに市民を育成するかが課題となり、市民性教育もライシテを明言する内容になっていった。
http://synodos.jp/education/6632

鈴木は、EUにおける民主的市民性教育への取り組みや、フランスにおいてライシテとよばれている公の場における世俗性ー脱宗教性の追求などの流れの中で、このスカーフ問題をとりあげている。イスラム教の規範において、女性はスカーフ(ヒジャブ)を被ることになっている。スカーフ着用の強制も、当然ながら「自由」という規範に反するだろう。他方、フランスでは、非宗教的な共和国の理念に反するという理由で、学校という公共の場において、イスラムの価値を体現するスカーフの着用が禁止されたのである。

鈴木は、いわゆるライシテー世俗化・脱宗教化ーをフランス共和国が求めてきたことについて、「宗教的な違いによる社会的分断が露見したときに政教分離法が制定されたように、ライシテは社会的に影響力をもつカトリックを公的権力から切り離すと同時に、国家が宗教的中立性を保ち、マイノリティの社会統合を保障する考え方でもあったのである」と一定の合理性があるとしている。さらに、次のように指摘している。

「共和国の学校」は全面的にカトリックを駆逐したわけではなく、寛容さも残っていた…要するに、共和主義と宗教勢力のせめぎ合いが公立学校を舞台に行われてきたとはいえ、ライシテが適用されたのは「教育内容」、「学校という場」、「教師」に関する3点であり、生徒や家庭に対して非宗教性が強制されることはなく、宗教的実践を保障するような逃げ場も用意していた。

鈴木によれば、スカーフ着用禁止にいたったのは、教育的要請ではなく、政治やメディアの「共和主義」だったとしている。

こうした教師の考えとは別に、政治家やメディアは、イスラーム嫌悪の風潮に乗って、ライシテを共和主義者にとって都合よく解釈していった。それはスカーフ禁止法に至る経緯に見出せる。
(中略)
本来、学校という場所は市民を育成する場所である。法規制派たちの根拠でもあった「(ムスリムの)男性から守るべき対象とされた女性」である少女たちは、より一層守られなければならない立場である。それなのに、市民や「共和国」の政治家らによって、スカーフはライシテに反するイスラームの象徴とされ、学校から追放されてしまった。

そもそも公立学校で非宗教性を保障されたのは「教育内容」「教育の場」、「教師」であって、生徒たちの脱宗教化を求めているわけではない点を考えると、この事態が異常であることがよくわかる。すなわち、少女たちにスカーフを取れと要求することは、本来のライシテの原則には含まれていないのだ。「スカーフを取らない」から「ライシテに反する」という主張は、ライシテの正しい解釈ではなく、スカーフ論争の中で作られていったものと言わざるを得ない。
(中略)
さらに、スカーフ禁止法以後、この傾向はサルコジ大統領の下でエスカレートしていった。2010年にはイスラーム女性の全身を覆う「ブルカ」や「ニカブ」の着用についても公共の場で禁止する法が可決され、翌年4月にヨーロッパで初めて施行された[*15]。こうした一連のスカーフをめぐる法規制に、イスラームを排除したいという共和主義者による政治的な意図を感じざるを得ない。

スカーフ禁止法制定などの具体的な過程については、鈴木の文章を参照してほしい。いずれにせよ、イスラムを排除しようとする共和主義者の思惑によって、ライシテー公の場における世俗化・脱宗教化が拡大解釈され、イスラムの規範にのっとってスカーフを着用するという「表現の自由」が踏みにじられたのである。

結局、フランスにおいては、宗教を攻撃する「表現の自由」はあるが、イスラムの規範に則して身体を装うという「表現の自由」はないのである。このように、フランスにおける「表現の自由」は「非対称」なのである。「表現の自由」をめぐる問題は、個々人が判断するように考えられるが、決してそうではなく、「共和国」つまりは国民国家の理念にそうかどうか、いや、もっと正確にいえば、政治家やメディアなど公的決定に関われる人びとの集団的国家規範に沿っているかどうかで決まるのである。それは、自らを左派と規定しているシャルリー・エブドすらもそうなのである。なお、これは、フランスだけではない。政教分離の原則を侵犯して靖国神社を参拝し、特定秘密保護法制定や、マスコミ統制、さらには教育への介入によって、表現・思想・教育の自由を制限しようとしながら、中国・韓国に対するヘイト・スピーチについては「表現の自由」をたてにおざなりな対応をしている日本の安倍政権の姿勢は、フランスの共和主義と一見反対のものに見える。しかし、どちらも、「自由」を、彼らの考える「国民国家」の理念によって制限するということでは同じ構造を有している。このような状況は、アメリカなどの他の国民国家においてもみられるであろう。

そして、ムスリムの「移民」たちにとって、フランスの状況は、自らの宗教は自由に罵倒され、自らの宗教的自己表現は禁止されるというディストピアとして認識されることになろう。さらに、イスラム圏の諸国でも同じように把握されよう。この状況においては、フランス国内でも、世界全体でも、「表現の自由」を含む近代国民国家の理念を攻撃しようとする人びとはまだまだ現れることになろう。

フランスにおいて共和国の理念を主張する人びとはエリートとその影響で形成されたマジョリティである。一方、フランス国内で「移民」とされているムスリムたちはマイノリティとしての「民衆」であり、差別にたえている。それは、世界的に考えても同じである。近代的国民国家の市民たちと、それらの国家の旧植民地であり、今なお圧力にたえている多くの人びと。この人びとはムスリムだけではない。そこにある「非対称的」な関係。この「非対称的」な関係をどのように考えていくかということに、全世界の運命がかかっているといえよう。まさに、現代世界の構図が、このシャルリー・エブド銃撃事件で表出しているのである。

Read Full Post »

3.11があった2011年は、別の面でも転機となった。2011年2月、前年2010年の中国の名目GDPが日本を抜き、アメリカにつぐ世界第二位の経済大国になったことがあきらかになったのだ。最早旧聞に属するが、そのことを伝える2011年2月14日付けのウォールストリートジャーナルのネット配信記事をここであげておこう。

2011/02/14 6:13 pm ET
GDP逆転、あきらめの日本と複雑な中国

中国は昨年、日本を抜いて世界2位の経済大国に躍り出た。この歴史的な逆転を受け、アジアの2大国である両国にさまざまな感情が渦巻いている。低迷の長引く日本では内省的なあきらめムードが漂う一方、上昇中の中国は誇りに感じながらも新たな責任を背負わされかねないと警戒している。

日本政府の14日朝の発表で、長らく見込まれてきた日中逆転が公式のものとなった。2010年10-12月の実質国内総生産(GDP、季節調整済み)成長率は前期比マイナス1.1%(年率換算)だった。日本の通年のGDPは約5兆4700億ドルと、中国が1月に発表した5兆8800億ドルを約7%下回った。

両国のGDPは米国に比べると依然かなり小さい。日中合わせても、米国の14兆6600億ドルに及ばない。ただ、今回のニュースは一つの時代に終止符を打つ。1967年に西ドイツを抜いて以来ほぼ2世代にわたり、日本は確固たる世界2位の座にあった。新たな順位は世界の成長エンジンとしての中国の台頭と日本の後退を象徴している。

米国にとって、日本は経済面ではライバルだが、地政学的、軍事的な同盟国でもある。一方の中国は、あらゆる側面で対立する可能性がある。

中国の台頭は、共産党統治を正当化する主要な要因になっている。しかし、中国政府は、多くの面で貧しさの残る自国が、経済大国というマントをまとうことによって望まぬ義務を課されるのではないかと懸念もしている。最近の人民網には「中国は日本を抜いて世界2位の経済大国に-ただし2位の強国ではない」と題する記事が載った。

日本では、逆転の瞬間は長期低迷を示す新たな印ととらえられている。石原慎太郎都知事は最近、「GDPが膨張していって日本を抜くというのは当然だと思う。人口そのものが日本の10倍あるのだから」と語っている。石原氏といえば、バブル期の1989年に共著「『NO』と言える日本」を誇らしげに出版した人だ。それが今では、「日本そのものの色々な衰退の兆候が目立ち過ぎるということは残念だ」と暗い面持ちで語る。

両国での複雑な反応は、中国が多くの面でなお日本に後れているとことや、相互依存が強まっているためライバルであると同じ程度にパートナーでもあることを反映している。

中国の1人当たり国民所得はまだ日本の10分の1にすぎない。世界銀行の推計によると、中国では日本の全人口に近い1億人以上が1日2ドル未満で生活しているという。検索サービス大手、百度(バイドゥ)のロビン・リー(李彦宏)最高経営責任者(CEO)は、中国が「増大する力にふさわしい真に世界的影響力を持つ企業をいまだ生み出していないことは、まったく残念だ」と述べた。中国企業には、トヨタ自動車やソニーがまだないのだ。

一方、日本の多くの企業幹部が言及しているように、中国向けの輸出や同国からの観光客流入がなければ日本の景気は今よりさらに悪かっただろう。中国は09年に米国を抜いて日本にとって最大の貿易相手国となった。ソフトバンクの孫正義社長は、「8年後くらいに中国のGDPが日本の倍になる」との考えを示した。その上で、この事態をプラスにとらえる日本企業が増えれば、景気見通しも明るくなるとしている。
(後略)
http://realtime.wsj.com/japan/2011/02/14/%EF%BD%87%EF%BD%84%EF%BD%90%E9%80%86%E8%BB%A2%E3%80%81%E3%81%82%E3%81%8D%E3%82%89%E3%82%81%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E8%A4%87%E9%9B%91%E3%81%AA%E4%B8%AD%E5%9B%BD/

このことは、本記事の中でも「長らく見込まれてきた日中逆転」とあるように、多くの識者が予想していた。2010年に亡くなった著名な中国思想史研究者である溝口雄三は、2004年に出版された『中国の衝撃』(東京大学出版会)のなかで、中国内陸部の「余剰人口」が周辺諸国の生産拠点を自分のほうに牽引し、それゆえ、日本などの周辺諸国での空洞化現象をもたらしていると述べたうえで、次のように指摘している。

このような経済関係は、これまでの日中間の歴史には見られないことである。これをどのような歴史の目で見たらいいのだろうか。少なくとも脱亜的優劣の視点では説明がつかない。また中国や日本という一国の枠組で処理できる問題ではないことも明らかである。中国大陸の内陸部における農村人口問題は、周辺国にとっては難民の発生といった次元の問題だけではなく、空洞化現象にリンクする問題として、つまり自国の経済問題として捉えられるのである。ここには市場経済のグローバル化という現代特有の状況が背景私はここに中華文明圏の力学関係の残影を考えたいと思う。日本の70年代の高度成長が80年代のニーズ圏域の経済成長をうながし、その格差が動力となって中国大陸に波及して沿岸工業地域を形成し、内陸農村部との格差を生み出した、そしてそれが内部から外部に向かって遠心的に作用しはじめた、すなわち大陸国家としての中国の周辺から始まった経済革新が周辺圏域・沿岸地域から大陸内奥部に波及し、やがて大陸内部から周辺に逆に波及しはじめたという経緯に、かつての中華文明圏における「中心ー周辺」の作用・反作用の力学的な往復関係構造を仮説的に想起してみようと思うのである(本書pp12-13)。

しかし、日本にとって、このようなことは、単に経済問題にとどまるものではない。溝口は、次のように主張している。

中国の農村問題と日本の空洞化現象は、明らかにリンクしている問題である以上、われわれはこれを一面的な「脅威論」から脱け出して、広い歴史の視野で国際化し、また広い国際的視野で歴史化し、対立と共同という緊張関係に「知」的に対処していかねばならない。
その一つとして、繰り返しになるが、これまでの近代過程を先進・後進の図式で描いてきた西洋中心主義的な歴史観の見直しが必要である。次に、もはや旧時代の遺物と思われてきた中華文明圏としての関係構造が、実はある面では持続していたというのみならず、環中国圏という経済関係構造に再編され、周辺諸国を再び周辺化しはじめているという仮説的事実に留意すべきである。とくに明治以来、中国を経済的・軍事的に圧迫し刺激つづけてきた周辺国・日本ー私は敢えて日本を周辺国として位置づけたいーが、今世紀中、早ければ今世紀半ばまでに、これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめていることに気づくべきである。現代はどのような歴史観で捉えたらいいのか、根底から考え直す必要がある(本書p16)。

もちろん、中国の名目GDPが日本を凌駕したというのは象徴的な意味しかないのだが、溝口が指摘している「これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめている」という事態を明白にさせたものといえる。逆に「優越の夢が覚めはじめている」がゆえに、時計の針を逆戻りさせようとする志向が強まっていると考えられる。よくも悪しくも、このような認識が一般化したという意味で、3.11とは別の意味で、2011年は日本にとって転機であったといえるのである。

Read Full Post »

最早、かなり多くの人が月日はうろおぼえだろうが(私もその一人であった)、2012年12月26日は、安倍晋三衆議院議員が首相に就任した日であった。その日に開かれた就任記者会見の中で、安倍首相は次のように述べている。

国家、国民のために目前の危機を打ち破っていくという覚悟において、本日、危機突破内閣を組織いたしました。総裁や代表経験者あるいは次世代を担うリーダー候補に入閣をしていただきました。人物重視、実力重視の人事を行いました。危機突破のために十分にその力を発揮していただきたいと思います。

 この危機突破内閣の発足に当たって、全ての閣僚に対しまして、経済再生、復興、危機管理の3つに全力で取り組むよう、指示をいたしました。特に危機管理に対しましては、現在も北日本の日本海側では劇的な大雪となっており、大きな被害の発生も懸念されます。先ほど内閣危機管理監に対して、人命の保護を第一に警戒対応に万全を尽くし、今後の大雪対策に万全を期すべく、対策室の設置を指示いたしました。政権を担うことになった以上、その瞬間から、油断することなく、全力で危機管理に当たる責任があります。そのことを閣僚全員に徹底をいたしました。
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2012/1226kaiken.html

安倍首相は自分の内閣を「国家、国民のために目前の危機を打ち破っていく」という意味で「危機突破内閣」と名づけた。そして、危機管理上の第一の課題として、北日本の日本海側の「劇的な大雪」への対策をあげた。安倍首相は、人命保護を第一にし、今後の大雪対策に万全を期すべく、内閣危機管理監に対策室(官邸対策室)の設置を指示し、さらに油断なく全力で危機管理にあたる責任があることを閣僚全員に指示したと述べた。この就任記者会見で具体的な政策として次にあげられているのが東日本大震災からの復興、さらにその次がデフレ脱却である。この就任会見では、内閣の第一の課題は大雪対策であったのである。

今になって回想してみると、2012〜2013年の冬は「平成25年豪雪」(Wikipedia)とよばれるほど大雪がふった。例えば青森市酸ヶ湯で歴代1位の566センチ(2013年2月26日)の積雪を観測した。とはいえ、各地域の最大積雪は2013年1〜2月に観測されており、2012年12月の段階では、まだそれほど中央のマスコミは報道していなかった。例えば、読売新聞夕刊2012年12月26日付では次のように報道しているが、みればわかる通り、非常に小さい扱いである。あまり中央のマスコミが報道していなかったことを、安倍首相は内閣の重要課題に位置づけていたのである。

 

北海道で大雪
 強い冬型の気圧配置と寒気の影響で、日本列島は26日、北日本を中心に大雪や強風に見舞われた。北海道は前夜から、ほぼ全域で暴風雪となり、幹線道路の通行止めや列車の運休などが続いた。気象庁は、この冬型の気圧配置は28日頃まで続くとしており、猛吹雪による交通機関の乱れや高波などに警戒するように呼びかけている。
 24時間の降雪量は、青森、山形、福島県で50センチ以上を記録した。

北日本の大雪に対処するために官邸対策室を設置したことにつき、多くのマスコミは関心を示していなかったようであるが、産經新聞はこのことをネット配信した(なお、現在、この記事はネットから削除されている)。そして、この記事を引用しながら、安倍晋三首相の支持者たちは、民主党政権にはみられない、素早い災害対応だと大いに評価していた(そのようなサイトは、検索すれば現在でもすぐに発見できる)。

さて、それから1年余たって、産經新聞は次のような記事をネット配信している。

記録的大雪、政府初動遅れ 除雪障害、車撤去へ法改正を検討
産経新聞 2月18日(火)7時55分配信

 菅義偉(すが・よしひで)官房長官は17日の記者会見で、大雪で道路に立ち往生した車が除雪の障害となり孤立するドライバーや集落が相次いだことを受け、災害緊急時に車両などを行政側が排除できるよう災害対策基本法改正に着手する意向を表明した。

 菅氏は「(除雪のため)車両所有者の意向確認や車両を損壊した場合の損失補償など法的根拠がない」と指摘した上で、「早急に検討する必要がある」と強調した。この方針は17日昼の政府与党協議会でも確認している。

 政府は、今回の大雪への対応について、降雪が本格化する前の14日に災害警戒会議を開き、国民に警戒を呼びかけたほか、関係省庁には除雪態勢の確保や交通障害への対応を指示。15、16両日は山梨や長野などの各県知事から要請を受け、自衛隊を災害派遣したと強調している。

 しかし、予想を上回る大雪で、死傷者数など被害状況の把握は難航した。山梨県に亀岡偉民内閣府政務官を団長とする政府調査団を派遣したのも17日になってから。片側1車線の道路などで取り残された車両が道路をふさぎ、除雪車が入れないケースも目立った。

 政府の対応が後手に回ったことは否めない。

 民主党の松原仁国対委員長は17日の記者会見で、安倍晋三首相が16日夜に支援者と天ぷら料理店で会食していたことから、「緊張感が乏しい。16日の段階で雪の中で孤立している集落や車があった。残念だ」と批判。海江田万里代表も会見で「初動が遅れたというそしりを免れない」と指摘した。

 こうした状況を受け、安倍首相は17日の衆院予算委員会で、「関係自治体と連携を密にし、関係省庁一体となって国民の生命、財産を守るため、対応に万全を期す」と強調した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140218-00000093-san-pol

産經新聞は、安倍政権を支持する姿勢が強い。1年前、大雪対策の官邸対策室設置を報道したのも、その一環であろう。しかし、そんな産經新聞ですら「政府の対応が後手に回ったことは否めない」といわざるをえないのが、今回の安倍内閣の大雪対策なのである。

1年前、マスコミがあまり報道していなかった大雪対策につき官邸対策室をいち早く設置し、あまつさえ内閣の重要課題としたことは何だったのだろうか。そして、なぜ、「後手に回った」のだろうか。その時の安倍内閣と、今の安倍内閣、この二つは違っているのかいないのか。「政権を担うことになった以上、その瞬間から、油断することなく、全力で危機管理に当たる責任」はどこにあるのだろうか。とにかく、微妙な思いにかられるのである。

Read Full Post »

さて、2014年2月10日、安倍晋三首相が翌11日の建国記念の日を迎えるにあたってメッセージを発表した。朝日新聞が2月10日にネット配信した記事によると、「建国記念の日に合わせて現職の首相がメッセージを出すのは初めてのこと」とされている。

まず、ここで「建国記念の日」は何なのかを確認しておこう。報道の多くもあまりふれていないのであるが、この「建国記念の日」は、本来、九州から大和に「東征」し、第一代の天皇となったとされる神武天皇が即位したことを記念する「紀元節」がもとになっている。元々、神武天皇についての記述は古事記・日本書紀の中の神話とされており、実在した人物とみなすことはできない。しかし、古代国家においては「天皇制」の起源として認識されていた。さらに、幕府を倒した明治維新は「王政復古」をスローガンとしており、「神武天皇」にかえることを国家の正当性としており、ゆえに1872年11月に神武天皇即位を記念した祭典を行うことを決めた。当初は1月29日であったが、翌年3月には「紀元節」と命名され、同年10月に「2月11日」に変更されたのである。そして、紀元節は、天皇制国家による統治の正当性の源泉として重視された。他方、このような神話に国家の正当性の源泉を置いたため、歴史教育はいわゆる「皇国史観」によって行われ、いわゆる実証的な歴史学による記述は排除されていたのである。

この紀元節は、戦後の連合国による占領の下、GHQの指令によって1948年に祝日としては廃止された。その後、幾度も「建国記念日」として復活をはかられたが、社会党などが反対して実現できなかった。1966年、安倍晋三の大叔父である佐藤榮作を首相とした佐藤内閣は、「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」として、建国の事象そのものを記念するように受け取られる形で祝日法の改正案を出し、国会で成立させた。しかし、佐藤内閣ですらも、自身で「2月11日」を「建国記念の日」と明言することはできず、附則で「内閣総理大臣は、改正後の第二条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければならない。」とし、建国記念日審議会に諮問し、その答申で『建国記念の日」を決定することになっていた。そして、建国記念日審議会は「2月11日」にする答申を出し、1966年12月9日に佐藤内閣はその日を「建国記念の日」とする政令を出した。ここに「建国記念の日」が成立したのである。

明治政府が、自らの正当性の根拠として、第一代天皇の神武天皇の即位にあたるとされた日を祝うことは、よくも悪くも理解できることである。しかし、国民主権の戦後においては、第一代天皇の即位日を「建国」として記念することは適当とはいえないだろう。そもそも、この日にすべき学術的根拠がない。それに、国民主権を前提とすれば、より適当な日があるだろう。例えば、戦後の古代・中世史家であった石母田正は、次のようにいっている。

もしアメリカ流、ソ連流、中国流にやるとすれば、私の個人の見解では、人民に主権があるということを明確に規定した新憲法制定の日を私は、国民の、国家の誕生にするくらいの気概があってこそ、われわれは古い一ー三世紀の古代史を学ぶ勇気も出てくるのでありまして、もう一ぺん紀元節を、旗日と日曜が続いたらもう一日休ませてやるというくらいのアメを作られたからといって、もう一ぺん、雲にそびゆるなんとか、という歌をうたう根拠は、われわれ日本人にはなかろうというふうに私は考えています。(「日本国家の成立」 岩波市民講座1964年12月17日 『石母田著作集』第四巻所収)

安倍晋三の大叔父である佐藤榮作首相は、結局のところ、みずからは「2月11日」と明示せず、建国記念日審議会にまかせるやりかたで、「2月11日」を「建国記念の日」としたのである。佐藤以来の歴代首相は、保守的な者も含めて、「建国記念の日」にメッセージを出したりはしなかったが、たぶん、そのような経過もあってのことだと思われる。今回、安倍首相が「建国記念の日」についてのメッセージを出したのは、それ自体、彼の掲げる「戦後レジームからの脱却」の一環ということができる。

続いて、安倍首相のメッセージをみておこう。とりあえず、その全文をここであげておこう。

平成26年2月10日
「建国記念の日」を迎えるに当たっての安倍内閣総理大臣メッセージ

 「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨により、法律によって設けられた国民の祝日です。
 この祝日は、国民一人一人が、我が国の今日の繁栄の礎を営々と築き上げた古からの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を誓う、誠に意義深い日であると考え、私から国民の皆様に向けてメッセージをお届けすることといたしました。

 古来、「瑞穂の国」と呼ばれてきたように、私達日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣を祈り、美しい田園と麗しい社会を築いてきた豊かな伝統があります。
 また、我が国は四季のある美しい自然に恵まれ、それらを生かした諸外国に誇れる素晴らしい文化を育ててきました。
 長い歴史の中で、幾たびか災害や戦争などの試練も経験しましたが、国民一人一人のたゆまぬ努力により今日の平和で豊かな国を築き上げ、普遍的自由と、民主主義と、人権を重んじる国柄を育ててきました。

 このような先人の努力に深く敬意を表すとともに、この平和と繁栄を更に発展させ、次の世代も安心して暮らせるよう引き継いでいくことは我々に課せられた責務であります。
 十年先、百年先の未来を拓く改革と、未来を担う人材の育成を進め、同時に、国際的な諸課題に対して積極的な役割を果たし、世界の平和と安定を実現していく「誇りある日本」としていくことが、先人から我々に託された使命であろうと考えます。

  「建国記念の日」を迎えるに当たり、私は、改めて、私達の愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしていく責任を痛感し、決意を新たにしています。
 国民の皆様におかれても、「建国記念の日」が、我が国のこれまでの歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、自信と誇りを持てる未来に向けて日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。

平成26年2月11日
内閣総理大臣 安倍 晋三
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/discource/20140211message.html

今まで、神武天皇即位ー紀元節ー建国記念の日という歴史的系譜を追ってきたが、それが全く無視されていることに一驚する。ここでは、「天皇」のことは全く出ていない。ここで回顧されているのは「我が国の今日の繁栄の礎を営々と築き上げた古からの先人」であり、語感からするならば、過去の「日本人」であって、天皇を意味する(日本人の中にも「天皇」は含まれるのかもしれないが)とは思えない。

その上で、歴史としては、まず「古来、『瑞穂の国』と呼ばれてきたように、私達日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣を祈り、美しい田園と麗しい社会を築いてきた豊かな伝統があります。また、我が国は四季のある美しい自然に恵まれ、それらを生かした諸外国に誇れる素晴らしい文化を育ててきました」と指摘している。これは、歴史というよりも「ポエム」であろう。どこの国でも、「共同性」のもとに、自然を生かしながら、社会や文化を築いてきたのであって、このことは日本の専売特許ではない。他方、これも日本だけではないが、歴史においては、内戦や階級対立・民族対立が存在しているのである。

さらに「長い歴史の中で、幾たびか災害や戦争などの試練も経験しましたが、国民一人一人のたゆまぬ努力により今日の平和で豊かな国を築き上げ、普遍的自由と、民主主義と、人権を重んじる国柄を育ててきました」という。一体全体、古代から近代までの日本の歴史の中で「普遍的自由と、民主主義と、人権」が重んじられてきたといえるのであろうか。たかだか「戦後日本」のことでしかないのである。そして、戦後以前の「戦争」は、みずからおこしたものではなく「試練」の一つでしかないのである。

最後の部分で、彼自身としては、「『建国記念の日』を迎えるに当たり、私は、改めて、私達の愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしていく責任を痛感し、決意を新たにしています」と述べている。その上で「国民の皆様におかれても、『建国記念の日』が、我が国のこれまでの歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、自信と誇りを持てる未来に向けて日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします」と主張している。「先人の努力への感謝」と「未来の日本の繁栄への希求」という論理は、この短い文章の中で何度も表出されている。

本ブログで、以前、フランスの歴史家ピエール・ノラが、フランスの国民国家統合を強めていた「国民史」について、「過去の遺産としての国民と未来の企図としての国民であり、言い換えれば、『ともに偉大なことを成した』という意識と『これからも偉大なことを成そう』とする意識」(ノラ「コメモラシオンの時代」 『記憶の場』Ⅲ、2003年、原著1992年)が結び付けられていたと指摘していることを紹介した。この安倍首相の「建国記念の日」メッセージの意図は、まさにそうであり、彼自身は、19〜20世紀の帝国主義的戦争につながっていった国民国家の復活をめざしていると考えられる。しかし、このメッセージは、「建国記念の日」のルーツすら無視した、ほとんど「現在」の延長線上でしか把握されない「歴史」認識に基づいているのである。

*なお、Wikipediaの「建国記念の日」と「紀元節」の項目を参照した。

Read Full Post »

安倍政権は、現在、高校における日本史必修化を提唱している。例えば、次の読売新聞のネット報道をみてほしい。

安倍首相、高校の日本史必修化に前向き

 安倍首相の施政方針演説など政府4演説に対する各党代表質問が29日午前、参院本会議でも始まった。

 首相は、高校での日本史の必修化について、「日本人としてのアイデンティティー(自己認識)、歴史、文化に対する教養などを備え、グローバルに活躍できる人材を育成する観点から検討を進める」と述べ、前向きに対応する考えを表明した。

 教育委員会制度の見直しについては、「責任の所在があいまいな現行制度を抜本的に改革していく」と述べ、教育行政に関する首長の権限強化を図る考えを示した。首相直属の教育再生実行会議は昨年、首長が任命する教育長を地方教育行政の責任者と位置づける提言をまとめており、首相は「提言を踏まえ、与党の意見をいただきながら改革していく」と述べた。

 民主党の神本美恵子副代表、自民党の溝手顕正参院議員会長の質問に答えた。

 靖国神社の参拝については、神本氏が政教分離原則に反する可能性があると指摘したのに対し、首相は「私人の立場で行った。供花代を公費から支出しておらず、指摘はあたらない」と反論した。

(2014年1月29日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20140129-OYT8T00696.htm

安倍政権の他の教育への介入と相違して、日本史必修化について、歴史学関係者は微妙な対応を示すかもしれない。一般に日本の歴史学関係者というと、どうしても日本史専攻が多い。プリミティブに考えると、日本史教育の拡充自体については肯定的に受け止める人もいるかもしれない。そしてまた、一般の人も、安倍政権に対する評価とは別に、やはりよいことのように思うかもしれない。

しかし、「日本史」ー「国民の歴史」とは何だろうか。フランスの歴史家ピエール・ノラは、フランスの「国民の歴史」について、このように言っている。

 

無意識のうちに理解される意味において、歴史は、本質的に国民を表現していたし、国民もまた本質的に歴史を通じて表現されていた。このような歴史は、学校という回路を通して、時とともに、われわれの集合的記憶の枠組みや鋳型となっていた。国民の教師として形成された科学的歴史それ自体は、この集合的記憶の伝統に修正を加え、その質を向上させることに本来の意義があった。だが、科学的歴史がどんなに『批判的』であろうとしても、この伝統を深化させるばかりであった。科学的歴史の究極の目的は、まさしく系譜による身元確認にあった。こうした意味において、歴史と記憶は一体を成していた。歴史とは、実証された記憶だったのである。(ノラ「コメモラシオンの時代」 『記憶の場』Ⅲ、2003年、原著1992年)

この「国民の歴史」がもたらすものは何だろうか。ノラは、さらに、このように言っている。

エルネスト・ルナンが定義したような国民の持つ効力がいま再発見されているが、ルナン流の国民は、二つの要素を結び付けることに基づいて定義されたのであって、国民史に代わる国民的記憶の勃興は、この二つの要素が決定的に分離したことをうかがわせる。その二つの要素とは、過去の遺産としての国民と未来の企図としての国民であり、言い換えれば、「ともに偉大なことを成した」という意識と「これからも偉大なことを成そう」とする意識、あるいは、死者に対する崇拝と日々の人民投票([国民の存在は、日々の人民投票である]は、ルナンの用いた隠喩)である。英雄的過去の崇拝と犠牲に同意する精神に基づくルナンの主意主義的国民観は、普仏戦争における国民の敗戦と屈辱の深淵から立ち現れ、対独復讐、植民地の獲得、強力な国家の建設へと突き進んでいった。超国家的な連帯や国家内の地域的な連帯の時代である今日、緊急の課題は、国民の抱きたがる自己像を永続化することではなく、国民に関係し、国民に義務を負わせるさまざまな決定に国民自身が現実に参画することである。こうした時代には、すでに存在せぬものの存在を前提とするような不当な論理でもって、あの主意主義的国民をよみがらせてはならない。(ノラ「コメモラシオンの時代」 『記憶の場』Ⅲ、2003年、原著1992年)

つまりは、19世紀から20世紀にかけて、帝国主義的戦争遂行の前提となった国民国家の形成と「国民の歴史」は不可分なものであったとノラは述べているのである。ノラは、たくみに「ともに偉大なことを成した」という意識が「これからも偉大なことを成そう」とする意識に結び付けられていることを示している。靖国参拝などは非常に分かりやすい例だが、そもそも「国民の歴史」自体がそのようなものであったのである。

これは、フランスだけではない。日本近現代史家の鹿野政直氏は、次のように指摘している。

日本史学は、皇国史観から戦後史学へ大きな転換をしたとの自意識をもってきたが、その転換にもかかわらず貫通する史学としての制度性の確信が、検討の対象となりつつあるともいうことができる。そこにメスを入れない限り、これまで過去認識を統整し支配してきた歴史学は、ありうべき過去認識にとって最大の障壁になるのでは?との危機感、いやむしろ恐怖感が、わたくしたちのなかに蔽いようもなくひろがってきている。(『化生する歴史学』、1998年)

安倍政権の提唱する「日本史」重視に、いかなる形で対処するのか。これは、批判するだけではすまない問題である。ノラは、単一の「国民史」ではなく、フランスの過去についての多様な(たぶん多元的な)「国民的記憶」が勃興していることを強調している。しかし、それは、EC(現在はEU)諸国への同調による「強大国から並の大国へ移行したのだとの認識が決定的に内面化」(ノラ)されたことが前提となっているだろう。「超国家的な連帯や国家内の地域的な連帯の時代である今日、緊急の課題は、国民の抱きたがる自己像を永続化することではなく、国民に関係し、国民に義務を負わせるさまざまな決定に国民自身が現実に参画することである」というノラの課題は、私たちの課題でもあるが、それを克服することは、より困難な問題なのである。

Read Full Post »

さてはて、是非はともかく、9月7日に2020年東京オリンピック開催が決定された。しかし、驚いたのは、マスコミなどで流される「祝勝」気分と、自分たちの周辺との反応の落差である。私はオリンピックが開催される予定の東京に住んでいるが、直接に接触しても、フェイスブックで間接的に意見交換しても、東京オリンピック開催を喜ぶ人はほとんどいない。私が資料収集をしていた9日の武蔵野市立中央図書館で、全く知らない図書館利用者が「決まってよかったですね。うれしくて」と別の利用者に話しかけていたが、いわゆる「喜びの声」を「生」で聞いたのは、それだけである。

福島などの被災者が「別の国」のようだと言っていたが、東京に住んでいる私も、まるで別の国に住んでいるようにしか思えなかった。その第一の理由は、もちろん、安倍首相その他の福島第一原発事故についての虚偽とすら思える発言があったことである。しかし、それだけではない。東京に住んでいたとしても、2020年東京オリンピック開催によって、私個人の「生」にどのようなメリットがあるか、わからないからでもある。

本当に心から東京オリンピック開催を喜んでいる人たちはどういう人なんだろう。そういった目で、祝祭気分あふれる(とみえる)朝日新聞を読み直してみた。

新聞休刊日があったため、号外をのぞいて朝日新聞本体では第一報となった2013年9月9日付夕刊には、まず度肝をぬかれた。普通の新聞本体をカバーして、全面色刷の東京の俯瞰写真が掲載され、「お帰り五輪。夢の炎、熱く熱く」と見出しがうたれている(なお、下の一部と裏面は、なぜかBMWの広告である)。その中では、第一に1964年東京オリンピックが開催されたことが回顧され、東日本大震災の復興がはたされたとはまだいえないと指摘した後、

 

が、五輪は間違いなく人々の体に勇気を吹き込む。猫背気味に視線を下に落としていた人たちが上を向くのだ。そこには64年に見た「希望」が形を変えて新たに表れるに違いない。お帰り、五輪。僕たちは元気をもらうよ。

と、東京オリンピック開催決定を祝勝している。そこには、64年五輪を回顧し、五輪が「勇気」を吹き込むという言説があることに注目しておきたい。「勇気」というものを「主体性」という言葉で代置するならば、五輪は人びとの「主体性」を構築するものとして把握されているのである。

そして、2面では、「経済界、高い期待 早速セールも」という見出しのもとに、経済界がオリンピック開催に期待を高めている様子を報道している。これは、まあ当たり前のことである。それでも、オリンピック開催を第一に喜んでいるのは、経済効果を期待する経済界であることは記憶にとどめるべきことであろう。

さらに、スポーツを扱う12面で、「アスリート走り出す」という見出しのもとに、柔道女子57キロ級金の松本薫、ゴールボール金の浦田理恵(パラリンピック)、女子マラソンアテネ五輪金メダルの野口みずき、体操男子ロンドン五輪個人総合金メダルの内村航平、競泳男子平泳ぎ金メダリストの北島康介、車いすテニスの国枝慎吾(パラリンピック)の「喜びの声」を伝えている。一例として、松本薫のそれを紹介しておこう。

夢持つ子が増えれば、柔道女子57キロ級金松本薫

 ロンドン五輪柔道女子57キロ級金メダルの松本薫(フォーリーフジャパン)は2020年の東京五輪に「夢」を感じている。
 「今、夢を持てない子どもたちが多くなっていると聞きます。東京に五輪がくることで、夢を持つ子どもが1人でも増えればいい」
 ロンドンで日本選手第1号の金メダルを獲得。1年の充電期間を経て、ロンドンの記憶は薄れてきている。脳裏に残っているのは、選手村の雰囲気。「緊張感と、ついにここまで来たんだ、という喜びが混じっていた。独特の空気感でした」
 激しい戦いぶりとつかみどころのない素顔とのギャップで人気を集めた彼女も小さい時は明確な夢を持てず、悩んでいたという。「ケーキ屋になりたいとかそういうのはあったけど。いつか路頭に迷うんじゃないか、って思ったときもありました」
 そんなモヤモヤを振り払ったのが、中学生のころに抱いた五輪への憧れだった。ロンドンで「やりつくした」との思いも抱いたが、再び「夢の舞台」に立ちたいという欲求を抑えることは出来なかった。
 25歳。「柔道が天職」という彼女が、2020年まで現役でいられるかは分からない。それでも、「東京五輪で、アスリートの夢を日本のみんなと共有で出来れば、本当にすごいと思います」。(野村周平)

経済界の五輪開催への「期待」が経済効果であり、いってしまえば営利獲得の機会拡大であることと比べてみれば、松本の「夢」は、自分以外のものにも向けられており、純粋な気持ちであるといえよう。その点、「感動的な」記事である。しかし、それが、「アスリートの夢」であり、「非アスリートの夢」ではないことに注目しておかねばならない。それをみんなー都民・国民に「共有」させること、これが松本の東京オリンピック開催なのである。松本個人が出る出ないは別にして、彼女が属しているアスリートの世界全体は、東京オリンピック開催によって利益を享受するとはいえる。いわば、アスリートは総体として「受益者」であり、関係当事者なのだ。その他のアスリートたちも、立場は同じである。彼らが2020年オリンピック開催を喜ぶのは当然だが、一般の人びととは立場が違うと指摘しておかねばならない。

さて、社会面である14・15面は二面見開きで「情熱のち聖火 夢舞台再び」という見出しのついた大きな記事が掲載されている。その中で、第一に「半世紀あせぬ思い 聖火台・ブレザー 磨いた技」として、64年東京オリンピックにおいて聖火台製作に関わった鈴木昭重と、バレーボール日本代表(男女)の公式ブレザーを仕立てた藤崎徳男の発言が紹介されている。第二に、「一枚かみたい64年出場組」という見出しのもとに、64年東京オリンピックにおいて日本選手団主将をつとめた元体操選手の小野喬と、64年の東京オリンピックで議論に初出場し、ロンドンオリンピックにも出場した馬術選手の法華津寛の談話を紹介している。この四人は、まずは64年東京オリンピックの関係者であるということが共通している。彼らは、オリンピック関係者であるという点で、現代のアスリートたちの立場と共通している側面をもつ。他方で、1964年の東京オリンピックを回顧するという点で、独自の面をもっているといえる。

この記事ではさらに、『「東京で勝負」 若手決意』という見出しのもとに、10代のアスリートたちの声として、陸上選手桐生祥秀(17歳)と、卓球選手平野義宇(14歳)の談話が掲載されている。ここでは、桐生の分のみあげておこう。

「東京で勝負」 若手決意

 母国での五輪を担う10代の若者は夢を膨らませる。
 「東京にくるのはうれしいけど、五輪に出たことがないので……」。陸上男子100メートルで9秒台をめざす17歳の桐生祥秀選手(京都・洛南高)は少し戸惑いながら話した。
 陸上を始めて1年目の2008年、北京五輪の陸上男子400メートルリレーで日本が銅メダルを獲得するのをテレビで見た。「その時は、ただ日本が速いな、ジャマイカがすごいなっていう程度。まさか自分が世界で戦う選手になるとは」。今年の世界選手権では400メートルリレーで6位に入賞した。
 20年は24歳。「勝負するのは東京。世界で戦える強さを持って、その舞台に立っていると思う」
(後略)

桐生の発言は純真だ。しかし、彼も、ここでは省略した平野も、広い意味でアスリートに属している。いや、2020年東京オリンピックでは、主力選手になっているかもしれない。その意味で、彼らもまた、東京オリンピック開催による受益者であり、利害関係者であることは留意しなくてはいけない事実である。

そして、やっと、14面の片隅において、一般の人とおぼしき人びとの「喜びの声」があげられている。ただ、東京都内の招致イベント会場で取材した記事なので、一般の人というよりも東京オリンピック招致活動参加者の声とするのが適切かもしれない。それでも、今まであげてきた人びとよりは一般の人に近いといえよう。短い記事であるので、ここで紹介しておこう。

「希望見つけた」

「バンザーイ」「やったー」。半世紀ぶりの五輪開催が決まった8日未明、東京都内の招致イベント会場は喜びに沸いた。
 1964年大会の会場となった世田谷区の駒沢オリンピック公園総合運動場の体育館。大画面に映ったIOCのロゲ会長が「トーキョー」と告げると、大歓声が上がり、金色の紙吹雪が舞った。
 東日本大震災の被災地・福島県南相馬市から来た江本節子さん(66)の目には涙。「ようやく夢や希望が見つかった。復興と五輪が両輪で進んでいくのではないか」と喜んだ。
 五輪代表選手らの練習拠点となる味の素ナショナルトレーニングセンター(北区)に近い「板橋イナリ通り商店街」(板橋区)。8日朝、子どもたちが巨大なくす玉を割り、「祝 東京オリンピック」と書かれた幕が現れた。近くの工場経営、下平信彦さん(30)は長男の和彦ちゃん(1)を連れ、くす玉を割れる様子をビデオ撮影した。7年後、小学生になる息子に感動を伝えるためだ。下平さんは「五輪には夢がある。選手が頑張る姿を見て、何かを目指すきっかけにしてほしい」。
 8日朝、東京・新宿の都庁前では、「THANK YOU ありがとう」と感謝の気持ちを人文字で表すイベントも。杉並区の自営業池田輝夫さん(65)は「64年大会は高校を早退してマラソンのアベベを見に行った」と懐かしみ、「今度は8人の孫に見せられる」と喜んだ。

さて、ここでは3人の人が「喜びの声」を語っている。江本と池田は大体同じくらい(65〜66歳)で、1964年オリンピック経験者であることに着目したい。池田は、明確に、1964年オリンピックと重ね合わせて、今回のオリンピックへの期待を述べている。江本は、産經新聞にも同様なことを語っており、なぜ、被災地でこういうことをいうのかと考えていたが、年齢をみて納得した。彼女は、自分でも体験した1964年オリンピックの残像の上に、復興に寄与するオリンピックというイメージを構築しているのだと考えられる。

年齢的にみて、下平は1964年オリンピックを直に体験したことはないだろう。しかし、彼も、オリンピックに完全に無関係かといえば、そうではない。オリンピック関連施設と考えられる味の素ナショナルトレーニングセンターの近くに住んでいるのである。彼自身は、たぶんオリンピック開催から直接的利益を受けることはないだろうが、地縁はあり、広い意味でオリンピックに関わり合いをもつものといえよう。

さて、全体でいえば、2013年9月9日付朝日新聞夕刊で「喜びの声」を表明している人たちの多くは、オリンピック開催に何らかの関わり合いをもつ人たちといえる。「経済効果」を期待する経済界、よりチャンスを広げたいと考えているアスリートたち、1964年のオリンピックに関与した人びと、オリンピック関連施設と「地縁」を有するものなど、それぞれ多様であるが、全く関連のない人たちはあまりいないといえる。

そして、オリンピックに関わらないで「喜びの声」を挙げている二人は、年齢的にみて1964年オリンピックの体験者であると考えられる。同じようなことは、1964年のオリンピック関係者の四人にも共通している。聖火台製作に関与した鈴木昭重は「64年当時と違い、今の日本は成長が止まっている状態。五輪で気持ちが新たになればいい」と述べている。彼らは、1964年を回顧しつつ、2020年のオリンピックに期待をかけるのだ。

このように、本新聞の紙面で2020年東京オリンピック開催への期待を語っている人びとは、受益者を中心とした広い意味での関係者か、1964年東京オリンピックへのノスタルジーを感じている人たちであることが理解されよう。

ただ、昨年、東京オリンピック開催をかかげた猪瀬直樹がかなりの得票率で都知事選に勝利したこと、IOCの調査では東京開催を支持する意見は70%程度はあったと報じられていることをみると、東京開催を「支持」するという人たちはかなり多いのではないかと推測される。しかし、それは、一般的には漠然とした支持であり、明確に言語化して「心から支持する」と主張する人は一般には少ないのではないかと思われる。広い意味での関係者と、1964年の東京オリンピック体験者しか、自分の言葉で東京オリンピックについて語れなかったのではなかろうか。そもそも、オリンピックとはーそのために増税したり、経済危機になったりすることは別としてー、大多数の日本の人びとの「生」には関わらない存在である。ゆえに、普段からオリンピックについて考えている受益者を中心とした広い意味での関係者か、1964年東京オリンピックへのノスタルジーを感じている人たちのみが、ここで発話できたのではなかろうか。

そして、結局のところ、広い意味での関係者の利害と、特定の世代の特殊な意識を、紙面に大きく掲載することによって、「国民意識」を形成し、「主体性」を創出していくことになる。これこそ、国民国家の装置としての新聞の機能なのである。

Read Full Post »

沖縄近現代史研究者新崎盛暉氏が2012年10月16日に「2012年アジア思想上海論壇」にて講演を行い、「沖縄は、東アジアにおける平和の『触媒』となりうるか」と題されて『現代思想』2012年12月号に掲載された。尖閣諸島が所在する沖縄側の意見を伝えるものとして、この論考を紹介しておきたい。

まず、新崎氏は、「『万国の労働者よ、団結せよ』というスローガンが、ある種の理想を描いていた時代がはるか過去のものとなり、国家主義、愛国主義がせめぎ合う中で、『国家より先に人間が存在するのではないか』という問題提起」(本書p148)を行うとした。その上で、この論考では、オスプレイ普天間基地配備をめぐって沖縄の民衆が日中両政府と激しく対立していること、米中日韓の力関係の変化を背景として東アジアに領土紛争という新たな危機が生み出されたことを前提として、「『反戦平和』を求めて闘い続けてきた沖縄は、今こそ、自らの闘いの教訓を踏まえつつ、この新たな危機に対して、国家の立場を超えた独自の視点を提起する努力をなすべき」(本書p148)と主張した。この論考全体では、沖縄の近現代史を展望しつつ、「やがて、沖縄の民衆闘争は、南ベトナム内戦へのアメリカの全面介入とその政策的破綻の中から登場した日米軍事同盟の再編強化策としての72年沖縄返還政策と対峙しつつ、『反戦復帰』を掲げる新たな沖縄闘争へ、ナショナリズムから脱皮した反戦闘争へと変質していきます」(本書p154)と述べた。

その上で、「東アジアの平和の試金石ともいうべき尖閣(釣魚島・釣魚台列島)問題」(本書p154)にふれている。新崎氏は、沖縄では「イーグンクパジマ」と呼ばれたことや、日中両国が尖閣諸島の帰属とする根拠について述べた後、このように主張する。

 

沖縄では、ほぼ100%の人たちが、この島々は、沖縄と一体のものであると考えています。ただそれは、日中両国家がいうような「固有の領土」というよりは、ー既成概念に寄りかかって安易に『固有の領土』といった言葉を使っている場合でもー、むしろ自分たちの生き死にに直接かかわる「生活圏」だ思っています。生活圏という言葉には、単に経済的意味だけでなく、歴史的文化的意味も含まれています。(本書p156)

「生活圏」として位置づける根拠として、沖縄の海人(ウミンチュ)=漁民によって漁場が開発されたことや、鰹節工場が設置されたこと、日本の敗戦間際に疎開船が逃げ込んだことを新崎氏はあげた。その上で、新崎氏は、次のように述べている。

 

沖縄の生活圏であるこれらの島々は、現在、沖縄が日本という国家に所属しているので、日本の領土の一部になっていますが、もともと、国家「固有の領土」などというものが存在するのでしょうか。「領土」とか、「国境」といった概念は、近代国家形成過程において登場してきたものにすぎません。それは琉球処分前後の琉球・沖縄の歴史を振り返っただけで明らかです。私たちは、そろそろ欧米近代が東アジアに持ち込んだ閉鎖的排他的国境・領土概念から抜け出してもいいのではないでしょうか。
 強調しておかなければならないのは、「国家固有の領土」と違って、「地域住民の生活圏」は、必ずしも排他性を持つものではない、ということです。たとえば、沖縄漁民の生活圏は、台湾漁民の生活圏と重なり合うことを排除するものではありません。(本書p156)

そして、新崎氏は、過去においては沖縄と台湾の間に生活圏が形成されており、現在でも国境をこえた生活圏形成の可能性があることを指摘し、台湾の馬英九総裁が、尖閣諸島を台湾帰属としつつも、東シナ海をめぐる争議は多国間メカニズムを通して平和的に解決すべきとした「東シナ海平和イニシャチブ」を8月に提言したことに言及する。

しかし、新崎氏は、ある程度、台湾の「東シナ海平和イニシャチブ」を評価するものの、その限界性をも指摘し、次のように提言する。

 

平和的解決に力点を置いた提言は、注目すべきですが、あくまで中華民国という国家の立場からの提言です。21世紀に入った現在から将来を展望しようとする場合、欧米近代が持ち込んだ領土概念を抜け出し、地域住民の生活圏に視点を移して、紛争を平和的に解決する方途を模索することはできないでしょうか。とりあえず現状を変えることなく、抽象的観念的「固有の領土論」を棚上げし、これら地域を歴史的文化的経済的生活圏としてきた人々の話し合いの場を通して、問題の歴史的背景や将来の在り方を検討し、共存圏の構築に努力することはできないでしょうか。たとえば尖閣諸島については、日中両国と共に、地域としての沖縄と台湾の歴史家や漁業関係者の参加が不可欠だと思います。(本書p157)

さらに、新崎氏は、竹島(独島)や歯舞、色丹、国後、択捉についても同様なことが必要であるとし、最後に、このように主張している。

国家間関係の中に国境地域住民の視点をも取り入れることによって初めて、一貫した歴史認識と将来的共生の展望が獲得できるのではないでしょうか。それこそが沖縄の「反戦平和」を求める闘いが目指してきたものである、と私は考えています。(本書p157)

この新崎氏の提起に、私は共感した。現時点では、日中(+台湾・アメリカ)という国民国家同士で尖閣諸島の将来を議論していることになるが、国民国家という枠組みにとらわれれ、ナショナリスティックな主張のもとで無用の緊張を招くか、もしくは、それよりはましではあるが「棚上げ」という形で、実際に利用する可能性のある地域住民が十分利用ことが継続されてしまうことを懸念せざるをえない。国民国家を超えて、生活圏を共有する地域の人びとが話し合って、尖閣諸島の将来を決めていくことが、真に、尖閣諸島問題を解決させていくことになろう。そして、それは、尖閣諸島問題を根拠に暗躍してきたナショナリストたちと対峙するということであり、国民国家の「近代」を真に超えて行くということにつながっていくと、私も考えるのである。

Read Full Post »

前回は、1968年に「尖閣油田」が発見され、尖閣諸島に近接している沖縄と台湾の人びとが、1970年より油田の鉱業権をめぐってイントレストの対抗をはじめたことを紹介した。そして、日本政府・琉球政府側も台湾ー中華民国側の領有権主張に対して、積極的に対応していくことになった。

まず、台湾ー中華民国政府側の尖閣諸島の領有権主張につき、1970年8月10日の参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会で議論になった。川村清一参議院議員(日本社会党所属)と愛知揆一外務大臣は、このような議論をしている。

○川村清一君 最後に、外務大臣に尖閣列島の問題についてお尋ねいたします。総理府をはじめ各種機関の調査によりますと、沖繩の尖閣列島を含む東シナ海の大陸だなには、世界でも有数の石油資源が埋蔵されていると推定され、この開発が実現すれば、復帰後の沖繩経済自立にとってはかり知れない寄与をするであろうといわれております。この尖閣列島は明治時代に現在の石垣市に編入されており、戦前は日本人も住んでいたことは御案内のとおりだと思うわけであります。しかし、油田開発の可能性が強いと見られるだけに、台湾の国民政府は、尖閣列島は日本領土でないとして自国による領有権を主張し、舞台裏で日本と争っていると伝えられております。今後尖閣列島の領有問題をめぐって国民政府との間に紛争が顕在化した場合、わが国としてはどのような根拠に基づいて領有権の主張をし、どのような解決をはかるおつもりであるか、この点についてお尋ねをいたします。
○国務大臣(愛知揆一君) 尖閣列島については、これがわがほうの南西諸島の一部であるというわがほうのかねがねの主張あるいは姿勢というものは、過去の経緯からいいまして、国民政府が承知をしておる。そして、わが国のそうした姿勢、立場に対して国民政府から公式に抗議とか異議とかを申してきた事実はないんであります、これは今日までの経過からいいまして。しかし、ただいま御指摘がございましたように、尖閣列島周辺の海底の油田に対して国民政府側としてこれに関心を持ち、あるいはすでにある種の計画を持ってその実行に移ろうとしているということは、政府としても重大な関心を持っておるわけでございまして、中華民国側に対しまして、この石油開発、尖閣列島周辺の大陸だなに対して先方が一方的にさようなことを言ったり、また地図、海図等の上でこういうことを設定したとしても、国際法上これは全然有効なものとはならないのだということを、こうした風評を耳にいたしましたときに政府として公式に申し込れをいたしております。かような状況でございますので、今後におきましても十分この問題につきましては関心を持って対処してまいりたいと思っています。
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=18874&SAVED_RID=3&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=4&DOC_ID=1945&DPAGE=1&DTOTAL=23&DPOS=18&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=20750

1970年からの尖閣諸島の領有権問題について、公の場での最初の日本政府の見解は、この時の愛知外相の答弁のようである。この時、愛知は、尖閣諸島の日本への帰属について、台湾の政府は異議申立をしたことがなく、承知しているはずであり、地図上などで中華民国領として設定したとしても、国際法上有効にはならないと述べている。しかし、この時点で、「1895年の尖閣諸島編入」など尖閣諸島の領有権が日本側にあるのかということについての根拠を示していないことに注目しなくてはならない。

そして、9月12日の衆議院外務委員会でも、尖閣の帰属は議論になった。戸叶里子衆議院議員(日本社会党所属)の「あの尖閣列島は日本の領土である。沖繩に付属するものであるということを政府も考えていらっしゃるようでございますが、これに対してどういう態度を持っていられるかを念のためにまず伺いたいと思います。」という質問に対して、愛知外相は、次のように答えている。

○愛知国務大臣 尖閣列島につきましては、この尖閣諸島の領有権問題と東シナ海の大陸だな問題と二つあるわけでございますが、政府といたしましては、これは本来全く異なる性質の問題であると考えております。すなわち尖閣諸島の領有権問題につきましては、いかなる政府とも交渉とか何とかを持つべき筋合いのものではない、領土権としては、これは明確に領土権を日本側が持っている、こういう立場をとっておる次第でございます。これは沖繩問題にも関連いたしますけれども、現在米国政府が沖繩に施政権を持っておりますが、その施政権の根拠となっておりまする布告、布令等におきましても尖閣諸島は明確に施政権の範囲内にある。こういうことから見ましても一点の疑う余地もない。日本国の領有権のあるものである。したがって、この領有権問題についてどこの国とも交渉するというべき筋合いのものではない、こういうように考えております。
 それから東シナ海の大陸だな問題につきましては、七月十八日に国民政府に対しまして公式に、国民政府によるいかなる一方的な権利の主張も国際法上わが国との間の大陸だなの境界を確定するものとして有効なものではないという旨を申し入れております。さらに九月三日、国民政府に対しまして、この大陸だな問題について話し合いが必要ならば話し合いをしてもよいということは申し入れてございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=9654&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=4&DOC_ID=17538&DPAGE=1&DTOTAL=23&DPOS=14&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=9862

当時は、アメリカと沖縄返還交渉の最中であった。そのことをふまえつつ、愛知は、基本的にはアメリカの施政権下にあるということを日本側が尖閣諸島の領有権の根拠としているのである。重要なことは、愛知は、「1895年の尖閣諸島編入」やその後の尖閣諸島の開発などを帰属の根拠としていないということなのである。その後、少なくとも1970年中は同様の主張を繰り返した。1970年9月12日の衆議院の沖縄及び北方領土に関する特別委員会で、自由民主党の山田久就衆議院議員の質問に対して、愛知外相はこのように答弁した。

現在アメリカが施政権を行使しております琉球列島あるいは南西諸島の範囲内においてきわめて明白に尖閣諸島が入っておるわけでございますから、これは一九七二年には当然に日本に返還される対象である。こういうわけでございますから、尖閣列島の主権の存在については、政府としては一点の疑いも入れない問題であり、したがって、またいかなる国との間にもこの件について折衝をするとか話し合いをするとかいう筋合いの問題ではない、こういうふうに考えておるわけであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=9654&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=4&DOC_ID=2136&DPAGE=1&DTOTAL=23&DPOS=13&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=9862

アメリカの施政権下におかれており、1972年に予定されている沖縄返還において帰ってくるはずの領土であるというのである。つまり、これは、全くアメリカ頼みということになるだろう。

他方で、沖縄側も、独自の対応を行った。琉球政府の議会である琉球政府立法院は、1970年8月31日、「尖閣列島の領土防衛に関する要請決議」を議決した。この決議を次に掲げておく。

決議第十二号
 尖閣列島の領土防衛に関する要請決議
 尖閣列島の石油資源が最近とみに世界の注目をあび、県民がその開発に大きな期待をよせているやさき、中華民国政府がアメリカ合衆国のガルフ社に対し、鉄業権(原文ママ)を与え、さらに、尖閣列島の領有権までも主張しているとの報道に県民はおどろいている。元来、尖閣列島は、八重山石垣市字登野城の行政区域に属しており、戦前、同市在住の古賀商店が伐木事業及び漁業を経営していた島であって、同島の領土権について疑問の余地はない。
 よって、琉球政府立法院は、中華民国の誤った主張を止めさせる措置を早急にとってもらうよう院議をもって要請する。
 右決議する。
  1970年8月31日
                                     琉球政府立法院
(『季刊沖縄』第56号、1971年3月、p178)

愛知外相答弁とはことなり、アメリカの施政権が根拠とされていないのである。アメリカの沖縄支配からの脱却をめざして、沖縄の本土復帰を目標としてかかげていた琉球政府らしい対応といえる。そこであげられているのが、八重山石垣市に所属しているということと、戦前、石垣在住の古賀商店が開拓をすすめていたということである。しかし、ここでも「1895年の尖閣諸島編入」は根拠とされていないのである。

そして、この決議に続いて、琉球政府立法院は決議第13号「尖閣列島の領土防衛に関する決議」を採択した。これは、「本土政府は、右決議(前述の決議)に表明された沖縄県民の要請が実現されるよう、アメリカ合衆国及び中華民国に対し強力に折衝を行なうよう強く要請する」(『季刊沖縄』第56号、1971年3月、p178)ものだった。つまり、日本政府に、「尖閣列島の領土防衛」につき、アメリカおよび中華民国(台湾)と折衝することを求めたのである。これもまた、アメリカ支配からの脱却をめざして本土復帰を志向した琉球政府らしい対応であるといえる(ただ、ひと言いえば、沖縄復帰後、日本政府は、そのような沖縄側の思いにこたえようとはしなかった。大量の米軍基地は沖縄に設置されたまま、2012年時点では、さらに危険なオスプレイの沖縄配備が強行されたのである)。

それでは、アメリカの対応はどのようなものだっただろうか。アメリカ国務省のマクロスキー報道官は、1970年9月10日、尖閣諸島に中華民国の国旗が立てられたことを前提にして、尖閣諸島の将来に関し、アメリカ政府はいかなる立場をとるのかということについて、まず、このように答えた。

対日平和条約第三条によれば、米国は「南西諸島」に対し施政権を有している…当該条約によって、米国政府は琉球列島の一部として尖閣諸島に対し施政権を有しているが、琉球列島に対する潜在主権は日本にあるものとみなしている。1969年11月の佐藤総理大臣とニクソン大統領の間の合意により、琉球列島の施政権は1972年中に日本に返還されることとされている。
(『季刊沖縄』第56号、1971年3月、p157)

このように、一応は、愛知外相答弁のいっているように、サンフランシスコ講和条約によりアメリカが沖縄に施政権を有し、尖閣諸島も含まれているとしている。しかし、尖閣諸島の帰属自体については、このように述べている。

問 もし、尖閣諸島に対する主権の所在をめぐり紛争が生じた場合、米国はいかなる立場をとるのであるか。
答 主張の対立がある場合には、右は関係当事者間で解決さるべき事柄であると考える。
(『季刊沖縄』第56号、1971年3月、p157)

つまり、尖閣諸島の帰属について、アメリカは判断せず、関係当事者間の問題であるとしたのである。この見解は、尖閣諸島は日米安保条約による防衛範囲であるとしつつ、尖閣諸島の帰属については判断しないという、現在、アメリカが尖閣諸島問題に対してとっている対応に酷似しているといえるだろう。

となると、結局、愛知外相のアメリカの施政権が及んでいる地域であるから日本に帰属している根拠は、予定される1972年の沖縄返還までは有効であったとしても、沖縄返還後には効力を有さないことになるといえるのである。

この問題に対処するため、アメリカの施政権以前から尖閣諸島が日本ー沖縄に帰属している根拠として琉球政府によって「再発見」されたのが「1895年の尖閣諸島編入」の閣議決定であったのである。このことは、次回以降みてみたい。

Read Full Post »

これまで、このブログでは、原発災害のリスクについては、一般的には「安全神話」という形で糊塗しつつ、立地地域において雇用や電源交付金というリターンとバーターすることがはかられてきたと述べてきた。

福島第一原発事故は、結局、原発災害のリスクに見合う、リターンなど存在しないことを示した。そして、原発災害の被災地はリターンが得られた立地地域をこえ、さらに、電力供給がされた電力会社管内すらこえて、近隣諸国にまで及んでいる。

その意味で、これまでのような原発立地を正当化する論理は通用しなくなっているといえる。滋賀県の嘉田知事が、立地自治体・立地県のみが原発稼働に対する発言権を有する現状の枠組みを批判し、「被害地元」という考えを示したことは一つの現れであるといえる。

どのように正当化の論理を再構築するか、そのことが、政府・電力会社・学界・立地自治体などの、いわゆる「原子力ムラ」において課題となっていた。2012年6月8日の大飯原発再稼働問題に対する野田首相の記者会見は、論理的には自己矛盾をきたしているものの、「原子力ムラ」がどのように原発を正当化する方向性を示したものといえる。前回・前々回のブログでみてきたが、もう一度、原発の正当化する方向性はどのようなものなのかをみておこう。

まず、記者会見の中で、野田は「国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。」と述べる。「国民生活を守る」ということを基準にしていることに注目してみよう。つまりは、国民生活を脅かすリスクから守るということが、彼の判断基準なのだと主張しているのである。つまり、ここでは、リターンなど問題ではない。「リスク」だけが問題なのである。

その上で、国民生活の安全を守る上での第一の問題として、原発の安全性を提起している。そして、野田は、福島第一原発事故による知見はいかされており、同等の地震・津波が襲来しても、炉心損傷は起きないことが確認されているという。つまり、現状において原発は安全であるとしているのである。これは、ある意味で「安全神話」を引き継ぐものということができる。過去の「安全神話」とは、別に安全対策が完備したから安全というではなく、設置側が「安全」を宣言したというにすぎなかった。それを継承することがまずなされている。

しかし、それならば、新たに原子力規制庁を立ち上げ、安全基準を作り直す必要はない。そこで、野田は、「こうした意味では、実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していくこととなります。」としている。現状の「安全」は暫定的なものでしかないのである。いくら野田でも、「原発の安全性」を絶対的に保障はできないのである。

それを、より明確に主張しているのが、西川福井県知事である。6月5日、次の記事を読売新聞がネット配信している

「福井に安全神話ない」…西川知事、原発相らに

 関西電力大飯原子力発電所の再稼働を巡り、細野原発相が4日、福井県に地元同意を要請したが、西川一誠知事は首を縦に振らなかった。夏の電力不足が迫る中、地元同意に向けた手続きはいつ動き出すのか。カギは西川知事が握る。

 「福井に安全神話はないんです」。西川知事は4日、会談で細野原発相らに語りかけた。全国最多の14基を抱える原発立地県としてリスクを負ってきたとの思いがにじむ。

 旧自治省官僚から副知事に就任した1995年、同県敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故が発生。知事当選翌年の2004年には同県美浜町の美浜原発事故で5人が死亡した。今回、再稼働への手続きに位置付けられた県原子力安全専門委員会は、西川知事が設置したものだ。

 会談では、消費電力の半分を福井に頼る関西への不満も口にした。関西広域連合が5月30日に出した「再稼働容認」声明に対し、「そもそも、消費地である関西は『容認』とおっしゃる立場にはない」と、厳しい口調で言い切った。

 電源三法に基づき、国が同県や県内の原発立地自治体などに投じた交付金は1974~2010年度までに計約3461億円。地域の経済、雇用は原発に依存する。県内の企業経営者は「福井と原発は切り離して考えられない」と話す。

 会談で西川知事は、「日本経済のために原発が重要で、再稼働が必要だということを、首相が直接、国民に訴える対応がなされれば、(再稼働同意に向けた)解決を進めたい」と述べ、再稼働に向けた条件を示した。「40年後の原発依存度ゼロに向けて動いている」(枝野経済産業相)との脱原発論がくすぶる政権に覚悟を迫った格好だ。

 会談後の記者会見で、西川知事は語調を強めた。

 「(ボールは)国にあります」

(2012年6月5日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120605-OYO1T00222.htm

これは、重要な発言である。西川知事は「安全神話」を否定する形で、原発のリスクを指摘したことになる。その意味で、原発は、西川にとっても「安全」なものではない。野田首相が「暫定的な安全」というあいまいな言い方をしたのと比べると、より明解である。

それでは、どのように原発の正当性を主張するのか。また、野田首相の記者会見にもどってみよう。野田は、こういうのだ。

国民生活を守ることの第2の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません。

確かに、日本社会は原発からの電力供給というリターンに依存してきたといえる。このことを逆手にとって、このリターンが絶たれることが、「国民生活を守る」上でのリスクだと野田はいうのである。原発供給電力というリターンを、リスクとして、この場所では表現しているのだ。このリスクは、夏期の計画停電に始まる人命・雇用・需要の喪失にはじまり、長期的にいえば、電力価格高騰における家計・企業経営への悪影響、さらに石油資源を中東に依存することへのエネルギー安全保障上の問題にまで及ぶ。これらを「国民生活を守る」上でのリスクとしてとらえているのである。

原発災害へのリスクに電力供給危機へのリスクを対置する、そのことによって、原発災害リスクへの懸念の増大を電力供給危機への危機に置き換える、そのような戦略が目指されているといえる。

そして、原発災害のリスクを甘受しつつ、電力危機のリスクに立ち向かう立地地域の人びとは、野田においては賞賛されるのである。

そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。

「大都市における豊かで人間らしい暮らし」とは、大都市住民でもない人びと、大都市でも豊かな生活をしていない人びとにとっては、絵空ごとであるが、しかし、野田の国民とは、そのような人びとを排除している。いわば、既得権を得ている人びとでしかなかろう。この既得権ーつまりはリターンーを得ている人びとを守るために、原発リスクを甘受している人びとこそが「敬意と感謝」の対象となるのである。

このような意識は、より立地地域の首長によって強く語られる。おおい町長は、4日に「住民の間からも、今までにない不満が出ている。立地自治体として40年間、大きなリスクを抱えながら今日に至っているのに、何の理解もない」(産經新聞5日ネット配信)と述べている。

最終的に野田は、このように述べる。

再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞ御理解をいただきますようにお願いを申し上げます。

再稼働させないことは、国民の生活の安心を脅かすということなのである。つまりは、再稼働反対派は、国民の生活の安心を脅かす存在なのである。

そのことを露骨に語っているのが、原発をかかえている美浜町議会である。やや前のことになるが、美浜町議会の動向について、産經新聞は次の記事を5月22日にネット配信している。

計画停電の検討、関電に要望 美浜町議会原特委 福井
2012.5.22 02:08
 
■電気のありがたさ知らせる

 関西電力美浜原子力発電所(美浜町)の再稼働について、美浜町議会原子力特別委員会は21日、経済産業省原子力安全・保安院と関西電力から、安全基準と緊急安全対策について説明を受けた。

 関電は昨年12月、美浜原発3号機のストレステスト(耐性検査)1次評価を提出し、保安院の審査待ち。同2号機は昨年7月、高経年化技術評価を提出し、今年7月には運転40年を迎える。同1、2号機は改正規制法案の制定待ちとなっている。

 この日の原特委では、山口治太郎町長や議員10人が出席。関電の説明後、議員が「今年の夏を乗り越えれば、原子力発電所がなくてもやっていけると思われがちだ」と指摘。「大阪など関西は電気があって当たり前だと思っている。関西に電気のありがたさを知らせるため、計画停電を最重要課題にすべきだ」と要請。

 関電美浜発電所の片岡秀郎所長は「供給の努力を怠ってはいけないが、化石燃料の増強が電気料金の値上げに繋がることなどを理解してもらわなければならない」と応えた。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120522/fki12052202080002-n1.htm

再稼働に反対する関西の人びとに電気のありがたさを知らせるため、計画停電を率先して行えと関西電力に要請したというのだ。野田の発言は、計画停電をさけるために再稼働せよというものだが、ここでは、反対派がいるような地域には電力供給しないことによって反省を促せと主張されているのだ。

野田の記者会見は、福井県側が求めたものである。それゆえ、たぶん従来から主張された安全神話の提起と、福井県などが主張する電力供給危機の問題が整合性がとれていない部分があり、野田の発言全体の自己矛盾の一因となっているといえる。しかし、福井県側においても、再稼働への同意の条件として、このようなことを国側が表明することになっていた。結局、原発のリスクを認めると、これまでのようにリターンを与えることによって同意を調達することは主軸にならないのである。国が「国民生活を守る」上でのリスクとして、原発よりの電力供給危機に対応することをあげ、それこそが「国策」だと措定することによって、「原発の安全性」というリスクを第二義的なものとし、無効化する。もちろん、電力供給上の危機といっても、一般的にも電力供給というリターンを失うということにすぎないし、現実には、電力会社・立地自治体などのリターンが失われることでしかない。しかし、それを、それこそ、「国民国家」的な「国民の生活」を守るための利益だと拡大し、現実的なリターンなしに、原発のリスクを甘受することが国家から訓示される。原発のリスクを甘受しつつ、国民の生活を守るために電力供給に協力した福井県の人びとは賞賛され、再稼働をさせないように主張した人びとは、国民の生活の安心を脅かすものとされるのだ。その意味で、原発災害のリスクが、電力供給上のリスク(実質は原発からのリターンが失われるということにほかならないが)によってバーターされることによって、原発が正当化されるといえるのである。

このことは、例えば、1974年の電源交付金制度設置においては、原発の安全性を主張しつつ、とりあえずリターンを与えることによって、原発の正当性を担保させるというやり方とは大きく異なるといえる。原発からの電力供給というリターンが絶たれるというリスクを強調される。原発は、電力会社や立地自治体に限らず、現存秩序の中で既得権を得ている人びとにとって、特別なリターンなしに喪失からのリスクから守らなくてはならないものの象徴となり、さらに「国民生活の安全」全体にとっても守るべきものなっていく。そして、それは、国家がー現実には野田首相がー、それこそが、原発の安全性をこえて守るべき国策として措定し、その国策に従うものを賞賛し、反対する者を国民生活を脅かす者とレッテル張りをすることになる。

このような形で、原発が正当化されていくことがめざされていると考えられる。このことによって、現実には、美浜二号機のような、老朽でよりリスクのある原発が再稼働されることになるだろう。つまり、安全性は二の次であり、電力供給を守ることが国策なのだから。他方で、国民生活上の危機なるものを原発に限らずあおり立て、何らのリターンもなしに、「国策」に従うことが強制されていくということが横行していくだろう。消費増税正当化の論理も、その一つであろう。そして、この状況こそが民主主義の危機である。

Read Full Post »

本日(2012年6月8日)、福井県知事から「国民に原発の必要性を主張してほしい」という要請に答えて、野田首相が大飯原発再稼働の正当性を訴える記者会見を行った。

この内容については、すでにマスコミ各社が伝えているが、その要約では、野田首相の論理を正確に伝えているとは言い難い。前から、どのような論理で、野田首相は原発再稼働の正当性を主張するのだろうと考えていた。首相官邸のサイトにアップされた、野田首相の記者会見のテクストにおける論理展開をみながら、どのように野田首相が原発再稼働を正当化づけるのかをみていきたい。

まず、冒頭で、野田首相は、次のように提起する。

 

本日は大飯発電所3、4号機の再起動の問題につきまして、国民の皆様に私自身の考えを直接お話をさせていただきたいと思います。

 4月から私を含む4大臣で議論を続け、関係自治体の御理解を得るべく取り組んでまいりました。夏場の電力需要のピークが近づき、結論を出さなければならない時期が迫りつつあります。国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。
http://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/2012/0608.html

野田は、この問題が「国論を二分する問題」であることを認めた上で、彼自身は「国民生活を守る」ということが、自分の絶対的判断基準であり、国の最大の責務であるとしている。

では、「国民生活を守る」ということはどういうことなのか。野田は、このことを二つにわけている。第一は「原発の安全性」ということである。

 

その具体的に意味するところは2つあります。国民生活を守ることの第1の意味は、次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないということであります。福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています。

 これまで1年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果であります。勿論、安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました。そのため、最新の知見に基づく30項目の対策を新たな規制機関の下での法制化を先取りして、期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています。

福島のような事故を起こさないことがまず第一であるというのである。つまり原発の安全性が第一の問題である。そのことについて、野田は、全電源喪失しても炉心損傷は起きないことは確認した、新たな知見については、今後の法制化を先取りして、実施することを電力会社に求めたとしている。

この安全であるかいなかということが、基本的に大きな問題であり、例えば大飯原発のストレステストについては、班目原子力安全委員長すら、再度の検討が必要であると発言している。また、免震重要棟建設の必要性など、福島第一原発事故で得られた「知見」についても、多くの実施は「先送り」となっている。野田のいう、国論が二分しているという所は、再稼働される原発の安全性なのである。それについて、彼は「安全である」と断言しているといってよいだろう。しかし、野田は、このようにいう。

 

その上で、原子力安全への国民の信頼回復のためには、新たな体制を一刻も早く発足させ、規制を刷新しなければなりません。速やかに関連法案の成案を得て、実施に移せるよう、国会での議論が進展することを強く期待をしています。

 こうした意味では、実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していくこととなります。その間、専門職員を要する福井県にも御協力を仰ぎ、国の一元的な責任の下で、特別な監視体制を構築いたします。これにより、さきの事故で問題となった指揮命令系統を明確化し、万が一の際にも私自身の指揮の下、政府と関西電力双方が現場で的確な判断ができる責任者を配置いたします。

 なお、大飯発電所3、4号機以外の再起動については、大飯同様に引き続き丁寧に個別に安全性を判断してまいります。

 実は、これは、大飯原発が安全であるとする野田の断言を自ら裏切っているといえる。新たな規制機関はまだ作られておらず、その上での新たな安全基準もない。もし、新たな安全基準に照らして、大飯原発の安全性に疑問をもたれたら、どうするのだろうか。その場合、運転停止にできるのだろうか。とりあえず、疑問だらけなのだが、それは後述する。ただ、確認できるのは、野田は、とりあえず大飯原発は安全であるという点に立脚しているということである。

そして、次に、野田は国民生活を守る第二の意味として、電力供給面からの日常生活への悪影響を避けるということをあげている。まずは、いわゆる夏場の電力不足問題をあげている。
 

国民生活を守ることの第2の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません。

 数%程度の節電であれば、みんなの努力で何とかできるかもしれません。しかし、関西での15%もの需給ギャップは、昨年の東日本でも体験しなかった水準であり、現実的には極めて厳しいハードルだと思います。

 仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます。仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。東日本の方々は震災直後の日々を鮮明に覚えておられると思います。計画停電がなされ得るという事態になれば、それが実際に行われるか否かにかかわらず、日常生活や経済活動は大きく混乱をしてしまいます。

確かに、関東や東北などでは、昨年は計画停電や夏場の節電などで、苦労をしたことは否めない。しかし、「命の危険にさらされる」というほどのものではない。さらにいえば、そのことで「仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。」というならば、それは現在の就職難の主要因ではないと答えることができる。2008年のリーマンショックの時、もちろん、電力供給に支障などなかったが、多くの人が失業した。今でもそうだ。しかし、そんなことは、野田の念頭にはない。

さらに、野田は、このように主張する。

 

そうした事態を回避するために最善を尽くさなければなりません。夏場の短期的な電力需給の問題だけではありません。化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます。そのため、夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません。更に我が国は石油資源の7割を中東に頼っています。仮に中東からの輸入に支障が生じる事態が起これば、かつての石油ショックのような痛みも覚悟しなければなりません。国の重要課題であるエネルギー安全保障という視点からも、原発は重要な電源であります。

単に夏場だけでなく、電力価格の高騰をさけ、雇用を確保するために、原発からの電力供給は恒常的に必要であり、そうでなければ「国民の生活」を守れないと主張するのである。この論理でいけば、原発は半永久的に維持しなくてはならなくなるだろう。しかし、そうなると、新たな安全基準で大飯原発の安全性に疑問がもたれた場合、どうするのだろうか。暫定的な安全基準によって、原発再稼働するということは、実は「電力の安定供給」という野田の命題そのものを裏切ることになるのである。つまり、「安全」が確保されないと「電力の安定供給」→「国民生活を守る」という論理が危うくなっていくのである。

さらに、野田は、このように述べる。

 

そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。

まず、「大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました」というところをみておこう。これは、二重の意味で問題をはらんでいる。「大都市」でなければ「豊かで人間らしい暮らし」ができないのか。つまり、地域格差がここでは前提となっているのである。また、「大都市」であっても全ての人が「豊かで人間らしい暮らし」をしているのか。階級格差もここでは前提となっているのである。電力供給がなされても「豊かで人間らしい暮らし」など保障されない。しいていえば、その一部にすぎない。そして、電力供給難のみが「大都市における豊かで人間らしい暮らし」をおくることの支障になるというならば、地域格差も階級格差も関係ない人を対象にしているといえる。その意味で、野田の「国民」とは「大都市における豊かで人間らしい暮らし」を享受している人をさすことになるだろう。その点、電力供給とは関係なく「豊かで人間らしい生活をおくれない人」のことなど眼中にはない。電力価格高騰で、家庭や中小企業が困窮するといっているが、最近の報道では、東電の利益の9割が家庭向けから得ていると聞く。そんなものなのである。

後段の「関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。」という発言は、全く理解できない。野田は原発の安全性を最初のところで主張している。立地自治体は別に電力生産者でもなく、原発が安全ならば、原発によって苦労を強いられることはないだろう。原発のリスクがあるから苦労するのだ。強いて言えば、電力供給によって「国民の生活を守る」という国策に従ってきたことへの敬意と感謝なのだが、その言外には、原発のリスクを甘受せざるをえないという犠牲をねぎらうということが含意されている。その意味で、野田は、自分の最初にいった発言を裏切っているのだ。

そして、野田は、大飯原発の再稼働を宣言するのである。

 

以上を申し上げた上で、私の考えを総括的に申し上げたいと思います。国民の生活を守るために、大飯発電所3、4号機を再起動すべきというのが私の判断であります。その上で、特に立地自治体の御理解を改めてお願いを申し上げたいと思います。御理解をいただいたところで再起動のプロセスを進めてまいりたいと思います。

 福島で避難を余儀なくされている皆さん、福島に生きる子どもたち。そして、不安を感じる母親の皆さん。東電福島原発の事故の記憶が残る中で、多くの皆さんが原発の再起動に複雑な気持ちを持たれていることは、よく、よく理解できます。しかし、私は国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはできません。

「国民の日常生活」を守ることが、野田の至上命題になっている。ある意味で、彼にとっては、福島のことは「非日常」なのであり(それ自身はそうだが)、「日常」を守る上では考慮されない。もし、敬意と感謝を述べるならば、それはいまだ原発リスクを完全には体験していない福井県の人びとではなく、そのリスクを身をもって体験した福島県の人びとであると思うが、もはや「原発再稼働」というカードをもたない福島県の人びとは対象外なのである。

しかし、彼は、長期的には原発への依存度を下げるのだという。

 

一方、直面している現実の再起動の問題とは別に、3月11日の原発事故を受け、政権として、中長期のエネルギー政策について、原発への依存度を可能な限り減らす方向で検討を行ってまいりました。この間、再生可能エネルギーの拡大や省エネの普及にも全力を挙げてまいりました。

 これは国の行く末を左右する大きな課題であります。社会の安全・安心の確保、エネルギー安全保障、産業や雇用への影響、地球温暖化問題への対応、経済成長の促進といった視点を持って、政府として選択肢を示し、国民の皆様との議論の中で、8月をめどに決めていきたいと考えております。国論を二分している状況で1つの結論を出す。これはまさに私の責任であります。

これは、「国民生活を守る」ために原発は必要だとする彼自身の前述した論理を裏切っている。もし、そういうのならば、原発への依存度を下げてはいけないはずである。このような自己矛盾している野田に「国論を二分している状況で1つの結論を出す。これはまさに私の責任であります」ことが可能なのだろうか。

最後に彼は、このようにいう。

再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞ御理解をいただきますようにお願いを申し上げます。

 また、原子力に関する安全性を確保し、それを更に高めていく努力をどこまでも不断に追及していくことは、重ねてお約束を申し上げたいと思います。

 私からは以上でございます。(記者との応答は省略)

再稼働させないことは「生活の安心を脅かす」というのである。つまり、再稼働反対派は、「国民の生活」を脅かすということになる。ある意味では「非国民」ということになろう。

しかし、これは、再稼働反対派・慎重派からいわせれば、全く逆であろう。原発の安全性が担保されないまま、再稼働されることこそ、「生活の安心を脅かす」ことになる。

さて、全体でいえば、この野田の主張は、自己矛盾の塊といってよい。いくら野田でも「安全性」が最優先されることはふまえて「安全」といっているが、しかし、原発のリスクが立地自治体におよぶことを言外に認めざるをえない。今後、規制庁ができたら新たな安全基準で審査する必要性があるとするのだが、もし、そうなれば、原発を停止する可能性があり、電力の安定供給ということに反するであろう。さらに、原発に依存しなくては日本社会が成り立たないといいながら、長期的には脱原発依存を主張する。ある意味で、再稼働反対派・慎重派の原発から「国民の生活を守る」という論理を小器用に転換して、電力供給の危機から「国民の生活を守る」という論理で当面は糊塗しているといえるが、内容は矛盾だらけである。

しかし、この中で、ある種、「国民の生活を守る」という国民国家的名目で、国家主義を押し付ける論理が顕在化してきていることに注意しなくてはならない。その中で、電力供給という、「大都市で豊かで人間らしい生活」をおくる人びとの利益が国民全体のものとされてくる。そして、その仕組みに犠牲を払って従う人びとは、賞賛される。他方、反対派の意見は「国民生活を守る」点から排除される。もはや、原発の安全神話が崩壊し、原発のリスクに見合うリターンなど存在しなくなった時、浮上してきたのは、一面的に「国民生活を守る」ことの内容を国家の首脳が定義し、犠牲を払いつつ従う人たちを組織し、別種の「国民の生活を守る」という論理を排除する、ある種の国家主義なのであるといえる。しかも、それが、おおい町長や福井県知事の要請に答えてー形式的には下からの要請に答えて、出現したということにも着目しておかねばならない。

単に、原発再稼働ということをこえて、私たちは歴史的な試練を迎えているという感が否めないのである。

Read Full Post »

Older Posts »