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Posts Tagged ‘原発震災’

4月25日、相馬市の原釜漁港にまわってみた。原釜漁港は松川浦に所在する三つの漁港(磯部・松川浦・原釜)の一つである。 googleマップでみると、磯部漁港は松川浦の奥で、最も南に位置している。松川浦漁港は松川浦の入り口でその内側であり、原釜漁港は松川浦の入り口で外海に面している。この原釜漁港を中心とする松川浦漁港は、東北でも有数の水揚げを誇る漁港であった。

原釜は、太平洋に直接面しているため、東日本大震災による津波の直撃を受けたところである。今、その映像が残されている。たぶん、原釜漁港のそばの高台から撮影されているのだろう。写っている建物は相馬原釜地方卸売市場である。かなり長い動画であるが、津波の経緯がよくわかる。最初は、それほど高い津波ではないが、しだいに高まり、堤防をこえ、相馬原釜地方卸売市場を襲った。少なくとも二階部分までは水没したようである。相馬市の津波高は、最終的には9mを超えていたようである。

なお、この動画では、最初のところで撮影者たちの事態を楽観していた声が収録されているが、その後、このようなことを付記してyoutubeにアップされている。

この映像を見るのは私自身正直つらく、けして表に出すものではないと思っていました。
逃げ惑う人、津波に飲み込まれる船、あんなに絶対絶命の状況でも必死に生きようとしている人達の姿を、遠い所からただ撮影してることしかできなかった自分にものすごく嫌悪­感があったからです。また、津波を目の前で見た人にしか分からない恐怖感が甦ってくると思ったから。
しかし、震災から半年がたった今、この映像を今後の教訓にできる様に、資料として使って頂くのが最良だと感じる様になりました。
地震大国日本にいる私たちは、常にこの映像と隣り合わせだということを、観た方たちには本当に感じていただきたいと思います。
そして、今後このような災害に見舞われた時に、冷静な判断で少しでも多くの命が助かることを祈ります。

サイト「東日本大震災(地震、津波)被害状況専門サイト」による、2012年4月12日時点の被害状況は、次の通りである。

2012/4/12時点の相馬市の被害状況※ 福島県,復興庁HPのデータより
死者数:458
行方不明者数:0
県内第1次,2次避難所在住者数:0
住宅、建物被害(全壊数+半壊数):1791
仮設住宅建設戸数:1500 (完成度100%)
仮設住宅建設箇所数(団地数):13
※ 6/17:仮設住宅への入居等が完了し全避難所が閉鎖。
※ 仮設住宅一覧はこちらのページ

2012/4/9時点の災害廃棄物(震災がれき)処理状況 ※環境省公表資料より

がれき推計量:25万4千トン
※ うち建物解体に伴うがれき発生推計量:2万3千トン

解体を除いたがれき推計量に対する撤去率:100%
解体を含んだがれき推計量に対する撤去率:97%
※ 撤去は仮置き場への搬入のことです。

処理・処分量:1万6千トン
処理・処分割合:6.5%
※ 破砕・選別等により有価売却、原燃料利用、焼却やセメント焼成、
  埋立処分等により処理・処分された量。

http://ranasite.net/?p=1478#Higai

その跡を写したのが、この動画である。ただ、先の津波現場の動画より、やや北側のところを主に写している。2011年4月6日撮影とのことである。多くの建物が流失し、瓦礫しか残っていないことがわかる。

4月25日、私自身がみた原釜地区の景況は、次の通りである。海岸付近の住宅は流され、ほとんど基礎しか残っていない。農地が主に被災した南相馬市と比べると、漁港が多かった女川や牡鹿半島の被災に類似しているように思われる。ただ、山のようにあった瓦礫の多くは整理されていたようである。瓦礫の撤去は90%以上進んでいるとのことであったが、たぶんその通りなのであろう。

相馬市原釜地区(2012年4月25日撮影)

相馬市原釜地区(2012年4月25日撮影)

そして、被災した相馬原釜地方卸売市場(魚市場)は、1年たってもがらんどうのままであった。同じく津波に被災した気仙沼魚市場が2011年6月、石巻魚市場・女川魚市場が2011年7月に再開されたことからみても、非常に遅れている。

相馬原釜地方卸売市場(2012年4月25日撮影)

相馬原釜地方卸売市場(2012年4月25日撮影)

この付近の漁船の大半は、松川浦側の松川浦漁港に繋留されていた。これらのうちには、津波に被災し、各地に流されてしまった船もあるだろう。しかし、ほとんど、漁に出た形跡はなかった。

松川浦漁港に繋留される漁船(2012年4月25日撮影)

松川浦漁港に繋留される漁船(2012年4月25日撮影)

このように、原釜・松川浦漁港の漁業再開が遅れているのは、いうまでもなく原発災害による海洋汚染のためである。2011年、福島県の各漁協では、水産物の放射性物質による汚染を懸念して、福島県の沿岸漁業を自粛した。いわき市小名浜については、2011年8月より沖合捕獲のカツオ漁の水揚げが再開された。しかし、これも、放射性物質汚染を懸念した買い控えをおそれ、6月から可能であった水揚げが延期され、ようやく8月なってから水揚げがなされたのである。もちろん、小名浜においても、沿岸漁業の自粛は続いている。次の読売新聞のネットに、2012年2月時点における原釜漁港の景況が報道されている。

来月11日めど 直売所も開店 県外から魚調達

 東日本大震災の津波で被災した福島県相馬市原釜の水産加工業者などでつくるNPO法人「相馬はらがま朝市クラブ」が震災から1年になる3月11日をめどに、水産加工場を再開し、直売所の「相馬報徳庵」をオープンさせる。(高貝丈滋)
 東京電力福島第一原発事故の影響で県内は出漁自粛が続き、相馬市内の加工場もほぼ休止状態にあるため、材料の魚は県外から調達し、復興へ向けた一歩を踏み出す。
 朝市クラブは、相馬市の水産加工場の経営者や全国各地のボランティア約30人でつくられ、津波で工場が被災したセンシン食品経営、高橋永真(ながまさ)さん(52)が理事長を務める。昨年5月から、週末に市の中心部で支援物資を提供したほか、リヤカーで仮設住宅を巡回して野菜などの販売や声かけ訪問を行ってきた。
 東北地方で有数の水揚げを誇る相馬原釜漁港周辺ではヒラメ、マガレイ、ミズタコなどを加工する水産加工会社が25社あったが、津波で被災し、ほとんどが止まったままだ。出漁自粛により、同港の漁船約120隻も現在は稼働していない。
 震災後1年をきっかけに、水産加工場を再稼働させて地元に雇用を生み出そうと、高橋さんらは今年に入り、北海道函館市や松前町、青森県深浦町などの業者に魚を卸してくれるよう要請し、協力を得られることになった。
 加工場は、津波の被害を受けた原釜地区の施設を修理して活用する。直売所は、中小企業基盤整備機構の支援制度を利用して造られた相馬市中村の仮設店舗を使う。
 店舗内は、阪神大震災で被災した経験を持つ朝市クラブの副理事長、石井弘二さん(59)の紹介で、神戸市の大工が工事した。材木は、相馬市と交流のある神奈川県小田原市から寄付された杉を使用した。
 高橋さんは、「水産業の街・相馬を復活させるためにも加工場を再開させるのが第一歩。前へ進んでいきたい」と話している。
(2012年2月29日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/job/news/20120228-OYT8T00456.htm

そして、現在でも、検査のためにとった福島県の水産物の一部から、放射性物質は検出されている。基準値が100ベクレル/kgとなったこともあり、出荷できる範囲をこえた水産物は後を絶たないのである。

福島県産水産物における緊急モニタリング調査結果(2012年4月24日公表分まで)

福島県産水産物における緊急モニタリング調査結果(2012年4月24日公表分まで)

クリックしてhousya-soukatu01.pdfにアクセス

相馬市原釜漁港における津波被災は圧倒的なものであった。しかし、同じく、津波に被災した石巻・女川・気仙沼(これらの地域でも、スムーズに生活復旧が進んでいるとは思わないが)と比較して、生業としての漁業再開が進んでいないのは、原発災害による海洋への放射性物質汚染のためなのである。

石橋克彦氏は、震災と原発災害の同時的被災を「原発震災」とよんだ。この原発震災のありようが、ここ相馬市原釜漁港にあらわれている。震災による被災とともに、原発災害による被災が、この地に重くのしかかっているのである。

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今回もまた、2012年3月24日の歴史科学協議会主催のシンポジウム「原発震災・地震・津波ー歴史学の課題ー」で、石橋克彦氏の報告「史料地震学と原発震災」を聞いて考えたことを書いていくことにする。

石橋克彦氏は、2011年以前から、地震被災による原発事故の危険性を主張していたことでよく知られている。石橋氏の原発論の原点は、1997年10月に発表した「原発震災」(『科学』67巻10号、1997年10月所収)である。この論文の中で、石橋氏は、まず、「活断層がなければ直下のM7級大地震はおこらない」という当時の通産省の考え方を批判し、北丹後地震(1927年)、鳥取地震(1943年)、福井地震(1948年)を例に出して、活断層がなくても大地震は起こりえるとした。

さらに、M8級の東海巨大地震発生が懸念されている想定震源断層面のほぼ真上に位置している浜岡原発を事例にして、原発が大地震に直撃された際の原発災害の状況を石橋氏は次のように想定している。地震動、地盤変形、津波で原発の各施設が損傷し、外部電源が止まり、ディーゼル発電機やバッテリーが作動しないなどの故障が同時発生する。運転員も対処しきれない状態となる。その場合、原子炉建屋の耐震性は問題ではなく、配管・原子炉・制御棒・ECCSが破壊される可能性があると石橋氏は指摘している。そして、このような状況が現出するだろうと石橋氏は述べている。

原子炉が自動停止するというが、制御棒を下から押し込むBWR(沸騰水型炉)では大地震時に挿入できないかもしれず、もし蒸気圧が上がって冷却水の気泡がつぶれたりすれば、核暴走がおこる。そこは切り抜けても冷却水が失われる多くの可能性があり(事故の実績は多い)、炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される…その結果、膨大な放射能が外部に噴出される。(「原発震災」p723) http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/9710kagaku.pdfより

石橋氏は、この論文の中で、浜岡原発が大事故を起こした場合、風下側であると17km以内で90%以上の人が急性死し、南西風であると首都圏を中心に434万人の人が晩発性障害(がん)で死亡するという推定を紹介している。また、チェルノブイリ事故の白ロシア共和国の基準であると、茨城県から兵庫県までが風下側ならば長期間居住不可になるとしている。

その上で、石橋氏は、このように述べている。

東海地震による”通常震災”は、静岡県を中心に阪神大震災より一桁大きい巨大災害になると予想されるが、原発災害が併発すれば被災地の救援・復旧は不可能になる。いっぽう震災時には、原発の事故処理や住民の放射能からの避難も、平時にくらべて極度に困難だろう。つまり、大地震によって通常震災と原発災害が複合する”原発震災”が発生し、しかも地震動を感じなかった遠方にまで何世代にもわたって深刻な被害を及ぼすのである。膨大な人々が二度と自宅に戻れず、国土の片隅でガンと遺伝的障害におよびながら細々と暮らすという未来図もけっして大袈裟ではない。(「原発震災」p723)

前もいったように、石橋氏のこの発言は1997年に行われた。そして、このことは、実際に2011年に福島で現出してしまったのである。福島の被災状況は、石橋氏のいう通常震災と原発災害が複合する「原発震災」といえるであろう。このような状況は、すでに1997年には予測可能であったのだ。

その上で、石橋氏は、もっとも焦眉の課題として、浜岡原発の廃炉をあげている。石橋氏は、このように主張している。

正常な安全感覚があるならば、来世紀半ばまでには確実に発生する巨大地震の震源域の中心に位置する浜岡原発は廃炉を目指すべきであり、まして増設を許すべきではない。(「原発震災」p723)

そして、浜岡原発以外でも原発震災が発生する可能性があるとして「防災基本計画」以下の防災対策を全国規模で、原発震災を具体的に想定したものに早急にかえるべきであると石橋氏は主張している。さらに、石橋氏は次のように述べている。

しかし、防災対策で原発震災をなくせないのは明らかだから、根本的には、原子力からの脱却に向けて努力すべきである。86年のチェルノブイリ原発事故によって日本まで放射能の影響を受けたことを考えれば、地震大国日本が原発を多数運転しているのは世界にたいしても大迷惑である。(「原発震災」p724)

石橋氏によれば、使用済み核燃料や廃炉の問題を考えると原発は経済的ではないし、地球環境問題にも有効ではないとし、電力の規制緩和をすすめ、ごみ焼却熱や自然エネルギーを活用すれば、適正な電力を供給できるとしている。そして、石橋氏は、次のように主張している。

電力需要の増加を当然のこととして、それを原発の増加でまかなうというやり方は、持続可能な人間活動が切実に求められるいま、もはや通用しない。(「原発震災」p724)

そして、石橋氏は、東アジア地域で原発が急増していることについて、「東アジアの原発で大事故がおこった場合、日本にも重大な影響がおよぶことは疑いないから、原子力に頼らないでほしいと思うが、日本が率先しなければ説得力はない」(「原発震災」p724)と述べている。

石橋氏は、脱原発の流れが定着しているヨーロッパと違い、民意が政策決定に反映されにくく、政府が原発推進を堅持し、原子力産業の圧力が強大で、立地地域の経済が原発に依存させられている日本では、脱原発にむけて歩みだすのは容易なことではないとし、「原発をめぐる社会的閉塞状況は、破局的敗戦に突き進むほかなかった昭和10年代と酷似しているようにも思える」(「原発震災」p724)という。だが、石橋氏は、次のように主張して、この論文を締めくくっている。

しかし、原子力開発最盛期以降の2,30年間に日本列島の地震発生様式の理解を深めた地震科学が、原発の直近で大地震はおこらないという楽観論を否定し、原発震災による破滅を避けるための具体策の必要性を示しているのである。全国の原発について、原発震災のポテンシャルが相対的に高い原子炉から順次廃炉にし、日本全体の原発震災の確率を段階的に下げていくというような道筋を、真剣に考えなくてはならない。(「原発震災」p724)

この思いが、石橋氏の原発問題への警告の出発点となったといえよう。結局、この警告は実質的にいかされることはなく、福島の原発震災は現実のものとなってしまった。石橋氏は、3月24日のシンポジウムの中で、そのことをくやんでいた。そして、今は、国会の事故調査委員会の一員として活動している。

石橋氏は、3月24日のシンポジウムの中で、このように指摘している。

地上の脆弱な高度文明社会が、地下の動乱時代に遭遇するのは、人類史上初である。

地球上で最も過酷な地震空間が、最も活動的時間にあるという、厳然とした自然条件。
→大自然の猛威を何とかすりぬけてきた日本人が、それに直撃される。

「人々の幸せのための物々交換」から「金儲けのための自由貿易至上主義」へ、「暮らしを支えるための技術」から「利潤追求のための欲望刺激型技術開発」へ、「大自然をよりよく知りたい科学」から「欲望実現の用心棒としての科学」へと発展してきた現代文明。それが「進歩」だったのか。

このような人類史を根底から問い直すべき秋が到来したのではないか?(石橋克彦「史料地震学と原発震災」報告レジュメより)

このような、いわゆる科学の分野から提起された課題は、現代における「歴史」の課題でもある。そして、どのように、この問いに応えていくか、私たちそれぞれ自身が考えていかねばならないのだ。

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