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2014年8月6日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(平和記念式典)にて、安倍晋三首相が昨年とほぼ同様の挨拶を行い、まるでコピペをしているようにみえるということが主にインターネット上で話題となっている。そのことを報じている東京新聞のネット配信記事をまずみてほしい。

広島平和式典 首相スピーチ「コピペ」 昨年と冒頭ほぼ同じ

2014年8月8日 朝刊

 広島市で六日に開かれた被爆から六十九年の平和記念式典で、安倍晋三首相が行ったスピーチの冒頭部分が昨年とほぼ同じ内容だったことから、インターネット上で「使い回し」「コピペ(文章の切り貼り)だ」と批判を集めている。
 安倍首相は「人類史上唯一の被爆国としてわが国には『核兵器のない世界』を実現していく責務がある」などとあいさつ。読み上げた文章を昨年と比較すると「六十八年前の朝」が「六十九年前の朝」となり、「せみ時雨が今もしじまを破る」という表現がなくなった以外は冒頭三段落が一字一句同じだった。今年は四十三年ぶりに雨の中で式典が開かれていた。
 後半部分は、いずれも「軍縮・不拡散イニシアチブ」の会合や原爆症認定について触れているが、表現は異なっていた。
 東京都世田谷区の上川あや区議が、テキスト比較ソフトを使って両者の冒頭四段落を並べた写真を七日未明、短文投稿サイトのツイッターに投稿。五千人以上が転載した。
 広島県原爆被害者団体協議会(金子一士理事長)の大越和郎事務局長(74)は「厳粛な慰霊碑の前で前年と同じあいさつをするとは、広島や被爆者、平和を軽視している証左だ。それが底流にあるから集団的自衛権の行使容認を閣議決定したのではないか」と話した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014080802000132.html

実際、どうなのだろうか。まず、首相官邸サイトにアップされている昨年と本年の「挨拶」を見比べてみよう。まず、前半はこのようになっている

【2013年】
広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
 68年前の朝、一発の爆弾が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
 犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。蝉しぐれが今もしじまを破る、緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
 私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には、確実に、核兵器のない世界を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/0806hiroshima_aisatsu.html

【2014年】
 広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
 69年前の朝、一発の爆弾が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
 犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
 人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0806hiroshima_aisatsu.html

三段落目までは、記事の指摘の通りである。「68年前」を「69年前」に言い換え、「蝉しぐれが今もしじまを破る」というフレーズを抜いただけで、あとはほとんど同じである。今年の広島の式典は降雨の中で行われたということだから、もし晴れていれば「蝉しぐれ」云々も残されていたかもしれない。

四段落目の前半の表現はさすがにかえている。しかし、「私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には」(【2013年】)といっても、「人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には」(【2014年】)といっても、意味はそれほど変わらないだろう。細かくいえば「私たち日本人」が「我が国」に主体が転換しており、それ自体、国家中心主義的な志向が強まったといえるかもしれない。そして、この後段の文章は「」の有無程度の違いはあるが、「確実に、核兵器のない世界を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります」とともになっている。

続いて、後半の文章をみておこう。

【2013年】
 昨年、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議は、米国並びに英国を含む、史上最多の99カ国を共同提案国として巻き込み、圧倒的な賛成多数で採択されました。
 本年、若い世代の方々を、核廃絶の特使とする制度を始めました。来年は、我が国が一貫して主導する非核兵器国の集まり、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開きます。
 今なお苦痛を忍びつつ、原爆症の認定を待つ方々に、一日でも早くその認定が下りるよう、最善を尽くします。被爆された方々の声に耳を傾け、より良い援護策を進めていくため、有識者や被爆された方々の代表を含む関係者の方々に議論を急いで頂いています。
 広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、旧倍の努力を傾けていくことをお誓いします。
 結びに、いま一度、犠牲になった方々の御冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。

【2014年】
 私は、昨年、国連総会の「核軍縮ハイレベル会合」において、「核兵器のない世界」に向けての決意を表明しました。我が国が提出した核軍縮決議は、初めて100を超える共同提案国を得て、圧倒的な賛成多数で採択されました。包括的核実験禁止条約の早期発効に向け、関係国の首脳に直接、条約の批准を働きかけるなど、現実的、実践的な核軍縮を進めています。
 本年4月には、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開催し、被爆地から我々の思いを力強く発信いたしました。来年は、被爆から70年目という節目の年であり、5年に一度の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます。「核兵器のない世界」を実現するための取組をさらに前へ進めてまいります。
 今なお被爆による苦痛に耐え、原爆症の認定を待つ方々がおられます。昨年末には、3年に及ぶ関係者の方々のご議論を踏まえ、認定基準の見直しを行いました。多くの方々に一日でも早く認定が下りるよう、今後とも誠心誠意努力してまいります。
 広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、倍旧の努力を傾けていくことをお誓いいたします。結びに、いま一度、犠牲になった方々のご冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。

後半をみてみると、もちろん、政策の展開を触れた部分は異なっていることがわかる。ただ、テーマは、2013年も2014年も「国連総会」「軍縮・不拡散イニシアティブ」「原爆症援護」をあげている。その意味では、ここも「前年踏襲」なのである。

さらに結びの部分は、ほとんど同じといってよいだろう。行替えの有無、そして「旧倍」を「倍旧」にしていること、さらに「お誓いいたします」を「お誓いします」と言い換えているくらいしか、違った部分を見つけることはできなかった。

全体でいえば、2013年の「挨拶」原稿に、一年間にあった政策展開の部分を修正し、それ以外に多少表現上の手直しをしたというにとどまっている。そして、遠慮なく、前年の「挨拶」を流用しているのである。同じなのは「冒頭」だけではない。「おわりに」もほとんど同じなのだ。

これは、もちろん、セルフコピーだから著作権上の問題にはならない。しかし、随分、人を食った話である。オリジナルかのように発話しているが、しかし、それは前年の踏襲でしかない。知的に誠実であれば、「昨年も同様のことを申し述べましたが、大事なことなのでもう一度申し上げます」というだろう。

この場が、日本の平和政策を世界にむけてアピールする場でもあるはずだが、前年と同じでは全くインパクトがない。さらに、そのようなことを平然とする首相のレベルが世界的に疑われることになるだろう。「核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓い」と最後にいっているが、このようなアピールすら前年踏襲で、どこが「力を惜しまぬ」というのだろうか。「言葉」すらも選ぶ努力をしないのである。本当に「言葉」だけなのだ。

もちろん、首相などのスピーチは本人が書いているものではないだろう。官僚などのスタッフが原案を書いているに違いないのだ。首相は、どんなことを発話したいか、それをスタッフに指示すれば、スタッフが原案を作成するだろう。たぶん、そのような指示すらしなかったと考えられる。

そして、これは、原爆死没者という「死者」たちに向けた「言葉」でもあることにも注目しなくてはならない。安倍首相にとって「死者」たちーしかも「国家」によって犠牲とされたーへの言葉は、それこそ通り一遍のもので構わないのである。

ある意味で、この一件には、安倍晋三首相の姿勢が如実に表現されているといえよう。平和については「言葉」すら選ぶ努力をしないのに、「力を惜しまぬ」と主張しているのである。

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さて、原子力開発のもう一人の立役者であった、正力松太郎についてみておこう。このことについては、知人から教えられた、次の「原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~」(NHK現代史スクープドキュメント 1994年放送)をみるのが、一番わかりやすいだろう。下記のサイトより検索してほしい。

http://scrapjapan.wordpress.com/

このドキュメントを要約しておこう。アメリカは、対ソ競争を前提にして、西側諸国に平和目的での原子力開発を促し、そのことによって、今まで以上にこれら諸国をアメリカの核戦略にとりこむことを政策課題としていたが、日本においては1954年3月の第五福竜丸事件を契機に、それまで以上に核兵器への反対運動が高揚し、アメリカへの反発が強まっていた。この状況下で、アメリカ政府の代理人D・ワトソンは、日本テレビの重役であった柴田秀利に接触し、核兵器開発への対日心理戦略への協力をもちかけた。柴田は、読売新聞・日本テレビという二大マスコミを傘下にもつ読売グループの総帥である正力松太郎に説き、両マスコミを通じて平和目的の原子力開発のキャンペーンを大々的に展開させた。一方、正力松太郎は、1955年2月の総選挙に、保守合同と原子力開発を公約に掲げて立候補して当選し、保守合同後の11月の鳩山内閣の内閣改造で原子力担当大臣として入閣し、初代原子力委員長に就任するなど、原子力開発を強力に推し進めていった。このような形で、日本において、平和目的の原子力開発を促進され、アメリカの核戦略により深くとりこまれていった。

このプロットは、佐野真一氏の『巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文芸春秋 1994年)とほぼ一致している。ただ佐野氏が、典拠をあげずに論を進めていることと対照的に、このドキュメントは、アメリカの公文書、柴田秀利の資料、ワトソン自身のインタビュー、当時の新聞など、基本的には典拠をあげて映像化しており、より信頼がおけるといえる。ただ、佐野氏もとりあげている中曽根康弘の原子力開発への関与には言及されていない。

この当時の戦略は、柴田の手記による本人のこの発言に概括されるであろう。

日本には昔から“毒は毒をもって制する”という諺がある。原子力は諸刃の剣だ。原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的に謳いあげ、それによって、偉大なる産業革命の明日に希望を与える他はない。(同様の趣旨はドキュメントでも発言しているが、ここでは佐野前掲書より引用)

反米の意味を有する原爆反対運動を潰す、そのために、原子力の平和利用を謳いあげ、産業革命を希望させるということ、そのために、読売新聞と日本テレビは、社をあげて世論操作を実施し、総帥の正力松太郎自身が原子力を行政的に推進していったといえる。

このドキュメントの中では、日本学術会議のメンバーを柴田が警察庁などを使って調査させ、反対派には印をつけていたことなどが紹介されている。現在、原発反対派の研究者に尾行がつけられていたことが議論されているが、実は、原子力開発の最初からそのようなことはあったといえるのだ。

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