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Posts Tagged ‘原子力三原則’

さて、前回のブログで、2012年6月20日、原子力規制委員会設置法の付則というかたちで、原子力基本法も法改正され、原子力三原則に「前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。」という文言が追加されたことを、原子力三原則の歴史的経緯からみてきた。簡単にいえば、被爆国ということを前提にした「原子力の平和利用」に限定するための方針である原子力三原則の精神に相反する改変であるといえる。

では、具体的には、どのような経緯で、原子力基本法は改変されたのか。ここでは、その経過をみていこう。

まず、どのような形になったのか。改正された原子力基本法の冒頭部分の改変個所を確認しておくことにしよう。「 」のところが改変された部分である。なお、原子力基本法は原子力安全委員会のことなども規定しており、そのようなことも、原子力規制委員会設置法で定められている。

(目的)
第一条
 この法律は、原子力の研究、開発及び利用(「以下『原子力利用』という」と付け加えられる)を推進することによつて、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。
(基本方針)
第二条
 「原子力利用」(「原子力の研究、開発及び利用」を修正)は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。
「2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。」

民主党内閣は、「原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案」及び「原子力安全調査委員会設置法案」を国会に提出することを2012年1月31日に閣議決定したが、その中には、「安全保障に資する」などの規定はない。この2法案は、内閣府にある原子力安全委員会や経産省にある原子力安全・保安院などを、今回設置する環境省の外局としての原子力規制庁に一元化し、規制庁内部に「原子力安全調査委員会」に置くなど、原子力の安全性を保障する体制を確立することをめざしたものである。そこには「原子炉原則40年廃炉」という方針も設けられた。しかし、原子力基本法に対する姿勢は、今回の法改正とは全く違うものである。

具体的には、「原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案」の第三条には、このような改正を規定している。

第三条 原子力基本法(昭和三十年法律第百八十六号)の一部を次のように改正する。
  第一条中「利用」の下に「(以下「原子力利用」という。)」を加える。
  第二条中「原子力の研究、開発及び利用」を「原子力利用」に改め、同条に次の一項を加える。
 2 前項の安全の確保については、これに関する国際的動向を踏まえつつ、原子力利用に起因する放射線による有害な影響から人の健康及び環境を保護することを目的として、行うものとする。
(後略)
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm

現在の改定部分は、政府原案では、「前項の安全の確保については、これに関する国際的動向を踏まえつつ、原子力利用に起因する放射線による有害な影響から人の健康及び環境を保護することを目的として、行うものとする」とされていたのである。いわば、原子力基本法の「安全」規定を、「放射線による有害な影響」から健康や環境を保護することと、より詳細に決めている。これ自体も、原子力三原則の改変であるが、原子力三原則の精神に相反するものではないといえる。

しかし、この政府案に対抗して出された、自民党・公明党の「原子力規制委員会設置法案」は、全く相反した原子力基本法改変の提案を行っている。自公案は、政府案において首相が緊急時の対応において「原子力災害対策本部」より原子炉関係の指示することを嫌って、独立した形で「原子力規制委員会」を設置し、平時も緊急時もその委員会から安全対策を行うとするものである。政府案と自公案の考え方の違いは、福島第一原発事故への対応において、どこが問題になったかということへの見方の違いに起因している。政府案は、原子力安全・保安院や東電が十分な対応できず、政府側が指揮権を発動せざるをえないというところから構想している。他方、自民党側は、政府側が現場をーといっても東電や原子力安全・保安院ということになるがー振り回したことが事故の原因であるとし、ゆえに、政府から独立している「原子力規制委員会」に、緊急時の最終的指揮権を与えることを意図したものである。どちらもどちらであるが、政府案であれば、選挙の結果成立したまともな政府ー民主党政権ではないがーのもとであれば、より適切な事故対応が行われる可能性があるが、自公案であれば、専門家ーいわば「原子力ムラ」の人びとーから構成される「原子力規制委員会」にまかさざるをえないということになるだろう。

この自公案の「原子力規制委員会設置法案」では、第三条において、次のように規定している。

第三条 原子力規制委員会は、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資するため、原子力利用における安全の確保を図ることを任務とする。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm

ここで、「安全保障」という文言が出ているのである。そして、付則第十一条において、このように規定しているのである。

(原子力基本法の一部改正)
第十一条 原子力基本法(昭和三十年法律第百八十六号)の一部を次のように改正する。
  第一条中「利用」の下に「(以下「原子力利用」という。)」を加える。
  第二条中「原子力の研究、開発及び利用」を「原子力利用」に改め、同条に次の一項を加える。
 2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。
(後略)
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm

このように、あきらかに原子力規制委員会設置法案に引きずられた形で、原子力基本法を改変することがめざされているのである。そして、この原子力基本法の改定案は、実際に、この形で改変されたのである。

ある意味では、政府案と自公案は、原子力基本法の改変においても、全く違う姿勢をとっていた。それが、自公案をもとに改変されることになった。このことは、民主党・自民党・公明党の三党合意によるものといえる。次にかかげる毎日新聞のネット記事のように、6月14日、原子力規制委員会設置法案に関しての三党合意が成立した。ここでは、あまり強調されていないが、原子力規制委員会が原子力安全対策の要になることなど、民主党政権が、自公案にすりよったものといえる。そして、ほとんど報道されていないが、この中で、原子力三原則の改変も盛り込まれたのである。

<原子力>規制組織、3党最終合意…「原子力防災会議」新設
毎日新聞 6月14日(木)13時11分配信
 民主、自民、公明3党は14日午前、原子力の安全規制を担う新組織の設置法案の修正内容で最終合意した。首相をトップに全閣僚で構成する常設の「原子力防災会議」を新設。専門家らの「原子力規制委員会」が策定する原子力防災指針に基づき、原発敷地外での平時の防災計画や訓練などを推進し、関係各省庁、自治体との調整などの実務を行う。

 同会議は議長を首相が務め、副議長に官房長官と規制委員長、環境相を充てる。事務局は内閣府に置き、環境相を事務局長とする。3党は原子力基本法を改正し、同会議の設置を盛り込む方針だ。

 13日の3党実務者の修正協議で、原発敷地外の規制委、国、自治体の連携のあり方が最後の論点として持ち越されていた。

 14日午前に国会内で民主党の仙谷由人政調会長代行、自民党の林芳正政調会長代理、公明党の斉藤鉄夫幹事長代行が協議し、新法案の全容が固まった。新法案は今国会で成立する見通しだ。【岡崎大輔】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120614-00000037-mai-pol

しかし、この後の経過はひどいものである。6月15日に、政府案・自公案はともに撤回され、環境委員長名で「原子力規制委員会設置法案」が提案され、即日環境委員会での審議を終えることを強要された。法案の趣旨説明もされたが、そこでは、原子力基本法の改正には言及されていなかった。共産党所属の吉井英勝衆議院議員の環境委員会における発言を、ここでは紹介しておく。

吉井議員 質疑時間の中で意見も表明してくれという話なんで、今から意見を申し上げておきたいと思います。

 昨年の三・一一福島第一原発事故は、全電源喪失によるメルトダウンとその後の水素爆発によって大量の放射性物質を大気中に飛散させ、汚染水を海洋に流出させるなど、チェルノブイリに並ぶ史上最悪の原発事故となりました。

 あれだけ大きな被害を受け、今も約十六万人の人々が避難生活を強いられているときに、事故の深い原因究明と責任、教訓を明らかにして、本来、特別委員会を設置して各党が十分な議論を尽くしてよい法律をつくるべきであるのに、環境委員会という一つの常任委員会での審議で、しかも、三党修正協議がきょう出てきていきなり質疑、採決というやり方は、議会制民主主義に反する暴挙であり、民主、自民、公明三党修正協議と法案審議のあり方そのものについて、まず強く抗議をしておきたいと思います。

 その上で私は、原子力規制委員会設置法案に対し、反対の意見を述べます。

 このような事態を招いた政府と東京電力の責任は極めて重大です。事故を完全に収束させ、放射能汚染の被害から国民の生命と暮らしを守り、二度とこのような事故を起こすことのないように事故原因の徹底究明が不可欠であり、本法案の大前提となるものです。

 ところが、政府や国会の事故調の事故原因の究明が途上であるにもかかわらず、加害者である東京電力は、想定外の津波が原因で、人災でないと責任回避を続けております。野田政権もまた、津波、浸水が事故原因で、地震の影響はなかったという驚くべき断定を行いました。

 これは、再び新しい安全神話を復活させ、大飯三、四号機を初め、原発再稼働に進み、原発輸出戦略の条件づくりであり、断じて容認できません。

 この点でまた、事故の被害を拡大した当時の官邸の混乱のみを菅リスクと過大に問題にすることは、事態を一面的に描くものです。

 これと同時に、三・一一以前の歴代自民党政権の原子力行政のゆがみを徹底的に検証しなければなりません。

 反対理由の第一は、昨年の三・一一福島第一原発の事故原因と教訓を全面的に踏まえた法案となっていないからであります。

 特に、原子炉等規制法で根拠も実証試験もなく、老朽原発の四十年、例外六十年制限としたところ、本法案ではさらに事実上青天井とし、半永久的稼働を容認したことは、政府案を一層改悪するものであり、認められません。

 第二に、原子力規制組織をいわゆる三条委員会としていますが、推進と規制の分離、独立性を確保すべき原子力委員会を環境省のもとに置くとしていることは容認できません。

 環境省は、歴史的にも基本政策の上でも原発推進の一翼を担ってきた官庁であり、今国会に提出している地球温暖化対策基本法案で、温室効果ガスの排出抑制のため原発推進を条文上も明記したままです。これの削除と根本的な反省なしに真の独立は担保されません。当然、電促税を財源とする財源面でも問題であります。

 第三に、原子力基本法を改め、原子力利用の目的について「我が国の安全保障に資する」としたことは、いわゆる原子力平和利用三原則にも抵触するものです。

 また、国際的動向を踏まえた放射線対策と称して、内外の批判の強いICRP、国際放射線防護委員会の線量基準などを持ち込もうとしていることも認められません。

 最後に、我が国の原発政策の根幹をなす日米原子力協定と電源三法のもとで、原発安全神話をつくり上げ、地域住民の反対を押し切って原発を推進してきた歴代自民党政権の、政財官学の癒着した一体構造そのものにメスを入れる必要があります。

 地域独占体制と総括原価方式に守られた、電力会社を中心とする、原発メーカー、鉄鋼、セメント、ゼネコン、銀行など財界中枢で構成する原発利益共同体ともいうべき利益構造を解体することと、そして、再生可能エネルギーの爆発的普及とその仕事を地域経済の再生に結びつけ、エネルギーでも地域経済でも原発に依存しない日本社会への発展の道こそ、政治的決断をするべきものであります。

 以上申し述べて、私の発言を終わります。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm

また、6月15日の衆議院議院運営委員会でも、共産党の佐々木憲昭議員が、次のような抗議を行っている。

○佐々木(憲)委員 原子力規制委員会設置法案に対して、意見表明をいたします。

 この法案は、民主、自民、公明の三党によって緊急上程されようとしておりますが、断固反対です。

 法案は、昨夜十九時の時点で、でき上がっていなかったのであります。示されたのは、A4の紙一枚の、未定稿の要綱のみであります。きょうになって法案が示され、それを、まともな審議もせず、どうして採択できるでしょうか。しかも、本会議での討論も行わないなど、到底認められません。

 もともと、法案は、環境省の所管を超える広範な領域を含む原子力行政全般にかかわるものであり、全ての政党が参加し、充実した審議を行うにふさわしい委員会に付託すべきでありました。本会議では、重要広範議案として扱われ、総理も出席して質疑が行われたのであります。

 ところが、三党は、特定の範囲しか扱わない環境委員会に原子力規制委員会設置法案を付託するという暴挙を行ったのであります。

 私たちが抗議すると、与党は、議運理事会で、環境委員会に付託するかわり、審議には日本共産党、社民党、みんなの党などを常時出席させて審議を行わせ、理事会にも出席させるという言明がありました。

 しかし、審議時間は極めて短く、きょうを入れてわずか二回しか行われず、連合審査は一回だけでありました。理事会では、陪席さえ許されず、単なる傍聴扱いでありました。委員会での総理出席の審議も行われておりません。なぜ、これほど拙速な形で法案を通さなければならないのでしょうか。

 この法案には重大な問題が含まれております。

 第一は、昨年の三月十一日福島第一原発の事故原因と教訓を全面的に踏まえた法案となっていないのであります。

 特に、原子炉等規制法で、根拠も実証試験もなく、老朽原発の四十年、例外六十年制限としていたところ、本法案で、さらに、事実上、青天井とし、半永久的稼働を容認したことは、政府案を一層改悪するものであります。

 第二は、原子力規制組織について、推進と規制の分離、独立性を確保すべき規制委員会を環境省のもとに置くこととしていることであります。

 環境省は、歴史的にも、基本政策の上でも、原発推進の一翼を担ってきた官庁であり、今国会に提案している地球温暖化対策基本法案で、温室効果ガスの排出抑制のため、原発推進を条文上も明記したままであります。この削除と抜本的反省なしに、真の独立性は担保されません。

 第三に、原子力基本法を改め、原子力利用の目的について、「我が国の安全保障に資する」としたことは、いわゆる原子力平和利用三原則にも抵触するものであります。

 最後に、我が国の原発政策の根幹をなす日米原子力協定と電源三法のもとで、安全神話をつくり上げ、地域住民の反対を押し切って原発を推進してきた歴代政権の政財官学の構造そのものにメスを入れることが必要であります。原発再稼働など論外であります。

 このことを指摘し、意見表明といたします。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm

しかし、同法案は、衆議院本会議におくられ、そのまま可決されてしまったのである。

参議院においては、いまだ会議録が公開されておらず、確定した情報はない。ただ、この法案には4日間しか審議期間がなかったことは報じられている。15日は金曜日であるから、たぶん、17・18・19・20日の4日間であろう。民主党議員も含めて、それなりの議論はあり、環境委員会での付帯決議も可決されたと伝えられている。そして、最終的に、20日の参議院本会議で、同法案は可決され、原子力三原則の改変がなされてしまったのである。

原子力三原則の影響については、また別個に記しておきたい。ただ、いえることは、この原子力規制委員会設置法による原子力三原則の改変は、16日に民・自・公が合意した消費増税法案の成立過程と平行して行われており、それと同様の問題をはらんでいるということだ。消費増税案と同様に、原子力規制委員会設置法案でも、ほとんど自公案の骨子を民主党が受け入れる形で民・自・公の合意が成立した。この合意は、公開の場である国会審議を無視した形で行われ、人びとの目にふれない形で、このようなことがなされてしまったのである。民・自・公という大政党が「合意」すれば、公開の原則すら蹂躙される。

他方、民主党議員でも、このような改変には疑問をもった人びとはおり、参議院環境委員会でも議論はあったようである。しかしながら、参議院本会議での採決結果をみると、ほとんど民主党議員は同法案に賛成しているのである。消費増税法案と同様に党議拘束がかかっているのである。ある意味で、一部議員個人の意識すら相反した形で、この改変はなされたのである。

ある意味で、衆議院・参議院ともに多数を獲得するという意味でおこなわれた、民・自・公合意の危険性が、消費増税だけではなく、原子力三原則の改変過程でも表出されたといえる。

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大飯原発再稼働決定、それに対する反対運動、消費増税法案をめぐる国会内の折衝など、いわば、現在、日本の政治は慌ただしくなっている。

この中で、重要な決定が、ひっそりと目立たない形で行われた。2012年6月20日、原子力規制委員会設置法が参院で可決され、成立したが、その付則で、より上位にある原子力基本法が改変されたのだ。しかも、それは、原子力基本法の基本原則である「民主」「自主」「公開」の原子力三原則の部分である。その部分に「わが国の安全保障に資する」という文言が書き加えられたのだ。

そのことを詳細に伝えているのが、東京新聞朝刊6月21日号である。

「原子力の憲法」こっそり変更

2012年6月21日 朝刊

 二十日に成立した原子力規制委員会設置法の付則で、「原子力の憲法」ともいわれる原子力基本法の基本方針が変更された。基本方針の変更は三十四年ぶり。法案は衆院を通過するまで国会のホームページに掲載されておらず、国民の目に触れない形で、ほとんど議論もなく重大な変更が行われていた。 
 設置法案は、民主党と自民、公明両党の修正協議を経て今月十五日、衆院環境委員長名で提出された。
 基本法の変更は、末尾にある付則の一二条に盛り込まれた。原子力の研究や利用を「平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に」とした基本法二条に一項を追加。原子力利用の「安全確保」は「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として」行うとした。
 追加された「安全保障に資する」の部分は閣議決定された政府の法案にはなかったが、修正協議で自民党が入れるように主張。民主党が受け入れた。各党関係者によると、異論はなかったという。
 修正協議前に衆院に提出された自公案にも同様の表現があり、先月末の本会議で公明の江田康幸議員は「原子炉等規制法には、輸送時の核物質の防護に関する規定がある。核燃料の技術は軍事転用が可能で、(国際原子力機関=IAEAの)保障措置(査察)に関する規定もある。これらはわが国の安全保障にかかわるものなので、究極の目的として(基本法に)明記した」と答弁。あくまでも核防護の観点から追加したと説明している。
 一方、自公案作成の中心となった塩崎恭久衆院議員は「核の技術を持っているという安全保障上の意味はある」と指摘。「日本を守るため、原子力の技術を安全保障からも理解しないといけない。(反対は)見たくないものを見ない人たちの議論だ」と話した。
 日本初のノーベル賞受賞者となった湯川秀樹らが創設した知識人の集まり「世界平和アピール七人委員会」は十九日、「実質的な軍事利用に道を開く可能性を否定できない」「国益を損ない、禍根を残す」とする緊急アピールを発表した。
◆手続きやり直しを
 原子力規制委員会設置法の付則で原子力基本法が変更されたことは、二つの点で大きな問題がある。
 一つは手続きの問題だ。平和主義や「公開・民主・自主」の三原則を定めた基本法二条は、原子力開発の指針となる重要な条項だ。もし正面から改めることになれば、二〇〇六年に教育基本法が改定された時のように、国民の間で議論が起きることは間違いない。
 ましてや福島原発事故の後である。
 ところが、設置法の付則という形で、より上位にある基本法があっさりと変更されてしまった。設置法案の概要や要綱のどこを読んでも、基本法の変更は記されていない。
 法案は衆院通過後の今月十八日の時点でも国会のホームページに掲載されなかった。これでは国民はチェックのしようがない。
 もう一つの問題は、「安全確保」は「安全保障に資する」ことを目的とするという文言を挿入したことだ。
 ここで言う「安全保障」は、定義について明確な説明がなく、核の軍事利用につながる懸念がぬぐえない。
 この日は改正宇宙航空研究開発機構法も成立した。「平和目的」に限定された条項が変更され、防衛利用への参加を可能にした。
 これでは、どさくさに紛れ、政府が核や宇宙の軍事利用を進めようとしていると疑念を持たれるのも当然だ。
 今回のような手法は公正さに欠け、許されるべきではない。政府は付則を早急に撤廃し、手続きをやり直すべきだ。(加古陽治、宮尾幹成)
<原子力基本法> 原子力の研究と開発、利用の基本方針を掲げた法律。中曽根康弘元首相らが中心となって法案を作成し、1955(昭和30)年12月、自民、社会両党の共同提案で成立した。科学者の国会といわれる日本学術会議が主張した「公開・民主・自主」の3原則が盛り込まれている。原子力船むつの放射線漏れ事故(74年)を受け、原子力安全委員会を創設した78年の改正で、基本方針に「安全の確保を旨として」の文言が追加された。

この原子力基本法における原子力三原則とは、日本の原子力開発の黎明期にさかのぼるものである。1954年、いわば科学者たちを出し抜いた形で中曽根康弘ら改進党が原子力研究予算を要求し実現させたが、このことを憂慮した日本学術会議が同年4月23日に「原子力の研究と利用に関し、公開、民主、自主の原則を要求する声明」を可決した。そして、翌1955年、中曽根らが中心として、原子力基本法が議員立法で制定されたが、その第二条に、この原子力三原則が取り入れられた。原子力基本法の最初の部分は、次のようなものである。

第一章 総則
(目的)
第一条  この法律は、原子力の研究、開発及び利用を推進することによつて、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。
(基本方針)
第二条  原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。

いわゆる、原子力基本法に規定された原子力三原則とは、原子力の利用を「平和目的」に限定し、そのために「民主・自主・公開」という三原則を守ることを規定したものである。具体的には、原子力技術を軍事転用させないことを眼目とし、そのために、権力的な秘密研究をさせないこと(民主・公開)、さらにアメリカの核兵器戦略に依拠しないこと(自主)としたのである。

このように、原子力三原則は、原子力研究・開発・利用は「平和利用」に限ることを意図したものである。原子力の研究・開発・利用は、軍事利用が先行して行われており、原発のような「平和利用」といえども、軍事利用は可能である。そもそも中曽根らは、本格的な再軍備を主張しており、核兵器配備・開発も視野に入れていたと考えられる。しかしながら、日本は広島・長崎において原爆に被爆しており、特に1954年においては、ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験で第五福竜丸などが被曝し、原水爆禁止運動が始まっていた。この状況において、原子力開発を開始するためには、「平和利用」を強調するしかなかったであろう。その意味で、第二次世界大戦と冷戦を前提とした、日本における「戦後の初心」の一つといえる。

この原子力三原則が、非民主的な原子力推進に対する一定の歯止めになっていたとはいえるだろう。少なくとも、現在まで、おおっぴらに、非核三原則もあいまって、日本の原子力技術が軍事転用されたことはなかったといえる。そして、この原子力三原則が、各地の原発建設反対運動においても、根拠にされてきた。例えば、1974年5月30日、日本社会党所属の福島県議であり相双地方原発反対同盟議長であった岩本忠夫は、参議院商工委員会によばれ、次のように述べて、当時審議されていた電源三法に反対している。

私は、そのような危険な原子力発電所を、電源開発促進税法などというもので、あめをもって反対住民を押しつける、なだめる、こういう意図的な法案には私は反対であります。いまこそ私は、原子力基本法にある自主、民主、公開という、その平和三原則を守りつつ、原子力発電所の安全性をさらに大きく見直していく必要があるだろうというふうに考えます。

他方、原子力三原則は、両刃の刃でもある。「平和利用」に限るという歯止めがつけられたのだが、そのことは、逆にいえば、「平和利用」における問題点が見過ごされることになった。一番大きな問題は「安全」である。この「安全」は、後述するように、1978年まで原子力基本法において規定されてこなかった。その意味で、原子力開発の黎明期において、それを正当化するイデオロギーの一つとして機能していたとはいえる。

「安全」については、ようやく1978年に原子力基本法が改正され、「安全の確保を旨として」という文言が書き加えられた。この経過については、別個に検討してみたいと考えている。しかし、この「安全」は、原子力安全委員会が設置されるために付け加えられたものだ。原子力安全委員会による「安全」とはいかなるものか。それは福島第一原発事故の経過をみても了解できることであろう。形骸化された「安全」でしかなかったといえる。

第二条
 原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。

他方、日本政府は、暗黙の形であるが、原子力技術をいわゆる「安全保障に資すること」にするよう意図してきた。以前、本ブログで吉岡斉氏の『新版・原子力の社会史』(2011年)の見解を紹介したが、ここでも再度、掲載しておこう。

こうした原子力民事利用の包括的拡大路線への日本の強いコミットメントの背景に、核武装の潜在力を不断に高めたいという関係者の思惑があったことは、明確であると思われる。たとえば1960年代末から70年代前半にかけての時代には、 NPT署名・批准問題をめぐって、日本の国内で反米ナショナリズムが噴出した。NPT条約が核兵器保有国に一方的に有利な不平等条約であり、それにより日本は核武装へのフリーハンドが失われるばかりでなく、原子力民事利用にも重大な制約が課せられる危険性があるという反対論が、大きな影響力を獲得したのである。とくに自由民主党内の一部には、核兵器へのフリーハンドを奪われることに反発を示す意見が少なくなかったという。こうした反対論噴出のおかげで日本のNPT署名は70年2月、国会での批准はじつに6年後の76年6月にずれ込んだのである。(吉岡前掲書p175)

そして、吉岡氏は、「日本は自国の核武装の技術的潜在力を、非常に高い水準にまで高めてきた」(吉岡前掲書p119)と指摘している。例えば、原爆の材料になるプルトニウムを生産し使用する核燃料再処理工場、高速増殖炉もんじゅ、プルサーマル計画などがそれにあたるだろう。これらの経済的にはひきわない諸事業が存続した一つの要因としては、「核武装の技術的潜在力」を保持するという意図があったと考えられる。その意味で、政府内部においては、「原子力の平和利用」について、「安全保障」的意味も含意していたといえる。

このような背景を前提として、今回の原子力基本法における原子力三原則改変をみていこう。まず、どのように、その部分が変わったか。次に示す。「 」の部分が今回改変された部分である。

(目的)
第一条
 この法律は、原子力の研究、開発及び利用(「以下『原子力利用』という」と付け加えられる)を推進することによつて、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。
(基本方針)
第二条
 「原子力利用」(「原子力の研究、開発及び利用」を修正)は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。
「2 前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。」

一番大きな修正項目は「前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。」という項目が入ったことである。いうなれば、「安全確保」をより詳細に定義したといえる。しかし、そこに「我が国の安全保障に資する」という文言が入っていること、それが大きな「改変」項目といえるのである。

この「改変」の経過、そして考えられる「安全保障」の意味については、追々述べていくつもりである。しかし、ここでは、次のことを確認しておこう。原子力三原則は「平和利用」に原子力開発の目的を限定としたものであり、「安全保障」という文言が付け加えられることは、原子力三原則の精神と相反するといえる。例えば、戦争の放棄を規定した日本国憲法第9条に「安全保障」という文言を付け加えるようなものである。原子力三原則は両刃の刃であり、問題点をはらんでいるが、それも含めて、日本国憲法と同様の「戦後の初心」であった。その意味で東京新聞が原子力基本法を「原子力の憲法」と表現していることは、正しい比喩といえる。それが、「原子力規制委員会設置法」の付則という形で、それ自身が国会においても社会においても十分な議論なしで改変されてしまった。まず、このことを「記憶」しておかねばならない。

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福島第一原発事故以後、よくいわれることは、日本は広島・長崎に原爆投下されて、原子力の危険性はよくわかっているにもかかわらず、なぜ、原発開発を全面的に押し進めたということである。

このことについては、さまざまな要因が考えられるであろう。日本人といっても、一概には概括できない。原子力予算を1954年にはじめて提起した中曽根康弘らは、保守党の中でも本格的な再軍備を指向したグループ(改進党)だった。一方で、1955年の原子力基本法の制定については、彼らだけでなく、この時点での本格的再軍備を望まなかったといわれている吉田茂に近いグループ(自由党)や、再軍備に反対していた日本社会党の人びとも参画していた。このことについては、また、詳論しなくてはならない。

ただ、総じていえば、これらの人びとに共通して、「原子力の平和利用」へのあこがれがあったといえるだろう。それは、例えば、1954年に成立した原水爆禁止運動においても通底していた。このブログでも前に紹介したが、1954年5月28日に中野区議会において「原子兵器放棄並びに実験禁止その他要請の決議」が提案され、これも全会一致で可決した。提案者近藤正二は、決議の趣旨について、次のように語っている。

(前略)
 今般のビキニにおきますところの伝えまするところの実況と申しますものは、そのビキニ環礁におきますところの爆発点におきましては、地下百七十五フィート半径一マイルの大きな穴を起しまして、そこの噴火口から爆発いたしました所の珊瑚礁の飛沫というものが富士山の三倍の高さまで到達し、それが今日見ますような空から灰が降る、あるいはもらい水であるところの雨水にまでもその放射能によるところの被害というものが感ぜられるわけでございます。
 翻って考えまするに、原子力の破壊力というものは、七年前に比べますると、その力は一千倍の惨害を呈するところにまで至っておりまして、今日の日進月歩の科学の力をもっていたしまするならば今後その猛烈な破壊力の到達するところは、これを戦争目的あるいは破壊的な形において実験するならば、人類は真に破滅に瀕するということは、もはや明瞭な事実でございます。しかるに人類は現在この原子力を持ちましたことによりまして、かつて人類の歴史に見なかったところの光栄ある未来を築き、精神的にもまた物質的にも偉大な繁栄が、この原子力の平和的な利用ということにかかって存在し得るのでありまして、逆な形で今申したごとく、これを破壊目的に使用するならば、人類は破滅に瀕するという、まことに人類の歴史にとって、かつてない重大な危機に立っておると言っていいのであります。
(後略 『中野区史』昭和資料編二 1973年)

核戦争には恐怖を示す一方で、「原子力の平和利用」には多大な期待をもっていたのである。

このような意識は、戦前核兵器を開発していた科学者にもみられた。このブログでもとりあげた武谷三男は、京都帝国大学を卒業し、湯川秀樹、朝永振一郎などと素粒子論を研究していた。戦時期においては、反ファシズムを主張した雑誌『世界文化』『土曜日』などに関係して検挙される一方で、原爆開発研究にも関与していた。そして、戦後においては、民主的科学者として数々の発言を行った。

その武谷は、「原子力を平和につかえば」という文章を『婦人画報』1952年8月号に寄稿している。この文章は、武谷の『戦争と科学』(1958年1月刊)に収録されている(なお、引用は『武谷三男著作集』3、1968年より行った)。

この文章が掲載されたのは、サンフランシスコ講和条約が1952年4月に発効した直後のことであった。GHQは日本における原子力研究を禁止していたが、講和条約においては原子力研究を禁止しておらず、講和条約発効後は、原子力研究・開発は可能になった。その時点で、武谷は、「原子力の平和利用」を主張したのである。中曽根らの原子力予算提起よりも2年近く前のことである。

武谷は、まず、核戦争の脅威と悲惨を、このように述べている。

 

原子力という名が、われわれ日本人にあたえる感じは、決してよいものではない。広島、長崎の無残な記憶がますます心のいたみを強くしているのに、ふたたび日本をもっとすさまじい原子攻撃の標的にしようという計画がおしすすめられている。そのような計画は権力と正義の宣伝によって行われるので、国民の多数がこれはいけないと気がついたときには、手おくれになるかも知れない。
 キュリー夫人、ジュリオ=キュリー夫人、マイトナー女史、このような平和主義的母性の名をもって象徴される原子力が、このような、人類の破滅をも考えさせるものにどうしてなったのだろうか。原子力は悲惨を生むためにしか役立たないのだろうか。
 初期の原子爆弾の1発だけで高性能火薬2万トンのエネルギーをもっている。今日研究が進められている水素爆弾1発で関東地方全域に被害をおよぼすことができる。(『戦争と科学』p129)

この武谷の考えを図像化したものが、次の図の左側部分である。キュリー夫人らの原子物理学の発展が原子工場をへて、原水爆投下につながっていくことがここで描かれている。図の中には「水素爆弾一発で関東地方全滅」というキャプションも挿入されている。

武谷三男『戦争と化学』p,p130-131

武谷三男『戦争と化学』p,p130-131

しかし、ここで、武谷は、次のように主張する。

 

このような大きなエネルギーを、人類の破滅のためにではなく、人類の幸福のために使えないのだろうか。そうだ! 原子力はほんとは人類の幸福のために追求され、また人類の将来の幸福を約束している それを現実化するためには、戦争をほっする人々に権力を与えないだけで十分なのだ。(『戦争と科学』p129)

武谷は、原子力は本来人類の幸福のために使うものであると、ここで提起したのである。武谷は、地上の自然力、水力も風力も、石炭も石油もすべてみなもとは太陽の光であり、その根源が原子力であることを研究者は解き明かしたとした。「そして、間もなく、地球上で原子の奥ふかくひそむ巨大なエネルギーを解放することに成功したのであった」(『戦争と科学』p134)と述べている。このことを示しているのが、先の図の右側部分である。たぶん、上の方に描かれているのが太陽である。それは、石油、水力、石炭などのエネルギーの源泉なのだ。さらに、もう一度左側部分にもどれば、この太陽の光は、原水爆とも通底していることになろう。

その上で、武谷は、原爆製造をしているアメリカの原子炉では、100万キロワットの電力に相当する熱を冷却水を通じて捨てている、このような原子炉を使った発電所が10基あれば、当時の日本の発電総量(700万キロワット)は凌駕することになる、ウラニウム40トンで日本の1年間の電力をまかなうことができる、飛行機で運べる程度の燃料しか要しないので、全世界どこでも発電所が建設可能になると述べている。

その上で、下図に示すような、「原子力の平和利用」がもたらす、「明るい未来」を提示した。

武谷三男『戦争と化学』p.p132-133

武谷三男『戦争と化学』p.p132-133

武谷は、次のように述べている。

 

だから原子力が利用されるようになると北極や南極のような寒い地方、絶海の孤島、砂漠などが開発され、そういう地方にも大規模な産業が行なわれ、大都市を作ることができるようになる。また、ロケットで地球外にとび出すこともできるようになろう。全く太陽に相当したものを人間が手に入れたのだから当然だろう。(『戦争と科学』p.p134-135)

今や、なにかめまいのしそうなほど、楽天的な未来予想図である。これらについては、先の図の中に、ロケットや原子力による砂漠開発として描かれている。

そして、日本についても、武谷は、このように主張している。

 

日本なども電力危機は完全に解消されるだろう。そして電力をもっと自由に家庭に使用することができる。今日の日本の一般家庭では電灯とラジオ位にしか使われていないが、台所の電化はもちろん、煖房、冷房、洗濯、掃除もすべて電力で行われることになるだろう(『戦争と科学』p135)

このような家庭電化は、原発だけのことではないが、実現している。さらに、次のような電力の農業利用を主張している。これも戦後日本で実現したことであった。これは、先の図の中にも出ている。

 

農業にも電力がふんだんに使われると、これまでできにくかったことができる。大規模な温室、太陽灯を使って、いつでも新鮮な野菜や果物ができるだろう。また、砂漠や水のない地方にも、地下水を深い所からどんどん汲みだして、農業を行なうことができるだろう(『戦争と科学』p135)

武谷にとっては、放射性廃棄物も有効利用されるべきものなのである。次のようにいっている。

 

原子力の副産物として、大量にそしていろいろな種類の放射性元素が得られる。これも軍事的には恐るべき放射線戦争に使おうと考えられている。しかし、平和的に使うならばいろいろな化学変化の研究や医学に使われる。例えば、植物が行なっている同化作用もこれを使って大分明らかになった。しまいに澱粉の人工合成ができるようになるかも知れない。
 また人体の新陳代謝の機構も放射性元素で明らかにされつつある。きっと近い中に肥った人がやせたり、やせる人が肥ることも自由になるだろう。また皮膚が美しくするような化粧法も実現するだろう。(『戦争と科学』p.p135-136)

もちろん、その後の放射線医療などには放射線元素などが使われているのだが…。先の図の「アトミック整形医院」などはそれにあたるだろう。

基本的に、原子力のリスクは軍事利用のものとし、「平和利用」については、放射性廃棄物までプラスのものとしてみているのである。その上で、将来の近代化の願望を実現するものとして、「原子力の平和利用」をとらえているのである。

武谷は、このような近代化を実現する「原子力の平和利用」は、被爆国日本の権利であると、『改造』1952年11月号に掲載した「日本の原子力研究の方向」(『武谷三男著作集』2、1968年、p471より引用)で提言している。

 

日本人は、原子爆弾を自らの身にうけた世界が唯一の被害者であるから、少くとも原子力に関する限り、最も強力な発言の資格がある。原爆で殺された人びとの霊のためにも、日本人の手で原子力の研究を進め、しかも、人を殺す原子力研究は一切日本人の手で絶対に行なわない。そして平和的な原子力の研究は日本人は最もこれを行う権利をもっており、そのためには諸外国はあらゆる援助をなすべき義務がある。
 ウランについても、諸外国は、日本の平和的研究のために必要な量を無条件に入手の便宜を計る義務がある。
 日本で行う原子力研究の一切は公表すべきである。また日本で行う原子力研究には、外国の秘密の知識は一切教わらない。また外国と秘密な関係は一切結ばない。日本の原子力研究所(なお、この時点では日本原子力研究所は設置されていない)のいかなる場所にも、如何なる人の出入も拒否しない。また研究のためいかなる人がそこで研究することを申込んでも拒否しない。

武谷は、被爆国日本であるからこそ、原子力の平和利用をすすめる権利があるとしている。そして、それは、軍事目的で行うアメリカなどの研究から秘密情報を得ることなく自主的に進めるべきであり、研究自体公表すべきものとした。さらに、どのような人が日本の研究所に立ち入っても拒否しないとしている。これらの原則は、軍事利用に転用せず平和利用に日本の原子力開発は限定しなくてはならないというところからたてられているといえよう。この提言は、最終的に、「公開」「民主」「自主」からなる原子力三原則という形でまとめられた、1954年の日本学術会議声明の源流となった。そして、この原子力三原則は、1955年に策定された原子力基本法にも取り入れられたのである。

さて、もう一度、武谷の議論に立ち返ってみよう。一方で「原子力の平和利用」への大きな願望があり、他方で被爆国としての核兵器・核戦争への忌避観が、この武谷の議論の二つの柱であったといえる。そして、この段階での武谷の議論は、原子力のリスクをもっぱら軍事利用に即してとらえ、平和利用においてはリスクをほぼ無視しているといえるのである。

武谷自身は、このブログでも多少ふれたように、1950年代後半には原子力のリスクを認識し、原子力開発のあり方を強く批判していくようになる。その意味で、武谷について、ここで批判するつもりはない。ただ、一つ、言いたいことは、この時点での武谷の議論は、武谷個人のものというよりも、この当時の日本社会の原子力に関する意識構造をある意味ではクリアにみせているのではないかということである。被爆国であるがゆえに、核兵器としての軍事利用には強く反対しつつ、その反対物として平和利用を称揚し、被爆国の権利としてしまう。そして、「原子力の平和利用」においてもさけることができないリスクを無視する。これは、武谷に限定できることではなかった。そして、このような意識が、日本の原子力開発・利用の根底に流れているのではなかろうか。そのような思いにかられるのである。

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