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さて、宮城県石巻市において、支援ボランティアを中心として、復興の象徴としてのひまわりを植栽する活動がなされていることを、前回のブログで述べた。

石巻市の北側にある、同じく津波被災地の南三陸町や気仙沼市では、やはり復興の象徴でありつつも、鎮魂の意味をもつ「はるかのひまわり」が植栽されている。

南三陸町の「はるかのひまわり」

南三陸町の「はるかのひまわり」


(南三陸 ホテル観洋のサイトより)

神戸新聞は、2011年8月11日に、次のような記事をネット配信している。

被災地結ぶヒマワリ満開 宮城・南三陸町 

花を咲かせた「はるかのひまわり」と牧野駿さん=7月30日、宮城県南三陸町
 1995年の阪神・淡路大震災で11歳で亡くなった女の子にちなんだ「はるかのひまわり」が東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町の畑で花を咲かせ、被災者の心を和ませている。
 はるかのひまわりは、阪神・淡路大震災で亡くなった神戸市の小学6年加藤はるかさんの自宅跡地に咲いたヒマワリ。地元の人が育て、新潟県中越地震の被災地など各地に種が配られ、はるかさんのエピソードとともに復興のシンボルとして広がってきた。
 南三陸町に伝わったのは東日本大震災の後。同町の会社経営及川博之さん(64)が新潟市から炊き出しに来ていた親類の男性から種を受け取ったのがきっかけだった。合併前の旧歌津町長を務め、震災で長男(46)が行方不明となった牧野駿さん(72)が共鳴し、4月中旬から所有する高台の畑に地元住民と一緒に種をまき続けた。
 及川さんや牧野さんらは「三陸ひまわりの会」を立ち上げ、南三陸町と隣の同県気仙沼市の住民とともに国道沿いに種をまく運動を展開。1日には仙台市で開かれる防災をテーマとしたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の会合参加者にヒマワリの切り花も贈る。
 牧野さんは「住民の間で出会いや絆が生まれている。来年以降も続けていきたい」と話している。
特集】東日本大震災
(2011/08/01 10:00)

単純にいえば、1995年の阪神・淡路大震災において亡くなった小学生加藤はるかの自宅跡地に咲き、「復興のシンボル」となったひまわりの種を南三陸町や気仙沼市で植える運動が展開されているということなのだ。

この「はるかのひまわり」は、すでに神戸新聞の記事で言及されているように、元々は、阪神・淡路大震災の犠牲者の記憶なのである。この「はるかのひまわり」は、阪神・淡路大震災の記憶において、かなりメジャーなものになり、それを伝える絵本もある。まずは、絵本『あの日をわすれない はるかのひまわり』(指田和子作、鈴木びんこ絵、2005年、PHP研究所)から、「はるかのひまわり」についてみておこう。

『あの日をわすれない はるかのひまわり』(amazonより)

『あの日をわすれない はるかのひまわり』(amazonより)

この話は、単純にいえば、阪神・淡路大震災で亡くなった小学生加藤はるかの自宅跡に自然に咲いたひまわりが「はるかのひまわり」とよばれ、復興の象徴になったということである。

まず、なぜ、「はるかのひまわり」と呼ばれるようになったか、経緯をみてみよう。本書はつぎのように述べている。

その年の 夏の ことです。
「ひまわりが さいた……」
ガレキが かたづけられた いえの あとから かえってきた おかあさんが、ぽつりと いいました。
うどんやの おっちゃんたちが、はるかを たすけだした あのばしょ(引用者注…助け出された時、すでにはるかは亡くなっていた)。
そこに、はるか みたいに まんまるの かおをした 大きな 大きな ひまわりがさいた。
「はるかの うまれ かわりや!」
おっちゃんも きんじょの ひとも いいました。

ーもしかしたら、それ、おとなりさんが かってた オウムの えさが こぼれんたかもしらん。なあ、はるか?

その秋、おっちゃんは、ひまわりの タネを しゅうかくしました。
そして つぎの年の 春から タネを まきはじめたのです。
ガレキが、すこしずつ かたづられた あとの
あきちや みちの はしっこに。
『あの日をわすれない はるかのひまわり』(amazonより)

まずは、「はるかのひまわり」は、震災で亡くなったはるかの「生まれ変わり」として認識されたことに注目してほしい。ある意味では、輪廻転生やギリシャ神話におけるアネモネになったアドニスなどがを思い起こされる。つまりは、神話的もしくは宗教的な意味が「はるかのひまわり」にはあるといえる。そして、この「はるかのひまわり」を植えることは、阪神・淡路大震災の犠牲者に対する一つの「鎮魂」ともいえるであろう。

他方で、この「はるかのひまわり」は、復興の象徴でもある。本書は、このように語っている。

震災の復興の花
 震災から6年目の2001年、神戸市で「KOBE2001 ひと・まち・みらい(神戸21世紀・復興記念事業)」という9か月にもわたるイベントが開催されました。これはたくさんの神戸市民が参加してつくりあげたイベントで、このイメージフラワーにひまわりが選ばれたのでした。ガレキのあとに咲いたあの「はるかのひまわり」は、震災からの一日も早い「復興」を願う人すべての心の花になったのです。
 この年、神戸ではいたるところにひまわりのタネがまかれ、夏にはおひさまのような黄色い花がまちをかざりました。その数150万本。これは、当時の神戸市民の数と同じでした。

このように、「はるかのひまわり」は、このイベントの中で震災復興の象徴となっていくのである。

さらに、この「はるかのひまわり」は、皇室によって正統化づけられていく。「はるかのひまわり」の普及活動を神戸で担っているNPO法人阪神淡路大震災「1.17希望の灯り」のサイトは、次のように伝えている。

2009年12月 9日 (水)

はるかのひまわり報告

  5年前のお話 両陛下が神戸を訪問された時に 一人の少女より 
 皇后陛下のお手に はるかのひまわりの種と 指田和子さんの著書 
皇后陛下もご存知の「あの日を 忘れない はるかのひまわり」が
たくされてからの ひまわりがたどった日々が 平成22年1月2日 
月曜日 午前5時~5時40分に 
 フジテレビの皇室ご一家 新春スペシャルの
内で 放映されます ご期待下さい
http://117kibou.cocolog-nifty.com/blog/cat3051143/index.html

ある意味では、「はるかのひまわり」は、国家が認定したものになったといえるであろう。

なお、気仙沼市・南三陸町に「はるかのひまわり」を送ったのは「はるかのひまわり 絆プロジェクト」という団体だったようである。その団体のサイトでは、次のように、「はるかのひまわり」を普及する意義を語っている。

「はるかのひまわり」を育て採取した種を配布する過程で由来を伝え、災害の悲惨さと共に命の尊さを再考する機会とする事で、「人の尊厳」と「人との関わりの大切さ」を知る感性豊かな地域社会を醸成する事を目的とします。

阪神大震災での災害の教訓と命の尊さを、「はるかのひまわり」の命の連鎖に例え、実際にその手で育てる過程で、社会の最小単位である「家族」。咲いたひまわりを愛でる「見知らぬ人」。会社で育てる事で「社員」。そのひまわりを愛でる「近隣の人々」・・・・に出来事を伝えることで、少しでも地域社会での「絆」と、はるかちゃん、の「命」の連鎖を紡いでゆきたい。

そんな折に東北地方を襲った未曽有の地震と津波。
自然の営みには非情さと、人間にはかなわない力があるのでしょう。
しかし、人間には智恵と勇気と絆があります。
http://www.season.co.jp/haruka_sunflowerFB.htm

このプロジェクトでは、女の子よりひまわりへの転生の過程を、人間社会における関係性の連鎖とアナロジーで捉えているのである。

このように、宮城県の南三陸町・気仙沼市においては、阪神淡路大震災の記憶を源流とした、鎮魂と復興の象徴としての「はるかのひまわり」が植えられたのである。三陸ひまわりの会の中心人物である元歌津町長牧野駿の長男が行方不明であるということも想起されたい。阪神淡路大震災において、鎮魂と復興は、共に課題であった。そして、その課題を解決する象徴としての「はるかのひまわり」という伝統が、同様の状況にある南三陸町・気仙沼市に引き継がれたといえるのである。

付記:三浦博光「『はるかのひまわり』運動が生んだもの」(『世界』2011年8月号)には、地域の自生的な復興運動として「はるかのひまわり」が挙げられている。後述するつもりだが、被災地でひまわりの植栽活動が広まったのは、私自身も、だれでも参加できる復興運動としての意味合いがあると思われる。ただ、この論文には、「はるかのひまわり」がもつ思想史的意義が言及されていないのである。

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前回は、宮城県が実施しようとする都市計画・区画整理・住宅地高台移転につき、現状の政治状況で、どれだけ財政的に実現可能性を有しているのかということを検討してみた。今回は、区画整理事業にしぼって、その問題性をみてみよう。

土地区画整理事業について、土地区画整理法(1954年制定)では、「この法律において「土地区画整理事業」とは、都市計画区域内の土地について、公共施設の整備改善及び宅地の利用の増進を図るため、この法律で定めるところに従つて行われる土地の区画形質の変更及び公共施設の新設又は変更に関する事業をいう。」と規定している。都市計画の手法の一つであり、主に、市街地の区画を整理し、街路を設置もしくは拡張し、広場・小学校用地などの公共施設を創設するものである。例えば、農地を宅地とする際とか、まがりくねった路地しかない既存の市街地に大きな街路を通し、区画を整理する際などに行われている。

特徴的なことは、原則的には、公に土地を買い上げるというのではなく、区画整理の該当用地の地権者が、それぞれ道路を中心とする公共用地にするためと区画整理事業費にあてるために、一定の割合で平等に土地を供出し(減歩)、道路などを設置した後で、それぞれの地権者が有していた面積に応じてその区画で土地を割り当てる(換地)というやりかたをしていることである。詳しくは、次に、ウィキペディアによる「土地区画整理事業」の項目を一部抜粋するので、それをみてほしい。

制度の仕組み [編集]

施行者 [編集]
土地区画整理事業を施行する者(施行者)は、以下の通り法定されている。
宅地について所有権若しくは借地権を有する者 – 個人施行者
宅地について所有権若しくは借地権を有する者の同意を得た者 – 同意施行者(都市再生機構、地方住宅供給公社など)
土地区画整理組合
区画整理会社
都道府県及び市町村
国土交通大臣
都市再生機構
地方住宅供給公社
土地区画整理組合は、土地所有者または借地権者7人以上からなり、都道府県知事の認可を必要とする。
区画整理会社は、土地区画整理事業の施行を主たる目的とした株式会社であり、都道府県知事の認可を必要とする。
換地計画 [編集]
施行者は、施行地区内の宅地について換地処分を行うため、換地計画(かんちけいかく)において以下の事項を定めなければならない。
換地設計
各筆換地明細
各筆各権利別清算金明細
保留地その他の特別の定をする土地の明細
その他国土交通省令で定める事項
清算金は、従前の宅地と換地の不均衡を清算する金銭をいう。
保留地は、土地区画整理事業の施行の費用に充てるため、換地として定めない一定の土地をいう。
仮換地の指定 [編集]
施行者は、換地処分を行う前において、工事または換地処分を行うため必要がある場合においては、施行地区内の宅地について仮換地を指定することができる。
仮換地が指定された場合、従前の土地の使用収益権者は、換地処分の公告があるまで仮換地の使用収益ができるようになり、従前の土地の使用収益権を失う。
換地処分 [編集]
換地処分は、関係権利者に換地計画において定められた関係事項を通知してするものとする。そのうえで、都道府県(または国土交通大臣)が公告をおこなう。
換地計画において定められた換地は、その公告があった日の翌日から従前の宅地とみなされ、所有権等が移転し、清算金が確定する。また、保留地を施行者が取得する。
減歩 [編集]
道路、公園などの公共施設の整備のために必要な公共用地と、事業費を生み出すために必要な保留地は、地権者から土地の一部を提供させることにより確保する。これにより土地が減少する事を減歩(げんぶ)と呼ぶ。(ただし土地区画整理法には、下記の照応の原則を定めるのみで、減歩という用語自体は無い。)
減歩には、公共用地のための減歩(公共減歩)、保留地のための減歩(保留地減歩)があり、両者を合計したものを合算減歩と呼ぶ。土地収用の場合と異なり、減歩そのものに対する金銭による補償はない。(下記の精算金・減価補償金は減歩そのものに対するものではない。)これは、事業のために減歩を課されて土地の評価(土地の経済的価値ではなく施工者が算出した評価点)が地積の減少したぶん下がっても、事業の完成による「土地利用の増進」があるので、結果としては事業前と同じ評価となって財産権を侵害しないという考え方による。
換地 [編集]
換地は、換地とその従前地(施行前の宅地)の位置、地積、土質、水利、利用状況、環境等が照応するように定めなければならないとされている。これを照応の原則と呼ぶ。ただし、この照応とは、各諸事情を総合勘案して、換地とその従前地が大体同一条件にあり、換地相互が概ね公平に定められることをいうものと解釈されており、全くの同一条件で換地するという意味ではない。ここから、照応していれば地積が減少することもあり得るところから、土地区画整理法上の明文の規定は無くとも減歩を課すことは可能とされている。
清算金 [編集]
換地を定める際に、計算上の換地面積(権利地積)どおりに換地を過不足なく配置することは技術的には不可能であり、換地相互に多少の不均衡が生じる。その不均衡の是正は、実際に換地した土地の評価と計算上交付すべき土地の評価の差を金額換算した清算金の徴収または交付によって行われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E7%94%BB%E6%95%B4%E7%90%86%E4%BA%8B%E6%A5%AD

このように、区画整理は、地権者が土地を供出することによって、道路などの公共用地を取得し、さらには事業費までねん出できるものなのである。この場合、地権者だけが一方的に負担を強制されているようにみえる。しかし、区画整理された以後の土地は、それ以前の土地と比べて価値が高くなっている。例えば、農地を宅地にすることを考えてみよう。農地の一部を削って道路とすると、その分だけ土地所有面積は少なくなる。しかし、宅地にすることによって、その土地の使用価値も高まり、ひいては地価も上昇することが予想される。そのため、地権者も潤うことになるのである。区画整理事業は、そのような発想に基づいている。

都市計画をする官庁からいえば、コストなしで道路などを取得でき、さらには事業費も賄うという点で、コストをあまりかけない開発が可能となる。地権者側では、決して反対がなくはないが、最終的により高度な土地利用ができれば、むしろ利益になる。そのように、公私ともども利益になるといえる。そして、関東大震災や阪神大震災の市街地復興において、区画整理の手法は全面的に使われてきた。

しかし、この手法は、現代においては大きな問題をかかえている。先ほどのウィキペディアの記事は、的確な指摘をしている。

最近の事業の動向 [編集]

戦後からバブル期までの土地区画整理事業は、特に組合施行においては、日本の高度経済成長という社会情勢下で、純粋な事業効果よりも社会全体のインフレーションに伴う地価上昇に依存した安定した事業運営と権利者の利益傍受への期待から来るモチベーションにより発展してきたと言える。
しかしながら、バブル期以降の低成長期においては、デフレーションによる地価下落や保留地販売の不振の影響により、事業採算が確保しづらい状況となった組合もあり、経営破綻に陥った例もある。 これら組合においては、地権者からの賦課金徴収などの再建策が採られる場合があるが、実際の徴収は困難な場合が多く、特定調停や民事再生などの法的整理を申請した組合もある。 ただし、すべての組合が破綻しているわけではなく、適正な事業運営を行っている組合や昨今の地価回復傾向の影響により順調に進められている事業もまた多い。 いずれにしても、土地区画整理事業(特に組合施行)は、外的経済の影響を受けやすい収支構造を持っていると言え、低成長型の経済情勢下において、事業の仕組みを構築する転換期となっていると考えられる。
資産価値に対する影響 [編集]
施行者側からは「減歩により土地の面積は減っても、周辺の基盤整備が行われて土地の利用価値が増し、土地の価格も上昇するため、資産価値は減少しない。」という説明がなされる場合が多い。 しかしながら、事業外要因であるデフレーションなどにより、土地価格が下落し結果的に資産価値が減少する場合がある。 一方、事業内要因のみによっても整理後の宅地全体の資産価値が、整理前と比べて減少するケースもある(事業後も地価の上昇が見込めない地区の場合)。この場合、土地区画整理法第109条の規定により減価補償金を支払うことになるが、実務上、減価補償金で整理前において減価補償金を交付することに代えて、宅地を先買いする手法が使われる。先買いすることで各宅地の減歩は緩和でき、整理後の宅地の資産価値が、整理前より減少しないようにできると考えられている。

いってしまえば、区画整理事業は、将来の地価上昇があってはじめて引き合う事業となるのである。現状において、デフレが進行する中で、区画整理事業後、むしろ地価が下がることが予想される。そうなると、区画整理事業費ねん出のために売り出す予定であった土地が売れなくなる。さらには、地権者には「減価補償金」を支払うケースも想定されるのである。

ある意味では、いまだ土地・家屋の需要がある、東京や神戸のような大都市においては、区画整理は有効といってよいだろう。また、私のみた仙台市やその周辺の多賀城市などの衛星都市群においても、このような区画整理はいまだに有効なのではないかと考えられる。しかし、震災前から、例えば三陸地方など東北の各地域は、過疎に苦しんでいた。過疎ということは、人口が流出しているということであり、その結果、土地や家屋が過剰となっていることを意味するであろう。そうなると、地価は下降傾向となる。その中で、区画整理事業を行うということは、コストが都市計画を行う官庁や地権者にかかってくるということになりかねないのである。

津波被災後復興にむかう多賀城市(2011年7月25日)

津波被災後復興にむかう多賀城市(2011年7月25日)

震災後は、より深刻な状況なのではないかと考える。津波被災地よりの人口流出は、震災以前よりも激しくなっているといえる。住居も生業の場も失った人びとが、他地域に移転していくことは、簡単には押しとどめられないであろう。そうなると、地価は下がり、土地を売却することすら難しくなってくると考えられる。

復興が遅れている女川町(2011年7月26日)

復興が遅れている女川町(2011年7月26日)

岩手県や福島県が、あまり積極的に建築制限をかけないのは、そのような観点もあるだろう。

宮城県の場合、大都市仙台を擁しているということで、大きな違いがある。しかし、かなり過疎地であることが想定される、気仙沼市・女川町・南三陸町・石巻市(もちろん、部分的には区画整理が有効なところもあると思うが)にまで建築制限をかけたことは、かなりの問題であると思われる。もちろん、理想的な都市を構築することはどこの町(東京においても)課題なのであるが。

私は、むしろ、人口流出を押しとどめ、津波被災地の再定住化をはかるということが、区画整理を実施するにも必要なことなのだろうと思う。そのような見通しがないと、区画整理をしても、自治体や地権者が多大な負担と背負うことになってしまう。それに、宮城県知事の主張するように、その負担を国が背負ったとしても、それによる地方利益は一時的なものにすぎないと考えられる。原発と同じだ。当たり前のことであるが、津波被災地に、人びとを呼び戻すこと、それが基本なのではなかろうか。

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さて、前回は、宮城県が独自に津波被災地において都市計画・区画整理のために行っている建築制限が、現地の人びとの自主的な復興をさまたげているのではないかと述べた。その是非は置くとしても、そもそも、このような都市計画・区画整理を含んだ宮城県の復興事業が財政的にみて実現可能なものであるかを検討しておきたい。

河北新報は、7月29日に、次のように報道している。

復興事業費23兆円 宮城県試算12.8兆円 「全然足りない」

 宮城県は東日本大震災の復興財源について、2020年度までの10年間で、県と市町村分を合わせ12兆8327億円が必要と試算した。政府は10年間の復興事業費を23兆円規模と決めたが、村井嘉浩知事は「全然足りない」と批判。8月4日に行う国の3次補正予算に向けた要望活動で、見直しを強く迫る方針だ。
 県によると、内訳は県分が震災復興計画2次案に明記した316事業を含む7兆190億円。市町村分は特定被災地31市町村の総額5兆8137億円で、丸森、加美、色麻、七ケ宿4町は含まれていない。
 県分は、住宅の高台移転費や防潮堤整備費など公共土木施設分野が2兆4320億円、がれき処理費を含む環境生活衛生分野が1兆2260億円、漁港復旧費など農林水産分野が1兆1360億円となった。
 企業誘致の促進事業費を含む経済商工観光分野は4860億円。県立学校再建費など教育分野は2270億円、仮設診療所整備費など保健福祉医療分野は1170億円とそれぞれ算出した。
 東京電力福島第1原発事故に伴う放射能被害対策も計上。県全域での健康被害追跡調査、土壌汚染被害調査、放射性セシウムに汚染された稲わらや牛肉の処理対策、肉用牛の全頭検査などの費用を大まかに見積もった。
 市町村分は、仙台市が5年間の復旧・復興事業費として試算した1兆円のほか、高台移転や土地区画整理、防災緑地整備などに要する8591億円を盛り込んでいる。
 放射線被害が拡大したり、JR復旧費に県負担が発生したりすれば、額はさらに増える。
 村井知事は8月4日、県市長会長の奥山恵美子仙台市長、県町村会長の鈴木勝雄利府町長と合同で、政府に被災地の積算に基づく復興財源の確保を要請する。
 達増拓也岩手県知事や佐藤雄平福島県知事にも呼び掛け、被災3県で政府に再考を求めることも検討している。
 村井知事は「被災地の試算結果を待たず、政府が復興事業費を決めた根拠が分からない。宮城だけで13兆円かかり、どう考えても足りるとは思えない。23兆円の財源確保で幕引きすることは許されない」と話している。

2011年07月29日金曜日
(http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110729_07.htm)

つまり、7月末時点で、宮城県は県内だけで約13兆円事業費がかかるとして、国が算出した、東日本大震災全体の復興事業費23兆円では少ないと批判しているのである。

その是非は置くとしても、現在(8月29日)行われている民主党代表選において、多くの候補が復興事業費を増税ではなく、国債などで賄おうと主張しており、大幅な財政出動が可能かどうか疑問である。私自身は、増税のリスクをおっても、東北の復興事業費に投資すべきである(ただし、宮城県のような方針でよいのかどうかは問題だが)と考えているが、新自由主義的な減税志向の中で主体形成をしてきた民主党議員たちが、大幅な復興事業に賛成するかいなかは判断できかねるといってよい。

他方で、特例公債法案を政争の具にした自由民主党・公明党が、復興事業費を大幅に増額しようとするとも思えない。彼らもまた、新自由主義的な減税志向の中で主体形成をしてきているのである。

そして、復興増税が実現しても、財務省としては、増税額の圧縮をはかり、復興事業費の増額ははからないであろうと予想される。毎日新聞は、8月10日に、次のように報道している。

東日本大震災:政府がJT株一部売却検討 復興財源確保で

 政府・民主党は10日、東日本大震災の復旧・復興事業の財源確保のため、保有する日本たばこ産業(JT)株を一部売却し、最大6000億円程度を調達する検討に入った。今後数年間で、出資比率を現在の50%から33.3%に段階的に引き下げる案が有力で、復興財源を賄うための臨時増税の規模圧縮につなげたい考えだ。ただ、売却には政府の過半出資を義務づけるJT法改正が必要で、今後与野党での調整が難航する可能性もある。

 政府はこのほか、エネルギー対策特別会計を見直し、500億円以上を復興財源に充てる方針。また、公務員の人件費削減で年間2900億円を捻出できるとしている。

 政府は、今後5年間の復旧・復興事業に19兆円以上が必要と試算。既に11年度補正予算で措置している約6兆円を除く13兆円について、歳出削減や、政府保有資産の売却など税外収入で約3兆円、残る約10兆円を臨時増税で充てる方針だった。歳出削減では子ども手当の見直しや高速道路の無料化実験の廃止で約2兆5000億円を確保できる見通し。JT株売却などが実現すれば、増税幅は最大1兆円程度圧縮できる可能性がある。【小倉祥徳】

毎日新聞 2011年8月10日 19時40分(最終更新 8月10日 19時44分)
http://mainichi.jp/select/biz/news/20110811k0000m020037000c.html

政府は、JT株の売却により、増税額の圧縮をはかるというのである。結局、財源をかき集めても、復興事業費増額にまわらないと予想されるのである。

さらに、「市町村分は、仙台市が5年間の復旧・復興事業費として試算した1兆円のほか、高台移転や土地区画整理、防災緑地整備などに要する8591億円を盛り込んでいる。」ということに着目してみよう。この8591億円は、仙台市を除く高台移転や区画整理事業にかかる市町村の費用をさしている。実は、これ自体が、現行法では国に支払う義務は規定されていないのではないかと思われる。産経新聞は、6月11日に、このように報道している。

宮城の復興費2兆円超 現行制度なら「12市町すべて破綻」
2011.6.11 21:22
 宮城県は、東日本大震災の津波被害を受けた沿岸12市町の新たなまちづくりに必要な事業費が2兆1079億円に上るとの試算をまとめた。11日の政府の「復興構想会議」に村井嘉浩知事が提示した。

 このうち国と県などの負担を除いた市町負担分は8591億円と算出。新たな財源措置がなく現行制度を前提とした場合は「12市町すべてがまちづくりだけで財政破綻する」と指摘、自治体負担を軽減する財政支援策を早期に打ち出すよう重ねて求めた。

 試算には政令市である仙台市の事業費は含まれていない。宮城県全体ではさらに額が膨らむことになる。

 県によると、復興まちづくりの対象となるのは4万2700戸。住宅の高台移転費用や土地区画整理事業費で約1兆円、道路や鉄道、防災緑地などの公共施設整備費で約1兆1千億円と試算した。
(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110611/dst11061121250045-n1.htm)

つまりは、現行法では国の支出が明記されない、本来は市町村負担である区画事業費など8591億円も含めて、宮城県は県全体の復興事業費を約13兆円と試算しているのである。宮城県の要求する復興事業費が実現するには、法改正が必要ということになる。その是非は問わないが、現状において、このことは実現可能なのであろうか。そして、もし、法改正ができなければ、8591億円は、丸々沿岸市町の自己負担となるのである。

これは、村井嘉浩県知事自身が試算している。次の記事は、村井県知事が6月3日に日本記者クラブで行った記者会見の要旨である。日本記者クラブのサイトから引用した。これによると、高台移転などにかかる総事業費につき、現行法では地元負担のほうが多くなるのである。

村井嘉浩・宮城県知事が「宮城県の復興・再構築に向けて」と題して記者会見し、宮城県の復興計画について話した。
村井知事は、東日本大震災後の宮城県の復興について、復旧期3年、再生期4年、発展期3年間の計10年間を計画期間とし、9月県議会に震災復興計画を議案として上程する、と説明した。復興のポイントとして10項目をあげ、そのうち、①災害に強いまちづくり宮城モデルの構築②水産県みやぎの復興③ものづくり産業の早期復興による「富県宮城の実現」――の3点について詳しく述べた。津波被害を受けたA町(人口2700人)の場合、高台移転による復興事業費について、総事業費519億円のうち地元負担は388億円にものぼるという試算を紹介し、国の支援が欠かせないことを訴えた。また「水産業復興特区」制度により民間資本が漁業に参入する新たな選択肢を説明した。質疑応答では、菅内閣不信任案、国の復興構想会議、義援金の配分、女川原発、漁業振興などの質問に答えた。
司会 日本記者クラブ企画委員 篠原昇司(日本経済新聞)
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2011/06/r00022768/

結局、宮城県の打ち出している復興事業は、国の方針が決まらないと実現できないものといえる。さもないと、多大の地元負担がかかるのである。これは、今まで、過疎や財政で苦しんできた、この地域で可能なことなのであろうか。ある意味では、中央依存の復興構想といえるのである。

そして、現在、宮城県の沿岸市町では、8月26日付朝日新聞朝刊で報道されたような現実に直面している。

財源示さぬ国
 「国の方針が決まっていない中で、議論しても何もならない」。津波で市街地の6割が浸水した宮城県東松島市の「まちづくり懇談会」では、住民から不満の声が相次いでいる。
 市は6月に「まちづくり構想図」をつくり、住民に示した。防潮堤と二つの道路をかさ上げする3重の津波対策と居住地の高台移転、沿岸部の再整備などを地区ごとに定めた。
 だが、政府が7月末に示した復興基本方針では、高台移転への国の負担額が明示されなかった。集団移転を希望していた7地区では、反対する住民も出始めた。移転が進まないことを不安視し、「やはり住み慣れた場所のほうがいい」と思い直したからだ。市の担当者は「現状は被災者にさらなる痛みを与えている」と嘆く。

動けぬ自治体
 津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町。平地が少ない同町は、浸水した集落の高台移転がまちづくりの柱で、町は移転先の候補用地を取得する議案を議会に提出した。しかし、議会は「町の負担額が分からない」と反発、町は議案の撤回を余儀なくされた。22日に再提出したが、委員会付託になった。

結局のところ、国の負担額が不明のため、沿岸市町では高台移転などに難色を示しているのである。

この状況に対して、宮城県は、9月11日までかけている建築制限を二か月延長することを検討している。宮城県としては、9月11日までに、国の助成などで優遇されるが、しかし建築の規制を受ける「復興推進地域」を定め、それ以外は制限を解除する予定であった。しかしながら、都市計画などがまったく進まないため、建築制限を特例法で定める上限にまで延長するとしているのである。

 上記の朝日新聞によれば、次のような状況がうまれているという。

 

建築制限が長引くなか、宮城県の企業が工場を移す動きもある。気仙沼市の大手水産会社は、岩手県陸前高田市に新たな加工場を建設している。気仙沼商工会議所の臼井賢志会頭は、7月のシンポジウムで不安を漏らした。「企業は規制がないところで事業をやらざるを得ない。戻ってきてくれるだろうか」

津波で破壊された気仙沼市の水産業加工地帯(2011年7月27日)

津波で破壊された気仙沼市の水産業加工地帯(2011年7月27日)

この状況に対して、先の朝日新聞の報道では「ある県幹部は『菅政権は何もしていないのに等しい』とあきれる」と述べている。確かに、菅政権が有能だとはいえない。しかし、それは、前述したように、新自由主義的な減税志向の強い、民主党・自由民主党・公明党などの体質もあわせて考えるべきなのであろう。

そして、宮城県の責任について、翻って考えてみよう。菅政権の無策は、被災した地域全体に及んでいる。しかし、気仙沼の企業が隣接する岩手県陸前高田市に拠点を移すということは、宮城県の建築制限のためである。いわば、中央依存の大規模開発を指向したため、中央が決めないと、企業流失もとめられないのは、宮城県固有の責任といえるのである。

村田県知事の特区構想は、そもそも水産だけではなかった。民間投資促進や集団移転円滑化のための規制緩和も構想されていたように記憶している。今や、「建築制限」という規制のもと、人や企業の流失を逆に促進している「逆特区」という状況に陥っているのが、宮城県の状況といえなくもないのである。

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