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現在(2012年6月26日〜7月9日)、「中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たちー安世鴻写真展」が新宿駅西口の「新宿ニコンサロン」で開かれている。

この写真展開催にあたっては曲折があった。まず、次の毎日新聞配信記事をみてほしい。

写真展:「慰安婦」巡る展覧会、ニコンが中止決定 作家は「理由の説明を」
毎日新聞 2012年06月04日 東京夕刊

 名古屋市在住の韓国人写真家、安世鴻さん(41)が新宿ニコンサロン(東京都新宿区)で26日〜7月9日に予定していた写真展「重重 中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」が、会場を運営するニコンの判断で中止されることになった。ニコンは「中止の理由は『諸般の事情』以上でも以下でもない」とし、安さんらは経緯の説明と展覧会の開催を求めて法的措置も検討している。

 新宿や銀座、大阪にあるニコンサロンの展覧会は、ドキュメンタリー写真を中心にした質の高い展示で知られる。応募作の中から運営委員が選抜し、ニコンが決定する方式だ。運営委員は写真家や評論家ら5人。委員会を隔月で開催し、展示予定の写真50枚程度を見て多数決で選んでおり、競争率は10倍を超えるという。委員会では安さんの作品について、疑問の声は上がらなかった。委員によると、開催が決定した展覧会の中止は異例という。

 安さんには5月22日にニコンから電話で中止の連絡があった。「理由の説明もない中止決定は納得できない」として翌日、説明を求める書面を送付したが、電話と同じ内容の回答しか得られなかった。安さんとともに展覧会を準備してきた市民グループ「重重プロジェクト」のメンバーは「国内で考え方の分かれる『慰安婦』というテーマについて、表現の機会が奪われた。ニコンからは説明もなく、理解できない」と話す。
http://mainichi.jp/feature/news/20120604dde018040036000c.html/

なぜ、ニコンサロンは中止を通告したのか。その背景を、「週刊金曜日」のネット配信記事は、次のように分析した。

カメラのニコンは世界中の写真家、写真愛好家の間で愛されているメーカーだ。それゆえ、五月末に各メディアを駆けめぐった名古屋在住の韓国人、写真ドキュメンタリー作家、安世鴻さん(四一歳)の写真展を一方的に中止したニュースは言論・表現の自由に対する裏切り行為そのものと受け止めた人が多かったに違いない。

 報道の自由を擁護する国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」のアジア太平洋局長、ベンジャミン・イシュマル氏は五月三一日、「展示会中止に対しての情報統制を非難する」との正式なコメントを出し、「ニコンという民間企業がナショナリスト的扇動の外圧を受け入れ、検閲に加担したということは大変遺憾である」と述べた。

 六月に予定されていた新宿ニコンサロンでの写真展「重重―中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」。中止の理由としてニコン側は「諸般の事情を総合的に考慮」(五月二四日付文書)とし、今回の写真展だけでなく九月の大阪ニコンサロンでの展示のキャンセルまでも一方的に告げた。安さんはその後、ニコン側と文書でやりとりする。筆者が三〇日にニコン広報に電話で聞くと、最後になってようやく「個々の中身は言えないが、抗議の電話、メールがかなりあった」とし、右翼側からの働きかけによって中止を決定したことを事実上認めた。

 実際、五月二五日には東京・有楽町のニコン本社前で、「主権回復を目指す会」が、「祝! 安世鴻写真展中止! 写真展中止は国益に適った判断」との横断幕を掲げ集合。ネットの掲示板でも写真展に関して、「売国行為をやめよう」「ニコンに不買運動すべき」「抗議電話して売国行為やめさせよう」などと非難する声明や誹謗中傷する声が掲載された。

 問題はさらに続いた。写真展中止に関するニュースが流れ始めて二日後の五月二六日、安さんの個人情報がネット上に漏洩。安さんとその家族の身の安全にまでも深い影を落とし始めた。

 今回の展示作品は、戦後中国に置き去りにされた旧日本軍の韓国人元従軍「慰安婦」らを被写体としたもの。九〇歳以上の一二人の元慰安婦らが写真に収まっている。「忘れ去られた女性らを覚えていてほしい」との思いが撮影の動機で、「これのどこが政治的プロパガンダなのだ!」と安さんは怒りに身体を震わせて言う。

「外圧によって写真展を中止したニコンの対応は将来、写真家に『この写真ならニコンには展示できるかできないか』と考えさせる余地を与え、結果として表現の自由が消えていくことが懸念される」

 表現の自由だけでなく、この国には品位も見識もないのか。

(瀬川牧子・ジャーナリスト、6月8日号)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=2127

いわゆる「右翼」側の抗議で、ニコンサロンは中止を通告したというのである。

しかし、安氏側は、法的処置をとり、東京地裁に訴えた。そして、東京地裁は、開催実施の仮処分命令をニコンサロンに出した。そのことを、産經新聞のネット記事は、次のように伝えている。

「元従軍慰安婦写真展」の会場使用を認める 東京地裁
2012.6.22 18:54
 「元従軍慰安婦」を題材にした写真展について、会場の使用中止を通告されたのは不当として、韓国人写真家が会場運営元のニコンに施設使用を求めた仮処分について、東京地裁は22日、申し立てを認める決定をした。ニコン側は同日、異議を申し立てた。

 仮処分を申し立てたのは、名古屋市在住の安世鴻(アン・セホン)さん(41)。安さん側によると、朝鮮人の「元従軍慰安婦」を撮影した38点を展示した写真展を今月26日~7月9日に東京都新宿区の「新宿ニコンサロン」で開催予定だったが、先月22日、ニコン側から中止を通告された。

 ニコン側は「写真展を政治活動の場にしようとしており、応募条件に違反する」と主張していた。

 伊丹恭裁判長は、「ニコンサロンは写真文化の向上を目的とする写真展に貸与するための施設」とした上で、「写真展が政治活動としての意味を有していたとしても、写真文化の向上という目的と併存し得る」と判断。安さんが申込書に写真展の内容を記載し、展示写真も提出した上で使用承諾を受けていることからも「施設使用の趣旨に反するとはいえない」とした。

 ニコンは「弊社の法的な主張が認められなかったことは、誠に遺憾」とコメントしている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120622/trl12062218560005-n1.htm

そして、この仮処分命令通り、写真展は開催されることになった。しかし、先の記事にあるように、ニコンサロン側は納得せず、即日異議を申し立てた。さらに、さまざまな制約をこの写真展に課したといわれている。

6月29日午後、私も写真展を見学した。全く写真展開催は掲示されないまま、ビルの中では、やたら警備員が多く配置され、会場入口には金属探知機が置かれ、手荷物検査が実施されていた。中には、かなり多くの人がいたが、それをニコンの社員が監視していた。知人に聞くと、この場所の会話を録音していたそうである。そして、写真展を撮影することを禁じる掲示が出されていた。

写真展開催を無視したニコンサロン掲示板(2012年6月29日)

写真展開催を無視したニコンサロン掲示板(2012年6月29日)

そして、さほど広くはない場所で、中国で年輪を重ねて生活している元従軍慰安婦の30数枚の写真が展示され、「主催者挨拶」もパネルになっていた。写真については下記の主催者サイトでみてほしい。しかし、それ以外は、何も展示されていなかった。「写真」しか展示されていないのである。キャプションがないのである。

http://juju-project.net/

そして、写真展を説明し、写真に写っている元慰安婦たちを紹介するパンフレットがあったが、それはサンプル版しかない。知人によると、その販売もニコンによって差し止められたとのことである。結局、希望者は、連絡先を書いて、後日郵送してもらうことになっていた。

これらが、開催について、ニコンサロン側のつけた「制約」であると考えられる。字義通りに「写真」の展示しか認めておらず、その他、表現は差し止められていた。これが、日本を代表するカメラメーカーであるニコンの営為なのである。

7月1日、新宿に用があるので、もう一度、写真展を再訪してみた。入場制限がかけられ、20分くらい待たされた。中に入ってみると、声高に、写真を批判する人びとが居座っていた。写真家の安氏もいたが、キャプションでもパンフレットでも表現の手段が制約され、たぶん、ニコン社員の監視下では口論することも難しかったと考えられる。29日の時は、さかんにお話している姿がみられたが、この日は沈黙していた。

そして、東京地裁は、本処分でも、安氏を支持し、ニコン側の異議申し立てを却下した。このことを7月3日、朝日新聞はネット配信した。

ニコンの異議申し立て認めず 元慰安婦写真展で東京地裁
 元朝鮮人従軍慰安婦に関する写真展をめぐり、東京地裁(福島政幸裁判長)は、いったん中止を決めたニコンに会場を使用させるよう命じた6月22日の仮処分決定を支持し、ニコンの異議を退ける決定を出した。写真展は予定通り6月26日から東京・新宿のニコンサロンで開かれており、継続される見込み。

 写真展を開いている韓国人写真家の安世鴻(アン・セホン)さんによると、決定は6月29日付。会場の使用契約は成立していたと認定し、「ニコンは会場を使用させる義務がある」と判断。ニコン側の「『写真文化の向上』という会場使用の目的に反する」との主張も退けた。

写真展をめぐっては、ネット上で「売国的な展示で国益に反する」といった批判が広がり、開催決定後の5月22日、ニコンが安さんに中止を通告。だが会場を使用させるよう命じる仮処分決定が出ていた。

http://www.asahi.com/national/update/0703/TKY201207030111.html

とりあえず、写真展は開催されるようである。しかし、ニコン側の「制約」はそのままではないかと思われる。こういうことが、現代の日本の首都で行われていることから、私たちは目を背けてはならないだろう。

付記:写真キャプションは「写真キャプションは、作家本人の意図によりあえてつけておりません。写真のすぐ下に貼られた文字を読んで、見る人と写真の間に余計な先入観が生まれないように。直接写真と向き合えるようにという意図のもとです。」とのことである。ここで訂正しておきたい。なお、キャプションの代わりに説明はパンフレットで行う予定であったが、その配布をニコン側がさしとめたとのことである。

 

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東日本大震災で、津波被災の現状を撮影した写真・動画をたくさんみかける。でも、なんというか、自分が見た被災地とはどうもしっくりあわない。もちろん、報道においても、私においても、被害地の本当の悲しみ、苦しみなどはわかりようはない。しかし、それでも、なんだろうか……外部からみた場合でも、何か大事なものが落ちているような気がするのである。

例えば、4月9日、私自身が撮影しブログにのせた福島県相馬市松川浦の被災状況について撮影した写真を例にとって考えてみよう。その際、複数の写真を撮影したが、ブログには次の写真しか載せなかった。

相馬市松川浦①

相馬市松川浦①

この写真を載せるのには結構葛藤があったのだが…それにしても、この写真を選択したこと自体、鑑賞者の目を気にした私なりの美意識があっただろう。つまりは、「迫力ある写真」ということで、わざわざ望遠レンズで乗り上げたヨットという点景を撮影したものを被災状況全体を代表する写真としているのだ。

もちろん、一般的に報道の場で流通する写真は、私の写真などより百倍素晴らしい写真である。しかし、その多くは、点景を写した写真に過ぎない。乗り上げた舟、基礎以外流失した家屋は、どこにいっても、それこそ山と存在していた。それぞれが被写体になりうるのである。しかし、むしろ、そのような被写体になりうるものが、万として存在したということ、それが、外部者の視点でも理解できる、津波被災の大きさなのではないか。

そこで、今ならば、私は、相馬市松川浦の被災写真としては、次の写真を選ぶだろう。

相馬市松川浦の被災②

相馬市松川浦の被災②

この写真では、前の写真で中心であったヨットは、あまり目立たない。一方で、ヘドロにまみれた水田、そこに点在する木の根、そして、もはや水田と区別がつかなくなった松川浦が写っている。つまり、点や線ではなく、面なのだ。目路にみえる風景全体が、津波被災地なのだ。津波被害の深刻さとはそういうものだといえる。これをみて、復旧・復興のままならないことを肌で感じた。

少なくとも報道においては、写真で語るとはいかなくても文章において、津波被災の巨大さ、復旧・復興の困難さが語られなくてはならないと思う。しかし、現実には、津波の「点景」にこだわっているのではなかろうか。

むしろ、グーグルの航空写真のほうが、津波被災の巨大さがわかるといえる。

この航空写真でみても、松川浦と水田は区別がつかない。復興・復旧とは、海と陸を分けることから始まるだろう。まるで「天地創造」である。

さらに、被災を受けた地域だけではなく、それほど被災していない地域もあるのだということも理解されなくてはならない。今までの二枚の写真は、国道六号線の相馬バイパスから海側をとった写真であるが、その山側には、このような情景が展開されていた。

相馬市松川浦の景況③

相馬市松川浦の景況③

津波は、大体相馬バイパスでとまった。その山側には、緑の農耕地と津波に被災していない集落が存在していた。あまりのギャップに驚いたのである。

あまりにも容易に注目できることだけではなく、その背後にあるものを想像力でせまること、それが本来報道に求められていることではないかと思う。

次回以降、「その背後にあるものを想像力でせまること」の例として、実際にはほとんど見ていない宮城県とりわけ女川町の被災状況を、統計や被災地図などで考えてみたいと思っている。

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