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Posts Tagged ‘再稼働’

さて、本ブログでは、「東日本大震災の歴史的位置」というテーマのもとで、度々福島原発の建設過程について検討し、それをもとに、昨年『戦後史のなかの福島原発ー開発政策と地域社会』(大月書店)という著書を上梓した。

本ブログでは、これから「福井県の人びとはなぜ原発建設に賛成/反対したのか」というテーマのもとに、福島県を凌駕する原発集中立地地帯である福井県の原発についてみていこうと考えている。私は、まず、福井県の原発の現状をみておきたい。周知のことだが、福井県の嶺南地方には日本原子力発電の敦賀原発(2基)、関西電力の美浜原発(3基)・大飯原発(4基)・高浜原発(4基)が立地している。都合13基となり、敦賀市にある高速増殖炉もんじゅなどを含めると、福島県以上(福島第一原発6基・福島第二原発4基)の原発集中立地地帯である。しかし、現状は、他の地域の原発同様、この地域の原発も2013年9月以降すべて停止している。次の福井新聞のネット配信記事をみてほしい。

 

福井県内原発、初の発電量ゼロ 14年度実績、全13基停止で
 (2015年4月7日午後5時30分)

 福井県が発表した2014年度の県内原発の運転実績によると、総発電電力量は県内で最も古い日本原電敦賀原発1号機が運転を開始した1969年度以降で初めてゼロとなった。商業炉13基(合計出力1128・5万キロワット)の全基が停止しているため。

 2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、県内の商業炉は定期検査などで次々止まり、12年2月に全基が停止。同年7月に関西電力大飯3、4号機が国内で唯一再稼働したが、13年9月に13カ月間の営業運転を終え、再び全原発が停止した。

 再稼働に向け関電高浜1~4号機、大飯3、4号機、美浜3号機の計7基が原子力規制委員会に安全審査を申請している。高浜3、4号機は審査に事実上合格したが、残りの認可手続きなどがあり再稼働時期は見通せていない。

 輸送実績はウラン新燃料集合体が計140体、低レベル放射性廃棄物は8千体(200リットルドラム缶)、使用済み核燃料は大飯4号機の14体だった。

 安全協定に基づき連絡のあった異常事象は1件で、法律に基づく国への報告対象になった事象や、保安規定に基づく運転上の制限の逸脱はなかった。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpower/68306.html

この原発群のうち、もっとも古いのは敦賀原発1号機と美浜原発1号機で、ともに1970年に営業運転が開始された。特に敦賀原発1号機については、1970年に大阪で開催された万国博覧会に電力を供給したことでよく知られている。この両原発は、福島第一原発1号機(1971年営業運転開始)とともに、日本国内において軽水炉による原子力発電所とはもっとも古いものである。他方、その古さにより、この両原発は、美浜原発2号機(1972年営業運転開始)とともに廃炉にされることになった。次の福井新聞のネット配信記事をみていただきたい。

 

美浜と敦賀の原発3基廃炉決定 老朽化、福井県知事に報告
 (2015年3月17日午後0時05分)

 関西電力は17日、臨時取締役会を開き、運転開始後40年以上たち老朽化した美浜原発1、2号機(福井県美浜町)の廃炉を正式決定した。八木誠社長は福井県庁を訪れて西川一誠知事と面談し、2基の廃炉方針を報告した。日本原子力発電も同日、敦賀原発1号機(同県敦賀市)の廃炉を決定。午後に浜田康男社長らが福井県と敦賀市を訪れ、方針を説明する。

 東京電力福島第1原発事故後、原発の運転期間を原則40年とする規定に従って、電力会社が廃炉を決めるのは初めて。古い原発の選別を進めることで政府は安全重視の姿勢を強調する一方、一定程度の原発は今後も活用していく方針だ。日本の原発行政は、大きな転換点を迎えることになる。

 関電は一方、運転開始から40年前後たった美浜3号機と高浜原発1、2号機(福井県高浜町)について、17日午後、再稼働に向けて原子力規制委員会に新規制基準の適合性審査の申請をする。

 八木社長は美浜廃炉について西川知事に「将来の(電力)供給力などを総合的に勘案した結果、廃炉を決定した」と説明した。

 関電は美浜原発2基に関し、40年を超えて運転できるか検討していた。だが、出力がそれぞれ34万キロワット、50万キロワットと比較的小さいため運転を続ける場合に必要な安全対策の工事費用などを回収できない可能性が高く、廃炉決定に傾いたとみられる。

 関電は福井県に対し、廃炉工事に当たって地元企業を積極的に活用することや、使用済み核燃料の福井県外への搬出に最大限努力することなどを報告した。

 老朽原発をめぐっては、中国電力と九州電力も、島根原発1号機(島根県)と玄海原発1号機(佐賀県)の廃炉を、それぞれ18日に開く取締役会で決める見通し。関電と日本原電を含む4社は19日に経済産業省に報告する方向で調整している。

 関電と日本原電は当初18日に取締役会を開いて廃炉を決定する運びだったが、地元自治体などとの日程調整を経て1日前倒ししたもようだ。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/npp_restart/66497.html

なお、日本原子力発電の敦賀原発2号機についても、活断層の直上に建設されていたとされ、廃炉がとりざたされている。次の毎日新聞のネット配信記事をみてほしい。

 

敦賀原発:2号機直下「活断層」 原電、再稼働厳しく
 毎日新聞 2015年03月25日 22時34分

 日本原子力発電敦賀原発2号機(福井県)、東北電力東通原発1号機(青森県)の敷地内断層について、原子力規制委員会の有識者調査団は25日、いずれも「将来活動する可能性がある」として新規制基準で定める活断層と認める報告書を規制委に提出した。規制委は今後、原発の再稼働に必要な安全審査で、この報告書を「重要な知見の一つ」と位置付け、活断層かどうかを判断する。両社は廃炉や大規模な改修工事などの重大な決断を迫られる公算が大きい。

 報告書は、敦賀2号機の原子炉建屋直下を通る断層と、東通1号機の原子炉建屋から最短200メートルにある2本の断層を活断層と認定した。新規制基準では、活断層の真上に原子炉などの重要施設を造ることは許されない。

 原電は報告書について「重大かつ明白に信義則、適正手続きに反し、無効」と反論し、敦賀2号機の安全審査を申請する方針。審査で敦賀2号機直下の断層が活断層だと判断されれば、廃炉に追い込まれる公算が大きいが、原電は訴訟も辞さない姿勢を見せている。

 東通1号機については、昨年12月にまとめた報告書案では「活動性を否定できない」との表現だったが、外部専門家からの意見聴取などを経て、一歩踏み込んだ。原子炉冷却用の海水取水路の直下にある別の断層については判断を保留した。東北電は既に審査を申請しており、規制委は近く審査を本格化させる。判断を保留した断層についても規制委の田中俊一委員長は「審査の大きなテーマになる」と述べた。合格には大幅な耐震補強や取水路の付け替えなどが必要になる可能性がある。【酒造唯】
http://mainichi.jp/select/news/20150326k0000m040142000c.html

関西電力は、前掲新聞記事のように、高浜原発1−4号機、大飯原発1−4号機、美浜原発3号機の再稼働をめざし、原子力規制委員会の安全審査を申請していた。そして、高浜原発3・4号機については、原子力規制委員会の安全審査を事実上パスし、地元への同意を求める手続きに入っていた。次の中日新聞のネット配信記事をみてほしい。

 

2015年3月20日 夕刊

 高浜再稼働に町議会が同意

 関西電力が十一月の再稼働を想定している高浜原発3、4号機(福井県高浜町)をめぐり、高浜町議会は二十日、全員協議会で再稼働に同意した。議会の判断を受け、野瀬豊町長は四月以降、町として再稼働への同意を表明する方針。町議会の同意で、再稼働に必要な「地元同意」手続きの最初の関門を通った形だ。

 全員協議会には全町議十四人が出席。的場輝夫議長によると、「安全対策が不十分」などの反対意見は一人だけで、再稼働同意を議会の意思として取りまとめた。同意文書を手渡された野瀬町長は「3・11以降の議論を積み重ねた議会の判断であり、大きな判断要素として承る」と応じた。

 再稼働で先行する九州電力川内原発(鹿児島県)の地元説明会が混乱したことを踏まえ、同町では説明会の代わりに町内ケーブルテレビで安全審査の解説ビデオ(原子力規制庁制作)を放映するにとどめた。的場議長は、事前に議会の同意条件として挙げていた町民の意見集約ができたと考える根拠を報道陣から問われ「ビデオへの反応は鈍かったが、議員の日々の活動の中で町民と接して、原発の安全対策について、町民は理解していると判断した」と答えた。

 野瀬町長も取材に「他府県との広域避難計画の調整や、原子力政策や避難計画に関する町民向けの説明会の日程の調整が必要」とした上で、県知事・県議選の投開票日(四月十二日)以降に町として同意を表明する考えを示した。

 高浜3、4号機をめぐっては、原子力規制委員会が二月、新規制基準に「適合」と判断した。

 野瀬町長が同意を表明すると、地元同意の手続きは、福井県議会と西川知事の判断に移る。
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015032002000257.html

このような原発再稼働の動きにストップをかけたのが、福井地裁の司法判断である。2014年5月21日、福井地裁は大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じる判決を出した。福井新聞の次のネット配信記事をみてほしい。

 

大飯原発の運転差し止め命じる 福井地裁が判決
 (2014年5月21日午後3時15分)

 安全性が保証されないまま関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を再稼働させたとして、福井県などの住民189人が関電に運転差し止めを求めた訴訟の判決言い渡しが21日、福井地裁であり、樋口英明裁判長は関電側に運転差し止めを命じた。

 全国の原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の設置許可を無効とした2003年1月の名古屋高裁金沢支部判決と、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた06年3月の金沢地裁判決(いずれも上級審で住民側の敗訴が確定)に続き3例目。

 大飯3、4号機は昨年9月に定期検査のため運転を停止。関電は再稼働に向け原子力規制委員会に審査を申請し、新規制基準に基づく審査が続いている。

 審理では、関電が想定した「基準地震動」(耐震設計の目安となる地震の揺れ)より大きい地震が発生する可能性や、外部電源が喪失するなど過酷事故に至ったときに放射能漏れが生じないかなどが争点となった。

 大飯原発3、4号機をめぐっては、近畿の住民らが再稼働させないよう求めた仮処分の申し立てで、大阪高裁が9日、「原子力規制委員会の結論より前に、裁判所が稼働を差し止める判断を出すのは相当ではない」などとして却下していた。

 脱原発弁護団全国連絡会(事務局・東京)などによると2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、全国で住民側が提訴した原発の運転差し止め訴訟は少なくとも16件あり、福井訴訟が事故後初めての判決となった。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/npp_restart/50555.html

さらに、2015年4月14日、福井地裁は、原子力規制委員会の安全基準を批判しつつ、高浜原発3・4号機の再稼働を認めない仮処分決定を下した。NHKの次のネット配信記事をみてほしい。

高浜原発 再稼働認めない仮処分決定
4月14日 14時04分

福井県にある高浜原子力発電所の3号機と4号機について、福井地方裁判所は「国の新しい規制基準は緩やかすぎて原発の安全性は確保されていない」という判断を示し、関西電力に再稼働を認めない仮処分の決定を出しました。
異議申し立てなどによって改めて審理が行われ決定が覆らなければ、高浜原発は再稼働できなくなりました。
関西電力は異議を申し立てる方針です。
福井県高浜町にある関西電力の高浜原発3号機と4号機について、福井県などの住民9人は、安全性に問題があるとして福井地方裁判所に仮処分を申し立て、再稼働させないよう求めました。これに対して、関西電力は、福島の原発事故も踏まえて対策をとったと反論しました。
福井地方裁判所の樋口英明裁判長は、関西電力に対して高浜原発3号機と4号機の再稼働を認めない仮処分の決定を出しました。
決定では「10年足らずの間に各地の原発で5回にわたって想定される最大の揺れの強さを示す『基準地震動』をさらに超える地震が起きたのに、高浜原発では起きないというのは楽観的な見通しにすぎない」と指摘しました。
そして原子力規制委員会の新しい規制基準について触れ、「『基準地震動』を見直して耐震工事をすることや、使用済み核燃料プールなどの耐震性を引き上げることなどの対策をとらなければ、高浜原発3号機と4号機のぜい弱性は解消できない。それなのに、これらの点をいずれも規制の対象としておらず、合理性がない」という判断を示しました。
そのうえで、「深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないと言えるような厳格な基準にすべきだが、新しい規制基準は緩やかすぎて高浜原発の安全性は確保されていない」と結論づけました。
今回の仮処分はすぐに効力が生じるもので、関西電力の異議申し立てなどによって改めて審理が行われ、決定が覆らなければ、高浜原発は再稼働できなくなりました。
異議申し立てなどによる審理は福井地裁で行われ、決定が覆れば、仮処分の効力は失われます。
福島の原発事故後に起こされた裁判では、14日の決定と同じ樋口英明裁判長が去年、大飯原子力発電所3号機と4号機の再稼働を認めない判決を言い渡し、現在、名古屋高等裁判所金沢支部で審理が行われています。

 仮処分手続きと決定の効力
仮処分の手続きは、正式な裁判をしていると時間がかかって間に合わない、緊急の場合などに使われるもので、今回の仮処分の決定は直ちに効力が生じます。
決定の是非については異議申し立てなどによる審理で最高裁判所まで争うことができ、その過程で取り消されなければ決定の効力は続きます。逆に決定が覆れば仮処分の効力は失われます。
ただ、仮処分はあくまで正式な裁判が行われるまでの暫定的な措置で、再稼働を認めるべきかどうかについて正式な裁判が起こされれば、改めて司法の判断が示されることになります。
住民側代表「脱原発へ歴史的な一歩」
仮処分の決定のあと、住民側の代表が記者会見を開きました。
このなかで住民側の弁護団の共同代表を務める河合弘之弁護士は、「司法が原発の再稼働を止めたきょうという日は、日本の脱原発を前進させる歴史的な一歩であるとともに司法の歴史でも、住民の人格権、ひいては子どもの未来を守るという司法の本懐を果たした輝かしい日であり、大きな喜びとともに大きな責任を感じている」と述べました。
そのうえで、「この決定は、国の新規制基準の不備を厳しく指摘し、その無効性を明らかにしたもので、これを機に日本中の原発を廃炉に追い込まねばならない」と述べました。
関電「速やかに異議申し立てを検討したい」
14日の決定について関西電力側の弁護士は「会社の主張を裁判所に理解してもらえず、まことに遺憾で、到底承服できない。決定内容を精査したうえ、準備ができ次第、速やかに異議の申し立てと執行停止の申し立ての検討をしたい」と述べました。
そのうえで「会社としては十分な安全性を確保しているとして科学的・専門的・技術的な知見に基づいて十分な主張・立証をしているつもりなので、引き続き、裁判所に理解を求めたい」と話しました。

 高浜町長「再稼働の同意は現在の規制基準で判断」
高浜原子力発電所がある福井県高浜町の野瀬豊町長は、「司法の判断は重いが、関西電力から求められている再稼働の同意の判断にあたっては、現在の規制基準で安全が十分なのかという点で判断していく。行政としての手続きは進めていきたい」と述べ、今回の決定が同意の判断には大きく影響しないという考えを示しました。
そのうえで、「住民は困惑すると思うので、エネルギー政策を決める国が覚悟を持った姿勢を改めて示してほしい」と話していました。

 地震の専門家「誤った理解」
地震による揺れの予測について詳しい日本地震学会の元会長で、京都大学名誉教授の入倉孝次郎さんは「原発の基準地震動は地震の平均像ではなく、個別の敷地の不確かさも考慮して設定されており、決定で『実績や理論の面で信頼性を失っている』としているのは誤った理解だ。一方で、決定の中で原発に外部から電力を供給する送電線なども安全上重要であり、ふさわしい耐震性が求められると指摘しているのはそのとおりだと思う」と話しました。
そのうえで、「原発の安全性を検討するには地震の揺れだけでなく福島で見られたような津波による被害や火山、人為ミスなどさまざまな面を総合的に考慮する必要があるが、今回の決定ではこうした点については科学的な見地で正確な分析がされていない」と話しています。

 官房長官「再稼働の方針変わらない」
菅官房長官は午後の記者会見で、「独立した原子力規制委員会が十分に時間をかけて世界で最も厳しいと言われる新基準に適合するかどうかという判断をしたものであり、政府としてはそれを尊重して再稼働を進めていくという方針は変わらない」と述べました。
そのうえで、菅官房長官は「国は本件の当事者ではなく、あくまで仮処分であり、当事者である事業者の今後の対応を国としては注視していきたい」と述べました。
また、菅官房長官は、記者団が「ほかの原子力発電所の再稼働やエネルギー政策への影響はないか」と質問したのに対し、「そこはないと思う。そこは『粛々と』進めていきたい。法令に基づいてということだ」と述べました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150414/k10010047951000.html

福井県の原発の現状をネット配信記事からみたものだが、古いもしくは問題のある原発の廃炉という方針が打ち出されるとともに、関西電力・国・立地自治体は原発再稼働をめざしており、他方でその阻止をめざして裁判が行われているなど、複雑な動きがみられる。原則的には建設後40年を経過した原発は廃炉となることになっている。20年の運転延長は認められているが、追加の安全対策なども必要となっており、敦賀原発1号機や美浜原発1・2号機は廃炉が決定された。一方、より新しい原発である高浜原発3・4号機は、原子力規制委員会の安全審査も事実上パスし、スムーズに再稼働されるだろうと関西電力や国などは想定していたが、福井地裁の仮処分決定でストップがかけられた形となった。これが、2015年4月時点の福井県の原発の現状なのである。。

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9月27日、長野県・岐阜県の県境にある木曽御嶽山が水蒸気噴火し、登山客を中心にして47人以上(10月4日現在)の犠牲者が出て、戦後最悪の噴火災害となった。

この噴火直前の9月には、火山性地震の増加が観測されていた。今になってみれば、前兆といえるだろう。しかし、結局、噴火予知はなされず、事前の対策はとりえなかった。火山噴火予知の難しさが浮き彫りになったといえる。

そして、この御嶽山噴火によって、川内原発再稼働にも今まで以上に不安の声がなげかけられるようになった。川内原発が所在している南九州は、木曽御嶽山や富士山もおよびもつかない阿蘇カルデラ、加久藤・小林カルデラ(霧島山周辺)、姶良カルデラ(桜島周辺)、阿多カルデラ(開聞岳周辺)、鬼界カルデラ(薩摩硫黄島周辺)と巨大カルデラ火山が5個も存在している。この川内原発周辺の火山噴火のリスクについて、時事新報は2014年7月16日のネット配信記事で次のように伝えている。

巨大噴火「予知困難」=火山学者、審査疑問視-160キロ圏カルデラ五つ・川内原発
※記事などの内容は2014年7月16日掲載時のものです
 原子力規制委員会が審査書案をまとめた九州電力川内原発(鹿児島県)が立地する南九州には、過去に巨大噴火を起こした火山が複数ある。規制委や九電は噴火の兆候を監視すれば対応できるとの立場だが、火山学者からは「予知は困難」と疑問の声が上がっている。
 噴火によって火砕流が原発に到達すれば、設備の損壊や作業員の死傷につながりかねない。降灰でも機器が故障したり、交通網がまひしたりする恐れがある。
 原発の規制基準は半径160キロ圏内の火山を検討対象としている。川内原発では巨大噴火があったことを示すカルデラ(大きなくぼ地)が主なものだけで五つある。九電はうち三つについて、火砕流が川内原発がある場所に達した可能性を認めている。
 規制委はカルデラでマグマの量が増えれば地表付近に変化があるとの前提に立ち、九電に観測場所を増やすよう求めた。
 だが、日本大の高橋正樹教授は「噴火の時期や規模の予測は不可能」と苦言を呈する。
 日本では、巨大噴火は1万年に1回程度の割合で発生している。高橋教授は、前回の巨大噴火は約7300年前で、近い将来再び噴火する可能性も否定できないと話す。  また、東京大地震研究所の中田節也教授は「地震対策で活断層を13万年前までさかのぼって調べるなら、1万年に1回という頻度の巨大噴火対策はより厳しくないといけない」と指摘する。
 規制委の審査では、火山の専門家が九電の対策に直接意見を述べる機会がなかった。首都大学東京の町田洋名誉教授は巨大噴火の発生頻度が低いことを認めつつ、「自然は人の思うようには動かない」と強調。鹿児島大の井村隆介准教授も「近くのカルデラで、既にマグマが多量にたまっている可能性も否定できない」と懸念している。
http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_energy-genpatsu-sendai20140716j-02-w330

1万年に一回の頻度で起きている九州の巨大カルデラ火山噴火の規模はすさまじい。火砕流は川内原発を含む南九州一帯に及び、火山灰は日本全国に達する。7300年前におきたとされている鬼界カルデラ火山噴火は、南九州の縄文社会を一時途絶させたとされている。おきてしまえばどうしようもないのだが、原子力規制委員会や九州電力は、「予知」した対策を講じることができるとして川内原発再稼働をすすめている。しかし、火山の専門家たちは「予知」は困難であるという懸念を示している。

そんな時におきたのが、御嶽山噴火であった。原子力規制委員長田中俊一は、次のように述べている

原子力規制委員長:「御嶽山と一緒に議論は非科学的」
毎日新聞 2014年10月01日 20時44分(最終更新 10月01日 20時56分)

 御嶽山が大きな予兆なく水蒸気噴火し、原発の噴火リスクが改めて注目されている。再稼働に向けた手続きが進む九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)の噴火対策について、原子力規制委員会の田中俊一委員長は1日の記者会見で「(御嶽山の)水蒸気噴火と、(川内原発で想定される)巨大噴火では起こる現象が違う。一緒に議論するのは非科学的だ」と述べ、審査の妥当性を強調した。

 火山噴火予知連絡会によると、御嶽山の総噴出物は100万トン程度で、小規模噴火と分類した。一方、規制委が考慮する巨大噴火の規模はケタ違いで、噴出物は今回の100万倍に相当し、火砕流は100キロを超える地点まで到達する。もし、運転中の原発を襲えば、対処不能に陥る。

 このため、規制委は、火山の監視を強化し、巨大噴火の兆候が観測されれば原子炉を停止したり、核燃料を搬出したりするなどの対策を取ることにしている。

 九電は、川内原発から半径160キロ以内の14火山を「将来活動性がある」「活動性を否定できない」と評価。たとえ噴火しても「敷地への影響はない」とし、火山灰の影響は、桜島の噴火で敷地内に15センチ積もる場合を想定して対策を講じた。規制委はこれらの結果を妥当と結論づけた。田中委員長は「御嶽山より大きい噴火が起きても影響はないと評価した」と話した。

 しかし、巨大噴火は1万年に1回程度しか起こらず、研究は進んでいない。規制委は火山学者を集めた検討会を作り、観測態勢やどのような現象を噴火の兆候と考えるかの指針作りに着手。検討会で火山学者から「現在の火山学では巨大噴火の予測は困難」「巨大噴火の兆候とする判断基準がない」など疑問の声が相次ぎ、判断基準は今後の検討課題となっている。

 田中委員長は「巨大噴火はここ30年、40年の間に起こるものではない。天災がいつ起きるか分からないので社会的活動をやめてください、という考え方では仕事はできない」と述べた。http://mainichi.jp/select/news/20141002k0000m040102000c.html

田中は、御嶽山の水蒸気噴火と巨大カルデラ火山噴火は現象が違うので、予知できるとしている。しかし、そもそも、一万年に一回程度しかおこらない九州のカルデラ火山噴火については研究が進んでいない。どういう前兆があり、どういうメカニズムで起こるということについて、経験した知見がないのである。御嶽山でも異常現象はあったが、噴火の前兆としては認識されなかった。巨大噴火の際、前兆現象があるかどうかすらわからないが、あったとしても、それが噴火の前兆として認識されるかどうかも不明なのである。

そして、「予知」がなされたとしても、有効な対策をとる時間があるのだろうか。ロイターは、次のような記事をネット配信している。

アングル:予知困難な火山噴火、川内原発再稼動で住民心理に影響も
2014年 09月 29日 19:02

 9月29日、御嶽山が27日に噴火し、多数の犠牲者が出たことで、噴火予知の技術的な能力や態勢面などで困難な要因が山積していることを印象づけた。

 東大地震研究所の中田節也教授は、8月25日に規制委が開いた「原子力施設における火山活動のモニタリングに関する検討チーム」の会合で、「巨大噴火の時期や規模を予測することは、現在の火山学では極めて困難」と指摘した。

中田教授はカルデラ噴火の前兆を捉えることができるとする点については否定しない。同教授は5月下旬、ロイターの取材に対し「数カ月前、数週間前なら確実に異常は捉えられると思う。大きな噴火なら、もうすこし長めに(前兆が)起こると思う」と述べる一方で、「それ(前兆)が数年前に起こるとか、数年前に理解できるものではない」とも語った。

原発施設に高温の火砕流が飛んでくるようなカルデラ噴火が発生するならば、核燃料を原子炉から取り出して火砕流が届かない安全な場所に搬出する必要があるが、数カ月間では終わらない作業だ。

規制委の田中俊一委員長は、核燃料を原子炉から取り出して輸送キャスクに入れて外部に搬出できるまでの期間について「通常の輸送は、5年程度は(川内原発など加圧水型では格納容器横の燃料ピットで)冷やしてから」(9月10日の会見)と述べている。
http://mainichi.jp/select/news/20141002k0000m040102000c.html

東大地震研究所の中田節也は、数ヶ月もしくは数週間前に異常は把握できるだろう、巨大噴火ならばもう少し前からおきるだろうと述べつつも、その前兆そのものを数年前から理解できるというものではないとしている。しかし、核燃料搬出は5年程度冷却しなくてはできないと田中俊一自身が認めている。噴火予知は5年前にしないと間に合わないのだ。

なんらかの前兆があって、5年後に噴火するかもしれないという報告があったとして、その報告がまともにとりあげるのだろうか。福島第一原発の場合でも建設時に想定されているよりも大きな津波が来るという報告があっても、対策はされなかったのである。

九州の巨大カルデラ火山噴火は、人類が九州に居住している限り、深刻なカタストロフィーになるだろう。しかし、川内原発がそれにまきこまれることは、放射性物質汚染をプラスすることになるのだ。その点は、東日本大震災と福島第一原発と同様である。

原子力規制委員長田中俊一は「御嶽山と一緒に議論は非科学的」といった。しかし、そもそも巨大カルデラ火山噴火自体が科学的に研究されていない。現状では、「数年前に予知」するということのほうが非科学的であろう。彼は、「巨大噴火はここ30年、40年の間に起こるものではない。天災がいつ起きるか分からないので社会的活動をやめてください、という考え方では仕事はできない」といった。この言葉が示すように、サイエンスではなくビジネスが問題なのである。

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これまで、このブログでは、原発災害のリスクについては、一般的には「安全神話」という形で糊塗しつつ、立地地域において雇用や電源交付金というリターンとバーターすることがはかられてきたと述べてきた。

福島第一原発事故は、結局、原発災害のリスクに見合う、リターンなど存在しないことを示した。そして、原発災害の被災地はリターンが得られた立地地域をこえ、さらに、電力供給がされた電力会社管内すらこえて、近隣諸国にまで及んでいる。

その意味で、これまでのような原発立地を正当化する論理は通用しなくなっているといえる。滋賀県の嘉田知事が、立地自治体・立地県のみが原発稼働に対する発言権を有する現状の枠組みを批判し、「被害地元」という考えを示したことは一つの現れであるといえる。

どのように正当化の論理を再構築するか、そのことが、政府・電力会社・学界・立地自治体などの、いわゆる「原子力ムラ」において課題となっていた。2012年6月8日の大飯原発再稼働問題に対する野田首相の記者会見は、論理的には自己矛盾をきたしているものの、「原子力ムラ」がどのように原発を正当化する方向性を示したものといえる。前回・前々回のブログでみてきたが、もう一度、原発の正当化する方向性はどのようなものなのかをみておこう。

まず、記者会見の中で、野田は「国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。」と述べる。「国民生活を守る」ということを基準にしていることに注目してみよう。つまりは、国民生活を脅かすリスクから守るということが、彼の判断基準なのだと主張しているのである。つまり、ここでは、リターンなど問題ではない。「リスク」だけが問題なのである。

その上で、国民生活の安全を守る上での第一の問題として、原発の安全性を提起している。そして、野田は、福島第一原発事故による知見はいかされており、同等の地震・津波が襲来しても、炉心損傷は起きないことが確認されているという。つまり、現状において原発は安全であるとしているのである。これは、ある意味で「安全神話」を引き継ぐものということができる。過去の「安全神話」とは、別に安全対策が完備したから安全というではなく、設置側が「安全」を宣言したというにすぎなかった。それを継承することがまずなされている。

しかし、それならば、新たに原子力規制庁を立ち上げ、安全基準を作り直す必要はない。そこで、野田は、「こうした意味では、実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していくこととなります。」としている。現状の「安全」は暫定的なものでしかないのである。いくら野田でも、「原発の安全性」を絶対的に保障はできないのである。

それを、より明確に主張しているのが、西川福井県知事である。6月5日、次の記事を読売新聞がネット配信している

「福井に安全神話ない」…西川知事、原発相らに

 関西電力大飯原子力発電所の再稼働を巡り、細野原発相が4日、福井県に地元同意を要請したが、西川一誠知事は首を縦に振らなかった。夏の電力不足が迫る中、地元同意に向けた手続きはいつ動き出すのか。カギは西川知事が握る。

 「福井に安全神話はないんです」。西川知事は4日、会談で細野原発相らに語りかけた。全国最多の14基を抱える原発立地県としてリスクを負ってきたとの思いがにじむ。

 旧自治省官僚から副知事に就任した1995年、同県敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故が発生。知事当選翌年の2004年には同県美浜町の美浜原発事故で5人が死亡した。今回、再稼働への手続きに位置付けられた県原子力安全専門委員会は、西川知事が設置したものだ。

 会談では、消費電力の半分を福井に頼る関西への不満も口にした。関西広域連合が5月30日に出した「再稼働容認」声明に対し、「そもそも、消費地である関西は『容認』とおっしゃる立場にはない」と、厳しい口調で言い切った。

 電源三法に基づき、国が同県や県内の原発立地自治体などに投じた交付金は1974~2010年度までに計約3461億円。地域の経済、雇用は原発に依存する。県内の企業経営者は「福井と原発は切り離して考えられない」と話す。

 会談で西川知事は、「日本経済のために原発が重要で、再稼働が必要だということを、首相が直接、国民に訴える対応がなされれば、(再稼働同意に向けた)解決を進めたい」と述べ、再稼働に向けた条件を示した。「40年後の原発依存度ゼロに向けて動いている」(枝野経済産業相)との脱原発論がくすぶる政権に覚悟を迫った格好だ。

 会談後の記者会見で、西川知事は語調を強めた。

 「(ボールは)国にあります」

(2012年6月5日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120605-OYO1T00222.htm

これは、重要な発言である。西川知事は「安全神話」を否定する形で、原発のリスクを指摘したことになる。その意味で、原発は、西川にとっても「安全」なものではない。野田首相が「暫定的な安全」というあいまいな言い方をしたのと比べると、より明解である。

それでは、どのように原発の正当性を主張するのか。また、野田首相の記者会見にもどってみよう。野田は、こういうのだ。

国民生活を守ることの第2の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません。

確かに、日本社会は原発からの電力供給というリターンに依存してきたといえる。このことを逆手にとって、このリターンが絶たれることが、「国民生活を守る」上でのリスクだと野田はいうのである。原発供給電力というリターンを、リスクとして、この場所では表現しているのだ。このリスクは、夏期の計画停電に始まる人命・雇用・需要の喪失にはじまり、長期的にいえば、電力価格高騰における家計・企業経営への悪影響、さらに石油資源を中東に依存することへのエネルギー安全保障上の問題にまで及ぶ。これらを「国民生活を守る」上でのリスクとしてとらえているのである。

原発災害へのリスクに電力供給危機へのリスクを対置する、そのことによって、原発災害リスクへの懸念の増大を電力供給危機への危機に置き換える、そのような戦略が目指されているといえる。

そして、原発災害のリスクを甘受しつつ、電力危機のリスクに立ち向かう立地地域の人びとは、野田においては賞賛されるのである。

そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。

「大都市における豊かで人間らしい暮らし」とは、大都市住民でもない人びと、大都市でも豊かな生活をしていない人びとにとっては、絵空ごとであるが、しかし、野田の国民とは、そのような人びとを排除している。いわば、既得権を得ている人びとでしかなかろう。この既得権ーつまりはリターンーを得ている人びとを守るために、原発リスクを甘受している人びとこそが「敬意と感謝」の対象となるのである。

このような意識は、より立地地域の首長によって強く語られる。おおい町長は、4日に「住民の間からも、今までにない不満が出ている。立地自治体として40年間、大きなリスクを抱えながら今日に至っているのに、何の理解もない」(産經新聞5日ネット配信)と述べている。

最終的に野田は、このように述べる。

再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞ御理解をいただきますようにお願いを申し上げます。

再稼働させないことは、国民の生活の安心を脅かすということなのである。つまりは、再稼働反対派は、国民の生活の安心を脅かす存在なのである。

そのことを露骨に語っているのが、原発をかかえている美浜町議会である。やや前のことになるが、美浜町議会の動向について、産經新聞は次の記事を5月22日にネット配信している。

計画停電の検討、関電に要望 美浜町議会原特委 福井
2012.5.22 02:08
 
■電気のありがたさ知らせる

 関西電力美浜原子力発電所(美浜町)の再稼働について、美浜町議会原子力特別委員会は21日、経済産業省原子力安全・保安院と関西電力から、安全基準と緊急安全対策について説明を受けた。

 関電は昨年12月、美浜原発3号機のストレステスト(耐性検査)1次評価を提出し、保安院の審査待ち。同2号機は昨年7月、高経年化技術評価を提出し、今年7月には運転40年を迎える。同1、2号機は改正規制法案の制定待ちとなっている。

 この日の原特委では、山口治太郎町長や議員10人が出席。関電の説明後、議員が「今年の夏を乗り越えれば、原子力発電所がなくてもやっていけると思われがちだ」と指摘。「大阪など関西は電気があって当たり前だと思っている。関西に電気のありがたさを知らせるため、計画停電を最重要課題にすべきだ」と要請。

 関電美浜発電所の片岡秀郎所長は「供給の努力を怠ってはいけないが、化石燃料の増強が電気料金の値上げに繋がることなどを理解してもらわなければならない」と応えた。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120522/fki12052202080002-n1.htm

再稼働に反対する関西の人びとに電気のありがたさを知らせるため、計画停電を率先して行えと関西電力に要請したというのだ。野田の発言は、計画停電をさけるために再稼働せよというものだが、ここでは、反対派がいるような地域には電力供給しないことによって反省を促せと主張されているのだ。

野田の記者会見は、福井県側が求めたものである。それゆえ、たぶん従来から主張された安全神話の提起と、福井県などが主張する電力供給危機の問題が整合性がとれていない部分があり、野田の発言全体の自己矛盾の一因となっているといえる。しかし、福井県側においても、再稼働への同意の条件として、このようなことを国側が表明することになっていた。結局、原発のリスクを認めると、これまでのようにリターンを与えることによって同意を調達することは主軸にならないのである。国が「国民生活を守る」上でのリスクとして、原発よりの電力供給危機に対応することをあげ、それこそが「国策」だと措定することによって、「原発の安全性」というリスクを第二義的なものとし、無効化する。もちろん、電力供給上の危機といっても、一般的にも電力供給というリターンを失うということにすぎないし、現実には、電力会社・立地自治体などのリターンが失われることでしかない。しかし、それを、それこそ、「国民国家」的な「国民の生活」を守るための利益だと拡大し、現実的なリターンなしに、原発のリスクを甘受することが国家から訓示される。原発のリスクを甘受しつつ、国民の生活を守るために電力供給に協力した福井県の人びとは賞賛され、再稼働をさせないように主張した人びとは、国民の生活の安心を脅かすものとされるのだ。その意味で、原発災害のリスクが、電力供給上のリスク(実質は原発からのリターンが失われるということにほかならないが)によってバーターされることによって、原発が正当化されるといえるのである。

このことは、例えば、1974年の電源交付金制度設置においては、原発の安全性を主張しつつ、とりあえずリターンを与えることによって、原発の正当性を担保させるというやり方とは大きく異なるといえる。原発からの電力供給というリターンが絶たれるというリスクを強調される。原発は、電力会社や立地自治体に限らず、現存秩序の中で既得権を得ている人びとにとって、特別なリターンなしに喪失からのリスクから守らなくてはならないものの象徴となり、さらに「国民生活の安全」全体にとっても守るべきものなっていく。そして、それは、国家がー現実には野田首相がー、それこそが、原発の安全性をこえて守るべき国策として措定し、その国策に従うものを賞賛し、反対する者を国民生活を脅かす者とレッテル張りをすることになる。

このような形で、原発が正当化されていくことがめざされていると考えられる。このことによって、現実には、美浜二号機のような、老朽でよりリスクのある原発が再稼働されることになるだろう。つまり、安全性は二の次であり、電力供給を守ることが国策なのだから。他方で、国民生活上の危機なるものを原発に限らずあおり立て、何らのリターンもなしに、「国策」に従うことが強制されていくということが横行していくだろう。消費増税正当化の論理も、その一つであろう。そして、この状況こそが民主主義の危機である。

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本日(2012年6月8日)、福井県知事から「国民に原発の必要性を主張してほしい」という要請に答えて、野田首相が大飯原発再稼働の正当性を訴える記者会見を行った。

この内容については、すでにマスコミ各社が伝えているが、その要約では、野田首相の論理を正確に伝えているとは言い難い。前から、どのような論理で、野田首相は原発再稼働の正当性を主張するのだろうと考えていた。首相官邸のサイトにアップされた、野田首相の記者会見のテクストにおける論理展開をみながら、どのように野田首相が原発再稼働を正当化づけるのかをみていきたい。

まず、冒頭で、野田首相は、次のように提起する。

 

本日は大飯発電所3、4号機の再起動の問題につきまして、国民の皆様に私自身の考えを直接お話をさせていただきたいと思います。

 4月から私を含む4大臣で議論を続け、関係自治体の御理解を得るべく取り組んでまいりました。夏場の電力需要のピークが近づき、結論を出さなければならない時期が迫りつつあります。国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。
http://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/2012/0608.html

野田は、この問題が「国論を二分する問題」であることを認めた上で、彼自身は「国民生活を守る」ということが、自分の絶対的判断基準であり、国の最大の責務であるとしている。

では、「国民生活を守る」ということはどういうことなのか。野田は、このことを二つにわけている。第一は「原発の安全性」ということである。

 

その具体的に意味するところは2つあります。国民生活を守ることの第1の意味は、次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないということであります。福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています。

 これまで1年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果であります。勿論、安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました。そのため、最新の知見に基づく30項目の対策を新たな規制機関の下での法制化を先取りして、期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています。

福島のような事故を起こさないことがまず第一であるというのである。つまり原発の安全性が第一の問題である。そのことについて、野田は、全電源喪失しても炉心損傷は起きないことは確認した、新たな知見については、今後の法制化を先取りして、実施することを電力会社に求めたとしている。

この安全であるかいなかということが、基本的に大きな問題であり、例えば大飯原発のストレステストについては、班目原子力安全委員長すら、再度の検討が必要であると発言している。また、免震重要棟建設の必要性など、福島第一原発事故で得られた「知見」についても、多くの実施は「先送り」となっている。野田のいう、国論が二分しているという所は、再稼働される原発の安全性なのである。それについて、彼は「安全である」と断言しているといってよいだろう。しかし、野田は、このようにいう。

 

その上で、原子力安全への国民の信頼回復のためには、新たな体制を一刻も早く発足させ、規制を刷新しなければなりません。速やかに関連法案の成案を得て、実施に移せるよう、国会での議論が進展することを強く期待をしています。

 こうした意味では、実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していくこととなります。その間、専門職員を要する福井県にも御協力を仰ぎ、国の一元的な責任の下で、特別な監視体制を構築いたします。これにより、さきの事故で問題となった指揮命令系統を明確化し、万が一の際にも私自身の指揮の下、政府と関西電力双方が現場で的確な判断ができる責任者を配置いたします。

 なお、大飯発電所3、4号機以外の再起動については、大飯同様に引き続き丁寧に個別に安全性を判断してまいります。

 実は、これは、大飯原発が安全であるとする野田の断言を自ら裏切っているといえる。新たな規制機関はまだ作られておらず、その上での新たな安全基準もない。もし、新たな安全基準に照らして、大飯原発の安全性に疑問をもたれたら、どうするのだろうか。その場合、運転停止にできるのだろうか。とりあえず、疑問だらけなのだが、それは後述する。ただ、確認できるのは、野田は、とりあえず大飯原発は安全であるという点に立脚しているということである。

そして、次に、野田は国民生活を守る第二の意味として、電力供給面からの日常生活への悪影響を避けるということをあげている。まずは、いわゆる夏場の電力不足問題をあげている。
 

国民生活を守ることの第2の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません。

 数%程度の節電であれば、みんなの努力で何とかできるかもしれません。しかし、関西での15%もの需給ギャップは、昨年の東日本でも体験しなかった水準であり、現実的には極めて厳しいハードルだと思います。

 仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます。仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。東日本の方々は震災直後の日々を鮮明に覚えておられると思います。計画停電がなされ得るという事態になれば、それが実際に行われるか否かにかかわらず、日常生活や経済活動は大きく混乱をしてしまいます。

確かに、関東や東北などでは、昨年は計画停電や夏場の節電などで、苦労をしたことは否めない。しかし、「命の危険にさらされる」というほどのものではない。さらにいえば、そのことで「仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。」というならば、それは現在の就職難の主要因ではないと答えることができる。2008年のリーマンショックの時、もちろん、電力供給に支障などなかったが、多くの人が失業した。今でもそうだ。しかし、そんなことは、野田の念頭にはない。

さらに、野田は、このように主張する。

 

そうした事態を回避するために最善を尽くさなければなりません。夏場の短期的な電力需給の問題だけではありません。化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます。そのため、夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません。更に我が国は石油資源の7割を中東に頼っています。仮に中東からの輸入に支障が生じる事態が起これば、かつての石油ショックのような痛みも覚悟しなければなりません。国の重要課題であるエネルギー安全保障という視点からも、原発は重要な電源であります。

単に夏場だけでなく、電力価格の高騰をさけ、雇用を確保するために、原発からの電力供給は恒常的に必要であり、そうでなければ「国民の生活」を守れないと主張するのである。この論理でいけば、原発は半永久的に維持しなくてはならなくなるだろう。しかし、そうなると、新たな安全基準で大飯原発の安全性に疑問がもたれた場合、どうするのだろうか。暫定的な安全基準によって、原発再稼働するということは、実は「電力の安定供給」という野田の命題そのものを裏切ることになるのである。つまり、「安全」が確保されないと「電力の安定供給」→「国民生活を守る」という論理が危うくなっていくのである。

さらに、野田は、このように述べる。

 

そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。

まず、「大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました」というところをみておこう。これは、二重の意味で問題をはらんでいる。「大都市」でなければ「豊かで人間らしい暮らし」ができないのか。つまり、地域格差がここでは前提となっているのである。また、「大都市」であっても全ての人が「豊かで人間らしい暮らし」をしているのか。階級格差もここでは前提となっているのである。電力供給がなされても「豊かで人間らしい暮らし」など保障されない。しいていえば、その一部にすぎない。そして、電力供給難のみが「大都市における豊かで人間らしい暮らし」をおくることの支障になるというならば、地域格差も階級格差も関係ない人を対象にしているといえる。その意味で、野田の「国民」とは「大都市における豊かで人間らしい暮らし」を享受している人をさすことになるだろう。その点、電力供給とは関係なく「豊かで人間らしい生活をおくれない人」のことなど眼中にはない。電力価格高騰で、家庭や中小企業が困窮するといっているが、最近の報道では、東電の利益の9割が家庭向けから得ていると聞く。そんなものなのである。

後段の「関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。」という発言は、全く理解できない。野田は原発の安全性を最初のところで主張している。立地自治体は別に電力生産者でもなく、原発が安全ならば、原発によって苦労を強いられることはないだろう。原発のリスクがあるから苦労するのだ。強いて言えば、電力供給によって「国民の生活を守る」という国策に従ってきたことへの敬意と感謝なのだが、その言外には、原発のリスクを甘受せざるをえないという犠牲をねぎらうということが含意されている。その意味で、野田は、自分の最初にいった発言を裏切っているのだ。

そして、野田は、大飯原発の再稼働を宣言するのである。

 

以上を申し上げた上で、私の考えを総括的に申し上げたいと思います。国民の生活を守るために、大飯発電所3、4号機を再起動すべきというのが私の判断であります。その上で、特に立地自治体の御理解を改めてお願いを申し上げたいと思います。御理解をいただいたところで再起動のプロセスを進めてまいりたいと思います。

 福島で避難を余儀なくされている皆さん、福島に生きる子どもたち。そして、不安を感じる母親の皆さん。東電福島原発の事故の記憶が残る中で、多くの皆さんが原発の再起動に複雑な気持ちを持たれていることは、よく、よく理解できます。しかし、私は国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはできません。

「国民の日常生活」を守ることが、野田の至上命題になっている。ある意味で、彼にとっては、福島のことは「非日常」なのであり(それ自身はそうだが)、「日常」を守る上では考慮されない。もし、敬意と感謝を述べるならば、それはいまだ原発リスクを完全には体験していない福井県の人びとではなく、そのリスクを身をもって体験した福島県の人びとであると思うが、もはや「原発再稼働」というカードをもたない福島県の人びとは対象外なのである。

しかし、彼は、長期的には原発への依存度を下げるのだという。

 

一方、直面している現実の再起動の問題とは別に、3月11日の原発事故を受け、政権として、中長期のエネルギー政策について、原発への依存度を可能な限り減らす方向で検討を行ってまいりました。この間、再生可能エネルギーの拡大や省エネの普及にも全力を挙げてまいりました。

 これは国の行く末を左右する大きな課題であります。社会の安全・安心の確保、エネルギー安全保障、産業や雇用への影響、地球温暖化問題への対応、経済成長の促進といった視点を持って、政府として選択肢を示し、国民の皆様との議論の中で、8月をめどに決めていきたいと考えております。国論を二分している状況で1つの結論を出す。これはまさに私の責任であります。

これは、「国民生活を守る」ために原発は必要だとする彼自身の前述した論理を裏切っている。もし、そういうのならば、原発への依存度を下げてはいけないはずである。このような自己矛盾している野田に「国論を二分している状況で1つの結論を出す。これはまさに私の責任であります」ことが可能なのだろうか。

最後に彼は、このようにいう。

再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞ御理解をいただきますようにお願いを申し上げます。

 また、原子力に関する安全性を確保し、それを更に高めていく努力をどこまでも不断に追及していくことは、重ねてお約束を申し上げたいと思います。

 私からは以上でございます。(記者との応答は省略)

再稼働させないことは「生活の安心を脅かす」というのである。つまり、再稼働反対派は、「国民の生活」を脅かすということになる。ある意味では「非国民」ということになろう。

しかし、これは、再稼働反対派・慎重派からいわせれば、全く逆であろう。原発の安全性が担保されないまま、再稼働されることこそ、「生活の安心を脅かす」ことになる。

さて、全体でいえば、この野田の主張は、自己矛盾の塊といってよい。いくら野田でも「安全性」が最優先されることはふまえて「安全」といっているが、しかし、原発のリスクが立地自治体におよぶことを言外に認めざるをえない。今後、規制庁ができたら新たな安全基準で審査する必要性があるとするのだが、もし、そうなれば、原発を停止する可能性があり、電力の安定供給ということに反するであろう。さらに、原発に依存しなくては日本社会が成り立たないといいながら、長期的には脱原発依存を主張する。ある意味で、再稼働反対派・慎重派の原発から「国民の生活を守る」という論理を小器用に転換して、電力供給の危機から「国民の生活を守る」という論理で当面は糊塗しているといえるが、内容は矛盾だらけである。

しかし、この中で、ある種、「国民の生活を守る」という国民国家的名目で、国家主義を押し付ける論理が顕在化してきていることに注意しなくてはならない。その中で、電力供給という、「大都市で豊かで人間らしい生活」をおくる人びとの利益が国民全体のものとされてくる。そして、その仕組みに犠牲を払って従う人びとは、賞賛される。他方、反対派の意見は「国民生活を守る」点から排除される。もはや、原発の安全神話が崩壊し、原発のリスクに見合うリターンなど存在しなくなった時、浮上してきたのは、一面的に「国民生活を守る」ことの内容を国家の首脳が定義し、犠牲を払いつつ従う人たちを組織し、別種の「国民の生活を守る」という論理を排除する、ある種の国家主義なのであるといえる。しかも、それが、おおい町長や福井県知事の要請に答えてー形式的には下からの要請に答えて、出現したということにも着目しておかねばならない。

単に、原発再稼働ということをこえて、私たちは歴史的な試練を迎えているという感が否めないのである。

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さて、今、大飯原発再稼働問題がクローズアップされている。基本的な構図をいえば、政府側が、ストレステスト・暫定的安定基準などで形式的に大飯原発は「安全」であると宣言し、滋賀県・京都府・大阪府などにおける現時点で再稼働することに反対する意見を無視しつつ、大飯原発が立地している福井県やおおい町に再稼働に合意してもらおうということのようである。

もちろん、これには裏があるといえる。原発に依存するしかない現時点の福井県経済を前提とすれば、原発再稼働は福井県側にも望む声がある。ある意味では、形式的に「安全」と政府から宣言してもらえば、県知事などが再稼働に合意しても、政治的批判を浴びないですむ。そのためには「安全宣言」など「作文」でかまわない。2012年3月31日にネット配信された産經新聞の記事は、そのことを露骨に示しているといえる。

滋賀・京都知事を批判 大飯原発再稼働で川田会頭 福井
2012.3.31 02:15
 福井商工会議所の川田達男会頭は30日の年度末記者会見で、京都府、滋賀県の両知事が29日に現状での大飯原発の再稼働に反対の意向を示したことについて、「自身の府県のことだけ、安全だけで反対しているように見える。仮に電力供給が途絶えることになれば、問題があるのではないか」と批判した。

 川田会頭は、関西で今夏の電力需給が逼迫(ひっぱく)する見通しになっていると指摘。「停電になってもよい、電力コストが激増してもよい、という覚悟の上での反対発言なら理解できる。また、原発なしで電力需要をカバーできるならいいが、それすら考えずに反対だけを唱えていて済む問題ではない」と述べた。

 県が求めている再稼働にあたっての暫定的な安全基準がまだ提示されていないことについては「作文でもいいから出してくれと伝えている。本気で動かす気がないのではないか」と国の対応を批判した。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120331/fki12033102150000-n1.htm

客観的にみれば安全が増しているわけではないが、政府が「作文」して「安全宣言」を出すことを、福井県側も要望していたといえる。その意味で、これは、筋書きが見えすぎるドラマといえるだろう。

そして、今後も、この筋書きの見えすぎるドラマは続くようである。今度は、おおい町の要請により住民説明会が開催されるとのことである。

大飯再稼働:政府が初の住民説明会開催へ
毎日新聞 2012年04月14日 15時24分(最終更新 04月14日 16時16分)

 定期検査で停止中の関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働問題で、おおい町が原発の安全対策などを住民に理解してもらうために国に開催を求めている住民説明会について、政府が応じる方針であることが分かった。再稼働を巡って国が住民に直接理解を求めるのは初めてとなる。同様に停止中の原発を抱える他の立地自治体も強い関心を示している。
 時岡忍・おおい町長は、東京電力福島第1原発事故後に実施した安全対策の内容などについて、国が住民に直接説明し、理解を得ることが再稼働の前提と繰り返してきた。
 民主党関係者によると、同町が地元選出国会議員らを通じて「安全、安心を担保してもらいたい」と住民説明会の開催を政府に要請し、検討が進められている。説明会は同町内で開かれ、原発の安全対策などについて経済産業省原子力安全・保安院の担当者らが説明する見通し。県と町の間でも開催する規模や回数を調整しているという。
国による県への説明は14日午後に福井県庁であり、枝野幸男経産相が西川一誠知事や時岡町長、田中敏幸・県議会議長に再稼働への理解を求める。保安院関係者は「西川知事と枝野経産相の会談が、住民説明が始まるキックオフになる」と話しており、具体的な開催日時や会場などは、会談後に国と地元で調整される見通し。
 おおい町は06年に旧大飯町と旧名田庄村が合併して誕生した。
 複数の町議によると、元々原発立地だった旧大飯町に対して、旧名田庄村には原発に批判的な声も多く、説明会での紛糾も予想されるという。【安藤大介】
http://mainichi.jp/select/news/20120414k0000e010190000c.html

政府側が、再稼働するために原発の「安全性」を住民に理解してもらうために説明会を開くというならば理解できる。しかし、この場合、おおい町が要請して説明会を開催し、それにより「安全、安心を担保してもらいたい」とのことである。既存の安全対策を住民に説明することがなぜ「安全、安心」の「担保」となるのだろうか。結局のところ、それは、原発の「安全、安心」を政府に約束させるということなのだろうと思う。そのために、政府側が「住民説明会」を開くという儀式が必要とされているということなのだろう。つまりは「政府」の「姿勢」が問題なのであって、客観的な安全性は二の次なのだ。安全性の問題は「信頼」の問題に変換されているのである。

客観的な意味での「安全」と、「信頼」の問題に変換された言葉だけの「安全」とのギャップがそこにはあるだろう。それは、実は、日本で最初の原発立地が1956年に決定された東海村の時から存在していた。次回以降、このことを論じておきたい。

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