Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘元旦’

私の幼少時(1960年代)、「日の丸」は祝日のシンボルだった。カレンダーでは祝日には日の丸が印刷されていた。また、祝日は「旗日」といわれていた。特に正月元旦は、「旗日」の中でも筆頭であった。

もちろん、1960年代であっても、各家庭が祝日になると日の丸を掲げていたわけではない。今思えば、各町内に数軒ぐらいだったかもしれない。とはいっても、探すのに困るほどではなかった。正月元旦などの祝日に、町を少し歩いていれば、日の丸を掲げている家は簡単に見つけられた。

幼い頃の私は、なぜ自分の家で日の丸を掲げないのか親に聞いたことがある。親は、「日の丸はお金持の家がかかげるもの」と答えた。今、思えば、それだけではなく、いろんな思いがあったのだろうと考える。一方、私自身について反省してみると、たぶん日の丸を掲げる家が羨ましかったのだろう。よくも悪くもであるが、「日の丸」については「ハレの日」における「祝祭」のイメージが刷り込まれていたのである。もちろん、今はそう思っていないが、そのような感覚は今でも残っている。

本日(2014年1月1日)、運動のために、自宅のある練馬区から多摩湖までサイクリングしてみた。ルートは千川上水沿いから多摩湖自転車道で、大体片道20キロ弱である。自治体では、練馬区・武蔵野市・西東京市・小平市・東村山市・東大和市を通ることになる。

しかし、行ってみて、驚いた。私の記憶では元旦は「旗日」であり、かなりの家庭が日の丸を掲げていると考えていた。しかし、日の丸を掲げていたのは、ほんの少数だった。ほとんどの地域は、日の丸など掲げていないのである。次の写真は練馬区内のものだが、大体、どこにいっても、日の丸を見ることは難しかった。

練馬区内の正月風景(2014年1月1日撮影)

練馬区内の正月風景(2014年1月1日撮影)

そもそも、日の丸というだけでなく、祝祭気分のあふれた正月風景とすらいえないように思える。しめ飾りすらない家が多く、半分ぐらいはありそうだった。あっても、非常に小さいものが多い。拙宅でも「形ばかり」として、500円くらいの小さなしめ飾りをつるしている。その時は、なるべく小さいものを選んだ。しかし、本日見たら、大体、どの家のしめ飾りも多くは拙宅程度のものだったのである。

拙宅のしめ飾り(2014年1月1日撮影)

拙宅のしめ飾り(2014年1月1日撮影)

門松になるともっと少ない。そして、門松がある家庭ではしめ飾りがない場合が多かった。といっても、日の丸ほどではない。何軒かみていると、門松をかざる家は発見できた。

結局、片道20キロ弱のサイクリングで、日の丸が掲揚されていた箇所は、9箇所しかなかった。そのうち、一般家庭は4軒で、内訳は練馬区1、西東京市2、東村山市1であった。その他の掲揚個所は、新興宗教の「真光正法之会」(練馬区)、消防署(練馬区)、武蔵野大学(西東京市)、小平駅前稲荷神社(小平市)、村山貯水池駐在所(東大和市)の5箇所である。そのうち、近所の練馬区の消防署は常時日の丸を掲揚しており、駐在所などはどうかわからないが、最近、公的機関で日の丸が掲揚されていることが多いので、その一環であろう。「真光正法之会」と稲荷神社は、それぞれの宗教的見地から日の丸を掲揚しているのだろうと思う。武蔵野大学はなぜかわからない。ただ、校旗らしき旗も門前に掲揚していた。ここでは、これらの掲揚されていた日の丸の代表として、武蔵野大学の「日の丸」写真をアップしておこう。

武蔵野大学の日の丸(2014年1月1日撮影)

武蔵野大学の日の丸(2014年1月1日撮影)

結局、片道20キロ弱のサイクリングで日の丸の掲揚は9箇所しか発見できなくなかったのである。幼少の時、もちろんそれほどは多くないといっても、各町内に数軒は掲揚していた。しかも、一般家庭で掲揚しているのは4軒だけだ。もちろん、見落としはあるかもしれない。しかし、以前ならば、それほど苦労せずとも日の丸を見つけることはできた。今回は、ある程度意識してやっとこれだけ発見できたのである。日の丸は驚くほど激減したのである。

この祝日における日の丸掲揚激減の理由としては二つ考えられる。一つは、正月などの祝日を「ハレの日」として地域社会全体が祝う意識の減退である。しめ飾りや門松も相対的に少なくなり、小さくもなっている。また、以前であるとよく見かけた和装ー晴着の人もほとんど見かけなかった。このサイクリングの中で見かけたのは、覚えている限り、一組だけだった。途中で寄り道して石神井神社に行き、参拝客をみたが、その中にも晴着の人はいなかった。正月を「ハレの日」として祝う意識は、着実に減退している。1980年代末のバブル期には、結構晴着の人もみかけたので、長期におよぶ不況もその原因の一つなのかもしれない。

もう一つ考えられるのは、国旗国歌法(1999年成立)などにより、日の丸が日本国家と日本に対するナショナリズムを象徴する側面が強まり、「ハレの日」の祝祭の象徴として地域社会で受け取られなくなっているのではないかということである。現在、学校現場で日の丸掲揚を事実上強制する動きが強まっているが、それだけでなく、前述した消防署などの公的機関や、国会の議場、記者会見の場においても日の丸が持ち込まれている。これは、たぶん、アメリカにおける星条旗の扱いを模倣したものだと思われるが、日の丸を「ハレの日」の祝祭の象徴として感覚的に刷り込まれてきた私としては、ナショナリズム以前に違和感を感じる。それこそ、ビジネスライクな「ケ」である公的な場所に「ハレ」を持ち込むのかという感じなのである。そして、このような扱いが一般化していくことによって、「日の丸」における祝祭的イメージは減退していると考えられる。

そして、在日特権を許さない会などが、在日朝鮮人などへのヘイト・デモなどの場において、日の丸を持ち出すことも、日の丸の祝祭的なイメージを減退させている一因になっているのだと思う。もちろん、ヘイト・デモの内容自体が問題だが、それだけではなく、日の丸はそのような政治的スローガンを一般社会の押しつけようとする集団のみの象徴とされることによって、より広くもたれていた「ハレの日」の祝祭的なイメージを減退させることにつながっていったと考えられる。結局、日の丸の祝祭的なイメージは、スポーツ応援の場を中心に残存するしかないのではなかろうか。

私自身は、幼少期の感覚とは違った形で日の丸について認識している。しかし、私がどうこういうよりも、日の丸を日本国家やナショナリズムの象徴として一般社会に押しつける国家やナショナリストの営為そのものが、一般社会から日の丸を敬遠させている一因になっているのではないかと考えている。

Read Full Post »