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Posts Tagged ‘中国’

さて、やや旧聞になるが、『中央公論』2014年5月号に宮家邦彦(元外交官、現キャノングローバル戦略研究所研究主幹)・加茂具樹(慶應義塾大学准教授、現代中国政治学専攻)の「対談ー中国共産党崩壊のシナリオはありうるか」という記事が掲載された。特に、宮家の発言には、現在の「外交実務家」たちの中国をめぐる意識が露呈されているように思える。宮家は『語られざる中国の結末』(未見)という本を出しているそうであるが、この対談の中でその中身が紹介されている。それによると、宮家は、中国の今後を、中国が統一を保つか分裂するか、民主化するか独裁化するなど7つのケースに分けてシュミレーションしている。しかし、対談相手の加茂は「すべてのシュミレーションの前提として、米中の衝突を想定されていますね」と指摘した。それに対して、宮家は、このように答えている。

宮家 中国に民主化、あるいは崩壊の可能性があるとするなら、そのきっかけは現時点では外的要因しか考えられなかったからです。
 格差が広がったといっても、つい最近まで「10億総貧乏」だった国ですから、それによって人々が本気で怒りだして政権が崩壊するほどの暴動が起きるとは思えない。また、あれだけの国家ですから、局所的な暴動なら簡単に抑え込める。そして、少々の外圧なら耳を貸さなければいい。それで、米中の武力衝突を前提にしました。

加茂は、さらに「共産党政権が米国への挑戦を選択する理由は何ですか…共産党政権は、実際に、国際社会における影響力の拡大を一貫して追求していますが、どうやって米国と対話し、調整して共存していくかもずっと模索しています」と指摘した。宮家は、次のように応答している。

宮家 それは分かります。だからといって、米中衝突が「絶対ない」とは言えない。1930年代の日本をとっても、米国と武力衝突することでどれほどの利益があったのか。冷静に考えてみれば分かりそうなものですが、当時の日本人は戦争を選択してしまう。
 当時の日本もいまの中国もコントロールできないのはナショナリズムです。ただ、中国経済はまさに対外関係で持っているので、下手に動けば制裁される。そうなると資源がない分、ロシアより深刻です。そう考えれば米中の武力衝突の可能性は相当低い。とはいえ、ロシアは経済的なメリットがほとんどないにもかかわらずクリミア半島を軍に制圧させた。いつの時代もナショナリズムは判断を曇らせる厄介なもので、損得勘定を度外視させる危険がある。

宮家は、いわばナショナリズムの暴発によって利害をこえて中国がアメリカと衝突する可能性があるというのである。しかし、加茂は「僕は、中国における政治的な社会的な変化の重要な契機は、中国共産党内のエリート間の利害対立の先鋭化にある」と発言し、「宮家さんのシュミレーションに話を戻すと、それぞれ可能性を論じてみて、最終的には、当面、このまま変わらない蓋然性が高い」と指摘した。宮家も「このマトリックスをやってよかったと思っているのは、真面目に議論すればするほど、いまの中国のシステムがいかに強靭であるかということを再認識させられたことなんです」と述べている。

その上で、宮家は、次のように発言している。

宮家 ところで、日本にとって真に最悪のシナリオは、中国が民主化されて超優良大国になることだと思います。そうするとまず、日本の存在価値が低くなる。そして、いずれ米国はアジアから軍を引き揚げることになるでしょう。しかし、超優良大国になっても国内のナショナリズムがなくなるわけではありませんから、引き続き日本は中国に叩かれる。それなのに両国間の緊張が高まったときに、もうアジアに米国はいない、となったら悪夢です。日本はすべての国防政策を見直さなければなりません。それはバッドニュースです。ただ、グッドニュースは、縷々見てきたとおり、中国がそう簡単には民主化される可能性がないこと。(笑)

宮家の議論には、中国に対する大きなコンプレックスが見て取れる。彼からみれば、中国共産党政権は、内部抗争でも「少々の外圧」でも変わらないー「民主化」にせよ「崩壊」にせよーのである。つまりは日本側の作為でも変えることはできないのだ。そして、この「変わらない中国」の「ナショナリズム」によって日本は叩かれ続けるという。それを交渉によって変えようということは問題にもされていない。「強大な中国」と「卑小な日本」とでもいうべきイメージが垣間見えている。この中国に対抗するためには、アメリカに依存するしかないと宮家は考える。このように、中国に対するコンプッレクスは、アメリカへの依存を強めていくことに結果していくのである。そして、ここでも、「強大なアメリカ」と「卑小な日本」というイメージが表出されている。

そして、最終的には、次にような逆説に行きつく。中国に対抗するためには、東アジアにアメリカ軍がいてもらわなくてはならない。中国が「民主化」すれば、アメリカ軍が東アジアにいる必要がなくなる。ゆえに日本にとって「中国の民主化」は「最悪のシナリオ」なのだと宮家は主張するのである。他方で、宮家は、米中の衝突によって「中国が変わる」ことを「シュミレーション」という形で夢想するのである。

宮家は、現在のところ、外務省などの公職についていない。ただ日米安全保障条約課長や中国公使なども勤めており、安倍外交を現在担っているいわゆる外交実務家とかなり意識を共有しているだろうと考えられる。特定秘密保護法制定、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使、普天間基地の辺野古移転強行などにより、「日米同盟強化」をめざす。その一方で、靖国参拝など中国のナショナリズムを刺激することで、米中関係を緊張させる。これらのことにより、政治・経済面で台頭していると意識されている中国に対して、アメリカに依存して対抗していこうとするのである。

それは「中国の民主化」をめざしてのことではない。あくまでも、彼らの考える日本の「国益」なるものが中心となっている。アメリカ政府の「民主化」要求は、もちろん、一種の大国主義的であり、欧米中心主義的なものではあるが、建前では「普遍主義的価値観」に基づいてもいるだろう。日本の元外交官である宮家は、そのような普遍主義的価値観を共有していない。むしろ、「中国の民主化」が挫折したほうが、日本にとって「グッドニュース」だというのである。この論理は、アメリカに依存して中国に対抗しようとしながら、アメリカの価値観とは共有しない自国中心主義なものといえよう。宮家が表明しているこの論理は、安倍外交の基調をなしているようにみえるのである。

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10月12日、ニューヨークタイムズは、安倍政権の教育政策を批判する記事を掲載した。その一部を下記に紹介しておこう。

日本の教育現場では国際感覚に優れた人材の育成が求められる一方で、同時に国家主義的教育の実施も要求され、教育政策の立案現場には困惑が生じています。
日本では『愛国的教育』の実践への圧力が強まる中、教科書の内容を書き換える作業が進められ、近隣諸国の不興を買っています。
しかし日本では同時に、大学の国際競争力を高めるためその国際化と広く門戸を開く取り組みが行われています(後略)
(マイケル・フィッツパトリック「安倍政権の教育現場への介入が生む混乱と困惑」 / ニューヨークタイムズ 2014年10月12日、日本語訳はhttp://kobajun.chips.jp/?p=20395より)。

この記事の主眼は、安倍政権においては、いわゆる教育の「国際化」をしているにもかかわらず、それとは矛盾した形で、教科書の書き換えなどの教育の愛国化が進められているということにある。本記事では、「アジアの近隣諸国は、新たな『愛国主義的教育』が日本を平和主義から国家主義体制へと変貌させ、戦争時の残虐行為については曖昧にしてしまう事を恐れています。そして戦後の日本で長く否定されてきた軍国主義について、その価値感を復活させたとして安倍首相を批難しています」とし、さらに「日本の新しい教科書検定基準と記述内容は、アメリカ合衆国を始めとする同盟国においてさえ、幻滅を呼んでいます」と指摘した。

このニューヨークタイムズの記事に対し、10月31日、下村博文文科相は文科省のサイトで反論した。下村は、反論の冒頭で、次のように述べた。

平成26年(2014年)10月12日のインターナショナル・ニューヨークタイムズ紙において、日本の教育戦略が分裂しているとの批判記事が掲載されました。記事では、「日本はナショナリズムとコスモポリタニズムを同時に信奉しており、教育政策立案者たちの不明瞭な姿勢を助長している。彼らは、彼ら自身が『愛国的』と呼ぶ主義にのっとって教科書を改訂し、その過程でアジアの近隣諸国を遠ざけている」としていますが、それは全く事実と異なっています。

我が国は、ナショナリズムを助長するのではなく、グローバル社会に適応するための人材の教育に大きく舵(かじ)を切って取り組んでいます。その改革のポイントは次の3つです。すなわち、英語教育、大学の国際化、そして日本人としてのアイデンティティの確立のための伝統、文化及び歴史の教育です。(下村博文文科相「平成26年(2014年)10月12日付 インターナショナル・ニューヨークタイムズ紙の記事について」、2014年10月31日)(http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/1353247.htm)

これに続いて、いかに日本の教育が国際化に努力しているかを縷々述べている。このことについては省略する。

そして、「日本人としてのアイデンティティの確立のための伝統、文化及び歴史の教育」についてこのように述べている。

その際に、日本の学生は海外で日本のことを語れないとの経験者の声が沢山出ていますが、真のグローバル人材として活躍するためには、日本人としてのアイデンティティである日本の伝統、文化、歴史を学ばなければ、世界の中で議論もできませんし、日本人としてのアイデンディディも確立できません。残念ながら、日本の若者はこのような状況に遭遇することが多くなっています。

これは、日本の個々の学生の問題ではなく、日本の教育において、日本の伝統、文化、歴史をしっかりと教えてこなかった日本の学校教育の問題であるととらえています。各国・各民族には、当然相違があります。しかし、多様な価値観を持つ国際社会の中で、それらを認めながら生きていくためには、日本の価値観をしっかりと教えることで、他国の価値観を尊重する姿勢を持たせなければなりません。そうでなければ、伝統、歴史、文化の違いを語れません。

インターナショナル・ニューヨークタイムズ紙では、「ナショナリズム」との言葉を使って批判していますが、日本の伝統、文化、歴史を教えることは、「ナショナリズム」との言葉に当てはまらないと考えます。なぜなら、日本のアイデンティティを教えることは他国、特に近隣諸国を侮蔑、蔑視する教育ではないからです。日本古来の価値観としては、世界に先駆けて7世紀に聖徳太子が17条憲法を制定していましたが、その根本は「和の精神」です。

2011年の東日本大震災の被災者のその後の行動が象徴するように、日本人の精神の根底には、「絆(きずな)」、「思いやり」、「和の精神」があることは世界の人達にも認識していただいていると考えています。

つまり、日本の伝統、文化、歴史を学校教育で教えることは、「ナショナリズム」との表現に当てはまらないものです。我が国が古来の伝統、文化、歴史を大切にすることと、国際社会で共生することは、相矛盾せず、逆に、日本への理解を深める教育をすることがグローバル化した世界で日本人が活躍するために重要であると認識しています。

21世紀の国際社会において日本及び日本人が果たすべき役割は、日本古来から培ってきた「和の精神」、「おもてなしの精神」です。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、是非、それを世界の人達に見てもらう、そのような教育をすることによって、より広く、日本の教育の方向性が世界の人達に共有性をもってもらえる改革を進めていきたいと考えています。

この文章では、日本人が国際化するために日本の価値観を学ばせており、他国ー近隣諸国を蔑視するものではないから「ナショナリズム」教育ではないとしている。「『愛国的教育』の実践への圧力が強まる中、教科書の内容を書き換える作業が進められ」ているというニューヨークタイムズの批判には全く答えていない。偏狭であるかどうかは別として、「日本の伝統、文化、歴史を教える」こと自体、ナショナリズムではないということはいえないと思う。

といっても、私が最も驚いたのは「日本古来の価値観としては、世界に先駆けて7世紀に聖徳太子が17条憲法を制定していましたが、その根本は『和の精神』です」というところであった。確かに「十七条憲法」の冒頭に、「一曰、以和爲貴、無忤爲宗(一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ)」(Wikipediaより)とかかげられている。「十七条憲法」については、聖徳太子が604年に作ったと720年に成立した国史である『日本書紀』に記述されているが、記述自体にさまざまな疑問が投げかけられている。ただ、聖徳太子が作ったどうかは別として、この時代の朝廷において、統治の重要な原則として「和を以て貴しと為す」が意識されていたとはいえよう。

しかし、これは、「日本古来の価値観」のものなのだろうか。儒家の祖である孔子(紀元前552-479年)とその門弟たちの言行を記録した「論語」には「有子曰。禮之用。和爲貴(有子曰く、礼の用は和を貴しと為す)」(http://kanbun.info/keibu/rongo0112.htmlより)とある。ここで、「和為貴」といっているのは、孔子の門弟である有子(有若)である。つまり、7-8世紀に「十七条憲法」が作られるはるか昔から、中国の儒家たちはいうなれば「和の精神」を主張していたのであった。それを取り入れて「十七条憲法」が作られたということになる。たぶん、全く意識していなかったであろうが、下村は「十七条憲法」を引き合いに出して「和の精神」を「日本古来の価値観」とすることによって、日本古来の価値観の淵源は「論語」にあると主張したことになるのだ。

これは、直接には下村もしくは文科省の「無知」に起因するといえる。しかし、そればかりではない。儒教的な倫理を日本古来のものと誤認している人々は日本社会に多く存在している。圧倒的な中華文明の影響のもとに成立してきた日本社会において、その文化的アイデンティティなるものを追求していくと、実際には中国起源のものになってしまうという逆説がそこにはある。そして、もし「和の精神」なるものが「世界の人達に共有性」をもってもらえるものならば、それは、日本古来の価値観であるからなどではない。中国においても日本においても通用していたという「普遍性」を有していたからといえよう。

付記:Wikipediaの「十七条憲法」の記述でも、その第一条で「論語」を引用していると指摘されている。

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3.11があった2011年は、別の面でも転機となった。2011年2月、前年2010年の中国の名目GDPが日本を抜き、アメリカにつぐ世界第二位の経済大国になったことがあきらかになったのだ。最早旧聞に属するが、そのことを伝える2011年2月14日付けのウォールストリートジャーナルのネット配信記事をここであげておこう。

2011/02/14 6:13 pm ET
GDP逆転、あきらめの日本と複雑な中国

中国は昨年、日本を抜いて世界2位の経済大国に躍り出た。この歴史的な逆転を受け、アジアの2大国である両国にさまざまな感情が渦巻いている。低迷の長引く日本では内省的なあきらめムードが漂う一方、上昇中の中国は誇りに感じながらも新たな責任を背負わされかねないと警戒している。

日本政府の14日朝の発表で、長らく見込まれてきた日中逆転が公式のものとなった。2010年10-12月の実質国内総生産(GDP、季節調整済み)成長率は前期比マイナス1.1%(年率換算)だった。日本の通年のGDPは約5兆4700億ドルと、中国が1月に発表した5兆8800億ドルを約7%下回った。

両国のGDPは米国に比べると依然かなり小さい。日中合わせても、米国の14兆6600億ドルに及ばない。ただ、今回のニュースは一つの時代に終止符を打つ。1967年に西ドイツを抜いて以来ほぼ2世代にわたり、日本は確固たる世界2位の座にあった。新たな順位は世界の成長エンジンとしての中国の台頭と日本の後退を象徴している。

米国にとって、日本は経済面ではライバルだが、地政学的、軍事的な同盟国でもある。一方の中国は、あらゆる側面で対立する可能性がある。

中国の台頭は、共産党統治を正当化する主要な要因になっている。しかし、中国政府は、多くの面で貧しさの残る自国が、経済大国というマントをまとうことによって望まぬ義務を課されるのではないかと懸念もしている。最近の人民網には「中国は日本を抜いて世界2位の経済大国に-ただし2位の強国ではない」と題する記事が載った。

日本では、逆転の瞬間は長期低迷を示す新たな印ととらえられている。石原慎太郎都知事は最近、「GDPが膨張していって日本を抜くというのは当然だと思う。人口そのものが日本の10倍あるのだから」と語っている。石原氏といえば、バブル期の1989年に共著「『NO』と言える日本」を誇らしげに出版した人だ。それが今では、「日本そのものの色々な衰退の兆候が目立ち過ぎるということは残念だ」と暗い面持ちで語る。

両国での複雑な反応は、中国が多くの面でなお日本に後れているとことや、相互依存が強まっているためライバルであると同じ程度にパートナーでもあることを反映している。

中国の1人当たり国民所得はまだ日本の10分の1にすぎない。世界銀行の推計によると、中国では日本の全人口に近い1億人以上が1日2ドル未満で生活しているという。検索サービス大手、百度(バイドゥ)のロビン・リー(李彦宏)最高経営責任者(CEO)は、中国が「増大する力にふさわしい真に世界的影響力を持つ企業をいまだ生み出していないことは、まったく残念だ」と述べた。中国企業には、トヨタ自動車やソニーがまだないのだ。

一方、日本の多くの企業幹部が言及しているように、中国向けの輸出や同国からの観光客流入がなければ日本の景気は今よりさらに悪かっただろう。中国は09年に米国を抜いて日本にとって最大の貿易相手国となった。ソフトバンクの孫正義社長は、「8年後くらいに中国のGDPが日本の倍になる」との考えを示した。その上で、この事態をプラスにとらえる日本企業が増えれば、景気見通しも明るくなるとしている。
(後略)
http://realtime.wsj.com/japan/2011/02/14/%EF%BD%87%EF%BD%84%EF%BD%90%E9%80%86%E8%BB%A2%E3%80%81%E3%81%82%E3%81%8D%E3%82%89%E3%82%81%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E8%A4%87%E9%9B%91%E3%81%AA%E4%B8%AD%E5%9B%BD/

このことは、本記事の中でも「長らく見込まれてきた日中逆転」とあるように、多くの識者が予想していた。2010年に亡くなった著名な中国思想史研究者である溝口雄三は、2004年に出版された『中国の衝撃』(東京大学出版会)のなかで、中国内陸部の「余剰人口」が周辺諸国の生産拠点を自分のほうに牽引し、それゆえ、日本などの周辺諸国での空洞化現象をもたらしていると述べたうえで、次のように指摘している。

このような経済関係は、これまでの日中間の歴史には見られないことである。これをどのような歴史の目で見たらいいのだろうか。少なくとも脱亜的優劣の視点では説明がつかない。また中国や日本という一国の枠組で処理できる問題ではないことも明らかである。中国大陸の内陸部における農村人口問題は、周辺国にとっては難民の発生といった次元の問題だけではなく、空洞化現象にリンクする問題として、つまり自国の経済問題として捉えられるのである。ここには市場経済のグローバル化という現代特有の状況が背景私はここに中華文明圏の力学関係の残影を考えたいと思う。日本の70年代の高度成長が80年代のニーズ圏域の経済成長をうながし、その格差が動力となって中国大陸に波及して沿岸工業地域を形成し、内陸農村部との格差を生み出した、そしてそれが内部から外部に向かって遠心的に作用しはじめた、すなわち大陸国家としての中国の周辺から始まった経済革新が周辺圏域・沿岸地域から大陸内奥部に波及し、やがて大陸内部から周辺に逆に波及しはじめたという経緯に、かつての中華文明圏における「中心ー周辺」の作用・反作用の力学的な往復関係構造を仮説的に想起してみようと思うのである(本書pp12-13)。

しかし、日本にとって、このようなことは、単に経済問題にとどまるものではない。溝口は、次のように主張している。

中国の農村問題と日本の空洞化現象は、明らかにリンクしている問題である以上、われわれはこれを一面的な「脅威論」から脱け出して、広い歴史の視野で国際化し、また広い国際的視野で歴史化し、対立と共同という緊張関係に「知」的に対処していかねばならない。
その一つとして、繰り返しになるが、これまでの近代過程を先進・後進の図式で描いてきた西洋中心主義的な歴史観の見直しが必要である。次に、もはや旧時代の遺物と思われてきた中華文明圏としての関係構造が、実はある面では持続していたというのみならず、環中国圏という経済関係構造に再編され、周辺諸国を再び周辺化しはじめているという仮説的事実に留意すべきである。とくに明治以来、中国を経済的・軍事的に圧迫し刺激つづけてきた周辺国・日本ー私は敢えて日本を周辺国として位置づけたいーが、今世紀中、早ければ今世紀半ばまでに、これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめていることに気づくべきである。現代はどのような歴史観で捉えたらいいのか、根底から考え直す必要がある(本書p16)。

もちろん、中国の名目GDPが日本を凌駕したというのは象徴的な意味しかないのだが、溝口が指摘している「これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめている」という事態を明白にさせたものといえる。逆に「優越の夢が覚めはじめている」がゆえに、時計の針を逆戻りさせようとする志向が強まっていると考えられる。よくも悪しくも、このような認識が一般化したという意味で、3.11とは別の意味で、2011年は日本にとって転機であったといえるのである。

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さて、先週末の8月15日夕方、久しぶりに首都圏反原発連合主催の金曜官邸前抗議に参加した。ただ、金曜官邸前抗議といっても、実質は狭義の官邸前抗議と、国会前のスピーチエリアと、同じく国会前であるがパーフォーマンス色のある希望のエリアと三カ所で実施されている。8月15日は、スピーチエリアは休止していた。結局、私自身は希望のエリアにいった。

パーフォーマンス色が強いと指摘した希望のエリアだが、それは他と比較してということであって、実質はコール・スピーチが多い。他のエリアについてはよく知らないが、この希望のエリアでは、スピーチは参加者が自由に申し出て、申し出順にすることになっている。もちろん、内容は、基本的に反原発に限定されている。だが、最近は、スピーチの多くが常連でしめられるようになってきていた。

しかし、この日は、金曜官邸前抗議では全く聞いたことのないスピーチが行われた。あまり見たことがない男性が、「脱原発」は現在のところやめるべきだというスピーチを行ったのだ。

簡単に、その内容を説明しておこう。彼は、まず、東芝が作り出したフラッシュメモリは、現在、韓国のサムスンにシェアをとられていると語り出した。そして、原発も同じだというのである。日本が原発を放棄すれば、韓国や中国に市場をとられてしまうので、日本が原発を凌駕する新しい技術などを開発するまで、原発を放棄することはできないというのである。簡単にまとめるとこうなるのだが、このことを繰り返し主張していた。

彼は、ヤジは歓迎するといっていたが、希望のエリアの参加者は、私も含めて、最初は唖然として声も出さないで聞いていた。しかし、だんだん、このスピーチに反対するヤジが増えて来た。ヤジが多くなった時点で、彼はスピーチを中止した。たぶん、彼のシナリオでは「理性的に脱「脱原発」を主張したが、暴力的なヤジによって中止せざるをえなくなった」と構想していたのであろう。希望のエリアの司会者である紫野明日香氏は「差別はダメです」などとコメントしていた。

私は(たぶん多くの人がそうだろうが)、日本だけでなく世界全体で核技術(軍事・平和両面とも)から脱却していくべきだと考える。その意味で、韓国・中国の核技術も同じである。

その上で、私自身、このスピーチを聞いてまず感じたのは「嫌韓・反中」が脱・脱原発の論拠になるのかという驚きだった。今まで、原発を存続する理由として、電力不足、経済的打撃、原発輸出市場の喪失(これは、ある程度重なっているが、中・韓を露骨に明示したものではない)、廃炉のための技術継承、立地地域振興などが議論されているが、いずれも日本社会が原発を廃止することで何らかの損失を蒙るということであった。しかし、ここで、議論されているのは、中・韓に原発市場をとられてしまうからという話であって、現実的な損失を問題にしていないのだ。結局、中国・韓国にいかなる分野でも先に行くことを許さないというだけの話なのである。現在、反原発が世論の中心となったのは、福島第一原発事故における危機に直面し、その危機を繰り返してはならないということなのである。しかし、このスピーチでは、中国・韓国の存在に直面していることこそが「危機」なのであって、原発問題もその対抗のなかのファクターにすぎないのだろう。

ある意味で、何を「危機」と感じるか、ということが問題なのである。福島第一原発における放射性物質による被害は、今の所目に見えるものではない。「目に見えぬ危機」である。そして、現実に対応することが困難だ。他方で、中国・韓国についても、実際上は国境線の島の帰属や歴史認識をめぐるものであって、「目に見える危機」とはいえない。それでも、相手があることだから、こちらがアクションすれば、そのリアクションはある。その応酬が本当の危機を呼び寄せてしまうことになるのだが、それでも、一定の対応をしているかに錯覚してしまう。いわば、福島第一原発事故の危機からくるストレスを、中国・韓国の「脅威」に「対応」することによって解消しているようにみえる。

そもそも、日本には、中国・韓国にとられてしまうような原発技術があるのかとも思う。日本で実際に稼働している原発は、結局、アメリカの技術でつくられたものであり、日本の技術ではない。福島第一原発事故では、非常用ディーゼル発電機が低地に所在したり、緊急対応時の操作に熟知していないことなども事故の要因となっているが、それは、アメリカ側が設計したということに起因している。科学技術庁を中心に日本で独自開発された技術は、再処理工場にせよ、もんじゅにせよ、実用化には失敗している。技術自体に国境はないと思うが、あえてそういう言い方をすれば、アメリカの技術をコピーしているにすぎない。そして、福島第一原発の現在の管理をみているかぎり、日本側は、アメリカのマニュアルにないことを新たに開発する技術を持ち得ていないようにみえる。このことは、アメリカに従属しつつ、経済大国として世界で大きな顔をしてきた戦後日本の戯画といえるだろう。

さて、あのスピーチで初めて知ったことは、東芝が開発したフラッシュメモリの市場が現在韓国のサムスンに奪われているということであった。Wikipediaなどをみると、それは真実のことのようである。しかし、より正確に言うと、東芝社員であった舛岡富士雄が開発したものであった。開発者の舛岡は次のように語っている。

私は、米国の物真似だけでなく、独自技術で勝負すべきだと上司に言い続けましたが、まるで取り上げられませんでした。そこで自らフラッシュメモリーの特許を30本近く書きました。工場では作業が許されないので、帰宅後や休日を利用して書いたのです。会社の施設や設備は一切使わず、使ったのは自分の頭だけ。発明に対する貢献度に限って言えば、会社側はゼロです。そうして生まれた発明に対して、会社の態度は冷淡で、安易に米国のインテルや韓国のサムスン電子にライセンスを供与したため、両社の先行を許してしまいました。
http://www.lec-jp.com/h-bunka/item/v240/pdf/200406_20.pdf

舛岡が独自開発した技術について東芝は冷淡で、インテルやサムスンにその技術を供与してしまったとしているのである。そうであるならば、サムスンに市場制覇を許したということは、東芝の自業自得であろう。

そして、舛岡の処遇についても、東芝は相応のことをしてこなかった。Wikipediaにおける舛岡富士雄の項目から一部抜粋しておこう。

研究を続けるため東芝を退社~その後
その後、東芝は舛岡を地位こそ研究所長に次ぐが、研究費も部下も付かない技監(舛岡曰く窓際族)になるよう、会社から何度も要請された。研究を続けたかった舛岡は、何とか研究を続けられるよう懇願したが受け入れられず、1994年に東芝を退社した[2]。
その後、東北大学大学院や、退官後に就任した日本ユニサンティスエレクトロニクス等で、フラッシュメモリの容量を10倍に増やす技術や、三次元構造のトランジスタ(Surrounding Gate Transistor)など、現在も研究者として精力的に研究活動を行っている。
裁判
舛岡は自身が発明したフラッシュメモリの特許で、東芝が得た少なくとも200億円の利益うち、発明者の貢献度を20%と算定。本来受け取るべき相当の対価を40億円として、その一部の10億円の支払いを求めて2004年3月2日に東芝を相手取り、東京地裁に訴えを起こした。2006年7月27日に東芝との和解が成立、東芝側は舛岡氏に対し8700万円を支払うこととなった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9B%E5%B2%A1%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E9%9B%84

つまり、東芝は処遇でも報酬でも、舛岡の望むような待遇を与えてこなかったのである。結局、舛岡は東芝をやめ、その上で裁判に訴えて、ようやく報酬を部分的にではあるが受け取ることができたのである。

このフラッシュメモリをめぐる東芝と舛岡富士雄の話は、資本側と社員ー労働者の立場が一致しないことをしめしている。日本国籍の資本のために都合のよいことは、決してその社員たちに都合のよいことではないのだ。そう考えると、このフラッシュメモリの話は、スピーチの前提としている「日本資本と日本人は一体」ということが成り立たない事例ではないだろうか。

久しぶりに「脱・脱原発」のスピーチを聞いて、いろいろ考えてみた。そう思い込んでいる人びとに違うということを説得するのは難しい。しかし、論拠に遡って考えると、やはり、その論自体が成り立っていないと思うのである。

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安倍晋三首相が、4月29日、欧州歴訪に出発した。そのことを伝える朝日新聞のネット配信記事を下記に掲載しておく。

安倍首相、ドイツに到着 欧州歴訪、EPAなど協議
小野甲太郎 小野甲太郎2014年4月29日17時36分

 安倍晋三首相は29日午後、ドイツ、英国、ポルトガル、スペイン、フランス、ベルギーの欧州6カ国訪問のため、政府専用機で羽田空港を出発し、同日夕(日本時間30日未明)、最初の訪問地ドイツ・ベルリンに到着した。30日昼(日本時間同日夜)にメルケル独首相と会談する。

 首相は出発に先立ち羽田空港で記者団に、「日本と価値観を共有する欧州との関係を強化し、日本の発信力を強化していきたい」と語った。

 首相は訪問先の各国首脳や、経済連携協定(EPA)交渉を進める欧州連合(EU)首脳と会談する。ロンドンの金融街シティーのギルドホールで演説するほか、経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会では議長国として基調講演。北大西洋条約機構(NATO)理事会でも演説する。主要7カ国(G7)メンバーの各国首脳とはウクライナ情勢への対応も話し合う予定だ。(小野甲太郎)
http://www.asahi.com/articles/ASG4Y4J60G4YUTFK003.html?iref=com_alist_6_03

このニュースを聞いて気になったのは、出発直前に安倍首相が語った「日本と価値観を共有する欧州との関係を強化し、日本の発信力を強化していきたい」というフレーズである。さてはて、日本と欧州は、価値観を共有しているのだろうか。

例えば、2012年4月、まだ野党であった自由民主党が出した日本国憲法改正案を説明した「日本国憲法改正案Q&A」増補版において、自由民主党は基本的人権における改正の意味について、次のように説明している。

また、権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。
例えば、憲法 11 条の「基本的人権は、……現在及び将来の国民に与へられる」という規定は、「基本的人権は侵すことのできない永久の権利である」と改めました。
https://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/kenpou_qa.pdf

つまり、改憲案では、明確に「西欧の天賦人権説」を排除しているのである。憲法における基本的人権という最も根幹に存在する「価値観」において、自民党は「欧州」とはあえて異なった見解をもっている。そして、この自民党が中心になって組織されたのが、安倍政権にほかならないのである。

このように考えてみると、自民党ー安倍政権は、欧州との関係において、重大なアポリアをかかえているといえる。安倍首相としては、「日本の発信力を強化」するという一点で、欧州諸国との間では「価値観の共通」を強調しなくてはならない。しかし、「欧州との価値観の共通」を強調することは、憲法改正案で表出された自身の「価値観」を否定することにつながってくる。ある意味で、必然的に「自虐」が必要となってくるのである。他方で、すでに憲法改正案は公表されているのであって、欧州諸国の観察者においても、よく注視するならば、安倍政権の「価値観」における二重基準をみてとることができよう。それゆえ、どのように価値観の共通を安倍首相が強調しても、心からの信頼を得ることは難しくなるだろう。

しかし、安倍政権としては、アジアの隣国である中国・韓国に対抗している以上、欧米との連携を強めることにつとめざるをえない。結局、現代における「脱亜入欧」をはからなくてはならないのである。そして、このように「脱亜入欧」の立場をとることが、経済的な優越性を喪失した日本が、アジアにおける「大国」としての立場を保ちつづけるために必要とされていると、安倍政権はみているだろう。このように、「脱亜入欧」しているという意識があるがゆえに、中国・韓国などのアジア地域の人々に対する優越感を維持していけると認識していると考えられる。

だが、この戦略は、現在でも長期的に適用できるものなのだろうか。例えば、安倍晋三の祖父岸信介が首相をつとめていた冷戦期ならば、核戦争の恐怖の下、「社会主義圏」に対抗するという名目で、どれほど自由のない独裁国家でも価値観を共通する「自由主義圏」の一員として遇されることはありえただろう。しかし、「社会主義圏」が崩壊したポスト冷戦期の現在、いくら、中国の台頭に多くの諸国が警戒感をもつといっても、それだけで「価値観」を共通するというわけにはいかないのである。

「天賦人権」を西欧起源であるとして否定する価値観をもつ自由民主党が基盤となって成立している安倍政権が、「欧州と共通の価値観」を有していると強弁し、自身の価値観について「自虐」しつつ、欧州諸国を外遊するという不条理。近代初頭に「脱亜論」を提唱した福沢諭吉は、「天賦人権論」を主張した一人でもあった。もちろん、「脱亜論」自体を批判すべきであるが、福沢は「欧州の価値観」を積極的に日本社会において啓蒙していたことも忘れてならないだろう。安倍首相は、欧州から何を学んでくるのだろうか。安倍は全く自覚していないと思うが、彼の「脱亜入欧」論は、もはや、福沢諭吉の時代の「脱亜入欧」論の戯画としてしかみることができないのである。そして、この「戯画」こそが、現代日本の真の鏡像といえよう。さらにいえば、「脱亜入欧」それ自体の終わりを予兆しているとも考えられるのである。

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たぶん、2011年は、二つの意味で日本社会のターニングポイントになったと評されることであろう。一つは、2011年3月11日の東日本大震災とそれによる福島第一原発事故である。そして、もう一つは、中国のGDPが日本のそれを追い越し、中国が世界第二の経済大国となったということがあきらかにされたことである。

ここでは、後者のことをみておこう。次に日本経済新聞が2011年1月20日にネット配信した記事を掲載する。

中国GDP、世界2位確実に 日本、42年ぶり転落
10年2ケタ成長
2011/1/20 11:00 (2011/1/20 13:32更新)

 【北京=高橋哲史】中国国家統計局は20日、2010年の国内総生産(GDP)が実質で前年比10.3%増えたと発表した。年間の成長率が2桁になったのは07年以来、3年ぶり。公共投資や輸出がけん引し、世界的な金融危機の後遺症から抜け出せない日米欧とは対照的な高成長を実現した。名目GDPが日本を抜いたのは確実で、日本は42年間にわたり保ってきた世界第2位の経済大国の地位を中国に譲る。

 10年10~12月期のGDPは実質で前年同期比9.8%増だった。

 10年のGDPは国際比較に用いられる名目ベースで39兆7983億元。1~9月はドル換算で中国が日本をわずかに下回ったが、10~12月期を加えた通年では逆転したとみられる。

 大和総研の試算によると、中国の10年の名目GDPはドル換算で5兆8895億ドル。日本が中国と肩を並べるには内閣府が2月14日に発表する10年10~12月期の名目GDPが前期比27%増になる必要があり、「10年の日中逆転は確実」(熊谷亮丸チーフエコノミスト)になった。同社の推計では日本の10年の名目GDPは5兆4778億ドルで、中国を約4000億ドル下回る。

 中国の高成長の原動力となったのは、公共事業を柱とする投資だ。10年の都市部の固定資産投資(設備投資や建設投資の合計)は前年比24.5%増。伸び率は09年の30.4%を下回ったが、引き続き高水準を保った。景気刺激策に伴う公共事業の拡大が生産を刺激し、経済全体を押し上げた。

 10年3月までは成長を押し下げる要因だった外需も、年央から急速に回復している。10年の輸出額は31.3%増の1兆5779億ドルに達し、09年に続きドイツを抜いて世界一になったもよう。低めに抑えられた人民元相場が輸出を後押しし、経済成長を支える構図は大きく変わっていない。

 10年の社会消費品小売総額(小売売上高)は18.4%増。新車販売台数が32.4%増の1806万台と2年連続で世界一になるなど、個人消費は堅調に推移した。ただGDPに占める消費の割合は4割弱にとどまり、7割の米国、5割強の日本に比べなお小さい。中国政府は「投資、外需、消費のバランスの取れた成長」をスローガンに掲げ、消費の拡大を最重要課題と位置付けている。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1905R_Q1A120C1000000/

すでに、2010年のGDPにおいて、中国は日本を追い越した。そして、それがあきらかになったのは、2011年1月であり、3.11の直前のことであった。3.11の衝撃によって、一時あまり意識されなくなったが、その時の衝撃は大きかったといえる。

なぜなら、日本が世界第二ーアジアでは第一の経済大国であるということは、東アジアにおける日本の威信の源泉であったからである。すでに、中国史研究者の溝口雄三は、2004年に出版された『中国の衝撃』の中で、「中国の農村問題と日本の空洞化現象は、明らかにリンクしている問題である以上、われわれはこれを一面的な『脅威論』から抜け出して、広い歴史の視野で国際化し、また広い国際的視野で歴史化し、対立と共同という緊張関係に『知』的に対処していかねばならない」と指摘し、近代化過程における西洋中心主義的な先進ー後進図式からの脱却と、中華文明圏ー環中国圏という関係構造の持続に注目しながら、「とくに明治以来、中国を経済的・軍事的に圧迫し刺激しつづけてきた周辺国・日本ー私は敢えて日本を周辺国として位置づけたいーが、今世紀中、早ければ今世紀半ばまでに、これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめていることに気づくべきである」と主張した。溝口によれば、近代以降、日本は中国に優越していると意識してきたが、経済面での優位の喪失は、そのような意識の現実的基盤が失われることを意味するだろうとしているのである。これは、まったく、予言的な発言であったといわざるをえない。

今、翻って、第二次安倍政権の政策展開を回想してみると、中国の台頭による東アジアでの日本の優位性の喪失への「対抗」としての側面が非常に強いと感じられる。経済的優位の喪失は、経済ではなく政治的・軍事的優位によって代替えしようという志向につながった。尖閣諸島・竹島などの国境線における強硬姿勢、戦前の侵略問題や靖国神社参拝さらに従軍慰安婦問題などの歴史問題における緊張関係の醸成は、中国・韓国などの「介入」を許さないという形で、象徴的に日本の優位性を確保しようという試みにほかならない。そして、日米同盟を強調しつつ(ただ、このこと自体が日米摩擦の原因になっているが)、解釈改憲・明文改憲によって、「平和主義」を放棄し、「積極的平和主義」の名のもとに、自衛隊による軍事介入を進めようとしていることは、まさに軍事的な優位を確保しようという動きといえよう。もちろん、このような動きは、戦後一貫して自由民主党などに存在していた。しかし、この動きが、自由民主党内部ですら戸惑いの声があがるほど加速しているのは、アジアにおいて、経済的優位に変わる政治的・軍事的優位を確保しようする、いわば換言すれば、政治的・軍事的な手段によってアジアにおける「大国」としての地位を維持しようという焦燥感に根ざしているのではなかろうか。

他方で、アベノミクスの名の下に、再び「高度経済成長」が可能であるという「幻想」をふりまきつつ、実際には、生活保護費・年金の削減や消費増税などを行い、資本蓄積の最適化をめざしている。安倍政権や経団連にとって、今や「世界の工場」となっている中国と比較すると、労働者賃金においても、社会福祉を中心とした税負担においても、環境保護対策においても、資本蓄積における日本のコストは高すぎると感じられているのだろう。そして、彼らからすれば、現状においては、日本企業においてもコストの低い中国に生産拠点を移転することが合理的なのであり、もし、日本の「空洞化」を阻止するのであれば、中国なみにコストを下げることが必要なのだと思っているに違いない。もちろん、これも、グローバリゼーション化において、「新自由主義」という形で、日本だけではなく、全世界でみられることである。先進資本主義国から、コストの安い新興国に生産拠点が移され、空洞化した先進資本主義国において、国内における「コスト」削減ー賃金・社会保障・教育など広範囲の分野でーをはかる新自由主義は世界のどころでもみることができる。ただ、この動きが、3.11以降、日本国内で加速していることも事実である。この動きのなかでは、かなり高い経済成長を続けて世界第二位の経済大国となった中国への「対抗」が強く意識されているとみることができる。

第二次安倍政権は、第一次安倍政権も含めた歴代保守政権の政策志向を受け継いでいる。改憲論、平和主義の放棄、歴史修正主義、経済成長推進、社会保障切り捨て、等々。しかし、これらの志向が、既存の国際秩序への軋みも考慮せず、国内での社会的反発も等閑視して進められていくことは、これまでなかったことである。そのような「加速」の背景として、中国が世界第二の経済大国となり、日本がアジアにおける優位性を主張できなくなったことへの焦燥感があると考えられるのである。そして、これは、政権内部だけでなく、日本社会の多くの人びとが意識的もしくは無意識的に共有していることなのではなかろうか。むしろ、このような共通感覚にささえられて、大国主義的な第二次安倍政権が存在しているともいえよう。

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さて、また、12月26日の安倍首相の靖国神社参拝についてみておこう。前回のブログでは次のように述べた。靖国神社への首相の参拝については、憲法上の政教分離原則に抵触することや、靖国神社が国家によって国民が戦争にいかさせることを美化するなどいろいろな問題があるが、現状においてもっとも問題になることは、日本を戦争に導いていったとみなされ、極東国際軍事裁判において、A級戦犯として認定されて、処刑もしくは獄死した戦争指導者たちが合祀されており、そのような靖国神社への首相参拝は戦前の日本軍国主義を顕彰しているとみなされることであった。そのことを明確に批判しているのが中国政府であるが、日本国内でもそのような批判があり、昭和天皇はA級戦犯合祀を認識してから「平和」意識にかけているとして靖国参拝はしておらず、現天皇も踏襲している。しかし、安倍晋三は、戦争指導者たちと一般国民を「一体化」してとらえ、たぶん、中国・韓国から批判されることを念頭に置いた上で、靖国神社に参拝することで、現在の国民と安倍政権の一体化をはかろうとしたとみることができよう。そして、安倍個人にとっては、A級戦犯であった自らの祖父岸信介の名誉を回復する営為でもあった。なお、前回のブログでは書き落としたが、安倍首相にとっては、特定秘密保護法強行成立で下落した自らの支持率を回復することも期待していたといえる。

安倍首相にとって、中国・韓国からの批判は、もちろん「想定内」のことであった。むしろ、中国・韓国から批判されることで、日本国民のナショナリズムを高揚させようと考えていたと思われる。しかし、これらの国だけではなく、アメリカも、靖国参拝に「失望」の意を表明した。まず、「失望」を示した、アメリカ大使館声明をみておこう。

安倍首相の靖国神社参拝(12月26日)についての声明

*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

2013年12月26日

 日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかしながら、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している。

 米国は、日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見いだし、関係を改善させ、地域の平和と安定という共通の目標を発展させるための協力を推進することを希望する。

 米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する。http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20131226-01.html

この声明は、最初、アメリカ大使館声明として出されたが、その後、同じ内容で国務省声明で出された。格上げされたといえるだろう。その内容は、なかなか微妙である。まず、冒頭で日本が同盟国であることを強調しながら、靖国参拝については日本の指導者が「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動」とし、「米国政府は失望している」と述べている。そして、日本と近隣諸国(つまりは、中国・韓国など)にともに、過去の歴史問題に対する建設的方策を見いだし、関係を改善し、地域の平和と安定という共通の目標を達成するために協力することを呼びかけている。日本だけではなく、中国・韓国などにもよびかけているというのがミソである。緊張悪化につながる靖国参拝には「失望」しているが、歴史問題を解決し、地域の平和と安定は、日本だけではなく、中国・韓国などの課題としている。さらに、最後に「米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する」と述べている。これは、靖国参拝にあたり安倍首相が発表した談話に「日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています」としているところを評価しているといえる。ただ、この談話において、確かに「平和への決意」は他でも述べられているが、「反省」とみられる文言はここにしかなく、アメリカ大使館もかなり苦労していることと思われる。

とりあえず、かなり気を使って、一方的にならないようにアメリカ政府が努力しているとはいえる。しかし、それでも、首相の靖国参拝について、アメリカ政府は近隣諸国との緊張を高めるという意味で「失望」と表現したのである。

靖国参拝について、それまでアメリカ政府はコメントしたことはなかった。今回が初めてである。その背景について、共同通信は次のように報道している。

【首相靖国参拝】 「失望」の裏に憤り 米、参拝静観に決別 

 近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している―。米政府が26日、安倍晋三首相の靖国神社参拝を批判する声明を発表、日中韓の緊張緩和に向けた仲介努力を台無しにされたことに憤りをにじませた。中国が東シナ海上空に防空識別圏を設定したことを直ちに非難し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設前進へ安倍政権と二人三脚で取り組んできた米政府に何が起きたのか。
 ▽首相の不満
 「これだけ靖国参拝を我慢しているのに、中韓は対話を拒否している。首相は不満を募らせている」。今秋訪米した日本政府高官はこう漏らしていた。
 しかし東アジアの安定のためには、日韓、日中関係の悪化は望ましくないというのが米政府の基本的立場だ。首相の靖国参拝は同盟国指導者の行動でもあり、小泉政権時代は直接の批判を避けてきた。今回の声明内容はもちろん、声明を出したこと自体も従来と比べて一歩踏み込んだ厳しい対応といえる。
 米当局者によると、声明の表現としては「遺憾」や「懸念」も上がったが、日本側に明確なメッセージを送る必要があると判断し「失望」に落ち着いた。声明を出さないという議論はなかったようだ。

 ▽政権の違い
 「失望という言葉は予想していなかった」と語る日本政府筋は、小泉政権時代との対応の差を米政権の違いに求める。同盟国重視とされる共和党のブッシュ前政権であれば、今回のような声明は出さなかったとの見方だ。
 声明を「完全な間違い」と批判するシンクタンク、アメリカン・エンタープライズ研究所のオースリン日本研究部長は「日本を批判するべきではない。米国は中国の味方と受け止められる」と指摘する。
 しかし、安全保障問題に詳しい米民主党関係者は、防空圏や沖縄県・尖閣諸島をめぐる日中対立など東アジア情勢の緊迫化を指摘、ブッシュ政権時代と同じように論じるのは無理があると反論する。「共和党政権でも民主党政権でも変わらないだろう。事態を一層悪化させる動きには強く反応せざるを得ない」
 ▽はしごを外す
 オバマ政権が衝撃を受けたのは、今月上旬にアジアを歴訪したバイデン副大統領が、日中韓首脳に関係改善を求め「一定の成功を収めたという認識があった」(日米関係筋)からだ。
 特に韓国の 朴槿恵 (パク・クネ) 大統領に対し、バイデン氏は日本との関係修復を迫っただけに、オバマ政権内では安倍首相に「はしごを外された」との憤りが生まれたようだ。
 年末休暇でひっそりしている首都ワシントンで、日本政府関係者は靖国参拝に関する各方面への説明に追われている。安倍首相に付けられる「ナショナリスト」という枕ことばも当面消せなくなった。来年は日本外交にとって波乱の1年になりそうだ。(ワシントン共同=有田司)
(共同通信)
2013/12/29 17:48
http://www.47news.jp/47topics/e/248975.php

この記事によれば、アメリカの対アジア政策の基調は本地域の安定であり、そのためには、日中・日韓関係の悪化はもっとも避けなければならないとしている。そして、今月上旬に日中韓諸国を訪問したバイデン副大統領はそれぞれに関係改善を求めたのだが、今回の参拝は「はしごを外された」ものとして、憤りが生まれたとしているのである。

アメリカ政府は、それ以前から、靖国首相参拝はさけるべきだというメッセージを発していた。例えば、NHKは次のように12月26日に報道している。

ことし10月に日米の外務・防衛の閣僚協議が東京で行われた際には、ケリー国務長官とヘーゲル国防長官がそろって、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れ、花をささげました。
アメリカで、戦没者を埋葬するアーリントン国立墓地に当たる日本の施設は、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑だと位置づけることで、安倍総理大臣に靖国神社への参拝を自粛するよう求めるメッセージを送るねらいがあったものとみられます。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131226/k10014135741000.html

婉曲な形で、戦歿者追悼について、靖国神社は不適当であると暗示していたといえよう。

それでは、安倍政権はどのような認識を持っていたか。朝日新聞朝刊(12月27日付)は「参拝日は、この日しかなかった。首相は25日、沖縄県の仲井真弘多知事と会談し、最後の懸案だった普天間問題が節目を越えた。米国は政権の努力を買っており、『参拝ショック』も和らぐと読んだ。26日は政権発足から1年の節目で、対外的に説明もついた」と報じている。結局、普天間基地の辺野古移転と首相靖国参拝がバーターされた形になっており、このこと自体が問題だが、基地問題で最大限の便宜をはかれば、アメリカは強く批判しないと思っていたらしい。

そして、「失望」が表明されても、首相周辺はそれほど深刻には受け止めようとはしていない。朝日新聞朝刊(12月28日付)では、「首相周辺は米国の批判を当初、『在日米国大使館レベルの報道発表だ』。その後、国務省が同様の談話を発表すると、政府高官は『別の言葉から『失望』に弱めたと聞いている』と語った。官邸から外務省には『参拝で外交に悪影響が出ると記者に漏らすな』と伝えられたという」と述べている。また、「『誤解』との表現で自らの参拝の正当性を訴えた首相に対し、米国の反応は『失望』だったが、首相周辺の危機感は薄い。政権幹部は『米国はクリスマス休暇中だし、言葉を練れていなかったのではないか」と分析。側近の一人は『米国は同盟国なのにどうかしている。中国がいい気になるだけだ』と不満を漏らした」と報道している。結局、ほとんどまともに認識しようとせず、さらに、悪影響を隠蔽し、逆ギレしている始末である。ここまでくると「裸の王様」としかいえないだろう。

もちろん、政権内部でも困惑の声がある。前述の朝日新聞は、次のように報道している。

 

ただ、政権の足元では、懸念の声が強まり始めている。外務省幹部は「『失望』という表現はショックだ。米国との間にすきま風が吹くと中国、韓国、北朝鮮が日本に強く出てくる」と指摘した。
 日米のきしみは、普天間問題にも影を落とした。…(普天間基地問題で日本政府の営為をアメリカが評価しているとした上で)だが、靖国参拝で効果は相殺される結果になった。政府関係者は27日、こう嘆いた。「靖国参拝のおかげで沖縄がかすんでしまった。歴史的な進展なのに」

結局、現実には悪影響はさけられず、普天間問題の「進展」さえ、免罪符にはならなかったのである。

そして、このアメリカ政府の「失望」表明に続いて、ロシアは「遺憾」の意を表明し、EUも緊張緩和や関係改善に寄与しないと指摘し、国連事務総長も「遺憾」であるとした。今まで、靖国参拝にコメントを出してこなかったような国なども批判的コメントを発表したのである。そして、欧米を中心に、外国の諸新聞もおおむね批判的な報道を行っているにいたっている。

アメリカ政府の「失望」声明に「同盟国」としての日本の立場への配慮があり、そのことからみても、短期的には日本はアメリカの「同盟国」としてのあつかいを受けるであろう。しかし、最早、中国・韓国という「近隣諸国」からだけでなく、国連を含めた世界各国から安倍政権は警戒されるにいたった。安倍政権としては、アメリカに従属した形で「戦後政治の総決算」をすすめていこうとするだろうが、長期的にいえば、祖父岸信介が首相を務めていた冷戦期と違って、アメリカが一方的に日本の「安全」を「保障」するいわれはないのである。その当時、アメリカは中国・ソ連などの共産圏と対抗しており、それに協力するならば、アメリカは独裁国家でも「同盟」していた。日本で岸のようなA級戦犯を含む戦前の支配層が復権し、さらに自衛隊が保有できたのは冷戦による国際秩序があったためである。今や、冷戦はなく、アメリカにとって、中国やロシアは、無条件に対抗する存在ではなくなった。もちろん、それぞれ「懸念」しなくてならないことはあるが、むしろ「協調」して現在の国際秩序を維持しようとする志向が強いだろう。そのような中、靖国神社参拝は、アジア諸国からだけでなく、アメリカを含めた国際社会全体から「孤立」化をまねくことになるのだ。しかし、安倍晋三首相は、そのことに目をつぶり、「裸の王様」となっているのである。

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