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Posts Tagged ‘メルトダウン’

さて、最近、福島第一原発の廃炉作業の工程表が見直しされ、一部作業が前倒しされると報道があった。代表的なものとして、NHKが2013年6月10日にネット配信した記事をここで掲げておくことにする。

廃炉工程表 作業一部前倒しへ
6月10日 18時45分

東京電力福島第一原子力発電所の廃炉の工程表について、政府と東京電力は、これまで個別に示していなかった、溶け落ちた核燃料の取り出しの開始時期を、号機ごとの状況で差をつけ、1号機と2号機では最大1年半前倒し、7年後の平成32年度とするなどの見直し案をまとめ公表しました。

福島第一原発の廃炉の工程表は、政府と東京電力が透明性をもって廃炉を進めるため、核燃料の取り出し時期などの目標を定めて公表しているもので、茂木経済産業大臣の前倒しの指示を受けて、新たに見直された案が10日公表されました。
それによりますと、まず溶け落ちた核燃料の取り出しの開始時期については、これまで個別に示さずに冷温停止状態の宣言から10年以内としていましたが、今回の見直しでは1号機から3号機の号機ごとの状況で差をつけ、技術開発の不確かさなどを考慮して複数の計画を示しています。
具体的には、1号機と2号機では、最も早いケースで、これまでより1年半早い平成32年度上半期の開始となっています。
ただ、この時期は、燃料を取り出すための設備の設置状況や建屋内の除染の進捗などによって変わり、1号機の場合、遅いケースでは、平成34年度下半期、2号機では平成36年度上半期となっています。
一方、3号機は、建屋の上にあるがれきによって放射線量が非常に高い状態だなどとして、今回の見直しでは前倒しはなく、早いケースでも平成33年度下半期と、これまでと変更はありません。
このほか、使用済み燃料プールからの核燃料の取り出しについては、1号機と2号機で初めて具体的な開始の時期が示され、1号機では平成29年度、2号機では平成29年度から35年度、一方、3号機は、去年、プールに鉄骨が落下してがれきの撤去が遅れている影響で、半年遅れの平成27年6月の開始となっています。
最も早い4号機については、予定どおり、ことし11月からの取り出しとなっています。
3つの原子炉でメルトダウンするという、世界でも例のない福島第一原発の廃炉の現場は、今も高い放射線量にさらされ、核燃料の取り出しなどの重要な作業は、ロボットに頼らざるをえないなど、今後の技術開発によって工程が大きく左右される可能性があります。
廃炉の実現は、福島の復興とも大きく関わることから、政府と東京電力は、これらの見直し案について地元の自治体に意見などを聞いたうえで今月中に決定する方針です。

廃炉への詳しい工程表
福島第一原発の廃炉の工程表は、おととし12月、当時の政府が冷温停止状態の宣言と合わせて公表しました。
工程を3つに分けて、4号機の使用済み燃料プールからの核燃料の取り出し開始までを第1期、溶け落ちた核燃料の取り出しの開始までを第2期、建屋の解体など廃炉を終えるまでを第3期とし、冷温停止状態の宣言を起点に、第2期については、10年以内の平成33年末、第3期は、最長40年後までに終えるとしていました。
今回、完了時期の見直しはなく、大きな変更点は、第2期の溶け落ちた燃料の取り出しの開始時期が、号機ごとに複数提示され、具体的になっている点です。
これは、事故から2年以上がたち、がれきの撤去作業の進捗や、建屋の放射線量の値に違いがあることを踏まえて、号機ごとに差をつけたものです。
具体的に見ていきます。
溶け落ちた燃料を取り出すには、建屋の上部に燃料を取り出すための設備を新たに設ける必要がありますが、水素爆発で建屋が壊れたかや、がれきの撤去が進んでいるかどうかなどでその方法の選択肢に違いがあります。
まず、1号機です。
建屋全体がカバーで覆われていてがれきの撤去作業が進んでいません。
このため、一度、カバーを解体し、がれきを撤去したうえで、燃料を取り出す設備を設置する方針です。
最も早いケースは、建屋の上部に設備を設置する場合で、1年半前倒しの平成32年度上半期、しかし、建屋の耐震性が十分でない場合、建屋に荷重をかけないよう建屋を覆うように新たな構造物を設置する必要があり、その場合は平成34年度下半期と逆に遅れます。
次に、2号機です。
水素爆発しなかったため建屋は壊れていませんが、建屋上部の放射能の汚染が特にひどく、除染の進み具合などによって3つの計画が示されています。
1つが、除染が進んだケース。
そのまま建屋を使うため、最も早い開始と見込んでいて、平成32年度上半期、一方、除染が進まない場合、1号機と同じパターンになり、建屋の上部に設備を設置する場合は平成33年度上半期、建屋全体で設備を支える場合は、平成36年度上半期と、開始時期に大きな幅があります。
3号機は、すでにがれきの撤去作業が始まっていて、4号機の次にプールからの燃料の取り出しが始まる予定で、最も早い想定では、プールからの燃料取り出し用の設備を改造して使用できる場合は平成33年度下半期、改造がうまくできなかった場合は、平成35年度下半期と、2つの計画が示されています。

廃炉実現には難しい課題も
福島第一原発の廃炉の実現は、福島の復興とも密接に関わっており、その道筋や見通しを示す工程表は、国民、世界の人たちにとっても関心が高く、透明性をもって作業を進めるうえでも重要な意味を持ちます。
特に今回の工程表の見直しでは、作業が順調に進む場合や、計画どおりに進まない場合などを事前に織り込んで複数の計画を示し、途中段階でどの計画に進むか、判断ポイントを設けて柔軟な対応ができるようにしています。
これは、裏返していうと、福島第一原発の廃炉作業が、それだけ先を見通せないさまざまな不確定要素を含んでいるといえます。
廃炉作業で最も重要な溶け落ちた核燃料の取り出しは、世界でも例のない技術的にも難しい作業です。
かつて福島と同じメルトダウンを経験したアメリカ、スリーマイル島原発事故の場合、溶け落ちた燃料は、原子炉内にとどまりましたが、福島の場合、原子炉の底を突き破ってメルトスルーし、格納容器のどこに、どのような状態で存在しているのか分かっていません。
さらに、核燃料の取り出しには、高い放射線量を遮るために格納容器を水で満たすことが最も有力だとされていますが、格納容器の損傷か所の特定すらできていない状況です。
ロボットや炉内を観察するテレビカメラなど新たな技術開発が不可欠で、廃炉工程は、こうした技術開発の動向によって大きく左右されることになります。
さらに福島第一原発の現場は、仮設の設備が多く、今も不安定な状態で、事前に予期できていなかったトラブルが相次いでいます。
去年、3号機の燃料プールに鉄骨が落下したトラブルでは、原因究明などに時間がかかり、がれきの撤去作業に大幅な遅れが出ました。
このほかにも、電源設備にねずみが侵入し、プールの冷却システムが長時間にわたって停止したり、地下の貯水槽から水漏れが見つかったりと、今後も思いもよらぬトラブルで廃炉工程に影響が出るおそれがあります。
40年かかとされる廃炉を1日でも早く実現することは、誰もが望んでいます。
想定されるリスクを事前に洗い出し、トラブルが起きた時にすぐに対応できる準備を整える、廃炉に向けた備えの充実が求められます。

専門家「一日も早く人が管理できる状態に」
今回の見直し案について、原発の安全対策に詳しい東京大学大学院の岡本孝司教授は「工程表は、一度作ったらそのとおりに進まないといけないものではなく、現場の状況を踏まえつつ、見直しながら前に進むことが重要だ。今回、うまくいかなかった場合のバックアップを示したのは分かりやすくてよいと思う」と述べました。
また廃炉作業を進めるにあたって「高い放射線量」が最大の課題になるとして、「人が近づけないと、ロボットで作業をしないといけなくなるが、ロボットも万能ではない。線量が低ければ、すぐに終わる作業も線量が高いために1年、2年と時間がかかることもありうる。そういう遅れも踏まえながら着実に進めることが求められる」と指摘しました。
そのうえで、「福島第一原発の事故はまだ収束していない。一応の安定状態にはあるが、一日も早く人の手で管理できる状態にしないといけない。国と東京電力は、公開の原則で、今、どういう状況にあり何が問題なのか、国民や国際社会に説明していく必要がある」と述べ、福島第一原発の現状をリスクも含めてしっかりと社会に示す重要性を強調しました。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130610/k10015202101000.html

まず、一つ確認しておこう。これまでの工程表では、ステップ2=「放射性物質の放出が管理され、放射線量が大幅に抑えられている」から10年以内に、各原子炉からメルトダウンした核燃料の取り出しを開始するとしていた。とりあえず、建前的には(実質は不明だが)野田首相が「収束宣言」をした2011年12月がステップ2ということになっている。つまり、2021年度ー平成33年度には原子炉からメルトダウンした核燃料の取り出しが遅くとも開始されるということになっていたのである。なお、それまでの工程表でもステップ2より10年以内となっていたので、別に可能なら前倒しして作業してもかまわなかったのである。

今回、何がかわったのいうのだろうか。NHKなど中心的な報道を読んでみると、メルトダウンした核燃料を取り出す装置をどのように各原子炉につけるかということが検討されただけなのである。この工程表の見直しを行った廃炉対策推進会議事務局が作成し「東京電力(株)福島第一原子力発電所1~4 号機の廃止措置等に向けた 中長期ロードマップの改訂のための検討のたたき台」(2013年6月10日発表)の中で、 1号機についてふれているところをみておこう。

(1)1 号機
1 号機原子炉建屋は、水素爆発により原子炉建屋上部が破損したため、建屋からの放射性物質の飛散抑制を目的として 2011 年 10 月に建屋カバーを設置した。その後、原子炉の安定冷却の継続により、放射性物質の発生量は減少した。今後、建屋カバーを撤去し、オペレーティングフロア上部のガレキ撤去を実施する予定である。
【プラン①】建屋カバーを改造し、オペレーティングフロア上に燃料取り出し作業のための燃料取扱設備を設置し燃料を取り出す計画。燃料デブリ取り出しは、建屋カバーを撤去後に本格コンテナ を設置し実施する。
(目標工程)
・ 燃料取り出し開始(2017年度上半期)
・ 燃料デブリ取り出し開始(2022 年度上半期)
【プラン②】建屋カバーの改造が実施できない場合に、燃料取り出しに必要な機能を持たせた上部コンテナ を設置して燃料を取り出す計画。その後、上部コンテナを改造し、燃料デブリ取り出しに必要な機能を持たせた上で燃料デブリを取り出す。
(目標工程)
・ 燃料取り出し開始(2017年度下半期)
・ 燃料デブリ取り出し開始(2020 年度上半期)
【プラン③】建屋カバーの改造の成立性、コンテナの設計条件の整備及び原子炉建屋の耐震安全性の評価において、プラン①とプラン②が成立しない場合の計画。
(目標工程)
・ 燃料取り出し開始(2017年度下半期)
・ 燃料デブリ取り出し開始(2022 年度下半期)
<プラン①~③を決める HP>
(HP1-1)燃料取り出し計画、燃料デブリ取り出し計画の選択(2014 年度上半期) 燃料取り出し計画、燃料デブリ取り出し計画は、上部コンテナ及び本格コンテナを設計する上で必要となる条件の検討を進めるとともに、建屋カバー改造の成立性、既存原子炉建屋の耐震安全性の評価結果を踏まえ決定する。
<燃料デブリ取り出し開始の時期を判断する HP>
(HP1-2)燃料デブリ取り出し方法の確定
1 号機の燃料デブリ取り出し設備設置が可能となるよう、燃料デブリ取り出し工法・装置の開発を行い、プラン①においては 2020 年度下半期、プラン②においては2019年度上半期、プラン③においては 2020 年度下半期までに取り出し方法を確定する。
http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/130606/130606_01c.pdf

この中でも、時期については、3つの場合が想定されている。たぶん、プラン①が推奨されていると思われるが、その場合、2022年度上半期と、今までの工程表からみても遅れた時期(といっても半年程度だが)になっている。プラン②が可能になった場合のみ、2020年度上半期着手となり1年半程度作業が前倒しされるにすぎない。そして、プラン①もプラン②も成り立たない可能性もあり、その際は2022年度下半期と従来の工程表から1年ほど遅れることになっている。

2号機についてみてみよう。

(2)2 号機
2 号機原子炉建屋は、水素爆発による損傷はないが、建屋内の線量が非常に高い状況である。今後、オペレーティングフロアの汚染状況調査を実施する予定。
【プラン①】除染・遮へいによりオペレーティングフロアの線量を低減した上で、既存の燃料取扱設備の復旧を行い、燃料デブリ取り出しは、既存原子炉建屋内に燃料デブリ取り出し装置を設置して行う計画。
(目標工程)
・ 燃料取り出し開始(2017年度下半期)
・ 燃料デブリ取り出し開始(2020 年度上半期)
【プラン②】オペレーティングフロアの除染と既存燃料取扱設備の復旧が成立しない場合に、燃料取り出しに必要な機能を持たせた上部コンテナを設置して燃料を取り出す計画。
(目標工程)
・ 燃料取り出し開始(2020年度上半期)
・ 燃料デブリ取り出し開始(2021 年度上半期)
【プラン③】オペレーティングフロアの除染、既存の燃料取扱設備の復旧及び原子炉建屋の耐震安全性の評価において、プラン①とプラン②が成立しない場合の計画。
(目標工程)
・ 燃料取り出し開始(2023年度上半期)
・ 燃料デブリ取り出し開始(2024 年度上半期) 8
<プラン①~③を決める HP>
(HP2-1)燃料取り出し計画、燃料デブリ取り出し計画の選択(2014 年度上半期)
燃料取り出し計画、燃料デブリ取り出し計画は、上部コンテナ及び本格コンテナ設計条件の整備を進めるとともに、オペレーティングフロアの汚染状況調査、燃料取扱設備の復旧可能性及び既存原子炉建屋の耐震安全性の評価
結果を踏まえ決定する。
<燃料デブリ取り出し開始の時期を判断する HP>
(HP2-2)燃料デブリ取り出し方法の確定
2 号機の燃料デブリ取り出し設備設置が可能となるよう、燃料デブリ取り出し工法・装置の開発を行い、プラン①においては 2018 年度上半期、プラン②においては 2018 年度上半期、プラン③においては 2021 年度上半期まで
に取り出し方法を確定する。
http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/130606/130606_01c.pdf

とりあえず、放射線量が高く、除染・遮蔽などによって線量低減が課題だとしている。その上で、プラン①では、既存の核燃料取り出し装置を修復して利用するものとして、2020年上半期に核燃料取り出しに着手するとしている。それ以外の場合は、いずれにせよ、当初の工程表が想定していた2021年度という時期から遅れるのである。

これらのことからみて、原子炉からの核燃料取り出しについては作業の一部前倒しの可能性があると提起しただけで、実際には遅れる可能性のほうが多く記載されているといえるのである。

しかも、これらは、純粋に、原子炉から核燃料を取り出すかということだけが検討されているにすぎない。例えば、2号機における放射線量の低減は、いまだにめどがたっていない。そもそも、2011年12月21日の「東京電力(株)福島第一原子力発電所1~4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ(概要版)」では、核燃料の取り出しについては、次のように規定されていた。

⑥ 燃料デブリ取り出し計画
 初号機での燃料デブリ取り出し開始の目標をステップ2完了後10年以内に設定。
 以下のステップで作業を実施する。作業の多くには遠隔技術等の研究開発が必要であり、これらの成果、現場の状況、安全要求事項等を踏まえ、段階的に進めていく。
a)技術開発成果を順次現場に適用し、原子炉建屋内除染を進め、2014 年度末までに漏えい箇所調査等に本格着手。
b)2015 年度末頃に格納容器補修技術(下部)の現場実証を終了し、当該技術を現場に適用することにより、a)において特定された漏えい箇所(下部)を補修し、止水する。その後、格納容器下部の水張りを行う。
c)格納容器下部の水張り後、格納容器内部調査技術の現場実証を 2016 年度末頃に終了し、本格的な内部調査を行う。
d)格納容器(上部)の補修を実施し、格納容器に更なる水張りを実施する。その後、原子炉建屋コンテナ(又はカバー改造)を設置し、閉じ込め空間を形成した上で、原子炉圧力容器の上蓋を解放する。
e)原子炉圧力容器内部調査技術の現場実証を 2019 年半ば頃に終了し、原子炉圧力容器内部調査を本格的に実施する。
f)これまで実施した格納容器、原子炉圧力容器内部調査結果等も踏まえ、燃料デブリ取り出し方法を確定することに加え、燃料デブリ収納缶開発、計量管理方策の確立が完了していること等も確認した上で、ステップ2完了から10年以内を目途に燃料デブリ取り出しを開始する。http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu11_j/images/111221c.pdf

まず、前提において、遠隔技術等の研究開発が必要とされている。メルトダウンした核燃料がある原子炉という放射線量の高い場所での作業が要求されているのだから、それは当然である。そして、原子炉を補修し、漏洩個所をなくしてから水をはり、それから、燃料取り出し作業をするということになっている。そういうことが、現状の技術で可能なのだろうか。NHKが指摘するように、核燃料がどこにどんな形で存在しているのかということすらわかっていないのである。ある意味で、これは未知の領域なのである。そのような未知の領域に属する技術を前提にしなければ、このような工程表自体が成り立たないのである。

もちろん、こういう検討をしなくていいということはない。これ以外にも廃炉の各作業が検討されており、部分的には前倒し可能なものもあろう。しかし、少なくとも、廃炉作業における核燃料取り出し作業については、今までの技術で想定されてきた燃料取り出し装置のことのみが検討され、「前倒し」の可能性が提起されているにすぎない。そして、それさえ、従来の工程表よりも遅延する可能性も指摘されているのである。

結局のところ、この件について、さほど意味があるとは思えない「前倒し」の可能性を強調するべきではないと思われる。むしろ、社会においても、国家においても、東電においても、報道においても、未知の領域に属する技術を開発しなくてはならない廃炉作業の「困難さ」を直視することが必要とされているといえるのである。

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さて、このブログで述べてきたように、関西圏では、1957〜1960年にかけて関西研究用原子炉設置反対運動が惹起され、原子炉の立地問題が浮上していた。並行して、関東においては、商用原子力発電所第一号として建設されることになった東海発電所設置につれ、その安全性が問われる事態となっていた。政府・産業界が進めようとした原子力発電所建設計画は、湯川秀樹などの反対を押し切った形で1957年に承認され、その受け皿としての日本原子力発電株式会社(日本原電)が同年11月に発足した。そして、イギリス型のコールダー・ホール型発電所(電気出力約16万kw)が導入されることとなり、1958年6月にイギリス側と調印した。なお、イギリスのコールダー・ホール型発電所が導入される大きな要因として、この発電所に使われる原子炉が、元来天然ウランを燃焼してプルトニウムを生産する軍用プルトニウム生産炉であり、この発電所によって、電力だけではなくプルトニウムを得ようとした原子力担当大臣兼原子力委員長である正力松太郎らの意向が働いていたことが、有馬哲夫「日本最初の原子力発電所の導入過程」(歴史学研究会編『震災・核災害の時代と歴史学』、青木書店、2012年)で紹介されている。この東海発電所が、日本最初の商用原発である東海第一発電所(東海第一原発と略称。現在は廃炉作業中)となっていく。
 
この東海第一原発の設置については、1959年3月より設置許可申請が出され、安全審査が開始された。しかし、それ以前からさまざまなかたちで安全性がとわれた。その背景になったことは、コールダー・ホール型原子力発電所原子炉の原型となった軍用プルトニウム生産炉であったウィンズケール原子炉が1957年10月10日に火災によりメルトダウン事故を引き起こしたということであった。このメルトダウン事故は、原子炉構内だけでなく、周辺にも放射能汚染を引きおこした。周囲の500㎢内で生産された牛乳は約1ヵ月間廃棄された。その意味で、原子炉—原発事故が、周辺にも放射能汚染を惹起することを明瞭に示した事例となった。

このコールダー・ホール型原子力発電所の安全性については、すでに1958年2月に、日本学術会議・日本原子力研究所・原子力燃料公社ほか主催で開かれた第二回日本原子力シンポジウムで議題となった。このシンポジウムの最終日2月9日に行われた「原子力施設の安全性をめぐる討論」において、電源開発株式会社の大塚益比古は、次のような指摘を行っている。

むすびに東海村のある茨城県の地図に、アメリカ・アイダホ州にある国立原子炉試験場の広大な敷地を重ねた図と、先日事故を起したウィンズケール周辺の地図をならべて示し、発展途上の原子力の現在の段階では、敷地の広さも一つの安全装置であり、一旦事故が起れば、公衆への災害を皆無にすることは不可能であることを考えれば、そのように広い面積を得ることは不可能なわが国では、たとえ原型にコンテーナーのないイギリス型の炉にも必ずコンテーナーを設けるなど、可能な限りの努力を安全性にそそがない限り、従来の技術では可能だった試行錯誤のできない原子力では、その発展を逆に大きくひき戻す結果にさえなりかねないことを強調した。(椎名素夫「原子力施設の安全性をめぐる討論」 『科学朝日』1958年4月号 36頁)

この図を、下記にかかげておく。アメリカの国立原子炉試験場にせよ、ウィンズケール原発による牛乳使用禁止区域にせよ、かなり広大であり、東海村にあてはめれば、人口密集地域である水戸市や日立市も含まれてしまうことに注目しておきたい。

『科学朝日』1958年4月号

『科学朝日』1958年4月号

特に、東海第一原発の安全性については、コールダー・ホール型原子力発電所の原子炉が黒鉛炉であって黒鉛ブロックを積み上げただけで、格納容器(コンテナー)をもたない構造であり、日本において耐震性は十分であるのかなどが中心的に問われた。この安全性問題の総体については、中島篤之助・服部学の「コールダー・ホール型原子力発電所建設の歴史的教訓Ⅰ・Ⅱ」(『科学』44巻6〜7号、1974年)を参照されたい。ここでは、この研究を中心に、立地問題に限定して議論していきたい。

日本第一号の商用原発の立地について、当時審査基準がなかったため、敷地選択で紛議になることをおそれ、安全性を新たに検討することなく、すでに既成事実となっていた日本原子力研究所構内に建設することになっていた。そして、原発事故の際、最大規模で放射性ヨウ素が1万キュリー(約370兆ベクレル)もしくは60万キュリー(約2京2200兆ベクレル)流出すると想定し、アメリカ原子力委員会が公衆に対する許容線量としていた2000ラド(2000レム、シーベルトに換算すると約20シーベルト)を採用し、最大規模の事故の際でも立退きする必要がないとした。

しかし、ウィンズケール原子炉事故以後、イギリスの原子力公社原子炉安全課長ファーマーは、1959年6月にイギリスの新しい立地基準についての論文を発表した。中島・服部は、その骨子を次のようにまとめている。

同論文は立退きを要する放射線被曝量として25レムをとり、また敷地基準として次のようにのべていた。
(イ) 原子炉から450m(500ヤード)以内にほとんど居住者がないこと。
(ロ) 角度10°、長さ2.4km(1.5マイル)の扇型地域をどの方向にとっても、その中に500人以上の人が住んでいないこと。同じく子どもの大きな集団がいないこと。
(ハ) 8km(5マイル)以内に人口1万以上の都市がないこと。(同上Ⅰ、377頁)

このファーマー論文によって示された立退基準25レム(シーベルトに換算すると約250ミリシーベルト)は、設置者側にとっては大きな問題となった。もし原電のいう事故時の放射性ヨウ素の放出量1万キュリーを前提として、立退基準を8レム(約80ミリシーベルト)と規定した場合、風向きによっては100kmの範囲まで事故の際に立ち退く必要が出てくると、1959年7月31日に開催された原子力委員会主催の公聴会で藤本陽一が指摘した。他方、同じ公聴会で、設置に賛成する公述をした西脇安大阪大学助教授(関西研究用原子炉建設を推進した一人)は、立退基準25レムを認めた上で、放射性ヨウ素放出量についてはファーマー論文にしたがって250キュリー(約9兆2500億ベクレル)に引き下げて安全性を主張した(『科学朝日』1959年10月号参照)。

さらに、8月22日に学術会議の要請で開かれた討論会において、原電の豊田正敏技術課長(東京電力からの出向者であり、後に東電にもどって福島第一・第二原発の建設を推進、東電副社長となる)は、「申請書の内容あるいはそれまでの原電の言明を全く無視して、想定放射能量を25キュリー(約9250億ベクレル)とし、地震その他のどんな想定事故でもこれ以上の放射能がでることはありえない」(中島・服部前掲論文378頁)と述べた。いわば、安全基準は25レムとして、想定された事故時の放射能汚染を最終的には大幅に引き下げて帳尻をあわせたのである。

一方、ファーマー論文の基準によれば、東海第一原発は敷地基準の(ロ)と(ハ)を満足させていなかった。原子炉から1.3kmの所に小学校(子どもの集団)があり、さらに角度の取り方によれば、当時人口389人であった東海村居住区の大部分が入るが、その中に急増しつつあった原研職員は含まれていなかった。また、北方3.7kmの地点には人口11000人の日立市久慈町が所在していた。

まず、設置側の日本原電は、小学校は移転予定であると述べた。また、ファーマーは扇型は角度30°、長さ1.6kmとしてもよい、8km以内に1万人以上の都市がないということは直接危険を意味するものではなく、必ずしも守らなくてよいと述べ、自説を崩した。結局、この場合は、基準のほうを緩和したのである。

加えて、黒鉛炉のため格納容器がないので格納容器をつけるべきである、隣接して米軍の爆撃演習場があるなど、さまざまな安全上の問題が提起されていた。しかし、東海第一原発の安全審査にあたった原子力委員会の原子炉安全審査専門部会は、11月9日に安全と認める旨の答申を出した。そして、12月14日、内閣は正式に東海第一原発の設置を許可したのである。1960年に東海第一原発は着工し、1965年に臨界に達し、1966年より営業運転を開始した。しかし、この東海第一原発の建設はトラブル続出で、予定よりかなり遅延したのである。

このように、日本最初の商用原発である東海第一原発の安全審査については、原発事故時における放射線量の許容量が厳格になるにしたがって、原発周辺の居住を制限するなどとという当たり前の形ではなく、原発事故の規模を小さく見積もることによって、原発事故時の放射線量を許容量以下に抑えたのである。つまり、この原発の「安全性」とは、原発事故のリスクを小さく仮想することによって保たれていた。まさしく、仮想の上の「安全性」であったのである。

そして、この時期、通産省は、より実情に即した原発事故の想定を秘密裏に行っていた。それによると、東海村近傍の水戸市などはおろか、場合によっては東京にすら被害が及ぶ試算結果となったのである。このことについては、次回以降、みてみたい。

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