Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘マンハッタン計画’

ここで考えておきたいことは、「原子力の平和利用」の「平和」ということである。原発などの原子力の産業的利用において、特に日本では、常に「平和利用」ということが強調される。1951年に制定された原子力基本法には「平和の目的に限り」と原子力研究・開発が限定されている。

しかし、そもそも、原子力の利用・開発は、核兵器開発の「軍事利用」として、本格的に開始されたといえる。特にそのことを示しているのが、原爆製造のためにアメリカが第二次世界大戦中に実施したマンハッタン計画である。このマンハッタン計画については、平田光司「マンハッタン計画の現在」(歴史学研究会編『震災・核災害の時代と歴史学』、青木書店、2012年)が要領よく整理しているので、これに依拠してみていこう。

ウラン (U235)の核分裂反応が発見されたのは1938年であった。この発見は、ドイツのベルリンにおいて、O・ハーンとF・シュトラスマンによって行われたが、そのことは1939年にはアメリカに伝わった。アメリカでは、カリフォルニアの E・ローレンスのもとで最新鋭の粒子加速器サイクロトロンがつくられており、すぐにウランの核反応の詳細が調べられた。1940年には、サイクロトロンを使った連鎖核分裂反応をおこすプルトニウム(Pu239)の生成にバークレーのG・シーボーグ等により成功した。しかし、プルトニウムの発見・合成はすでに兵器開発の一環とされ、公表されることはなかった。

そして、1941年には、元マサチューセッツ工科大学副学長V・ブッシュが科学研究開発部長になり、原爆の本格的開発をめざしたマンハッタン計画の実施が決定された。この時期想定された原爆製造方法としては、ウラン(U235)とプルトニウム(Pu239)の二つを用いる方法が考えられた。周知のように、天然ウランにおいては、核分裂反応を起こす U235は0.7%しかなく、ほとんどはU238である。原爆としてU235を使うためには、純度を90%以上にする必要があった。これがウラン濃縮である。大量にウラン濃縮をすることは難しく、ガス拡散法やサイクロトロン用に開発された巨大磁石を使う(電磁分離法)などの大規模施設が必要であった。このウラン濃縮施設はテネシー州オークリッジに建設された。
 
他方、プルトニウムの場合は、E・フェルミやL・シラードによって考案された原子炉を使うことが構想された。原子炉(黒鉛炉)の中で天然ウランを「燃焼」させ、天然ウラン中のU235を核分裂させて中性子を発生させ、中性子がU238にあたってPu239に転換になる反応を利用してプルトニウムを生産させるという方策がとられた。シカゴ大学に世界最初の原子炉CP−1(シカゴパイル)がつくられ、1941年12月には連鎖反応が確認された。そして、安全性を配慮して、人口の少ないワシントン州ハンズフォードにプルトニウム生産炉は建設された。このように、原子炉とは、まず原爆製造のためのプルトニウム生産の装置であったのである。
 
このようにして生産されたウランとプルトニウムを原爆に製造する施設として、1943年、ニューメキシコ州にロスアラモス研究所が作られ、所長に理論物理学者のオッペンハイマーが就任した。1945年7月16日、ロスアラモス南方のアラゴモードでプルトニウム原爆の核実験(トリニティ実験)が行われた。そして、周知のように、8月6日には広島にウラン原爆が、8月9日には長崎にプルトニウム原爆が投下されたのである。

第二次世界大戦後、原子力エネルギーの管理は、軍部ではなく、文民の原子力委員会( AEC)に移された。AECは、(1)核兵器の開発、(2)核エネルギーの利用(原子力)、(3)核(素粒子)物理学を管轄した。つまり、アメリカにおいては、第二次世界大戦後も、核兵器の開発と、核エネルギーの利用、核物理学研究は一体のものであった。

そして、いわゆる核エネルギー(原子力)の利用自体も、兵器生産と結びついて開始されたのである。前述したように、そもそも原子炉は原爆材料としてのプルトニウムを生産するために設置されたが、原子炉のエネルギーを動力源とすることをはじめて行ったのは原子力潜水艦であった。原子力潜水艦に搭載するために、水を減速材および冷却材として使い、濃縮ウランを燃料とする軽水炉が開発された。1954年には初の原子力潜水艦ノーチラス号が完成した。原子力潜水艦開発にはウェスティングハウス社とゼネラル・エレクトリック社が協力したが、原子力潜水艦用の軽水炉は民需用原子炉のモデルとなり、両社は、二大原発メーカーとして成長していくのである。

他方で、プルトニウム生産炉としての原子炉は、高速増殖炉計画へとつながっていく。高速増殖炉においては、U235の核分裂反応によるエネルギーによって発電するとともに、放出される中性子により、U238がPu239に転換し、核燃料がより増加していくことになる。プルトニウム生産炉としての原子炉のそもそもの性格を発展させたものといえる。しかし、ここで生産されるプルトニウムは、単に原発の燃料となるだけでなく、原爆・水爆などの核兵器の材料ともなるのである。
 
平田は、次のように指摘している。

原子炉は、もともと原爆製造のために作られたものであり、軽水炉も原子力潜水艦の動力源として開発された。原子力の平和利用は、兵器の製造過程を多少変えて、一般にも役立つようにしたものである。このため、原子力で発電する装置は即軍事に転用できる。…原子力は核兵器と同じ体系のものである。原子力が広まれば、核武装の可能性も同じように広まる。(平田前掲書91頁)

まず、原子力の本格的利用を開始したアメリカにおいて、原子力を原発などの民需に使う「平和利用」とは、核戦争のための軍事利用と一体のものとして位置づけられて開始されていたことに注目しておかねばならない。

その上で、平田は、このように述べている。

アメリカ、フランスなど原子力を進めようとしている国は核武装しており、国防という経済性を無視した聖域のなかで核兵器および原子力の開発を一体として進めてきた。原子力におけるマンパワーも豊富である。軍が基本的な開発をおこなって、ある程度のノウハウが確立してから民間を参入させている。リスクが莫大で事実上計算不能であり、投資が回収できる保証のない原子力の技術とは、国家が国防のために開発するしかないものではなかろうか。この観点からすると、導入の経緯が問題なのではなく日本の原子力は最初から平和利用のみであったため、輸入技術に依存したひよわな産業構造しか持てなかったのかもしれない。(平田前掲書98頁)

高速増殖炉や核燃料再処理などのプルトニウム生産にこだわる日本の原子力政策が「平和利用」目的だけかは疑問の余地があるが、その主流が軽水炉をつかった原発開発という「原子力の平和利用」であることは相違ないといえる。そもそも、核兵器開発と一体として開始された「原子力の平和利用」であり、名目としては「平和利用」に限定せざるをえない日本の「原子力研究・開発」は、そもそも矛盾をかかえていたといえるのである。

Read Full Post »

私が所属している歴史学研究会発行の雑誌『歴史学研究』10月号は、「東日本大震災・原発事故と歴史学」の緊急特集であった。下記に紹介しておこう。

『歴史学研究』10月号(884号)
緊急特集 東日本大震災・原発事故と歴史学

特集によせて………………………………… 歴史学研究会委員会(1)
[論文]
東日本大震災と歴史の見方 …………………………………平川新(2)
地震・原発と歴史環境学-9世紀史研究の立場から……保立道久(8)
東日本大震災と前近代史研究……………………………矢田俊文(12)
災害にみる救援の歴史-災害社会史の可能性…………北原糸子(16)
東日本大震災と歴史学
 -歴史研究者として何ができるのか-…………………奥村弘(21)
[史資料ネットワークから]
歴史遺産に未来を
 -東日本大震災後の歴史資料レスキュー活動-……佐藤大介(27)
「茨城史料ネット」の資料救出活動
 -3・11から7・2へ-………………………………… 白井哲哉(30)
ふくしま歴史資料保存ネットワークの現況と課題……阿部浩一(32)
[論文]
原発と地域社会-福島第一原発事故の歴史的前提-…中嶋久人(34)
マンハッタン計画の現在…………………………………平田光司(40)
原子力発電と差別の再生産-ミネソタ州プレイリー
 ・アイランド原子力発電所と先住民-………………石山徳子(48)
記録を創り,残すということ……………………………三宅明正(54)
言論の自由がメルトダウンするとき
 -原発事故をめぐる言説の政治経済学-……………安村直己(59)

基本的には、①震災(津波)を歴史学でどのようにとらえれてきたか、②資料保存活動の重要性、③原発問題、という三つの問題にわかれている。実は、私も「原発と地域社会-福島第一原発事故の歴史的前提-」という形で書かせてもらっている。この特集全体については、機会があれば、議論していきたい。

ここで、紹介したいのは、平田光司さんの「マンハッタン計画の現在」である。この論考では、原発問題を考える上での基本的事項が整理されていると思う。

この論考の冒頭で、平田さんは、このようにいっている。

 

マンハッタン計画は原爆製造のために第2次世界大戦中に実施された総経費20億ドル(当時)の超巨大プロジェクトであった。計画の成功は戦後の国際政治に大きな影響を与えたが、その直接の影響のもとに、核兵器、原子力、素粒子物理学が誕生した。

そして、平田さんによれば、もともと「原子炉」というものは、長崎型原爆の主要な原料であるプルトニウムを生産するためのものとして開発された「黒鉛炉」(1941年初めて連鎖反応が実現)が源流なのであると説明している。原子炉は、核兵器をつくるためのものであったのだ。

そして、今、日本で一般的に原発で使われている軽水炉も、そもそもが軍事技術であった。平田さんは、たぶん皮肉交じりなのだろうが、このように指摘している。

 

「平和利用」が最初に実現したのは原子力潜水艦であった。潜水艦に乗せるためには、小型で安定した原子炉が必要であったが、水を減速材および冷却材として用いる軽水炉が開発された…1954年には初の原子力潜水艦ノーチラス号が完成した。これにはウェスティングハウス社とゼネラル・エレクトリック社(GE)が協力したが、軽水炉は後に民需用原子炉のモデルとなった。

そして、平田さんは、このように述べている。

 原子炉は、もともと原爆製造のために作られたものであり、軽水炉も原子力潜水艦の動力源として開発された。
 原子力の平和利用は、兵器の製造過程を多少変えて、一般にも役立つようにしたものである。このため、原子力で発電する装置は即軍事に転用できる。…原子力は核兵器と同じ体系のものである。原子力が広まれば、核武装の可能性も同じように広まる。

つまりは、原子力と核兵器は同根であり、いわゆる「平和利用」といっても、容易に核兵器に転用できるのである。その例として、黒鉛炉や高速増殖炉で生産されるプルトニウムを使った原爆製造や、核廃棄物を使った劣化ウラン弾があげられている。

さらに、平田さんは、福島第一原発事故における地震・津波対応に対する、日本の原子力業界の当事者能力のなさを指摘した。結局、、「反語」として、このようにいっている。

 

アメリカ、フランスなど原子力を進めようとしている国は核武装しており、国防という経済性を無視した聖域のなかで核兵器および原子力の開発を一体として進めてきた…この観点からすると、導入の経緯が問題なのではなく日本の原子力は最初から平和利用のみだったため、輸入技術に依存したひよわな産業構造しか持てなかったのかもしれない。危機管理能力も備えた本格的な原子力利用のためには、日本は再軍備し、核武装するべきだ。もちろん、これは反語として書いていることであって、日本は原子力からの撤退を真剣に考えるべきである。

この指摘は重要である。結局、日本においては、「原子力の平和利用」は、同根である「核兵器」と切り離されて意識され、導入された。そして、原子力の危険性においては「核兵器」の危険性のみが強調され、同様の危険性を有していた「原子力の平和利用」のそれについては考えなかった。それゆえに、核兵器をもつがゆえに核の危険性を想定していたであろう、アメリカ・フランス・ロシアなどの諸国からみてもお話にならない対応になった要因の一つとして考えられるのである。

その意味では、前のブログでも述べたが、1955年体制において、本格的な再軍備(核武装も含む)がなされなかったことと「原子力の平和利用」の導入はつながっているのではないかと考えさせられるのである。

Read Full Post »