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さて、橋下徹が5月13日午前中の囲い取材で述べた「慰安婦」についての発言は、午後(退庁時)の囲み取材でも続いた。まず、5月25・26日に元慰安婦が大阪を訪問する予定があり、橋下に面会を求めるということで、面会する予定なのかと記者が問い、橋下は会う予定で調整していると述べた。その後、このようなやりとりがあった。

―― 以前から元慰安婦の方に対して優しいお言葉をかけていかなきゃいけないとおっしゃっていますが、具体的にはどんなお話を? もしお会いになられたら……。

それは今ここで言っても、仕方がありませんから。その時に、お会いした時に話をします。

―― 優しい言葉をかけなきゃいけないとおっしゃっている一方で、今朝、各国の軍隊が当時制度として(慰安婦を)持っていた事実があって、当時の状況を考えると必要だったというような発言もあったと思いますが、今までにない踏み込んだ発言だったようにも感じたんですが……。

いや、そんなことなくて、ま、聞かれなかったから言わなかっただけで、当時の状況ではそういうことを活用していたのは事実ですから。当時の状況としては。ただ、それをよしとするかどうかというのは別でね。意に反してそういう職業に就かなければならない。「意に反して」ですよ。自らの意志でそういう職業に就いてる人も中にはいたでしょうしね。

現代社会にだって風俗業というのはしっかり職業としてあるわけですから。自らの意志でやった場合には、まぁ、それは自らの意志でしょうということになりますけど、意に反して、そうせざるをえなかったという人たちに対しては、これは配慮が必要だと思いますよ。
http://synodos.jp/politics/3894/2

橋下は、慰安婦において、意に反してなる人と自らの意志でなる人と両様があって、意に反してなった人びとには「配慮」しなければならないとしている。「意に反してなる」人が少しでもいれば、「強制的」だったということにもなり、慰安婦に対する「強制」はなかったという説が成り立たないことになるが、そういうことは考えないのである。

そして、従事する女性の同意/不同意に関わらず、軍を維持するために慰安婦制度は必要であったと述べている。そして、今は慰安婦制度は認められないが、やはり風俗業は必要だとしているのである。そして、有名になった、沖縄の海兵隊司令官にもっと風俗活用をすべきであるという発言を紹介したのであった。

―― 「意に反して」ということでも必要ではあったということでしょうか? いい気はしないけれども、状況からして必要であったということですか?

いや、意に反した、意に即したかということは別で、慰安婦制度っていうのは必要だったということですよ。意に反するかどうかに関わらず。軍を維持するとか軍の規律を維持するためには、そういうことが、その当時は必要だったんでしょうね。

―― 今は違う?

今はそれは認められないでしょう。でも、慰安婦制度じゃなくても風俗業ってものは必要だと思いますよ。それは。だから、僕は沖縄の海兵隊、普天間に行った時に司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいって言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって、「米軍ではオフリミッツだ」と「禁止」っていう風に言っているっていうんですけどね、そんな建前みたいなこというからおかしくなるんですよと。

法律の範囲内で認められている中でね、いわゆるそういう性的なエネルギーを、ある意味合法的に解消できる場所ってのが日本にはあるわけですから。もっと真正面からそういうところ活用してもらわないと、海兵隊のあんな猛者のね、性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですかと。建前論じゃなくてもっとそういうとこ活用してくださいよと言ったんですけどね。それは行くなという風に通達を出しているし、もうこれ以上この話はやめようっていうんで打ち切られましたけどね。だけど風俗業ありじゃないですか。これ認めているんですから、法律の範囲でね。

―― 活用していないから事件が起こると?

いやいや、それは因果関係は別です。でももっと、だから、そういうのは堂々と……。それは活用したから事件がおさまるという風な因果関係にあるようなものではないでしょうけど、でも、そういうのを真正面から認めないと、建前論ばかりでやってたらダメですよ。そりゃあ兵士なんてのは、日本の国民は一切そういうこと考えずに成長するもんですから、あんま日本国民考えたことないでしょうが、自分の命を落とすかもわかんないような、そんな極限の状況まで追い込まれるような、仕事というか任務なわけで。それをやっぱり、そういう面ではエネルギーはありあまっているわけですから、どっかで発散するとか、そういうことはしっかり考えないといけないんじゃないですか。それは建前論で、そういうものも全部ダメですよ、ダメですよって言っていたら、そんな建前論ばっかりでは、人間社会はまわりませんよ。
http://synodos.jp/politics/3894/2

今読んでみると、いささか恥ずかしくなってくるのだが…。この発言には、いくつかの問題点を指摘できる。まず、売春を組織として禁じている米軍に対してーそれも司令官に対してーこのような発言をするということは、米軍からみれば、組織に対する侮辱ととらえられるだろうということである。この紹介の中で、米軍司令官はそのような形で対応したし、その後のアメリカ政府の対応もまた、その観点から行われている。

他方で、このような発言について、日本とりわけ沖縄の人びとがどう思うかということである。この発言は、兵士の性的エネルギーのコントロールにつき、公的な形で女性を「活用」しろといっているわけであるから、女性を「性的な資源」としてみているわけで、女性に対する人権侵害になることは間違いない。他方で、ナショナリスティックな観点からみたらどうなるか。日本とりわけ沖縄がアメリカの従属下にあることはあきらかである。それは、日米安保条約と日米地位協定に表現されている。沖縄での米兵の性犯罪がたえないのは、第一に長期間にわたって大規模にアメリカ軍が駐留しているためであり、第二に不平等な日米地位協定によって日本の警察権が十分米兵に及ばないことが起因している。そのようななか、アメリカ軍司令官に日本の「女性」の活用をもちかけるということは、日米の従属関係の基本について異議を申し立てず、かえって便宜供与を提起するということになるだろう。結局、そうなると、強制であるか合法であるとか、女性が合意しているかどうかは関係なく、従属を強いている相手にさらに便宜供与するのかということになるだろう。そして、アメリカー日本・沖縄という現在の構図は、植民地期の日本ー朝鮮という構図に変換可能である。いわば、橋下は、たぶん自ら意図したのではないだろうが、慰安婦問題を現代世界においてわかりやすく可視化してしまったのである。

さらに、橋下は、米軍も朝鮮戦争期や占領期の沖縄において慰安婦制度をもっていた、日本軍以外もレイプはしていた、日本だけが慰安婦をもっていたのではないと、それまでの説明を繰り返し、最後に、次のように述べている。

ただ、日本の軍がね、または日本政府が国をあげてね、暴行脅迫拉致をしたという証拠が出てくれば、それはやっぱり日本国として反省しなければいけないけれど、そういう証拠がないって言う風に日本政府が閣議決定しているわけですからね。だから、今度、慰安婦の方が大阪市役所に来られた時にね、暴行脅迫うけたのか、拉致されたのかね、そのあたりについても、お話うかがわせてもらえるんだったら、うかがわせてもらいたいですけどね。

本当にそうだってことであるんだったら、日本政府の方にその証言とってもらってですね、なんだ拉致あるじゃないですかと、2007年の閣議決定の時と違うじゃないですかっていう話になってもこれは仕方ないと思いますしね。今は、いろんな論戦の中で、従軍慰安婦問題を否定している人たちって言うのは、暴行脅迫や拉致は絶対になかったって言っているわけですから、それはあるって話になれば、それは従軍慰安婦問題を真っ向から否定している人たちは論拠がなくなるわけですしね。まぁ、だから、どういう状況で、どういう経緯で慰安婦にならざるをえなかったのか、そういうお話をうかがわせてもらえるんであればお聞かせいただきたいという風に思ってますけども。
http://synodos.jp/politics/3894/2

つまり、慰安婦の人びとと、このようなことでディベートをしたいというのである。

ここまで、橋下の発言を「読解」してきた。韓国その他アジア諸国には「謝罪」するが、植民地政策をすすめ、慰安婦制度をもっていた(と橋下は主張する)アメリカなどの欧米諸国には、結局同じくらい悪いことをしていると主張するのだというのである。そのつながりで、沖縄の米軍司令官には性的エネルギー発散のため風俗業への活用をすすめるということになるのである。

ずっと読み進めてみると、だんだん誰もがが正当とは思えない袋小路に自分から入っていったという感想をもった。欧米諸国が植民地政策を行っていたことは自明であり、その意味で欧米諸国にも批判の余地があるということは、ある程度の(それだけをとりだせばということになるが)賛成を得られるであろう。しかし、世界各国が日本と同様の慰安婦制度をもっていたかといえば、?をつけざるをえない。日本の慰安婦制度すら解明されているとはいえず、それと比較可能な形で各国軍隊の売春業が解明されているのだろうか。そして、現在の在日米軍に公に風俗業を活用するという発言については、ある意味では「建前」をたたく姿勢のみを評価する人びとを除いて、だれが評価するのであろうか。逆に、あの発言こそ、公的な機関が組織的にそのような事業にかかわることの危険性を指し示したといえるのである。たぶん、刺激的な発言をすることで衝撃を与えようとしたのであろう。確かに、衝撃を受けた。しかし、それは、大多数の人びと(それも世界的に)が橋下を排除するように作用したのである。

といっても、このような袋小路は、橋下徹のみが陥っているわけではない。結局、日本の侵略の問題性を相対化しようというこころみは、橋下以前の自民党などの保守派が一貫して行ってきたことであった。慰安婦における強制性を認めないということは、彼らが開発してきた論理なのだ。しかし、冷戦終結後の彼らの営為は、対アジア諸国からの批判をまねいただけでなく、アメリカほか日本が依存してきた欧米諸国の批判につながっていった。今年の5月始め、橋下発言の直前、安倍政権が陥っていた状況はそのようなものであった。橋下は、その状況下で発言して、何らかの主導権を得ようとしたといえる。しかし、内外からの批判をあびてしまったのである。

もし、橋下のように、侵略を相対化し慰安婦の強制性を認めないことから議論を開始すれば、やはり橋下のような袋小路に落ちいることになるだろう。そして、それは、橋下が介入しなければ安倍政権がすすんだかもしれない道だったのである。

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さて、前回は、5月13日に行われた橋下徹大阪市長の「慰安婦」発言の読解の前提として、彼の「侵略」に対するダブルスタンダードがあることを指摘した。彼によれば、欧米諸国が日本を「侵略」国家というのは、本来は同じく植民地政策をともに行っているのであるから認めるべきではないことであるが、「敗戦国」であるから認めざるをえないとしているのである。それでも、事実と違うことで日本が非難されているならば、反論せざるをえないと主張している。他方、被害を与えたアジア諸国に対しては、お詫びと反省が必要なのだとしている。

橋下は、事実と違うことで非難されている事例として、「慰安婦」問題をあげている。橋下は13日午前の「囲み取材」において、「慰安婦問題」について、まず、このように述べている。

ただね、事実としては言うべき事はいっていかなくちゃいけないと思っていますから。僕は、従軍慰安婦問題だってね、慰安婦の方に対しては優しい言葉をしっかりかけなきゃいけないし、優しい気持ちで接しなければいけない。意に反してそういう職業に就いたということであれば、そのことについては配慮しなければいけませんが。

しかし、なぜ、日本の従軍慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるかというと、その当時、慰安婦制度っていうのは世界各国の軍は持っていたんですよ。これはね、いいこととは言いませんけど、当時はそういうもんだったんです。ところが、なぜ欧米の方で、日本のいわゆる慰安婦問題だけが取り上げられたかというと、日本はレイプ国家だと。無理矢理国を挙げてね、強制的に意に反して慰安婦を拉致してですね、そういう職に就職業に付かせたと。

レイプ国家だというところで世界は非難してるんだっていうところを、もっと日本人は世界にどういう風に見られているか認識しなければいけないんです。慰安婦制度が無かったとはいいませんし、軍が管理していたことも間違いないです。ただ、それは当時の世界の状況としては、軍がそういう制度を持っていたのも厳然たる事実です。だってそれはね、朝鮮戦争の時だって、ベトナム戦争だってそういう制度はあったんですから、第二次世界大戦後。

でもなぜ日本のいわゆる従軍慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるかというと、日本は軍を使ってね、国家としてレイプをやっていたんだというところがね、ものすごい批判をうけているわけです。

僕はね、その点については、違うところは違うと言っていかなければならないと思いますね。ただ意に反して慰安婦になってしまった方はね、それは戦争の悲劇の結果でもあるわけで、戦争についての責任はね、我が日本国にもあるわけですから。そのことに関しては、心情をしっかりと理解して、優しく配慮していくことが必要だと思いますけど。しかし、違うことは違うって言わなきゃいけませんね。
http://synodos.jp/politics/3894

ここでも、アジアと欧米とのダブルスタンダードは貫かれている。韓国などの慰安婦に対しては温かな言葉をかけなくてはならないとしている。しかし、日本の慰安婦制度は強制的なものではなく、その意味で同様な慰安婦制度をもっていたのであるから、日本だけが非難されるべきではないとしているのである。

そして、ここで、「日本の政治家」を次のように非難する。

日本の政治家のメッセージの出し方の悪いところは、歴史問題について、謝るとこは謝って、言うべきところは言う。こういうところができないところですね。一方のスタンスでは、言うべきとこも言わない。全部言われっぱなしで、すべて言われっぱなしっていうひとつの立場。もう一つは事実全部を認めないという立場。あまりにも両極端すぎますね。

認めるところは認めて、やっぱり違うところは違う。世界の当時の状況はどうだったのかという、近現代史をもうちょっと勉強して、慰安婦っていうことをバーンと聞くとね、とんでもない悪いことをやっていたとおもうかもしれないけど、当時の歴史をちょっと調べてみたらね、日本国軍だけじゃなくて、いろんな軍で慰安婦制度ってのを活用してたわけなんです。
http://synodos.jp/politics/3894

つまり、主張すべき点は主張せよというのである。

他方で、慰安婦については、謝罪すべきは謝罪せよと主張するのである。

ただ意に反して慰安婦になった方に対しては、配慮しなければいけないと思います。認めるところは認めて、謝るところは謝って、負けた以上は潔くしないと。自民党だって、すぐ武士精神とか武士道とかもちだすのに、負けたのにぐちゃぐちゃいったってしょうがないですよ。負けちゃったんですから。そこは潔く認めて。
http://synodos.jp/politics/3894

このように、橋下は、「慰安婦」問題でもダブルスタンダードを貫いているのである。韓国などの慰安婦には謝罪すべきは謝罪せよという。一方、欧米諸国を中心とする国際世論については、当時はどの国でも「慰安婦制度」があったのであるから、日本だけが悪いわけではないと主張すべきとしているのである。これは、侵略に対するダブルスタンダードを「慰安婦」問題に適用したものといってよい。そして、これは、極度に「普遍性」を排した相対主義的(機会主義といったほうがよいかもしれない)な主張であるといえよう。相手によって、主張が変わるのであるから。橋下自体はこのようなあり方を「プラグマティズム」と考えているかもしれない。

ただ、これは、橋下の頭の中でしか通用しないものともいえる。韓国の慰安婦については、「意に反してそういう職業に就いたということであれば、そのことについては配慮しなければいけません」といっている。いわば強制的に慰安婦にさせられた場合もあることを認めた上で、「配慮」せよと主張しているのである。他方で、2007年の閣議決定では、強制連行で慰安婦にされた証拠がないとして、次のように述べている。

証拠が出てきたらね、それは認めなきゃいけないけれども、今のところ2007年の閣議決定では、そういう証拠はないという状況になっています。先日、また安倍政権で新しい証拠が出てくる可能性があると閣議決定したから、もしかすると、強制的に暴行脅迫をして慰安婦を拉致したという証拠が出てくる可能性があると。もしかするといいきれない状況が出てきたのかもわかりませんが、ただ今のところ、日本政府自体が暴行脅迫をして女性を拉致したという事実は今のところ証拠に裏付けられていませんから、そこはしっかり言ってかなければいけないと思いますよ。
http://synodos.jp/politics/3894

慰安婦が強制連行された証拠がないという論理は、慰安婦は強制的なもの、いわば意に反して従事させられたものではなく(それ自身論理的飛躍があるが)、売春婦にすぎないのであって、謝罪も補償も必要ないという主張の根拠となっている。このような考えは、例えば自民党の稲田朋美なども主張しており、在日特権を許さない市民の会などのデモのヘイトスピーチにもよくみられる。慰安婦の強制性を認めないのであれば、なぜ橋下が慰安婦に温かい言葉をかけなくてはならないか、その理由がわからない。慰安婦の人びとも、橋下発言において慰安婦の強制性を認めないことを批判している。結局、「慰安婦」問題において、アジア向けと欧米向けで事実認定を変更して対応を変えるということは無理なのだ。

そして、慰安婦問題において強制性を認めないということは、次の難点を導き出すことになる。橋下は第二次世界大戦当時、世界各国において「慰安婦」制度が存在していたとしている。その根拠として、彼は、世界各国における「慰安婦」制度を例示することで根拠を示すのではなく、次のような形で正当化する。

そりゃそうですよ、あれだけ銃弾の雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときに、そりゃ精神的に高ぶっている集団、やっぱりどこかで休息じゃないけども、そういうことをさせてあげようと思ったら、慰安婦制度ってのは必要だということは誰だってわかるわけです。
http://synodos.jp/politics/3894

根拠というよりも、いわば「常識」(男性的偏見といったほうがよいかもしれない)によって「慰安婦」制度を「必要」なものとしているのである。ここで、「慰安婦」制度は「必要」という言説が出て来るのである。そして、この言い回しが、「常識」を根拠にしている限り、歴史的なものではなく、いわば超歴史的な「軍隊」において「必要」なものとして認識される可能性があることをここでは指摘しておこう。

これは、橋下が慰安婦を強制的なものではない「売春婦」として認識していることを示すものといえよう。しかし、これは、各国の軍隊における売春の実態について根拠を示すことがなく、それらを日本の慰安婦制度と同一視しているといえる。橋下は慰安婦を一般的な売春として認識しているから、そういう言い回しが成り立つ。世界亜各国の軍隊が買春をしていたのは事実であろう。しかし、それらを根拠も示さず、日本の「慰安婦」制度と同一視できるのか。軍隊が組織的に関与して多くの占領地で実施された日本の慰安婦制度と、例えば原則的には禁止され、建前では個人的な営為とされているアメリカ軍における売春と同様なものなのであろうか。さらに、それではなぜ慰安婦に「温かい配慮」をしなくてはならないのか。そういう問いが惹起されるのである。

そして、午後(退庁時)の囲み取材において、「慰安婦」問題に関連して、「米軍に風俗利用をすすめる」発言がとび出すことになった。これについては後述していこう。

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さて、2013年5月13日、橋下徹大阪市長が大阪市役所における「囲み取材」にて「慰安婦」発言を行い、それに対し、韓国・中国・アメリカを含めた内外から多くの批判を浴びるという事件が発生している。

このことについて、ずっと関心があった。しかし、どのような形で論じるべきかわからなかった。経過をおうことは新聞が行っているといえる。また、批判についても、それぞれの立場ですでに行われている。

しかし、橋下自身も主張しているように、そもそも、橋下の発言自体がどのようなものであったか、それを発言自体に忠実に「読解」しているものはあまり多くないようにみえる

幸い、SYNODSというサイトで、発端となった5月13日の囲み取材の応答を詳細におこしたものがある。私も、この囲み取材の動画をみたが、大体、このように述べているように思われる。これを参考に、5月13日の午前と午後の「囲み取材」で行われた橋下の「慰安婦」発言について「読解」してみよう。

まず、「慰安婦」についての発言は、5月13日午前(市長登庁時)の次の応答からはじまっている。

―― 村山談話ですが、自民党の高市さんが侵略という言葉はどうかと批判的なことをおっしゃっていましたが、安倍首相も侵略についてはっきりと???(聞き取れず)ですが、植民地支配と侵略をお詫びするという村山談話については。

侵略の定義については学術上きちんと定義がないことは安倍首相が言われている通りです。

第二次世界大戦後、事後的に、国連で安保理が、侵略かどうかを最後に判定するという枠組みが決まりましたけれども。侵略とはなにかという定義がないことは確かなのですが、日本は敗戦国ですから。戦争をやって負けたんですね。そのときに戦勝国サイド、連合国サイドからすればね、その事実というものは曲げることはできないでしょうね。その評価についてはね。ですから学術上さだまっていなくてもそれは敗戦の結果として侵略だということはしっかりと受け止めなくてはいけないと思いますね。

実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いないですからその事実はしっかりと受け止めなくてはならないと思います。その点についても反省とお詫びというものはしなくてはいけない。
http://synodos.jp/politics/3894

もはや、ほとんどの人が忘却しているが、橋下の「慰安婦」発言は、記者の侵略戦争についての「村山談話」についてどのように思うかという質問に答えたところからはじまっており、本来は、日本の過去の侵略戦争総体をどう考えるかということがテーマであった。

この質問に対する橋下の回答は、かなり不思議である。まず第一に安倍首相の発言を引き継ぎ「学術上侵略という定義はない」と答えている。この言い方からすれば、日本がアジアを侵略したということを認めない文脈になるだろう。

しかし、第二には、「敗戦国」であるから日本が侵略したということを認めなくてはならないとしている。

そして第三に、「実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いない」から反省とお詫びをしなくてならないとしているのである。

通常は、「実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いない」から、「侵略」に対するお詫びと反省をするということになるだろう。ここで、それとは逆に、橋下は、「侵略」という定義自体が明確ではないのだが、敗戦国である以上「侵略」ということを認めざるをえず、ゆえに「反省」と「お詫び」をするという論理構造になっているのである。橋下は「侵略」という事実から出発するのではなく、「敗戦」という事実から「侵略」という認識を認めざるをえないとしているのである。

なぜ、「敗戦」という事実を前提に日本が侵略したという事実を認めなくてはならないのだろうか。この応対のやや後の方で、橋下はこのように述べている。

それから戦争責任の問題だって敗戦国だから、やっぱり負けたということで受け止めなきゃいけないことはいっぱいありますけど、その当時ね、世界の状況を見てみれば、アメリカだって欧米各国だって、植民地政策をやっていたんです。

だからといって日本国の行為を正当化しませんけれども、世界もそういう状況だったと。そういう中で日本は戦争に踏み切って負けてしまった。そこは戦勝国としてはぜったい日本のね、負けの事実、悪の事実ということは、戦勝国としては絶対に譲れないところだろうし、負けた以上はそこは受け入れなきゃいけないところもあるでしょうけど。

ただ、違うところは違う。世界の状況は植民地政策をやっていて、日本の行動だけが原因ではないかもしれないけれど、第二次世界大戦がひとつの契機としてアジアのいろんな諸国が独立していったというのも事実なんです。そういうこともしっかり言うべきところは言わなきゃいけないけれども、ただ、負けたという事実だったり、世界全体で見て、侵略と植民政策というものが非難されて、アジアの諸国のみなさんに多大な苦痛と損害を与えて、お詫びと反省をしなければいけない。その事実はしっかりと受け止めなけれないけないと思いますね。
http://synodos.jp/politics/3894

橋下によれば、アメリカを含む欧米各国は植民地政策をとっており、日本だけの問題ではなかったが、敗戦することで「負けの事実、悪の事実」を認めさせられたということになるだろう。つまり、本来、アメリカなどからする「侵略」という規定は認める必要がないのだが、「敗戦」し、勝者の価値観を受け入れざるをえないから「侵略」という規定を認めざるをえなかったというのである。

では、他方、アジア諸国に対してはどうだろうか。ここでも「アジアの諸国のみなさんに多大な苦痛と損害を与えて、お詫びと反省をしなければいけない。」としている。

つまり、橋下は、「侵略」ということに対して、ダブルスタンダードでいるといえよう。アメリカを含む欧米諸国に対しては、同じく植民地政策をとっていたので、本来、日本だけが侵略したということを認める必要がないが、敗戦国だからしかたなく認めるとしている。他方で、実際に被害を与えたアジア諸国については、お詫びと反省をいうというのである。このようなダブルスタンダードは、後述するように「慰安婦」問題への言及に貫かれているのである。

では、「敗戦国」だから、アメリカなどからの批判をすべて受け入れるのか。橋下は、次のように言っている。

ただ事実と違うことでね、我が日本国が不当に侮辱を受けているようなことに関しては、しっかり主張はしなくては行けないと思っています。だから敗戦国として受け入れなければいけない、喧嘩っていうはそういうことですよ、負けたんですから。
http://synodos.jp/politics/3894

「事実と違うことでね、我が日本国が不当に侮辱を受けているようなことに関しては、しっかり主張はしなくては行けない」と橋下は主張しているのである。その事例として、「慰安婦」問題を橋下はとりあげたといえよう。「慰安婦」問題についての詳細は、後に詳述するつもりである。ただ、「慰安婦」発言は、日本の侵略総体をどうとらえるかということを前提にしており、それに対する橋下の回答は、アジア/欧米のダブルスタンダードを中心にしているといえよう。

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2013年4月28日、1952年のサンフランシスコ平和条約発効を記念して、政府主催で「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開催され、天皇・皇后も出席した。このサンフランシスコ平和条約は、そもそも前年に開かれたサンフランシスコ講和会議が、中華人民共和国・中華民国・大韓民国・朝鮮人民共和国という日本のアジア侵略の矢面にたった諸国が出席しておらず、ソ連などの社会主義陣営を無視して、アメリカなどの西側諸国のみと講和するというものであり、当時「単独講和」とよばれた。結局、この平和条約は、竹島/独島、尖閣諸島/釣魚島などの中国・韓国などとの領土紛争の発火点となり、さらに、在日朝鮮人などを切り捨てるものでもあった。また、サンフランシスコ平和条約は、沖縄・奄美・小笠原を日本から切り離し、米軍の施政権下に置くものであり、特に沖縄には、多くの米軍基地が設置されており、現在にいたるまで大きな基地負担に沖縄住民は苦しむことになった。また、平和条約と同時に調印された日米安全保障条約によって、日本のアメリカへの従属が決定的なものになった。

このような意味をもつ「平和条約」による「主権回復」を政府が記念することに対して、沖縄他さまざまなところで抗議活動が行われている。しかし、ここでは、「主権回復の日」記念式典における安倍晋三首相の式辞「日本を良い美しい国にする責任」を読むことによって、安倍晋三らが「主権回復の日」式典にこめた意義や背景となる世界観をみていきたい。

まず、簡単に、この式典自体を説明しておこう。この式典は、非常に空疎なものである。国会議事堂のそばにある憲政記念館に、国会議員・閣僚・知事ら約390人が集められ、天皇・皇后臨席のもとに、安倍晋三が式辞を読み上げ、衆参両院議長と最高裁長官があいさつし、児童合唱団が「手のひらに太陽を」「翼をください」「believe」「明日という日」を歌っただけというものであり、1時間にみたない。天皇・皇后が退席するとき万歳三唱がなされたが、これは、主催者の意図とは違ったものとされている。結局、安倍晋三の「式辞」を、天皇・皇后臨席のもと、国会議員・閣僚・知事らが聞くというだけのものである。

この式辞については、産經新聞が28日付で全文をネット配信している。産経新聞の記事をもとに、この式辞をみていこう。

まず、この式辞は、次のような形で始まっている。

首相式辞全文「日本を良い美しい国にする責任」
2013.4.28 22:11

 本日、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、各界多数の方々のご参列を得て、主権回復・国際社会復帰を記念する式典が挙行されるにあたり、政府を代表して式辞を申し述べます。

 

61年前の本日は、日本が自分たちの力によって再び歩みを始めた日であります。サンフランシスコ講和条約の発効によって主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日でありました。その日から61年。本日を一つの大切な節目とし、これまで私たちがたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたいと思います。

まず、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日を「主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日」ととらえている。これが、この式典のテーマといってよいだろう。その上で、次のように、昭和天皇の歌をもとに、占領期を回想している。

 

国敗れ、まさしく山河だけが残ったのが昭和20年夏、わが国の姿でありました。食うや食わずの暮らしに始まる7年の歳月は、わが国の長い歴史に訪れた初めての、そして最も深い断絶であり、試練でありました。

 そのころのことを亡き昭和天皇はこのように歌にしておられます。

 「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」

 雪は静謐(せいひつ)の中、ただしんしんと降り積もる。松の枝は雪の重みに今しもたわまんばかりになりながら、じっと我慢をしている。我慢をしながら、しかしそこだけ目にも鮮やかに緑の色を留めている。私たちもまたそのようでありたいものだという御製(ぎょせい)です。

 昭和21年の正月、日本国民の多くが飢餓線上にあえぎつつ、最も厳しい冬を、ひたすらしのごうとしていたときに詠まれたものでした。多くの国民において心は同じだったでしょう。

 やがて迎えた昭和27年、主権が戻ってきたとき、私たちの祖父、祖母、父や母たちは何を思ったでしょうか。今日はそのことを国民一人一人深く考えてみる日なのだと思います。

ここでは、まず、昭和天皇に仮託した視点で、占領期が回想されている。「ふりつもるみ雪」として表現される連合国による占領を我慢し、「いろかえぬ松」と表現されているように耐え忍ばなくてはならないとされているのである。あるいは昭和天皇自身はそうなのかもしれない。しかし、占領期の多くの国民が天皇と同じ意識であったわけではない。もちろん、占領による苦しみはあった。しかし、また、戦争責任をとらない昭和天皇も批判されていたのである。

そして、この7年の中で、現行の日本国憲法は制定され、教育基本法などの現行の法制度の多くはつくられた。しかし、この式辞では、そのような憲法なども、主権喪失の産物であり、日本人自体がつくったものではないということを暗示しているのである。

そして、この式辞では、国際社会復帰について言及している。この式典の正式名称は、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」であり、安倍晋三としては、国際社会に参加する契機となったことも、この式典で記念していくべきことなのである。

61年前の本日、国会は衆参両院のそれぞれ本会議で主権回復に臨み4項目の決議を可決しております。

 一、日本は一貫して世界平和の維持と人類の福祉増進に貢献せんことを期し、国連加入の一日も速やかならんことを願う。

 二、日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す。

 三、日本は領土の公正なる解決を促進し、機会均等、平等互恵の国際経済関係の確立を図り、もって経済の自立を期す。

 四、日本国民はあくまで民主主義を守り、国民道義を昂揚(こうよう)し、自主、自衛の気風の振興を図り、名実ともに国際社会の有為にして責任ある一員たらんことを期す。

 以上、このときの決議とは、しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたいと、そういう決意を述べたものだといってよいでしょう。

 自分自身の力で立ち上がり、国際社会に再び参入しようとする日に、私たちの先人が自らに言い聞かせた誓いの精神が、そこにはくみ取れます。

 主権回復の翌年、わが国の賠償の一環として当時のビルマに建てた発電所は、今もミャンマーで立派に電力を賄っています。主権回復から6年後の昭和33年には、インドに対し戦後の日本にとって第1号となる対外円借款を供与しています。

私の目からみれば、主権回復に際して出されたこの国会決議を安倍晋三が述べることは皮肉に思える。しかし、安倍は大真面目でこのことを主張している。つまりは、「日本国民はあくまで民主主義を守り、国民道義を昂揚(こうよう)し、自主、自衛の気風の振興を図り、名実ともに国際社会の有為にして責任ある一員たらんことを期す」ということが主権回復にはこめられていたし、今後の日本も重視していかねばならないというのである。つまり、安倍は自覚としては「民主主義者」であり「国際協調」を旨とする人なのである。他方で、安倍晋三には、「しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたい」という意識もある。これは、たぶん「大国主義」ということになろう。

ただ、では、アジア諸国についてはどうか。安倍が引用した国会決議では「日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す。」とある。しかし、安倍が出してきた事例は、経済援助ばかりである。この式辞において、アジア諸国については「恩恵」の対象であり、対等な立場ではみていないのである。日本の「大国」化の反面にはアジア蔑視があるといえよう。

次に語られるのは、日本の伝統なるものを持ち出して語られる戦後日本の「成功神話」である。しかし、戦後日本において幾許か成功なるものがあったとしても、その成果が否定される時期に語られるというのは皮肉なことである。

主権回復以来、わが国が東京でオリンピックを開催するまで費やした時間はわずかに12年です。自由世界第2の経済規模へ到達するまで20年を要しませんでした。

これら全ての達成とは、私どもの祖父、祖母、父や母たちの孜々(しし)たる努力の結晶にほかなりません。古来、私たち日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ってきた豊かな伝統があります。その麗しい発露があったからこそ、わが国は灰燼(かいじん)の中から立ち上がり、わずかな期間に長足の前進を遂げたのであります。

そして、次に、サンフランシスコ平和条約のもつ不十分さが語られることになる。

 

しかしながら、国会決議が述べていたように、わが国は主権こそ取り戻したものの、しばらく国連に入れませんでした。国連加盟まで、すなわち一人前の外交力を回復するまで、なお4年と8カ月近くを待たねばなりませんでした。

 また、日本に主権が戻ってきたその日に奄美、小笠原、沖縄の施政権は日本から切り離されてしまいました。とりわけ銘記すべきは、残酷な地上戦を経験し、おびただしい犠牲を出した沖縄の施政権が最も長く日本から離れたままだった事実であります。

 「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」。佐藤栄作首相の言葉です。沖縄の本土復帰は昭和47年5月15日です。日本全体の戦後が初めて本当に終わるまで、主権回復からなお20年という長い月日を要したのでありました。沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなしません。私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います。

日本の国連参加が遅れたのはソ連の拒否権発動であったためであり、その意味で、おぼろげに「単独講和」であった平和条約の問題性がふれられている。より鮮明にあらわれているのは、沖縄・奄美・小笠原が日本から切り離されたということである。ただ、この式辞では、結局のところ、これらの諸地域が日本から切り離されたことだけが問題にされている。独立論すらあった沖縄において、日本から切り離されたことだけが、苦難だったわけではない。多くの米軍基地が設置され、アメリカに統治されたことのほうが、戦後の苦難としては大きいのである。この式辞では、米軍の「加害」にはふれず、日本の施政権下にあったかなかったかといういわばナショナリスティックなことだけが「苦労」とされているのである。

そして、ここで、かなり唐突に、東日本大震災に対する国際的支援についてふれている。

 

わが国は再び今、東日本大震災からの復興という重い課題を抱えました。しかし同時に、日本を襲った悲劇に心を痛め、世界中からたくさんの人が救いの手を差し伸べてくれたことも私たちは知っています。戦後、日本人が世界の人たちとともに歩んだ営みは、暖かい、善意の泉を育んでいたのです。私たちはそのことに深く気付かされたのではなかったでしょうか。

中でも米軍は、そのトモダチ作戦によって、被災地の人々を助け、汗と、時として涙を共に流してくれました。かつて熾烈(しれつ)に戦った者同士が心の通い合う、こうした関係になった例は、古来まれであります。

こういうことに東日本大震災をひきあいにだすのなら、より被災者によりそった形で復旧をはかってほしいと思う。ただ、それはともかく、ここで式辞が主張していることは、国際社会、とりわけ米軍が、日本に対して救いの手をだしてくれたということである。まず、国際社会=米軍という意識がそこにあるといえよう。安倍晋三らにとって、国際社会とはつまり米軍のことなのである。そして、さらに、ここで米軍の「救いの手」を強調することで、沖縄が実際に味わってきた米軍による加害が無効化されるのである。

そして、ある意味では危機感をあおりつつ、次の三点にわたって、安倍は日本の将来的課題を述べて、この式辞を終えている。

 

私たちには世界の行く末に対し、善をなし、徳を積む責務があります。なぜなら、61年前、先人たちは日本をまさしくそのような国にしたいと思い、心深く誓いを立てたに違いないからです。ならばこそ、私たちには日本を強く、たくましくし、世界の人々に頼ってもらえる国にしなくてはならない義務があるのだと思います。

 戦後の日本がそうであったように、わが国の行く手にも容易な課題などどこにもないかもしれません。しかし、今61年を振り返り、くむべきは、焼け野が原から立ち上がり、普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て、貧しい中で次の世代の教育に意を注ぐことを忘れなかった先人たちの決意であります。勇気であります。その粘り強い営みであろうと思います。

 私たちの世代は今、どれほど難題が待ち構えていようとも、そこから目を背けることなく、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、日本を、私たちの大切な国を、もっと良い美しい国にしていく責任を負っています。より良い世界をつくるため進んで貢献する、誇りある国にしていく責任が私たちにはあるのだと思います。

 本日の式典にご協力をいただいた関係者の皆さま、ご参加をくださいました皆さまに衷心より御礼を申し上げ、私からの式辞とさせていただきます。

まず、第一点は、「大国化」である。安倍は「私たちには日本を強く、たくましくし、世界の人々に頼ってもらえる国にしなくてはならない義務がある」としている。

第二点は、「民主主義」の堅持ということになろう。一応、自由民主党は党名に「自由」と「民主」をいれている。彼らは「普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て」ていくというのである。皮肉にしか思えないが、結局、国際社会ーアメリカー米軍の前提のもとでしか主権維持はありえないのであり、アメリカの価値観からおおいにはずれるような政体は許されないということになろう。いうなれば、「主権回復」=「国際社会復帰」というこの式典のネーミングは、意外に深い問題を指し示しているといえる。もちろん、安倍にとって、国際社会なるものは第一義的にはアメリカである。「主権回復」=「対米従属」と考えれば、より状況を明確にとらえられるといえよう。

第三点は、再び昭和天皇の「松」を出し、日本を「もっと良い美しい国にしていく」ということを課題としている。「もっと良い美しい国」というのはまったく抽象的でとらえどころがないのだが、ここで昭和天皇の「松」が出されていることによって、意味内容が暗示されている。つまり、雪にたとえられる占領期の圧力からの「解放」がここでは意味されているといえよう。そこには、戦後憲法も含まれるのである。

安倍晋三の式辞を見る限り、このような意義が「主権回復の日」式典がこめられているといえよう。しかし、ここには矛盾も内包している。主権回復と国際社会復帰が重ね合わされており、それは究極的には、主権維持=対米従属ということに結びついているといえる。もちろん、このこと自体が矛盾の塊だが、とりあえず、さしあたっては、日本国家は、アメリカの価値観から大きく外れるわけにはいかないということになるだろう。安倍も「民主主義者」を自称し、自由民主党も「自由」と「民主」を党名にするという皮肉な事態がそこには発生する。

他方で、昭和天皇の「松」と「雪」に暗示させているように、彼らのいう占領期の憲法などの「押し付け」を打破して「主権回復」にふさわしい「もっと良い美しい国」をつくるという欲望がここには表出されている。しかし、そもそも、彼らのいう憲法などを「押し付けた」のもアメリカであり、もし彼らがいうように「もっと良い美しい国」などというものを確立したとして、アメリカが認めない可能性が生じるのである。結局、この主権回復の日記念式典の安倍晋三の式辞は、安倍などの日本の歴代政権がかかえている矛盾を、ここでもまた表出させているといえよう。

典拠:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130428/plc13042822120012-n1.htm

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さて、このブログにおいて、1970年に中華民国(台湾)側が尖閣諸島の領有を主張した際、日本政府は、尖閣諸島はアメリカの施政権下にあり、当時行っていた沖縄返還交渉で日本に復帰する予定であったことを尖閣諸島領有の根拠としていたことを述べた。しかし、アメリカは尖閣諸島は沖縄とともに日本に返還されるとしながらも、その帰属については当事者間で解決されるべき問題であると主張した。

他方で、琉球政府は、1895年に尖閣諸島の沖縄県帰属が内閣で閣議決定されたことなど、現在の日本政府があげている領有の根拠の源流といえる論理を1970年の声明で主張した。このことも、本ブログで述べた。

しかし、その後も、愛知揆一外務大臣は、サンフランシスコ講和条約で沖縄全体とともに尖閣諸島もアメリカの施政権下に置かれることになり、沖縄返還で復帰する予定であることを、尖閣諸島領有の主な根拠として、基本的に国会答弁で主張し続けた。

この姿勢に変化が現れたのは、1971年6月17日、アメリカとの間で沖縄返還協定が調印され(1972年5月15日発効)、その直後の7月5日の内閣改造によって外務大臣が愛知から福田赳夫に交代した以降のことであった。就任当初の福田も、前任者の愛知と同様、沖縄返還において尖閣諸島も返されることを尖閣諸島領有の根拠として国会で答弁していた。

しかし、1971年12月1日の参議院本会議における国会答弁から、福田の姿勢は変化していく。この日、日本社会党所属の参議院議員森元治郎は、尖閣諸島について、このように質問した。

尖閣列島について伺います。アメリカ上院の審議の過程において、この尖閣列島だけが特に問題として取り上げられたのを見て奇異の感じを免れません。アメリカの言い分によれば、尖閣列島の施政権は日本に返すことになるが、その領土主権の帰属については関与しない、もし領有権を主張する国がありとすれば、関係国の話し合いによってきめたらよかろうというもののようであります。一体、アメリカは、どこの国のものかわからないこれらの島々の施政権を押えていたというのでしょうか。そのくせ、返還後も演習場として使用するということになっております。キツネにつままれたようでさっぱりわかりません。何とも不愉快な話であります。その間の事情を外務大臣からお伺いいたしたいと思います。(国会会議録検索システム)

つまり、アメリカは、尖閣列島を返還するといいつつ、領土主権の帰属には関与せず、そのことについては関係国の協議にまかすという態度をとっているのではないかと質問したのである。なお、この質問の中で尖閣諸島の中にアメリカ軍の演習場があると述べられているが、この演習場は、他の沖縄基地と同様、今も返還されていない。

この質問に対し、福田は次のように答弁した。

次に、尖閣列島の問題でありますが、御指摘のように、確かにアメリカ上院の外交委員会はその報告書におきまして、この協定は、尖閣列島を含む沖繩を移転するものであり、その次が問題なんですが、尖閣列島に対する主権に関するいかなる国の主張にも影響を及ぼすものでない。こういうふうに言っておるわけであります。これは米上院の外交委員会の報告書の中にそう言っているわけでありますが、このことをとらえての森さんのお話だと思います。私は、このことをとらえてのお話、御心情はよくわかります。私といえども不愉快なような感じもいたすわけでございます。おそらくこれは他の国からアメリカに対していろいろと話があった、それを反映しているんじゃないかというふうな私は受け取り方もいたしておるのでありますが、この問題は御指摘を受けるまでもなく、すでに平和条約第三条において、これは他の沖繩諸島同様にアメリカの信託統治地域、またそれまでの間の施政権領域というふうにきめられておりますので、それから見ましてもわが国の領土である。つまり、台湾や澎湖島と一線を画しておるそういう地域であるということはきわめて明瞭であり、一点の疑いがない、こういうふうに考えております。(国会会議録検索システム)

この答弁は微妙である。この時点でも福田は尖閣諸島領有の根拠としてサンフランシスコ講和条約によってアメリカが施政権をもつことになり、沖縄返還でともにかえってくることをあげている。しかしながら、アメリカ側が尖閣諸島帰属について曖昧な態度を示していることに不快感を示しているのである。

そして、12月16日の参議院沖縄返還協定特別委員会において、森と福田は次のような議論をしたのである。

○森元治郎君 これは本論じゃないから簡単にしますが、私は、きょう現在は尖閣列島の領有権は問題なく日本だ、大陸だなと尖閣列島の問題は別個の問題である、もう一つは、もし、第三国から話し合いがあった場合には、正当なる申し入れ、相談したいとか――けんかではだめでしょうからね、正当に話したいというんなら話し合おうというだけで必要にしてかつ十分だと思うんです。外務大臣としては。いまり中国に調子づけたようなかっこうなんかする必要はないので、この問題はなかなかこれは深刻複雑ですからね。その点はもっと牛歩的な態度でしっくりいかれたらいいと思う。
 それでもう一点だけ聞くのは、なぜアメリカは領有権の問題について奥歯に物のはさまったようなことを特に言うのか、この真意は。さきに竹島問題という問題がありましたね、あれでも同じであって、何かどこかの国から領有権について問題でもあると自分がすうっと引いて、返還したなら返還しただけで黙っておれば必要にして十分だと思うのに、帰属はわからないと、そういうふうな言い方はどういう意味か、その意味だけを聞きます。
○国務大臣(福田赳夫君) 帰属はわからないとは言ってないんです。沖繩返還協定は、この協定によってこの帰属に影響を及ぼすものではない、こういうことを言っておるわけです。言っておるにしても、私どもとすれば、はっきり日本のものですよ、こううふうに言ってくれればたいへんありがたいわけなんでありますが、これはお察しのとおりのいろんな事情があるんではないか、そのような感じがします。しかし、それはいずれにいたしましても沖繩返還協定以前の問題です。日清戦争のとき、われわれは台湾、澎湖島の割譲を受けた。そのとき尖閣列島は入っておったかというと、入っておりませんでした。それから平和条約第三条でどういうふうになったかといいますれば、これは台湾、澎湖島はわが国は放棄しました。しかし、尖閣列島を含む沖繩列島はこれは信託統治、また暫定的にはアメリカの施政権施行、こういうことになっているんです。一点の疑いもないんです。ないそのものにこの条約が、今度の条約が影響を及ぼすものではないというのはまことに蛇足であります。言わずもがなのことだと思いますが、何らかいきさつがあった。しかし、抗議をするというほどのことでもないのですよ。この返還協定は、これはいままでの尖閣列島の地位に影響を及ぼすものではないと、こういうことなんですから、抗議をする、そういう性格のものでもない、こういうふうに理解しております。
○森元治郎君 私は、アメリカがきれいに返したと言えばいいものをなぜよけいなことを言うのかという、そこを聞いているんです。日清戦争の話はいいです。わかりました。
○国務大臣(福田赳夫君) きれいにお返しいたしましたということは経緯度をもってもうはつきり示してあります。
○森元治郎君 とにかくこれははなはだ不愉快な問題ですね。アメリカがなぜこうだということは、やはり外務大臣として、折りを見てとっくりと確かめておくべきだと思うんです。今後問題になりますから確かめておく。抗議、これもいいでしょうが、どうなんだと、なぜだということをやっぱり聞いておかないと問題が起きたときにあわせてますから、しっかりアメリカがよけいなことを言うんじゃないということを押え込んでおかなければいけないということを忠告して協定に移ります。
(国会会議録検索システム)

このやりとりにおいて、森と福田は、両者ともに、沖縄返還においてアメリカ側が尖閣諸島の日本帰属を明言しないことに不快感を示している。そして、福田は、ここで始めて、「日清戦争のとき、われわれは台湾、澎湖島の割譲を受けた。そのとき尖閣列島は入っておったかというと、入っておりませんでした。」ということにふれたのである。つまり、日清戦争において、台湾・澎湖諸島の割譲を受けたが尖閣はその割譲分には含まれないことを主張し始めたといえよう。

そして、翌1972年3月、沖縄の実際の復帰に直面して、さらに日本政府の姿勢は変わっていく。3月3日、琉球政府立法院は、1970年8月31日の決議と同様に「尖閣列島が日本固有の領土」であることを主張し、中華民国や中華人民共和国の尖閣諸島領有要求をやめさせることをアメリカに求める決議を行った。

他方、3月8日、衆議院の沖縄及び北方問題に関する特別委員会で、沖縄の国政参加選挙で選出されていた自由民主党所属の衆議院議員である国場幸昌は、中華人民共和国が強く尖閣諸島の領有を主張していることなどをあげながら、次のような質問を行った。

○國場委員 外務大臣にお尋ねいたしたいと思うのでありますが、ただいま沖繩の立法院議長のほうからも陳情がありましたとおり、尖閣列島の領有権問題に対しましては、再三にわたる本委員会において、また他の委員会においても、古来の日本の領土であるということに間違いはないんだ、こういうことは承っております。
(中略)
そこで、これは中国毛沢東政権のみならず、台湾においても、台湾の宜蘭県に行政区域を定め、三月にはこの尖閣列島に対するいわゆる事務所を設置する、こういうようなこともまた言われておるわけであります。いまさきの立法院議長のお話にもありましたように、固有の日本領土というようなことでございまして、琉球新報の報ずるまた何から見ますと、明治二十八年一月十四日の閣議決定、沖繩に所属するという閣議決定がされまして、明治二十九年三月五日、勅令十三号、国際法上の無主地占領、歴史的にも一貫して日本の領土だったなどの点をあげている。明治二十七、八年の日清戦争の時期、その後においての講和条約によってこれがなされたものであるか、あるいはまた、その以前においての尖閣列島に対しての歴史がどういうような流れを踏んできておるものであるか。記録によりますと、明治十八年に石垣登野城の古賀商店の主人公がそこへ行って伐採をしたというようなこともあるようでございますが、このたびの第二次大戦において、平和条約によっていわゆる台湾の帰属の権利を日本は放棄したわけでございますが、問題になるのは、台湾と尖閣列島が一つであって、それで明治の日本の侵略戦争によって取られたものが、第二次大戦においてこれが返還されたのであるから、それをひとつ、これは台湾が切り離されたのであれば、やはり尖閣列島もそれについて戻されるという見解があるのではないかということが考えられるわけでございます。それに対しまして、固有の領土であるとか、記録においては明治二十九年、二十八年、そういうような記録以前においての記録、その歴史がどうなっておるかということを研究されたことがあるでありましょうか。外務省の御見解はいかがでございますか、大臣、ひとつそれに対しての御所見を承りたい。
(国会会議録検索システム)

国場は、琉球新報の報道を例に挙げながら、日清戦争によって台湾などともに割譲された土地ではないなど、明治期にさかのぼって尖閣諸島を領有していた根拠をあげるべきだと主張したのである。

この国場の意見に対し、福田は次のように答えた。

○福田国務大臣 尖閣列島問題は、これは非常に当面重大な問題だというふうな認識を持っております。この重大な問題につきまして、ただいま國場委員からるる見解の御開陳がありましたが、私も全く所見を同じくします。
 それで、國場委員の御質問の要点は、日清戦争前に一体どういう状態でいままであったんだろう、こういうところにあるようでありますが、明治十八年にさかのぼりますが、この明治十八年以降、政府は、沖繩県当局を通ずる、あるいはその他の方法等をもちまして、再三にわたって現地調査を行なってきたのであります。その現地調査の結果は、単にこれが無人島であるということばかりじゃなくて、清国の支配が及んでいる、そういう形跡が全くないということを慎重に確認いたしたのでありまして、日清戦争は終局的には明治二十八年五月の下関条約によって終結したわけでありまするが、それに先立ち、二十八年一月十四日に、現地に標識を建設する旨の閣議決定を行なって、正式にわが国の領土であるということの確認が行なわれておる、こういう状態でございます。自来、歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、それが、繰り返しますが、明治二十八年の五月発効の下関条約第二条に基づき、わが国が清国より割譲を受けた台湾、澎湖諸島には含まれていないということがはっきりいたしておるわけであります。つまり、日清戦争の結果、この下関条約におきましては、わが国が割譲を受けたのは何であるかというと、尖閣列島は除外をしてあります。台湾本島並びに澎湖島である、こういうことであります。
 なお、サンフランシスコ平和条約におきましても、尖閣諸島は、同条約第二条に基づき、わが国が放棄した領土のうちには含まれておりません。第三条に基づき、南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政権下に置かれた次第でありまして、それが、昨年六月十七日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定、つまり沖繩返還協定により、わが国に施政権が返還されることになっておる地域の中に含まれておる、こういうことであります。現に、わが国は、アメリカに対しまして基地を提供する、そういう立場にあります。
 沖繩につきましては、今回の返還協定の付属文書におきまして、A表に掲げるものは、これは基地としてこれをアメリカ軍に提供をするということになっておりますが、その中にこの尖閣列島も人っておるのでありまして、現にアメリカの基地がここに存在する、こういうことになっております。そういうことを勘案いたしますと、わが国の領土としての尖閣列島の地位というものは、これは一点疑う余地がない。
 それが最近になりまして、あるいは国民政府からあるいは中華人民共和国からいろいろ文句が出ておる、こういうのが現状であります。
 そもそも中国が尖閣列島を台湾の一部と考えていないことは、サンフランシスコ平和条約第三条に基づき、米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し、従来何ら異議の申し立てをしなかったのです。中華民国国民政府の場合も同様でありまして、一九七〇年の後半になりまして、東シナ海大陸だなの石油開発の動きが表面化するに及んで、はじめて尖閣列島の領有権を問題にするに至った、こういうことでございます。
 そういうようなことで、われわれはこういう隣の国々の動き、これは非常に不明朗である、非常に心外である、こういうふうに私は考えておるわけでありまして、私どもは、これは一点の疑いもないわが国の領土であるという認識のもとに立って行動、対処していきたい、かように考えております。
(国会会議録検索システム)

この福田の答弁は重要である。この福田の答弁こそ、日清戦争期にまでさかのぼる、尖閣諸島領有の政府見解の原型をなしたものといえるのである。そして、以前、本ブログで紹介したように、同日外務省統一見解が出された。この見解は、福田の答弁と内容的に一致しているのである。この統一見解については、つぎにあげておく。

尖閣諸島の領有権問題について
                   外務省統一見解
                   昭和47年3月8日
 尖閣諸島は、明治18年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上明治28年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものである。
 同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、明治28年5月発効の下関条約第二条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていない。
 従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第二条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第三条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、昨年六月十七日署名の琉球諸島及び大東諸国に関する日本国とアメリカとの間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還されることとなっている地域に含まれている。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明確に示すものである。
 なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第三条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華民国政府の場合も中華人民共和国政府の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものである。
 また、従来中華民国政府及び中華人民共和国政府がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上の有効な論拠といえない。
(『季刊・沖縄』第63号、1972年12月、181〜182頁)

なお、このやり取りは自民党衆議院議員の国場幸昌との間で行われたが、革新側も反対していたわけではない。この日の委員会において、沖縄社会大衆党所属の衆議院議員である安里積千代も、尖閣諸島の日本領有を強く主張することを主張し、福田より政府方針を支持することが求められ、疑義はないと述べている。

○安里委員 一昨年、一九七〇年八月に中華民国政府が正式に言った。それから中華人民共和国政府が昨年、七一年の十二月だ。
 これはまあ公式なことをおっしゃったのでありまするけれども、台湾政府は、しばしばこの以前からももちろん口にいたしておりました。中華人民共和国政府が言い出しましたのはそれよりずっとあとです。この時期について、愛知外務大臣の時代においても、この時期に中国が尖閣列島の領有権を主張した政治的な意義というもの、あるいはねらいというものは何があるか、どのように見ておるかということをお問いしたのでありまするけれども、ほかのことで答弁がそらされております。そこへまた、私が私なりに見まする場合に、中国が尖閣列島の領有権を主張いたしてまいりましたのは、台湾政府はもちろん、大陸だなの問題も、あるいはまた石油資源の問題も関連しておったと思いますけれども、中国が領有権の主張をいたしてまいったのは、それよりもあと、日米間におきまする沖繩返還の問題というものが表向きになってまいりまして、アメリカ側におきまして沖繩を返還する範囲内において、あの尖閣列島も包含してくるということが具体的にあらわれてきた、その時代だったと考えております。したがいまして、いまの石油資源の問題、いろいろな問題とは別にいたしまして、私は、尖閣列島のこの領有権の主張に対しましては、沖繩返還という問題は非常に重要なる関係を持つ。そしてまた、中国のアメリカに対するいろいろな考え方、これとも関連があるものだ、こう見ております。
 そこで、単に、これまで政府が、尖閣列島は沖繩の一部であるというようなことにとどまらず、この問題に対処を誤りました場合には、私は、第二の竹島事件というものが起こらないとも限らない、こう思いまするし、この問題に対しまする外交上の自信があるところの処置というものがいまから十分なされておらなければならぬと思っております。
 そこで、これまでの二つの政府からのこういった公式的な主張に対しまして、外務当局としては手を打っておるのであるか、あるいはまた、この問題に対しまして、中国との間に円満にこれを解決するところの方向と申しますか、自信を持って対処しておられるかどうか、最後にその点だけをお聞きいたしまして、質問を終わりたいと思います。
○福田国務大臣 尖閣列島領有権につきましては、政府としては一点の疑問も持ちません。どうか安里さんにおきましても、疑義がないということで政府の主張を支持されたい、かようにお願いをいたしましてお答えといたします。
○安里委員 私は、疑義があるとは申しておりません。疑義がないがゆえに、疑義がありませんでも、それは日本側の立場において疑義はありませんし、われわれもそのとおりであります。けれども、問題の処理というものは、こちらが疑義がないからそのとおりになるのだというような単純なものではないと思うのであります。この点に関しまするところの政府の今後の対処について、誤りのないように万全を期してもらいたいことを要望いたしまして、終わります。
(国会会議録検索システム)

つまり、沖縄側では、いわゆる保守も革新も、尖閣諸島の日本帰属を強く主張するという点では、立場を共有していたといえよう。

この経過は、次のようにみることできよう。日本政府としては、当初、沖縄返還交渉においてアメリカが尖閣諸島の帰属について保証することを期待していたが、アメリカが将来の帰属については当事者の協議にまかせるという態度をとったため、沖縄返還以後をにらみ、日清戦争時に遡った形で、尖閣諸島領有の根拠を再構成したと考えられる。

そして、その前提となったのが、以前紹介した琉球政府の対応であり、今回紹介した国場幸昌、安里積千代などの沖縄選出の国会議員たちの存在であったといえる。彼ら自体は、尖閣諸島の油田開発などに期待をかけていた。そして、ある意味では沖縄の利害を含み込んだ形で、尖閣諸島の「日本」による領有を強く主張し、明治期に遡及して尖閣帰属の根拠を示したといえよう。

その意味で、尖閣諸島問題は、単に、日本と中国のナショナリズムの対抗にとどまらない複雑な様相を示しているといえよう。一方で、アメリカとの関係が、尖閣諸島問題を規定する大きな要因となっている。アメリカとの関係は、サンフランシスコ講和条約、日米安保条約、沖縄返還交渉など、日本の戦後史の一つの通奏低音として流れているのである。そして、それは、原発問題においても同様であるといえる。

他方で、直接の利害関係者である沖縄の人びとの主体性も、尖閣諸島問題を強く規定しているといえる。沖縄の人びとの主体性があってはじめて、この問題は顕在化したとみることできる。そして、このことは、日本政府が沖縄の人びとを代表しえるのかということにもつながろう。なお、この問題は、日本だけでなく、中国もかかえている。そもそも、中華人民共和国の中国共産党政権が、国民党政権のもとにある中華民国ー台湾の人びとを代表しえるのだろうか。そういう問いが、中国の場合も惹起できるのである。

追記:なお、豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』(岩波書店、2012年)は、沖縄の人びとや中国の人びとの対応にあまり言及がなく、主権国家同士の「外交史」に問題を限定しているという意味で不満をもつが、尖閣諸島問題におけるアメリカの存在の大きさを指摘しているという点で参考になった。

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前回は、1968年に「尖閣油田」が発見され、尖閣諸島に近接している沖縄と台湾の人びとが、1970年より油田の鉱業権をめぐってイントレストの対抗をはじめたことを紹介した。そして、日本政府・琉球政府側も台湾ー中華民国側の領有権主張に対して、積極的に対応していくことになった。

まず、台湾ー中華民国政府側の尖閣諸島の領有権主張につき、1970年8月10日の参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会で議論になった。川村清一参議院議員(日本社会党所属)と愛知揆一外務大臣は、このような議論をしている。

○川村清一君 最後に、外務大臣に尖閣列島の問題についてお尋ねいたします。総理府をはじめ各種機関の調査によりますと、沖繩の尖閣列島を含む東シナ海の大陸だなには、世界でも有数の石油資源が埋蔵されていると推定され、この開発が実現すれば、復帰後の沖繩経済自立にとってはかり知れない寄与をするであろうといわれております。この尖閣列島は明治時代に現在の石垣市に編入されており、戦前は日本人も住んでいたことは御案内のとおりだと思うわけであります。しかし、油田開発の可能性が強いと見られるだけに、台湾の国民政府は、尖閣列島は日本領土でないとして自国による領有権を主張し、舞台裏で日本と争っていると伝えられております。今後尖閣列島の領有問題をめぐって国民政府との間に紛争が顕在化した場合、わが国としてはどのような根拠に基づいて領有権の主張をし、どのような解決をはかるおつもりであるか、この点についてお尋ねをいたします。
○国務大臣(愛知揆一君) 尖閣列島については、これがわがほうの南西諸島の一部であるというわがほうのかねがねの主張あるいは姿勢というものは、過去の経緯からいいまして、国民政府が承知をしておる。そして、わが国のそうした姿勢、立場に対して国民政府から公式に抗議とか異議とかを申してきた事実はないんであります、これは今日までの経過からいいまして。しかし、ただいま御指摘がございましたように、尖閣列島周辺の海底の油田に対して国民政府側としてこれに関心を持ち、あるいはすでにある種の計画を持ってその実行に移ろうとしているということは、政府としても重大な関心を持っておるわけでございまして、中華民国側に対しまして、この石油開発、尖閣列島周辺の大陸だなに対して先方が一方的にさようなことを言ったり、また地図、海図等の上でこういうことを設定したとしても、国際法上これは全然有効なものとはならないのだということを、こうした風評を耳にいたしましたときに政府として公式に申し込れをいたしております。かような状況でございますので、今後におきましても十分この問題につきましては関心を持って対処してまいりたいと思っています。
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1970年からの尖閣諸島の領有権問題について、公の場での最初の日本政府の見解は、この時の愛知外相の答弁のようである。この時、愛知は、尖閣諸島の日本への帰属について、台湾の政府は異議申立をしたことがなく、承知しているはずであり、地図上などで中華民国領として設定したとしても、国際法上有効にはならないと述べている。しかし、この時点で、「1895年の尖閣諸島編入」など尖閣諸島の領有権が日本側にあるのかということについての根拠を示していないことに注目しなくてはならない。

そして、9月12日の衆議院外務委員会でも、尖閣の帰属は議論になった。戸叶里子衆議院議員(日本社会党所属)の「あの尖閣列島は日本の領土である。沖繩に付属するものであるということを政府も考えていらっしゃるようでございますが、これに対してどういう態度を持っていられるかを念のためにまず伺いたいと思います。」という質問に対して、愛知外相は、次のように答えている。

○愛知国務大臣 尖閣列島につきましては、この尖閣諸島の領有権問題と東シナ海の大陸だな問題と二つあるわけでございますが、政府といたしましては、これは本来全く異なる性質の問題であると考えております。すなわち尖閣諸島の領有権問題につきましては、いかなる政府とも交渉とか何とかを持つべき筋合いのものではない、領土権としては、これは明確に領土権を日本側が持っている、こういう立場をとっておる次第でございます。これは沖繩問題にも関連いたしますけれども、現在米国政府が沖繩に施政権を持っておりますが、その施政権の根拠となっておりまする布告、布令等におきましても尖閣諸島は明確に施政権の範囲内にある。こういうことから見ましても一点の疑う余地もない。日本国の領有権のあるものである。したがって、この領有権問題についてどこの国とも交渉するというべき筋合いのものではない、こういうように考えております。
 それから東シナ海の大陸だな問題につきましては、七月十八日に国民政府に対しまして公式に、国民政府によるいかなる一方的な権利の主張も国際法上わが国との間の大陸だなの境界を確定するものとして有効なものではないという旨を申し入れております。さらに九月三日、国民政府に対しまして、この大陸だな問題について話し合いが必要ならば話し合いをしてもよいということは申し入れてございます。
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当時は、アメリカと沖縄返還交渉の最中であった。そのことをふまえつつ、愛知は、基本的にはアメリカの施政権下にあるということを日本側が尖閣諸島の領有権の根拠としているのである。重要なことは、愛知は、「1895年の尖閣諸島編入」やその後の尖閣諸島の開発などを帰属の根拠としていないということなのである。その後、少なくとも1970年中は同様の主張を繰り返した。1970年9月12日の衆議院の沖縄及び北方領土に関する特別委員会で、自由民主党の山田久就衆議院議員の質問に対して、愛知外相はこのように答弁した。

現在アメリカが施政権を行使しております琉球列島あるいは南西諸島の範囲内においてきわめて明白に尖閣諸島が入っておるわけでございますから、これは一九七二年には当然に日本に返還される対象である。こういうわけでございますから、尖閣列島の主権の存在については、政府としては一点の疑いも入れない問題であり、したがって、またいかなる国との間にもこの件について折衝をするとか話し合いをするとかいう筋合いの問題ではない、こういうふうに考えておるわけであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=9654&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=4&DOC_ID=2136&DPAGE=1&DTOTAL=23&DPOS=13&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=9862

アメリカの施政権下におかれており、1972年に予定されている沖縄返還において帰ってくるはずの領土であるというのである。つまり、これは、全くアメリカ頼みということになるだろう。

他方で、沖縄側も、独自の対応を行った。琉球政府の議会である琉球政府立法院は、1970年8月31日、「尖閣列島の領土防衛に関する要請決議」を議決した。この決議を次に掲げておく。

決議第十二号
 尖閣列島の領土防衛に関する要請決議
 尖閣列島の石油資源が最近とみに世界の注目をあび、県民がその開発に大きな期待をよせているやさき、中華民国政府がアメリカ合衆国のガルフ社に対し、鉄業権(原文ママ)を与え、さらに、尖閣列島の領有権までも主張しているとの報道に県民はおどろいている。元来、尖閣列島は、八重山石垣市字登野城の行政区域に属しており、戦前、同市在住の古賀商店が伐木事業及び漁業を経営していた島であって、同島の領土権について疑問の余地はない。
 よって、琉球政府立法院は、中華民国の誤った主張を止めさせる措置を早急にとってもらうよう院議をもって要請する。
 右決議する。
  1970年8月31日
                                     琉球政府立法院
(『季刊沖縄』第56号、1971年3月、p178)

愛知外相答弁とはことなり、アメリカの施政権が根拠とされていないのである。アメリカの沖縄支配からの脱却をめざして、沖縄の本土復帰を目標としてかかげていた琉球政府らしい対応といえる。そこであげられているのが、八重山石垣市に所属しているということと、戦前、石垣在住の古賀商店が開拓をすすめていたということである。しかし、ここでも「1895年の尖閣諸島編入」は根拠とされていないのである。

そして、この決議に続いて、琉球政府立法院は決議第13号「尖閣列島の領土防衛に関する決議」を採択した。これは、「本土政府は、右決議(前述の決議)に表明された沖縄県民の要請が実現されるよう、アメリカ合衆国及び中華民国に対し強力に折衝を行なうよう強く要請する」(『季刊沖縄』第56号、1971年3月、p178)ものだった。つまり、日本政府に、「尖閣列島の領土防衛」につき、アメリカおよび中華民国(台湾)と折衝することを求めたのである。これもまた、アメリカ支配からの脱却をめざして本土復帰を志向した琉球政府らしい対応であるといえる(ただ、ひと言いえば、沖縄復帰後、日本政府は、そのような沖縄側の思いにこたえようとはしなかった。大量の米軍基地は沖縄に設置されたまま、2012年時点では、さらに危険なオスプレイの沖縄配備が強行されたのである)。

それでは、アメリカの対応はどのようなものだっただろうか。アメリカ国務省のマクロスキー報道官は、1970年9月10日、尖閣諸島に中華民国の国旗が立てられたことを前提にして、尖閣諸島の将来に関し、アメリカ政府はいかなる立場をとるのかということについて、まず、このように答えた。

対日平和条約第三条によれば、米国は「南西諸島」に対し施政権を有している…当該条約によって、米国政府は琉球列島の一部として尖閣諸島に対し施政権を有しているが、琉球列島に対する潜在主権は日本にあるものとみなしている。1969年11月の佐藤総理大臣とニクソン大統領の間の合意により、琉球列島の施政権は1972年中に日本に返還されることとされている。
(『季刊沖縄』第56号、1971年3月、p157)

このように、一応は、愛知外相答弁のいっているように、サンフランシスコ講和条約によりアメリカが沖縄に施政権を有し、尖閣諸島も含まれているとしている。しかし、尖閣諸島の帰属自体については、このように述べている。

問 もし、尖閣諸島に対する主権の所在をめぐり紛争が生じた場合、米国はいかなる立場をとるのであるか。
答 主張の対立がある場合には、右は関係当事者間で解決さるべき事柄であると考える。
(『季刊沖縄』第56号、1971年3月、p157)

つまり、尖閣諸島の帰属について、アメリカは判断せず、関係当事者間の問題であるとしたのである。この見解は、尖閣諸島は日米安保条約による防衛範囲であるとしつつ、尖閣諸島の帰属については判断しないという、現在、アメリカが尖閣諸島問題に対してとっている対応に酷似しているといえるだろう。

となると、結局、愛知外相のアメリカの施政権が及んでいる地域であるから日本に帰属している根拠は、予定される1972年の沖縄返還までは有効であったとしても、沖縄返還後には効力を有さないことになるといえるのである。

この問題に対処するため、アメリカの施政権以前から尖閣諸島が日本ー沖縄に帰属している根拠として琉球政府によって「再発見」されたのが「1895年の尖閣諸島編入」の閣議決定であったのである。このことは、次回以降みてみたい。

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さて、しばらくぶりに、尖閣諸島について述べてみたい。中華民国政府(台湾)も中華人民共和国政府(大陸)も参加しなかった1951年のサンフランシスコ講和条約によって、沖縄地域はアメリカが施政権をもつこととなり、尖閣諸島もそこに含まれた。

アメリカは尖閣諸島のうち久場島・大正島を爆撃演習場として使っていた。他方、台湾(中華民国)の漁民などが尖閣諸島に上陸し、海鳥などを採取するなどの事件が度々起っていた。しかし、1970年頃まで、中華民国も中華人民共和国も積極的に尖閣諸島の領有権を主張してはいなかった。ただ、沖縄でも、尖閣諸島についての認識はさほどなかった。沖縄タイムズ記者の勝連哲治は「尖閣列島問題と沖縄」(『中国』1971年6月号)の中で「同列島周辺海底に極めて有望なる石油資源の埋蔵の可能性が明らかにされるまでは、同列島の存在さえ知らなかった住民がいたことは確かだ」(勝連前掲書p28)と述べている。

しかし、1960年代末より、状況は変化した。1968年10〜11月、国連のアジア極東経済委員会(エカフェ)が海洋調査し、尖閣諸島周辺に「アラビア油田に匹敵する大油田」(勝連前掲書p28)があると評価した。なお、現在は、これほどの埋蔵量ではないとされているようである。

つまり、ここで、尖閣諸島に対する経済的イントレストがうまれたのである。沖縄では、1969年より、尖閣諸島の鉱業権をめぐって、沖縄住民や本土資本(石油開発事業団ー石油資源開発会社)をまきこんで争いがおきた。その結果、次のような状態が生まれたのである。

沖縄の革新政党、民間団体からなる革新共闘会議は1970年7、8月ごろから、「沖縄の領域内にある資源の一切は県民に帰属する」という基本的な考えを明らかにし、地元ですでに鉱業権の取得申請を行っている人たちを中心に進めることを決め、琉球政府に対し申請書の早期処理を要請した(勝連前掲書p31)。

尖閣諸島の開発について切実な要求をもっていたのは、まずは沖縄の人びとであった。しかも、この人びとは、いわゆる石原慎太郎のような保守的ナショナリストではなく、いわゆる「革新側」の人びとであったのである。このことはおおいに着目しておかねばならない。

そして、台湾の中華民国政府も、この時期、尖閣諸島について、積極的な対応をみせている。1970年7月、中華民国政府はアメリカのガルフ・オイルの日本法人のパシフィック・ガルフ社の尖閣諸島の石油探査権を与えた。さらに、中華民国政府は、海底油田探査の正当性を担保するため、大陸棚条例を8月21日に批准し、8月25日には海域石油資源探採条例を立法院で可決した。そして、9月2日には台湾水産試験場所属の海憲丸が魚釣島に上陸して中華民国の国旗である「青天白日」旗をたて、領有権を主張するという事件も発生したのであった。なお、これも、確認しておくべきことであるが、尖閣諸島の帰属をまず問題にしたのは、中華人民共和国を統治する中国共産党とは対立していた、中華民国ー台湾の国民党政権だったのである。

このように、尖閣諸島問題が1960年代末に浮上してきたのは、まずは尖閣油田開発をめぐる、沖縄の人びとと台湾ー中華民国の人びとのイントレストが対抗しあうことを通じてであったといえよう。つまり、現在、中華人民共和国と、石原慎太郎のような日本の保守的なナショナリストが対抗しあう構図となっているが、それ自体が、当初の対抗関係を「ナショナリズム」の中で換骨奪胎された結果ということができよう。

そして、沖縄ー台湾の対抗の過程において、沖縄及び日本側において尖閣諸島領有の根拠が「再発見」されていくのである。このことについては、次回以降議論していこう。

参考
http://www.shiftm.jp/show_blog_item/51
「尖閣列島年表」(『季刊沖縄』56号、1971年3月)
勝連哲治「尖閣列島問題と沖縄」(『中国』1971年6月号)

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