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さて、今回は、フランスの文学者ジャン・ジオノ(1895〜1970)の『木を植えた男』を題材にして、ディストピアからユートピアを作り上げる言葉の可能性について語ってみたい。本書は、荒廃したフランス・ブロヴァンス地方で、森を復興することを目的にして、後半生を通じて木を植えていった男の話である。以下のように、絵本として出版されている。私は旅先の旅館で本書に初めて接した。ただ、かなり有名な本で、大抵の公立図書館には収蔵されているようである。

http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%A8%E3%82%92%E6%A4%8D%E3%81%88%E3%81%9F%E7%94%B7-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3-%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%8E/dp/4751514318

話は、第一次世界大戦直前の1913年に遡る。本書の語り手である「わたし」は、フランスの地中海側にあるプロヴァンス地方の山間に足を踏み入れていた。そこは、「草木はまばら、生えるのはわずかに野生のラベンダーばかり」という、全くの荒れ地で、たどりついたところは「無残な廃墟」であり、泉もかれはてていた。「わたし」は水を求めて歩き、そこである羊飼いの男に出会った。羊飼いの男は、まず、「わたし」に皮袋にあった水を飲ませ、さらに、高原のくぼ地にあり深い湧き井戸がある自分の羊小屋につれていってくれた。「わたし」は次のように語っている。

男はほとんど口をきかなかった。孤独の人とはそうしたもの。
それでかえって、その存在を、つよく人びとに植えつけるものだ。
潤いのないこの地にあって、かれはまことに清涼な命の水とも思われた。

「わたし」はこの羊小屋に泊まることになった。元廃屋であった羊小屋はきっちりと修理が施され、部屋もさっぱりかたづいており、「犬も飼い主同様に、まことに静かな性格で、ごく自然になついてくれた」と「わたし」は記している。他方で、この地域全体については、次のように描いている。

そのあたりの四つか五つかの村々は、
車もかよわぬ山腹に、点在し、孤立していた。
村人は、きこりと炭焼きで暮らしていたが、生活は楽ではなかった。
冬も夏も気候はきびしく、家々はきゅうくつそうに軒を接して、
人びとはいがみあい、角つきあわせて暮らしていた。
かれらの願いはただ一つ、なんとかして、その地をぬけだすことだった。

男たちは、焼いた炭を二輪車で
都会に売りに出かけては、またとって返すのくりかえし。
まるで、水とお湯のシャワーを交互に浴びるようなもので、
どんなに堅い良心も、いつしかひびいってしまおうというもの。
どんなことにもめらめらと、競争心の火を燃やす。
炭の売上げをめぐっても、教会の陣どりをめぐっても、
争いのたえぬありさま。

おまけに吹きすさぶ強い風が、
たえず神経をいらだたせ、
自殺と心の病いとが
はやりとなって
多くの命をうばいさる。

この記述を見ると、この地域は、単に厳しい気候風土だけではなく、「炭売り」という形で行われる商品経済への従属によっても荒廃していたということができよう。まさに、「ディストピア」そのものである。

さて、再び、羊飼いの男についての話にもどろう。かれは、夜になると、袋の中からどんぐりを出し、よりわけて、100粒のどんぐりを選別した。そして、朝になると、羊のえさ場のかたわらにある小さな丘に登って、どんぐりを一つ一つ植え込んでいた。「わたし」は次のように語っている。

かれは、カシワの木を植えていたのだった。
「あなたの土地ですか?」と聞くと、「いいや、ちがう」とかれはこたえた。
「だれのものだか知らないが、そんなことはどうでもいいさ」と、
ただただかれは、ていねいに、100粒のどんぐりを植えこんでいった。

この羊飼いは、3年前から木を植え続けていた。すでに10万個の種を植え、そのうち2万個が発芽した。半分くらいは生き残るとして、この不毛の地に1万本のカシワの木が根づくことになるだろうとこの羊飼いの男は見込んでいた。

そして、「わたし」は、このように物語っている。

ところでそのとき、わたしは急に、男の年が気になりはじめた。
50以上には見えていたが、聞くと55歳だという。
名をエルゼアール・ブフィエといい、かつては、ふもとに農場を持って、
家族といっしょに暮らしていた。

ところがとつぜん、一人息子を失い、まもなく奥さんもあとを追った。
そこで世間から身をひいて、まったくの孤独の世界にこもり、
羊と犬を伴侶にしながら、ゆっくり歩む人生に、ささやかな喜びを見いだした。
でも、ただのんびりとすごすより、なにかためになる仕事をしたい。
木のない土地は、死んだも同然。せめて、よき伴侶を持たせなければと
思い立ったのが、不毛の土地に生命の種を植えつけること。

「わたし」は、30年もすれば1万本のカシワの木が育っているのだろうといい、ブフィエは、神さまが30年も生かし続けてくれれば、今の1万本も大海のほんのひとしずくということになろうとこたえた。そして二人は別れた。

「わたし」は第一次世界大戦に従軍し、1920年に再び、この地を訪れた。ブフィエは、「戦争なんぞはどこ吹く風、と知らぬ顔して木を植え続けていた」。彼の林はすでに長さ11キロ、幅3キロにまでなっていた。「わたし」は「それはまさに、この無口な男の手と魂が、なんの技巧もこらさずにつくりあげたもの。戦争という、とほうもない破壊をもたらす人間が、ほかの場所ではこんなにも、神のみわざにもひとしい偉業をなしとげることができるとは」と語っている。

その後、「わたし」は幾度となくこの地を訪問した。ブフィエの植えた林は、「自然林」として国家によって保護されたり、戦時中の「木炭バス」の燃料にされかけたりした。しかし、ブフィエは「第一次大戦同様、第二次大戦中も、ただ、黙々と木を植えつづけた」のであった。

「わたし」が最後にブフィエにあったのは、第二次大戦が終結した1945年7月であった。まるで、見違えるようになったこの土地について、「わたし」は次のように語っている。

1913年ごろ、村には、11、2軒の家があったが、
住んでいたのは、たった3人だけであった。
みな、粗野な人間で、それぞれがいがみあいながら、生活をしていた。

未来への夢もなく
気品や美徳を育くむような環境でもなく、
かれらはただ、死を迎えるために生きていた。

いまはすっかり変わっていた。空気までが変わっていた。
かつてわたしにおそいかかった、ほこりまみれの疾風のかわりに
甘い香りのそよ風が、あたりをやわらかくつつんでいた。
山のほうからは、水のせせらぎにも似た音が聞こえてきたが、
それは、森からそよぎくる、木々のさざめく声だった。
いや、水場に落ちるような水の音も、どこからか聞こえてくる。
いってみると、なみなみと水をたたえた噴水がつくられていた。
さらに驚いたことには、そのすぐそばに、1本の菩提樹が立っている。
葉の茂りぐあいからすると、芽生えて4年にもなるだろう。
それはまさしく、この地の再生を象徴するものだった。

さらにそのうえヴェルゴンの村には、
未来への夢と労働の意欲がみなぎっていた。
廃屋は、あとかたもなくかたづけられ、
あらたに5軒の家が建てられていた。
村の人口の、28人にふえて
なかには4組の若夫婦もいた。

植生の復興は、社会の復興につながったと「わたし」は語っているのである。この地域では、村が続々と再興され、「平地に住んでいた人たちが、高く売れる土地をひきはらって移り住み、このいったいに若さと冒険心をもたらした…人びとは生活を楽しんでいる。それら1万を越える人たちは、その幸せを、エルゼアール・ブフィエ氏に感謝しなくてはならないはず」と「わたし」は述べ、さらに、次のような言葉で、ブフィエを称えている。

ところで、たった一人の男が、
その肉体と精神をぎりぎりに切りつめ、
荒れはてた地を、
幸いの地としてよみがえらせたことを思うとき、
わたしはやはり、
人間のすばらしさをたたえずにはいられない。

魂の偉大さのかげにひそむ、不屈の精神。心の寛大さのかげにひそむ、たゆまない熱情。
それがあって、はじめて、すばらしい結果がもたらされる。
この、神の行いにもひとしい創造をなしとげた名もない老いた農夫に、
わたしは、かぎりない敬意を抱かずにはいられない。

「わたし」は、次のようにこの物語をしめくくっている。

1947年、エルゼアール・ブフィエ氏は、
バノンの養老院において、
やすらかにその生涯を閉じた。

この『木を植えた男』は年代記風に書かれており、現実に生きた人の個人史を書いたと思われるだろう。実際、1953年にジオノへ執筆を依頼したアメリカの『リーダーズダイジェスト』誌の依頼の趣旨は、「あなたがこれまで会ったことがある、最も並外れた、最も忘れ難い人物はだれですか」ということであった。しかし、ジオノが描いたエルゼアール・ブフィエがバノンの養老院で亡くなったという事実はなかった。つまりはフィクションなのである。そのことを知った『リーダーズダイジェスト』誌は掲載を拒否した。そこで、ジオノは著作権を放棄し、この物語を公開した。英語原稿は『ヴォーグ』誌に1954年3月に掲載され、世界に広まった。だが、フランスでは、ジオノ死後の1983年にようやく出版された。しかし、これらの版でフィクションであることを明示することは積極的にはなされず、多くの読者はエルゼアール・ブフィエが実在の人物であったと思い込んでいた(この過程については②を参照した)。

1987年に『木を植えた男』をアニメーション化したカナダのアニメーション作家であり、翻訳本の絵を書いているフレデリック・バックも、エルゼアール・ブフィエを実在の人物と思い込んで感動した一人であった。しかし、バックは、アニメーション化の途中で、この物語がフィクションであったことを知った。しかし、それでも、バックはこのアニメーション化をやめなかった。このアニメーションは、1987年アカデミー賞短編映画賞を獲得した。しかし、それよりも、重要な影響があった。②において、日本のアニメーション作家である高畑勲は、次のように指摘している。

すでに述べてきたように、この物語は1954年に出版されて以来、何ヶ国語にも翻訳されて森林再生の努力を励ましてきた。そしてフレデリック・バックのアニメーションが放映されたカナダでは一大植樹運動がまき起こり、年間3000万本だったものがその年一挙に2億5000万本に達した。『木を植えた男』は、人を感動させただけでなく、人を具体的な行動に立ち上がらせたのだ。

このように、実在しなかったエルゼアール・ブフィエを扱ったこの物語は、多くの実在するエルゼアール・ブフィエを誕生させたといえるのである。

たぶん、ジオノのねらいもそこにあったのだと思われる。1950年代はいまだ世界的にみてもエコロジーには関心がなかった。そんな中で進行する環境破壊の中で、権力の手を借りず、独力で木を植えて自然を復興させていく人物は必要であったが、そういう人物は実在していなかった。ジオノは、そういう人物も生き生きと語ることによって、フィクションを作り上げ、そのなかで、このことの必要性を形象化したのである。

この物語は実話ではない。しかし、結局は、現実になっていく。構図としては「ヨハネ福音書」などのそれを借りているといえる。「ヨハネ福音書」においては「初めに言があった…万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった…言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人びとには神の子となる資格を与えた」とある。そして、洗礼者ヨハネはキリストの到来を主張したが、しかし、実際のキリストに対面した時、「わたしはこの方を知らなかった」といっている。ヨハネをジオノ、キリストをエルゼアール・ブフィエに置き換えれば、この構図がより明瞭になるだろう。

といっても、ジオノは、キリスト教の構図を借用しているだけで、キリスト教の教理そのものを主張しているわけではない。彼は、たった一人の無名の個人が、独力で、自然を甦らせ、社会を復興させていく可能性を言葉で提示することに賭けていたといえる。エルゼアール・ブフィエの営為にとって、権力とは攪乱要因でしかなかった。ジオノは農村アナーキストの思想をもち、1930年代にプロヴァンスの山中で「新しい村」を建設する運動を従事したとされている(③参照)。そして、エルゼアール・ブフィエの営為は、二度の大戦で破壊することしかできなかった多くの人びとのあり方と対比されている。ジオノにとって、エルゼアール・ブフィエの営為こそが神にも等しい「人間の尊厳」なのである。

エルゼアール・ブフィエの死が象徴しているように、「木を植える」ことには物質的な見返りは何もないことが想定されている。しかし、「そこで世間から身をひいて、まったくの孤独の世界にこもり、羊と犬を伴侶にしながら、ゆっくり歩む人生に、ささやかな喜びを見いだした。でも、ただのんびりとすごすより、なにかためになる仕事をしたい」とあるように、孤独であるがゆえの「ためになる仕事」なのである。そして、このようなブフィエのあり方は、「炭焼き」に従事し利己主義によって引き裂かれている周辺住民と対比されている。

最終的に、エルゼアール・ブフィエは、自分の住んでいた荒れ地を楽園の地にかえた。この物語では、ディストピアがユートピアになったといえる。しかし、エルゼアール・ブフィエが実在の人物でないと同様、この土地も実在していなかった。ユートピアの語源通り「どこにもない土地」なのである。しかし、実在しない人物によるどこにもない土地を作り上げるフィクションが、言葉によって語られ、アニメーションとして表現されて、人びとの心に火を灯し、現実の行動につながっていった。無数のエルゼアール・ブフィエが実在するようになり、ユートピアを実現しようとする努力をはらうようになった。言葉のもつ一つの可能性がそこにあるといえる。

*『木を植えた男』には多数の日本語訳がある。今回は、次の三つを参照した。
①ジャン・ジオノ原作、フレデリック・バック絵、寺岡襄訳『木を植えた男』、あすなろ書房、1989年(絵本版)
②高畑勲訳・著『木を植えた男を読む』、徳間書店、1990年
③ジャン・ジオノ著、フレデリック・バック絵、寺岡襄訳『木を植えた男』、あすなろ書房、1992年

①は絵本版で、たぶんそのことを意識して、訳者が短く意訳し、日本では一般的ではないキリスト教的な表現などを省略している部分がある。②で高畑はそのことを批判し、フランス語の原文を掲げるとともに、より逐語訳に近い形の訳文を掲載している。そして、③では、絵本という形態を脱して、より完全に近い形で翻訳されている。ここでは、一般的に普及していると思われる①を訳文として掲げた。

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2011年の上半期、「魔法少女まどか☆マギカ」(全12回)というアニメーションが放映された。この「魔法少女まどか☆マギカ」の終わりの方の放映は、東日本大震災の影響で一時停止され、4月に未放映分がまとめて放映された。第16回アニメーション神戸賞作品賞・テレビ部門、第15回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞など、2011年のアニメ関係の賞を多く受賞し、2011年を代表するアニメの一つとなった。アニメについては、次のサイトやウィキペディアの記述を参考にしてほしい。

http://www.madoka-magica.com/

このアニメは、そもそも企画は2008年より開始され、放映も予定では2011年1〜3月となっており、東日本大震災や福島第一原発事故とは直接関係なく制作されている。しかし、今、この時点で、このアニメを見てみると、まるで、原発事故を予兆させているかのような思いにかられる。

多少ネタバレになるかもしれないが、このアニメについて簡単に説明しておこう。このアニメは、ただ一つの願いを叶えたことと交換に「魔法少女」となり、過酷な運命を背負うことになった女子中学生たちの物語である。彼女らは、普通では全く叶えられないような「奇跡」(瀕死の状態から蘇生するとか、神経が切断されている手足を動かすとか)を叶えてもらうことを代償として、エイリアンであるインキュベーター(キュウべぇと愛称され、ネコとウサギをあわせたようなマスコットキャラの装いを有している)と契約して「魔法少女」となり、社会に呪いをまきらして、自殺・殺人を蔓延させる「魔女」と闘わされていく。

これだけ聞くと、まさに「正義の味方」の話に聞こえるだろう。

しかし、この「願い」と「魔法少女として戦闘すること」の交換は、フェイクなものでしかなかった。「魔法少女」は「魔女」との戦いで「魔力」を消耗し、さらに自分の過酷な運命を自覚して、次第に絶望していく。そして、臨界点を越すと、「魔法少女」は「魔女」となり、社会を絶望して、今度は自らの呪いをまきちらすことになるのだ。そして、再度、「魔法少女」が新しく登場し、「魔女」を退治していく。つまり、「願い」と「魔法少女として戦闘すること」の交換は、まったく、うわべだけであり、実は、「魔法少女」ー「魔女」というサイクルが作り出すことに眼目があるのだ。

なぜ、こんなことをしているのであろうか。インキュベーター(キュウベエ)は、宇宙全体はエントロピーの増大によりエネルギーが減少しており、それを補填するために熱力学の法則にしばられないエネルギー源を求めてきたと述べている。そして、自らの文明は、知的生命体の感情をエネルギーに変換するテクノロジーを開発したが、自らの文明では、感情を持ち合わせなくなっていた。そこで、人類、特に第二次性徴期の少女に感情エネルギーの供給を求めた。インキュベーターは、このように言っている。

人類の個体数と繁殖力を鑑みればー一人の人間が生み出す感情エネルギーは、その個体が誕生し成長するまでに要したエネルギーを凌駕する。君たちの魂は、エントロピーを覆すエネルギー源たり得るんだよ。とりわけ最も効率がいいのは、第二次性徴期の少女の、希望と絶望の相転移だ。( Magica Quartet『小説魔法少女まどか☆マギカ』(2012年)p329)

そして、インキュベーターは「つまり、すべては、この宇宙を延ばすためなんだ」(同書p329)と誇らしげに言い、主人公のまどかに、

いつかキミは、最高の魔法少女となり、そして、最悪の魔女になるだろう…そのとき、僕らはかつてないほど大量のエネルギーを手に入れるはずだ。この宇宙のために死んでくれる気になったらーいつでも声をかけて(同書p331)

と言い放つ。

そして、インキュベーターは、インキュベーターと人類が歩んできた歴史をまどかに垣間みさせる。

数え切れないほど大勢の少女がインキュベーターと契約し、希望を叶え、そして絶望に身を委ねていった…祈りから始まり、呪いで終わるーこれは数多の魔法少女たちが繰り返してきたサイクルだ。中には歴史に転機をもたらし、社会を新しいステージへと導いた子もいた。(本書p449−450)

まどかは「みんな……みんなあなたたちを信じていたの? 信じていたのに裏切られたの?」(本書p450)と問いかけるが、インキュベーターは、次のように答える。

彼女たちを裏切ったのは、僕たちではなくーむしろ、自分自身の祈りだよ…どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかの歪みを生み出すことになる。やがてそこから災厄が生じるのは当然の摂理だ。そんな当たり前の結末を裏切りだというなら、そもそも願い事なんてすること自体が間違いなのさ。…まあー愚かにとは言わないよ。…彼女たちの犠牲によって、人の歴史が紡がれてきたこともまた事実だしね。…そうやって過去に流されたすべての涙を礎にして、今の君たちの暮らしを成り立っているんだよ? それを正しく認識するなら、どうして今さら、たかだか数人の運命だけを特別視できるんだい?(本書p450−451)

まどかが「あなたたちが、もしもこの星に来てなかったら…」と問うと、インキュベーターは「それは決まってるさ…君たちは今でもー裸で洞穴に住んでたんじゃないかな」(本書p453)と即座に答えている。

さらに、「魔法少女」ー「魔女」というシステムは、代償をもとに「魔法少女」ー「魔女」となった当事者や、周辺にいて魔女の「呪い」を受ける者たちだけではなく、より広範囲に被害を及ぼすことになる。このアニメの末尾のほうで、「魔法少女の最悪の強敵」とよばれる「ワルプルギスの夜」という魔女が襲来するが、この魔女については、次のように語られている。

今までの魔女と違って…こいつは結界に隠れて身を守る必要なんてない。ただ一度具現しただけでも何千人という人が犠牲になるわ。相変わらず普通の人には見えないから、被害は、地震とか、竜巻とか、そういった大災害として誤解されるだけ。(本書p460)

実際の来襲は、スーパーセルによる竜巻の襲来のように描かれているが、地域社会全体が水没し、巨大な建造物がなぎ倒されている状況は、まるで津波被災のようである。そして、先ほど紹介した台詞は、東日本大震災を考慮して、放映時には削除されたという。

しかも、「魔女」の被害は、地球規模にもおよぶ。このアニメは、話がループしているが、ある結末で、インキュベーターはこのように語っている。

彼女(まどか…引用者注)は最強の魔法少女として、最大の敵(ワルプルギスの夜…引用者注)を倒してしまったんだ。もちろん後は最悪の魔女になるしかない。今のまどかなら、おそらく10日かそこいらでこの星を壊滅させてしまうんじゃないかな。…ーまぁ、あとは君たち人類の問題だ。僕らのエネルギー回収ノルマは概ね達成できたしね(本書p434)

ここでは、細かなストーリーは紹介しない。それは、アニメなどをみてほしい。

このアニメにおける「魔法少女」ー「魔女」システムは、宇宙全体を存続するという目的のもとに、一部の人間を対価をもとに契約させ、最終的には、その生存を代償として、エネルギーを得るシステムということができる。しかも、それは、最終的に、このシステムは、より広範囲な人びとも犠牲に導き、地球全体を壊滅させるものとして描かれているのだ。

このシステムは、まるで原発システムのようである。原発は、ある意味では、科学の名の下に、社会に無限のエネルギーを供給させることによって、「開発」「雇用」「交付金」というリターンを対価として、地域社会に建設を受け入れさせる。しかし、その際、地域社会が支払うものは、地域社会住民の生存・生活そのものなのだ。そして、原発事故は、地域社会の当事者たちの生存・生活だけでなく、より広範囲の人びとーある場合なら地球規模のー生存を脅かすにいたっている。

このような原発システムとの類似について、脚本家の虚淵玄は、3.11以前から、自認していた。『アニメディア』2011年3月号(2011年2月10日)で、彼は、次のように発言している。

ーもし虚淵さんが、魔法で何か願いを叶えると言われたら、何を願いますか。

いや! ノーサンキューです(きっぱり)。だって…一生電気代をタダにしますと言われて、うんと答えて、その引き換えに自分の家の裏庭に原子炉を置かれたらどうします? つまりは理不尽なモノなんです。理不尽なモノでいい思いをしようという発想が、そもそもおかしいのですよ。

ーそんな力を持つことになった魔法少女たちがかわいそうすぎます…!

「夢のエネルギー」と言われるものも、結局はいろんな対価やリスクがあるんだろうと思います。かつて原子力がそう思われていたようにね。でもだからと言って、危険な力をただ否定し封印してしまうのは、自分は間違いだと思う。折り合いをつける方法がいつかどこかにあるはずだと、探し続ける努力を怠っちゃいけない。道を探ることを止めちゃったら、それまでにあった悲劇や犠牲すら無駄になってします…と思うんです。(本書p29)

そして、『ユリイカ』11月臨時特集号「総特集 魔法少女まどか☆マギカ」(2011年10月31日)において、虚淵の発言が次のように紹介されている。

その後、東日本大震災が発生し、放送延期となっていた最終二話(関東では最終三話)で描かれる廃墟が震災を思わせるものだったことから、『SWITCH』11年7月号のインタビューで「震災以後の視点でこの作品を視ると、どこか今回の原発事故とリンクしているように思えてしまいます」とインタビューに言われ、虚淵は「自分は子供の頃から省エネ馬鹿といいますか、結構ヒステリックに電気を節約したりしていたので、原発云々以前に余剰なエネルギーに対する抵抗感というのは常にあります。(中略)この国はエネルギーの使いどころがおかしいでしょう。もうちょっとエネルギーに関してナーバスになってもいいんじゃないか」と語り、脚本には資源に対する意識が顕在化しているのかもしれないと漏らしている。(本書pp239-240)

東日本大震災による福島第一原発事故は、原発システムのもつ問題性を白日のもとにさらした。しかし、それ以前から、原発システムさらには日本のエネルギー消費のあり方について、懐疑する意識がすでに生まれていたのである。直接関係ないはずの「魔法少女まどか☆マギカ」が、まるで原発システムを描いたようになったのは、とりあえず、その証左であるといえる。そして、そのことも、このアニメが2011年を代表するアニメの一つとして位置づけられる要因の一つになったといえよう。

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