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安倍晋三首相が、4月29日、欧州歴訪に出発した。そのことを伝える朝日新聞のネット配信記事を下記に掲載しておく。

安倍首相、ドイツに到着 欧州歴訪、EPAなど協議
小野甲太郎 小野甲太郎2014年4月29日17時36分

 安倍晋三首相は29日午後、ドイツ、英国、ポルトガル、スペイン、フランス、ベルギーの欧州6カ国訪問のため、政府専用機で羽田空港を出発し、同日夕(日本時間30日未明)、最初の訪問地ドイツ・ベルリンに到着した。30日昼(日本時間同日夜)にメルケル独首相と会談する。

 首相は出発に先立ち羽田空港で記者団に、「日本と価値観を共有する欧州との関係を強化し、日本の発信力を強化していきたい」と語った。

 首相は訪問先の各国首脳や、経済連携協定(EPA)交渉を進める欧州連合(EU)首脳と会談する。ロンドンの金融街シティーのギルドホールで演説するほか、経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会では議長国として基調講演。北大西洋条約機構(NATO)理事会でも演説する。主要7カ国(G7)メンバーの各国首脳とはウクライナ情勢への対応も話し合う予定だ。(小野甲太郎)
http://www.asahi.com/articles/ASG4Y4J60G4YUTFK003.html?iref=com_alist_6_03

このニュースを聞いて気になったのは、出発直前に安倍首相が語った「日本と価値観を共有する欧州との関係を強化し、日本の発信力を強化していきたい」というフレーズである。さてはて、日本と欧州は、価値観を共有しているのだろうか。

例えば、2012年4月、まだ野党であった自由民主党が出した日本国憲法改正案を説明した「日本国憲法改正案Q&A」増補版において、自由民主党は基本的人権における改正の意味について、次のように説明している。

また、権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。
例えば、憲法 11 条の「基本的人権は、……現在及び将来の国民に与へられる」という規定は、「基本的人権は侵すことのできない永久の権利である」と改めました。
https://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/kenpou_qa.pdf

つまり、改憲案では、明確に「西欧の天賦人権説」を排除しているのである。憲法における基本的人権という最も根幹に存在する「価値観」において、自民党は「欧州」とはあえて異なった見解をもっている。そして、この自民党が中心になって組織されたのが、安倍政権にほかならないのである。

このように考えてみると、自民党ー安倍政権は、欧州との関係において、重大なアポリアをかかえているといえる。安倍首相としては、「日本の発信力を強化」するという一点で、欧州諸国との間では「価値観の共通」を強調しなくてはならない。しかし、「欧州との価値観の共通」を強調することは、憲法改正案で表出された自身の「価値観」を否定することにつながってくる。ある意味で、必然的に「自虐」が必要となってくるのである。他方で、すでに憲法改正案は公表されているのであって、欧州諸国の観察者においても、よく注視するならば、安倍政権の「価値観」における二重基準をみてとることができよう。それゆえ、どのように価値観の共通を安倍首相が強調しても、心からの信頼を得ることは難しくなるだろう。

しかし、安倍政権としては、アジアの隣国である中国・韓国に対抗している以上、欧米との連携を強めることにつとめざるをえない。結局、現代における「脱亜入欧」をはからなくてはならないのである。そして、このように「脱亜入欧」の立場をとることが、経済的な優越性を喪失した日本が、アジアにおける「大国」としての立場を保ちつづけるために必要とされていると、安倍政権はみているだろう。このように、「脱亜入欧」しているという意識があるがゆえに、中国・韓国などのアジア地域の人々に対する優越感を維持していけると認識していると考えられる。

だが、この戦略は、現在でも長期的に適用できるものなのだろうか。例えば、安倍晋三の祖父岸信介が首相をつとめていた冷戦期ならば、核戦争の恐怖の下、「社会主義圏」に対抗するという名目で、どれほど自由のない独裁国家でも価値観を共通する「自由主義圏」の一員として遇されることはありえただろう。しかし、「社会主義圏」が崩壊したポスト冷戦期の現在、いくら、中国の台頭に多くの諸国が警戒感をもつといっても、それだけで「価値観」を共通するというわけにはいかないのである。

「天賦人権」を西欧起源であるとして否定する価値観をもつ自由民主党が基盤となって成立している安倍政権が、「欧州と共通の価値観」を有していると強弁し、自身の価値観について「自虐」しつつ、欧州諸国を外遊するという不条理。近代初頭に「脱亜論」を提唱した福沢諭吉は、「天賦人権論」を主張した一人でもあった。もちろん、「脱亜論」自体を批判すべきであるが、福沢は「欧州の価値観」を積極的に日本社会において啓蒙していたことも忘れてならないだろう。安倍首相は、欧州から何を学んでくるのだろうか。安倍は全く自覚していないと思うが、彼の「脱亜入欧」論は、もはや、福沢諭吉の時代の「脱亜入欧」論の戯画としてしかみることができないのである。そして、この「戯画」こそが、現代日本の真の鏡像といえよう。さらにいえば、「脱亜入欧」それ自体の終わりを予兆しているとも考えられるのである。

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たぶん、2011年は、二つの意味で日本社会のターニングポイントになったと評されることであろう。一つは、2011年3月11日の東日本大震災とそれによる福島第一原発事故である。そして、もう一つは、中国のGDPが日本のそれを追い越し、中国が世界第二の経済大国となったということがあきらかにされたことである。

ここでは、後者のことをみておこう。次に日本経済新聞が2011年1月20日にネット配信した記事を掲載する。

中国GDP、世界2位確実に 日本、42年ぶり転落
10年2ケタ成長
2011/1/20 11:00 (2011/1/20 13:32更新)

 【北京=高橋哲史】中国国家統計局は20日、2010年の国内総生産(GDP)が実質で前年比10.3%増えたと発表した。年間の成長率が2桁になったのは07年以来、3年ぶり。公共投資や輸出がけん引し、世界的な金融危機の後遺症から抜け出せない日米欧とは対照的な高成長を実現した。名目GDPが日本を抜いたのは確実で、日本は42年間にわたり保ってきた世界第2位の経済大国の地位を中国に譲る。

 10年10~12月期のGDPは実質で前年同期比9.8%増だった。

 10年のGDPは国際比較に用いられる名目ベースで39兆7983億元。1~9月はドル換算で中国が日本をわずかに下回ったが、10~12月期を加えた通年では逆転したとみられる。

 大和総研の試算によると、中国の10年の名目GDPはドル換算で5兆8895億ドル。日本が中国と肩を並べるには内閣府が2月14日に発表する10年10~12月期の名目GDPが前期比27%増になる必要があり、「10年の日中逆転は確実」(熊谷亮丸チーフエコノミスト)になった。同社の推計では日本の10年の名目GDPは5兆4778億ドルで、中国を約4000億ドル下回る。

 中国の高成長の原動力となったのは、公共事業を柱とする投資だ。10年の都市部の固定資産投資(設備投資や建設投資の合計)は前年比24.5%増。伸び率は09年の30.4%を下回ったが、引き続き高水準を保った。景気刺激策に伴う公共事業の拡大が生産を刺激し、経済全体を押し上げた。

 10年3月までは成長を押し下げる要因だった外需も、年央から急速に回復している。10年の輸出額は31.3%増の1兆5779億ドルに達し、09年に続きドイツを抜いて世界一になったもよう。低めに抑えられた人民元相場が輸出を後押しし、経済成長を支える構図は大きく変わっていない。

 10年の社会消費品小売総額(小売売上高)は18.4%増。新車販売台数が32.4%増の1806万台と2年連続で世界一になるなど、個人消費は堅調に推移した。ただGDPに占める消費の割合は4割弱にとどまり、7割の米国、5割強の日本に比べなお小さい。中国政府は「投資、外需、消費のバランスの取れた成長」をスローガンに掲げ、消費の拡大を最重要課題と位置付けている。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1905R_Q1A120C1000000/

すでに、2010年のGDPにおいて、中国は日本を追い越した。そして、それがあきらかになったのは、2011年1月であり、3.11の直前のことであった。3.11の衝撃によって、一時あまり意識されなくなったが、その時の衝撃は大きかったといえる。

なぜなら、日本が世界第二ーアジアでは第一の経済大国であるということは、東アジアにおける日本の威信の源泉であったからである。すでに、中国史研究者の溝口雄三は、2004年に出版された『中国の衝撃』の中で、「中国の農村問題と日本の空洞化現象は、明らかにリンクしている問題である以上、われわれはこれを一面的な『脅威論』から抜け出して、広い歴史の視野で国際化し、また広い国際的視野で歴史化し、対立と共同という緊張関係に『知』的に対処していかねばならない」と指摘し、近代化過程における西洋中心主義的な先進ー後進図式からの脱却と、中華文明圏ー環中国圏という関係構造の持続に注目しながら、「とくに明治以来、中国を経済的・軍事的に圧迫し刺激しつづけてきた周辺国・日本ー私は敢えて日本を周辺国として位置づけたいーが、今世紀中、早ければ今世紀半ばまでに、これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめていることに気づくべきである」と主張した。溝口によれば、近代以降、日本は中国に優越していると意識してきたが、経済面での優位の喪失は、そのような意識の現実的基盤が失われることを意味するだろうとしているのである。これは、まったく、予言的な発言であったといわざるをえない。

今、翻って、第二次安倍政権の政策展開を回想してみると、中国の台頭による東アジアでの日本の優位性の喪失への「対抗」としての側面が非常に強いと感じられる。経済的優位の喪失は、経済ではなく政治的・軍事的優位によって代替えしようという志向につながった。尖閣諸島・竹島などの国境線における強硬姿勢、戦前の侵略問題や靖国神社参拝さらに従軍慰安婦問題などの歴史問題における緊張関係の醸成は、中国・韓国などの「介入」を許さないという形で、象徴的に日本の優位性を確保しようという試みにほかならない。そして、日米同盟を強調しつつ(ただ、このこと自体が日米摩擦の原因になっているが)、解釈改憲・明文改憲によって、「平和主義」を放棄し、「積極的平和主義」の名のもとに、自衛隊による軍事介入を進めようとしていることは、まさに軍事的な優位を確保しようという動きといえよう。もちろん、このような動きは、戦後一貫して自由民主党などに存在していた。しかし、この動きが、自由民主党内部ですら戸惑いの声があがるほど加速しているのは、アジアにおいて、経済的優位に変わる政治的・軍事的優位を確保しようする、いわば換言すれば、政治的・軍事的な手段によってアジアにおける「大国」としての地位を維持しようという焦燥感に根ざしているのではなかろうか。

他方で、アベノミクスの名の下に、再び「高度経済成長」が可能であるという「幻想」をふりまきつつ、実際には、生活保護費・年金の削減や消費増税などを行い、資本蓄積の最適化をめざしている。安倍政権や経団連にとって、今や「世界の工場」となっている中国と比較すると、労働者賃金においても、社会福祉を中心とした税負担においても、環境保護対策においても、資本蓄積における日本のコストは高すぎると感じられているのだろう。そして、彼らからすれば、現状においては、日本企業においてもコストの低い中国に生産拠点を移転することが合理的なのであり、もし、日本の「空洞化」を阻止するのであれば、中国なみにコストを下げることが必要なのだと思っているに違いない。もちろん、これも、グローバリゼーション化において、「新自由主義」という形で、日本だけではなく、全世界でみられることである。先進資本主義国から、コストの安い新興国に生産拠点が移され、空洞化した先進資本主義国において、国内における「コスト」削減ー賃金・社会保障・教育など広範囲の分野でーをはかる新自由主義は世界のどころでもみることができる。ただ、この動きが、3.11以降、日本国内で加速していることも事実である。この動きのなかでは、かなり高い経済成長を続けて世界第二位の経済大国となった中国への「対抗」が強く意識されているとみることができる。

第二次安倍政権は、第一次安倍政権も含めた歴代保守政権の政策志向を受け継いでいる。改憲論、平和主義の放棄、歴史修正主義、経済成長推進、社会保障切り捨て、等々。しかし、これらの志向が、既存の国際秩序への軋みも考慮せず、国内での社会的反発も等閑視して進められていくことは、これまでなかったことである。そのような「加速」の背景として、中国が世界第二の経済大国となり、日本がアジアにおける優位性を主張できなくなったことへの焦燥感があると考えられるのである。そして、これは、政権内部だけでなく、日本社会の多くの人びとが意識的もしくは無意識的に共有していることなのではなかろうか。むしろ、このような共通感覚にささえられて、大国主義的な第二次安倍政権が存在しているともいえよう。

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さて、今回は、韓国・聖公会大学日本学科教授権赫泰氏のインタビュー記事である「現代日本の『右傾化』と『平和主義』について」(京都大学新聞2013年4月16日号、5月16日号掲載)を紹介しておきたい。権氏は、ある歴史の学会で報告される予定であったが、病気のため報告できなくなった。ただ、すでに報告要旨などはあり、また、主催者側が権氏の議論を自己の責任で紹介するレジュメが配布された。報告要旨やレジュメには、日本の平和主義や反原発運動についてのかなり激しい批判が語られていた。ただ、本人不在で要旨・レジュメ類でその意図をつかむことは難しい。このレジュメ類の中で、部分的に京都大学新聞に掲載された「現代日本の『右傾化』と『平和主義』について」というかなり長いインタビュー記事が部分的に紹介されていた。後日、このインタビュー記事全体を入手した。そこで、このインタビュー記事をもとに、権氏の日本の平和主義や反原発運動についての批判の意味することを検討していきたい。なお、今回は、日本の平和主義についての権氏の見解を中心にみていくことにしたい。

まず、権氏は、韓国では日本を軍国主義というイメージでとらえることが多く、日本の平和主義について、韓国での認識は低かったと指摘している。その上で、近年の日本が右傾化しているということに対しては、

左か右かはそんなに大事な問題ではない…ただ、要するに一言でいえば平和憲法とそのもとで設けられている自衛隊それから在日米軍の問題、これをどうみるかということだと思うんですね、それに尽きる。(京都大学新聞2013年4月16日号)

と述べている。これは、ある意味で、原則主義の立場に立っているといえる。平和主義というのであれば、自衛隊が存在し、在日米軍の核の傘の下にあること、どう向き合うべきなのかをまず考えるべきということになるだろう。

その意味で、権氏は、鋭く、日本の「平和主義」の欺瞞性を鋭く批判する。

で、左派は反対反対反対と言い続けていつの間にか、国旗国歌法が制定される。で、それを呑みこまざるを得ない。憲法にしても同じこと、自衛隊にしても同じことという。その繰り返しがずっと起っている。
 要するに、日本戦後社会、平和主義といった場合、「平和主義」という言葉表現そのものが、一種のいってみれば過剰表現だった。過剰表現というのは「いいすぎ」。どういうことかというと、その言い過ぎの表現があるがために、現実性の麻酔効果があったと思う。つまり、現実では麻酔効果があったと思う。つまり、現実では全く「平和主義」が機能していないのに、あたかも言葉が先行してしまうということ…いや、ただね、だからといって憲法改正がいいのかなんてそんなことはなくて、それでも「歯止め」の役割はあるじゃないですか。だから、憲法をどう、できるだけ良い働き、というか、つまり最小限の防波堤の役割を、憲法に期待せざるを得ない状況、というのは逆にいうとすごく情けないですよね。(京都大学新聞2013年4月16日号)

結局、「平和主義」は現実を麻酔させるものでしかなかったとし、憲法は確かに歯止めにはなっているが、それを憲法に期待することは情けないことではないかと主張しているのである。

権氏にとっては、いわゆる「右傾化」の中心人物たちではなく、むしろ、「現実的な対応」をしようとした人びとたちこそ、より警戒すべきとしている。慰安婦問題が提起されるのは、韓国の民主化があったからとしながら、それに対して、村山談話など日本国家の「謝罪」を構想していった和田春樹などの営為については「謝罪というのはコストがかからない、分りやすくいえばすごい安上がりなんです」と批判し、「これは和田春樹さんの謝罪に基づいて日韓関係に決着をつけようとした、いわゆる現実路線というのは破綻したと思う。」(京都大学新聞2013年4月16日号)と総括している。権氏は、次のように指摘している。

「靖国なんてダサいしそんなところ行かない」「もう悪かった」「ただ憲法は改正します」。どうですか?そういう発想は。僕はそれが一番怖いですよ…日本の保守政権が「現実」路線を取ると思いませんか?(京都大学新聞2013年4月16日号)

そして、権氏は、現実路線をとる可能性が高かったのは民主党政権であったと思うが、結局、民主党ですら「左翼的」といわれてつぶれてしまったと述べている。

そして、権氏は、韓国におけるナショナリズムの問題は、それが批判されるべき問題ではあるが、独島問題などは、韓国ナショナリズムの問題ではあるが、植民地主義の問題でもあるとしている。権氏は、次のように述べている。

基本的にナショナリズムと植民地主義の結合というかたちで捉えるべきじゃないのかな。ナショナリズムを批判すれば何でも解決できると思い込んでいることもちょっとおかしい。特に上野千鶴子さんの台頭後はそんな感じになってきているから。(京都大学新聞2013年4月16日号)

さらに、権氏は、日本においても韓国においても、地域としてのアジア全体の中でとらえようとする思想的営為にかけていると論じている。そして、権氏は、次のように述べている。

…例えば東アジアで生活している人たちが、国別ではなく地域的なレベルで何らかのかたちで平和的秩序を造らないと、一国のレベルで民主主義を成し遂げても、それは不安定であり、あるいは何らかのかたちで周りの人間に被害を与えるという問題意識がすごく大事ですよね。それがなければ、アジア的枠組みでとらえる必要がなくなっちゃう。(京都大学新聞2013年5月16日号)

このように、権氏の日本の平和主義理解は、徹底的に原則主義の上にたっている。その意味で「護憲論」も、自衛隊や在日米軍の問題を無視している限り、平和主義の「麻酔」の中にあると彼は考えているといえよう。つまり、日本の「平和主義」は現実を隠蔽するイデオロギーでしかないのである。そして、権氏の警戒対象は、右傾化の中心人物ではなく、歴史認識と外交問題を切り離し、日本の植民地主義責任などは認めつつ、憲法改正はしようとする「現実的」対応を構想する人びとなのである。真の平和主義ならば自衛隊保有や在日米軍を問題にしなてはならないという原則主義を堅持し、その視点から日本の「平和主義」をイデオロギーとして批判し、現実主義に警戒するということが、権氏の議論の中心にあるといえよう。

権氏のような議論は、確かに、原則を無視して安易な「現実主義」に走ることについての的確な批判であり、その意味で、こういう議論は必要であるといえる。しかし、逆にいえば、どのような具体的な営為が今可能なのかということを提起していないといえる。例えば、確かに平和憲法は「歯止め」でしかないのであるが、それでも、その存在は意義があり、平和憲法を正当性原理とした九条の会のような運動が展開もしている。また、村山談話などが不十分であるだけでなく、国家権力の戦略を含んでいることも事実といえるが、これもまた、このような村山談話も一つの歯止めになっているのだろうと思う。いわば、さまざまな勢力、多様な思想のせめぎ合いの中で、現実の政治や運動は動いているといえよう。その中で、どのような営為が可能なのかということも重視すべきことではないかと考える。

このような権氏の思想的特色は、反原発運動の批判のなかでより鮮明に現れてくる。次回以降、権氏の反原発運動批判を検討していきたい。

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さて、2013年5月13日、橋下徹大阪市長が大阪市役所における「囲み取材」にて「慰安婦」発言を行い、それに対し、韓国・中国・アメリカを含めた内外から多くの批判を浴びるという事件が発生している。

このことについて、ずっと関心があった。しかし、どのような形で論じるべきかわからなかった。経過をおうことは新聞が行っているといえる。また、批判についても、それぞれの立場ですでに行われている。

しかし、橋下自身も主張しているように、そもそも、橋下の発言自体がどのようなものであったか、それを発言自体に忠実に「読解」しているものはあまり多くないようにみえる

幸い、SYNODSというサイトで、発端となった5月13日の囲み取材の応答を詳細におこしたものがある。私も、この囲み取材の動画をみたが、大体、このように述べているように思われる。これを参考に、5月13日の午前と午後の「囲み取材」で行われた橋下の「慰安婦」発言について「読解」してみよう。

まず、「慰安婦」についての発言は、5月13日午前(市長登庁時)の次の応答からはじまっている。

―― 村山談話ですが、自民党の高市さんが侵略という言葉はどうかと批判的なことをおっしゃっていましたが、安倍首相も侵略についてはっきりと???(聞き取れず)ですが、植民地支配と侵略をお詫びするという村山談話については。

侵略の定義については学術上きちんと定義がないことは安倍首相が言われている通りです。

第二次世界大戦後、事後的に、国連で安保理が、侵略かどうかを最後に判定するという枠組みが決まりましたけれども。侵略とはなにかという定義がないことは確かなのですが、日本は敗戦国ですから。戦争をやって負けたんですね。そのときに戦勝国サイド、連合国サイドからすればね、その事実というものは曲げることはできないでしょうね。その評価についてはね。ですから学術上さだまっていなくてもそれは敗戦の結果として侵略だということはしっかりと受け止めなくてはいけないと思いますね。

実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いないですからその事実はしっかりと受け止めなくてはならないと思います。その点についても反省とお詫びというものはしなくてはいけない。
http://synodos.jp/politics/3894

もはや、ほとんどの人が忘却しているが、橋下の「慰安婦」発言は、記者の侵略戦争についての「村山談話」についてどのように思うかという質問に答えたところからはじまっており、本来は、日本の過去の侵略戦争総体をどう考えるかということがテーマであった。

この質問に対する橋下の回答は、かなり不思議である。まず第一に安倍首相の発言を引き継ぎ「学術上侵略という定義はない」と答えている。この言い方からすれば、日本がアジアを侵略したということを認めない文脈になるだろう。

しかし、第二には、「敗戦国」であるから日本が侵略したということを認めなくてはならないとしている。

そして第三に、「実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いない」から反省とお詫びをしなくてならないとしているのである。

通常は、「実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いない」から、「侵略」に対するお詫びと反省をするということになるだろう。ここで、それとは逆に、橋下は、「侵略」という定義自体が明確ではないのだが、敗戦国である以上「侵略」ということを認めざるをえず、ゆえに「反省」と「お詫び」をするという論理構造になっているのである。橋下は「侵略」という事実から出発するのではなく、「敗戦」という事実から「侵略」という認識を認めざるをえないとしているのである。

なぜ、「敗戦」という事実を前提に日本が侵略したという事実を認めなくてはならないのだろうか。この応対のやや後の方で、橋下はこのように述べている。

それから戦争責任の問題だって敗戦国だから、やっぱり負けたということで受け止めなきゃいけないことはいっぱいありますけど、その当時ね、世界の状況を見てみれば、アメリカだって欧米各国だって、植民地政策をやっていたんです。

だからといって日本国の行為を正当化しませんけれども、世界もそういう状況だったと。そういう中で日本は戦争に踏み切って負けてしまった。そこは戦勝国としてはぜったい日本のね、負けの事実、悪の事実ということは、戦勝国としては絶対に譲れないところだろうし、負けた以上はそこは受け入れなきゃいけないところもあるでしょうけど。

ただ、違うところは違う。世界の状況は植民地政策をやっていて、日本の行動だけが原因ではないかもしれないけれど、第二次世界大戦がひとつの契機としてアジアのいろんな諸国が独立していったというのも事実なんです。そういうこともしっかり言うべきところは言わなきゃいけないけれども、ただ、負けたという事実だったり、世界全体で見て、侵略と植民政策というものが非難されて、アジアの諸国のみなさんに多大な苦痛と損害を与えて、お詫びと反省をしなければいけない。その事実はしっかりと受け止めなけれないけないと思いますね。
http://synodos.jp/politics/3894

橋下によれば、アメリカを含む欧米各国は植民地政策をとっており、日本だけの問題ではなかったが、敗戦することで「負けの事実、悪の事実」を認めさせられたということになるだろう。つまり、本来、アメリカなどからする「侵略」という規定は認める必要がないのだが、「敗戦」し、勝者の価値観を受け入れざるをえないから「侵略」という規定を認めざるをえなかったというのである。

では、他方、アジア諸国に対してはどうだろうか。ここでも「アジアの諸国のみなさんに多大な苦痛と損害を与えて、お詫びと反省をしなければいけない。」としている。

つまり、橋下は、「侵略」ということに対して、ダブルスタンダードでいるといえよう。アメリカを含む欧米諸国に対しては、同じく植民地政策をとっていたので、本来、日本だけが侵略したということを認める必要がないが、敗戦国だからしかたなく認めるとしている。他方で、実際に被害を与えたアジア諸国については、お詫びと反省をいうというのである。このようなダブルスタンダードは、後述するように「慰安婦」問題への言及に貫かれているのである。

では、「敗戦国」だから、アメリカなどからの批判をすべて受け入れるのか。橋下は、次のように言っている。

ただ事実と違うことでね、我が日本国が不当に侮辱を受けているようなことに関しては、しっかり主張はしなくては行けないと思っています。だから敗戦国として受け入れなければいけない、喧嘩っていうはそういうことですよ、負けたんですから。
http://synodos.jp/politics/3894

「事実と違うことでね、我が日本国が不当に侮辱を受けているようなことに関しては、しっかり主張はしなくては行けない」と橋下は主張しているのである。その事例として、「慰安婦」問題を橋下はとりあげたといえよう。「慰安婦」問題についての詳細は、後に詳述するつもりである。ただ、「慰安婦」発言は、日本の侵略総体をどうとらえるかということを前提にしており、それに対する橋下の回答は、アジア/欧米のダブルスタンダードを中心にしているといえよう。

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2013年4月28日、1952年のサンフランシスコ平和条約発効を記念して、政府主催で「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開催され、天皇・皇后も出席した。このサンフランシスコ平和条約は、そもそも前年に開かれたサンフランシスコ講和会議が、中華人民共和国・中華民国・大韓民国・朝鮮人民共和国という日本のアジア侵略の矢面にたった諸国が出席しておらず、ソ連などの社会主義陣営を無視して、アメリカなどの西側諸国のみと講和するというものであり、当時「単独講和」とよばれた。結局、この平和条約は、竹島/独島、尖閣諸島/釣魚島などの中国・韓国などとの領土紛争の発火点となり、さらに、在日朝鮮人などを切り捨てるものでもあった。また、サンフランシスコ平和条約は、沖縄・奄美・小笠原を日本から切り離し、米軍の施政権下に置くものであり、特に沖縄には、多くの米軍基地が設置されており、現在にいたるまで大きな基地負担に沖縄住民は苦しむことになった。また、平和条約と同時に調印された日米安全保障条約によって、日本のアメリカへの従属が決定的なものになった。

このような意味をもつ「平和条約」による「主権回復」を政府が記念することに対して、沖縄他さまざまなところで抗議活動が行われている。しかし、ここでは、「主権回復の日」記念式典における安倍晋三首相の式辞「日本を良い美しい国にする責任」を読むことによって、安倍晋三らが「主権回復の日」式典にこめた意義や背景となる世界観をみていきたい。

まず、簡単に、この式典自体を説明しておこう。この式典は、非常に空疎なものである。国会議事堂のそばにある憲政記念館に、国会議員・閣僚・知事ら約390人が集められ、天皇・皇后臨席のもとに、安倍晋三が式辞を読み上げ、衆参両院議長と最高裁長官があいさつし、児童合唱団が「手のひらに太陽を」「翼をください」「believe」「明日という日」を歌っただけというものであり、1時間にみたない。天皇・皇后が退席するとき万歳三唱がなされたが、これは、主催者の意図とは違ったものとされている。結局、安倍晋三の「式辞」を、天皇・皇后臨席のもと、国会議員・閣僚・知事らが聞くというだけのものである。

この式辞については、産經新聞が28日付で全文をネット配信している。産経新聞の記事をもとに、この式辞をみていこう。

まず、この式辞は、次のような形で始まっている。

首相式辞全文「日本を良い美しい国にする責任」
2013.4.28 22:11

 本日、天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、各界多数の方々のご参列を得て、主権回復・国際社会復帰を記念する式典が挙行されるにあたり、政府を代表して式辞を申し述べます。

 

61年前の本日は、日本が自分たちの力によって再び歩みを始めた日であります。サンフランシスコ講和条約の発効によって主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日でありました。その日から61年。本日を一つの大切な節目とし、これまで私たちがたどった足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたいと思います。

まず、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日を「主権を取り戻し、日本を日本人自身のものとした日」ととらえている。これが、この式典のテーマといってよいだろう。その上で、次のように、昭和天皇の歌をもとに、占領期を回想している。

 

国敗れ、まさしく山河だけが残ったのが昭和20年夏、わが国の姿でありました。食うや食わずの暮らしに始まる7年の歳月は、わが国の長い歴史に訪れた初めての、そして最も深い断絶であり、試練でありました。

 そのころのことを亡き昭和天皇はこのように歌にしておられます。

 「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」

 雪は静謐(せいひつ)の中、ただしんしんと降り積もる。松の枝は雪の重みに今しもたわまんばかりになりながら、じっと我慢をしている。我慢をしながら、しかしそこだけ目にも鮮やかに緑の色を留めている。私たちもまたそのようでありたいものだという御製(ぎょせい)です。

 昭和21年の正月、日本国民の多くが飢餓線上にあえぎつつ、最も厳しい冬を、ひたすらしのごうとしていたときに詠まれたものでした。多くの国民において心は同じだったでしょう。

 やがて迎えた昭和27年、主権が戻ってきたとき、私たちの祖父、祖母、父や母たちは何を思ったでしょうか。今日はそのことを国民一人一人深く考えてみる日なのだと思います。

ここでは、まず、昭和天皇に仮託した視点で、占領期が回想されている。「ふりつもるみ雪」として表現される連合国による占領を我慢し、「いろかえぬ松」と表現されているように耐え忍ばなくてはならないとされているのである。あるいは昭和天皇自身はそうなのかもしれない。しかし、占領期の多くの国民が天皇と同じ意識であったわけではない。もちろん、占領による苦しみはあった。しかし、また、戦争責任をとらない昭和天皇も批判されていたのである。

そして、この7年の中で、現行の日本国憲法は制定され、教育基本法などの現行の法制度の多くはつくられた。しかし、この式辞では、そのような憲法なども、主権喪失の産物であり、日本人自体がつくったものではないということを暗示しているのである。

そして、この式辞では、国際社会復帰について言及している。この式典の正式名称は、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」であり、安倍晋三としては、国際社会に参加する契機となったことも、この式典で記念していくべきことなのである。

61年前の本日、国会は衆参両院のそれぞれ本会議で主権回復に臨み4項目の決議を可決しております。

 一、日本は一貫して世界平和の維持と人類の福祉増進に貢献せんことを期し、国連加入の一日も速やかならんことを願う。

 二、日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す。

 三、日本は領土の公正なる解決を促進し、機会均等、平等互恵の国際経済関係の確立を図り、もって経済の自立を期す。

 四、日本国民はあくまで民主主義を守り、国民道義を昂揚(こうよう)し、自主、自衛の気風の振興を図り、名実ともに国際社会の有為にして責任ある一員たらんことを期す。

 以上、このときの決議とは、しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたいと、そういう決意を述べたものだといってよいでしょう。

 自分自身の力で立ち上がり、国際社会に再び参入しようとする日に、私たちの先人が自らに言い聞かせた誓いの精神が、そこにはくみ取れます。

 主権回復の翌年、わが国の賠償の一環として当時のビルマに建てた発電所は、今もミャンマーで立派に電力を賄っています。主権回復から6年後の昭和33年には、インドに対し戦後の日本にとって第1号となる対外円借款を供与しています。

私の目からみれば、主権回復に際して出されたこの国会決議を安倍晋三が述べることは皮肉に思える。しかし、安倍は大真面目でこのことを主張している。つまりは、「日本国民はあくまで民主主義を守り、国民道義を昂揚(こうよう)し、自主、自衛の気風の振興を図り、名実ともに国際社会の有為にして責任ある一員たらんことを期す」ということが主権回復にはこめられていたし、今後の日本も重視していかねばならないというのである。つまり、安倍は自覚としては「民主主義者」であり「国際協調」を旨とする人なのである。他方で、安倍晋三には、「しっかりと自立した国をつくり、国際社会から敬意を集める国にしたい」という意識もある。これは、たぶん「大国主義」ということになろう。

ただ、では、アジア諸国についてはどうか。安倍が引用した国会決議では「日本はアジアの諸国と善隣友好の関係を樹立し、もって世界平和の達成に貢献せんことを期す。」とある。しかし、安倍が出してきた事例は、経済援助ばかりである。この式辞において、アジア諸国については「恩恵」の対象であり、対等な立場ではみていないのである。日本の「大国」化の反面にはアジア蔑視があるといえよう。

次に語られるのは、日本の伝統なるものを持ち出して語られる戦後日本の「成功神話」である。しかし、戦後日本において幾許か成功なるものがあったとしても、その成果が否定される時期に語られるというのは皮肉なことである。

主権回復以来、わが国が東京でオリンピックを開催するまで費やした時間はわずかに12年です。自由世界第2の経済規模へ到達するまで20年を要しませんでした。

これら全ての達成とは、私どもの祖父、祖母、父や母たちの孜々(しし)たる努力の結晶にほかなりません。古来、私たち日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ってきた豊かな伝統があります。その麗しい発露があったからこそ、わが国は灰燼(かいじん)の中から立ち上がり、わずかな期間に長足の前進を遂げたのであります。

そして、次に、サンフランシスコ平和条約のもつ不十分さが語られることになる。

 

しかしながら、国会決議が述べていたように、わが国は主権こそ取り戻したものの、しばらく国連に入れませんでした。国連加盟まで、すなわち一人前の外交力を回復するまで、なお4年と8カ月近くを待たねばなりませんでした。

 また、日本に主権が戻ってきたその日に奄美、小笠原、沖縄の施政権は日本から切り離されてしまいました。とりわけ銘記すべきは、残酷な地上戦を経験し、おびただしい犠牲を出した沖縄の施政権が最も長く日本から離れたままだった事実であります。

 「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」。佐藤栄作首相の言葉です。沖縄の本土復帰は昭和47年5月15日です。日本全体の戦後が初めて本当に終わるまで、主権回復からなお20年という長い月日を要したのでありました。沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなしません。私は若い世代の人々に特に呼び掛けつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います。

日本の国連参加が遅れたのはソ連の拒否権発動であったためであり、その意味で、おぼろげに「単独講和」であった平和条約の問題性がふれられている。より鮮明にあらわれているのは、沖縄・奄美・小笠原が日本から切り離されたということである。ただ、この式辞では、結局のところ、これらの諸地域が日本から切り離されたことだけが問題にされている。独立論すらあった沖縄において、日本から切り離されたことだけが、苦難だったわけではない。多くの米軍基地が設置され、アメリカに統治されたことのほうが、戦後の苦難としては大きいのである。この式辞では、米軍の「加害」にはふれず、日本の施政権下にあったかなかったかといういわばナショナリスティックなことだけが「苦労」とされているのである。

そして、ここで、かなり唐突に、東日本大震災に対する国際的支援についてふれている。

 

わが国は再び今、東日本大震災からの復興という重い課題を抱えました。しかし同時に、日本を襲った悲劇に心を痛め、世界中からたくさんの人が救いの手を差し伸べてくれたことも私たちは知っています。戦後、日本人が世界の人たちとともに歩んだ営みは、暖かい、善意の泉を育んでいたのです。私たちはそのことに深く気付かされたのではなかったでしょうか。

中でも米軍は、そのトモダチ作戦によって、被災地の人々を助け、汗と、時として涙を共に流してくれました。かつて熾烈(しれつ)に戦った者同士が心の通い合う、こうした関係になった例は、古来まれであります。

こういうことに東日本大震災をひきあいにだすのなら、より被災者によりそった形で復旧をはかってほしいと思う。ただ、それはともかく、ここで式辞が主張していることは、国際社会、とりわけ米軍が、日本に対して救いの手をだしてくれたということである。まず、国際社会=米軍という意識がそこにあるといえよう。安倍晋三らにとって、国際社会とはつまり米軍のことなのである。そして、さらに、ここで米軍の「救いの手」を強調することで、沖縄が実際に味わってきた米軍による加害が無効化されるのである。

そして、ある意味では危機感をあおりつつ、次の三点にわたって、安倍は日本の将来的課題を述べて、この式辞を終えている。

 

私たちには世界の行く末に対し、善をなし、徳を積む責務があります。なぜなら、61年前、先人たちは日本をまさしくそのような国にしたいと思い、心深く誓いを立てたに違いないからです。ならばこそ、私たちには日本を強く、たくましくし、世界の人々に頼ってもらえる国にしなくてはならない義務があるのだと思います。

 戦後の日本がそうであったように、わが国の行く手にも容易な課題などどこにもないかもしれません。しかし、今61年を振り返り、くむべきは、焼け野が原から立ち上がり、普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て、貧しい中で次の世代の教育に意を注ぐことを忘れなかった先人たちの決意であります。勇気であります。その粘り強い営みであろうと思います。

 私たちの世代は今、どれほど難題が待ち構えていようとも、そこから目を背けることなく、あのみ雪に耐えて色を変えない松のように、日本を、私たちの大切な国を、もっと良い美しい国にしていく責任を負っています。より良い世界をつくるため進んで貢献する、誇りある国にしていく責任が私たちにはあるのだと思います。

 本日の式典にご協力をいただいた関係者の皆さま、ご参加をくださいました皆さまに衷心より御礼を申し上げ、私からの式辞とさせていただきます。

まず、第一点は、「大国化」である。安倍は「私たちには日本を強く、たくましくし、世界の人々に頼ってもらえる国にしなくてはならない義務がある」としている。

第二点は、「民主主義」の堅持ということになろう。一応、自由民主党は党名に「自由」と「民主」をいれている。彼らは「普遍的自由と民主主義と人権を重んじる国柄を育て」ていくというのである。皮肉にしか思えないが、結局、国際社会ーアメリカー米軍の前提のもとでしか主権維持はありえないのであり、アメリカの価値観からおおいにはずれるような政体は許されないということになろう。いうなれば、「主権回復」=「国際社会復帰」というこの式典のネーミングは、意外に深い問題を指し示しているといえる。もちろん、安倍にとって、国際社会なるものは第一義的にはアメリカである。「主権回復」=「対米従属」と考えれば、より状況を明確にとらえられるといえよう。

第三点は、再び昭和天皇の「松」を出し、日本を「もっと良い美しい国にしていく」ということを課題としている。「もっと良い美しい国」というのはまったく抽象的でとらえどころがないのだが、ここで昭和天皇の「松」が出されていることによって、意味内容が暗示されている。つまり、雪にたとえられる占領期の圧力からの「解放」がここでは意味されているといえよう。そこには、戦後憲法も含まれるのである。

安倍晋三の式辞を見る限り、このような意義が「主権回復の日」式典がこめられているといえよう。しかし、ここには矛盾も内包している。主権回復と国際社会復帰が重ね合わされており、それは究極的には、主権維持=対米従属ということに結びついているといえる。もちろん、このこと自体が矛盾の塊だが、とりあえず、さしあたっては、日本国家は、アメリカの価値観から大きく外れるわけにはいかないということになるだろう。安倍も「民主主義者」を自称し、自由民主党も「自由」と「民主」を党名にするという皮肉な事態がそこには発生する。

他方で、昭和天皇の「松」と「雪」に暗示させているように、彼らのいう占領期の憲法などの「押し付け」を打破して「主権回復」にふさわしい「もっと良い美しい国」をつくるという欲望がここには表出されている。しかし、そもそも、彼らのいう憲法などを「押し付けた」のもアメリカであり、もし彼らがいうように「もっと良い美しい国」などというものを確立したとして、アメリカが認めない可能性が生じるのである。結局、この主権回復の日記念式典の安倍晋三の式辞は、安倍などの日本の歴代政権がかかえている矛盾を、ここでもまた表出させているといえよう。

典拠:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130428/plc13042822120012-n1.htm

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