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江戸郷周辺図(『新編千代田区史』通史編より)

江戸郷周辺図(『新編千代田区史』通史編より)

江戸―東京の通史は、それこそ、この地域に人類が居住を開始した旧石器時代まで遡ることができる。しかし、都市としての江戸―東京の始まりは、「江戸」と名付けられた地域に遡及することができるだろう。古代律令制の時代、後の江戸―東京の中心部は、武蔵国豊島郡湯島里と武蔵国荏原郡桜田里に所属していたとみられる。中世になってはじめて、武蔵国豊島郡江戸郷が成立した。そこから江戸が始まったのだ。

といっても、「江戸郷」とは、どこか。近世の江戸は、始まりの「江戸」から著しく拡大している。そもそも、「江戸」はどこかが問題なのだ。そのためには、「江戸」という言葉が、何をさしているかを考えてみなくてはならない。

『新編千代田区史』通史編は、「江戸」の語源について、「入り江(江)の口(戸)」、「アイヌ語の岬・端(ハナ)のetu」、「江所」などの諸説を紹介した上で、「入り江の口」とするのが最もよく理解できるとしている。

「江戸」の語源が「入り江の口」とした場合、その入り江とはどこかとなるのだが、現在、その入り江は、皇居前から日比谷公園にかけて存在していた日比谷入江に比定されている。

そして、「江戸」は、日比谷入江に臨んでいた、現在の江戸城本丸・二の丸・三の丸・北の丸地域を中心にしていると考えられるのである。

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昨日、法政大学で開かれた「第72回民衆思想研究会」に参加した。同会の全体テーマは「越境する『共同体』ー北方域を中心にー」であった。第一報告は、塩屋朋子「秋田藩城下町久保田の感恩講にみる都市社会」であり、具体的には、近世後半の久保田(現秋田市)において、藩御用達町人を中核として、貧民救済を目的とした、自生的な「共同体」である「感恩講」が成立したことを論じている。第二報告は、新藤透「<場所共同体>の諸相ー『和風改俗』と関連させて」であり、和人によるアイヌの一方的な搾取の場であったととらえられてきた「場所」は、実際にはアイヌと和人の「共同体」を形成しており、幕府の「和風改俗」政策の受け皿となったしている。第三報告の坂田美奈子「アイヌ口承文学とともに考える<場所共同体>論ーアイヌ=エスノヒストリーの立場から」は、アイヌの口承文学からアイヌ・和人の生活の場としての「場所」が成立していたと指摘している。
この三報告に対して、比較的年長の世代は、かなり厳しく批判していた。例えば、国家権力の問題はどうなるのかなどと質問していた。まあ、そういう意見も出るだろう。
ただ、国家権力の作用をすべての局面にみるということのほうも問題なのではないか。今回の三報告は、日常的には国家権力と意識的に対峙しているわけではない現代の社会風潮を現しているともいえる。
さらにいえば、年長の世代も、今回の三報告も、強制力としての、「暴力装置」を介しての、「国家」が直接に関与しない場を予定調和的「共同体」として把握していることも問題ではないか。近現代においての「権力」とは、資本ー労働、男性ー女性、マジョリティーマイノリティなど、直接的には国家の強制力の発動がなく行使されている。そういった、現代社会を見る目で、過去を見ていかなくてはならないのではないか。その意味で、すべての歴史は現代史であるといえよう。

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