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Posts Tagged ‘『歴史学研究』’

前のブログで、私が所属している歴史学研究会発行の雑誌『歴史学研究』10月号の「東日本大震災・原発事故と歴史学」の緊急特集の中から一部紹介した。ここでは、歴史資料保存活動を中心にみてみよう。下記に目次をあげておく。

『歴史学研究』10月号(884号)
緊急特集 東日本大震災・原発事故と歴史学

特集によせて………………………………… 歴史学研究会委員会(1)
[論文]
東日本大震災と歴史の見方 …………………………………平川新(2)
地震・原発と歴史環境学-9世紀史研究の立場から……保立道久(8)
東日本大震災と前近代史研究……………………………矢田俊文(12)
災害にみる救援の歴史-災害社会史の可能性…………北原糸子(16)
東日本大震災と歴史学
 -歴史研究者として何ができるのか-…………………奥村弘(21)
[史資料ネットワークから]
歴史遺産に未来を
 -東日本大震災後の歴史資料レスキュー活動-……佐藤大介(27)
「茨城史料ネット」の資料救出活動
 -3・11から7・2へ-………………………………… 白井哲哉(30)
ふくしま歴史資料保存ネットワークの現況と課題……阿部浩一(32)
[論文]
原発と地域社会-福島第一原発事故の歴史的前提-…中嶋久人(34)
マンハッタン計画の現在…………………………………平田光司(40)
原子力発電と差別の再生産-ミネソタ州プレイリー
 ・アイランド原子力発電所と先住民-………………石山徳子(48)
記録を創り,残すということ……………………………三宅明正(54)
言論の自由がメルトダウンするとき
 -原発事故をめぐる言説の政治経済学-……………安村直己(59)

全体でいうと、一番大きい比重をしめているのが、歴史資料の保存活動ということができる。津波や地震に被災した歴史資料を救出する活動である。一般的には、津波や地震に被災した地域に、歴史研究者たちがボランティアでおもむき、おもに文書を中心とした歴史資料を救出し、破損していた場合は修復するという活動である。本特集では「史資料ネットワークから」というコーナーに、宮城・茨城・福島三県における活動報告がのせられている。また、平川新さんの「東日本大震災と歴史の見方」も、半分くらいは平川さんが中心になって進められている「宮城資料ネット」の活動が紹介されている。さらに、奥村弘さんの「東日本大震災と歴史学ー歴史研究者として何ができるのか」という論文も奥村さんが関わってきた阪神・淡路大震災における被災歴史資料保全活動についての経験を前提としたものである。

東日本大震災の際、私の周囲の歴史研究者でも、歴史資料の保存ボランティア活動に従事した人たちが多かった。行かないまでも、福島第一原発事故の話題の次に歴史研究者たちが話したことは、歴史資料保存活動であった。それこそ、阪神淡路大震災において奥村弘さんなどの被災資料保全活動は、災害において歴史研究者が行うことと、強く印象付けられていたためということができよう。宮城などは、今回の震災前から活動が組織されたときいている。その意味で、阪神・淡路大震災の経験は、歴史研究者の災害における実践活動の型として結実していたといえる。ある意味での、歴史研究者の、職業的関心から行うところの社会参加ということができよう。

そして、それは、単に、歴史資料の物理的な保存活動にとどまるものとしてはいけないだろう。奥村さんは、前述の論文の中で、このようにいっている。

地域の歴史の中で生きてきた被災者にとって、生活再建はその歴史的な現在の上にしかない。にもかかわらず、そのような視点は阪神・淡路大震災時にはほとんど顧みられることがなかった。

このことは、今回の大震災でもとわれていると、奥村さんは述べる。その上で、歴史研究者のなすべき課題として、このような提言を行っている。

歴史の深さにささえられて、豊かなイメージを持って現在を語りうる、そのような市民社会を形成する点において、歴史に関わる専門家は、現代社会に対して大きな役割を担っている。歴史的に考えるということが、被災地での生活再建において焦点となっているということは、具体的イメージをもって日本社会の未来を捉える際、歴史学が重要な位置にあること、社会的に大きく期待されていることを示している。その意味で、震災においてなすべき責務が今、私たちに問われているのではなく、私たち歴史研究者が、歴史的イメージをもって未来を考えていくことを社会通念にまで高めえたかどうかが、大震災の中で厳しく問われているのである。

単に、歴史資料を保存しているだけではないのである。歴史を前提として、未来を考えていくことが歴史研究者の責務であると、奥村さんは主張している。

私自身が、「東日本大震災の歴史的位置」と題して、必ずしも専門ではないことを本ブログで述べていることも、そのような思いからである。そして、このような実践を行うことで、必ずしも社会的分業の中で十分な地歩を占めているとはいえない歴史研究者の存在を少しでも固めていくことになると考えているのである。

一見、現状からみれば迂遠のような歴史的過去、それを前提として未来を考えていくこと、それが歴史研究者の課題なのだと、私もいいたいのである。

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