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Archive for the ‘水産特区’ Category

2011年7月20~22日(つまり、このブログを書いている22日現在ということになるが)、女川町復興計画公聴会が開かれている。7月20日午前は高白浜(五部浦中心)で、午後は女川第二小学校(市街地中心)で、21日午前は女川高校(浦宿中心)で、午後は女川町復興連絡協議会会館で、22日午前は旧女川第三小学校(北浦中心)で行われることになっている。対象地域には送迎バスが出ることになっているとのことである。ただ、復興連絡協議会会館以外は、どれにでてもいいということになっている。

この女川町復興計画公聴会について、東京ではあまり報道されていない。ただ、テレビ朝日が20日夜の「報道ステーション」と21日朝の「やじうまテレビ」で報道されていた。

公式のホームページではないが、「テレビでた蔵」サイトでは、次のように要約している。私自身もみたが、大体、この内容であっていると思う。なお、これは報道ステーションの報道を要約したものであるが、「やじうまテレビ」報道も同様であった。

原発抱える被災地で 「復興」と「脱原発」…住民の苦悩
宮城・女川町では復興計画の意見交換会が役場で行われた。東日本大震災から4ヶ月以上経った今も不満を感じており、女川町の復興費用は推定で3350億円と見られている。この町にある女川原発は、東北電力の最初の原発として1984年に営業運転を始めていた。

宮城・女川町には原発による交付金で作られたものが多い。政治家の発言通り脱原発が進めば、女川町の歳入は大きく減る可能性がある。

女川町立病院は毎年町から約5億円の補填を受けており、復興費用で町の負担が増えれば病院が閉鎖する事態もありうる。女川原発がなくなると、女川町は成り立たないという。反対派は人名に関わるような被害を及ぼす原発は見直すのは当たり前という考えを示している

(http://datazoo.jp/tv/%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3/500264)

無関心よりはいいと思うが……。私にとっては、なんとなく違和感がある記事である。これまでの女川町復興計画公聴会においては、まずは集落の高地移転、漁港集約化が問題となっており、さらに仮設住宅や仮設店舗の設置や漁港の整備などが中心になっているようにみえた。実際、多少原発問題は出ているのであるが、メインの問題にはみえなかった。メインの問題ではないということ自体が問題でもあろうが。

実際、公聴会の映像をみても「高台移転」は議論されていたが、原発問題を議論している印象は薄かった。

なお、財政問題であるが、毎日新聞のサイトは、7月15日付で、次のように報じている。

 

(前略)
「原発事故が発生すれば復興計画も意味のないものになる」

 5月27日、女川町が復興計画を策定するため、県立女川高校で開いた公聴会。町の「復興計画策定委員会」が5月に公表した復興方針に原発への言及がないことに、町民から疑問の声が出た。

 震災で緊急停止した東北電力女川原発は町中心部から車で約30分、牡鹿半島の中ほどに位置している。営業運転が始まったのは1984年。町は見返りに、多額の固定資産税と電源3法交付金という恩恵を受け、原発は最大2000人規模の雇用も生んだ。

 電源3法交付金は電源開発促進税法など三つの法律に基づき、原発などの発電所を受け入れた立地自治体に交付されている。09年度の女川町の歳入総額は約64億円。このうち、固定資産税と電源3法交付金を含めた原発マネーの割合は65%に達し、全国最高水準だ。

 町は潤沢な財源で避難所となっている町総合運動公園や観光拠点施設、町立病院といったハコモノを相次いで建設してきた。施設の維持・管理費だけでなく、施設で働く看護師や保育士などの人件費まで交付金でまかなう。「原発があるから予算が組めた」(町幹部)というのが実態だ。

 町の基幹産業だった水産業は、震災で壊滅的な被害を受けた。町財政の減収は避けられず、固定資産税と電源3法交付金の比重は増す。東京電力福島第1原発の事故で原発リスクが高まる一方で、復興計画を実現するため、町はこれまで以上に原発マネーに頼ろうとしている。

 しかし、福島第1原発の事故を受け、住民の意識は変わり始めた。女川原発に近い沿岸部に暮らす主婦(61)は「原発にもろ手を挙げ賛成、と言えなくなった」。息子は家業の漁業を継がず、女川原発で20年以上働いてきたが、やはり「脱原発」の議論が気になるという。

 選挙を控えた現職町議も住民意識の変化を敏感に受け止めている。阿部繁町議(46)は「今、脱原発を言わずにいつ言うのか。原発ありきでない町の復興計画にしないといけない」と話す。一方、町幹部は「原発の是非を巡る議論が始まれば、復旧・復興が遅れかねない」ともらす。

 「これまで選挙の時に原発なんか、話したことがない。でも、人間が制御できないものを造っていいの、と率直に思うのよね」

 当選6回を数える女川町議会の木村征郎議長(66)は、次期町議選の争点として原発論議が浮上するとの見方を示した。町財政の大前提だった原発を巡り、定数14の町議会も揺れている。【青木純】
(http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110715ddm002040081000c.html)

実際、このような発言が5月27日の女川町市街地を対象とした公聴会でなされており、まだしも説得力がある。ただ、この発言だけで、この公聴会を要約してよいのかといえば、それにも違和感がある。

確かに、脱原発かいなか、女川町にとっても重要な問題である。その気運が女川町に出ていることを伝えるのも重要であろう。これらの報道は、公聴会というよりも、原発問題についてのインタビューを中心に構成されている。その努力は認めるべきであろう。

しかし、復興計画公聴会で出された、女川町にかかえている問題はそれだけではないのである。3350億円が復興費用としてかかると算出されている。一方、町の予算は64億円で、その65%が原発関連とされている。確かに平時には重要な財源であるといえるが、復興費用全体を賄うものであろうか。

なんとなく、原発立地自治体という性格のみに着目した、ステレオタイプな報道に思えるのである。女川の場合、①津波被災地であること、②漁業の中心地であること、という二つの性格もあり、それと原発がどのようにからまっていくのかをみていく必要があるのではないか。

次回以降、原発問題も議論された、5月27日の女川町復興計画公聴会をみていきたい。また、現在開かれている公聴会についての報道があれば、紹介していきたいと考えている。

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さて、ふたたび、女川町復興計画案に関する公聴会の景況をみておこう。5月27日、女川町では再度女川町復興計画公聴会が開催された。まず、午前10時から、「女川町復興連絡協議会」を対象に公聴会が行われた。

この女川町復興連絡協議会とは何か。4月14日のMSN産経ニュースは、次のように伝えている。

東日本大震災で被害を受けた宮城県女川町の水産業や観光業の各団体などが14日、新しい町づくりを担おうと女川町復興連絡協議会を発足させることを決めた。同町出身の俳優中村雅俊さんも駆け付け旗揚げ式を行った。

 自らも協議会のメンバーになる中村さんは被害の大きさに驚いたといい、「女川を復興させなければならない。みなさんの手を取り心を満たしたい」と話した。

 水産観光センターが入っていた「マリンパル女川」に、中村さんが持参した「女川の町は俺たちが守る」と書かれた横断幕と垂れ幕をかけ、復興を誓った。

 中村さんは、母校の女川第一小学校も訪問。集まった児童と一緒に校歌を歌い、「みんなの笑顔が避難している人たちを元気づける」と、児童らのサインの求めに応じていた。(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110414/dst11041412540040-n1.htm)

4月14日に、俳優中村雅俊の来訪を契機に、水産業や観光団体を中心として結成された団体ということである。いわば、業界団体を中心としているといえるのである。女川町の共産党議員高野博のサイトによると「女川町の若手4,50人で組織している復興連絡協議会と議会議員の懇談会が午後4時から持たれました。」(5月28日)とあり、その中でも「若手」で構成されているといえよう。

まず、安住宣孝町長は、このように述べている。

今回の計画は、減災という考え方で、命を守ることを第一優先としている。一方で、行政としては、皆様の財産を守ることも重要な責務であるが、今回の災害をふまえると、すべての財産を守ることは非常に困難であり、優先順位を決めて、少しでも財産を守るという考え方としたい。
復興計画の検討には、生活基盤となる商工業の考え方も十分に取り入れる必要がある。そのため、委員会における先生方の検討とともに、皆様とも現実的な商業再生について、話し合っていきたい。
まずは、生活の土台を検討していただきたい。その場合、土地の問題を避けて通ることはできない。具体的な土地の権利を考慮したさまざまな制度を検討することが重要であると認識している。(http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/pdf/iinkai/03_meeting/03_meeting_appendix5.pdf 女川町役場ホームページより)

まずは、「減災」が強調されている。港町である女川町にとって、海辺から完全に撤退することはできないのである。その上で、特に、商工業について、この復興連絡協議会に町長は意見を問うているのである。

女川町復興連絡協議会会員からは、まず、このような意見が出た。

ゾーニングについて、新聞等を見ると「住宅地の高台移転」という方針に対して、現在の場所で継続して暮らしたいとの意見も出ているとのことである。しかし、町の将来の発展という前提に立てば、高台に住宅移転をするということについて合意形成ができていると思う。

住宅の高台移転に原則的な賛意を示しているといえる。その上で、女川湾北岸の水産物加工ゾーンとして設定された宮ケ崎~石浜地区の背後に住宅を確保することは可能か、一等地に設定されている新産業ゾーンには何を建設する予定なのかと質問している。

それに対して、町長は、宮ケ崎地区の背後に住宅を建設することは可能である、新産業ゾーンはいまだ検討が必要であると述べた。その上で、より詳細に、復興構想を物語っている。

住宅地について、総合運動場が海抜32~33m程度、二小が20数m、病院が16mで病院が被災したことを考慮すると、20m前後が津波被害の目安となる。鷲神については、バイパスで18m程度、398号は低い。委員会で盛り土の高さは、5mが限界との意見が出ている。計画では、嵩上げ地の途中に、数ヵ所津波の減衰を目的とした緑地を確保し、少しでも高い場所に宅地を確保する予定である。盛り土の程度については、技術的な検証をしっかり行いたい。また、今後、新たな住宅の確保が困難な高齢者向けに、公営住宅を建設することも視野に入れている。

つまり、委員会で出た盛り土の限界を踏まえて、まさに「減災目的」で緑地帯を設け、住宅地はより20m以上の高台に建設するというのである。一方で、自力再建が難しい高齢者のためには、公営住宅を建設するとしたのである。

また、会員からは、ゾーニング・嵩上げなどの具体的な手法が示されないので不安である、自分の土地がなくなって、新たな土地をどのように求めればよいのかという質問が出た。町長は、今、100坪の土地を持っている人に新たな造成地で100坪の土地を与えるようにしたい、造成地は国の事業で造成するので、現行制度では土地を貸すことのみが認められているが、将来的には住民のものに土地がなるように制度変更を要望していきたい、商業地や加工施設については、同じ場所で確保することは難しいかもしれないが、嵩上げ前の土地の権利は保全すると述べている。

この女川町復興連絡協議会にとって切実な問題は、仮設店舗の確保であった。鈴木浩会長が、宮古のほうで無償でプレハブを経産省から提供されて仮設店舗が建設された事例が紹介されると、協議会会員よりは、このような声があげられた。

仮設店舗については、女川町も検討していたが、公有地でなければならない等、国の条件に満たないため、実現していない。女川高校が候補地であるが、ボーリング調査の結果をふまえてと言うことなので、まだ、見通しが立たない。できれば、町で予算を確保して仮設店舗を確保してほしい。

なんとしても場所を確保したい。今後の復興のスピードに合わせて、どのような仮設店舗を作るかを検討しなければならない。まずは、開始することが重要である。たとえば、海外からトレーラーハウスが提供されていると聞いており、それを仮設店舗として活用することも考えられるが、県に来ている情報が降りてこない。町もFRK(女川町復興連絡協議会)と連携をして積極的に要望をしてほしい。

これから商売をするための方策がない。国の施策を調べると農業への支援はあるが、商工業への支援は融資のみである。我々が頼るのは、町のみである。仮設店舗が設置できるような場所を、町として確保して欲しい。現在、建築制限のある区域において、仮設店舗を建設できるように県に要望をして欲しい。

このような声に対し、町長は、次のように答えている。

個人が声を上げても、国や県は動かない。協同した流れにより、行政機関は動く。民間の支援も含め、できることから意見をまとめて、動き始める必要がある。
(中略)
FRK(女川町復興連絡協議会)の部会で具体的な意見をまとめて要望をして欲しい。行政機関としては、個人事業者個別への支援ができない。複数の事業者が活用するのであれば、支援をすることができる。

基本的には、漁業の集約化と同一の論理が町長の意見に現れているといえる。町長によれば複数の事業者が「協同」することが、国や県の支援を得る道なのである。

なお、一会員から「また、福島県では、100万個の『ひまわり』の種を植えたというニュースを見た。これは癒しの場になり、同じようなことを女川でもやるべきである」という意見が出た。実は、福島県におけるひまわりの植栽は、放射性物質の除染が目的であり、癒しの場を与えることは主目的ではないのであるが…。 女川町において「癒し」が切実に求められた証左と解釈すべきであろう。

このように、業界団体としての女川町復興連絡協議会においては、住宅の高台移転に反対の意見は出ておらず、具体的なやり方について、議論が出たといえる。他方、より切実な問題としては、仮設店舗の建設が望まれ、町長は、漁業集約化と同様に、国・県の支援を引き出すものとしての「協同」化を求めたといえるのである。

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さて、今回は、女川町北部の漁村地帯である北浦地区(桐ケ崎・竹浦・尾浦・御前・指ケ浜)を対象に5月22日に開催された女川町復興計画公聴会の景況をみておこう。前回みた南部の五部浦地区はその日の午前中に行われたが、北浦地区では午後に開かれた。

なお、もう一度、ここの地域の移転計画をみておこう。指ケ浜と御前浜は、御前浜の現在地よりやや北側であるが御前浜内の高台に移転することになっている。桐ケ崎、竹浦、尾浦は、尾浦と竹浦の中間点の高台に移ることになっている。

まず、女川町長(安住宣孝)は、次のように高台移転・漁港集約化について提案した。

皆さんが長く苦しい避難生活を送っている。今回の被害規模は非常に大きく、町内住宅の約7割、会社は8割が流出している。
国・県の動向と町の状況を勘案し、今回、案を示させていただいた。町民の方々にどの程度ご理解をいただけるのか。多くのご意見を伺いたい。
太平洋側のほとんどの地域、漁港が地盤沈下しており、現状復帰では駄目な状況である。護岸の必要の高さを調査し、嵩上げを行う必要がある。
宮城県でも復興計画が進んでおり、県と協力し復興を推進するため、宮城県土木部の次長が女川町復興計画策定委員のメンバーに入っている。従来の陳情形式だけでは頼りなく、国会議員にも実際に現地を見てもらい、町も早く計画を出すことで予算も付けてもらえると思う。
すべてを津波から守るのは困難であるが、命を守るために居住地を高台に移転することとしている。公共施設(役場・消防・病院など)も高台に置くよう整理していく方向で皆さんにご理解を求めたい。半島部も同様に高台に、宅地は造成するので、できれば2つを1つにとか予算を集中しやすいように集約したい。漁港も集中的に早期整備し、できるものからやっていくという提案が今日の議論の中心である。町全体が津波を意識した姿を作りたいと考えており、8月のお盆前には復興計画を策定したい。
漁業、居住地は皆さんの問題である。これからの漁業、地区の集約等を充分考え、議論していただきたい。漁業者数、世帯数が減少すれば、その分それぞれの力が弱くなる。また、集約すれば福祉、医療等の行政サービスもプラスになってくる。

五部浦地区の公聴会よりも、国・県の動向を考慮したことを強調しているといえる。

このような、町長の提案に対して、地域住民の反応はさまざまであった。


(御前浜と指ケ浜の中間で、小さな川が流れていて、道が大きく湾曲する地点が移転予定地点である)

例えば、自己の部落内に住宅地が建設される御前浜の住民は、このように述べた。つまりは、原則賛成なのである。

(御前浜)
ラジオで聞いたが、今回の地震と違う場所で、また地震が起きる可能性があるという。今回の案では、指ケ浜と御前浜が一緒になると思う。それには賛成だがもっと良い場所もある。

一方で、御前浜に吸収合併される形になる指ケ浜住民は、このように述べた。

(指ケ浜)
この災害により残っている多くの者が漁民である。5つの地区をまとめる案のようだが、少し手をかければ使えるところもある。指ケ浜の漁港を捨てて御前に行かねばならないのか? 指ケ浜の山も切れば良い高台となる。

このように、反対なのである。さらに、指ケ浜住民からは、部落内の漁業者の協同も協同ではないのかという発言があった。

(指ケ浜)
これまで指ケ浜では24人の漁業者がいたが、この災害で10数名になる。すべて漁業者だ。100%本気で漁業をやる者ばかりであり、その者が協力することは協同ではないか?(後略)

一方で、町長は「漁業者の熱意が協同ではなく、実際に何をどのような仕組みで協同するのかを考えて欲しい」と述べている。熱意だけでは協同にならないというのである。


(竹浦北側で尾浦との中間点周辺が移転予定地点である)

一方、どの部落からも離れた高台に移転することになっている、尾浦・竹浦・桐ヶ崎の地域住民の意見も多様であった。

竹浦の住民は、このように語っている。

(竹浦)
今、秋田仙北市に二次避難しているが、故郷である竹浦地区に住みたい。コスト、時間がかかることも分かるが海の見える故郷に住み、この傷を癒したい。この浜の瓦礫撤去作業をした際にも自分の浜だからこそ、瓦礫を取り除く手に力が入る。みんなにも自分の浜の復興だからと声を掛け作業してきた。私たちのこの気持ちを国にも伝えて欲しい。

しかし、桐ケ崎の住民は、このように述べている。

(桐ケ崎)
北浦地区の漁港を、例えば石浜に集約してはどうなのか? より安全な場所で大きな漁港にしてほしい。


石浜とは、女川町中心部の市街地に接している地域であり、実際のところは、中心部の女川漁港の一部である。この発言は、女川町北部の漁港全体を女川町中心部に統合すべきという意見であり、女川町の提案よりも過激なものであった。

さすがに、町長は、

(町長)
5つの漁港の隻数を考えたときに、石浜では困難である。1人3隻ほど普段であれば所有していたはず。その辺も検討していく。

と答えていた。

このように、五部浦地区と違って、すべてが漁村・漁港の集約化に反対しているという状況ではなかった。集落ごとに意見は違っている。自身の集落・漁港に依拠して復興すべきという者もあり、女川町の提案以上に、北部の漁港をすべて女川漁港に統合するという意見すらあった。前に見た『朝日新聞』では五部浦地区の状況を報道しているが、北浦地区は違っているのである。

それ以外、切実な要望が出された。高台移転の場合の所有地の補償、自力では自宅を再建できない高齢者のために北浦地区での町営住宅の建設、独自での高台移転、仮設住宅の入居期間の延長、市街化区域の建築制限、被災しなかった住宅を集約化するかいなか…等々。

そして、指ケ浜の住民は、「今年の秋にも漁業の仕事が出てくる。漁港の部分的な嵩上げはできないのか?」と問いかけた。それに対して、水産農林課長は「12ケ所の漁港すべてが地盤沈下している状況である。被害の大小があるが、優先順位を付け整備する。県の水産漁港部で調査して判断されることになる」と答えた。結局のところ、県の動向が漁港整備を左右しているのである。

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2011年5月9日の第二回女川町復興計画策定委員会をうけて、女川町では、5月22日から復興計画公聴会を実施した。ここでは、女川町南部の漁村集落である五部浦地区(高白・横浦・大石原・野々浜・飯子浜・塚浜・小屋取)の住民を対象として5月22日の10時から行われた公聴会の模様から、漁村集落・漁港集約化の問題をみてみよう。前回のブログで書いたように、この地域は、大石原・野々浜の後背地の高台に集中移転することを町は提案している。なお、議事録は、問題別に編集しているので、このままの順序で話しているわけではないことを付言しておく。

〇漁村集落・漁港集約のメリットを主張する女川町長
まず、町長の発言から、漁村集落・漁港集約化の意味をみておこう。

女川町長は、まず、このように述べている。

今日は、町としての集約の案を示すが、五部浦地区の漁業のあり方、生活のあり方について、皆さんの意見を聞きたい。家をすべて流されており、住居の高台移転については、皆さんの理解を得ていると考えている。
すべての漁港を、同時に整備することは何十年かかるか分からず、現実的には困難である。女川町内の居住地や漁協を数箇所にまとめて集中的に整備すれば、時間的メリットが生まれる。また、組合、支部がまとまり協同で漁業をすれば公的なお金を出すこともあり得る。しかし、従来どおり7~40世帯で漁港・集落も別々では、皆将来への不安は持っているはずであり、ある規模にまとまる方法もある。地区が集約し世帯がまとまっていれば行政的なメリットもある。
五部浦を1箇所にと町長が言えば、馬鹿を言うなという皆さんの気持ちも分かる。しかし、各漁村の世帯数は少ない。10年後、20年後を考えた時、本当に各浜で良いのか考え、本音で議論して欲しい。対立する場ではない。最終的には皆が決めることである。

(http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/pdf/iinkai/03_meeting/03_meeting_appendix5.pdf 女川町役場ホームページより)

概括すれば、①高台移転は合意を得ている、②漁港・漁村集落を集約化すれば、整備も急いでできるし、公的資金も受けることができる、③小規模の世帯では将来不安のはずである、ということになろう。それがメリットとして町長は語っているのである。

〇漁村集落・漁港集約化に反対する地域住民
この町長の発言に対し、この地域の住民は、ほとんど集約化に反対の意見を述べた。

(野々浜)
各地区の支部長や区長と話合ったが、集落の集約化は認められないとの結論である。現在の集落の背後、高台に居住地を設けて欲しい。

(塚浜)
住民と話し合ったが、塚浜地内に居住地を設けて欲しいとの結論になった。土地の保証は、どうなるのか?

(中略)

(塚浜)
先祖代々受継いだ土地で漁業を営むことでパワーを感じている。漁師はそのようなものだ。ぜひ、各浜の高台に宅地を設けていただきたい。であれば、復興に向けて努力する。

(中略)

(高白)
みんなと同じ意見である。どこにも離れたくない。

しかし、各集落の住民にもジレンマがあった。結局、自力で住宅を再建する資力がないのである。

(塚浜)
高台への移転は分かるが、従来どおりの集落を設けて欲しい。町内(町の中心部の意味)に人が流出することも避けたい。
家、船、養殖施設も流出し、自力で家を建てることは困難である。地区内に町営住宅的なものを建設できないか?

(中略)

(大石原浜)
大石原地区に残りたい。土地は充分にある。しかし、住宅を建てることは考えていない。

町長は、近隣の塚浜・小屋取地区の集約化を求めた。しかし、それも拒否された。

(町長)
塚浜、小屋取地区の高台は2つの地区の中間点となる。それでも、集約できないのか?

(塚浜)
皆で話し合ったが無理だった。塚浜、小屋取地区で話合いを行ったが、地先権の問題もあり物別れとなった。

この塚浜の住民からの発言は重要である。集落前の沿岸に対する漁業権を「地先権」というが、そのために集落の集約はできないとしているのである。この地域の場合、集落と漁業権は一体なのである。

〇漁港早期再建を望む地域住民
地域住民としては、漁港の早期整備を望んでいた。次に示しておこう。

(飯子浜)
飯子浜区民で、復興プランを議論しており、宅地の民有地借上げも話している。個人漁業やグループ化についても考えている。とにかく早期の漁港整備を町にお願いしたい。

(町長)
現状において地盤が沈下し、満潮時はひどい状況である。どこの地域においても嵩上げは必要であるし、背後地の問題や土地利用についても使途や調達方法など、各地区での議論が必要だ。すべての港を一斉に整備することは時間がかかるので、優先順位をつけさせてもらう。

(塚浜)
被害の少ない港を先に整備して、早期再開したいのが皆の気持ちである。

(町長)
優先順位をつけて早期整備を考える必要がある。

結局のところ、全ての漁港を同時に整備するということは難しいのである。

〇民間企業の漁業参入への対抗としての漁村・漁港の集約化を主張する女川町長
町長は、反対意見に対し、民間企業の漁業参入への対抗としての集約化を主張した。

(町長)
漁業は、競争して力が出ることも分かる。世帯数が減れば使える場所が増えるが、民間企業が漁業に参入した場合、皆さんは対抗できるのか? 結束して力を高める時ではないのか。1回話しをして駄目であっても、何度も議論していただきたい。ここで結論を出すつもりは無い。国とか相手の気持ちを動かすには前進の姿勢も大事であるので、可能性を探ってほしい。

(中略)

(町長)
前述のように大手企業が漁業に参入したときに、資本力や手法の違いから協調するのは難しい。日本が海外で企業としてペルーやノルウェーで漁業を展開しているように、会社㋐組織として運営している。災害時として生産量が期待される中で、企業が経営した方が効率的という考え方もある。それを防ぐためにも協同で漁業はできないものかという話し。女川町に民間が漁業に参入してから騒ぐのか、それを防げるだけの結束があるのか。いろいろ政治的なかけ引きが出てくる。
高台に地区を集積するメリットは命を守ることが第一である。また、地区が統合することで、インフラ整備、福祉、医療、その他の行政サービス的メリットが大きい。
次の世代、若い世代のことを考え、意見も聞いて皆さんには再度議論して欲しい。

町長は、少なくとも主観的には、地域漁業に対する大資本の参入を防ぐためにも、地域漁業の協同化は必要ではないかとしている。これは、たぶんに、宮城県の水産特区構想を念頭にしていると思われる。そして、「政治的かけ引き」が強調されているが、それは、高台移転や漁港集約化を打ち出す背景として説明していると思われる。高台移転も漁港集約化も宮城県の打ち出している政策なのであって、それは受け入れつつも、大企業の漁業参入は対抗するという姿勢といえるであろう。「国とか相手の気持ちを動かすには前進の姿勢も大事である」もその現れであるといえる。

高台移転、漁港集約化、水産特区など、東京においての議論は、ほぼリアリティを欠いている。しかし、当事者の人々にとっては、切実でありつつ、さまざまな思惑をはらんだ、微妙なものなのである。

さて、このように、女川町南部の漁村集落は、おおむね集約化には反対しているといえる。しかし、すべての地域が反対しているわけではない。次回以降、その景況をみていきたい。

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前回は、5月9日の第二回女川町復興計画策定委員会に提示された、漁村集落・漁港の集約化を主張する女川町復興計画案についてみてきた。しかし、この漁村集落・漁港の集約化は、復興計画策定員会においても、反対意見が出され、推進しようとする町長の間で、議論が交わされるようになった。以下に、第二回女川町復興計画策定委員会議事録のその部分を示しておこう。

(2)離半島部の安全な居住地の確保について
□阿部委員
〇北部・南部については、集約化は困難であるという意見が多い。漁港が破損した状態を役場で見た上でさらに検討をして欲しい。支部長と相談をしたところ、高台移転は同意しているが、集落の集約化は難色を示している。
→町長:仮設住宅は各浜単位で整備をしたい(出島は出島・寺間の中間地点に建設することを了解済み)。将来の浜については、各部落単位で残すか、集約するか、人口減を考慮すると共同で実施しなければならない漁業を考えると非常に悩ましい。現在、高台への移転への意向がある段階で、集約化を図ることも議論していただきたい。事務レベルでは各浜にという考えであったが、町の漁業を一歩前進させるために、今回の案としては集約化を図ることをあえて提示した。この点については、町と各支部と十分に話し合いを進めていきたい。
→阿部委員:漁業権の問題を考えると協業化は困難である。
→町長:権利は県が与えることになる。協業したときに漁業権をどのような形とするかについても議論をしていきたい。8月までには結論が出ないかもしれないが、今回を契機に話し合っていきたい。
→鈴木委員長:資材置き場、番屋など漁業に必要な施設設備の整備についても検討をする必要がある。他の地域でも高台移転が基本で進み始めているが、必ずしもそれが最善策ではなく、個別の対応が考えられる。最終的には地元で決断をすることになるが、方針としては高台移転の記載は残していく。
(http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/pdf/iinkai/02_meeting/02_meeting_report.pdf 女川町役場ホームページより)

反対意見を提起したのは、阿部彰喜である。阿部は宮城県漁協女川町支所運営委員長であり、漁協を代表しての発言といえる。彼は、支部長と相談した結果、高台移転には同意しているが、集落の集約化は難しいとしている。実は、委員には女川町区長会幹事長(斎藤俊美)もいるのだが、漁協の代表者が、集落集約化のことを発言していることに注目しておきたい。漁村において、集落と漁協は一体であると考えられる。復興方針案では、実はあまり明確に漁港集約化を述べていないのであるが、現地の実情では、集落=漁港であり、ともに集約化をすると認識されていたのである。

それに対し、町長(安住宣孝)は、各浜を、集落ごとに残すか、集約化するかは、人口減を考慮して漁業の共同化を構想するならば悩ましい問題であるとした。そして、「現在、高台への移転への意向がある段階で、集約化を図ることも議論していただきたい。事務レベルでは各浜にという考えであったが、町の漁業を一歩前進させるために、今回の案としては集約化を図ることをあえて提示した。」と述べている。つまりは、元々の構想は、集落ごとに復旧する方針であったが、あえて今回の案では、漁業の集約化を考えて、集落の高台移転にからめて、集落の集約化を提起したというのである。

この町長の発言は重要である。つまりは、5月1日の復興計画策定委員会で提起した復興方針案のA案つまり現地復興案をもとにしていたといえる。市街地については、盛り土をしながらも、大きく既成市街地を移転することはしない形で復興方針案はつくられたのであり、おおむねA案の構想にのっているといえる。しかし、漁村集落については、漁業集約化を前提として、事務局案とは違う、B案の近傍地移転復興案が導入されたといえる。

この町長の発言に対して、阿部は、漁業権の問題で協業化は困難であると反論した。それに対し、町長は、漁業権は県が与えるものであり、協業化した場合、漁業権をどうするかは今後議論していきたいと述べた。漁業権の許可権者は県知事であるということをたてにして、協業化を推進しようとしているといえよう。つまりは、宮城県の意向が考慮されているのである。

しかし、鈴木委員長(福島大学名誉教授鈴木浩)は、「他の地域でも高台移転が基本で進み始めているが、必ずしもそれが最善策ではなく、個別の対応が考えられる。最終的には地元で決断をすることになるが、方針としては高台移転の記載は残していく。」と発言している。つまりは、高台移転のみが最善策ではない、地元で決断すべきものであるが、方針案としては高台移転の記載を残すということであった。委員長自身が、高台移転案以外も考慮して地元で判断すべきとしているのである。その意味で、復興計画策定委員会で結論を出すべきものではないとしているのである。このように、復興計画策定委員会に提起された漁村集落・漁港の集約化は、委員会全体で賛成できるものではなかったのである。

なお、市街地で実施する嵩上げについても、議論が出ている。堂賀参事(企画課復興推進課技術参事堂賀貞義)は、湾口防波堤付近の小乗浜では津波の痕跡は15.7mであったが、湾内に入るとしだいに高まり、最高到達点は20.3mとなったと述べている。堂賀は、この結果を参考にして嵩上げの高さを決めるとしている。それに対し、首藤アドバイザー(東北大学名誉教授首藤伸夫)は、20m以上の高台を切り土して、そこに宅地を造成することが妥当である、地盤を埋めても3,4m程度が妥当であり、それ以上であると耐震性が問題であると主張した。また、宮城県土木部次長である遠藤信哉委員も、過度な盛り土は地震動の被害が予想されるとした。このように、既存の市街地の復興方針案についても異論が出されたのである。

このように、5月9日に提起された復興方針案は、復興計画策定委員会においても、異論が提起されたものであった。そして、実際に、5月22日以後住民の公聴会が実施されると、さらに議論をよぶことになるのである。

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さて、前回の第一回女川復興計画策定委員会(5月1日)からわずか9日後の5月9日に開催された第二回女川復興計画策定委員会において、漁村集落・漁港の集約化を打ち出した女川町復興方針案がだされた。

この方針案では、ロードマップが示されている。復旧期が2年、基盤整備期が3年、本格復興期が3年と、合計8年となっている。宮城県の10年で復興するというよりやや短い。

この方針案は、多岐にあたり、非常に興味深いが、集落・漁港問題に限定してみておこう。

女川町中心部については、このように規定されている。

(1)町中心部の安全な居住地の確保
[復興に向けた方針]
〇町中心部の津波被害の軽減のためには、低地部分に盛り土をして、新たな宅地を造成する必要がある。
〇宅地とともに被災した役場等の行政機能の移転や、漁港、観光、商店街の地域の再整理を行い、安全性と利便性を考慮した住みよいまちづくりを目指す。
[復興計画案]
①平地部の嵩上げによる居住地の確保
・平地部の嵩上げ事業の実施
・高台及び嵩上げ後の内陸部での宅地整備
②適切な地域分けによる土地利用の推進[基本構想図参照]
・漁港周辺区域への商工関係施設の配置
・町の中枢機能となる役場の高台への移転
・津波の勢いの減衰を目的とした公園の整備

基本的に女川町中心部の市街地全体を高台移転することを諦め(一部では実施するのだが)、全体を盛り土で嵩上げすることによって対応するということになった。ただ、港に近い所に商工関連施設を配置し、役場などは高台に移転することにしている。そして、市街地には津波の減衰を目的とした公園を設置することにしているのである。

離半島部については、このように述べている。

(2)離半島部の安全な居住地の確保
[復興に向けた方針]
〇平地部分が限られた漁村部は、近隣の高地に新たな宅地を造成する必要がある。
〇災害時により道路が途絶することにより、集落の孤立化が発生する可能性があるため、緊急時の避難手段を確保しておく必要がある。
〇住民の意向を踏まえた上で、集約化等による新しい集落のあり方を検討する。
[復興計画案]
①高地移転
・移転時の選定、高台での宅地の造成
・緊急時避難手段の整備(各集落にヘリポートを設置)
・高台移転後の跡地への、防潮林、漁具置き場等作業場の設置
②集約地域の新たな漁村づくり
・地区協働のまちづくりのあり方の検討

離半島部においては、高台移転がつらぬかれている。さらに「集約化等による新しい集落のあり方を検討する」とあり、集落集約化も提起されている。

加えて、「地区協働のまちづくり」とあり、この一文では、かなり曖昧な形で、漁業の統合が示唆されている。

実際には、離島の出島においては二つの集落を島中心部の高台に集約、高白浜地区以南の南部地域は野々浜大石原後背地に全て集約、北部では、最北部の御前浜はその後背地に、その他は尾浦・竹浦中間地の高台に移転することになっていた。御前浜を除くと、5月1日に出した近傍地移転復興案とほぼ同じである。そして、この移転案こそ、地域住民での議論の的になったものである。

なお、緊急になすべきこととして、このようなことも盛り込まれた。

(1)水産業の応急復旧による早期再開
[復興に向けた方針]
〇港町女川の早期復興のために、基幹産業である水産業の再開を率先して進める。
〇漁港・市場の早期再開の実現・PRを通じて、さらに活力のある復興に結びつける。
[復興計画案]
①被害が少なく緊急に利用できる漁港の整備
・がれき処理、漁港の選定
・応急復旧
②漁船・漁具の確保
・現存の船を集約化した共同利用方式による漁船の確保
・漁協による漁船の共同購入
・漁船保管、漁船修理場及び漁具保管修理等が可能な代替施設・設備の整備
③養殖業の再開
・養殖施設の整備・養殖開始
④市場・水産加工場等の代替施設の整備
・女川町地方卸売市場の代替施設の整備
・漁獲物の処理、保蔵及び加工等が可能な代替施設・設備整備
⑤漁港・市場再開のPR活動
・漁港の再開、再開後の初競り等の段階に応じたイベントの開催、積極的なPR活動の実施
・女川みなと祭り、秋刀魚収穫祭等、従来のイベントの復活祭、新たなイベントの創出

このように、緊急時の措置としてはかなり盛り込まれている。漁港については被害が少ない所から整備するという方針が出されている。これ自体は、漁港集約化とは別の論理であろう。その他、漁船の共同利用・共同購入が提起されている。

恒久的な問題としては、次のように提起されている。

(2)漁港の再整備と水産業の再生
[復興に向けた方針]
〇震災により厳しい財務状況となる漁協に対して、財政面の支援を行う必要がある。
〇設備更新などに合わせて、抜本的な構造改革に取り組むことで、水産業の活性化を図る必要がある。
[復興計画案]
①漁業の復興対策の中核となる漁協の再建
・財務再建支援
②漁業従事者の再建支援
・融資制度の活用
③養殖業の再建
・共同事業体、一口オーナー制度等による再建
④漁港の再整備
・恒久的な活用に向けた整備
・離半島部の宅地移転を踏まえた、夜間、緊急時の港の管理体制の整備

この中では、特別に漁港の集約化まではいっていないのである。

まとめておこう。市街地については、高台移転という形ではなく、平地部の嵩上げという形で、マイルドな復興方針案がだされた。一方、離半島部の漁村集落では、既存の漁村集落を4カ所に集約するという形で、ドラスティックな復興方針案が提起されたのである。そして、漁港の集約化については、かなりオブラートに包んだ形で述べているにとどまっているのである。

この復興方針案は、提起された復興計画策定委員会で、大きな議論をよんだ。次回以降、そのことを紹介したい。

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さて、今回は、最初に提起された女川町復興構想案をみておこう。この女川町復興構想案は、2011年5月1日に開催された第一回女川町復興計画策定委員会で提起されたものである。

この女川町復興計画策定委員会は復興計画策定のために設けられたもので、学識経験者・一般町民・県職員からなる。学識経験者としては東北大学・福島大学・新潟大学の関係者(会長は福島大学名誉教授鈴木浩)と比較的近接した地域から選ばれ、一般町民としては、魚市場買受人協同組合理事長・商工会長・観光協会長・宮城県漁協女川町支所運営委員長・区長会幹事長・婦人会長が委員に選出されている。県関係者では、宮城県震災復興構想会議構成員の木村拓哉(減災・復興支援機構理事長)と遠藤信也宮城県土木部次長の二人である。構成員からいえば、地域主導の色彩が濃いといえる。

まず、復興方針の理念としては、次の三つがあげられている。

○安心・安全な港町づくり[防災]
○港町産業の再生と発展[産業]
○住みよい港町づくり[住環境]

そして、具体的には、A案現地復興案、B案近傍移転復興案、C案大規模移転復興案の三つを提示している。

A案では、現地で復興する案である。女川町市街地では、基本的に現位置で復興することになっている。地盤の嵩上は行わず、国道398号線の高所化―防潮堤化で対応することになっている。女川湾の奥に「交流・にぎわいゾーン」を設置し、町役場などの公共施設を高台に移して「公共施設エリア」とし、港湾部では、観光施設マリンパル女川を再整備して、被災前と同様の店舗・飲食店・サービス施設が集積する「観光・商業エリア」となっている。そして、その中心の女川駅周辺は「交流公園」とすることにしている。一方、女川湾の北岸・南岸は、被災前と同様に漁業・水産関係エリアとすることになっている。

なお、「残さい物を活用した震災復興メモリアルパークの整備(津波対策と災害の伝承・町民の防災意識啓発)」、「災害遺構の保存、復興祈念公園の整備」、「災害遺構を生かしたフィールドミュージアムの実現」とあり、災害遺構を中心とした公園構想があることがわかる。女川町では、被災した建物の保存が打ち出されたと報道されているが、その源流といえるであろう。

一方、半島部及び島しょ部の漁港集落は、A案において「居住地は津波被害を受けにくい後背近接地(高台等)に既存集落を移転整備」することになっていた。「職住近接」とされている。現地ではないにせよ、近傍の高台移転も可能であったのである。しかも、「住民の生業の場である漁港及び関連施設は被災前と同様の再生を基本に、海浜部で復興・整備」となっている。具体的にみると、それぞれの漁港を整備し、その背後に防潮林をおき、さらに高台に住宅地を整備するという形になっている。漁港集約化は提起されていないのである。

なお、漁港被害は甚大であった。女川町では地盤が約1m沈下したことが述べられている。つまりは、「地盤沈下により原形復旧だけで再生は不可能」なのである。議事録でも、女川魚市場買受人協同組合理事長の高橋孝信は「10の浜があるが、漁業関連の施設は全滅、魚市場も全滅。水商会社も3社あったが全滅。」と述べている。

続いて、B案をみておこう。これは「近傍移転復興案」となっている。女川町市街地では、市街地西側の丘陵地に新市街地をつくり、ほとんどの住宅をそこに移設することになっている。そして、女川駅もより西側に移転させる。ただ湾北岸の石浜地区、湾南岸の鷲神浜地区は、防潮堤を設置し、既存市街地で復興させることにしている。なお、「交流・にぎわいゾーン」については、多少変更はあるが、位置づけは同じである。

一方、半島部・当初部の漁港集落は、「漁港周辺等海浜部は非居住系とし、集落は高台に
集団移転(南部、北部及び離島の地域毎に、地域内の小中学校周辺や小中学校跡地等を活用し、地域内集団移転地を整備)」とされている。いわば、「職住分離」なのである。具体的には、北部は尾浦地区・竹浦地区の中間の高台にあった旧第三小学校跡地周辺、南部は野々浜地区の背後の高台にあった旧第三中学校・旧第六小学校跡地周辺、離島である出島は、島の中央部にある第二中学校・第四小学校周辺に移すことにしている。いわば、現在問題となっている女川町復興構想の原型といってよいだろう。ただ、漁港集約化までは考えておらず、「住民の生業の場である漁港及び関連施設は被災前と同様の再生を基本に、海浜部で復興・整備」とされていた。具体的には、各漁港を整備し、その背後は緑地となっていたのである。

最後のC案は、「大規模移転復興案」とされ、離島の出島、女川湾北岸の石浜等を除いてすべての集落を市街地西側に移転することにしている。漁港についてはよくわからないが、この時点では、集約化までは考えていなかったと思われる。

このように、そもそも集落についても既存もしくは近接した高台で復興する案と、集落を集中移転する案があったことがわかる。また、漁港の集約化もとりあえず案には入っていなかった。高台移転と漁港集約化は、基本的には別の問題なのである。

委員会の議事録をみても、宮城県漁協女川町支所運営委員長阿部彰喜は「19の浜があるが、区域を跨った協働化は混乱のもとだと思っている。漁業再開のアイデアをまとめてくる」といい、東北大学名誉教授の木島明博は「被災地漁業権の問題は歴史が長い。さらに漁業の発展をさせるためにはどうすればよいのかという視点を含めるべき。海を知っている人のアイデアと漁民を納得させるだけの計画が必要」と述べている。この段階では、それぞれの漁業権を尊重し、漁民の納得が必要であると議論しているのである。

また、商工会長の高橋正典は「住民達は自分達の考えが町の将来を作り上げると考えている。委員会でもその考え方を早期に打出してもらいたい」と語り、鈴木会長も「町民が復興計画にどのように関わるのか(関われるのか)、どういう取組をしてきてその取組が復興計画にどう生きるのか、という部分を考えていくべき。町民の中でも産業部会や漁業部会を立ち上げ、委員会に提言していくことが良いのではないか。委員会の取組を町民に発信するとともに、町民の動きも復興計画に盛り込まれていくべき」と主張した。さらに、新潟大学准教授の福留邦洋も、「小さな集落も壊滅的。復興を考えるにあたり、各集落の歴史や文化というものがある。説明会も各集落に目配りした形で行うことが重要」と述べている。総じて、住民の意見を取り入れようという意識が、この時点の委員会にはあったといえる。

しかし、5月9日に第二回女川町復興計画策定委員会で、第一回の委員会にはなかった漁港集約化を含んだ復興構想が示されるのである。後のブログで述べていくことにする。

 

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