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Archive for the ‘水産特区’ Category

前々から述べてきたように、都市計画などを理由とした宮城県の建築制限は、現状では9月11日に期限を迎える。そこで、建築制限について、様々な動きがみられようになった。

宮城県としては、全体として、建築制限を11月まで延長する方針である。2011年9月1日、日本経済新聞は、気仙沼市、名取市、東松島市、女川町、南三陸町、山元町の6市町を対象とした建築制限を二か月延長する方針を宮城県が定めたと報道している。日本経済新聞によると、9月の制限解除までに、この6市町は、補助金などで優遇される「復興推進地域」を定める予定であったが、集団移転などの国の負担額が示されず、市町の街づくり計画策定が遅れているので、建築制限を二か月延長することにしたということである。(http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C93819490E1E2E2E7918DE2E3E2EBE0E2E3E39EE2E3E2E2E2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E1より)

事実上の先送りであり、この二か月間においても建設は認められないことになるのだ。

一方、気仙沼市では、建築制限の一部解除を検討していると、河北新報は報じている。

建築制限期間延長へ 解除面積4割に 気仙沼市

宮城県が沿岸市町の都市計画区域内で行っている建築制限期限が11日に切れ、気仙沼市ではさらに2カ月間の延長が見込まれていることについて、菅原茂市長は2日の記者会見で「面的整備を行わない所など相当部分が外れる」との見通しを示した。解除面積は全体の4割程度になる見込みだ。
同市の制限区域は津波の浸水地域をベースにした465ヘクタール。市は土地利用方針を含む震災復興計画を今月末までにまとめる予定で、基本的には制限を2カ月延長。被災市街地復興推進地域の区域設定作業に取り掛かる。
菅原市長は記者会見で「産業の復興を早めるために、区画整理事業などの面的整備を行う必要のない所は極力外していく」と述べ、事業所の再開を促す方針を示した。
制限を継続する地域についても「排水施設などが基準を満たせば、積極的に再開に取り組んでほしい。個別に相談しながら進めたい」と、事業所側の意向に沿った対応を進める方針を示した。

2011年09月03日土曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110903t11025.htm

気仙沼市としては、復興推進地域としては、現在の建築制限がかけられている地域を4割縮小した形で指定し、建築制限がかけられる復興推進地域でも個別に相談に応じていく方針を示したといえる。

石巻市の建築制限についても報道されている。朝日新聞は9月2日に次のように報道している。

石巻市 449ヘクタール復興推進地域に
2011年09月02日

東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市は1日、被災した市街地のうち、新たに街づくりを進める「復興推進地域」を決めた。この地域では11日まで建築制限がかけられ、12日以降も区画整理事業や再開発を進めるために最長1年半、一定の制限がかかる。
市都市計画審議会で約449ヘクタールを指定することを決めた。期限の2013年3月10日までに復興事業を始める。被災3県の市町村で、復興推進地域の指定は初めて。阪神大震災を受けて制定された被災市街地復興特別措置法に基づくもので、指定地域での事業には国の補助が手厚くなる。
具体的な事業計画をまとめる前に復興推進地域を決められるのも特徴。国の復興方針や財源は示されていないが、市は「復興を急ぐため、議論のたたき台を作った」としている。
復興推進地域では12日以降、一定の要件を満たした建物なら、県の許可を得て新築できるようになる。ただ、区画を整理したり、公営住宅や避難ビルなどを整備したりするため、移転を求められる可能性がある。10月以降、より具体的な図面を示し、市民と意見交換をして事業計画を立てる。
事業計画を作るまでには課題が多い。区画整理には所有者の同意が要るが、大半が避難所や仮設住宅で暮らしたり、県外に移転したりしているため、把握や連絡に手間取りそうだ。市内の死者・行方不明者は計約4千人で、交渉相手の特定も困難を極める。
石巻市の復興基本計画案では、市街地では防潮堤とカサ上げ道路の二重の津波対策を施す。復興推進地域はカサ上げ道路の内陸側と海側に分かれるが、海側を事業用地区とし、住めなくすることも検討している。
事業用地区になりそうな門脇地区に住む主婦阿部利津子さん(64)は「移転するなら早く移転したい」。自宅は津波で浸水し、2部屋の畳を入れ替えた。今のところ不自由はないが、これ以上補修しようにも「移転するなら、あまりお金をかけられない」と言う。
同じ門脇地区に工場を持つ千葉タイヤ商会の千葉隆志社長は「ほっとしている」。事務所は水没したが、ここで事業を続けられるかどうか悩み、大がかりな補修をしていなかった。「内装を奇麗に直し、事業を続けたい」と話した。(吉田拓史、高橋昌宏)
■復興推進地域に指定される地区
【西部地区】
門脇、中屋敷、新館、中浦、三ツ股、築山、大街道南、大街道東、双葉町、重吉町、三河町、中島町、南光町の各一部
【中部地区】
中瀬、湊町、川口町の全域。中央、門脇町、門脇、南浜町、大門町、明神町、湊、住吉町、雲雀野町、日和が丘、不動町、八幡町の各一部
【東部地区】
松原町、長浜町、幸町、渡波町、万石町、塩富町の各一部
(http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001109020001より)

この朝日新聞の報道では、建築制限がただ延長しているような印象を受ける。しかし、河北新報の報道はニュアンスが異なっている。「地域内での建築行為は、復興計画の土地利用に影響を及ぼさない範囲で、簡易な建物(木造もしくは鉄骨2階以下、敷地300平方メートル未満)の建設に限り認める。」ことに重点がある報道である。

石巻市の復興推進地域、12日から

石巻市は1日、市役所であった都市計画審議会で、建築制限区域となっていた同市南浜町や大街道など市内約450ヘクタールについて、被災市街地復興特別措置法に基づき市街地再生に向けて基盤整備が補助金などで優遇される「被災市街地復興推進地域」とすることを決めた。
期間は12日から2013年3月11日まで。建築制限区域を西部、中部、東部の3区域に分け、住民の意見を参考にしながら区画整理や防災拠点施設整備などの各種事業に取り組む。
地域内での建築行為は、復興計画の土地利用に影響を及ぼさない範囲で、簡易な建物(木造もしくは鉄骨2階以下、敷地300平方メートル未満)の建設に限り認める。
同様に建築制限区域となっている同市鮎川、雄勝両地区の約100ヘクタールについては、11月11日まで制限を続ける方針。

2011年09月02日金曜日
(http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110902t11033.htm)

つまり、同じことを報道しても、中央の朝日新聞の視点と地方の河北新報の視点は異なっているのである。朝日新聞においては、国の復興方針が遅れたため、建築制限が継続されているというストーリーで記事は構成されているといえる。一方、河北新報においては、復興推進地域においては、復興計画に支障がでない範囲で、建設が認められるというストーリーとなっているといえる。

もちろん、国の復興方針が明示されないのは問題である。ただ、現状においては、現行法でできる範囲で復興をみとめていくしかないのではないか。その意味で、石巻市や気仙沼市の取り組みは注目できる。ある意味では、仮設でもよいから、早期の建設を認めていくことが重要である。そのためには、気仙沼市のように復興推進地域の縮小も考えられるであろうし、石巻市のように復興推進地域に仮設建築物の建設を認めていくことも考えられるのである。

といっても、現状は、建築制限が解除されても、市内全域で復興がすすむという状況ではない。河北新報は9月1日に次のような報道をしている。

疲弊商店街、津波追い打ち 石巻中心部、再建に踏み出せず

東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市の中心商店街に、さらなる空洞化が懸念されている。復興需要で活況を呈す郊外の大型店に対し、中心商店街では既に廃業した店が出ている。震災から6カ月近くたった今も市の具体的な事業計画が見えず、再建に踏み出せない店主は多い。

「店を閉めるという決断しかなかった」。石巻市中央2丁目で履物店を営んでいた藤沼信夫さん(81)は、市内の仮設住宅で寂しそうな表情を見せた。
先代から90年以上続いた店は、1階が天井近くまで浸水した。シャッターはひしゃげて壁紙ははがれ落ち、修理用具や商品はすべて水に漬かって使い物にならなくなった。
藤沼さんに、後継者はいない。「体が動くうちは続けたかった。ほかの商売仲間もつらい立場だと思う。商店街の行く末が心配だ」と話す。
店舗・駐車場賃貸業「本家秋田屋」が中心商店街で貸し出す約20の物件のうち、震災後、半数以上が退去した。浅野仁一郎社長(60)は「行政の青写真も明確に出ていない。高齢の店主らは、再建を諦めざるを得なかったのだろう」と話す。
中心商店街は2000年ごろから閉店が目立ち始めた。09年6月に県が実施した調査では、立町や駅前大通りなど8商店会に所属する266店のうち82店が空き店舗だった。
市商工会議所とタウンマネジメント機関「街づくりまんぼう」などは07年、中心地のにぎわいを取り戻そうと協議会を発足。10年2月には「彩り豊かな食と萬画のまち」を掲げた中心市街地活性化基本計画が、県内で初めて内閣府に認定された。新たな街づくりの胎動が始まった直後に津波が襲い、疲弊する商店街に追い打ちを掛けた。
一方、中心市街地から約3キロ内陸にある同市蛇田地区は津波の被害が小規模にとどまり、今は震災前以上のにぎわいを見せる。来春には、飲食や美容院などのテナント10店を連ねた複合施設がオープンする予定だ。
市内の不動産業者は「復興需要で、大型店などは活況だ。車で行動する若い家族層は、確実に蛇田側に買い物行動の軸足を置いている」とみる。
街づくりまんぼうの西条允敏社長は「中心地は、旧北上川沿いのロケーションなど替え難い魅力がある。市の復興計画とうまく連動して商店の新規参入を促すなどし、何とかにぎわいを取り戻したい」と話している。

2011年09月01日木曜日

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110901t13021.htm

ここでいう「蛇田」とは、次のような地域である。

市街地からみるとやや郊外よりであり、国道などが通っている地域である。私が訪れた際も、国道沿いにある、駐車場をともなった大型店舗の復興ぶりは目をみはった。しかし、この地図では石巻駅と旧北上川の間にある市街地中心部においては、かなり多くの店舗が原形をとどめているにもかかわらず、閉店となったところが多く、まさにシャッター通りの様相を呈していたといえる。

石巻市中心市街地(2011年7月26日)

石巻市中心市街地(2011年7月26日)

この問題は、被災地石巻市だけの問題ではない。市街地中心部の商店街が衰退し、道路や駐車場の確保などで車でアクセスしやすい郊外の大型店舗が繁昌するというのは、どこの地方でもみられる。

結局、新築しなくても、リフォームですむ物件が、石巻市街地には存在している。しかし、今まで営業していた人たちも、営業できない現状では、店舗はあまり、賃貸料は低下し、地価も下がっていく。この中で、地価上昇を前提とした区画整理事業で都市計画が進められることになれば、相当な困難が予想されるのである。事業費を整理後の土地の放出ではねん出できず、道路の拡張においても、住民負担が大きくなるといえるのである。

一方的な建築制限を改善していくという一部自治体の努力は評価できよう。しかし、それだけでは問題は解決しないのである。

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さて、これまで、都市計画・区画整理や住宅地の高台移転の実施を前提にして実施された宮城県の建築制限が、ある意味で復興の妨げになっているかもしれないと論じてきた。さらに宮城県の計画するような都市計画などの大規模開発が、新自由主義における減税志向の強い政治体質や、この十年来のデフレ景況、さらに人びとや企業の流失による過疎化により、実現可能なものであるかどうかと疑問を呈してきた。

そして、むしろ、人びとや企業の流失を食い止めることこそ、宮城県にとって最も重要な課題なのではないかと指摘した。もちろん、村井宮城県知事の水産特区構想や住宅地の高台移転計画なども、そのための方策としての意味はあるだろう。しかし、現状においては、むしろ、このような宮城県の復興方針は、最終的な是非は別として、むしろ、人びとや企業の流失をエスカレートさせているともいえるのである。

当たり前の話であるが、被災以前の人びとが再び日常生活を送るようにすることが、復興なのである。現在、宮城県では、他県と比較して、仮設住宅の建設が進んでいないと聞いている。

それでは、生業の場はどうだろう。東日本大震災で、農地も漁港も大きな被害を受けた。この復旧自体が大きな課題であり、宮城県は漁港集約化を打ち出して、ここでも問題を引き起こしている。

そして、市街地については、結局、建築制限のため、既存市街地においては、リフォーム以外、工場・店舗の再建ができないのが宮城県の現状である。

将来的な都市計画の必要性は、もちろんあるだろう。その意味で、建築制限を実施する意義はある。しかし、現実に、人びとが流失していくことを押しとどめるには、被災地自体を生業の場としていかなくてはならないのではないか。

その意味で、被災地自体に、仮設工場・仮設店舗を建設していく必要があるのではないか。商業地・工業地だったところに、再び、営業を認めていくということになる。危険な所の住宅建設は当面許可せず、将来の都市計画をみすえて、撤去・移転可能なものに限定しておく。その意味で「仮設」なのだ。

仮設工場・仮設店舗によって、とりあえず住民の生業の場を与えるとともに、このことによって、市街地は市街地としての景観を少しずつではあるがとりもどすであろう。ただの空き地と、仮設店舗ーそれが屋台であったとしてもーで賑わうところでは、大きく違うのである。

もちろん、これは、ささやかなことに過ぎない。それでも、むしろ、人びとの日常生活それぞれの復旧こそが、本来自治体の取り組むべき課題なのであり、それがないならば、都市計画など意味がないと思えるのである。

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前回は、宮城県が実施しようとする都市計画・区画整理・住宅地高台移転につき、現状の政治状況で、どれだけ財政的に実現可能性を有しているのかということを検討してみた。今回は、区画整理事業にしぼって、その問題性をみてみよう。

土地区画整理事業について、土地区画整理法(1954年制定)では、「この法律において「土地区画整理事業」とは、都市計画区域内の土地について、公共施設の整備改善及び宅地の利用の増進を図るため、この法律で定めるところに従つて行われる土地の区画形質の変更及び公共施設の新設又は変更に関する事業をいう。」と規定している。都市計画の手法の一つであり、主に、市街地の区画を整理し、街路を設置もしくは拡張し、広場・小学校用地などの公共施設を創設するものである。例えば、農地を宅地とする際とか、まがりくねった路地しかない既存の市街地に大きな街路を通し、区画を整理する際などに行われている。

特徴的なことは、原則的には、公に土地を買い上げるというのではなく、区画整理の該当用地の地権者が、それぞれ道路を中心とする公共用地にするためと区画整理事業費にあてるために、一定の割合で平等に土地を供出し(減歩)、道路などを設置した後で、それぞれの地権者が有していた面積に応じてその区画で土地を割り当てる(換地)というやりかたをしていることである。詳しくは、次に、ウィキペディアによる「土地区画整理事業」の項目を一部抜粋するので、それをみてほしい。

制度の仕組み [編集]

施行者 [編集]
土地区画整理事業を施行する者(施行者)は、以下の通り法定されている。
宅地について所有権若しくは借地権を有する者 – 個人施行者
宅地について所有権若しくは借地権を有する者の同意を得た者 – 同意施行者(都市再生機構、地方住宅供給公社など)
土地区画整理組合
区画整理会社
都道府県及び市町村
国土交通大臣
都市再生機構
地方住宅供給公社
土地区画整理組合は、土地所有者または借地権者7人以上からなり、都道府県知事の認可を必要とする。
区画整理会社は、土地区画整理事業の施行を主たる目的とした株式会社であり、都道府県知事の認可を必要とする。
換地計画 [編集]
施行者は、施行地区内の宅地について換地処分を行うため、換地計画(かんちけいかく)において以下の事項を定めなければならない。
換地設計
各筆換地明細
各筆各権利別清算金明細
保留地その他の特別の定をする土地の明細
その他国土交通省令で定める事項
清算金は、従前の宅地と換地の不均衡を清算する金銭をいう。
保留地は、土地区画整理事業の施行の費用に充てるため、換地として定めない一定の土地をいう。
仮換地の指定 [編集]
施行者は、換地処分を行う前において、工事または換地処分を行うため必要がある場合においては、施行地区内の宅地について仮換地を指定することができる。
仮換地が指定された場合、従前の土地の使用収益権者は、換地処分の公告があるまで仮換地の使用収益ができるようになり、従前の土地の使用収益権を失う。
換地処分 [編集]
換地処分は、関係権利者に換地計画において定められた関係事項を通知してするものとする。そのうえで、都道府県(または国土交通大臣)が公告をおこなう。
換地計画において定められた換地は、その公告があった日の翌日から従前の宅地とみなされ、所有権等が移転し、清算金が確定する。また、保留地を施行者が取得する。
減歩 [編集]
道路、公園などの公共施設の整備のために必要な公共用地と、事業費を生み出すために必要な保留地は、地権者から土地の一部を提供させることにより確保する。これにより土地が減少する事を減歩(げんぶ)と呼ぶ。(ただし土地区画整理法には、下記の照応の原則を定めるのみで、減歩という用語自体は無い。)
減歩には、公共用地のための減歩(公共減歩)、保留地のための減歩(保留地減歩)があり、両者を合計したものを合算減歩と呼ぶ。土地収用の場合と異なり、減歩そのものに対する金銭による補償はない。(下記の精算金・減価補償金は減歩そのものに対するものではない。)これは、事業のために減歩を課されて土地の評価(土地の経済的価値ではなく施工者が算出した評価点)が地積の減少したぶん下がっても、事業の完成による「土地利用の増進」があるので、結果としては事業前と同じ評価となって財産権を侵害しないという考え方による。
換地 [編集]
換地は、換地とその従前地(施行前の宅地)の位置、地積、土質、水利、利用状況、環境等が照応するように定めなければならないとされている。これを照応の原則と呼ぶ。ただし、この照応とは、各諸事情を総合勘案して、換地とその従前地が大体同一条件にあり、換地相互が概ね公平に定められることをいうものと解釈されており、全くの同一条件で換地するという意味ではない。ここから、照応していれば地積が減少することもあり得るところから、土地区画整理法上の明文の規定は無くとも減歩を課すことは可能とされている。
清算金 [編集]
換地を定める際に、計算上の換地面積(権利地積)どおりに換地を過不足なく配置することは技術的には不可能であり、換地相互に多少の不均衡が生じる。その不均衡の是正は、実際に換地した土地の評価と計算上交付すべき土地の評価の差を金額換算した清算金の徴収または交付によって行われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E7%94%BB%E6%95%B4%E7%90%86%E4%BA%8B%E6%A5%AD

このように、区画整理は、地権者が土地を供出することによって、道路などの公共用地を取得し、さらには事業費までねん出できるものなのである。この場合、地権者だけが一方的に負担を強制されているようにみえる。しかし、区画整理された以後の土地は、それ以前の土地と比べて価値が高くなっている。例えば、農地を宅地にすることを考えてみよう。農地の一部を削って道路とすると、その分だけ土地所有面積は少なくなる。しかし、宅地にすることによって、その土地の使用価値も高まり、ひいては地価も上昇することが予想される。そのため、地権者も潤うことになるのである。区画整理事業は、そのような発想に基づいている。

都市計画をする官庁からいえば、コストなしで道路などを取得でき、さらには事業費も賄うという点で、コストをあまりかけない開発が可能となる。地権者側では、決して反対がなくはないが、最終的により高度な土地利用ができれば、むしろ利益になる。そのように、公私ともども利益になるといえる。そして、関東大震災や阪神大震災の市街地復興において、区画整理の手法は全面的に使われてきた。

しかし、この手法は、現代においては大きな問題をかかえている。先ほどのウィキペディアの記事は、的確な指摘をしている。

最近の事業の動向 [編集]

戦後からバブル期までの土地区画整理事業は、特に組合施行においては、日本の高度経済成長という社会情勢下で、純粋な事業効果よりも社会全体のインフレーションに伴う地価上昇に依存した安定した事業運営と権利者の利益傍受への期待から来るモチベーションにより発展してきたと言える。
しかしながら、バブル期以降の低成長期においては、デフレーションによる地価下落や保留地販売の不振の影響により、事業採算が確保しづらい状況となった組合もあり、経営破綻に陥った例もある。 これら組合においては、地権者からの賦課金徴収などの再建策が採られる場合があるが、実際の徴収は困難な場合が多く、特定調停や民事再生などの法的整理を申請した組合もある。 ただし、すべての組合が破綻しているわけではなく、適正な事業運営を行っている組合や昨今の地価回復傾向の影響により順調に進められている事業もまた多い。 いずれにしても、土地区画整理事業(特に組合施行)は、外的経済の影響を受けやすい収支構造を持っていると言え、低成長型の経済情勢下において、事業の仕組みを構築する転換期となっていると考えられる。
資産価値に対する影響 [編集]
施行者側からは「減歩により土地の面積は減っても、周辺の基盤整備が行われて土地の利用価値が増し、土地の価格も上昇するため、資産価値は減少しない。」という説明がなされる場合が多い。 しかしながら、事業外要因であるデフレーションなどにより、土地価格が下落し結果的に資産価値が減少する場合がある。 一方、事業内要因のみによっても整理後の宅地全体の資産価値が、整理前と比べて減少するケースもある(事業後も地価の上昇が見込めない地区の場合)。この場合、土地区画整理法第109条の規定により減価補償金を支払うことになるが、実務上、減価補償金で整理前において減価補償金を交付することに代えて、宅地を先買いする手法が使われる。先買いすることで各宅地の減歩は緩和でき、整理後の宅地の資産価値が、整理前より減少しないようにできると考えられている。

いってしまえば、区画整理事業は、将来の地価上昇があってはじめて引き合う事業となるのである。現状において、デフレが進行する中で、区画整理事業後、むしろ地価が下がることが予想される。そうなると、区画整理事業費ねん出のために売り出す予定であった土地が売れなくなる。さらには、地権者には「減価補償金」を支払うケースも想定されるのである。

ある意味では、いまだ土地・家屋の需要がある、東京や神戸のような大都市においては、区画整理は有効といってよいだろう。また、私のみた仙台市やその周辺の多賀城市などの衛星都市群においても、このような区画整理はいまだに有効なのではないかと考えられる。しかし、震災前から、例えば三陸地方など東北の各地域は、過疎に苦しんでいた。過疎ということは、人口が流出しているということであり、その結果、土地や家屋が過剰となっていることを意味するであろう。そうなると、地価は下降傾向となる。その中で、区画整理事業を行うということは、コストが都市計画を行う官庁や地権者にかかってくるということになりかねないのである。

津波被災後復興にむかう多賀城市(2011年7月25日)

津波被災後復興にむかう多賀城市(2011年7月25日)

震災後は、より深刻な状況なのではないかと考える。津波被災地よりの人口流出は、震災以前よりも激しくなっているといえる。住居も生業の場も失った人びとが、他地域に移転していくことは、簡単には押しとどめられないであろう。そうなると、地価は下がり、土地を売却することすら難しくなってくると考えられる。

復興が遅れている女川町(2011年7月26日)

復興が遅れている女川町(2011年7月26日)

岩手県や福島県が、あまり積極的に建築制限をかけないのは、そのような観点もあるだろう。

宮城県の場合、大都市仙台を擁しているということで、大きな違いがある。しかし、かなり過疎地であることが想定される、気仙沼市・女川町・南三陸町・石巻市(もちろん、部分的には区画整理が有効なところもあると思うが)にまで建築制限をかけたことは、かなりの問題であると思われる。もちろん、理想的な都市を構築することはどこの町(東京においても)課題なのであるが。

私は、むしろ、人口流出を押しとどめ、津波被災地の再定住化をはかるということが、区画整理を実施するにも必要なことなのだろうと思う。そのような見通しがないと、区画整理をしても、自治体や地権者が多大な負担と背負うことになってしまう。それに、宮城県知事の主張するように、その負担を国が背負ったとしても、それによる地方利益は一時的なものにすぎないと考えられる。原発と同じだ。当たり前のことであるが、津波被災地に、人びとを呼び戻すこと、それが基本なのではなかろうか。

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さて、前回は、宮城県が独自に津波被災地において都市計画・区画整理のために行っている建築制限が、現地の人びとの自主的な復興をさまたげているのではないかと述べた。その是非は置くとしても、そもそも、このような都市計画・区画整理を含んだ宮城県の復興事業が財政的にみて実現可能なものであるかを検討しておきたい。

河北新報は、7月29日に、次のように報道している。

復興事業費23兆円 宮城県試算12.8兆円 「全然足りない」

 宮城県は東日本大震災の復興財源について、2020年度までの10年間で、県と市町村分を合わせ12兆8327億円が必要と試算した。政府は10年間の復興事業費を23兆円規模と決めたが、村井嘉浩知事は「全然足りない」と批判。8月4日に行う国の3次補正予算に向けた要望活動で、見直しを強く迫る方針だ。
 県によると、内訳は県分が震災復興計画2次案に明記した316事業を含む7兆190億円。市町村分は特定被災地31市町村の総額5兆8137億円で、丸森、加美、色麻、七ケ宿4町は含まれていない。
 県分は、住宅の高台移転費や防潮堤整備費など公共土木施設分野が2兆4320億円、がれき処理費を含む環境生活衛生分野が1兆2260億円、漁港復旧費など農林水産分野が1兆1360億円となった。
 企業誘致の促進事業費を含む経済商工観光分野は4860億円。県立学校再建費など教育分野は2270億円、仮設診療所整備費など保健福祉医療分野は1170億円とそれぞれ算出した。
 東京電力福島第1原発事故に伴う放射能被害対策も計上。県全域での健康被害追跡調査、土壌汚染被害調査、放射性セシウムに汚染された稲わらや牛肉の処理対策、肉用牛の全頭検査などの費用を大まかに見積もった。
 市町村分は、仙台市が5年間の復旧・復興事業費として試算した1兆円のほか、高台移転や土地区画整理、防災緑地整備などに要する8591億円を盛り込んでいる。
 放射線被害が拡大したり、JR復旧費に県負担が発生したりすれば、額はさらに増える。
 村井知事は8月4日、県市長会長の奥山恵美子仙台市長、県町村会長の鈴木勝雄利府町長と合同で、政府に被災地の積算に基づく復興財源の確保を要請する。
 達増拓也岩手県知事や佐藤雄平福島県知事にも呼び掛け、被災3県で政府に再考を求めることも検討している。
 村井知事は「被災地の試算結果を待たず、政府が復興事業費を決めた根拠が分からない。宮城だけで13兆円かかり、どう考えても足りるとは思えない。23兆円の財源確保で幕引きすることは許されない」と話している。

2011年07月29日金曜日
(http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110729_07.htm)

つまり、7月末時点で、宮城県は県内だけで約13兆円事業費がかかるとして、国が算出した、東日本大震災全体の復興事業費23兆円では少ないと批判しているのである。

その是非は置くとしても、現在(8月29日)行われている民主党代表選において、多くの候補が復興事業費を増税ではなく、国債などで賄おうと主張しており、大幅な財政出動が可能かどうか疑問である。私自身は、増税のリスクをおっても、東北の復興事業費に投資すべきである(ただし、宮城県のような方針でよいのかどうかは問題だが)と考えているが、新自由主義的な減税志向の中で主体形成をしてきた民主党議員たちが、大幅な復興事業に賛成するかいなかは判断できかねるといってよい。

他方で、特例公債法案を政争の具にした自由民主党・公明党が、復興事業費を大幅に増額しようとするとも思えない。彼らもまた、新自由主義的な減税志向の中で主体形成をしてきているのである。

そして、復興増税が実現しても、財務省としては、増税額の圧縮をはかり、復興事業費の増額ははからないであろうと予想される。毎日新聞は、8月10日に、次のように報道している。

東日本大震災:政府がJT株一部売却検討 復興財源確保で

 政府・民主党は10日、東日本大震災の復旧・復興事業の財源確保のため、保有する日本たばこ産業(JT)株を一部売却し、最大6000億円程度を調達する検討に入った。今後数年間で、出資比率を現在の50%から33.3%に段階的に引き下げる案が有力で、復興財源を賄うための臨時増税の規模圧縮につなげたい考えだ。ただ、売却には政府の過半出資を義務づけるJT法改正が必要で、今後与野党での調整が難航する可能性もある。

 政府はこのほか、エネルギー対策特別会計を見直し、500億円以上を復興財源に充てる方針。また、公務員の人件費削減で年間2900億円を捻出できるとしている。

 政府は、今後5年間の復旧・復興事業に19兆円以上が必要と試算。既に11年度補正予算で措置している約6兆円を除く13兆円について、歳出削減や、政府保有資産の売却など税外収入で約3兆円、残る約10兆円を臨時増税で充てる方針だった。歳出削減では子ども手当の見直しや高速道路の無料化実験の廃止で約2兆5000億円を確保できる見通し。JT株売却などが実現すれば、増税幅は最大1兆円程度圧縮できる可能性がある。【小倉祥徳】

毎日新聞 2011年8月10日 19時40分(最終更新 8月10日 19時44分)
http://mainichi.jp/select/biz/news/20110811k0000m020037000c.html

政府は、JT株の売却により、増税額の圧縮をはかるというのである。結局、財源をかき集めても、復興事業費増額にまわらないと予想されるのである。

さらに、「市町村分は、仙台市が5年間の復旧・復興事業費として試算した1兆円のほか、高台移転や土地区画整理、防災緑地整備などに要する8591億円を盛り込んでいる。」ということに着目してみよう。この8591億円は、仙台市を除く高台移転や区画整理事業にかかる市町村の費用をさしている。実は、これ自体が、現行法では国に支払う義務は規定されていないのではないかと思われる。産経新聞は、6月11日に、このように報道している。

宮城の復興費2兆円超 現行制度なら「12市町すべて破綻」
2011.6.11 21:22
 宮城県は、東日本大震災の津波被害を受けた沿岸12市町の新たなまちづくりに必要な事業費が2兆1079億円に上るとの試算をまとめた。11日の政府の「復興構想会議」に村井嘉浩知事が提示した。

 このうち国と県などの負担を除いた市町負担分は8591億円と算出。新たな財源措置がなく現行制度を前提とした場合は「12市町すべてがまちづくりだけで財政破綻する」と指摘、自治体負担を軽減する財政支援策を早期に打ち出すよう重ねて求めた。

 試算には政令市である仙台市の事業費は含まれていない。宮城県全体ではさらに額が膨らむことになる。

 県によると、復興まちづくりの対象となるのは4万2700戸。住宅の高台移転費用や土地区画整理事業費で約1兆円、道路や鉄道、防災緑地などの公共施設整備費で約1兆1千億円と試算した。
(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110611/dst11061121250045-n1.htm)

つまりは、現行法では国の支出が明記されない、本来は市町村負担である区画事業費など8591億円も含めて、宮城県は県全体の復興事業費を約13兆円と試算しているのである。宮城県の要求する復興事業費が実現するには、法改正が必要ということになる。その是非は問わないが、現状において、このことは実現可能なのであろうか。そして、もし、法改正ができなければ、8591億円は、丸々沿岸市町の自己負担となるのである。

これは、村井嘉浩県知事自身が試算している。次の記事は、村井県知事が6月3日に日本記者クラブで行った記者会見の要旨である。日本記者クラブのサイトから引用した。これによると、高台移転などにかかる総事業費につき、現行法では地元負担のほうが多くなるのである。

村井嘉浩・宮城県知事が「宮城県の復興・再構築に向けて」と題して記者会見し、宮城県の復興計画について話した。
村井知事は、東日本大震災後の宮城県の復興について、復旧期3年、再生期4年、発展期3年間の計10年間を計画期間とし、9月県議会に震災復興計画を議案として上程する、と説明した。復興のポイントとして10項目をあげ、そのうち、①災害に強いまちづくり宮城モデルの構築②水産県みやぎの復興③ものづくり産業の早期復興による「富県宮城の実現」――の3点について詳しく述べた。津波被害を受けたA町(人口2700人)の場合、高台移転による復興事業費について、総事業費519億円のうち地元負担は388億円にものぼるという試算を紹介し、国の支援が欠かせないことを訴えた。また「水産業復興特区」制度により民間資本が漁業に参入する新たな選択肢を説明した。質疑応答では、菅内閣不信任案、国の復興構想会議、義援金の配分、女川原発、漁業振興などの質問に答えた。
司会 日本記者クラブ企画委員 篠原昇司(日本経済新聞)
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2011/06/r00022768/

結局、宮城県の打ち出している復興事業は、国の方針が決まらないと実現できないものといえる。さもないと、多大の地元負担がかかるのである。これは、今まで、過疎や財政で苦しんできた、この地域で可能なことなのであろうか。ある意味では、中央依存の復興構想といえるのである。

そして、現在、宮城県の沿岸市町では、8月26日付朝日新聞朝刊で報道されたような現実に直面している。

財源示さぬ国
 「国の方針が決まっていない中で、議論しても何もならない」。津波で市街地の6割が浸水した宮城県東松島市の「まちづくり懇談会」では、住民から不満の声が相次いでいる。
 市は6月に「まちづくり構想図」をつくり、住民に示した。防潮堤と二つの道路をかさ上げする3重の津波対策と居住地の高台移転、沿岸部の再整備などを地区ごとに定めた。
 だが、政府が7月末に示した復興基本方針では、高台移転への国の負担額が明示されなかった。集団移転を希望していた7地区では、反対する住民も出始めた。移転が進まないことを不安視し、「やはり住み慣れた場所のほうがいい」と思い直したからだ。市の担当者は「現状は被災者にさらなる痛みを与えている」と嘆く。

動けぬ自治体
 津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町。平地が少ない同町は、浸水した集落の高台移転がまちづくりの柱で、町は移転先の候補用地を取得する議案を議会に提出した。しかし、議会は「町の負担額が分からない」と反発、町は議案の撤回を余儀なくされた。22日に再提出したが、委員会付託になった。

結局のところ、国の負担額が不明のため、沿岸市町では高台移転などに難色を示しているのである。

この状況に対して、宮城県は、9月11日までかけている建築制限を二か月延長することを検討している。宮城県としては、9月11日までに、国の助成などで優遇されるが、しかし建築の規制を受ける「復興推進地域」を定め、それ以外は制限を解除する予定であった。しかしながら、都市計画などがまったく進まないため、建築制限を特例法で定める上限にまで延長するとしているのである。

 上記の朝日新聞によれば、次のような状況がうまれているという。

 

建築制限が長引くなか、宮城県の企業が工場を移す動きもある。気仙沼市の大手水産会社は、岩手県陸前高田市に新たな加工場を建設している。気仙沼商工会議所の臼井賢志会頭は、7月のシンポジウムで不安を漏らした。「企業は規制がないところで事業をやらざるを得ない。戻ってきてくれるだろうか」

津波で破壊された気仙沼市の水産業加工地帯(2011年7月27日)

津波で破壊された気仙沼市の水産業加工地帯(2011年7月27日)

この状況に対して、先の朝日新聞の報道では「ある県幹部は『菅政権は何もしていないのに等しい』とあきれる」と述べている。確かに、菅政権が有能だとはいえない。しかし、それは、前述したように、新自由主義的な減税志向の強い、民主党・自由民主党・公明党などの体質もあわせて考えるべきなのであろう。

そして、宮城県の責任について、翻って考えてみよう。菅政権の無策は、被災した地域全体に及んでいる。しかし、気仙沼の企業が隣接する岩手県陸前高田市に拠点を移すということは、宮城県の建築制限のためである。いわば、中央依存の大規模開発を指向したため、中央が決めないと、企業流失もとめられないのは、宮城県固有の責任といえるのである。

村田県知事の特区構想は、そもそも水産だけではなかった。民間投資促進や集団移転円滑化のための規制緩和も構想されていたように記憶している。今や、「建築制限」という規制のもと、人や企業の流失を逆に促進している「逆特区」という状況に陥っているのが、宮城県の状況といえなくもないのである。

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さて、ここで、再び、宮城県の津波被災地の復興についての問題をみていこう。宮城県では、都市計画もしくは区画整理予定地として、建築基準法84条の規定に従い、2011年4月8日に、名取市・東松島市・女川町・南三陸町・気仙沼市の市街地に建築制限をかけた。そのことを報ずる朝日新聞の報道は、次のようなものである。

宮城県、被災地に建築制限 復興計画前の乱開発防ぐ狙い
2011年4月7日21時51分

 宮城県は7日、東日本大震災の津波で被災した市街地に、建築基準法に基づく建築制限をかけると発表した。無秩序な乱開発を防ぐのが狙い。役場の消滅や被災者への対応に追われる市町に代わり、県が復興計画づくりを担う。

 県が建築を制限するのは、気仙沼、東松島、名取の3市と南三陸、女川の2町。石巻市も独自に制限をかける。建築制限は阪神大震災以来で、東日本大震災では初めて。

 制限は8日から5月11日まで。現行の建築基準法は、災害の日から2カ月しか制限を認めていない。5月以降は阪神大震災を機に制定された被災市街地復興特別措置法を適用し、さらに2年間延期できるが、その場合は、どのエリアで街を再建するのか、場所を事前に決定する必要がある。

 今回の震災では広い範囲が津波で浸水し、どこで街づくりを進めるのかを決めるには相当な時間がかかるとみられる。このため、国には、制限できる期間を延長できるよう法改正を求めていく。

 壊滅的な被害で市町の機能が低下しており、県は制限がかからない農漁村中心の市町も含めた7市7町でも、首長の意向も踏まえて復興計画を練る方針。

 阪神大震災では、神戸市や兵庫県西宮市など5市町が制限をかけ、土地の区画整理や市街地の再開発を進めた。(http://www.asahi.com/politics/update/0407/TKY201104070464.html)

この建築制限によって、公共用の仮設建築、工事用の仮設建築、その他知事が特に認めた場合以外、新築・増築・改築・移転(曳家)は認められないことになった。既存の法律では、二か月間で復興エリアを決めなくてはならないが、5月の特例法で、11月まで延長することが認められた。現在のところは9月11日まで適用となっている。

しかし、この措置は、宮城県独自のものである。例えば、岩手日報は、このように報じている。

行政決定、待てない 本県津波浸水区域への店舗再建

 

 本県の沿岸地域で、東日本大震災の津波被害があった場所に店舗などを再建する動きが止まらない。政府の復興基本方針には財源も明記されず、自治体のまちづくりの計画も進まないため「行政の決定を待っていられない」と、事業主らがやむにやまれず着工したケースが多く、建築に理解を示す自治体もある。

▽車で1時間

 スーパー「マイヤ」(本社・大船渡市)は4日、陸前高田市の津波浸水区域の土地を借りて仮設店舗を開業した。市内の主なスーパーは全壊。夫婦で来店した農業の男性(78)は「これまで車で1時間以上かけて隣町に買い物に行っていた。本当に便利になった」と笑顔を見せた。

▽生活のため

 震災後、沿岸部に建築制限をかけた宮城県と違い、本県は浸水区域内の建築を制限する条例を定めるよう市町村に求めた。結果として、条例を定めた自治体はない。

 県などによると、震災後に県が許可した浸水区域内の建築確認申請は7月末までに計65件。飲食店などの店舗も17件含まれる。県の担当者は「制限する条例がないため、建築確認が申請されたら基本的には許可している」と話す。

 コンビニ大手ローソンも、陸前高田市のマイヤ仮設店舗そばで営業を再開。同社広報は「支援関係者やボランティアのニーズがあり、インフラとして必要。沿岸店舗は再開させず、避難マニュアルを徹底するなど個別に判断している」と説明する。

 被災地の建築制限 宮城県では被災地の復興過程で無秩序な開発を防ぐという観点から、建築基準法84条に基づき、県内7市町の被災市街地で新築や増改築を制限している。期間は特例で通常の2カ月間から最長8カ月まで延長された。一方、岩手県は沿岸市町村に対し、同法39条に基づき津波などの危険が大きい「災害危険区域」を指定、建築を制限する条例を定めるよう求めているが、成立例はまだない。

(2011.8.14)

(http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/sh201108/sh1108141.html)

つまり、岩手県では、建築基準法による建築制限をかけてはいない。そして、建築基準法39条に規定された「災害危険区域」に指定して建築制限を適用する条例を市町村に求めているが、そのような自治体はないとのことである。

それでは、福島県はどうか。福島民報は次のように報道している。

津波復興で「災害危険区域」 県と沿岸市町 住宅建築を制限 
 東日本大震災の大津波で被害を受けた福島県浜通りの復興で、県といわき、相馬、新地の3市町は19日までに、津波の危険がある沿岸部を住宅建築が許可されない建築基準法の「災害危険区域」に指定する方向で協議に入った。国の護岸整備方針などを踏まえ、県は沿岸部から離れた場所に住居を集積し、魚市場など水産業関連施設を海のそばに残す「職住分離」のまちづくりを目指す。ただ、住民との合意形成や代替地選定など課題もある。
 19日、開かれた県議会全員協議会で県が明らかにした。(http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4147&blockId=9845931&newsMode=article)
(2011/05/20 09:09)

福島県の場合、このような「災害危険区域」指定を行ったのは、相馬市のようである。相馬市では、沿岸部においては、住宅建設を制限することになったが、産業関連の建築は制限していないようである。南相馬市でも条例化を進めていると報道されている。

つまり、岩手・福島両県では、区画整理もしくは都市計画を前提とした建築制限は適用せず、激甚な津波被災地についてのみ「災害危険区域」として建築制限をかけることとし、それ自体、それぞれの自治体にまかせるという対応をとっているといえる。宮城県とは、大きく違っている。

岩手県では、建築制限がないため、被災地に個人個人が建築することは、原則的に自由である。現状では、たぶん、相馬市以外の福島県領域(もちろん、原発関係地は除く)でもそうであろう。相馬市においても、住宅建設のみが制限されているに過ぎない。しかし、宮城県では、そうではないのである。例えば、河北新報は、次のように報じている。

見えぬ生活再建 在宅避難者、住宅修繕踏み切れず 石巻

 1階が津波で被災した自宅の2階などで生活する「在宅避難者」が多い宮城県石巻市では、東日本大震災の発生から5カ月がたった今も、台所や風呂が使えない厳しい環境で暮らす被災者も目立つ。被災規模が大きいことに加え、仮設住宅への入居や、自治体の復興計画づくりが遅れていることなどが背景にある。

<ガスも電気もなく>
 旧石巻市役所に近い中央1丁目の会社員杉山創さん(62)は、1階天井まで水に漬かり、ガスも電気もない自宅で暮らす。夜は懐中電灯で明かりを採り、携帯式ラジオを聞く。食事は、地区の配給所に市から届く弁当やおにぎり、パンだ。
 妻の愛子さん(59)は震災当日、外出先から「渋滞に巻き込まれている」とのメールを送ってきたのを最後に行方不明。「妻を迎える準備をしたい」と6月の百か日に合わせ、近所の避難所から自宅に戻った。
 仮設住宅を申し込んでおり、台所も風呂も改修しないつもりだ。自宅はいずれ取り壊すしかないと考えている。泥を払った仏壇の近くに妻の写真を飾ったが、葬式を出す気にはまだなれない。「仮設住宅が当たるまで今の生活を続ける」と話す。
 店舗兼自宅が立ち並ぶ中央地区では、現地での住宅再建を目指す人も多い。ただ、建築基準法による建築制限が掛かる区域で新築や改築は困難。土地利用の方針を示す復興計画がなかなか見えず、住宅再建にも影響を与えている。
<建築制限が障壁に>
 中央1丁目の菓子製造販売の西條稔さん(70)は、1階が浸水した鉄骨3階の店舗兼自宅の壁がはがれて工事用の足場が組めず、都市ガスを自宅に引き込めない。ガス復旧には改築が必要だが見通しは立たない。西條さんは「建築制限が外れないと前に進めない」と嘆く。
 「復興計画の内容次第では移転を求められる」として、自宅の本格修繕に踏み切れない被災者も少なくない。
 1階が浸水した全壊状態の住宅が広範囲に広がる大街道地区。大街道南3丁目の自宅の一部を、住民向けの食料配給所として提供している会社社長佐々木公男さん(65)は「費用を掛けて直していいものか、多くの住民が迷っている」と明かす。周辺では約180人が食料配給を受け生活する。
 石巻市によると、3食相当分の配食を受けている在宅避難者は約1万人。車がなければ日常の買い物が難しい地域の市民も含まれており、避難生活の解消には時間がかかりそうだ。

2011年08月13日土曜日
(http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110813t13006.htm)

8月になっても、この惨状には驚くしかない。ただ、この惨状からの復興を妨げる要因として、建築基準法による建築制限もあることをみてほしい。そもそも、都市計画も区画整理も決まっていないのに、すべての建築を制限するということが、いわゆる復興の大きな妨げになっているといえる。

石巻市市街地中心部(2011年7月26日)

石巻市市街地中心部(2011年7月26日)

気仙沼市では、漁港機能の回復も建築制限で妨げられていると河北新報は報道している。

気仙沼でサンマ初水揚げ 被災漁船が漁獲、帰港

 本州有数のサンマの水揚げ量を誇る宮城県気仙沼市の気仙沼港に24日、東日本大震災後初めてサンマが水揚げされ、市場が活気づいた。半面、津波で壊滅した冷凍施設の再建は遅れており、加工業者の市外流出など、影響を懸念する声も出ている。
 水揚げしたのは、石巻市の第6安洋丸(199トン)。午前5時40分ごろに着岸し、北海道根室沖で捕れた約15トンをタンクに移した。160グラム以上の大型魚が8割を占め、入札では最高で1キロ820円の高値がついた。
 安洋丸は気仙沼港に係留中に津波で陸に打ち上げられ、岸壁から約300メートルのがれきの上に座礁していた。
 漁労長の三浦恵三さん(47)は「当初は出港できるかどうか不安だった。第1船で入港できてうれしい」と満足そう。気仙沼漁協の佐藤亮輔組合長も「打ち上げられた船が無事に帰ってきてくれて良かった」と語った。
 昨年の気仙沼港のサンマ水揚げ量は2万5000トンで、花咲港(北海道根室市)に次いで全国2位。震災前は1日1000トンの水揚げを記録する日もあった。
 しかし、津波で壊滅した冷凍施設の復旧が進まず、当面は「1日200~300トンが目標」(気仙沼漁協)という。
 水産加工業者の間には再建が遅れている気仙沼を離れ、市外の工場に業務を移す動きもある。同市の水産加工業「阿部長商店」は市内の工場の再開のめどが立たないため、この日仕入れたサンマを大船渡工場に運んで選別した。
 別の加工業者は「工場が再開できないのは、建築制限が足かせになっているためだ。このままでは加工業の市外移転が加速し、漁船の気仙沼離れにもつながりかねない」と話している。

2011年08月25日木曜日
(http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110825t13004.htm)

この要因は、もちろん、国の施策の遅れがある。しかし、それだけではなかろう。宮城県が、住宅地の大規模な高台移転、職住分離、漁港集約化、水産特区などの、大規模な復興計画案を策定していることはよく知られている。この建築基準法による建築制限も、大規模な区画整理・都市計画の実施を想定しているからであると考えられる。

本ブログで女川町の復興計画でみたように、このような大規模な復興計画自体が問題があるといえる。もちろん、今後の津波被災を防止するという観点は必要であるが、それだけではなく、たぶんに大規模開発を構想していると思われる。その是非は一応置くとしても、このような大規模開発を、増税を志向しない政治家たちを前提として、現状の国費で賄うことが可能かどうかもわからないといえる。

区画整理というもの、都市計画というものの重要性は、都市史研究者のはしくれとして、よく理解している。しかし、現状では、区画整理・都市計画を進めることが、住民の排除につながっているような気がしてならないのだ。

朝日新聞が南三陸町で仮設店舗ができたことについて、次のような報道をしている。

がれきの街に仮設店舗続々 南三陸町
2011年08月26日

 津波で大きな被害を受けた南三陸町で、住民が避難所から仮設住宅に移り始めたのをきっかけに、町中心部に仮設店舗が次々とオープンしている。県の建築制限がかかる浸水区域内にあるため、すぐに撤去可能なプレハブでの営業だが、日常生活を営み始めた被災者らでにぎわっている。

 「がれきだらけのこの場所から始めたかった」。武山英明さん(41)は10日、壊滅した公立志津川病院のすぐ近くで、プレハブの総菜店「一歩」を開いた。経営していた魚屋は流失。魚の水揚げがほとんどないため、知人に借りた土地でコロッケやヒレカツなどを販売している。「店がないとこの町からどんどん人が出て行ってしまう。店を開くことで復興に協力したい」

 25日には町の仮庁舎で、飲食店や生鮮食品店などが入る仮設商店街の説明会が開かれた。約60人が参加し、南三陸商工会から入居の条件などが説明された。

 商工会は年内にも、独立行政法人・中小企業基盤整備機構の制度を使って、志津川地区に約50店舗、歌津地区に約10店舗の仮設商店街を建設したい考えだ。

 商工会の及川善祐・商業部会長(58)は「仮設商店街を成功させて、町民の暮らしを支えたい」と意気込んだ。

 同町中心部ではこれまで、スーパーや雑貨店などがすべて流されたため、避難所や仮設住宅の住民らは巡回バスなどを使い、近隣市のショッピングセンターなどで買い物をしていた。

 仮設住宅で暮らす主婦(52)は「買い物に行くのも一日仕事だった。町の中にコンビニもいくつかできたし、震災直後と比べれば、ずいぶんと便利になった」と話している。(三浦英之)
(http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001108260003)

復興計画とは、このような人びとの手助けをすることではなかろうか。そのような思いにかられるのである。

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さて、ここでは、2011年5月27日、午後4時から女川高校で開催された、女川復興計画公聴会について述べておこう。この公聴会は、鷲神・小乗(女川町市街地南側)・浦宿(万石浦側)・出島(離島部)を対象として実施された。

ここでは、町長や鈴木浩会長の挨拶は省略する。

地区住民の第一声は、このようなものであった。

(地区民)
①女川町の道路の問題は、以前からあったが、道路を拡幅する考えは無いのか。
②衛星電話を活用したのか。県庁へ連絡したら女川町から連絡が無いと言われた。
③町指定の避難場所に備蓄が少なかったのではないか。
④町議会議員が、被災後アパートを借りた。町民の苦しみをもっと分かって欲しい。
⑤防災無線の津波避難の呼びかけを、もっと具体的にして欲しかった。
⑥安全安心の町づくりに原子力関係が載っていない。原発事故が発生すれば、復興計画も意味のないものになる。
(女川町役場サイトより)

ここで、ようやく、原発関連について、住民側から意見が出たのである。外部からみると「原発事故が発生すれば、復興計画も意味のないものになる」という指摘はもっともであるといえる。このことは、女川においても、福島第一原発事故の影響が及んできたことを示しているといえる。しかし、この指摘も、より個別の問題の中の一問題、いわば、ワンオブゼムであったことにも着目しなくてはならないであろう。

それぞれの個別のことについての町長らの回答は省略しておこう。原子力発電については、このように回答している。

(町長)
原子力発電所は、人間があらゆる努力をし、いかに信頼を勝ち取るかである。建設当時は、14mの高さは必要無いと言われていたが、「必要な高さだ」と主張したことにより実現している。現在も電源車、自家発電を加える努力をしている。

町長の意見は、電力会社があらゆる努力をし、それによって信頼を勝ち得ることが必要であるということである。これは、佐賀県の玄海原発再稼働問題における、佐賀県知事や玄海町長らの姿勢と基本的に同じであるといえる。言ってしまえば、努力したことに信頼できれば、女川原発の再稼働を認めるということと同義といえるのである。

ただ、原発問題の論議はここで紹介する以上されなかった。この公聴会でもやはり、高台移転、集落・漁港の集約化が一番の課題であった。ただ、地区住民の発言もさまざまである。

例えば、「計画案は、大筋で良いと思う。住民の協働、参加が必要である」という意見があったかと思うと、「高台移転は、本当に良いのか。高齢者が生活するには高台は大変である」という意見もあった。

町長と鈴木会長は、高台移転につき、設計や交通を確保する面で、高齢者に配慮することは述べた。しかし、全体としては、

(町長)
女川町は、私有権をとても大事にしてきた。しかし、町の8割が無くなったため、がれきを片付け、嵩上げが必要となる。造成後の案を簡単に言えば、100坪の土地を持っていれば、移転先に100坪の土地の権利を与えることも考えられる。半島部の土地も個人、共同と分けて使用したり、水産加工の規模も大小様々である。分野別に協同的に考えれば信用がつき、国もお金を出し、町も補助するなど、お金を引き出しやすくなる。

(鈴木会長)
皆さんが亡くなった後に、子ども達に不動産を引き継ぐ見通しがあるのか。地方では、子ども達がふるさとを離れる。相続の時点で、空き家になるということが問題になっている。ふるさとを離れた子どもたちは、その土地を売却したいが売れず、空き家が続出するということが、現実に問題となっている。このことをこれからのまちづくりで考えていかなければならない。

と言っており、高台移転・集落・漁港の集約化をすすめることは変わっていないといえる。

また、それぞれの地域の特性にあわせた意見も地区住民から出ている。例えば、

(地区民)
小乗地区では、住民と話し合いを行った。小乗地区内の高台に適地があり、コバルトラインとの接続も可能であるため、小乗地区への居住地設置を要望したい。

という意見が出た。町長は、今の場所に近いという要望は理解できる、検討したいと答えている。

一方、ここでもまた、「総合運動場が居住地になっているが、取り壊し、清水に移転するのは税の無駄ではないか」という意見が出た。それに対し、町長は「運動公園は利用者も多いが、陸上競技場の修繕に相当なお金がかかる。体育館については、残すことも検討したい」と答えているのである。

このように、まず、高台移転や集落集約化という、住民の居場所を確保するということが最も大きな課題であった。原発問題は、女川町住民にとっては、まだ、ワンオブゼムの問題であったといえよう。

ただ、福島第一原発の事故は、近隣町村の住民の居場所を根こそぎ喪失させたものといえる。その意味では、原発が立地する女川においても、抽象的な安全論ではなく、住民の居場所を根こそぎ喪失させる可能性をもつものとして、原発がとらえられるようになってきたともいえるのである。そのような変化も、ここで読み取ることができよう。

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さて、今回は、前回予告しておいた女川町市街地を対象として2011年5月27日に行われた女川町復興計画公聴会の景況をみておこう。この日の午前中には、前述のように女川町復興連絡協議会会員に対する公聴会が開かれた。そして、午後1~3時に、女川第二小学校において、女川・清水・宮ヶ崎・石浜地区(市街地北側)を対象とした公聴会が開かれた。ついで、午後4~6時に、女川高校において、鷲神・小乗・浦宿・出島地区を対象とした公聴会が開催された。鷲神・小乗は市街地南側、浦宿は万石浦側の集落、出島は離島部にある。

まず、市街地北側を対象とした公聴会の景況からみていこう。安住宣孝町長は、一日も早い復興が望まれるが、これほどの災害では復興に時間がかかることも承知されたい、自分の財産を捨てても町づくりに協力してもらう場面もあるが、生存権を生かされる新しい町づくりが必要であると述べた。その上で、以下のように主張した。

復興には大金がかかる。全国の皆さんも、今は熱い思いを持っており、どのような計画を立ててれば国民の皆さんの目を向けさせることができるかを考えている。今回の復興計画案は、あくまでも「たたき台」であり、結論を出している訳ではない。皆さんのご意見を聞かせていただくとともに、委員を信頼して欲しい。現状から少しでも脱却するために、閉鎖的な感情で考えられては困る。プランが国、県に信頼され、次の世代が期待を持てるような計画の姿を出したい。

さらに、町長は、半島部の公聴会では浜単位で居住地を確保してほしいという意見が出ているが、人口減少・高齢化が進んでいる状態では、行政サービス・コミュニティの問題が出てくると述べた。その上で、今回は町中心部の話をするとした。

町長は、復興には金がかかるので、国民総体が注目し、国や県に信頼されるようなプランが必要であると論じているのである。その意味では、そもそも、女川町独自の復興ではないのであり、国や県の予算が要請されているのである。

さらに、女川町復興計画策定委員会会長の鈴木浩(福島大学名誉教授)は、このようにあいさつした。

日本は、原子力問題で大きく揺れているが、私は、福島県復興ビジョン委員会の座長もやっている。反原発という思いもあるが、もっと自然エネルギーを活用する必要を感じている。
今回の震災の特徴は、日本経済の低迷、政治の混迷、地域社会の空洞化、地域コミュニティ低迷の中で起きた災害である。また、地震災害、津波災害が一度に起きた問題である。
復興ビジョンの中でも避難所から仮設住宅、そして定住までの流れになるが相当の時間がかかり、皆さんがどのような健康状態、生活、仕事をしていくのかという「つなぎ」、初動体制が重要である。今日示した中間案で皆さんを操ろうとする気は毛頭無いので、多くの皆さんの意見を聞かせていただきたい。

重要なことは、ここで鈴木会長が「反原発」の意識を前提にしつつ自然エネルギーの活用を主張している点である。すでに、5月1日に提示された女川町復興方針案でも「自立型エネルギーの整備 風力発電など自立型エネルギーの整備」と記載されており、5月9日の復興計画策定委員会にだされた復興方針案での拡充された形でかかれていた。長期停電による通信機能途絶を抑止するために、電力自給をおこなおうというものであった。ある意味では、現在の電力供給体制の代替を模索しようという意識がそこに窺える。

これに対し、住民からは、まず、このような意見が出た。

①ゾーニングの話に入る前に、今の状況は、仮設住宅に入れるかどうかと言う当面の生活に関することで不安を抱いている。住宅が流され、財産は土地しかない。その財産を元手に頑張っていきたい人もいると思う。仕事が無い状況では厳しいので、計画以前に、その対応について示して欲しい。
②清水地区で水産関係の鉄工業を営んでいる。仮工場を設置して良いのか?
③清水の奥に被災した家が残っている。嵩上げ等の話もあり、家をリフォームして良いのか、新築して良いのか、女川に住みたいが住み続けられるのか、計画の前に説明が必要である。

同一人物の話かどうかわからない。ただ、仮設住宅に入居できるかいなかの不安、土地しか残っておらず、その財産をもとにしか生活再建できないという訴え、現在の生業を再開してよいかいなかの疑問、清水町に残った家をリフォームしたいなどの要望がないまぜとなっている。

町長や鈴木会長は、仮設住宅の入居期限(二年間)の延長をはたらきかけることや、漁業者の有償がれき撤去などの「つなぎ」の仕事を実施すること、仮設店舗・仮設市場の設置、移転を前提とした形での生業の再開、被災した家屋のリフォームなど、当面の問題については理解を示した。しかし、例えば、仮設住宅問題については、非常に不安であったらしく、その後も何回も質問されていた。また、集合住宅を建設してほしいという意見もだされ、町長も前向きな姿勢を示していた。

一方、住宅地の高台移転について、町長は譲らない姿勢をみせている。

復興に必要な時期は地域で異なってくるが、宮城県が10年、女川町は8年を想定している。復興には時間がかかる…個々の生活についても喫緊の課題と捉えているが、個別の生活の話だけに終止してしまうと、進んでいかない側面もあることは理解していただきたい。
…新田、日蕨(いずれも女川市街地北側の清水地区内で、山側の地域)の奥でコミュニティが形成できるのかを考える必要がある。行政として電気、水道、医療、福祉等の効率的な問題もあるため、お互い歩み寄りながら個別交渉する場面もある。現状でプレハブを建てた人がいるが、そういうことを個別に行われたのでは、行政として対応しにくい…
…土地を強制的に整理すれば「しこり」が残る。造成後は、住むところは変わるが、従前の土地の権利をそのままに、新たな土地を提供するという考えでいる。等価方式等を今後検討していく。財源の確保のためにも、国に早急にプランを示し、認めてもらわなければならない。お盆前には、復興計画を確定したいと考えている。だから急いでいる。

等価交換方式で、住宅地の高台移転を推進するということであり、現住地のプレハブ建設などは認めないというのである。

町長と地区住民の間で問題になったのは、市街地北半部にある清水町の住宅地についてである。復興計画案でははっきり書いていないのであるが、このやりとりをみると、このようなものであった。清水町は、かなり海岸線から離れたところにあるが、標高が低いので、ここも津波被害にあった。その西隣の高台に運動公園が造成されている。町長の計画によれば、この運動公園に清水町の住宅地を移転し、現在の清水町に運動公園を移すというのである。

これについて、地区住民より反対の意見が出た。以下に示しておこう。

⑩各地区に造成を行い、居住地を設置して欲しい。
⑪40億円をかけた運動場を潰すことは無い。今の地区を生かせば良い。
(中略)
⑬スポーツ施設を移転するようだが何mの嵩上げ、どのくらいの期間がかかるのか。その期間スポーツができないのか。
⑭清水地区から嵩上げし住宅地にした方が、もっと早い復興になると思う。

このような意見に対して、町長は、このように答えている。

…地区毎のコミュニティ形成の問題もある。陸上競技場も相当の被害を受けており、修理には数億かかるため、移転を考えている。
(中略)
清水地区は、津波被害を受けた事実がある。清水地区は運動場であれば津波が来ても高台に逃げれば良いと考えており、移設を考えている。津波避難訓練をしても、500~600人程度の参加である。ソフトハードの両面から、新たな町は「常に津波を意識している」ということを意識したものにしたい。二度と同じ間違いは起こさない。

つまり、基本的は、半島部の漁村集落と同じ紛争が、ここ女川町の市街部でも起きていたといえよう。住民たちは、現状の宅地を前提として生活再建を考えている。また、既設の運動公園をとりこわすことについても忌避感を感じている。一方で、町長は、強行的に高台移転をすすめているといえる。漁業権問題はからんでいないことが違いといえよう。

このように、自分の居場所を確保するということ、それ自体がこの公聴会でもっとも議論されたことであった。それも、一つの闘いであろう。

そして、「町の産業が早めに動き、仕事ができるよう仮設店舗整備を進めて欲しい」、「復興計画を国に示すことで、国からの支援が厚くなると考えて良いか」という質問に答えて、町長と鈴木会長はそれぞれこのように答えた。

(町長)
町の産業の動きは二重債務の問題があり、長期間の時間がかかるが国にも要望している。産業界は、協同でまとまり動くことで、お金を効果的に引き出すことができる。「こういうことで意見を統一してきたのか」と思わせるような「まとまり」が重要である。例えば、二重債務の話でも、「女川町はどう困っているか、水産業はどう動こうとしているか」を問われ、個々にお金が出るものではない。水産業会一体となって、組合をつくって協同的に動くことで可能性が生まれる。現在、つなぎの仕事として、思いついたことを一つ一つ処理しているが、長期的な協同の視点も必要である。皆さんも各自の思いをまとめてほしい。

(鈴木会長)
政府が、復興支援法を議論している。その結果で被災地の復興内容は左右される。被災地の課題や要求の声を、どれだけ国が反映できるのかにかかっている。皆さんも関心をもって欲しい。

いうなれば、水産業へのテコ入れを「国」に要望するに際して、「協同」するというスタイルをとることが重要であると町長は主張している。鈴木会長も、国の方針によって左右されるといっている。結局は、国に依存するしか復興はないのである。

平時では、これは地方自治の問題である。しかし、現時点では、国に依存するしか、復興の道はないだろう。そもそも財政的基盤の弱い自治体であり、震災後税収も激減することが予想される。原発からの収入も、稼働してみたところで、復興費用全体をまかえるものではない。国費投入は必然なのである。

しかし、釈然としない思いはある。住民が居場所を確保したいという意欲と相反した形で復興はすすめてよいのだろうか。町長側の努力は認めるとしてもである。

次回以降、女川町市街地南側の公聴会についてみていこう。ここで、ようやく原発問題がとりあげられるのである。

なお、7月25~27日の三日間、仙台を根拠地にして、宮城県の津波被災地を巡見することを予定している。何も具体的には決まっていないが、たぶん、石巻や女川にも行くであろう。その間は、もしかすると、せいぜい巡見記録しかブログに出せないかもしれない。とりあえずおことわりしておく。

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