Feeds:
投稿
コメント

Archive for the ‘築地居留地’ Category

聖路加ガーデンと聖路加国際病院の位置関係について確認しておこう。聖路加ガーデンは一番隅田川よりの場所で、北が聖路加タワー、南が東京新阪急ホテル築地。そのとなりの街路には聖路加国際病院新館が所在。なお、南側には、中央区立郷土天文館がある。画面では区立福祉センターとなっている(実際福祉センターもある)。新館のとなりの街路に聖路加国際病院の旧館があり、今は教会や聖路加看護大学として使われている。聖路加の敷地はかなり広く、隅田川から出発して旧館の街路の外側に行くと、築地居留地を出てしまうことになる。

Read Full Post »

ヘンリー・フォールズ住居の跡

ヘンリー・フォールズ住居の跡(2010年8月27日撮影)

聖路加ガーデンには、多くの碑がある。「ヘンリー・フォールズ住居の
跡」の碑もその一つだ。ヘンリー・フォールズ(1843-1930)は、イギリスの長老教会派の宣教師兼医師として、1874-1886年の間、この地に住んだ。そして、居留地外ではあるが隣接した南小田原町(現築地)に、健康社(ツキジ・ホスピタル)という病院を開き、日本人相手に医療活動を行っていた。
彼が名を残したのは、個人識別に指紋が使えることを発見したことである。彼は、エドワード・モースと親しく、大森貝塚などの発掘に従事した。その際、縄文土器に残された古代人の指紋に興味をもち、指紋研究をはじめた。1880年、フォールズはダーウィンに論文を送り、結果的にはダーウィンの紹介でネーチャーにフォールズの論文が掲載されることになった。いろいろ問題があって、存命中には指紋の発見者という名誉は認められなかったが、今は認められるようになっている。
フォールズは、聖路加国際病院の間接的な祖でもある。彼が帰国後、荒廃していた病院施設を1900年に来日した医師兼宣教師のトイスラーが買い取って、聖路加国際病院は始まったのである。

Read Full Post »

アメリカ公使館跡(聖路加ガーデン前)

2010年8月27日撮影


アメリカ公使館跡(聖路加国際病院前)

2010年8月27日撮影


築地居留地には1875年よりアメリカ公使館が麻布から移転し、1890年までこの地にあった。まさしく、現在の聖路加ガーデン所在地である。現在、アメリカ公使館の遺品として、星・盾・鷲など石造物が残されている。星と盾の石造物は聖路加ガーデンの隅田川沿いの敷地に、星・鷲・盾の石造物は、聖路加国際病院(旧館)前に残されている。アメリカ公使館は、聖路加ガーデンの南側に所在していたから、いずれにせよ以前の場所から移動されたと思われる。この石造物がどのように使われたはわからない。アメリカ合衆国を象徴することが目的であっただろう。
このように、過去の層の上に、現在の層が積み重なっていく。いわば、「過去」と「現在」の層位の露頭といえよう。

Read Full Post »

2010年10月6日撮影

明石町には、1868ー1900年の間、外国人が居住した築地居留地が設置されていた。この地は、隅田川に面し、横浜からの舟運の便に恵まれていた。ただ、すでに横浜に定着した外国商社は、築地にあまり移転することがなく、教会やミッションスクールが多く設置されていた。
明治期に築地周辺に住んでいた日本画家の鏑木清方は、「私たち年配のものが昔の築地に感じたものは、ただ一箇の劇運動(築地小劇場…引用者注)よりももっとひろく、建築、生活、そこにわれわれの日常生活とまるで違った異国人のそれが、劇でもなく写真でもなく、まのあたり一つの大きな街となって実在しているのに接することの驚異であった。」(「築地川」 『随筆集 明治の東京』)と回想している。
今、この明石町には、聖路加国際病院が所在し、地上47階建の超高層ビルディングである聖路加ガーデンが1994年に建てられた。この聖路加ガーデンは、オフィス・レジデンス(マンション)・商業施設・ホテルなどの複合施設で、東京の「現在」を象徴する建築といえる。

Read Full Post »

2010年10月6日撮影

改築中の明石小学校の前には、カトリック築地教会聖堂がある。この教会は1874年に築地居留地であるこの地に設置され、1878年に煉瓦造のゴシック様式で聖堂が建設された。明治期に築地周辺に住んでいた日本画家の鏑木清方は、「恐らくは東京で初めて植えたのであろうと思うポプラの高い木立に囲まれて、凩の吹き初める頃には、街の瓦斯灯を掠めて冷い歩道の敷石の上にきいろい落葉が時雨のように降って散りしく。それは西日をうけて金の十字が暮れ残る天主教会の前庭であった」(「築地川」 『随筆集明治東京』)と述べている。
カトリック築地教会聖堂は1923年の関東大震災で被災し、1927年に再建された。ギリシャ建築パルテノン型で、一見石造建築にみえるが、木造モルタル造である。空襲にもあわず、今でも残っている。築地居留地の遺産といえる。

Read Full Post »

« Newer Posts