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Archive for the ‘明治神宮’ Category

明治神宮外拝殿

2010年10月23日撮影

本日、明治神宮国際神道文化研究所主催の「明治神宮造営をめぐる人々ー近代神社における環境形成の転換点」というシンポジウムに参加した。報告は、青井哲人 氏「明治神宮創建から復興までー神社建築設計の系譜」、畔上直樹 氏「明治神宮内苑造営と「その後」ー近代林学・造園学の「鎮守の森」論」、藤田大誠氏 「近代神苑の展開と明治神宮内外苑の造営ー「公共空間」としての神社境内」 で、コメンテーターは山口輝臣氏であった。なかなか興味深かった。
いわば、明治神宮はモダン(近代)の神社モデルとなったということが全体のコンセプトになる。青井報告は、明治神宮は、神社建築のスタンダートになったとし、伊東忠太の進化論にもとづく新様式創出論が後退して「最も普通な」流造が採用される一方で、祭祀における機能的な空間創出をめざして、社殿の複合化がなされていくと論じた。これだけ聞いているとよくわからないかもしれないが、実際、明治神宮をみていると、回廊に囲まれ、拝殿も外拝殿と内拝殿の二カ所あり、思った以上に複雑な建築である。青井氏の聞き取りによると、このほうが、神社祭祀に都合がよいそうである。
畔上報告は、もともと庭園学において、鎮守の森とは杉や檜などの針葉樹林をイメージしていたが、都市において針葉樹の枯死に直面したため、常緑広葉樹林に転換せざるをえなかった、それを前提に、まさに後付けの論理として、鎮守の森=常緑広葉樹林(極相林)のイメージが植え付けられたと論じていた。
藤田報告は、神社の神苑が神宮外苑の建設により、公園的な公共空間のイメージに転換したと(まとめていえば)述べていた。山口氏は、明治神宮がなぜ東京で建設され、しかもなぜ東京色を脱しなくてはならなかったか、また、神社を議論するためには信仰の問題を考えなくてはならないなどとコメントしていた。
畔上氏は、この明治神宮における神社イメージの転換には、近代化=西欧化という動きによるきしみが背景にあると述べていた。明治神宮については、「過去」の創造という意味でも、東京の「現在」を語る意味でも、重要な課題であり、山口氏の『明治神宮の出現』(吉川弘文館)、青井氏の『植民地神社と帝国日本』(吉川弘文館)、畔上氏の『「村の鎮守」と戦前日本』(有志舎)などを読んでから、このブログでも論じていきたい。

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