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Archive for the ‘始まりの「江戸」’ Category

江戸郷周辺図(『新編千代田区史』通史編より)

江戸郷周辺図(『新編千代田区史』通史編より)

江戸―東京の通史は、それこそ、この地域に人類が居住を開始した旧石器時代まで遡ることができる。しかし、都市としての江戸―東京の始まりは、「江戸」と名付けられた地域に遡及することができるだろう。古代律令制の時代、後の江戸―東京の中心部は、武蔵国豊島郡湯島里と武蔵国荏原郡桜田里に所属していたとみられる。中世になってはじめて、武蔵国豊島郡江戸郷が成立した。そこから江戸が始まったのだ。

といっても、「江戸郷」とは、どこか。近世の江戸は、始まりの「江戸」から著しく拡大している。そもそも、「江戸」はどこかが問題なのだ。そのためには、「江戸」という言葉が、何をさしているかを考えてみなくてはならない。

『新編千代田区史』通史編は、「江戸」の語源について、「入り江(江)の口(戸)」、「アイヌ語の岬・端(ハナ)のetu」、「江所」などの諸説を紹介した上で、「入り江の口」とするのが最もよく理解できるとしている。

「江戸」の語源が「入り江の口」とした場合、その入り江とはどこかとなるのだが、現在、その入り江は、皇居前から日比谷公園にかけて存在していた日比谷入江に比定されている。

そして、「江戸」は、日比谷入江に臨んでいた、現在の江戸城本丸・二の丸・三の丸・北の丸地域を中心にしていると考えられるのである。

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日比谷公園心字池(2011年2月23日撮影)

日比谷公園心字池(2011年2月23日撮影)

今回から、しばらく江戸―東京の通史を語っていきたい。まず、なぜそのようなことをするのかを述べておこう。現在の東京は、江戸という歴史的過去の上に成立している。いや、むしろ、過去は、現在の東京の骨組みをなしているのだ。例えば、日比谷公園をみてみよう。
まず、日比谷公園のこの写真をみてみよう。この写真は、日比谷公園の東北部にある心字池を写したものである。この池は、日比谷見付(門)から続く江戸城の堀をもとにしたもので、江戸城の石垣も残っている。今や、都心のいわゆるオアシスである。
しかし、なぜ、ここに日比谷公園が作られたのであろうか。実は、ここは、近世以前においては海であり、日比谷入江と呼ばれていた。大体、丸の内・日比谷一帯は日比谷入江なのであるが、日比谷公園のあたりは日比谷入江の中心であった。近世において日比谷入江は、排水路であり運河でもあった堀を除いて埋め立てられ、規模の大きな大名屋敷が建築された。日比谷公園のあたりも大名屋敷となった。近代になって、大名屋敷が必要なくなると、市区改正計画や官庁建設計画によって、大名屋敷跡地には官庁やビジネスビルが建てられていく。ただ、日比谷公園の地は、日比谷入江の中心の低湿地で、地盤が軟弱のため、近代建築を建てることができなかったのである。そのため、日比谷は公園にされ、日比谷見付の堀と石垣が心字池とされたのである。
このように、現代の東京の都市景観の枠組みは、近世以前にすら遡る歴史的過去によって構成されている。そして、このことは、今後の都市東京の未来をも拘束しているといえるのである。
私たちは、現在さらに未来の都市東京を考えるにあたって、過去をみなくてはならない。例えば、今までみてきた築地・雑司が谷・愛宕山でも、歴史的過去は、現在のありようを規定していた。これから、時間軸にそいながら、現代の東京を規定する江戸という歴史的過去をみていきたい。

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