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Archive for the ‘六本木’ Category

六本木ヒルズ森タワー(2010年11月3日撮影)

六本木ヒルズ森タワー(2010年11月3日撮影)


六本木ヒルズを建設した森ビルは、どのような都市構想をもっているだろうか。森ビルのサイトには、次のように語られている。

「マンハッタンは大きな街区と整然とした道路網で構成され、そこにオフィス、住宅、ホテルなどの超高層建物が建ち並んでいます。東京は小さな街区を低層で小さな建物が埋め尽くす、雑然とした街並みとなっています。 マンハッタンを垂直都市とするなら、それと対照的に、東京は平面都市として捉えることができます。都心部が高度利用されていないため、東京はあふれた人口や産業が近郊に流れ、市街地の拡大をもたらし、平面的に広がった巨大都市となっています。 土地を高度利用し、そして良好な都市環境を形成するためには、超高層建物を活用することが最も有効な手法です。 」

非常に単純化していえば、東京もマンハッタンのように超高層化せよと主張しているといえる。他の部分では都心部にもビジネスビルだけでなく高層住宅も建設すべきだと述べている。森ビルの、さらにいえば日本の新自由主義
の理想都市のあり方がここでは表明されているといえよう。

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毛利庭園(2010年9月5日撮影)

毛利庭園(2010年9月5日撮影)

六本木ヒルズのある空間は、近世の毛利家長府藩の上屋敷であり、ここには大名庭園が所在していた。近代には増島六一郎(英吉利法律学校ー中央大学の前身ー初代校長)の邸となるが、戦災にあった。しかし、庭園は残り、戦後同地に建てられたニッカウイスキーの工場にちなんで、「ニッカ池」とよばれていた。そして、この池のたもとに「乃木大将と辻占売少年像」が建設されたのである。この地区は再開発され、六本木ヒルズが建設されることになるが、毛利家上屋敷の名残である「ニッカ池」は「保存」の名目で埋められ、その上にわざわざ盛り土をして「毛利庭園」が作られ、乃木像は旧乃木邸に移されたのである。直接の「過去」ー「歴史」ではなく、イメージを感じさせる「レプリカ」として、この庭園は「復元」されたといえよう。

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乃木大将と辻占売少年像(2010年11月3日撮影)

乃木大将と辻占売少年像(2010年11月3日撮影)

六本木ヒルズの所在地は、毛利家長府藩の上屋敷であり、家臣であった乃木希典の生誕の地であった。六本木ヒルズが建設される以前には、「乃木大将生誕之地」碑以外にも、旧毛利家庭園の池(通称ニッカ池)の側に、1968年「乃木大将と辻占売少年像」が建てられていた。この像は、1891年に用務で乃木が金沢を訪ねた際、辻占売りを営みながら一家の生計を支えていた今越清三郎という少年に出会い、乃木はこの少年に感銘して2円を渡したというエピソードを図像化したものである。今越少年は、恩を忘れず努力を重ね、金箔業で成功したという。今、この像は、六本木ヒルズから「追放」され、乃木坂の旧乃木邸に移されている。開発にあたり、国境をこえる新自由主義の象徴である六本木ヒルズでは、旧毛利家庭園を「毛利庭園」として「復元」したが、戦前の排外的な国民国家を象徴するような乃木の記憶は排除したということができよう。

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「乃木大将生誕之地」碑(2010年11月3日撮影)

「乃木大将生誕之地」碑(2010年11月3日撮影)


ロボロボ園(2010年11月3日撮影)

ロボロボ園(2010年11月3日撮影)


六本木ヒルズレジデンス棟(2010年11月3日撮影)

六本木ヒルズレジデンス棟(2010年11月3日撮影)

11月3日、六本木ヒルズにいく。ここは毛利長府藩の屋敷で、乃木希典の生誕地だ。しかし、六本木ヒルズでは、「乃木大将生誕之地」碑は、片隅の「さくら坂公園」に追いやられている。元来、この碑は、こことは違う北日ヶ窪児童遊園に1932年に建てられたのだが、再開発でこの遊園が六本木公園と統合されて、この地に移ったそうだ。いってみると、休日で、子どもの遊び場になっている。よくみると、欧米人の子どもが多く、六本木ヒルズのレジデンス(マンション)棟の居住者なんだろう。まるで、築地居留地である。そこにアートとして、「ロボロボロボ(ロボロボ園)」というものがあり、この「ロボ」(ロボット)のイメージで公園の遊具は構成されている。この作者はチェ・ジョンファといい、韓国人。無国籍をイメージしたのだろう。国民国家の記憶が新自由主義によって片隅に追いやられていることを実感した。

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