私自身がいま取り組んでいることに必要になり、福島第一原発事故によって避難を余儀なくされた人びとの総数を調べてみた。まず、岩手・宮城・福島三県において東日本大震災・福島第一原発事故のために避難した人びとの数をみていこう。
内閣府・復興庁は「全国の避難者等の数」という発表を2011年6月から行っているが、初期の発表は避難所や旅館などにいる人数を中心としており、仮設住宅などは戸数でしか発表していないので、避難者数を把握するには十分ではない。ようやく、2011年11月17日調査分から、仮設住宅分も人数で発表されるようになった。それから、一月ごと、2013年4月分までの岩手・宮城・福島三県を中心とした避難者数について、下記の表にまとめてみた。なお、「○○県内」というのは、その県内に避難してきている人びとの総数をさしており、県民のみの避難者数をさしているわけではない。例えば、「岩手県内」避難者というのは、青森県や宮城県から避難してきている人びとも想定として含んでいる。ただ、東日本大震災で被災した岩手・宮城・福島県にわざわざ避難している人は少ないと思われる。他方、「○○県外」というのは、その県から県外に避難している人びとをさしている。福島県外であれば、東京都などの県外に避難している人びとをさしている。ある意味では不確定な部分があるが、まずは、近似として、「県内」「県外」をあわせた人数をその県の避難者数としてみていきたい。
http://www.reconstruction.go.jp/topics/post.html
まず、2011年11月17日のところをみていこう。県別の避難者総数では、岩手県が4万3934人、宮城県が13万0784人、福島県が15万2945人となっている。死者・行方不明者では、宮城県が9537人・1315人、岩手県が4673人・1151人、福島県が1606人・211人(警察庁緊急災害警備本部「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の被害状況と警察措置」、2013年4月10日発表)と、この三県の中では福島県が一番人的被害が少ないのであるが、避難者数では逆に福島県が一番多くなっている。また、福島県では、県外避難者が5万8602人と避難者全体の三分の一以上をしめる。これも、宮城県・岩手県にはない特徴である。このような特徴は、その後も同じである。福島県において避難者総数が多いこと、また県外避難者の割合が大きいことは、福島第一原発事故の影響であるといえよう。
なお、全国の避難者総数は32万8903人である。三県の避難者が32万7663人であり、そのほとんどをしめている。東日本大震災は、やはり、岩手・宮城・福島三県を中心に爪痕を残したといえる。そして、福島県の避難者は15万2945人と、避難者総数の半数近くをしめているのである。
次に、時間的推移をみていこう。2011年末から2012年6月まで、避難者総数が増加傾向であることがみてとれる。全国の避難者総数は、2012年6月に34万6987人になった。福島県では、2012年6月に、県内避難者10万1320人、県外避難者6万2804人、避難者総数が16万3404人に達した。たぶんに仮設住宅の建設が進み、そこに居住する人びとが増えたためではないかと想定されるが、詳細は不明である。ようやく、2012年7月頃から、避難者数が減少していく。しかし、2013年4月段階でも、まだ約30万人以上の人びとが仮設住宅などに避難したままなのである。東日本大震災は終わっていないことを、ここでも再認識させられた。
さて、ここから、福島県固有の問題をみていこう。周知のように、この福島第一原発事故により避難区域が指定された。原発から20km圏内の警戒区域では約7万8000人、20km以遠で年間積算線量が20mSvをこえる計画的避難区域で約1万10人、20〜30km圏内の緊急時避難準備区域で約5万8510人が対象となった(『国会事故調報告書』)。そのうち、避難が強制された人びとは警戒区域・計画的避難区域で約8万8000人となる。これらの区域は、大熊町、双葉町、富岡町、浪江町、飯館村、葛尾村、川内村、川俣町、田村市、楢葉町、広野町、南相馬市であり、福島県浜通りから阿武隈山地の地域に該当する。
しかし、警戒区域・計画的避難区域の外側においても放射性物質による汚染は顕著であり、福島第一原発事故の行方も不安であって、かなり多くの人びとは、政府の指示によらず自主的に避難した。一般に「自主避難」とよばれている。
この「自主避難」の状況については、2011年11月10日に開かれた文部科学省原子力損害賠償紛争審査会(第16回)の配付資料「自主的避難関連データ」において、ある程度明らかにされている。その中に「福島県民の自主的避難者数(推計)」がある。2011年9月22日のデータによると、自主的避難者数が5万327人で、そのうち県内が2万3551人、県外が2万6776人となっている。他方、避難等指示区域内からの避難者数は10万510人で、県内が7万817人、県外が2万9693人となっている。このように、自主避難者のほうが、多く県外に避難している。そして、自主的避難者、避難等指示区域内からの避難者をあわせた総計は15万837人で、県内は9万4368人、県外は5万6569人となる。ただ、この数値は、地震・津波の被災者を含んでいることに留意しなくてはならない。
この数値は、さきほどの岩手・宮城・福島県の避難者数で示した2011年11月17日の数値に近いといえる。概していえば、福島県の避難者数は約15〜16万人、政府の避難指示による避難者は約10万人前後、自主避難者は約5万人前後といえる。そして、県内避難者は9〜10万人、県外避難者は5〜6万人ということができる。
2011年3月15日時点の自主避難者を地域別にみると、多いところでは、いわき市が1万5377人、郡山市が5068人、相馬市が4457人、福島市が3224人である。注目すべきことは、これら自主避難者が多いところは、逆に避難受入者数も多いということである。いわき市が1万5692人、郡山市が1956人、相馬市が4241人、福島市が1837人の避難者を受け入れている。このように、住民が自主的に避難しているところに、福島県浜通りなどの住民は避難してきているのである。
(なお、この図は見にくいので、上記のサイトでみてほしい)
なお、福島県のサイトで人口統計をみると、2011年3月1日現在で202万4401人であったが、2013年4月1日現在では194万9595人となっている。この短い間に7万4806人という人口減少をみているのである。これは、自治体に住民票を置いている避難とは別のものと考えられる。県外避難をあわせた現住人口でいうなれば、福島県では約15万人前後の人口が減少したということになる。2011年3月時点からいうと、約7.4%の人口減少になるといえよう。さらにいえば、県外・県内問わず、約15〜16万人が避難している。人口減の7万人とあわせると、死亡の場合も含めて、2011年3月1日時点において福島に住んでいた人の10%以上が、その時に住んでいたところから去らざるを得なかったのである。
(http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=15846参照)
前述したように、この避難者数や人口減少は、東日本大震災自体の津波や地震の被災によるものを含んでいる。しかし、避難者の数の多さー東日本大震災全体の避難者の半数近くをしめるー、県外避難の比率の多さ、政府の指示による避難、住民の自主的判断による「自主避難」などは、福島第一原発事故の爪痕とみることができよう。
『国会事故調報告書』によると、チェルノブイリ原発事故により1年以内に避難した人数は、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの三ヶ国合計で11万6000人と推計されている。福島第一原発事故の場合、自主避難を含めれば、避難者だけで15〜16万人となっている。すでに、避難者の人数はチェルノブイリ原発事故をこえているといえよう。
もちろん、この背後には、避難したくてもできなかった人たちがいることを忘れてはならない。また、「自主避難」した人たちは、福島県だけでなく、実際には首都圏にも存在していたのである。
分かりやすいです。