さて、朝日新聞が、福島県の中間貯蔵施設候補地(双葉町、大熊町、楢葉町)の住民に、その是非をめぐってアンケート調査を行い、その結果を2012年12月31日付朝刊に掲載した。まず、1面に掲載されたアンケート結果を総括する記事を解説してみよう。まず、この記事の見出しでは、中間貯蔵施設建設にアンケートに答えた住民の7割が「理解」を示したことを強調している。
中間貯蔵施設の調査候補地住民 7割「建設計画に理解」 本社アンケート305人回答
東京電力福島第一原発事故に伴う除染で出る汚染土を保管する中間貯蔵施設をめぐり、国が調査候補地にしている場所の住民に朝日新聞がアンケートを行ったところ、回答者の76%が施設の建設計画に理解を示した。多くの人が「避難先から戻るのが難しい」ことを理由に挙げた。新たな土地での生活再建を望む人が多い実態がわかった。▶31面=住民「もう帰れないなら」
続いて、アンケート方法について、この記事は記述している。中間貯蔵施設において想定される放射性物質のリスクは、いわゆる「風評」も含めて、それぞれの町内の広い範囲に及ぶと考えられるが、ここでは「近隣」程度に絞っていることに注目しておかねばならない。いうなれば、中間貯蔵施設建設によって土地などが買い上げ対象となり、リターンを得る可能性がある住民に限定しているといってよいだろう。しかも、郵送アンケートとはいえ、回答率は39%である。6割以上の人たちが回答していないのである。
アンケートは、環境省が示した福島県双葉、大熊、楢葉3町の調査候補地の地図から対象を絞り、近隣を含む住民に実施。12月上旬、788人に用紙を郵送し、305人から回答を得た(回答率39%)。ほぼ全員が自宅を離れている。
その上で、「理解できる」理由などを述べている。「理解」が76%で、「理解できない」が24%である。そして、「理解」の理由については、多くが「元に戻って暮らすことが難しい」「ほかの地域と比べて放射線量が高い」をあげている。つまり、元に戻って暮らすことのあきらめが、「理解」の理由になっているといえる。そして、「土地を買い取ってもらうことで生活再建を早めたい」ということも理由に多くあげられている。これは、東日本大震災、福島第一原発事故後の、この地域の住民の生活再建が遅れていることが背景として存在しているといえる。ゆえに、中間貯蔵施設の建設条件も、避難生活の解消や生活再建支援、さらに土地の買い取り価格であり、施設の安全性は二の次にされていることに注目しなくてはならない。
自宅やその周辺に中間貯蔵施設を建設する計画について「理解できる」「どちらかというと理解できる」と答えたのは76%。「理解できない」「どちらかというと理解できない」が24%だった。理解できる理由(複数回答)として82%が「元に戻って暮らすことが難しい」、62%が「ほかの地域と比べて放射線量が高い」を選んだ。「土地を買い取ってもらうことで生活再建を早めたい」が58%。「県内全体の除染を進めることが大事」も52%いた。
ただ、理解できる人でもアンケートの自由記述では、戻れない現実に対するあきらめや、復興の遅れへのあせりを訴えている。
建設する場合の条件を複数回答で尋ねたところ、70%が「避難生活の解消や生活再建への継続的な支援」、67%が「納得できる土地の買い取り価格」、63%が「施設の安全性の確保」を挙げた。
そして、中間貯蔵施設建設について「理解できない」と回答した人たちの約三分の一が「理解」に傾く場合もあることを報道している。このことによって、中間貯蔵施設への「理解」は増えることをより強調しているのである。そして、「理解できない」理由について、記事本文ではふれられず、付表(記事本文では棒グラフ)で述べている。
理解できない人に、条件が満たされた場合「理解」に傾く可能性があるか尋ねたところ、33%が「ある」と回答。条件に、複数回答で50%が「満足できる買い取り条件の提示」を挙げ、「最終処分場の決定」「生活再建への支援策の提示」が各36%。「どんな条件でも考えは変わらない」は19%だった。
付表「理解できない」「どちらかというと理解できない」理由は?
(複数回答、小数点以下は四捨五入)
最終処分場が決まっていないから 56%
説明が不足しているから 54%
施設の安全性に不安があるから 44%
土地の買い上げ条件が分からないから 43%
将来戻って暮らすつもりだから 31%(木原貴之、木村俊介)
31面には、アンケートに回答してくれた人びとに対して取材して得られた「住民の声」が掲載されている。しかし、ここでも、強調しておかねばならないが、この「住民の声」は、まず、中間貯蔵施設建設で何らかのリターンがある可能性を有する人たちを中心としているのである。そして、「見出し」からはじまるこの記事の約三分の二は、中間貯蔵施設建設に「理解」を示した人たちの声でしめられている。
もう帰れないなら 中間貯蔵施設 住民の声
東京電力福島第一原発の事故に伴う除染で出た汚染土を保管する中間貯蔵施設。国による調査の候補地や周辺に自宅がある住民には、「もう帰れない」というあきらめや苦悩と、自立や再建を望む気持ちが同居する。 ▶1面参照
大熊は好き でも離れなければならない
住民の考えを尋ねたアンケートの用紙には、施設や復興、避難生活に対する思いがつづられている。
《大熊は好き。でも離れなければならない》
福島県大熊町から避難し、同県いわき市で暮らす女性(64)はこう書いた。 自宅は第一原発から約3キロで、放射線量が高い。
《誰が何と言っても帰れない》
新しい生活の場所を探そうと、いわき市内で10カ所近くの物件を見て回り、気に入った土地を買った。元の家について東電から払われる賠償金では足りない。一日も早く、納得できる買い取りを国にしてもらいたいと訴える。
《生まれ育った土地に汚された土が置かれるのは正直なところ嫌。でも、ほかにどこに持って行くのか。生活再建のために、いっそ買い上げてもらう方がいい》
双葉町の男性(52)は戻ることをあきらめている。長年、原発関連の仕事をしてきた。事故後、避難先のいわき市から第一原発に向かう時、人の住まない土地が荒れていくのをながめていて気がめいった。
《あと5年もすれば、誰も帰ると言わなくなる。もしかすると、国は住民があきらめるのを待っているかもしれない》
男性はそう思う。もう2年。待ちくたびれた 早く生活立て直して
先の見えない避難生活へのいらだちも目立つ。
《がまんの限界。はやく決着をつけてほしい》
コメ農家だった楢葉町の四家徳美さん(53)は悩んだ末、中間貯蔵施設に「理解」と回答した。
「本心は、成田闘争のように体を張って最後まで抵抗したい。でも、ほとんどの人が帰るのをあきらめている。一人の反対でずるずると長引かせたくない」と話す。
《ただ日々が過ぎていくだけで、待ちくたびれた。もうじき2年。国で『こう』と決めてもらい、一日も早く生活を立て直して》
双葉町の40代女性はこう書いた。
ここであげられている「住民の声」で強調されていることは、元の土地に戻って生活することへのあきらめである。そして、何らかの形で「生活再建」をしたいということへの欲求である。中間貯蔵施設の候補地の住民にとって、土地買い上げがその手段となっているといえる。しかし、このような人びとにおいても、はしばしに中間貯蔵施設建設への不満、不安が表明されているのである。
この記事の残りの三分の一は、中間貯蔵施設建設を「理解できない」という人びと(一部違うが)の声が紹介されている。見事に、「アンケート」結果の比率に適合した形で紙面作りがされているといえる。ここでは、「代表者」しか協議していないことへの不満、最終処分場未決定への不安、「故郷の再生」と「施設」とは共存できないという指摘がなされているのである。
故郷再生と施設は共存無理 町を捨てていいのか
施設をめぐる国の進め方に疑問を抱く声もある。
《代表者だけで話し合われ、決まった後でしか住民に情報が来ない。どこまで我慢すればいいのか。人間の心をくみ取った対応をしてほしい》
大熊町の40代女性はそう訴える。
汚染土を30年後までに県外の最終処分先に出すとの国の説明を疑う人も多い。
《地元で最終処分もできるよう考えるべきだ》
こう書いた埼玉県に避難中の大熊町の女性(56)は、「故郷が奪われる悲しい気持ちは私たちだけでいい」と話した。
《故郷の再生と施設建設は共存できない》
施設に「理解できない」と答えた大熊町の男性(63)はこう書いた。「受け入れを認める人の意見も分かるが、こういう施設が集中する町に復興はない。本当に町を捨てていいのか」
(木原貴之、木村俊介)
この朝日新聞の「アンケート」報道は、二つの意味で問題を抱えているといえる。まず、中間貯蔵施設建設候補地の住民にアンケート対象をしぼったことである。この人びとは、中間貯蔵施設建設に伴う土地買い上げによってリターンを得る可能性を有しているのである。しかし、全ての町内の土地が中間貯蔵施設用地になるわけではないのであり、中間貯蔵施設に保管される放射性物質によるリスクは、リターンを得る人びとだけでなく、それぞれの町内の広い範囲に及ぶ。それゆえ、中間貯蔵施設建設によりリターンを得る人びとの声は、リスクをこうむる可能性をもつ「住民」の声一般ではない。これは、原子力発電所自体の建設でもそうであり、原発敷地などの地権者の得るリターンは、直接には原発建設によってリスクをこうむる可能性がある町内一般の住民の得るリターンではない。それでも、原発建設ならば、雇用などの形で、地権者以外の住民も間接的にリターンを享受することが想定できた。しかし、中間貯蔵施設の場合、周辺に居住することすら難しく、雇用といっても被ばく労働が強要されることになるのである。
ある程度、中間貯蔵施設建設により、それぞれの自治体に国から補助金が出るということはあるだろう。しかし、それも、中間貯蔵施設建設のリスクを引き受けなくてはならない住民への直接的なリターンとはならないのである。
さらに、朝日新聞のアンケート報道においては、中間貯蔵施設建設については、建設候補地の人びとにおいても「あきらめている」のであって、そのことを「理解」として報道していることの問題性を指摘しなくてはならない。リターンを得る可能性があるといっても、この人びとは中間貯蔵施設建設を「快く理解」しているわけではない。生まれ育った土地で暮らすことへの「あきらめ」と、生活再建への遅れへの「いらだち」が、中間貯蔵施設建設を「容認」させる要因となっているといえるのである。それは、「理解」といえるのか。「しょうもない」ということは、不満、不安がないということと同義ではない。もし、「中間貯蔵施設建設に対する不満、不安があるか」という質問があれば、「理解している」という人びともそのように回答したのではないかと思う。いわば、中間貯蔵施設建設への「理解」は、「あきらめ」と「いらだち」を抱えた人びとの弱みにつけ込んだものであるといえるのである
この「あきらめ」と「いらだち」は、建設候補地以外の住民ももちろん共有しているだろう。しかし、中間貯蔵施設建設によるリターンは、町内住民一般に及ぶものではない。住民一般の生活再建は、井戸川克隆双葉町長のいうように、東京電力が住民被害を正当に補償することがまず第一に求められることである。それが難しい場合でも、国なり県なりが町民総体の生活再建に乗り出すべきであって、中間貯蔵施設建設とは別次元であるはずといえるのである。
いわば、朝日新聞は、「客観報道」の形をとって、中間貯蔵施設建設に対する「住民」の「理解」を「創出」しようとしたといえるのである。
ただ、朝日新聞の批判だけでなく、私たち自身が考えることとして、このような人びとの「あきらめ」と「いらだち」によって、このような権力の施策に従属させていくことを、どこかで断ち切っていかねばならないとも思うのである。これは、別に中間貯蔵施設建設問題に直面した双葉郡内の人びとだけの問題ではない。このようなことは、日本社会のどこだってある。たぶん、東日本大震災の被害地の多くでも抱えていることだと思う。私自身の個人的な生もこのような問題を内包しているといえる。そのために何ができるのか。そのことこそ考えなくてはならない課題であるといえる。
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