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Archive for 2012年12月5日

沖縄近現代史研究者新崎盛暉氏が2012年10月16日に「2012年アジア思想上海論壇」にて講演を行い、「沖縄は、東アジアにおける平和の『触媒』となりうるか」と題されて『現代思想』2012年12月号に掲載された。尖閣諸島が所在する沖縄側の意見を伝えるものとして、この論考を紹介しておきたい。

まず、新崎氏は、「『万国の労働者よ、団結せよ』というスローガンが、ある種の理想を描いていた時代がはるか過去のものとなり、国家主義、愛国主義がせめぎ合う中で、『国家より先に人間が存在するのではないか』という問題提起」(本書p148)を行うとした。その上で、この論考では、オスプレイ普天間基地配備をめぐって沖縄の民衆が日中両政府と激しく対立していること、米中日韓の力関係の変化を背景として東アジアに領土紛争という新たな危機が生み出されたことを前提として、「『反戦平和』を求めて闘い続けてきた沖縄は、今こそ、自らの闘いの教訓を踏まえつつ、この新たな危機に対して、国家の立場を超えた独自の視点を提起する努力をなすべき」(本書p148)と主張した。この論考全体では、沖縄の近現代史を展望しつつ、「やがて、沖縄の民衆闘争は、南ベトナム内戦へのアメリカの全面介入とその政策的破綻の中から登場した日米軍事同盟の再編強化策としての72年沖縄返還政策と対峙しつつ、『反戦復帰』を掲げる新たな沖縄闘争へ、ナショナリズムから脱皮した反戦闘争へと変質していきます」(本書p154)と述べた。

その上で、「東アジアの平和の試金石ともいうべき尖閣(釣魚島・釣魚台列島)問題」(本書p154)にふれている。新崎氏は、沖縄では「イーグンクパジマ」と呼ばれたことや、日中両国が尖閣諸島の帰属とする根拠について述べた後、このように主張する。

 

沖縄では、ほぼ100%の人たちが、この島々は、沖縄と一体のものであると考えています。ただそれは、日中両国家がいうような「固有の領土」というよりは、ー既成概念に寄りかかって安易に『固有の領土』といった言葉を使っている場合でもー、むしろ自分たちの生き死にに直接かかわる「生活圏」だ思っています。生活圏という言葉には、単に経済的意味だけでなく、歴史的文化的意味も含まれています。(本書p156)

「生活圏」として位置づける根拠として、沖縄の海人(ウミンチュ)=漁民によって漁場が開発されたことや、鰹節工場が設置されたこと、日本の敗戦間際に疎開船が逃げ込んだことを新崎氏はあげた。その上で、新崎氏は、次のように述べている。

 

沖縄の生活圏であるこれらの島々は、現在、沖縄が日本という国家に所属しているので、日本の領土の一部になっていますが、もともと、国家「固有の領土」などというものが存在するのでしょうか。「領土」とか、「国境」といった概念は、近代国家形成過程において登場してきたものにすぎません。それは琉球処分前後の琉球・沖縄の歴史を振り返っただけで明らかです。私たちは、そろそろ欧米近代が東アジアに持ち込んだ閉鎖的排他的国境・領土概念から抜け出してもいいのではないでしょうか。
 強調しておかなければならないのは、「国家固有の領土」と違って、「地域住民の生活圏」は、必ずしも排他性を持つものではない、ということです。たとえば、沖縄漁民の生活圏は、台湾漁民の生活圏と重なり合うことを排除するものではありません。(本書p156)

そして、新崎氏は、過去においては沖縄と台湾の間に生活圏が形成されており、現在でも国境をこえた生活圏形成の可能性があることを指摘し、台湾の馬英九総裁が、尖閣諸島を台湾帰属としつつも、東シナ海をめぐる争議は多国間メカニズムを通して平和的に解決すべきとした「東シナ海平和イニシャチブ」を8月に提言したことに言及する。

しかし、新崎氏は、ある程度、台湾の「東シナ海平和イニシャチブ」を評価するものの、その限界性をも指摘し、次のように提言する。

 

平和的解決に力点を置いた提言は、注目すべきですが、あくまで中華民国という国家の立場からの提言です。21世紀に入った現在から将来を展望しようとする場合、欧米近代が持ち込んだ領土概念を抜け出し、地域住民の生活圏に視点を移して、紛争を平和的に解決する方途を模索することはできないでしょうか。とりあえず現状を変えることなく、抽象的観念的「固有の領土論」を棚上げし、これら地域を歴史的文化的経済的生活圏としてきた人々の話し合いの場を通して、問題の歴史的背景や将来の在り方を検討し、共存圏の構築に努力することはできないでしょうか。たとえば尖閣諸島については、日中両国と共に、地域としての沖縄と台湾の歴史家や漁業関係者の参加が不可欠だと思います。(本書p157)

さらに、新崎氏は、竹島(独島)や歯舞、色丹、国後、択捉についても同様なことが必要であるとし、最後に、このように主張している。

国家間関係の中に国境地域住民の視点をも取り入れることによって初めて、一貫した歴史認識と将来的共生の展望が獲得できるのではないでしょうか。それこそが沖縄の「反戦平和」を求める闘いが目指してきたものである、と私は考えています。(本書p157)

この新崎氏の提起に、私は共感した。現時点では、日中(+台湾・アメリカ)という国民国家同士で尖閣諸島の将来を議論していることになるが、国民国家という枠組みにとらわれれ、ナショナリスティックな主張のもとで無用の緊張を招くか、もしくは、それよりはましではあるが「棚上げ」という形で、実際に利用する可能性のある地域住民が十分利用ことが継続されてしまうことを懸念せざるをえない。国民国家を超えて、生活圏を共有する地域の人びとが話し合って、尖閣諸島の将来を決めていくことが、真に、尖閣諸島問題を解決させていくことになろう。そして、それは、尖閣諸島問題を根拠に暗躍してきたナショナリストたちと対峙するということであり、国民国家の「近代」を真に超えて行くということにつながっていくと、私も考えるのである。

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