前回は、1968年に「尖閣油田」が発見され、尖閣諸島に近接している沖縄と台湾の人びとが、1970年より油田の鉱業権をめぐってイントレストの対抗をはじめたことを紹介した。そして、日本政府・琉球政府側も台湾ー中華民国側の領有権主張に対して、積極的に対応していくことになった。
まず、台湾ー中華民国政府側の尖閣諸島の領有権主張につき、1970年8月10日の参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会で議論になった。川村清一参議院議員(日本社会党所属)と愛知揆一外務大臣は、このような議論をしている。
○川村清一君 最後に、外務大臣に尖閣列島の問題についてお尋ねいたします。総理府をはじめ各種機関の調査によりますと、沖繩の尖閣列島を含む東シナ海の大陸だなには、世界でも有数の石油資源が埋蔵されていると推定され、この開発が実現すれば、復帰後の沖繩経済自立にとってはかり知れない寄与をするであろうといわれております。この尖閣列島は明治時代に現在の石垣市に編入されており、戦前は日本人も住んでいたことは御案内のとおりだと思うわけであります。しかし、油田開発の可能性が強いと見られるだけに、台湾の国民政府は、尖閣列島は日本領土でないとして自国による領有権を主張し、舞台裏で日本と争っていると伝えられております。今後尖閣列島の領有問題をめぐって国民政府との間に紛争が顕在化した場合、わが国としてはどのような根拠に基づいて領有権の主張をし、どのような解決をはかるおつもりであるか、この点についてお尋ねをいたします。
○国務大臣(愛知揆一君) 尖閣列島については、これがわがほうの南西諸島の一部であるというわがほうのかねがねの主張あるいは姿勢というものは、過去の経緯からいいまして、国民政府が承知をしておる。そして、わが国のそうした姿勢、立場に対して国民政府から公式に抗議とか異議とかを申してきた事実はないんであります、これは今日までの経過からいいまして。しかし、ただいま御指摘がございましたように、尖閣列島周辺の海底の油田に対して国民政府側としてこれに関心を持ち、あるいはすでにある種の計画を持ってその実行に移ろうとしているということは、政府としても重大な関心を持っておるわけでございまして、中華民国側に対しまして、この石油開発、尖閣列島周辺の大陸だなに対して先方が一方的にさようなことを言ったり、また地図、海図等の上でこういうことを設定したとしても、国際法上これは全然有効なものとはならないのだということを、こうした風評を耳にいたしましたときに政府として公式に申し込れをいたしております。かような状況でございますので、今後におきましても十分この問題につきましては関心を持って対処してまいりたいと思っています。
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1970年からの尖閣諸島の領有権問題について、公の場での最初の日本政府の見解は、この時の愛知外相の答弁のようである。この時、愛知は、尖閣諸島の日本への帰属について、台湾の政府は異議申立をしたことがなく、承知しているはずであり、地図上などで中華民国領として設定したとしても、国際法上有効にはならないと述べている。しかし、この時点で、「1895年の尖閣諸島編入」など尖閣諸島の領有権が日本側にあるのかということについての根拠を示していないことに注目しなくてはならない。
そして、9月12日の衆議院外務委員会でも、尖閣の帰属は議論になった。戸叶里子衆議院議員(日本社会党所属)の「あの尖閣列島は日本の領土である。沖繩に付属するものであるということを政府も考えていらっしゃるようでございますが、これに対してどういう態度を持っていられるかを念のためにまず伺いたいと思います。」という質問に対して、愛知外相は、次のように答えている。
○愛知国務大臣 尖閣列島につきましては、この尖閣諸島の領有権問題と東シナ海の大陸だな問題と二つあるわけでございますが、政府といたしましては、これは本来全く異なる性質の問題であると考えております。すなわち尖閣諸島の領有権問題につきましては、いかなる政府とも交渉とか何とかを持つべき筋合いのものではない、領土権としては、これは明確に領土権を日本側が持っている、こういう立場をとっておる次第でございます。これは沖繩問題にも関連いたしますけれども、現在米国政府が沖繩に施政権を持っておりますが、その施政権の根拠となっておりまする布告、布令等におきましても尖閣諸島は明確に施政権の範囲内にある。こういうことから見ましても一点の疑う余地もない。日本国の領有権のあるものである。したがって、この領有権問題についてどこの国とも交渉するというべき筋合いのものではない、こういうように考えております。
それから東シナ海の大陸だな問題につきましては、七月十八日に国民政府に対しまして公式に、国民政府によるいかなる一方的な権利の主張も国際法上わが国との間の大陸だなの境界を確定するものとして有効なものではないという旨を申し入れております。さらに九月三日、国民政府に対しまして、この大陸だな問題について話し合いが必要ならば話し合いをしてもよいということは申し入れてございます。
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当時は、アメリカと沖縄返還交渉の最中であった。そのことをふまえつつ、愛知は、基本的にはアメリカの施政権下にあるということを日本側が尖閣諸島の領有権の根拠としているのである。重要なことは、愛知は、「1895年の尖閣諸島編入」やその後の尖閣諸島の開発などを帰属の根拠としていないということなのである。その後、少なくとも1970年中は同様の主張を繰り返した。1970年9月12日の衆議院の沖縄及び北方領土に関する特別委員会で、自由民主党の山田久就衆議院議員の質問に対して、愛知外相はこのように答弁した。
現在アメリカが施政権を行使しております琉球列島あるいは南西諸島の範囲内においてきわめて明白に尖閣諸島が入っておるわけでございますから、これは一九七二年には当然に日本に返還される対象である。こういうわけでございますから、尖閣列島の主権の存在については、政府としては一点の疑いも入れない問題であり、したがって、またいかなる国との間にもこの件について折衝をするとか話し合いをするとかいう筋合いの問題ではない、こういうふうに考えておるわけであります。
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アメリカの施政権下におかれており、1972年に予定されている沖縄返還において帰ってくるはずの領土であるというのである。つまり、これは、全くアメリカ頼みということになるだろう。
他方で、沖縄側も、独自の対応を行った。琉球政府の議会である琉球政府立法院は、1970年8月31日、「尖閣列島の領土防衛に関する要請決議」を議決した。この決議を次に掲げておく。
決議第十二号
尖閣列島の領土防衛に関する要請決議
尖閣列島の石油資源が最近とみに世界の注目をあび、県民がその開発に大きな期待をよせているやさき、中華民国政府がアメリカ合衆国のガルフ社に対し、鉄業権(原文ママ)を与え、さらに、尖閣列島の領有権までも主張しているとの報道に県民はおどろいている。元来、尖閣列島は、八重山石垣市字登野城の行政区域に属しており、戦前、同市在住の古賀商店が伐木事業及び漁業を経営していた島であって、同島の領土権について疑問の余地はない。
よって、琉球政府立法院は、中華民国の誤った主張を止めさせる措置を早急にとってもらうよう院議をもって要請する。
右決議する。
1970年8月31日
琉球政府立法院
(『季刊沖縄』第56号、1971年3月、p178)
愛知外相答弁とはことなり、アメリカの施政権が根拠とされていないのである。アメリカの沖縄支配からの脱却をめざして、沖縄の本土復帰を目標としてかかげていた琉球政府らしい対応といえる。そこであげられているのが、八重山石垣市に所属しているということと、戦前、石垣在住の古賀商店が開拓をすすめていたということである。しかし、ここでも「1895年の尖閣諸島編入」は根拠とされていないのである。
そして、この決議に続いて、琉球政府立法院は決議第13号「尖閣列島の領土防衛に関する決議」を採択した。これは、「本土政府は、右決議(前述の決議)に表明された沖縄県民の要請が実現されるよう、アメリカ合衆国及び中華民国に対し強力に折衝を行なうよう強く要請する」(『季刊沖縄』第56号、1971年3月、p178)ものだった。つまり、日本政府に、「尖閣列島の領土防衛」につき、アメリカおよび中華民国(台湾)と折衝することを求めたのである。これもまた、アメリカ支配からの脱却をめざして本土復帰を志向した琉球政府らしい対応であるといえる(ただ、ひと言いえば、沖縄復帰後、日本政府は、そのような沖縄側の思いにこたえようとはしなかった。大量の米軍基地は沖縄に設置されたまま、2012年時点では、さらに危険なオスプレイの沖縄配備が強行されたのである)。
それでは、アメリカの対応はどのようなものだっただろうか。アメリカ国務省のマクロスキー報道官は、1970年9月10日、尖閣諸島に中華民国の国旗が立てられたことを前提にして、尖閣諸島の将来に関し、アメリカ政府はいかなる立場をとるのかということについて、まず、このように答えた。
対日平和条約第三条によれば、米国は「南西諸島」に対し施政権を有している…当該条約によって、米国政府は琉球列島の一部として尖閣諸島に対し施政権を有しているが、琉球列島に対する潜在主権は日本にあるものとみなしている。1969年11月の佐藤総理大臣とニクソン大統領の間の合意により、琉球列島の施政権は1972年中に日本に返還されることとされている。
(『季刊沖縄』第56号、1971年3月、p157)
このように、一応は、愛知外相答弁のいっているように、サンフランシスコ講和条約によりアメリカが沖縄に施政権を有し、尖閣諸島も含まれているとしている。しかし、尖閣諸島の帰属自体については、このように述べている。
問 もし、尖閣諸島に対する主権の所在をめぐり紛争が生じた場合、米国はいかなる立場をとるのであるか。
答 主張の対立がある場合には、右は関係当事者間で解決さるべき事柄であると考える。
(『季刊沖縄』第56号、1971年3月、p157)
つまり、尖閣諸島の帰属について、アメリカは判断せず、関係当事者間の問題であるとしたのである。この見解は、尖閣諸島は日米安保条約による防衛範囲であるとしつつ、尖閣諸島の帰属については判断しないという、現在、アメリカが尖閣諸島問題に対してとっている対応に酷似しているといえるだろう。
となると、結局、愛知外相のアメリカの施政権が及んでいる地域であるから日本に帰属している根拠は、予定される1972年の沖縄返還までは有効であったとしても、沖縄返還後には効力を有さないことになるといえるのである。
この問題に対処するため、アメリカの施政権以前から尖閣諸島が日本ー沖縄に帰属している根拠として琉球政府によって「再発見」されたのが「1895年の尖閣諸島編入」の閣議決定であったのである。このことは、次回以降みてみたい。
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