(前略)その他いろいろな統計をみましたが、その一例として夜光時計にも放射能があるし、飛行機に乗って一万米の上に1時間いるのと、原子炉で仕事をしている者が30年かかって吸うのと同じ位だ。又淀川筋の水を30年かかってのんでいる間に0.4人の奇形児が出来る。牛乳の中にもあり、山陰の温泉なんかは放射能があるが、みなそれにつかったり呑んだりしているというお話がございました。
要するに原子力は文明の利器だから使わなくてはならない。潜在的危険は零とはいわんが0及至0.4で自動車事故や飛行機事故程度である。心理的に嫌がっている人には勝手なことを申し上げるので、しばらく時機を見たい、絶対という言葉を使いたい位の危険性であって、こちらは、皆さんの心配を防ぐため必要以上のことをやる予定であるということでございました。(樫本喜一「リスク論導入の歴史的経緯とその課題」、『人間社会学研究集録』1、2005年、より引用)
上記のような議論は、よく原子力開発の推進者たちから聞かされたことがあると思う。近い例では、この前、本ブログでとりあげた工学者茅陽一氏が日本原子力学会の機関誌『日本原子力学会誌』54号(2012年8月号)の巻頭言に書いた「原子力と自転車の安全性」で展開されている議論がよく似ているといえる。もう一度、ここで紹介しておこう。
もちろん、事故の危険性が図抜けて大きい、という場合には脱原発という決断は仕方がないかもしれない。 しかし、数字で考えると、どうもそうはならないのではないか。一つの方式として、事故の危険をコストではかってみよう。今回の福島第一の事故の被害は、政府のコスト等検討委員会(正確には、国家戦略室コスト等検証委員会)の報告によると5兆8千億円だという。そして、この委員会はこのような事故は40年に1回程度起こるという前提でこのコストを発電コストに換算している。これは,日本が原発の建設を本格的に始めてからほぼ40年経って今回の事故が起きた、という ことを考慮に入れているからだろう。そこで、このコストは日本人一人あたり年あたりどれだけになるかを求 めてみると、上の被害を1億人×40年で除して1,500円/人・年という答えが出てくる。そこで、比較のために別な例として自動車事故を取り上げよう。日本では、年間ほぼ5,000人が自動車事故で死ぬ。人ひとりの損失をどうとるか、いろいろ考えはあるだろうが、一人5,000万円とすると年間2,500億円となる。これを人口1億 で除すると2,500円/人・年という結果になる。
上記にあげた数字はもちろん幅があっていろいろ変わり得る。だが原子力の損失が自動車利用の損失とさほど違わないものであることはたしかだろう。しかし、交通事故で人が死ぬから自動車の使用を止めろ、といった意見はおよそ聞いたことがない。これは人々が自動車を必要だ、と認識し、この程度の損失はその必要性にくらべて仕方がない、と考えているからだろう。それなら、原子力を人々に受け入れてもらうためには、原子力を自動車と同じように重要だ、と理解してもらうことが必要である。
さて、最初の文章がいつ発言されたかといえば、1957年なのである。本ブログでも取り上げた関西研究用原子炉宇治設置反対運動のさなかの1957年4月15日、宇治市の市議会議員たちが、研究用原子炉宇治設置を推進していた京都大学側原子炉設置準備委員に聞き取り調査を行った際、京大側の関係者が行った発言が、これなのである(『宇治市市議会定例会会議録』1957年6月28日。なお事実関係は前記樫本論文による)。そして、このような主張は、宇治の市民たちには受け入れられず、関西研究用原子炉宇治設置は挫折したのであった。
前述した樫本氏は、金森修氏の「リスク論の文化政治学」(『情況』2002年1・2月号)を引用しながら、このように述べている。このことには、全く同感である。
上記の実例に見られる、自動車事故や飛行機事故の確率と、研究用原子炉が持つ危険性を無造作に比較することに対し、金森氏の論考は次のように述べる。「人間存在の根元的な不確実性と、先端技術が孕む危うさとを巧みに混淆させ、一緒くたの背景に据えてしまう」、「どれほど細心の注意を払って生活していても、不慮の災害に巻き込まれることから100パーセント逃れることはできないという根元的な事実性が、原発のように安全設計をなされたものでも絶対安全とはいえないという論理と連続的につなぎ合わされ」るという指摘である(金森、2002、p54)。これはまさに、導入時点における素朴なリスク論的言説の、限界と問題点を説明しているのではないだろうか。
それにしても、50年以上たって、原子炉の安全性を主張する論理に変化がなかったことに驚くしかないだろう。この関西研究用原子炉は計画時の出力は1000kwであった。しかし、現在の原発は数十万から100万kwである。それに、この時点では、東海村で研究炉の建設が進められていたが、まだ臨界には達していなかった。現時点では、それよりも大出力の原発が50基程度は存在している。危険性は増してきているといえる。それにもかかわらず、冒頭で語られた論理は、脈々と受け継がれていったのだ。それは、まさしく、茅陽一氏が父の茅誠司より原発推進という任務を受け継いだことと酷似しているといえよう。つまり、あまり、科学的根拠があるわけではない。原発は安全という結論があって、自動車事故という日常的な事故と比較するというレトリックが継承されたといえるだろう。
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