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Archive for 2012年7月

前回のブログで、6月30日から7月2日にかけて行われた大飯原発前再稼働反対抗議行動の経過をみてきた。抗議行動全体を説明すれば、関西電力大飯発電所敷地を公道から区分するために関電自身が設置していたバリケードを占拠し、その内側と外側において、機動隊と対峙していたといえる。

それでは、どういう形で行われたのか。次の動画をみてほしい。

動画に説明がないが、これは、たぶん、7月1日の夕方、バリケードの内側と外側にかけられた機動隊の攻勢の時期に撮影されたものと推測される。バリケードの外側では、ダイ・インしていた反対派を機動隊が一人一人ごぼう抜きで排除したが、内側では反対派の人びとの壁に盾をもった機動隊の隊列をぶつけて排除しようとした。この動画は、内側での攻防を撮影したものとみることができよう。

動画を説明していけば、反対派人びとの壁に、黒いヘルメットを着け、強化プラスチックの盾をもった機動隊が二列横隊でぶつかっていく。その後ろには、関電関係者とおぼしき作業着姿の人びとがいる。そもそも、ここは、関電の敷地内なので公道ではなく、この排除は、関電が敷地から退去せよと通告し、それにこたえて機動隊が排除を開始している。私は、法律問題には詳しくないが、私営駐車場に不法駐車した際も、警察は直接レッカー移動せず、裁判所に出訴しなければ強制排除は難しいそうである。手続き的にはいろいろ問題があるのではないか。いずれにせよ、警察は、ここでは関電という私企業の警備員もしくは私兵として行動しているといえよう。

人びとは、両手をあげて「非暴力」を誇示し、「暴力反対」などを個々に叫びながら、その場から動かないことで、機動隊に抵抗しているのである。暴力はしないが、その場所に居続けることで抵抗するのである。

そのうち、やや後方にあるドラムが打ち鳴らされ、リズムが刻まれる。人びとは踊りだし、手をあげて拍手し、全体のリズムがあっていく。そして、「再稼働反対」などのかけ声もそろってくる。反対派の集団は、命令ではなく、リズムによって統率され、一体として行動していく。機動隊側も何か命令しているようだが、全く聞こえない。

そして、たぶん男根(もしかして違うのかもしれない。違っていたら訂正したい。ただ、ここでこのように表現したのは、批判するつもりではなく、土俗的なエネルギーを評価することを意図している)を模したと思われる「御神体」を乗せた神輿が登場し、機動隊を威嚇する。しかし、だれが、どういう発想で、このような土俗的なものを持ち出すことを考えたのだろうか。やや後になると、この神輿に拡声器をもった女性(と思しき人物)が乗り、シュプレヒコールを機動隊に向かって叫ぶ。ドラクロアなら「民衆を導く自由の女神」といったであろう。まさに、抗議行動ではあるが、まさに祝祭の場と化してくる。この動画ではないが、別の動画で、参加者たちが、幕末に多くの民衆が踊ることで民衆の力を示した「ええじゃないか」とこの抗議行動を重ね合わす発言をしていた。

このような、ドラムをたたき、「再稼働反対」をシャウトし、踊り狂う人びとの「抵抗」に直面して、機動隊も思ったほど前進できず、あせりの色が濃くなる。警察は、より軽装備の特別部隊を編成し、機動隊の列の内側に送り込み、この部隊は直接に手を使って人びとの排除を始めた。逮捕者や重傷者が今まで報告されていないことに鑑み、電敷地内、独立系メディアの監視などの理由で、警察はおおっぴらな弾圧を抑制していたのではないかと結果的には思うが、この挑発に応戦すれば、より激しい弾圧もありえたと思う。反対派の人びとは混乱し、一時期ドラムもその混乱に巻き込まれた。

しかし、すぐにドラムは再びリズムを刻み始め、人びとは立ち直った。ドラムにあわせて人びとは踊りだし、「暴力反対」と叫び、警官に直接対面する人びとは、両手を上にあげて「非暴力」をアピールしつつ、警官を押し返していく。

たぶん、こういうことが何度も繰り返されたのであろうと推察する。全くの「非暴力」でありながら、人びとは、ドラムのリズムにあわせて「再稼働反対」「暴力反対」と叫びながら踊り狂い、土俗的・祝祭的な熱狂を創出することで、機動隊に抵抗し続けたのである。このような、ドラムなどのリズムによって人びとが高揚していくことは、昨年来の東京を中心にして行われた脱原発デモにおいてもしばしばみられ、本ブログでも2.3紹介した。ドラムのリズムによって人びとが高揚していくことが、非暴力として抵抗のスタイルになることを、この大飯原発前の再稼働反対抗議行動が示したといえるだろう。そして、それは、民衆運動における新たな政治文化の息吹といえるのだ。

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さて、今回は2012年6月30日午後から7月2日未明にかけて大飯原発前で行われた、大飯原発再稼働に対して行われた抗議活動について、みていきたい。もとより、私は、当日、この抗議行動には参与していない。また、NHK他マスコミも、せいぜい抗議行動が行われたことを伝えているだけで、その全体がどのようなものであったかは報じていない。現に、私がアクセスできるのは、USTREAM:IWJが撮影した動画、そして、「田中龍作ジャーナル」サイトに掲載された記事、「原発再稼働反対監視テント オキュパイ大飯」サイトに掲載されたツイートのまとめ、フェイスブックに紹介された写真・動画・ブログなどしかない。全容をつかむことは難しい。そこで、この抗議行動の経過を、今まであげてきた史料を中心に簡単にふりかえってみよう。もとより、私は、現場におらず、ここにあげた諸史料から、復元するしかない。それゆえ、思い違いもあろう。その点はご指摘いただければと思う。

この大飯原発再稼働について、この抗議行動をよびかけた「原発再稼働反対監視テント」は、このように全体を振り返っている。

6.30午後3時半から始まった大飯原発正門封鎖行動は、7.2午前2時に勝利的に貫徹しました。 現場に駆けつけてくれた仲間、カンパで活動を支えてくれた仲間、情報拡散に尽力してくれた仲間のおかげで、大きな行動をとることができました。ありがとうございます。後日、報告をします。
07-02 16:52
http://oi55.blog.fc2.com/blog-entry-77.html

これで、ようやく、この出来事が、6月30日の午後3時半から7月20日午前2時のことであったことがわかる。ちなみに、USTREAM:IWJの撮影した動画は、6月30日の15時31分から、7月2日の2時過ぎまで、断続的に撮影されており、そのことからも裏付けられる。

USTREAM:IWJの映した動画をみると、15時半頃、反対派市民が大飯原発の敷地境界にある道路検問用バリケードを乗り越え、敷地内に入った。敷地内といっても、原発構内の私道である。そして、バリケード周辺やそこにあった警備員詰所にいた大飯原発警備員を、数の圧力で、追い出した。さらに、少数の警官が派遣されてくるのだが、その警官も、まるでサッカーのデイフェンスのような形で押し返した、この時点で、関電・警官側は、より奥にある大飯原発に通じるトンネルの入口に後退し、そこに非常線をはるしかなかった。

この地点について、グーグルの地図で大体の様子を確認しておこう。

黄色い線で表示されているのが県道241号線で、一般道である。この道は、おおい町中心部方面(西側)からきて、この地点で右に曲がり、海側の大島集落につながっている。そして、その北側が大飯原発構内であり、関電の私有地なのである。そして、この道は二つにわかれ、左に行けばトンネルを経て大飯原発に直行し、右にいけばエルパークおおいという原発PR施設をへて、やはり原発前に出ることになる。私道ではあるが、PR施設があることからみて、常時は立ち入り可能だったと思う。

はっきりその地点がわからないのが残念だが、反対派市民は、本来、敷地内の立ち入りを制限するバリケードを転用し、大飯原発を封鎖した。それ以降は、「田中龍作ジャーナル」の「【福井発】 あす大飯原発再起動  反対派、チェーンで体巻き機動隊阻止」という記事がよく伝えている。

再起動を翌日に控えた30日、大飯原発入口で再稼働を阻止しようとする反対派と福井県警の機動隊の間で激しい攻防が繰り広げられた。

 反対派50人は町道との境に関電が設けた鉄柵の内と外を固め、原発従業員を乗せたバスを入れさせまいとした。鉄柵と体をチェーンでつないでいる。身を盾にするつもりだ。車5~6台もチェーンでつないだ。何としてでも、原発の入り口を封鎖する構えだ。

 30分もしないうち機動隊が駆けつけた。拡声器で「道路交通法違反です。ただちに退去しなさい」と繰り返した。反対派は「帰れコール」で応戦した。

間断なく降り続く雨のなか、機動隊と反対派のニラミ合いは、4時頃始まり暗くなっても続いた。雨で体温が奪われる。幼な子を抱いた母親は警察官に詰め寄った。「あなたたちに人間の心はないのですか?」「子供たちの未来がなくなるのですよ」……

 警察官は「道路の占拠は法律違反ですから」としか言えなかった。それも遠慮がちに。警察官自身も母親のお腹から生まれてきたのだ。警察官も官舎に帰れば、小さな子供がいるのかもしれない。
http://tanakaryusaku.jp/2012/06/0004599

まず、バリケードにチェーンで人や車をつないで固めたのである。そのうちに、西側の道から機動隊がやってきて、バリケードの南側でにらみ合いとなったのである。たぶん、大体、こういえるのだと思う。バリケードをはさんで、北側の大飯原発本体方面と、南側のおおい町中心部方面の、二つの側面が反対派市民と警官隊がぶつかりあう地点であった。道路が封鎖されているため、初期には南側が主な対決の地点となったが、その後、機動隊が山側を迂回して北側に進出し、そこに戦線を作ることになったのである。

この状況について、「この道を歩いている」というブログの「大飯原発再稼働について、現場で起きていた本当のこと」では、このように記述されている。

大飯原発に向かう一本道にバリケード封鎖が出来たのが6月30日(土)の午後3時。

7月1日(日)午後9時から始まるとされる原子炉の制御棒の引き抜き。

再稼働に向けた作業を進める作業員の通行を止め、バリケードを作り大飯原発の再稼働を直接的に阻止しようというのが狙い。

僕が駆け付けたのは午後6時。

すでにそこで活動している仲間たちの助けを借りて、力ずくで無理やり警官の列を突破。

ここで頑張ってる仲間たちにとっては、そんなことお茶の子さいさいな様子だったけど

僕は恥ずかしいけど、警官のガードをこじ開けてバリケードの中にいる仲間の所に行く、ただそれだけのことがめちゃめちゃ怖かった。

警察に逆らっていいいの?おれ。
これ捕まっちゃわない?

そんな思いが立ち込めた。だけど仲間たちの励ましもあったし、こんな所でいきなり二の足踏んでるわけにもいかないので 列をこじ開けて正面突破をした。

警察は突破中こそ体を掴んだりしてきたけど、こちらも警察に手を出さなかったし、中に入ってしまえば彼らもそれ以上は追ってこなかった。

やっぱり警察にもここを守る決定的な根拠はないんだ。

バリケードの中に入ったら、そこは音楽と笑いに満ちつつも、緊張感と使命感に満ちた何ともウェットな空間だった。
http://blog.goo.ne.jp/suzuki_juju/e/50e69beb6749d32bb760f2f21af30ba0

単純にいえば、警官は、南側にもいて、新たな参加者が合流することを防いでいたのである。なお、どこまでの範囲かはわからないが、バリケード周辺は関電の私道であり、私有地なのであって、道路交通法がただちに適用できるかどうか不明であることにここでは言及しておこう。

その後、基本的には、バリケードの北側と南側に、機動隊と反対派市民のぶつかり合う地点ができて、機動隊側が両側から除々に押し返すということが、大飯原発前抗議行動のパターンとなったといえる。ただ、南側については、いつも包囲していたわけではないようである。さきの「この道を歩いている」では、「夜8時45分前後、アピールを続けていたら、警官の列がいなくなった。バリケードの中と外に分かれていた仲間が一つになる。その数、300人程度。」と書かれている。そして、機動隊は時折前進してきて反対派市民に圧力をかけ、反対派市民は両手をあげて非暴力をアピールしながらも、その場所にとどまろうとすることで抵抗した。

そして、翌7月1日になると、各地から応援者が駆けつけてきた。「田中龍作ジャーナル」の「【福井発】 攻防2日目 応援の市民500人が駆け付け「再稼働反対」」は、その状況を活写している。

昨夕から始まった反対派市民と機動隊との小競り合いを、IWJライブなどで知った人々が全国から応援に駆け付けてきた。大飯原発につながる町道や県道は県外ナンバーの車が500m余りも連なる。「鹿児島ナンバー」「なごやナンバー」…

 大粒の雨が降り続く悪天候にもかかわらず、原発入口前は約500人の市民で膨れ上がった(午前9時現在)。パーカッションのリズムに乗って「再稼働反対」のシュプレヒコールが響く。カーニバルを思わせる雰囲気だ。

 
「大飯が再稼働したら全国の原発が再稼働する。居ても立ってもいられなかった」。昨夜、京都から駆け付けてきたという主婦は興奮した面持ちで話した。

 機動隊は表向き遠巻きにしているが、山道を回って裏手から反対派市民を押さえ込む格好になっている。野田官邸はメンツにかけて牧野副大臣を入構させようと警察の尻を叩くだろう。緊迫した状況はきょう午後、山場を迎えそうだ。
http://tanakaryusaku.jp/2012/07/0004606

小競り合いはなんどもあったようだが、最大の山場は、7月1日の夕方頃のようである。「田中龍作ジャーナル」の「【福井発】 大飯原発が再起動した日、機動隊が攻め込んできた」では、次のように述べられている。

雨と機動隊とのニラミ合いで体力を消耗した反対派の面々に、京都や東京などから駆け付けた女性たちが炊き出しのサービスを始めたのが午後4時過ぎだった。

 ピザ特有のチーズが焦げたような香り、味噌汁の匂いが食欲を刺激する。

 皆ひとしきりパクついた頃、異変が起きた。機動隊が増強されたのである。海側と山側の両方から反対派を挟撃する形になった。大飯原発は山の向こう側にある。

 機動隊はさらに増強された。海側と山側の両方合わせれば総勢で200人はいるだろうか。黒いヘルメットが不気味に光る。午後5時を回った頃だった。強化プラスチックの盾を持った山側の機動隊が前進を始めた。

 反対派は両手をあげて非暴力で対抗するが、柔剣道の猛者が揃う機動隊のパワーにジワジワと押し込まれた。それでも両手をあげたまま抵抗を続けた。膠着状態が暫く続いた。

 一方、海側の機動隊はダイインの市民たちを次々とゴボウ抜きにしていった。ピザをふるまっていた母親も手足をつかまれ引きずり出された。

パーカッションのリズムと「再稼働反対」のシュプレヒコールが夕空に響く。夜のとばりがすっかり降りた午後9時、再起動のスイッチが入った。ほぼ同時に山側の機動隊がなだれ込んだ。反対派の市民たちは次々となぎ倒されていった。

http://tanakaryusaku.jp/2012/07/0004612

基本的には、北側(田中のいう山側)と南側(田中のいう海側)から、反対派を挟み撃ちにしたのである。北側からは、強化プラスチックの盾をもった機動隊が圧力をかけて、反対派を押し返した。南側からは、バリケードの外側に座り込んでいた反対派をごぼう抜きにして排除した。反対派の占拠している地点は狭められたのである。

ただ、田中の言い方であると、機動隊によってすべて排除されたようにみえる。そういうことではない。USTREAM:IWJの映像をみると、7月2日0時の時点でも、反対派はパリケードの内側を確保し、機動隊の列の前で、パーカッションや踊りによる抗議活動を続けていた。「原発再稼働反対監視テント」は、このように伝えている。

入口を封鎖していた機動隊が撤退しました。大飯原発正門付近は解放区の雰囲気です。
07-02 00:10
http://oi55.blog.fc2.com/blog-entry-77.html

動画でみると、大飯原発のある北側は相変わらず機動隊の列で封鎖されているので、南側の機動隊のことだと思われる。南側の機動隊が撤退し、南側の機動隊によって排除された反対派が、バリケード北側の人びとと合流し、「解放区」となったのである。

そして、反対派は、機動隊に排除されるのではなく、自主的に撤退した。USTREAM:IWJの動画によると、7月2日の1時半頃、俳優の山本太郎から、「あなた方の体が心配だ、もう休んで下さい」などというメッセージが伝えられ、直後、最後のパーカッションなどによる抗議行動が行われ、2時頃、撤退していったのである。ゆえに「「原発再稼働反対監視テント」は「6.30午後3時半から始まった大飯原発正門封鎖行動は、7.2午前2時に勝利的に貫徹しました。」と評価したのである。

その後、逮捕者や重傷者が出ているとは聞いていない。再稼働阻止は叶わなかったが、機動隊の暴力による排除をおしのけて、最後まで大飯原発門前を反対派は確保し続けたのである。その点をここでは確認しておきたい。

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現在(2012年6月26日〜7月9日)、「中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たちー安世鴻写真展」が新宿駅西口の「新宿ニコンサロン」で開かれている。

この写真展開催にあたっては曲折があった。まず、次の毎日新聞配信記事をみてほしい。

写真展:「慰安婦」巡る展覧会、ニコンが中止決定 作家は「理由の説明を」
毎日新聞 2012年06月04日 東京夕刊

 名古屋市在住の韓国人写真家、安世鴻さん(41)が新宿ニコンサロン(東京都新宿区)で26日〜7月9日に予定していた写真展「重重 中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」が、会場を運営するニコンの判断で中止されることになった。ニコンは「中止の理由は『諸般の事情』以上でも以下でもない」とし、安さんらは経緯の説明と展覧会の開催を求めて法的措置も検討している。

 新宿や銀座、大阪にあるニコンサロンの展覧会は、ドキュメンタリー写真を中心にした質の高い展示で知られる。応募作の中から運営委員が選抜し、ニコンが決定する方式だ。運営委員は写真家や評論家ら5人。委員会を隔月で開催し、展示予定の写真50枚程度を見て多数決で選んでおり、競争率は10倍を超えるという。委員会では安さんの作品について、疑問の声は上がらなかった。委員によると、開催が決定した展覧会の中止は異例という。

 安さんには5月22日にニコンから電話で中止の連絡があった。「理由の説明もない中止決定は納得できない」として翌日、説明を求める書面を送付したが、電話と同じ内容の回答しか得られなかった。安さんとともに展覧会を準備してきた市民グループ「重重プロジェクト」のメンバーは「国内で考え方の分かれる『慰安婦』というテーマについて、表現の機会が奪われた。ニコンからは説明もなく、理解できない」と話す。
http://mainichi.jp/feature/news/20120604dde018040036000c.html/

なぜ、ニコンサロンは中止を通告したのか。その背景を、「週刊金曜日」のネット配信記事は、次のように分析した。

カメラのニコンは世界中の写真家、写真愛好家の間で愛されているメーカーだ。それゆえ、五月末に各メディアを駆けめぐった名古屋在住の韓国人、写真ドキュメンタリー作家、安世鴻さん(四一歳)の写真展を一方的に中止したニュースは言論・表現の自由に対する裏切り行為そのものと受け止めた人が多かったに違いない。

 報道の自由を擁護する国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」のアジア太平洋局長、ベンジャミン・イシュマル氏は五月三一日、「展示会中止に対しての情報統制を非難する」との正式なコメントを出し、「ニコンという民間企業がナショナリスト的扇動の外圧を受け入れ、検閲に加担したということは大変遺憾である」と述べた。

 六月に予定されていた新宿ニコンサロンでの写真展「重重―中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」。中止の理由としてニコン側は「諸般の事情を総合的に考慮」(五月二四日付文書)とし、今回の写真展だけでなく九月の大阪ニコンサロンでの展示のキャンセルまでも一方的に告げた。安さんはその後、ニコン側と文書でやりとりする。筆者が三〇日にニコン広報に電話で聞くと、最後になってようやく「個々の中身は言えないが、抗議の電話、メールがかなりあった」とし、右翼側からの働きかけによって中止を決定したことを事実上認めた。

 実際、五月二五日には東京・有楽町のニコン本社前で、「主権回復を目指す会」が、「祝! 安世鴻写真展中止! 写真展中止は国益に適った判断」との横断幕を掲げ集合。ネットの掲示板でも写真展に関して、「売国行為をやめよう」「ニコンに不買運動すべき」「抗議電話して売国行為やめさせよう」などと非難する声明や誹謗中傷する声が掲載された。

 問題はさらに続いた。写真展中止に関するニュースが流れ始めて二日後の五月二六日、安さんの個人情報がネット上に漏洩。安さんとその家族の身の安全にまでも深い影を落とし始めた。

 今回の展示作品は、戦後中国に置き去りにされた旧日本軍の韓国人元従軍「慰安婦」らを被写体としたもの。九〇歳以上の一二人の元慰安婦らが写真に収まっている。「忘れ去られた女性らを覚えていてほしい」との思いが撮影の動機で、「これのどこが政治的プロパガンダなのだ!」と安さんは怒りに身体を震わせて言う。

「外圧によって写真展を中止したニコンの対応は将来、写真家に『この写真ならニコンには展示できるかできないか』と考えさせる余地を与え、結果として表現の自由が消えていくことが懸念される」

 表現の自由だけでなく、この国には品位も見識もないのか。

(瀬川牧子・ジャーナリスト、6月8日号)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=2127

いわゆる「右翼」側の抗議で、ニコンサロンは中止を通告したというのである。

しかし、安氏側は、法的処置をとり、東京地裁に訴えた。そして、東京地裁は、開催実施の仮処分命令をニコンサロンに出した。そのことを、産經新聞のネット記事は、次のように伝えている。

「元従軍慰安婦写真展」の会場使用を認める 東京地裁
2012.6.22 18:54
 「元従軍慰安婦」を題材にした写真展について、会場の使用中止を通告されたのは不当として、韓国人写真家が会場運営元のニコンに施設使用を求めた仮処分について、東京地裁は22日、申し立てを認める決定をした。ニコン側は同日、異議を申し立てた。

 仮処分を申し立てたのは、名古屋市在住の安世鴻(アン・セホン)さん(41)。安さん側によると、朝鮮人の「元従軍慰安婦」を撮影した38点を展示した写真展を今月26日~7月9日に東京都新宿区の「新宿ニコンサロン」で開催予定だったが、先月22日、ニコン側から中止を通告された。

 ニコン側は「写真展を政治活動の場にしようとしており、応募条件に違反する」と主張していた。

 伊丹恭裁判長は、「ニコンサロンは写真文化の向上を目的とする写真展に貸与するための施設」とした上で、「写真展が政治活動としての意味を有していたとしても、写真文化の向上という目的と併存し得る」と判断。安さんが申込書に写真展の内容を記載し、展示写真も提出した上で使用承諾を受けていることからも「施設使用の趣旨に反するとはいえない」とした。

 ニコンは「弊社の法的な主張が認められなかったことは、誠に遺憾」とコメントしている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120622/trl12062218560005-n1.htm

そして、この仮処分命令通り、写真展は開催されることになった。しかし、先の記事にあるように、ニコンサロン側は納得せず、即日異議を申し立てた。さらに、さまざまな制約をこの写真展に課したといわれている。

6月29日午後、私も写真展を見学した。全く写真展開催は掲示されないまま、ビルの中では、やたら警備員が多く配置され、会場入口には金属探知機が置かれ、手荷物検査が実施されていた。中には、かなり多くの人がいたが、それをニコンの社員が監視していた。知人に聞くと、この場所の会話を録音していたそうである。そして、写真展を撮影することを禁じる掲示が出されていた。

写真展開催を無視したニコンサロン掲示板(2012年6月29日)

写真展開催を無視したニコンサロン掲示板(2012年6月29日)

そして、さほど広くはない場所で、中国で年輪を重ねて生活している元従軍慰安婦の30数枚の写真が展示され、「主催者挨拶」もパネルになっていた。写真については下記の主催者サイトでみてほしい。しかし、それ以外は、何も展示されていなかった。「写真」しか展示されていないのである。キャプションがないのである。

http://juju-project.net/

そして、写真展を説明し、写真に写っている元慰安婦たちを紹介するパンフレットがあったが、それはサンプル版しかない。知人によると、その販売もニコンによって差し止められたとのことである。結局、希望者は、連絡先を書いて、後日郵送してもらうことになっていた。

これらが、開催について、ニコンサロン側のつけた「制約」であると考えられる。字義通りに「写真」の展示しか認めておらず、その他、表現は差し止められていた。これが、日本を代表するカメラメーカーであるニコンの営為なのである。

7月1日、新宿に用があるので、もう一度、写真展を再訪してみた。入場制限がかけられ、20分くらい待たされた。中に入ってみると、声高に、写真を批判する人びとが居座っていた。写真家の安氏もいたが、キャプションでもパンフレットでも表現の手段が制約され、たぶん、ニコン社員の監視下では口論することも難しかったと考えられる。29日の時は、さかんにお話している姿がみられたが、この日は沈黙していた。

そして、東京地裁は、本処分でも、安氏を支持し、ニコン側の異議申し立てを却下した。このことを7月3日、朝日新聞はネット配信した。

ニコンの異議申し立て認めず 元慰安婦写真展で東京地裁
 元朝鮮人従軍慰安婦に関する写真展をめぐり、東京地裁(福島政幸裁判長)は、いったん中止を決めたニコンに会場を使用させるよう命じた6月22日の仮処分決定を支持し、ニコンの異議を退ける決定を出した。写真展は予定通り6月26日から東京・新宿のニコンサロンで開かれており、継続される見込み。

 写真展を開いている韓国人写真家の安世鴻(アン・セホン)さんによると、決定は6月29日付。会場の使用契約は成立していたと認定し、「ニコンは会場を使用させる義務がある」と判断。ニコン側の「『写真文化の向上』という会場使用の目的に反する」との主張も退けた。

写真展をめぐっては、ネット上で「売国的な展示で国益に反する」といった批判が広がり、開催決定後の5月22日、ニコンが安さんに中止を通告。だが会場を使用させるよう命じる仮処分決定が出ていた。

http://www.asahi.com/national/update/0703/TKY201207030111.html

とりあえず、写真展は開催されるようである。しかし、ニコン側の「制約」はそのままではないかと思われる。こういうことが、現代の日本の首都で行われていることから、私たちは目を背けてはならないだろう。

付記:写真キャプションは「写真キャプションは、作家本人の意図によりあえてつけておりません。写真のすぐ下に貼られた文字を読んで、見る人と写真の間に余計な先入観が生まれないように。直接写真と向き合えるようにという意図のもとです。」とのことである。ここで訂正しておきたい。なお、キャプションの代わりに説明はパンフレットで行う予定であったが、その配布をニコン側がさしとめたとのことである。

 

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