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Archive for 2012年6月

これまで、このブログでは、原発災害のリスクについては、一般的には「安全神話」という形で糊塗しつつ、立地地域において雇用や電源交付金というリターンとバーターすることがはかられてきたと述べてきた。

福島第一原発事故は、結局、原発災害のリスクに見合う、リターンなど存在しないことを示した。そして、原発災害の被災地はリターンが得られた立地地域をこえ、さらに、電力供給がされた電力会社管内すらこえて、近隣諸国にまで及んでいる。

その意味で、これまでのような原発立地を正当化する論理は通用しなくなっているといえる。滋賀県の嘉田知事が、立地自治体・立地県のみが原発稼働に対する発言権を有する現状の枠組みを批判し、「被害地元」という考えを示したことは一つの現れであるといえる。

どのように正当化の論理を再構築するか、そのことが、政府・電力会社・学界・立地自治体などの、いわゆる「原子力ムラ」において課題となっていた。2012年6月8日の大飯原発再稼働問題に対する野田首相の記者会見は、論理的には自己矛盾をきたしているものの、「原子力ムラ」がどのように原発を正当化する方向性を示したものといえる。前回・前々回のブログでみてきたが、もう一度、原発の正当化する方向性はどのようなものなのかをみておこう。

まず、記者会見の中で、野田は「国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。」と述べる。「国民生活を守る」ということを基準にしていることに注目してみよう。つまりは、国民生活を脅かすリスクから守るということが、彼の判断基準なのだと主張しているのである。つまり、ここでは、リターンなど問題ではない。「リスク」だけが問題なのである。

その上で、国民生活の安全を守る上での第一の問題として、原発の安全性を提起している。そして、野田は、福島第一原発事故による知見はいかされており、同等の地震・津波が襲来しても、炉心損傷は起きないことが確認されているという。つまり、現状において原発は安全であるとしているのである。これは、ある意味で「安全神話」を引き継ぐものということができる。過去の「安全神話」とは、別に安全対策が完備したから安全というではなく、設置側が「安全」を宣言したというにすぎなかった。それを継承することがまずなされている。

しかし、それならば、新たに原子力規制庁を立ち上げ、安全基準を作り直す必要はない。そこで、野田は、「こうした意味では、実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していくこととなります。」としている。現状の「安全」は暫定的なものでしかないのである。いくら野田でも、「原発の安全性」を絶対的に保障はできないのである。

それを、より明確に主張しているのが、西川福井県知事である。6月5日、次の記事を読売新聞がネット配信している

「福井に安全神話ない」…西川知事、原発相らに

 関西電力大飯原子力発電所の再稼働を巡り、細野原発相が4日、福井県に地元同意を要請したが、西川一誠知事は首を縦に振らなかった。夏の電力不足が迫る中、地元同意に向けた手続きはいつ動き出すのか。カギは西川知事が握る。

 「福井に安全神話はないんです」。西川知事は4日、会談で細野原発相らに語りかけた。全国最多の14基を抱える原発立地県としてリスクを負ってきたとの思いがにじむ。

 旧自治省官僚から副知事に就任した1995年、同県敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故が発生。知事当選翌年の2004年には同県美浜町の美浜原発事故で5人が死亡した。今回、再稼働への手続きに位置付けられた県原子力安全専門委員会は、西川知事が設置したものだ。

 会談では、消費電力の半分を福井に頼る関西への不満も口にした。関西広域連合が5月30日に出した「再稼働容認」声明に対し、「そもそも、消費地である関西は『容認』とおっしゃる立場にはない」と、厳しい口調で言い切った。

 電源三法に基づき、国が同県や県内の原発立地自治体などに投じた交付金は1974~2010年度までに計約3461億円。地域の経済、雇用は原発に依存する。県内の企業経営者は「福井と原発は切り離して考えられない」と話す。

 会談で西川知事は、「日本経済のために原発が重要で、再稼働が必要だということを、首相が直接、国民に訴える対応がなされれば、(再稼働同意に向けた)解決を進めたい」と述べ、再稼働に向けた条件を示した。「40年後の原発依存度ゼロに向けて動いている」(枝野経済産業相)との脱原発論がくすぶる政権に覚悟を迫った格好だ。

 会談後の記者会見で、西川知事は語調を強めた。

 「(ボールは)国にあります」

(2012年6月5日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120605-OYO1T00222.htm

これは、重要な発言である。西川知事は「安全神話」を否定する形で、原発のリスクを指摘したことになる。その意味で、原発は、西川にとっても「安全」なものではない。野田首相が「暫定的な安全」というあいまいな言い方をしたのと比べると、より明解である。

それでは、どのように原発の正当性を主張するのか。また、野田首相の記者会見にもどってみよう。野田は、こういうのだ。

国民生活を守ることの第2の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません。

確かに、日本社会は原発からの電力供給というリターンに依存してきたといえる。このことを逆手にとって、このリターンが絶たれることが、「国民生活を守る」上でのリスクだと野田はいうのである。原発供給電力というリターンを、リスクとして、この場所では表現しているのだ。このリスクは、夏期の計画停電に始まる人命・雇用・需要の喪失にはじまり、長期的にいえば、電力価格高騰における家計・企業経営への悪影響、さらに石油資源を中東に依存することへのエネルギー安全保障上の問題にまで及ぶ。これらを「国民生活を守る」上でのリスクとしてとらえているのである。

原発災害へのリスクに電力供給危機へのリスクを対置する、そのことによって、原発災害リスクへの懸念の増大を電力供給危機への危機に置き換える、そのような戦略が目指されているといえる。

そして、原発災害のリスクを甘受しつつ、電力危機のリスクに立ち向かう立地地域の人びとは、野田においては賞賛されるのである。

そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。

「大都市における豊かで人間らしい暮らし」とは、大都市住民でもない人びと、大都市でも豊かな生活をしていない人びとにとっては、絵空ごとであるが、しかし、野田の国民とは、そのような人びとを排除している。いわば、既得権を得ている人びとでしかなかろう。この既得権ーつまりはリターンーを得ている人びとを守るために、原発リスクを甘受している人びとこそが「敬意と感謝」の対象となるのである。

このような意識は、より立地地域の首長によって強く語られる。おおい町長は、4日に「住民の間からも、今までにない不満が出ている。立地自治体として40年間、大きなリスクを抱えながら今日に至っているのに、何の理解もない」(産經新聞5日ネット配信)と述べている。

最終的に野田は、このように述べる。

再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞ御理解をいただきますようにお願いを申し上げます。

再稼働させないことは、国民の生活の安心を脅かすということなのである。つまりは、再稼働反対派は、国民の生活の安心を脅かす存在なのである。

そのことを露骨に語っているのが、原発をかかえている美浜町議会である。やや前のことになるが、美浜町議会の動向について、産經新聞は次の記事を5月22日にネット配信している。

計画停電の検討、関電に要望 美浜町議会原特委 福井
2012.5.22 02:08
 
■電気のありがたさ知らせる

 関西電力美浜原子力発電所(美浜町)の再稼働について、美浜町議会原子力特別委員会は21日、経済産業省原子力安全・保安院と関西電力から、安全基準と緊急安全対策について説明を受けた。

 関電は昨年12月、美浜原発3号機のストレステスト(耐性検査)1次評価を提出し、保安院の審査待ち。同2号機は昨年7月、高経年化技術評価を提出し、今年7月には運転40年を迎える。同1、2号機は改正規制法案の制定待ちとなっている。

 この日の原特委では、山口治太郎町長や議員10人が出席。関電の説明後、議員が「今年の夏を乗り越えれば、原子力発電所がなくてもやっていけると思われがちだ」と指摘。「大阪など関西は電気があって当たり前だと思っている。関西に電気のありがたさを知らせるため、計画停電を最重要課題にすべきだ」と要請。

 関電美浜発電所の片岡秀郎所長は「供給の努力を怠ってはいけないが、化石燃料の増強が電気料金の値上げに繋がることなどを理解してもらわなければならない」と応えた。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120522/fki12052202080002-n1.htm

再稼働に反対する関西の人びとに電気のありがたさを知らせるため、計画停電を率先して行えと関西電力に要請したというのだ。野田の発言は、計画停電をさけるために再稼働せよというものだが、ここでは、反対派がいるような地域には電力供給しないことによって反省を促せと主張されているのだ。

野田の記者会見は、福井県側が求めたものである。それゆえ、たぶん従来から主張された安全神話の提起と、福井県などが主張する電力供給危機の問題が整合性がとれていない部分があり、野田の発言全体の自己矛盾の一因となっているといえる。しかし、福井県側においても、再稼働への同意の条件として、このようなことを国側が表明することになっていた。結局、原発のリスクを認めると、これまでのようにリターンを与えることによって同意を調達することは主軸にならないのである。国が「国民生活を守る」上でのリスクとして、原発よりの電力供給危機に対応することをあげ、それこそが「国策」だと措定することによって、「原発の安全性」というリスクを第二義的なものとし、無効化する。もちろん、電力供給上の危機といっても、一般的にも電力供給というリターンを失うということにすぎないし、現実には、電力会社・立地自治体などのリターンが失われることでしかない。しかし、それを、それこそ、「国民国家」的な「国民の生活」を守るための利益だと拡大し、現実的なリターンなしに、原発のリスクを甘受することが国家から訓示される。原発のリスクを甘受しつつ、国民の生活を守るために電力供給に協力した福井県の人びとは賞賛され、再稼働をさせないように主張した人びとは、国民の生活の安心を脅かすものとされるのだ。その意味で、原発災害のリスクが、電力供給上のリスク(実質は原発からのリターンが失われるということにほかならないが)によってバーターされることによって、原発が正当化されるといえるのである。

このことは、例えば、1974年の電源交付金制度設置においては、原発の安全性を主張しつつ、とりあえずリターンを与えることによって、原発の正当性を担保させるというやり方とは大きく異なるといえる。原発からの電力供給というリターンが絶たれるというリスクを強調される。原発は、電力会社や立地自治体に限らず、現存秩序の中で既得権を得ている人びとにとって、特別なリターンなしに喪失からのリスクから守らなくてはならないものの象徴となり、さらに「国民生活の安全」全体にとっても守るべきものなっていく。そして、それは、国家がー現実には野田首相がー、それこそが、原発の安全性をこえて守るべき国策として措定し、その国策に従うものを賞賛し、反対する者を国民生活を脅かす者とレッテル張りをすることになる。

このような形で、原発が正当化されていくことがめざされていると考えられる。このことによって、現実には、美浜二号機のような、老朽でよりリスクのある原発が再稼働されることになるだろう。つまり、安全性は二の次であり、電力供給を守ることが国策なのだから。他方で、国民生活上の危機なるものを原発に限らずあおり立て、何らのリターンもなしに、「国策」に従うことが強制されていくということが横行していくだろう。消費増税正当化の論理も、その一つであろう。そして、この状況こそが民主主義の危機である。

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本日(2012年6月8日)、福井県知事から「国民に原発の必要性を主張してほしい」という要請に答えて、野田首相が大飯原発再稼働の正当性を訴える記者会見を行った。

この内容については、すでにマスコミ各社が伝えているが、その要約では、野田首相の論理を正確に伝えているとは言い難い。前から、どのような論理で、野田首相は原発再稼働の正当性を主張するのだろうと考えていた。首相官邸のサイトにアップされた、野田首相の記者会見のテクストにおける論理展開をみながら、どのように野田首相が原発再稼働を正当化づけるのかをみていきたい。

まず、冒頭で、野田首相は、次のように提起する。

 

本日は大飯発電所3、4号機の再起動の問題につきまして、国民の皆様に私自身の考えを直接お話をさせていただきたいと思います。

 4月から私を含む4大臣で議論を続け、関係自治体の御理解を得るべく取り組んでまいりました。夏場の電力需要のピークが近づき、結論を出さなければならない時期が迫りつつあります。国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。
http://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/2012/0608.html

野田は、この問題が「国論を二分する問題」であることを認めた上で、彼自身は「国民生活を守る」ということが、自分の絶対的判断基準であり、国の最大の責務であるとしている。

では、「国民生活を守る」ということはどういうことなのか。野田は、このことを二つにわけている。第一は「原発の安全性」ということである。

 

その具体的に意味するところは2つあります。国民生活を守ることの第1の意味は、次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないということであります。福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整っています。これまでに得られた知見を最大限に生かし、もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています。

 これまで1年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果であります。勿論、安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました。そのため、最新の知見に基づく30項目の対策を新たな規制機関の下での法制化を先取りして、期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています。

福島のような事故を起こさないことがまず第一であるというのである。つまり原発の安全性が第一の問題である。そのことについて、野田は、全電源喪失しても炉心損傷は起きないことは確認した、新たな知見については、今後の法制化を先取りして、実施することを電力会社に求めたとしている。

この安全であるかいなかということが、基本的に大きな問題であり、例えば大飯原発のストレステストについては、班目原子力安全委員長すら、再度の検討が必要であると発言している。また、免震重要棟建設の必要性など、福島第一原発事故で得られた「知見」についても、多くの実施は「先送り」となっている。野田のいう、国論が二分しているという所は、再稼働される原発の安全性なのである。それについて、彼は「安全である」と断言しているといってよいだろう。しかし、野田は、このようにいう。

 

その上で、原子力安全への国民の信頼回復のためには、新たな体制を一刻も早く発足させ、規制を刷新しなければなりません。速やかに関連法案の成案を得て、実施に移せるよう、国会での議論が進展することを強く期待をしています。

 こうした意味では、実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していくこととなります。その間、専門職員を要する福井県にも御協力を仰ぎ、国の一元的な責任の下で、特別な監視体制を構築いたします。これにより、さきの事故で問題となった指揮命令系統を明確化し、万が一の際にも私自身の指揮の下、政府と関西電力双方が現場で的確な判断ができる責任者を配置いたします。

 なお、大飯発電所3、4号機以外の再起動については、大飯同様に引き続き丁寧に個別に安全性を判断してまいります。

 実は、これは、大飯原発が安全であるとする野田の断言を自ら裏切っているといえる。新たな規制機関はまだ作られておらず、その上での新たな安全基準もない。もし、新たな安全基準に照らして、大飯原発の安全性に疑問をもたれたら、どうするのだろうか。その場合、運転停止にできるのだろうか。とりあえず、疑問だらけなのだが、それは後述する。ただ、確認できるのは、野田は、とりあえず大飯原発は安全であるという点に立脚しているということである。

そして、次に、野田は国民生活を守る第二の意味として、電力供給面からの日常生活への悪影響を避けるということをあげている。まずは、いわゆる夏場の電力不足問題をあげている。
 

国民生活を守ることの第2の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません。

 数%程度の節電であれば、みんなの努力で何とかできるかもしれません。しかし、関西での15%もの需給ギャップは、昨年の東日本でも体験しなかった水準であり、現実的には極めて厳しいハードルだと思います。

 仮に計画停電を余儀なくされ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人も出ます。仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。東日本の方々は震災直後の日々を鮮明に覚えておられると思います。計画停電がなされ得るという事態になれば、それが実際に行われるか否かにかかわらず、日常生活や経済活動は大きく混乱をしてしまいます。

確かに、関東や東北などでは、昨年は計画停電や夏場の節電などで、苦労をしたことは否めない。しかし、「命の危険にさらされる」というほどのものではない。さらにいえば、そのことで「仕事が成り立たなくなってしまう人もいます。働く場がなくなってしまう人もいます。」というならば、それは現在の就職難の主要因ではないと答えることができる。2008年のリーマンショックの時、もちろん、電力供給に支障などなかったが、多くの人が失業した。今でもそうだ。しかし、そんなことは、野田の念頭にはない。

さらに、野田は、このように主張する。

 

そうした事態を回避するために最善を尽くさなければなりません。夏場の短期的な電力需給の問題だけではありません。化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます。そのため、夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません。更に我が国は石油資源の7割を中東に頼っています。仮に中東からの輸入に支障が生じる事態が起これば、かつての石油ショックのような痛みも覚悟しなければなりません。国の重要課題であるエネルギー安全保障という視点からも、原発は重要な電源であります。

単に夏場だけでなく、電力価格の高騰をさけ、雇用を確保するために、原発からの電力供給は恒常的に必要であり、そうでなければ「国民の生活」を守れないと主張するのである。この論理でいけば、原発は半永久的に維持しなくてはならなくなるだろう。しかし、そうなると、新たな安全基準で大飯原発の安全性に疑問がもたれた場合、どうするのだろうか。暫定的な安全基準によって、原発再稼働するということは、実は「電力の安定供給」という野田の命題そのものを裏切ることになるのである。つまり、「安全」が確保されないと「電力の安定供給」→「国民生活を守る」という論理が危うくなっていくのである。

さらに、野田は、このように述べる。

 

そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。

まず、「大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました」というところをみておこう。これは、二重の意味で問題をはらんでいる。「大都市」でなければ「豊かで人間らしい暮らし」ができないのか。つまり、地域格差がここでは前提となっているのである。また、「大都市」であっても全ての人が「豊かで人間らしい暮らし」をしているのか。階級格差もここでは前提となっているのである。電力供給がなされても「豊かで人間らしい暮らし」など保障されない。しいていえば、その一部にすぎない。そして、電力供給難のみが「大都市における豊かで人間らしい暮らし」をおくることの支障になるというならば、地域格差も階級格差も関係ない人を対象にしているといえる。その意味で、野田の「国民」とは「大都市における豊かで人間らしい暮らし」を享受している人をさすことになるだろう。その点、電力供給とは関係なく「豊かで人間らしい生活をおくれない人」のことなど眼中にはない。電力価格高騰で、家庭や中小企業が困窮するといっているが、最近の報道では、東電の利益の9割が家庭向けから得ていると聞く。そんなものなのである。

後段の「関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。」という発言は、全く理解できない。野田は原発の安全性を最初のところで主張している。立地自治体は別に電力生産者でもなく、原発が安全ならば、原発によって苦労を強いられることはないだろう。原発のリスクがあるから苦労するのだ。強いて言えば、電力供給によって「国民の生活を守る」という国策に従ってきたことへの敬意と感謝なのだが、その言外には、原発のリスクを甘受せざるをえないという犠牲をねぎらうということが含意されている。その意味で、野田は、自分の最初にいった発言を裏切っているのだ。

そして、野田は、大飯原発の再稼働を宣言するのである。

 

以上を申し上げた上で、私の考えを総括的に申し上げたいと思います。国民の生活を守るために、大飯発電所3、4号機を再起動すべきというのが私の判断であります。その上で、特に立地自治体の御理解を改めてお願いを申し上げたいと思います。御理解をいただいたところで再起動のプロセスを進めてまいりたいと思います。

 福島で避難を余儀なくされている皆さん、福島に生きる子どもたち。そして、不安を感じる母親の皆さん。東電福島原発の事故の記憶が残る中で、多くの皆さんが原発の再起動に複雑な気持ちを持たれていることは、よく、よく理解できます。しかし、私は国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはできません。

「国民の日常生活」を守ることが、野田の至上命題になっている。ある意味で、彼にとっては、福島のことは「非日常」なのであり(それ自身はそうだが)、「日常」を守る上では考慮されない。もし、敬意と感謝を述べるならば、それはいまだ原発リスクを完全には体験していない福井県の人びとではなく、そのリスクを身をもって体験した福島県の人びとであると思うが、もはや「原発再稼働」というカードをもたない福島県の人びとは対象外なのである。

しかし、彼は、長期的には原発への依存度を下げるのだという。

 

一方、直面している現実の再起動の問題とは別に、3月11日の原発事故を受け、政権として、中長期のエネルギー政策について、原発への依存度を可能な限り減らす方向で検討を行ってまいりました。この間、再生可能エネルギーの拡大や省エネの普及にも全力を挙げてまいりました。

 これは国の行く末を左右する大きな課題であります。社会の安全・安心の確保、エネルギー安全保障、産業や雇用への影響、地球温暖化問題への対応、経済成長の促進といった視点を持って、政府として選択肢を示し、国民の皆様との議論の中で、8月をめどに決めていきたいと考えております。国論を二分している状況で1つの結論を出す。これはまさに私の責任であります。

これは、「国民生活を守る」ために原発は必要だとする彼自身の前述した論理を裏切っている。もし、そういうのならば、原発への依存度を下げてはいけないはずである。このような自己矛盾している野田に「国論を二分している状況で1つの結論を出す。これはまさに私の責任であります」ことが可能なのだろうか。

最後に彼は、このようにいう。

再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞ御理解をいただきますようにお願いを申し上げます。

 また、原子力に関する安全性を確保し、それを更に高めていく努力をどこまでも不断に追及していくことは、重ねてお約束を申し上げたいと思います。

 私からは以上でございます。(記者との応答は省略)

再稼働させないことは「生活の安心を脅かす」というのである。つまり、再稼働反対派は、「国民の生活」を脅かすということになる。ある意味では「非国民」ということになろう。

しかし、これは、再稼働反対派・慎重派からいわせれば、全く逆であろう。原発の安全性が担保されないまま、再稼働されることこそ、「生活の安心を脅かす」ことになる。

さて、全体でいえば、この野田の主張は、自己矛盾の塊といってよい。いくら野田でも「安全性」が最優先されることはふまえて「安全」といっているが、しかし、原発のリスクが立地自治体におよぶことを言外に認めざるをえない。今後、規制庁ができたら新たな安全基準で審査する必要性があるとするのだが、もし、そうなれば、原発を停止する可能性があり、電力の安定供給ということに反するであろう。さらに、原発に依存しなくては日本社会が成り立たないといいながら、長期的には脱原発依存を主張する。ある意味で、再稼働反対派・慎重派の原発から「国民の生活を守る」という論理を小器用に転換して、電力供給の危機から「国民の生活を守る」という論理で当面は糊塗しているといえるが、内容は矛盾だらけである。

しかし、この中で、ある種、「国民の生活を守る」という国民国家的名目で、国家主義を押し付ける論理が顕在化してきていることに注意しなくてはならない。その中で、電力供給という、「大都市で豊かで人間らしい生活」をおくる人びとの利益が国民全体のものとされてくる。そして、その仕組みに犠牲を払って従う人びとは、賞賛される。他方、反対派の意見は「国民生活を守る」点から排除される。もはや、原発の安全神話が崩壊し、原発のリスクに見合うリターンなど存在しなくなった時、浮上してきたのは、一面的に「国民生活を守る」ことの内容を国家の首脳が定義し、犠牲を払いつつ従う人たちを組織し、別種の「国民の生活を守る」という論理を排除する、ある種の国家主義なのであるといえる。しかも、それが、おおい町長や福井県知事の要請に答えてー形式的には下からの要請に答えて、出現したということにも着目しておかねばならない。

単に、原発再稼働ということをこえて、私たちは歴史的な試練を迎えているという感が否めないのである。

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さて、福井県大飯原発再稼働問題について、もう少しみておこう。細かな経過は省略するが、大飯原発再稼働については、その安全性をめぐって、福井県外の人びとから不安の声があがっている。そして、滋賀県知事・京都府知事・大阪市長などの関西圏の首長は、一層の安全対策が要求したが、電力不足を指摘する財界の声におされて、「限定的」「暫定的」ならば現状の安全対策でも原発稼働は仕方がないと表明するにいたっている。

このような、関西圏の首長たちに対し、原発が立地している福井県の首長たちは反発した。例えば、産經新聞は、6月4日に次の記事をネット配信し、福井県知事とおおい町長の反発を伝えている。

期間限定「スーパーの安売りではない」 西川・福井県知事、怒り露わ 
2012.6.4 21:55 (1/2ページ)[westピックアップ]
 「期間限定など、スーパーの安売りではない」-。4日夕行われた関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働をめぐる細野豪志原発事故担当相らと福井県の西川一誠知事の会談。大阪市の橋下徹市長ら関西の一部の首長が主張する夏期限定の再稼働には、かねて不快感を漏らしていた西川知事は、この日も皮肉交じりの口調で憤りをあらわにした。

 今回の会談で、再稼働に強い反発を示していた関西の理解を得たとする政府側の主張に対し、西川知事は「関西が再稼働を容認したから、すぐに動かせといわれるが、消費地である関西は、再稼働を容認するという立場ではない」と不満を口にし、「夏場だけの稼働、大飯だけに限定するのではない、と示していただきたい」と強く迫った。

 4月14日の枝野幸男経済産業相による再稼働要請以降、西川知事は関西の動向について、具体的な発言をしてこなかった。その態度が一変したのは、5月24日の定例会見。「電気が必要でないというのであれば、無理して動かす必要はない」と明言し、周囲を驚かせた。さらに、期間限定での再稼働を「勝手で話にならない」と一蹴。原子力の役割や、機能を踏まえた国全体での議論を訴えた。

 また、4日に会見したおおい町の時岡忍町長も、橋下市長らの夏期限定稼働の主張について「住民の間からも、今までにない不満が出ている。立地自治体として40年間、大きなリスクを抱えながら今日に至っているのに、何の理解もない」と西川知事に同調した。

大飯原発の地元を代表する2人の異例の発言は、電力消費地の関西の都合によって振り回されることへの不満と警戒感だ。県議の一人は「声の大きな方だけを向いて発言してきた政府を、牽(けん)制(せい)する意味があるのではないか」と推測する。

 4日の会談後、国が関西と福井の双方に対して“いい顔”をしているとの記者団の指摘に対し、西川知事は「だからこそ、総理がしっかりとした原発の意義付け、再稼働に向けたメッセージを国民に向けて、意見表明が重要になる」と野田佳彦首相が明確な姿勢を示すことを改めて求めた。

 計画停電が現実味を帯びる中で、国と電力消費地に振り回される供給地の福井県。原子力政策をめぐる政府の姿勢にはぶれが目立ち、西川知事は再稼働後、政府にはしごを外されるとの懸念が拭えないようだ
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120604/waf12060422030028-n1.htm

加えて、敦賀市長も、このように発言していることを、産經新聞はネット配信している。

消費地の「ご都合主義」 敦賀市長が批判
2012.6.4 20:57 [節電・原発]
 福井県敦賀市の河瀬一治市長は4日の記者会見で、関西広域連合が関西電力大飯原発3、4号機の限定的再稼働を事実上、容認する声明を発表したことについて「原発は国の基幹電源で、動かしたり止めたりするものではない。ご都合主義と言わざるを得ず、関西の理解はまだ十分でない」と批判した。

 河瀬氏は「『再稼働が夏場だけ、大飯だけ』というのは理屈が通らない。関西圏は感情的になっている」とも述べた。敦賀市には、日本原子力発電敦賀原発や高速増殖炉原型炉もんじゅが立地。河瀬氏は、全国原子力発電所所在市町村協議会の会長。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120604/wec12060421070006-n1.htm

福島第一原発事故は、メルトダウンなどのシビアアクシデントのリスクは計り知れないほど大きいこと、そして、そのリスクは、県境(いや国境も)をこえて広がることを示した。現状では、雇用・電源交付金・固定資産税・核燃料税などのなんらかのリターンが得られる立地自治体・立地県のみが原発稼働に同意する権限を有している。しかし、例えば、福島県飯館村や福島市・郡山市などのように、直接的リターンがあまりない地域にも、原発災害のリスクは及ぶのである。最終的には腰砕けになったものの、滋賀県の嘉田知事は「被害地元」という形で、そのような考え方から、原発再稼働について発言したのである。

このような考え方に対し、福井県知事や敦賀市長らは、国策として原発を維持することの必要性を国が主張せよと訴えている。彼らからすれば、国が原発の必要性を訴えることによって、腰砕けになったとしても、安全性の観点から、原発再稼働について「限定的」「暫定的」という制限をかけようとする関西圏の首長たちの主張を封じたいというのであろう。

しかし、これは、たぶん、現在の民主主義的諸制度の根幹を揺るがしかねないといえる。立地自治体や立地県の本来の権限は、住民の生存・生活を守るという観点から、原発が安全であるかいなかを検証することであるはずだと思う。しかし、これらの首長たちは、「安全」であるかいなかを度外視して、国策だから原発稼働に同意せよと、国がその意志を表明することを主張しているといえる。いってしまえば、住民の生存・生活は、国策遂行の前には犠牲にしてかまわないものといっていることになるのだ。

まるで、国策が「戦争」から「原発」にかわっただけで、戦時期の日本のようである。つまり、国策遂行の目標からみるならば、民衆の生存・生活を保障することは、この言い方では度外視されているのだ。現在の民主主義的諸制度は、戦前のこのような考えに対する反省の上にたっている。国は、国策遂行という名目のもとに、民衆の生存・生活を犠牲にしないということが、戦後の初心だったといえる。福井県知事や敦賀市長の発言は戦後の初心を否定するものといえる。

おおい町長の「住民の間からも、今までにない不満が出ている。立地自治体として40年間、大きなリスクを抱えながら今日に至っているのに、何の理解もない」という発言は、より問題である。おおい町長は、原発がリスクがあることを認めてしまっている。歴代の首長は、リスクがあることを承知で原発を受け入れてきたということになる。その上で、町民がリスクを甘受してきたことを理解せよという。彼の目標は原発再稼働にあるので、リスクを受け入れてきた町民たちの犠牲の上にたって、他地域の住民は再稼働を認めよということになるだろう。

この論理は、満州事変などにおいて、日清・日露戦争以降犠牲になった日本兵の血で購った地域を失ってはならないという論理に重なってみえる。この論理に従って日本は戦争を続け、日清・日露戦争とは比べものにならない犠牲を出すに至ったのである。

このように、福井県の首長たちの発言は、原発再稼働の是非だけでなく、戦後民主主義の基盤を揺るがすものになっている。ある意味では、これまでは、「安全神話」によるリスクの隠蔽のもとに、雇用・財源などのリターンの分配により、自発的に「同意」を調達し、戦後民主主義の外観を保ってきたといえる。しかし、原発災害という、あまりにも大きいリスクに見合うリターンは存在しない。形式的でも「合意」を調達する戦後民主主義ではなく、住民の生存・生活を犠牲にして国策への忠誠を強調するある種の国家主義がここでは表明されているといえるのだ。
 

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さて、前回のブログで、現在、商業炉13基、もんじゅ(高速増殖炉)1基、都合14基の原発があること、今回再稼働の対象となったのは、その中で最も遅く建設されたおおい原発3号機(1991年運転開始)と4号機(1993年運転開始)であったことを述べた。定期点検は、この2基よりも、敦賀1号機(2011年1月)、美浜1号機(2010年11月)、高浜1号機(2011年1月)、大飯1号機(2010年12月)がより早期に入っているが、この4基は、いずれも30年以上前に建設された原発のため、再稼働の対象から外されたのであろうと推測した。

現在、国会に提案されている原子炉等規制法改正案では、原発の耐用年数は原則40年とし、場合によっては最長20年の運転延長を認めることになっている。この20年の運転延長を認めるかいなかが問題となっている。例えば、福井新聞が2012年2月1日にネット配信した次の記事でもわかるように、厳格に40年を耐用年数とするならば、福井県の商業炉13基のうち、半分以上の8基が2020年までに廃炉になってしまうのだ。そして、2030年には2基のみが稼働していることになる。

原子炉規制法、福井への影響必至 20年時点で8基廃炉
(2012年2月1日午前7時45分)

 原発の運転期間を原則40年に制限する原子炉等規制法改正案が31日、閣議決定された。福井県内には13基の商業炉があるが、厳格に運用されれば2020年に8基が「寿命」を迎えているだけに、福井県が大きな影響を受けるのは必至。一方で、20年を超えない範囲で1回に限り延長を認めるとの例外規定も盛り込んでおり、立地自治体には基準の明確化を求める声や、国のエネルギー政策見直し全体の中で議論すべきだとの指摘もある。(政治部取材班)

 県内原発は、日本原電敦賀1号機、関西電力美浜1号機が運転開始から41年たち、美浜2号機も今年7月に40年となる。この3基を含め計8基が30年を超えている。

 県はこれまで高経年化(老朽化)対策の強化を繰り返し国に求めており、石塚博英安全環境部長は「40年で一区切りする考えは県の要請とある程度の方向性は合っているように思われる」と一定の評価をした。

 運転を40年に制限すれば、県内では2015年の段階では5基、20年には8基が廃炉となっており、合計出力でみると現在の約53%に当たる602万キロワットが失われる計算。20年の時点で稼働している原発は敦賀2号機、大飯3、4号機、高浜3、4号機の5基、30年には2基だけとなっている。政府の狙い通り、自動的に原発依存度が下がる形だ。

 ただ、「40年」に必ずしも科学的根拠があるわけではなく、例外として延長を認める場合の基準づくりもこれから。石塚部長は「40年で区切る根拠や運転延長を認める基準を明示すべきだ」と話し、既に40年を超えた県内の2基の取り扱いも早く明らかにするよう国に注文した。

 一方、将来の電源構成をどうするかの議論がまとまらないうちに運転期限だけが先行する点では「原子力政策がどうなるか決まっていない段階で、40年とか60年とか出ることに、全国の立地地域は不信感を持っている」(河瀬一治敦賀市長)との意見もある。

 電力事業者は国会での議論など今後の国の動向を見守る構えだ。この日記者会見した関電の八木誠社長は、規制は合理的であるべきだとした上で「基準に合うか自信を持って確認できれば、運転延長の手続きを取っていく」と言明。古い原発を多数抱えるだけに「仮に延長申請するにしても手続きや技術的な対応が必要。移行期間を設けてほしい」とも述べた。

 細野豪志原発事故担当相は「厳格な規制を課すので、40年を超える運転は極めて例外的なケースに限られる」としているが、原発設置反対小浜市民の会の中嶌哲演さんは形骸化する可能性が高いと指摘。「20年延長も可能という抜け穴をつくるなんて論外。“原子力ムラ”の人たちがほくそ笑んでいる閣議決定ではないか」と批判した。

 県内の立地市町には、古い原発の運転延長よりリプレース=Wワードファイル=を望む声もあるが、野田政権は「新増設は困難」との立場。今夏をめどに示されるエネルギー政策見直しの中身によっては県内の原発政策は大転換を迫られる。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/politics/32823.html

この40年で原発を廃炉にする方針は、このように廃炉対象となっている原発を多く抱える関西電力にとって従い得ないものであった。産經新聞が2012年3月24日にネット配信した記事によれば、関西電力副社長豊松秀己は、2012年3月23日に運転開始より41年を経過した美浜1号機の運転延長を申請する意向であることをあきらかにした。

また、今年11月に運転開始から42年を迎える美浜1号機(同県美浜町)については「安全性が確認できるプラントは動かしていきたい」と述べ、再稼働の手続きに入る考えを表明。最長60年運転への延長申請も検討することを明らかにした。

 政府は原発の寿命を原則40年とする「原子炉等規制法改正案」を今国会に提出し、すでに40年を超えている原発の再稼働は認めず、廃炉とする方針。これに対し、日本原子力発電も40年を超えた敦賀原発1号機の再稼働手続きに入る考えを示している。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120324/wec12032421410006-n2.htm

このように、関西電力は、建設から40年以上たった原発でも安全だとしている。しかし、すでに前述したように、この度再稼働の対象とした原発は最新鋭のものをわざわざ選択し、老朽化した原発は外している。いわば、言外に老朽化した原発はリスクが大きいことを示しているといえるだろう。

原発をめぐる話は、この手のものが実に多い。「安全」だといいつつ、現実にはリスクを考慮した措置がとられている。ただ、この措置も、とりあえず「再稼働」させようという課題のもとにとられているのではないかと思う。「安全」であるはずの原発が「再稼働」してみたらトラブルしたでは、リスクをアピールしただけに終わるだろう。当面は、リスクの少ない原発を再稼働させ、それを前例にして、40年をこえる、関西電力からみてもリスクの大きい原発を次々再稼働していくという作戦なのだと思われる。6月4日にロイターのネット配信した記事は、福井県知事が規制庁の新設をまたず、原発再稼働の是非を原子力安全委員会が行うようにせまっている点で注目される。

[福井 4日 ロイター] 福井県の西川一誠知事は4日夕、関西電力(9503.T: 株価, ニュース, レポート)大飯原子力発電所3、4号機(同県おおい町)の再稼働問題について細野豪志原発担当相らと会談した。

席上、西川知事は「政府部内からいろいろな見解、矛盾した主張が出て県民にとって迷惑」と指摘した上で、「再稼働の必要性について首相は国民に訴えていただいて、様々な疑問に答えていただくことが国民の安心と支持につながる」と強調した。

西川知事は政府側に対し「夏場だけの稼動とか大飯原発に限定した稼動に限定した一部の言い方があるが、政府がそうした考え方ではないと示して頂きたい」と要望した。会談後、同知事は記者団の取材に応じ、野田佳彦首相の再稼働問題に関する意見表明について「どういう方法かは(検討余地は)あるかもしれないが、国民に目を向けて責任と覚悟をもって様々な問題に意見表明してほしい」と述べ、この問題で首相が記者会見をするべきとの考えを示唆した。再稼働に向けた最終判断のボールが政府側と福井県側のどちらにあるのかとの質問に知事は「国にある」と明言した。

4月に枝野幸男経産相が福井県を訪問し大飯原発の再稼働に理解を求めた際に、西川知事は「消費地に理解を得るよう政府は努力を」と注文。ただ、滋賀県や京都府、大阪府・市など近隣自治体が再稼働に強い異議を唱え、福井県と近畿の自治体との対立が強まった。

先月30日に鳥取県で開催された関西広域連合の会合で、細野担当相らが再稼働に向けた説明を行い、同連合はその日、大飯3、4号の再稼働について「政府には、限定的なものとして適切な判断を求める」との声明を出したが、同声明が大飯原発限定の容認なのか、夏場だけの期間限定なのかといった解釈をめぐる混乱が生じた。

西川知事の確認に対し、同行した斎藤勁官房副長官は「大飯3、4号機はこの夏場をしのぐだけの限定した稼動だと考えていない。関西広域連合にもしっかり説明したし、この考えに揺るぎはない」と答えた。また西川氏は、原子力の新しい規制機関の早期発足に向けた政府の努力や、使用済み核燃料の中間貯蔵に関して消費地を巻き込んだ検討を政府が先頭に立って進めるよう細野担当相らに要望した。

細野担当相は「新規制組織は5月29日、(国会で)審議入りした。政府案と自公案は考え方で異なる点もあるが、規制組織を一元化し規制を強化していくことを共有している。柔軟に対応することで新たな規制機関を一日も早く発足させたい」と説明。使用済み燃料の中間貯蔵については同相は「消費地に皆さんにも使用済み燃料の貯蔵の問題をお考えいただく必要がある」と語り、西川知事の要望に理解を示した。このほか、大飯原発の再稼働に向けて政府が準備する「特別な監視体制」について、西川知事は福井県の専門職員の派遣を求める意向を表明し、細野氏も「福井県の皆様にも入っていただきたい」と応じた。

さらに西川知事は、再稼働に向けたストレステスト(耐性評価)で原子力安全・保安院の審査が終了した原発についても「新規制庁の設置を待つことなく、原子力安全委員会が責任をもって審査する立場にある」と畳みかけた。大飯3、4号の同テスト1次評価の確認を最後に安全委によるストレステストの確認審査がストップしていることについて、全国最多13基の商業炉を抱える福井県として不満を示したものだ。この点について細野担当相は、「原子力安全委は国家行政組織法上の独立機関。(安全委の)独立性については十分に尊重していく必要があることを知事はご理解を」と語り、政府だけでは他の原発の再稼働を推進するうえで限界があるとの認識を示した。

(ロイターニュース 浜田健太郎)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTJE85300F20120604

原発のリスクがないということが再稼働の条件であったはずだが、実際にはリスクがある。そして、放置しておくと、よりリスクの大きな老朽原発が再稼働されていくということになると思われるのだ。

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福島第一原発事故を受けて、関西電力大飯原発3・4号機の再稼働問題がクローズアップされている。まず、福井県の原発の現況をウィキペディアや関西電力などのサイトに依拠して、ここで概観してみよう。

現在、福井県内にある原発は、高速増殖炉もんじゅも含めて、14基を数える。現在、福島第一原発1〜4号機が廃炉となり、もんじゅも含めれば51基(商業炉だけでいえば50基)の原発が存在しているが、基数でいえば全体の約27.4%にあたる。福島第一・第二原発が健在であった時期の福島県においても10基(現在は6基)にすぎない。全国で最も原発が集中して建設されているといえる。そして、これらの原発は、全て福井県の嶺南地方といわれる、敦賀・若狭地区に建設されている。

ここで、それぞれの原発についてみておこう。

敦賀発電所(日本原子力発電所株式会社 関西・北陸・中部電力に電力供給 敦賀市所在)
1号機 電気出力35.7万kw 営業運転開始1970年3月14日 定期点検2011年1月25日より
2号機 電気出力116万kw 営業運転開始1987年3月30日 定期点検2011年5月7日より(放射能漏洩調査あり)

もんじゅ(日本原子力開発機構 高速増殖原型炉 敦賀市所在)
もんじゅ 電気出力28万kw 運転開始1983年1月25日(事故・故障続出で運転実績が少ない)

美浜発電所(関西電力株式会社 美浜町所在)
1号機 電気出力34万kw 営業運転開始1970年11月28日 定期点検2010年11月24日より
2号機 電気出力50万kw 営業運転開始1972年7月25日 定期点検2011年12月18日より
3号機 電気出力82.6万kw 営業運転開始1976年3月15日 定期点検2011年5月14日より

高浜発電所(関西電力株式会社 高浜町所在)
1号機 電気出力82.6万kw 営業運転開始1974年11月14日 定期点検2011年1月10日より
2号機 電気出力82.6万kw 営業運転開始1975年11月14日 定期点検2011年11月25日より
3号機 電気出力87.0万kw 営業運転開始1985年1月17日 定期点検2012年2月20日より
4号機 電気出力87.0万kw 営業運転開始1985年6月5日 定期点検2011年2月20日より

大飯発電所(関西電力 おおい町所在)
1号機 電気出力117.5万kw 営業運転開始1979年3月27日 定期点検2010年12月10日より
2号機 電気出力117.5万kw 営業運転開始1979年12月5日 定期点検2011年12月16日より
3号機 電気出力118万kw 営業運転開始1991年12月18日 定期点検2011年3月18日より
4号機 電気出力118万kw 営業運転開始1993年2月2日 定期点検2011年7月22日より

事業者別でいえば、関西電力11基、日本原子力発電2基、日本原子力研究開発機構1基であり、関西電力の原発が突出して建設されている。日本原子力発電の敦賀発電所は、地元の北陸電力にも電力供給しているが、大部分は域外の関西電力圏内に供給されているといえよう。なお、原子炉形式は、敦賀発電所1号機が沸騰水型軽水炉、もんじゅが高速増殖炉であるが、それ以外はすべて加圧水型軽水炉である。

このように、福井県の原発について、自分なりにメモしてみると、興味深いことがわかる。関西電力の各原発は美浜、高浜、大飯の順で建設されていったといえるのだが、今回、ストレステストに合格したと称して再稼働が企てられている大飯3号機・4号機は、福井県の原発の中で、最も後に建てられた(1990年代前半に営業運転開始)ものであることがわかる。いわば、この地域にとっては、最新鋭の原発なのである。

このことは、各原発の定期点検に入った日からも裏付けられる。大飯原発3・4号機は、それぞれ2011年3月と7月に定期点検に入っているが、その前から定期点検に入った原発は、敦賀1号機(2011年1月)、美浜1号機(2010年11月)、高浜1号機(2011年1月)、大飯1号機(2010年12月)と、かなりある。これらが、ストレステスト実施後初の再稼働候補にならなかった理由は、端的にはこういえるだろう。これらは、大飯原発3・4号機よりもかなり古い原発なのである、敦賀1号機は現存の原発としては1番古いもので1970年運転開始であり、美浜1号機は次に古い原発で、これも1970年運転開始なのである。この二つの原発は、40年をこえている。高浜1号機も1974年運転開始である。また、大飯原発1号機も電気出力は、3・4号機とさほど変わらない117.5万kwなのだが、運転開始は1979年で、30年以上昔のものである。

30年以上たった原発は、最新鋭の原発と比較すると、よりリスクがあるとされている。そもそも、原発は、熱や放射線などをあび続けていると材質などがもろくなるとされている。また、特に初期型の原発は、アメリカのウェスティングハウス社やゼネラルエレクトリック社によって、いわばレディメイドな形で設計され、耐震性などは初期設計では考慮されなかったということもあり、そもそも、よりリスクがあるといえるのだ。電力会社などは、建設後60年まで運転できると称している。しかし、彼らも、より古い原発のほうがリスクが高まることは承知しているといえる。ゆえに、最新鋭で、たぶん故障も少ないと思われる大飯3・4号機を再稼働の候補としたといえる。

もちろん、この再稼働が実施されれば、それを前例にしてその後は古い原発も安全であるといいはると考えられる。しかし、この最新鋭の原発ですら、安全性の面では根本的な改善がみられず、世論が再稼働に反対するに至ったとは見ての通りである。そして、今後は、より古く、リスクがより大きいと関西電力すら認める原発が再稼働されていくことになってしまうと考えられるのである。

さて、このような現況をふまえて、機会をみて、どのように福井県地方に原発が建設されていくにいたったかを検討していきたいと考えている。

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このブログで、原発の歴史をめぐる主要参考文献を掲載した。今回、このリストを増補したので、ここで紹介しておきたい。最近入手した『震災・核災害の時代と歴史学』や「史創』2号所載論文などや、開沼博氏が著書であげている文献を付け加えた。なお、まだ、入手していない文献もあり、それらについては、私自身が今後内容を確認してつもりである。今後も本リストの拡充につとめていきたい。

原発の歴史をめぐる主要参考文献(2012年6月1日増補)

朝日新聞いわき支局編『原発の現場 東電福島第一原発とその周辺』(朝日ソノラマ、1980年)
有馬哲夫『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史』(新潮社、2004年)
石橋克彦「原発震災」(『科学』67巻10号、1997年)
伊藤宏「原子力開発・利用をめぐるメディア議題ー朝日新聞社説の分析(上)(中)(下)」(『プール学院大学研究紀要』44・45・49号、2004・2005・2009年)
茨城新聞編集局編『原子力村』(那珂書房、2003年)
岩本由輝『東北開発120年』(増補版、刀水書房、2009年)
梅本哲世「九電力体制の成立と外資導入」(『経済』194号、2011年)
恩田勝亘『原発に子孫の命は売れないー舛倉隆と棚塩原発反対同盟二三年の闘い』(七つ森書館、1991年)
恩田勝亘『東京電力・帝国の暗黒』(七つ森書館、2007年)
開沼博『「フクシマ」論―原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社、2011年)
樫本喜一「宇治原子炉設置反対運動の考察—原子力研究開発最初期における住民運動」(『大阪民衆史研究』57号、2005年)
樫本喜一「『原子力平和利用三原則と『幻の安全性新原則』ー関西研究用原子炉設置問題から見た原子力平和利用の問題点』(『戦争と平和』15号、2006年)
樫本喜一「リスク論導入の歴史的経緯とその課題—関西用原子炉の安全性に対する日本学術会議の見解を事例に」(『人間社会学研究集録』1号、2006年)
樫本喜一「初期原子力政策と戦後の地方自治—相克の発生 関西研究用原子炉交野案設置反対運動を事例に」(『人間社会学研究集録』2号、2007年)
樫本喜一「研究用原子炉の都市近郊立地に関する歴史的考察—関西研究用原子炉と武蔵工業大学研究用原子炉の比較考察」(『人間社会学研究集録』3号、2008年)
樫本喜一「幻の“原子力安全保障委員会”構想—1958年の坂田昌一と日本学術会議」(『科学』79巻10号、2009年)
樫本喜一「都市に建つ原子炉ー日本原子力平和利用史のミッシングリンクが暗示する安全性のジレンマ構造」(『科学』79巻11号、2009年)
加藤哲郎「占領下日本の情報宇宙と『原爆』『原子力』ープランゲ文庫のもうひとつの読み方」(『インテリジェンス』12号、2012年)
鹿野政直『鳥島は入っているか』(岩波書店、1988年)
鎌田慧『日本の原発地帯』(河出書房新社、1988年)
川村湊『原発と原爆—「核」の戦後精神史』(河出書房新社、2011年)
北村洋基「日本の原子力産業と研究開発—昭和30年代の赤字問題を中心にして」(『経済論叢』114号5−6号、1974年)
橘川武郎「電力自由化とエネルギー・セキュリティー歴史的経緯を踏まえた日本の電力業の将来像の展望」(『社会科学研究』58巻2号、2007年)
橘川武郎「日本の原子力発電ーその歴史と課題」(『一橋商学論叢』3巻1号、2008年)
久野収編『現代人の思想 19 核の傘に覆われた世界』(平凡社、1967年)
熊取町教育委員会編「『京都大学研究用原子炉』の誕生」(『熊取町史紀要』4号、1996年)
熊取町史編さん委員会編『熊取町史』本文編(熊取町、2000年)
小路田泰直「ヒロシマからフクシマへ」(『史創』1号、2011年)
小路田泰直「安全神話の政治学」(『史創』2号、2012年)
小林啓治「原子力開発・原発問題から戦後国家を再考する」(『史創』2号、2012年)
佐野真一『巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文芸春秋、1994年)
佐野真一『津波と原発』(講談社、2011年)
住友陽文「戦後民主主義の想定領域―原子力開発と55年体制―」(『史創』1号、2011年)
清水修二「電源立地促進財政制度の成立—原子力開発と財政の展開(1)」(『商学論集』59巻4号、1991年)
清水修二「電源開発促進対策特別会計の展開—原子力開発と財政の展開(2)」(『商学論集』59巻6号、1991年)
清水修二「電源立地促進財政の地域的展開」(『福島大学地域研究』3巻4号、1992年)
清水修二『差別としての原子力』(リベルタ出版、1994年)
清水修二『NIMBYシンドローム考ー迷惑施設の政治と経済』(東京新聞出版局、1999年)
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社、2012年)
武田徹『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』(増補版、中央公論新社、2011年)
田原総一朗『原子力戦争』(講談社、1981年)
土屋雄一郎『環境紛争と合意の社会学—NIMBYが問いかけるもの』(世界思想社、2008年)
中川かおり「原子力施設反対住民運動における訴訟利用」(『本郷法政紀要』7号、1998年)
中澤秀雄『住民投票運動とローカルレジームー新潟県巻町と根源的民主主義の細道』(2005年、ハーベスト社)
中嶋久人「福島県に原発が到来した日―福島第一原子力発電所立地過程と地域社会」(『現代思想』39巻8号、2011年)
中嶋久人「原発と地域社会—福島第一原発事故の歴史的前提」(『歴史学研究』884号、2011年)
中村政雄『原子力と報道』(中央公論新社、2004年)
西川雅史「原子力発電所の建設と地方財政」(『公共選択の研究』34号、2000年) 
日本科学者会議編『危機における原子力発電と地域開発ー1976年原子力発電問題シンポジウム(福島)報告集ー』(1976年)
日本科学者会議東北地方区編・発行『東北地方区シンポジュウム報告集ー新段階の東北開発と住民』(1986年)
日本科学者会議福島支部・福島県教連教育研究所編・発行『東北地方の「地域開発」政策と公害—東北地方「地域開発と公害」シンポジゥムの記録ー原発・火発問題を中心に』(1973年)
布川弘「『冥王』プルトニウムの誘惑―ヒロシマからフクシマへー」(『史創』1号、2011年)
長谷川公一『脱原子力社会の選択』(1996年、新曜社)
長谷川公一「『六ヶ所村』と『巻町』のあいだー原子力施設をめぐる社会運動と地域社会」(『社会学運動』28号、1999年)
林尚之「原子力時代における日本国憲法の『革命』ー核問題と憲法全面改正論ー」(『史創』2号、2012年)
広瀬隆『東京に原発を!』(集英社文庫版、集英社、1986年)
福武直編『地域開発の構想と現実』Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ(東京大学出版会、1965年)
藤田裕幸「戦後日本の核政策史」(槌田敦ほか『隠して核武装する日本』、影書房、2007年)
藤原修『原水爆禁止運動の成立—戦後日本平和運動の現像—』 (明治学院国際平和研究所、1991年)
布施哲也『福島原発の町と村』(七つ森書館、2011年)
舩橋晴俊ほか編『巨大地域開発の構想と帰結—むつ小川原開発と核燃料サイクル施設』(東京大学出版会、1998年)
ウルリヒ・ベック『危険社会—新しい近代への道』(東廉・伊藤美登里訳、法政大学出版局、1998年)
ウルリヒ・ベック「この機会にー福島、あるいは世界リスク社会における日本の未来」(『リスク化する日本社会ーウルリッヒ・ベックとの対話』、岩波書店、2011年)
丸浜江里子『原水禁署名運動の誕生―東京・杉並の住民パワーと水脈』(凱風社、2011年)
宮本憲一『地域開発はこれで良いか』(岩波書店、1973年)
三好ゆう「原子力発電所と自治体財政—福井県敦賀市の事例—」(『立命館経済学』58巻4号、2009年)
三好ゆう「原子力発電所所在地自治体の財政構造 ― 福井県若狭地域を事例に―」(『立命館経済学』60巻3号、2011年)
武藤一羊『潜在的核保有と戦後国家—フクシマ地点からの総括』(社会評論社、2011年)
室田武『原子力の経済学 暮らしと水土を考える』(日本評論社、1981年)
諸冨徹「原発震災から地域再生へ」(『現代思想』39巻8号、2011年)
山川充夫「原発立地推進と地域政策の展開」(一)(二)(『商学論集』55巻2・3号、1986・1987年、福島大学経済学会)
山室敦嗣「原子力施設立地地域における地域集団と施設の関係性ー茨城県・東海村農業者クラブの事例から」(『地域社会学会年報』12集、2000年)
吉岡斉『新版・原子力の社会史』(朝日新聞社、2011年)
歴史学研究会編『震災・核災害の時代と歴史学』(青木書店、2012年)
渡辺精一「原子力発電所と自治体財政」(『都市問題』72巻10号、1981年)

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