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Archive for 2012年3月

2012年2月25日、東京にて「原子力発電所を問う民衆法廷」第一回公判が行われた。この民衆法廷とは、いうまでもなく「民衆」(市民社会といったほうがよいだろう)が独自に設置したもので、起源は、バートランド・ラッセルやサルトルを中心としてヴェトナムにおけるアメリカの戦争犯罪を裁いた、1967年の「国際戦争犯罪法廷」にさかのぼる。この民衆法廷は、菅元首相らや東電(会社と役員)、班目春樹原子力安全委員会委員長らの刑事責任を問う形で行われたのだが、それ自体の目的としては、次の言葉に要約できるだろう。

本法廷の基本的性格として何よりも強調しなければならないのは、民衆法廷としては当然のことであるが、福島第一原発事故によって被災した福島県をはじめとする被害者の視点である。日本政府や東京電力が置き去りにして顧みようとしない被害者の声に耳を傾けることを基本に据えることなしに民衆法廷は存立しえない。被害者の視点で物を考えるとはどのような営みを指すのかを、権威や権力の高みからではなく、人類史上初の原発水素爆発の映像に震撼し、恐怖を味わった世界の民衆とともに考え、ここから来るべき思想を紡ぎだしていくことが本法廷に課された任務である。同様に、世界各地のウラン採掘現場で、核兵器製造工場と核実験場で、原発立地で、そして使用済核燃料貯蔵地各地で、人間の尊厳を賭けて闘っている人々の声に耳を傾け、思いを共有することが、本法廷の出発点でなければならない。(「原子力発電所を問う民衆法廷・決定第1号」)

まさしく、この目的に基づき、福島県から7名もの原発事故被害者が申し立てを行った。一応、氏名だけは紹介しておこう。

村田弘(南相馬市小高区より避難)
増子理香(三春町より避難)
亀屋雪子(双葉町より避難)
武藤類子(三春町居住)
設楽俊司(福島市居住)
大河原多津子(田村市居住)
佐々木慶子

ここでは、警戒区域内の福島県南相馬市小高区飯崎に居住し、農業を営んでいた村田弘の申し立てをみてみよう。村田は、3月12日の福島第一原発第1号機水素爆発に伴う政府の避難指示により、13日、30キロ圏内の南相馬市原町区の石神中学校に避難し、その後南相馬市の勧告に従い、栃木県那須町をへて19日に長女の住む川崎市に避難した。村田は、次のように事態を概括している。

 

私の住んでいた南相馬市小高区を含む20キロ圏内の2市7町村では直ちに主要道路に検問所が設けられ、立ち入りを制限されました。さらに4月22日には災害対策基本法に基づく「警戒区域」に指定され、2万8千世帯7万7千人余の住民が強制的に排除され、着の身着のままで全国各地で避難生活を送ることを余儀なくされました。
 あの日から、あと2週間で1年の月日が経とうとしています。
 政府は昨年12月16日、野田首相が原発の「収束状態」宣言をし、1月には放射性物質汚染特別措置法に基づき、年間被ばく線量20ミリシーベルトを境に「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」に、50ミリシーベルト以上の地域は「帰還困難区域」に分断して処理をするという方針を発表しました。
 しかし、被害の実態は放置されたままです。だれがその全容を把握しているのでしょうか。原因の解明も遅々として進んでいません。この大惨事を招いた責任の所在については、法治国家としての当然の追求の動きすらありません。これは、いったい、どうしたことでしょう。
 私は、普通の人々が望む正義が守られ、貫かれ、普通の人が普通に生きられる社会の実現を願い、私の体験をもとに、以下、3つの点について申し述べさせていただきます。

 そして、まず、村田は、福島第一原発事故が多くの人命を奪ったことをとりあげている。避難中、多くの老人たちが死に追いやられた。また、自死もあるのだが、村田は「自死に追いやられた人々の数も実情も、ほとんどが闇の中です」と述べている。さらに、福島県の「浜通り」では、地震と津波で1800人を超える人々が犠牲になったのだが、原発事故で救助と捜索が1ヶ月近くも放置されたことを村田は指摘している。

村田は、一昨年同期(3月1日〜12月31日)より津波や地震の死者を差し引いても7千人ほど福島県では死者が増えている、福島県でも3400人が原子力災害や大震災でなくなったとしているのだが、政府や東電は因果関係を認めず、原発災害による一般の死者はゼロとしていると指摘した。その上で、村田は、このように述べている。

…全電源喪失を「想定不適当」という普通の人には理解しがたい言葉を使ってまで、原発の稼働を許してきたこと、これ一つだけとっても「因果関係」は明白ではないでしょうか。
 人を死なせたことを、普通の人は「人殺し」と言います。「人殺し」は重大な罪です。しかも、数千人です。「犯人」が突き止められず、罰せられないことが、許されるでしょうか。
 肉親が、友人が、知人が亡くなれば、多くの人々が集まって故人を偲び、弔います。放射能に追われる中で、死者の最後の尊厳すら守れなかった数千、数万の人々の無念の思いを、闇に葬らせてはなりません。

続いて、村田は、福島第一原発事故は、「かけがえのない自然を破壊し、多くの人々の過去と未来を奪った」と訴える。村田は、このように述べる。

 

福島県には約15万ヘクタールの田畑があり、耕地面積では全国7位の農業県です。コメが4割を占めますが、モモ、ナシ、サクランボなどの果樹の有数の産地であり、太平洋岸にはサンマ、カツオなどの豊富な漁場が広がり、奥羽、阿武隈山地では畜産が営まれ、きのこもたくさん採れます。そこに広島原爆の20個分にも当たる放射能が飛散し、降り注いだというのです。
 警戒区域と計画的避難区域の田畑は、東京23区の半分近い面積があります。ここではコメも野菜も作付けが禁止され、草ぼうぼうのまま2度目の春を迎えます。福島県の8万戸の農家の人々は、鈴木博之(福島県の放射能汚染を訴えたコメ農家)さんと同じ思いを胸深くしまいこんでいるのです。
 私の家から海岸へ車で20分余の浦尻というところに、国指定の縄文時代の貝塚があります。約5千700年前から3千年間も続いた遺跡です。ここからは、カツオやカレイ、スズキ、ウナギやフナの骨が出土しています。5千年以上も続いてきたこれらの海の幸、川の幸と人間の関係も断ち切られたのです。
 林や森の中、草原で、もはや深呼吸もできない。落ち葉は「毒のかたまり」、川も海も放射能の集積する「穢れた所」。生命の源である「緑」が「毒」に変えられてしまったのです。マスクと線量計が離せない子どもや孫たちの将来……これが私たち前にある現実なのです。

この申し立ての最後に、村田は次のように訴えている。

 

最後に、この法廷の皆さんへのお願いです。
 ひと言で申し上げれば、普通の人が普通に考える、当たり前の正義を守ってほしいということです。
① 少なくとも数十万の人々の日常を決定的に壊したこと
② 少なくとも数千人の命を奪ったこと
③ 人の生きていく基盤である土と水と生きものと人との関係を決定的に破壊したこと
④ 以上のことが当然に起きることを知りながら、「安全」というひと言で人々をだまし続けてきたこと
⑤ 「国策」という衣を着せれば許されるとして、非人道極まる原子力政策を続けてきたこと
これを裁いていただきたい、ということです。

「私たちは日本国民なのですか」と双葉町の町長が言った、と伝えられました。「帰還困難区域」という名をかぶせられて故郷を追われ、放射能汚染物の「中間貯蔵地」という棄民政策の受入れを強要された場でのことです。この痛恨の言葉を思い起こしていただきたい。

 第二次世界大戦で、「平和と人道に対する罪」という考え方が生まれたように、「人間と自然の尊厳を破壊する罪」という新たな概念をつくってでも、この前代未聞の罪を裁いていただきたい。

 そうでなければ、私たちは死者と共に、夜な夜な藁人形に針を打ち続けるしかないのです。

村田は、ときどき、涙ぐみながら、この申し立てを行った。他の申立人も同様であった。福島第一原発事故により、最も大きな被害を受けた人びとの声として、これらの申し立ては貴重であるといえよう。なにをさておいても、彼らの声に耳を傾けなくてはならない。なお、村田は『世界』別冊に手記をよせているので、村田の主張をより知りたい方はそちらを参照してほしい。

そして、村田の申し立ては、私たちの心を揺さぶる。民衆法廷で、菅元首相や東電などは、「人の健康に関わる公害犯罪の処罰に関する法律」や刑法の業務上過失致死傷で告発されている。これほどの人災について裁く根拠法が、これだけのものしかないのである。村田のいう通り、ニュルンベルク裁判のように、あらたな法概念を提示する必要があるのではないか。そして、それを現実の法律として立法化していくようなことも考えうるのではなかろうか。今、この申し立てを回想してみて、そのように思った。

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本日(2012年3月2日)の朝日新聞朝刊を読んで、愕然とした。朝日新聞には「耕論」といって、いわゆる識者のオピニオンを掲載する場所がある。今日の「耕論」には「私たちの福島ー東日本大震災1年」と題して、福島県商工会議所連合会長瀬谷俊雄、古着リサイクルNPO事務局長甘南備かほる、クリエーティブディレクター箭内道彦による福島県の復興に対する意見が掲載されていた。その中で、瀬谷は、「原発動かし企業を支える」ということを提案したのだ。

瀬谷は「福島の復興なくして日本の復興はなし」という言葉は、日々風化していると述べる。特に、瀬谷があげているのは、福島県が国に18歳以上の子どもの医療費無料化を要望したことに、国が拒否回答していることだ。瀬谷はこのように述べている。

私は怒りましたよ。そりゃないだろう、と。
子どもたちは続々と県外に流出してしまったんです。国としては福島に対するおわびのしるしとして、無料化してもいいじゃないですか。せいぜい数十億円で済む。福島のリスクは日本のリスク。

その上で彼は「原発事故からの復興には『ウルトラC』の超法規的な政策が必要なのです」と主張する。具体的には、復興庁などが検討しているという、新たに進出してくる企業に補助金を出すという政策を批判し、キャノンやパナソニックなどの福島に既にある企業を優遇すべきであると提案した。そのために、瀬谷は次のように述べている。

福島を復興させるためには、二つしかないと思っています。一つは福島を税制上のタックスヘイブン(租税回避地)にする。もう一つは電力料金を安くする。
後者について批判覚悟で言いたいことがあります。福島第二原発の再稼働を視野に入れたい。4基の計440万キロワットの電気を、福島にある工場用に安く回し、企業が福島で事業を展開するインセンティブを与えればいいと考えます。

いわば、福島に現在ある企業のコスト減少のために、税金と電力料金を下げろということだが、電力料金を下げるために、福島第二原発を再稼働せよと主張しているのである。原発事故からの復興は「原発」で、ということになる。

そして、瀬谷は、最後にこう言っている。

福島は「脱原発」を宣言しました。しかし、美辞麗句を並べた復興計画なんて飽き飽きしています。もっと現実を直視しましょう。自然エネルギーで代替できますか。化石燃料では電気代が跳ね上がる。産業を支える肝心のエネルギーが不安定では、福島の復興の前途は暗い。今こそ政治決断を促したい。

福島県は、県内全原発の廃炉を宣言した。しかし、瀬谷はそれを批判しているのである。

これは、かなり大変な主張である。瀬谷のいうとおり、政府の福島県に対する姿勢は冷淡であるといえる。そのことに多くの福島県民が不満をもっていることは確かであろう。そして、なんらかの意味での「ウルトラC」を求めてはいるだろう。しかし、それは、原発再稼働によって解決するようなものなのか。

福島において、特異なことは、福島第一原発事故の影響である。現在でも立ち入りすら禁止される地域が広範囲に広がっている。そして、立ち入り禁止になっていないところでも、放射線量が高いところが多く、居住や生産活動に支障が出ている。そして、そのような地域からの生産物(農林水産物だけでなく工業製品すらも)の買い控えが起こっている。このことが、福島県特有の問題である。福島第一原発事故についても「収束宣言」とは裏腹に収束したとは全くいえない。

福島の復興というのは、まずは福島第一原発事故対策であるといえる。そこで、原発再稼働とは…新たなリスクを抱え込むことになる。「風評被害」といわれる「買い控え」は、何より政府の放射能対策が徹底しないことに起因している。原発の再稼働は、むしろ、その懸念を高めるであろう。

そして、単に税や公共料金という企業のコストを下げることが、企業活動の推進になるとも思えない。ある意味で、日本はデフレ状態であり、それは、あまりに賃金を下げすぎて国内の人びとの購買力が失われていることに起因しているといえる。

そして、電力料金の低減が必要ということと原発再稼働は切り離して考えるべき問題である。

1950年代の奥只見地域の電力開発の時代から、福島県においては、発電所の立地とひきかえに電力を安く供給してほしいという指向はあった。その意味で、瀬谷の主張は「伝統的」なものといえる。しかし、そういうやり方がもはや通用しないことが、今回の福島第一原子力発電所事故の意味なのではなかろうか。

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