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Archive for 2011年2月

青松寺墓地入口(2011年1月31日撮影)

青松寺墓地入口(2011年1月31日撮影)

青松寺墓地(2011年1月31日撮影)

青松寺墓地(2011年1月31日撮影)

寺院には墓地が通常付属している。青松寺も例外ではない。本堂の裏側にあり、かなり広大な墓地のようだが、「檀信徒以外立ち入り禁止」という掲示がされていた。

とりあえず、愛宕グリーンヒルズMORIビル最上階のレストランから撮影を決行した。この墓地は、境内の裏側の山林となっている崖地を登ったところにあるようである。特徴的なのは、敷地がほぼ三角形をなしていることである。1993年のゼンリンの住宅地図でも敷地は三角形をなしているので、それほど手が加えられていないのかもしれない。ただ、この広大な墓地も確実に愛宕グリーンヒルズ全体の容積率に計算され、超高層ビル建築の前提となっていることであろう。肉弾三勇士の墓があるとのだが、墓地に入れないので確認はできなかった。

斎藤月岑の『江戸名所図会』では「当寺の後の山を含海山と号く。眺望愛宕山に等しく美景の地なり」と紹介されている。「愛宕グリーンヒルズ」と名付けられているが、歴史的名称でいえば「含雪山」である。ただ、この「含雪山」は、愛宕山の尾根続きにある。後述するNHK放送博物館がなければ、両者はつながっていたのである。

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観音聖堂(2011年1月31日撮影)

観音聖堂(2011年1月31日撮影)


本堂の右側に、大きな「観音聖堂」という建物がある。青松寺ホームページでは、次のように説明している。

ここは礼拝堂です。自己の内面と向かい合い、観音様の優しいまなざしに包まれて、穏やかなときをすごすことのできる空間です。(中略)
これまで仏前結婚式や、花祭りの際のコンサート、仏教ルネッサンス塾にみる講演など、さまざまな催しが展開され、集う人々の和合の広がりを育んできております。

観音礼拝堂とホールをかねた場といえるだろうか。ホームページでは、それ以前の建物について言及していないので、たぶんここで新たに建築したのであろう。ということは、愛宕グリーンヒルズ再開発事業は、「復活」だけではなく、新たな宗教的空間も形成したといえるのである。

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坐禅堂(2011年1月31日撮影)

坐禅堂(2011年1月31日撮影)


本堂の左側には大きな坐禅堂がある。青松寺のホームページには次のように記されている。

山門をくぐり、中雀門を通って、本堂に向かって左手側の建物が、修行僧をはじめ寺を訪れる方々の学びの場になっている「獅子吼林サンガ」です。その玄関頭上のガラスレリーフに「獅子窟」とあるのは、江戸時代に青松寺内に栄え、幾多の人材を世に輩出し、駒澤大学の前身ともなったた学林(学校)の名に因むものです。
ここ獅子吼林サンガの中心が僧堂(修行者が坐禅を修する道場)です。中央に聖僧様(しょうそうさま・文殊菩薩/観音/大迦葉など)を安置するので正しくは聖僧堂といいます。この聖僧様を囲んで、周囲に単(坐禅の席)を設け、坐禅を中心に食事から睡眠までの一切の生活が行持されます。わが国で初めて僧堂を建立し、清規(しんぎ・仏道修行の生活規則)に基づく修行を始められたのは道元禅師だと言われています。
僧堂は、一般には「坐禅堂」と呼ばれますが、「行雲流水」という言葉がありますように、諸国を行脚する雲水方が一時とどまり弁道修行する堂ですから、「雲堂」とも言います。外に面した額に刻まれた文字はこの「雲堂」です。
かくて、今日の青松寺にあっては、かつての「獅子窟」に倣い、「獅子吼林サンガ」が興され、仏道を学ばんとする人々に広く解放されています。

この記述によると、この坐禅堂も、かつてあったものを愛宕グリーンヒルズ建設にあたり復活したと考えられる。愛宕グリーンヒルズ開発は青松寺の復活の一大景気であったのである。

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東京慈恵会医科大学病院(2011年1月4日撮影)

東京慈恵会医科大学病院(2011年1月4日撮影)


今、ちょっと報告準備でブログ更新している暇がない。ただ、報告に関連することをここであげておこう。

道路をはさんだ愛宕グリーンヒルズの正面に私立東京慈恵会医科大学病院がある。この病院は愛宕グリーンヒルズと提携し、居住者に特別な健康管理をしているそうである。

この病院は、元来1873年に宮内省の資金提供でできた東京府病院が源流である。東京府病院は、もともと、首都における近代的大病院を建築する、お雇い外国人をいれて医学教育の場とする、都市下層民の医療を行うという三つの目的を有していた。しかし、1880年頃より、公立大病院は民業圧迫である、大学病院があるのに東京府で医学教育を行う必要はない、都市下層民を納税者負担で救済する必要はない、都市下層民を保護すると「惰民」化するなどという、東京府財政を審議した東京府会の批判が強まり、1881年に廃院された。まるで、新自由主義下の地方自治体のようである。しかし、やはり都市下層民医療の場は必要であり、私立の有志共立東京病院という形で、1884年より開院した。それが東京慈恵会医科大学病院の始まりである。ここに現在のこの病院の原点があるのだ。

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青松寺旧鐘楼(http://www5.ocn.ne.jp/~seishoji/mapframe.html)

青松寺旧鐘楼(http://www5.ocn.ne.jp/~seishoji/mapframe.html)

青松寺のホームページは、関東大震災以前の鐘楼をわざわざのせている。そこには、このように説明している。

山門をくぐり、左手方向に鐘楼堂はあります。
写真は、大正12年(1923年)の関東大震災で境内堂宇全てが消失する前の鐘楼堂。現在の鐘楼堂は青松43世鉄肝省吾大和尚により、建立されました。
梵鐘の「梵」とは、インドの古代語で神聖・清浄を意味し、そのような音「梵音」を奏でる「鐘」が「梵鐘」なのです。
青松寺の梵鐘には銘が刻まれており、江戸期に何回か災厄に遭い、その都度鋳直され、また、昭和の大戦時には供出されたと記してあります。現在の梵鐘は昭和31年に鋳造されました。すべての人が「永く業苦を離れ、浄土に遊ばん」という願いが込められています。

青松寺現鐘楼(2011年1月4日撮影)

青松寺現鐘楼(2011年1月4日撮影)

この説明によると、現鐘楼は愛宕グリーンヒルズ開発以前の再建かもしれない。愛宕グリーンヒルズ開発による境内伽藍の復興は、前よりも大きくなっていることが多いのだが、この鐘楼は前よりも小さくなっている感がある。

鐘楼の禁止事項(2011年1月4日撮影)

鐘楼の禁止事項(2011年1月4日撮影)

ただ、いずれにせよ、愛宕グリーンヒルズ公開空地設計にはとりこまれているといえる。そして、コスモポリタン化した森ビル開発事業にふさわしく、英語で鐘楼の禁止事項が書かれている。

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青松寺中雀門(2011年1月31日撮影)

青松寺中雀門(2011年1月31日撮影)

復興された「桜川」(2011年1月31日撮影)

復興された「桜川」(2011年1月31日撮影)

青松寺山門を入ると、小さな水路に橋がかかっていて、さらにその奥に門がある。

青松寺ホームページでは、次のように記述されている。

当時山門前の愛宕下通りには、美しい櫻川が溜池から流れていました。その当時の石橋は、現在新たに青松寺境内に復興された桜川にかかっています。

青松寺旧中雀門(http://www5.ocn.ne.jp/~seishoji/topicsframe.html)

青松寺旧中雀門(http://www5.ocn.ne.jp/~seishoji/topicsframe.html)

中雀門(ちゅうじゃくもん)
山門から境内へ入った所にあります。境内には、参拝にいらしたおばあさんとそのお孫さんが見えます。

青松寺は、愛宕グリーンヒルズの開発にあたって、「中雀門」と「桜川」まで復興してしまったわけである。この点でも、青松寺の境内復興にかかる熱意を感じることができる。

誕生仏の噴水ー「桜川」の水源(2011年1月31日撮影)

誕生仏の噴水ー「桜川」の水源(2011年1月31日撮影)

水龍の噴泉ー「桜川」の水源(2011年1月31日撮影)

水龍の噴泉ー「桜川」の水源(2011年1月31日撮影)

ただ、「桜川」の水源をみると、伝統的モチーフ(誕生仏と水龍)を現代的なデザインで再構成したものであり、むしろ森ビル側の「公開空地」全体の設計に内包されているといえる。

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